はてなキーワード: 自責とは
なんか悲しくなってきた
その話が本当なら、頑張っても頑張っても報われなくて、全力で努力しても人並みかそれ以下で、成功経験はほぼ無い=自己肯定感低いままってこと…?
元の投稿も女叩いてるようで自分自身に言い聞かせてるようにも見えてきた
他人へ全く期待するなって書いているけど、もしかして本人が他人へ期待というか信頼が出来ない?
もしそうなら日々辛いだろうな
ニートを甘やかせとかそういう話じゃなくて、社会のレールに乗った人が外れるのが怖くて死に直行してしまうケースってまぁまぁあるしなんなら俺は死にかけた(俺の場合新卒で地方公務員だった)
精神は壊したが、幸いphaの本のお陰で自殺はせずに済んだ。ニート期間辛かったのって働けない自分に対する自責よりも周りからの風当たりとか目の方がよっぽど怖かった。
ニートしないで踏み止まれてる人は多分そういう他者の目の抑止力が効いてる所があるんだとおもう。
それはいい部分もあるけれど、悪い部分もあって、死ぬぐらいまで追い詰められたら逃げてほしい。
真面目に長年働いてる人がコロッと自殺しちゃう世の中は物凄い悲しいし辛い。
たとえ日本国内に提供されるサービスの質が低くなったとしても、もっとドロップアウトした人に優しい世の中になってほしい。
生活は快適だが生きてて辛くて死んでしまう人が100人いる世の中より、生活が少し不便になるが生産性のない人が10000人だらだら生きながらえることができる世の中のほうがよっぽどいい。
息子を児童相談所へ預けた。一時保護で、期限は設定されていない。
今日の朝に役所へ相談→担当の方に来てもらう→預けることを決め、その場で連れて行かれる
の流れ。本当に急な決定だった。息子も何が起こったのか分かっていないと思う。
2日前から「離婚して息子と縁を切りたい」「息子の存在を消したい」「息子と自○したい」などの強い言葉を並べるようになった。子育てに疲れたのだ。
疲れた要因はいくつか候補が挙げられるが、それを紐解くために心療内科へ通っている。
だが次の診察までに数日あり、それまでに妻が息子に何をしでかすか分からない。ましてや土日は息子が家にいる。妻を家に1人にもできない。だから冒頭のとおり連絡を入れた。その後の顛末は冒頭の通りである。
妻は、息子のいない、2人きりのときに戻りたいと言う。でも私は3人で生活を続けたいと言う。それなら離婚するか息子を消すしか選択肢が無いというのが妻の論理だ。
児相の提案をされる前は、私と息子/妻で距離をしばらく置いて住み、落ち着かせる選択肢しかないと思っていたので、正直なところ今日の急展開はありがたかった。以前から親身になって相談に乗ってくれて、いざという時にすぐに行動してくれた役所の方には頭が上がらない。
ただ、玄関から車で連れて行かれた息子を見送ってから、自分でも信じられないくらい寂しいし、泣きそうになっている。あらゆる場面に息子がいないことを実感してしまって、その度に心に穴が空く。車内で後ろを振り返った息子の顔が脳裏に焼き付いている。
さらに見送った後に妻が
「無期限ていつまで許されるんだろうね。まあ本当に帰ってこなくていいんだけど。」
とポロッとこぼした瞬間、一気に気持ちが冷めてしまった。3人で過ごしたいという気持ちがスーッと薄れていった。今「離婚したい」と言われたら合意しただろう。決して自分からは切り出さない私の性格が悪いのは認める。
おそらく、元々私の中にあった優先順位が炙り出されただけなのだろう。私はなにより息子と一緒に生きたい。息子がどういう人生を歩もうが見届けたい。妻と2人きりの関係に戻るのは今ではない。
もう数時間、私から口を開いていない。たぶん話さなくてはいけないことがあるんじゃないかと思うが、話す気になれない。
幸い妻のメンタルは急速に落ち着いた(ベッドに寝たきりだったのが、テレビを見て笑っている)ので、しばらく離婚を切り出されることはないだろう。
2人で生きるとしたらどうやって生きていけるか、具体的なプランを考え始めている。
4/16追記
一晩寝たら少し頭の中が整理できた。息子と急に離れたことで私もメンタルがやられて書き殴りたくなったのだろう。改めて3人で生きていける方法を模索したいと思う。
妻もだいぶ平静を取り戻し、暴言を吐かなくなった。息子のことを考えるたびに落ち込むと言うので、なるべく息子の話はしないようにという話をした。外に出てリフレッシュもさせたいが、まずは布団から出てご飯をしっかり食べるところからやり直しだ。
また、コメントにも書いたが、息子は発達障害(自閉スペクトラム)と診断されている。特に年齢に比して言葉の発達が遅い。児童療育にも通っている。他にも遅れはあるが割愛する。
もはやタイトルの通りの感情は遠くに置いてあるのだが、戒めとして残しておきたい。
今日は久しぶりに2人で外出した。定期的に一時保育は利用していたのだが、前回預けた時は妻が寝込んでいたので。特に時間制限なく過ごせたのは本当に久々だった。妻も思い出の場所に行けて楽しかったと言っていた。
ただ夜になってからの反動なのか、妻の口からは自分の状態に関する自責の言葉ばかり出てくるようになったので、服薬して横になるように促したところである。
私も今日は楽しかったのだが、やはり息子も一緒にいてほしかったなと思ってしまう。ちゃんとご飯食べているだろうか、ふと泣いていないだろうか、ウ○コ食べてないだろうか、など、思い出とともに気持ちがよぎる。
実家の親にだけは今の状況を伝えたが、その他の知り合いにはなかなか共有しづらい。心を保つためにも、迷惑をかけすぎず気持ちを開示できる場所を早めに確保したい。まず週明けに役所の方と会話させてもらおう。
悪口として使うこともあるし、現実の問題と創作をリンクさせてヘイト吐いてる人とかサイゼ燃やしたような手合いとかが使ってるから印象が悪い
今後の使い方を見て導入するか決めようと思ってるけど、
悪口として使われてるのをけっして少なくない数見てきたので…
そういう使われ方を認知してるくせ不快にさせる自覚なく正しい呼び方だって浮かれてる人間はあんまり近付きたくない
話したことある人がそうだったんだけど、自分の範囲内の人間と自分の心地よさしか見えてなくて視野が極端に狭い脳の作りをしてるタイプで、他人に善意ある振り払いにくい指摘マウントするタイプの方で…
自分の考える「正しい世界」しか見えてないタイプでモヤモヤしたしなんか変な人だったんだよね
他責目線の強い過去の愚痴を漏らして不穏な空中リプライもするタイプでみるだけでストレス溜まった
そういうとこからもなんかなー自分の狭い世界の心地よさしか見えない独特な脳のつくりの持ち主だから自分の境界線無視して感情移入しちゃうマイノリティの悲しみってとこばっか注視して根本的なまずいとこを見れないんだなあと思った
その人はこれまでもそうやって生きてきてトラブルいっぱい起こしてきたっぽかったし、「なんかつっかかられる~変な人だったよね」て言ってて、世間的には浮いてるんだろうな~って変であることも他人に責任を押し付けてる認識っぽくて"本物"って感じだった
そういうこともあってなんか苦手意識強いなあ
だから使ってる人も視野狭窄が過ぎる傾向が強くて言葉尻にばかり流されて怒ってる人が多い気がするし関わりたくないかも
今後もクソヘテロって呼んで叩く手合いが出てくるなら自分が導入することはないだろうしね
これだけで関わりたくないって判断するのは乱暴だとはおもうんだけどね、
今の時代になっても個人の範囲であってもあまり導入されないのを「差別意識だ」って決めつけて燃え上がってるだけのオタクが多い気がするから、その時点でちょっと近付きたくないなあ…
悪口とか変な使い方されてないかとかあらかじめ調べてから使うもんだと思うからその時点でリテラシーが低い印象を受ける。
悪口として使われてるの見たら「押し付けるのはきついな」って思うもんだと思うんだよ
BLって言葉そのものを悪口として使うことないのに、異性愛はヘテロを悪口として使われてるのはスルーしていいって考えてるその人としての足りてない感じが…なんか無理なんだよなあ…
BLを悪口や自虐として言い表す時はホモって言う人が多いだろ、もともとヘテロもNLをめちゃくちゃ嫌ってる層が悪口として言い表してたからもともと男女CP好きな人間からしたら印象悪いんだよな
あと使ってるのに40↑のネット慣れしてない世代か、成人してない極端に若い世代に多いんだよな…
ネットリテラシー低くて、表記以前に危ういところが多くて触りたくないな…という趣味と合わない人間性の苦手意識がある。似非フェミ傾向も強い手合いの印象だし…
だからオタクとして付き合いにくい、性格や視野の極端さ、他責傾向が強い人間か判断するための指針として自分はへテロを使ってるか否かを判断基準にしてる
今後もジェンダー意識の高まりだかどうだかでどんどん悪口として使われていくんだろうなー
もちろん自責として変える人もいるのは分かるんだけと、声高に変えてくださいって主張する方は他責ぎみな印象…
店長なりに腹割って自分のこと話して、コミュニケーション取ろうとしてるやん?
・仕事を教えてくれなかった
・悪口を言われた
から死んでほしいって?
聞きにくても聞きに行かなかった自責は感じないの?
味は一切わからなかった。吐きそう。吐きそうだから、ここに吐き出させてくれ。
経緯だけ。何が起きたのかは書かない。経緯だけ。
僕は高校に入った直後から、イジメでずっと暴力を振るわれていた。
家に帰っても、親の前でいい子にしないといけなかった。逃げ場がなかった。
女の子に興味ある年だったのに女の子も怖かった。劣等感しかなかった。
金を取られたり火を付けられそうになったりした。死にたかった。
イジメっ子のグループの中で居場所を作ればいつか止まると思って、自らイジメられるようになった。
おかしくなってた。
もちろん自分はゴミだと思っていたし、彼女なんてできるわけがないと思ってた。女の子には笑われる人間だと思ってた。
でも告白したら彼女は付き合ってくれることになった。初めての彼女だけど、自分にとってそれ以上の意味だった。
当時僕は、彼女はもちろん僕のことを好きだから付き合ってくれていたと、思い込んでいた。
でも、違った。 彼女は中学のときにレイプされてから境界性パーソナリティ障害的な自傷行為として、いろいろな男に身を売っていた。
単に僕もその一人だっただけだった。
彼女は付き合ってすぐ僕に、「彼氏がいても他の男とセックスする汚い女だから別れたほうがいい」と言ってきた。
典型的な境界例の試し行為だった。普通の男なら秒で別れるところを、
僕は、地獄に降臨した神様を失いたくない一心で「それでもかまわない。好きだから一緒にいたい」と言った。
彼女は、わざと他の男と関係をもって「ほら別れたいでしょう」という行動を、僕に何度も繰り返してきた。
もちろん当時は精神分析なんてできないので、自分から別れを切り出さないのに、別れを勧めてくる彼女の意味がわからなかった。
付き合っている人が自分以外の男と関係を持つという苦しさも、別れてまた一人ぼっちでイジメを受けるよりはマシだった。
結局、それが彼女にとっての承認になった。図らずも、彼女にとってはありのままを知っても受け入れてくれる存在になった。
そこから、お互いがイジメとレイプそれぞれの暴力による苦しみからの精神的な逃避場になり共依存になった。
彼女は僕に救われたし僕は彼女に救われた。周りからは卒業したら結婚するだろうと言われていた。つかの間の幸せだったかもしれない。
僕にイジメがなくなり彼女も他の男に身売りしなくなって3年たった夏のある日に、僕が浮気した。
僕は軽い遊びのつもりだった。けど彼女にとっては男性への信頼が崩れたフラッシュバックになった。
自傷行為が激しく再発して、手当り次第男と寝るようになり、そのうち父親不明で妊娠した。彼女はひとりで生むことを選んだ。
自分のせいで再び狂っていく彼女を見て、僕は必死に謝ったり、駆け落ちをしようとしたりした。
けれど彼女からの信頼は戻らず、結局最後には、彼女から逃げ出すことにした。
大学に入ってもうイジメもなくなっていたし、浮気相手の子と付き合って、すべて忘れて過去と決別して、新しい人生を送ろうとした。
あれは全部なかったことだと、イジメも、そこから救ってくれた彼女も、その彼女を自分で再び壊した自分も、ぜんぶ悪い夢だったんだと
それから10年ぐらい経って、僕はサラリーマンになってそれなりに成功して、独立をしようとしていた。
そのあたりから体に異変が起き始めた。毎年、夏のある日になると眩暈や吐き気や自律神経失調に悩むようになった。
ガン化した記憶にはうすうす気が付いていた。毎年大きくなっているのも知っていた。だけど見て見ぬふりを続けた。
数年前からは、夏の日の前後に鬱になるようになり薬を飲まないといけなくなった。
カウンセリングをうけると、当時の後悔と自責の巨大なトラウマがあり、時間が経てば立つほど一層ひどくなると言われた。
僕は20年の時を経て、あのときと同じように、彼女に助けてもらうことを選んだ。
自分の封印を自分で解いて、彼女に会って、その後20年でいったい彼女になにがあったのかを知ることにした。
そして、勝手に謝って、あわよくば許してもらって、助かりたいと思った。
カウンセラからは、彼女の状況によっては僕の症状は急激に悪化するかもしれないと言われた。
刺されてもおかしくない。でも、そもそも僕は高校で死んでいたかもしれない。
あわよくば助かりたい。でも刺してくれるなら、刺してほしい。あの人に殺してもらえるなら、それ以上の喜びはない。
そんなエゴにエゴを重ねた理由で、20年ぶりに、銀座で彼女と再開した。
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どんどん詰ってくれ。詰りまくってくれ。20年たってもう一回繰り返してるんだから。
会社起業の軍資金は、その時に一人で子供を産もうとする彼女を誘拐して駆け落ちしようとしたときの軍資金だよ。警察沙汰になって失敗したけど。
だから経営と投資に成功すればするほど、メンタルが壊れてきてるんだよ。自慢してるのか自傷してるのかわからん。救いようない。
職場でA配置に交代で人が入る。
何時〜何時は甲さん、何時〜何時は乙さん、のように。
A配置における基本的な業務内容はマニュアル化されているが、途中で交代することになっているからか、「前の人がやっているだろう」「後の人がやるだろう」と考え、結局誰もやっていないという事態がしばしば起こる。
いわゆる「自分ごととして捉えていない」のだ。
業務全体を遂行するという視点からはよくないことだが、心情的には無理もない。
誰しもやらなくてもいいことならやりたくないものだし、やったからといって特別何かが得られるわけでもないのだから。
それでもなお「他責で考えるな自責で考えよ」「責任感をもって取り組め」などと上席者たちは指示するが、自らはしょうもない言い訳に終止して面倒なことからはまんまとしっぽ巻いて逃げる場面に頻繁に出くわすと、もはや開いた口が塞がらない。
よい問題提起だ。実際にクレームを入れたわけではないが、気持ちはわかるサイドの人間なので、私の考えを回答させてくれ。
売れると思っている。でもよしんば売れなかったとしても、やはり事態に気づいていたら批判したい。批判表現を未遂に終わらせず、具現化することに意義があると思っている。
売れなかったとして、それが批判なしにただただ退けられたなら、世間は、サンリオは、商品のなにがまずかったのかを理解する機会を失なって反省ができない。問題の毒舌は未来にどこかでひっそりと顔を出すかもしれない。あなたが提示した考え、
「世界の中心ではないし、気に入るもので全部が埋め尽くされるべきだ。例外は許さない」
これは間違いだ。正しくは、
こうである。暗黙のうちに行われた変形に誤りがある。
許されないものの排除 → 気に入らないものの排除 → 気に入るもので埋め尽くす
変形の二段の矢印がそれぞれ飛躍している。意識的にやってるなら邪悪だし、わからないならそれこそが “流石に幼稚” だ。
商品が売れる場合において、マイメロママの名言は必要とされていても、「女の敵は女」を必要としている人はいないと思っている。だから問題となっている言葉だけを変更するか、そもピックアップしなければ良い。実際にどこまでの範囲で販売中止になったのか、ツイートだけでは明確でなかったのだが、批判によって必要とされている商品がまるごと実現されないのなら、気の毒に思う。だけどそれはサンリオの責任だ。私が自責するのはサンリオへの侮辱になると思う。クレームでサンリオが傷つくならそれはクレームを入れた私の責任だが、クレームを受けて商品展開をどうするか、その結果どうなるかはすべて彼らの勝手次第、彼らの責任範囲だ。私が首を突っ込む筋合いはない。
「女の敵は女」そのものを欲しがっている人が、もし存在したら?
その人は倫理的に悪か、あるいは害悪を内面化している。蔑視的な言葉を反復することで「あのとき言われた『女の敵は女』はおかしいことではないんだな」と追認することを求めている。前者だとすると批判に値するし、後者だとしても批判を受けとって真正面から打破することは可能なはずだ。私はそれを期待する。
実際には私がクレームを入れることはなかった。気づいたときにはすべてが終わっていた。動いた誰かの考えが私と同じかは、私にはわからない。
元々研究者を目指していた。
だが修士のころ行き詰まってしまい研究室から消息不明になる形で休学留年し、ついに学校を中退した。
教授は少しでも私を助けようと他研究室との共同研究などの話もつけてくれたりしている最中で多大な迷惑をかけた。
親にも音信不通で心配をかけて遠くの実家から家まで来てもらった、道中どれほど不安だったかどれだけ迷惑かけたかと思うと感謝してもしきれない。
そのコンプレクスが10年近く経とうとしている今も消えることがない。
ふとした瞬間に悪夢のように記憶に蘇り、どうして修士論文を書けなかったのか、何がダメだったのか、どうしてればよかったのか、消息を絶つのではなくきちんとケジメをつけるべきだった、自分のこういう性格がだめなんだ、など反省を繰り返しては自責する。
そして最後に教授や親への申し訳なさ、研究室の先輩や同期への羨望などの感情が入り混じり自己嫌悪に陥る。
自己肯定感は地に落ちている。
そんな過去はひた隠しにしているので社会に出てからは「東大卒なんだすごいですね」なんて言われることがあるが、
元増田がその後も卓を囲めているみたいで、良かった。
以下は、ブコメへの反応についてちょっと考えてみたので、それを言いたくて書いてみたもの。
私はこのGMが「悪い」とは思わない。でも、「失敗したんだな」とは思う。だから自責する元増田に対して「悪いのはGM」と言う人がいるのもわかる。
何がGMの「失敗」かと言うと、最後の判定に失敗した時のカバーができていなかったこと。
PLは4人だと思うけれど、それなら4人の内誰か1人でもファンブルする確率だけで2割近くある。
更にその時、他の誰かがクリティカルしているとは限らない。
もし全員の技能が80%だったら、最後の判定の成功率は80%もないはず。
なのにPLに「失敗を想定すらしていない」判定だと誤解させてしまったり、そのロストが「何の価値もないロスト」と感じさせてしまった。
これはGMの伝え方が足りなかったか、GMの想定が甘かったか、シナリオの書き方か内容がおかしかったか、とかが考えられるけど、シナリオの作成・選定はGMしか責任を負えないものだから、結局はGMの失敗になる。
ただ、人は普通、失敗する。
経験で失敗率は減らせるけど、いつ誰が予想外の失敗をしてもおかしくない。
私がTRPGを始めた時にはまだ生まれていなかった人が子供を育てていたりするけど、私は失敗する。私よりも経験が多い人だって失敗する。どんな達人だって5%の確率でファンブルするようなもので失敗は避けられない。
でも、その後もなんとかなるような状況が作れていれば大丈夫。
だから元増田がその後も気さくに卓を囲めていて、楽しすぎると言っていて、嬉しかった。
あと1つ、「TRPGは確率に委ねるゲームだ」っていうのは違う。確率に委ねるシステムの数が多いだけで、そうじゃないものは沢山あるから。
物語を作ることも、一か八かの博打にかけるのも、演じることも、人と競うことも、人と協力することも、どれもTRPGになるし、どれかの要素がなくても良い。
でも誤解する人もいるから、老舗のTRPGデザイナー達が「『このシステムではこうするのが正当だ』なんてことはない」と、わざわざ表明したりする。
TRPGの遊び方は無限大だから、システムや相手を変えて色々やると、いつものメンツとやるCoCもプレイの幅がどんどん広がって、きっと楽しいよ。
周りがCoCしかやらないなら元増田が布教するのもありだし、どこか他のところで遊んでみても良い。
誰かがTRPGを遊ぶのを許したり許さなかったりするのは変だと思うけど、元増田がTRPGを、もっともっと楽しんでもらえたら私は嬉しい。