はてなキーワード: 自責とは
"愛し愛される幸せな家庭"のイメージなんて、あこがれとして作用するからこそ商材になる
もしくは「産めよ殖やせよ」が形を変えたプロパガンダにすぎない
「いい歳して実家暮らしなんて」っていうのも、不動産業界や犯罪者が得する価値観でしかない
創作するオタクにありがちなんだけど、こういう作られたイメージを正解だと思ってしまって
出ていってほしいって言われてるんじゃなければ実家使おうよ、どう考えても合理的やん
生活力が付かないのを危惧しているのなら、ご両親と相談して自分の家事負担を増やせばいいだけの話
オタクなら「実家カード持ってる奴は創作者において最強」って一度は聞いたことあるだろ?
商業で第一線級のクリエイター(30歳以上)でも実家暮らしの人は結構いるよ
結婚はともかく出産は子供が関わる分、猛攻撃されるから話が表に出てこないだけ
恋愛結婚なのに、子供に愛情がどうしても持てないお母さんも一定数いるけど
イコール虐待親というわけではなく、家族コミュニティの成員の一人として淡々と育ててる人もいる
保健室にしか登校できなくなった私をいつも訪ねてきてくれた 彼が好きだった
彼の描くモチーフはいつも悲しみと自責みたいなさみしさがあった
美大生って素直に自分に向き合う作業とか、それを表現するとか、このアニメでなんて過酷なんだと知って
君が辛いときに遊びに来たりしてごめんなさい 意味もなく邪魔したりしてごめんなさい
私は彼をなにも理解できてなく、迷惑しかかけていなかったと恥しい ごめんなさい
このアニメ観てるといつも君をどこかで思い出すよ どうか幸せでいてくれることを祈ってる
そんなことをほんのり思いながら、主人公を応援しながら観ている
いつも健気にまっすぐで友だちも優しくて、カンもよくて羨ましいなあ
これでしょ
男やオタクに罪悪感を植え付けてどうしたいの
そこまで男やオタクに罪悪感を植え付けてどうしたいわけ?
いや、どうしたいわけって聞いておきながらいちおう分かってるよ、罪悪感によって彼らの加害行動を自制させたいんだろう。
でもその結果はどうよ。
罪悪感と自責感を植え付けられた奴らが、結局その罪悪感をかかえかねて、それに現実人生にも適応できなかったりして、ミソジニーとかフェミ叩きとかに行っちゃってるじゃん。
そんで、自分に罪悪感を植え付けた奴らから抑圧され続けてきたって気持ちを抱いて、オタクvsフェミだの、弱者男性vsフェミとかやらんでもいい対立構図を男やオタが考えちゃって、考えちゃったから半ば実現してる。
お前はダメな子だ、悪い子だ、常に反省と自責の念を持ちなさいって育てられた子供が、メンがヘラって人生ブチ壊れたあげく親をめちゃくちゃ憎悪してる、毒親問題と似たようなもんだよ。
フェミの人らがオタや男たちに対して「私たちはお前らのママじゃない」って言うけど、ある意味ママなんだよ、「毒母」なんだよなあ。
自分たちの好きなものを守るために、住み分けやゾーニングやマナーを真剣に考えてる
そっちでも書いてるけど学級会に明けくれたり排他的になったりのしんどさに結びついてるっしょ。
あれは世間(もちろん男・男オタも入る)という「毒父」「毒母」に抑圧されて、そしてそれを内面化した腐女子は次の「毒母」となり新規腐女子に自重しろ隠れろとうるさく言って抑圧を遺伝させ、内紛起こして学級会やってアカ消ししてマナー問題で引退してジャンル変更で人間関係切って、それが嫌になった奴が極端な解放を叫んで女オタ内からもそれ以外からも燃やされて、の非常に生きづらそうな光景になってるわけ。
そういう、「毒親」に抑圧された女が育って「毒母」になり、それに育てられてまた「毒母」になってきたのが、男やオタクにも毒を遺伝させようとしてるのが現状。っていうのが俺の認識。
家のドライヤーが俺の使用中に壊れてしまったので、急遽夜のうちに買ったのだ。
そのことを今朝妻に伝えたところ、ヒステリーを起こしてしまった。
不快な顔をしている俺を見て「あーあへそ曲げちゃったね」の小言ジャブから始まり最終的には
「全部私が悪いんでしょ?全部全部全部全部…!!!」と続く。この手のヒステリーが週1で起きる。
こうも言われた。
「私と全く同じ考えで全く同じように育児してほしい」
俺が考え方や立場も違うので全く同じは難しいよ伝えたらやっぱりヒステリー。
しかしながら君は0歳の子供を寝かしつけてから寝ていたじゃないか。
起こすのは忍びないので相談はできなかった。
そして妻が困らないようにとの配慮から夜のうちに購入したのだった。
言い返したが最後、ただただ否定され続け、今日ついに限界が来たのか不意に気づくと涙がこぼれていた。
その様子を見た途端、今度は自責モードに切り替わる。「私が何も言わなきゃいいんだね」「全部我慢する」
「私は駄目だ」「幸せになっちゃいけなかった」子供には「駄目なお母さんでごめんね」
「この子は愛されているから私がいなくなっても平気だよね」と続く。
俺には「悲しんでいるの?」と見りゃわかる事を聞かれ、バカにされる。
途中息を吐くように「ごめんね」と言われるが、その中身のないごめんねはもう耳には届かない。
思えば子供が生まれるまでは仲が良かった。意見がすれ違えばまだ話し合いで解決できた。
多分彼女には福祉が必要だ。眠らない日や体調が優れない日が増え、いつもイライラしている。
土日は俺が料理を作り、妻に要求されたら一緒に出かけ、家を建て暮らし、地方情シスのワープアだが、
身を粉にして働いてきた。
おむつ交換もやり、ミルクも与え、寝かしつけもしている。自発的に。
休日は妻の一人きりの時間を作り、週1回はお出かけ中の妻に代わり子供を見ていた。
虚しいな。どこで間違ったのだろう?もう戻れないかな。
こんなつもりじゃなかったな。
転職活動中。先日、最終面接まで行って落とされた会社への未練が断ち切れない。
業務内容に興味があり、これ以上ないほど労働条件が良いという千載一遇のチャンスだったのに落ちてしまった。
面接で明確にこの受け答えをミスったなという点がいくつかあるので余計にやり切れず、自責の念に苛まれる。実力不足というか、実力を出し切れなかった。それも含めて実力なんだろうけど。どうしてもっと面接対策をしなかったんだ。
転職は続けているが結構な頻度で、ああ、あの時受かっていればと落とされた会社のことが脳裏によぎり、本当に気持ちが落ち着かなくて困っている。これ程までに後悔したことって人生でないんだ。
転職なんて縁と運。受け答え関係なくスペック的に自分より優れた人がいたのかもしれない。反省はしても自責するのは時間の無駄だ。分かっているけど、そんなことばかりしてしまう。
なんか脳が「楽しい」「嬉しい」とかのポジティブな感情を認識しないようにプログラムされてるような感じがしてる。
嬉しいことが起こると、感情が来る前にこれは嬉しいことと脳が認識する感じがする。
その後に嬉しく感じましょうって指令が出て、その指令に難航する。
→脳の指令に従えない。
→それくらいの指令、すぐこなせよ と自責めする。
→苦しくなる。
なんか感情を感じるのが難しい。
それなのに幸せそうな他人に対する嫉妬による悲しみ、脳みその回路がおかしくなってしまった自分への悲しみは感じるんだ、と思って何もないのに涙が出る。
怒りが混じるとめんどくさくなるので、それが来る前になんとか治したい。
時間が解決してくれると思ってましたが、1年は経過しているみたいです。
体が動くうちになんとか行動に移したい。
みたいなことを、小さな脳みそに置いとくには重すぎたので、とりあえず書き出した。
だけです。
動けるようになったら最終的に働け自立しろって皆言うじゃん
そもそも、それが違う。
「お前にそれを言う過干渉な奴がお前の周りに居る」だけであり、それは義務でもなんでもない。
生活保護以上の収入が合法的にほしいなら、知り合いの会社に名前だけの役員になれるようなコネがない限りは、働くことが必要になってくるだけのこと。
あと、自責系の鬱の人は、「生活保護を受けている自分」に対してストレスを感じるから、生活保護が受給できたからといって、うまくいかないこともある。
わいは、半年休職したことがあるけど、半年間「働いてない自分」が社会的に価値がないような気がして、働きながら鬱抜けする方が合ってると思った。
だから転職して環境を変えた。(面接のときは誤魔化して伝えたけど)
世間では宮迫がボロクソに言われているが、自分はけっこう同情してしまった。
それに対する嘘や吉本への反旗など対応が悪すぎて自分の首を締めたのもわかっている。
ただ、同じ状況になった時に宮迫のように自己防衛的になってしまう人は多いんじゃないだろうか。
実は自分もそうで、仕事でのミスをおおごとにしてしまい、責任を取らされて今は完全に干されている。
真摯に自責で受け止め、自ら身を引いて反省すれば再起の芽もあったはずだが、それはできなかった。
理屈ではわかるが、ここまで干すほどのことか、と今でも思ってしまっている。
一人で責任を取る流れになってからだとやっぱり同じように行動してしまうのではないかと思う。
転職活動を始めていて、いいところが見つかれば早くにでも転職するだろう。
次はもっとうまく立ち回れるようにしたい。
俺と妻は性欲強めの好き物夫婦だった。毎晩子供達が寝た後に、様々なプレイを試した。だがそれもマンネリ化していた。
ある日、長女4歳が風呂場で俺の性器に興味を示し、いじってきた。楽しげなその様は妻にそっくりで、素質を感じた俺は深く考えもせず、娘にフェラと手淫を教え込んだ。幼い娘にやらせることに背徳感があり、それがますます欲情を募らせた。
不器用ながら一生懸命やる長女は可愛らしく、妻に教えると妻も止めずに興味深く見て、教えていた。褒めると娘は喜んでくれた。
「この子には素質がある。だけどこのことが外にばれたらまずい。教えるのはこの子だけにしよう」と妻と二人で決めた。
それからしょっちゅう、娘と妻と「秘密の遊び」をするようになった。性行為は9歳のころから始まった。妻は2階寝室に長女を連れて行き、他の子供たちが2階に来ないように見張ってくれた。ときには自分もセックスに参加して、手で勃起させた俺の陰茎をそのまま長女の陰部に導くこともあれば、娘と2人でフェラすることもあった。
娘はかわいらしい笑顔だった。楽しい親子の行事で、興奮するアブノーマルなプレイだった。
それ以外は普通の親だった。プリキュアやアンパンマンごっこをしたり、わがままに手を焼いたり、学校行事に参加したり、他の子供達とも分け隔てなく育てた。娘も俺たちを慕っていた。
思春期ならともかく幼い頃からこれが普通と吹き込めば傷つかない。セックスに抵抗感がなくなるだけ。今時それが普通。何の悪影響もない。そう確信していた
中学になって生理が来ると、妊娠させてはいけないからと性行為をやめた。長女を困らせたり負担をかけることはしたくないから。それにいつかは辞めなければいけないことだと覚悟していた。長女はがっかりしていた。
今、俺は何千、何万もの人から怒り、憎しみ、悍ましいものを見るような目をぶつけられている。鬼畜親父、娘が可哀想、と。
娘は性交を楽しんでいたんだ。俺は娘を喜ばせるためなら何でもしてきた。娘がいじめられている時は真剣にアドバイスし、いじめた同級生の元に向かった。
娘は笑顔で慕ってくれていた。俺を、妻を、家族を。娘は幸せだったはずだ。
なのに、どうしてこうなるんだ。不思議で仕方ない。
娘には言われた。自分の家庭が異常だとわかってずっと悩み苦しみ、自分は汚いんだと自責した、と。死にたかった、自殺を試みた、と。
思えば高校生になった娘は暗い顔をするようになっていた。クラスや部活のトラブルかな?と気にかけた。「何かあれば相談するんだぞ。父さんはお前の味方だからな」と声を掛けつつ、思春期になれば色々あるもんな…と思っていた。
申し訳なく思いつつ、今でも納得いかない部分がある。だって、娘は幸せだったんだ!あの時の娘の笑顔、自分達の親としての頑張りや思い出まで否定したくはない。自分が異常だと思わなければ、吹き込まれなければ、今でも幸せだったんじゃないか…と思っている。
長女以外の子供達からは今でも俺たちを慕う手紙が届く。姉を恨む子供達に、恨まないでやってくれ、と返事を書いた。
ニッターズハイ!見てみたけど、陸上でそれなりに活躍してた男がケガで挫折し編み物を始めるという話で
昔Twitterで見た「タピオカを飲んでニコニコしてる優しい男」の話だった。
結局「男らしさの呪縛に苦しんでるのは男のせい」みたいな思想が透けて見えて、「有害な男らしさから解放されて私たちに優しい都合の良い男になって」というメッセージしか見えないんだよな
こっちから見れば結局高身長でイケメンな男たちが自責し悩み編み物に熱中していくっていう、十分男らしさに見えたけれど。結局作者の「他責と庇護欲」という「女性受け」前面に見える作品なのよ。
『私たち腐女子はゲイの皆さんにカミングアウトして欲しいんです おっさんずラブでやってたように職場や学校でやっちゃってください!!大丈夫、腐女子はみんな貴方達の味方です!』
見たいな勝手に男に消費対象としてのロールをかぶせてるようにしか見えないのよな。
別にこういう話は書いても良いし勝手に萌えてていいんだけど、「男らしさの呪縛」とかそういうポリコレの包み紙で自分の性欲を隠すのを辞めなよ、と思う。
結局「男の苦しみに首を突っ込んでるように見える」のはその売り出し方の問題でさ
まどマギやエヴァを「守られて他人を助けない女らしさからの解放」として売り出すようなことを世の中はしないから
「男の苦しみに首を突っ込んでるように見える」事例が少ないからだと思うよ。
性を売りに男から搾取してた女が、所謂「フェミる」瞬間を見てしまった気がする
アラサーになって周りが結婚していって、性的に求められる事も以前より減るようになり
自分が人間的に成長していない事・自分が女性として劣り始めている事から目を背ける為に自分を被害者に置き「男はマンコしか見てないのだ」と酸っぱい葡萄理論を構築する
男が自分を欲していないのではなく、自分が男を欲していないだけって感じにな。こういうのが婚活を始めるとプライドを守る為に男を選別し始め、周りから失笑を買ってる事を気付いてない「三十路婚活女」になるんだよな
他人のせいにしてるけど、男は真面目に付き合う時は人柄=人間性を一番重視する。経験人数40人(笑)、他責傾向の女なんて中身空っぽで価値ないよな。人間の中身って自責して改善するからこそ生まれるものだろ
自分でも中身空っぽなのに気付いてるから「マンコにしか価値が無い」と言えてしまうし、男も無い中身は見れないからな。
経験の豊富さは誰かに導いて貰う為じゃなく、誰かを導く為にあるのに、「中身を見てくれる人が欲しい」とか甘えてる時点で中身空っぽなのバレバレなんだよ。まともな人間なら経験無い人をリードしようと思うのが普通。
リードされてもらうばっかりだから誰かを導く「経験」が無いんだろうな。経験人数という「経歴」はあるけど、経歴は立派で経験の無い人間って一番疎まれるから。
「男の人の中身も見よう」じゃなくて、「見て欲しい」って言ってる26歳とか、バブバブいってるオッサン並みに見苦しい。
こういう精神状態を続けていくと「男はマンコか、産む機械かママが欲しいだけ」とか言っちゃう、そういう男しか周りに残らなかったアラサーマンコが爆誕するんだよな。
そういうアラサーマンコは「無償で自分を愛してくれて、経済的にも精神的にも養ってくれるパパ」を探して没落してくけど、元増はまさにその入り口に立ってるよね。
私もトラバしたのが多少なりとも言語化の一助となったようでよかった。
だが夫が求めているものはおそらく永遠に手に入らないものなのだろう。
(もちろん何かがきっかけで急転直下の激変があるかもしれないが、見込みは相当薄いと言わざるを得ない。そうなれば一番良いに決まっているが)
気休めの希望など言っても仕方がない。
性欲モンスターと受け取ってしまう夫の感受性の強さもどうかと思うが、
まあ妻をなるべく悪者にしたくないという配慮からの自責なのだろう。
だがスキンシップさえペットにアウトソーシングしたがる妻の態度は、現実としてどうにも否定しようがないだろう。
口先だけ大人ぶって「このツラい壁を私が乗り越えれば全てが解決するのだろう」と殉教者ばりの決定も選択肢としてあるだろうが、
既に言及の通り、形式的にそれをやったところで心は絶対に偽れない。
なぜ夫はそこまでセックスをしたがり、なぜ妻はそこまでセックスをしたがらないのか・・・。
あとは「真剣な悩み」を「セックスできなくて不機嫌」と処理する妻に若干のすれ違いはなくはないという余地はある気もする。
だとすれば単純な性欲の処理としてのセックスではなく、
あなたではなくてはダメなのだというような伝え方がまあ最後残っていなくはないのかもしれないけれど。
夫にせよ妻にせよ「セックスとは何か」という了解がお互いになく、
下手したらそれぞれ自身がセックスとは何かがわかっていないのかもしれない。
まあ・・・セックスとは何か、がわかっている人なんて、大人でも誰もいないのかもしれないけれど。
妻はセックス自体に忌避感があるのか、それとも理想のセックス像はありながら夫がそれを提供できていないのか。
セックスに焦点を当てればいくらでも検討余地はあるだろうけれど、
・・・セックスをそこまで真摯に、誠実に語り合える夫婦というのは、実は、数えるほどしかいないのかもしれない。
誰もそれを語らず、確認もせず、
すれ違いながら、それでも社会的には何とか成立できるような夫婦関係と家族関係を、かろうじて成立させているのかもしれない。
誰も、こんな話、してくれないよな。
夫婦ですらしないんだ。
赤の他人には、できないだろうな
前に住んでたアパートの大家が設備不具合を何かにつけてこちらのせいにしてきた
こちらはそれこそ普通に住んでるだけなのに、耐久年数の問題なのか、風呂トイレのドアが開かない、トイレの水漏れ、部屋の電灯を吊るすコードが伸びたり、窓は開けると閉まらない、といろんなものが壊れた
築年数もかなり行ってて、こちらは大家側で設備不良を修理してくれるもんだと思ってたら、あらゆることが自責による故障扱いで敷金から引かれる
壊れたものを直してもらおうとすると、まずどちらの責任か争わないといけない
そういうのがほとほと嫌になって、長く住んだけど引き払い、次は新しい物件に住み替えた
次に住んだ新しい物件は何が壊れる事もなく快適に数年住んだ
一度、水道の水漏れがひどかったので管理会社経由で言ったら、大家さんが直々に直しに来てくれた 費用も特に問われなかった
引き払う時も何も言われず、クリーニング代だけ引かれた
古い物件の全てが悪いわけじゃないけど、自然に壊れた時に快く修理してくれるオーナーじゃないとちょっと無理だ
その古い物件はその後、自分が払っていた時の家賃より1万円下げた家賃で物件情報に載ってた、さらには築年数も15年ほど嘘ついてた
よくある受験の手引や先輩の体験談で早いほうが有利だーとか、基礎が大事だーとかいろいろ聞かされふーんくらいしか思わなかったんだけど、進路指導先生の言ってたことをよく思い出す。
「人生は選択の連続です。大人になるということは選択肢を捨てて、意思決定していくことです。きっと子供の頃はみんなプロ野球選手になりたいとかお母さんに喋っていたと思います。けれど、今この場には、今から努力してイチローになれる人はおそらくいません。みんな自然と選択してきた結果が今なのです。
勘違いしてほしくないのは、イチローになれないことがダメなことではないのです。自分の選択を自分で決めていくこと、適当に流されず生きてください。そして、時間が経つうちに自分の選択に限界が見え、選択を変えることが多くあります。それはそれで、私は良いと思っています。大事なことは、自分の選択を肯定し続ける事です。一時的に隣の芝生は青く見えるかもしれません。けれど、大人になるということはいろいろな現実を受け入れ、過去の選択を肯定し、今を生きることが大事なんです。頑張ってください。」
要約するとこんな事を言っていた。
そうか、じゃあ自分が今抱いている劣等感、すなわち、同じクラスのどんなに勉強しても勝てないスポーツ万能の滝沢くんや石川くんに対しても、途中で退部して後悔している自分を冷ややかな目で見てくる元部活の仲間たちに対しても、きっとこのもやもやした隣の芝生は青く見える感情は一時的なんだ、大学生、社会人になって振り返ればちっぽけなことに過ぎないんだ!
そう言い聞かせて勉強を頑張って大学に入れば今までのことはチャラだ!
今ももちろん楽しいけどなんかこういう負債みたいな感情もそのうち忘れるんだな!
なんてお気楽に思いながらガリ勉して、めでたく無事第一志望に合格!これで万々歳!人生ハッピー、今までのことなんて忘れちゃえってなるんだ!
となったものの、大学生になってもモヤモヤは消えず、社会人になっても消えず、いつまでも高校生や大学生の時に抱いた「隣の芝生は青く見える」という感情がよく頭を巡っている。
上で書いたことは一例だけど、友情、恋愛、部活、就活、スポーツ、勉強、バイト、仕事、いろいろな局面で「こうしていたらどうなっていただんだろう…」「このときこの選択を取っていたら、今は違うんじゃないか?もっと幸せだったんじゃないか?」「●●さんはいいな…羨ましいな…」ということを常に思う。
なんというか、中学生くらいまではそんなことを考えてこなかったから、正直中学以前の選択で後悔やIfを考えることはない。
問題なのは、特にそれを自覚してからの高校生以降のそうした後悔というか自責というか、他者が羨ましく思えるという感情が積み上げ方式で心に溜まっていく。