はてなキーワード: 竹野内豊とは
竹野内豊を略してるのかと思った。
シン・ゴジラの真価は、これから広がるであろう一見さんによる批評の中にこそ有る。
つまり、「満点からマイナスされうる特撮映画」が帰ってきた、と言う意味だ。
1週間ほど前に話題のゴジラを見に行った。面白かったは面白かった。
が、事前ハードルが上がりすぎていたのか、粗(に私には見えた)の部分が結構気になってしまい、正直世間で言われている程に「大傑作」にはあまり見えなかった。
確かにその通りで、それは欠点だ。
それは、長年特撮ファンが受けたくても受けられなかった指摘だ。
「まあ、子供向けの怪獣映画にしては良く出来てたよね」という感想からの脱却。
「対象年齢を考えても酷い」とか「大人の視聴に耐えうる人間ドラマ」とか
そういった「オヤクソクを共有している視聴者」向きの話じゃない。
つまり、「ファインディング・ドリーと比べて」とか
だからこそ「大傑作」であり、それ故に「まあまあ面白かった」という感想が併存しうる。
最近は「ゼロからプラスして積み上げる特撮映画」しか無かった。
「(全体の質はハリウッドと比較しようも無いけど)特撮部分は良かった」
「(全体の質はハリウッドと比較しようも無いけど)ドラマパートはヒドイ」
みたいな「邦画の予算規模で制約の多い特撮映画において」という限定が常についていた。
粗はある。荒削りでもある。
それでも恐らくは邦画の現場における特撮映画のベストを尽くした映画だと思う。
それは特撮ファンなら邦画の環境に絶望せずに希望を見いだせる一筋の光であるし、
一般人から見れば、「怪獣映画だけど面白いらしいよ」と観に行ける映画になってる。
「日本の特撮映画として100万点」のシン・ゴジラで終わるならソレまでだ。
でもきっと「世界の映画の中で70点」のシン・ゴジラだと評価してもらえる。
怪獣を通じて、日本の災害を正面から描き、国のあり方をポリティカルな視点から捉える。
世の中は稼いだものが正義で、投資してもらえるのは評価された作品だけだ。
その意味で、きっと一般人からみても、投資に一口のれる出来じゃないだろうか。
ダシに使ったので、不満点に共感しつつ、違う視点を提供しておくよ。
映画観に行った後のファミレスでダベってる感じで読んでもらえればと思う。
(人は感じたことが全てであり、反論しようとは思っていない)
主人公の矢口が会議中に巨大生物に言及するのだが、この時点で矢口がそう判断に至った材料は精々ネットの動画程度であり、あそこでアレを「生物」と考えるのはかなり不自然だ。
シン・ゴジラの主人公格である長谷川博己演じる内閣官房副長官の矢口蘭堂は、
竹野内豊演じる内閣総理大臣補佐官(国家安全保障担当)の赤坂秀樹から
「会議は結論ありきで進んでいる。かき回すな」と助言を受けている。
また、エレベーターの中で、立場が上の人間に対して「楽観やこうあって欲しいという願望が、先の大戦で何百万人も殺した」とワリとハッキリ苦言を呈している。
矢口は生物と断定しているのではなく、「巨大生物の可能性を俎上に載せないのはマズイ」と判断しているのではないだろうか。
(ネット上の映像がフェイクであれば、それを作った人間の動機がテロで無いことを確認するまで安心しないタイプ)
ニュース映像での「巨大生物の尻尾」について、ニュースの真偽を問うシーンがないのは映画の都合だと思う。
ニュースの第一報だと見るのが妥当なシーンだし、それならアレは何のジョークだと笑うのが現実的ではなかろうか。
同種の別個体については、検討は並行で続けているが、映画の都合でカット、じゃないかな。
別個体だとすると、観客は「ゴジラ対究極生物なのか?」という疑念を抱きながら観ることになり集中力が削がれる。
(一つは倒れるマンションから逃げ遅れた家族、一つは溢れた川から逃げる男性、もう一つどこかで同じことを思った気がするが覚えていない)
たぶん、残りの一箇所は、自衛隊の戦車が潰れるシーンか、注入第一部隊の全滅の部分じゃないかな。
マンションの荷物を詰めていてマンションごと押し倒される家族、川からの逃げ遅れ(たぶん画面の奥側に向かって走る男性)は、
災害の描き方の問題で、ゴジラによる人死を描いているわけではないと思う。
あの一連のシーンで感じる「いまどこに災害が近づいてきているか一般市民には把握できない」という恐怖は演出として一貫していると思う。
(状況把握のしようがなく、気がついた時にはもう遅いという恐怖は、5年たってやっと直視できるようになった映像だと思う)
病院とか今まさに災害の現場は出てこず、災害が通り過ぎた後の映像だしね。
密室と俯瞰した映像に寄る災害描写は、予算制約を逆手に取った脚本の作り方の問題であり、
その意味で「巨大不明生物がなぎ倒したビルにも当然人が残っている」というのを伝える手法に限界があったのかな、と思う。
ほぼあの家族しか直接の被害は確認できないのに、それ以後の緊迫感は違う。
だけど、アレ入れて欲しくない、というのも判る。
浮いてると思うよ。これはシナリオの歪みが集中してるせいだと思う。
これ、後でちょっと付記するけど、「シナリオの都合の上で」リアリティラインは高く見えるようにしてあるんだと思ってる。
例えば、東京駅前に当然あるはずの広大な敷地について劇中一切言及されていない。明らかに不自然。
筋論として、日本が米国に頼り、米軍が日本国内で武力行使する、という流れのハズ。
仮にも主権国家に対して、他国が熱核攻撃を短期間に強行する理由がない。
日本が壊滅するまで自由にさせておき、主権が及ばないところに出てからの攻撃になるはず。
ちょっと日本以外のまとまりが良すぎるというか、世界があまりにも日本に対して冷淡すぎる。
「ゴジラを生み出したのは、牧元教授という日本人では?」という点、
外務省や駐在武官を無視して政権が直接軍事について外交を行うと言う部分を抑えると
祖母が原爆による被害者であり、日系人でアメリカ政権に対して一定の譲歩を引き出しうる通常外交ルート外の存在は、
石原さとみ演じる米国大統領特使のカヨコ・パタースン以外であっても、
やっぱり荒唐無稽に見えるだろうし、どうしても浮いてしまうのは仕方がないと思う。
彼女はシナリオの不備による歪みを一手に引き受けて浮いているのだと思う。
まあ、じゃあどう直せば良いかって言うと、アメリカ側を描くには予算が足りなそうだな……
ゴジラに原子炉載せて、排熱への対処(生存本能)で進化するって道筋つけると、焼却 or 凍結ってのは判りやすい。
シナリオの都合でアメリカに熱核攻撃を担わせると、日本が特撮的な花である爆発(焼却)を使うのは難しい。
そもそも「カタルシスを得られない」ということそのものが、演出意図なのではないかなと思う。
一応、血を流すことから排熱に血流を用いているのではってのは合理性があるし、血液凝固材も30種類?試して効くのは確認してる。
元素変換する相手ならどこに投与しても一緒って意味では、口に見える部分に引っ掛けて体内注入するってのは効果的とも思う。
仮定に仮定を積み重ねて、地味な作業で原子炉の終息にもってくってのは、福島第一原発事故対応への直喩だろうし。
「ショボい」処理で、しかも「まだ終わってない」ってのを、東京駅に凍結させたゴジラで示しているのでは、と。
(政府が冷温停止を宣言したのも、冷やし続ける必要があるってのも、同じ構図だよね)
加えて、ヤシオリ作戦に関しては、矢口の陣頭指揮の部分にも中途半端さに違和感があり、これまで徹底して「対策室で対応する政治家」を描いてきて、結局最後は「主人公が現場の陣頭指揮を取りに行く」というのを描くのか、というのに少し落胆した。
一応は、逃げ遅れた人がいるかもしれないけどやる?とか、線量が予定よりも多いけど続行するのか?とか、判断はあったと思う。
どっちかというと、多分最初に感じたであろう「え?総理大臣は逃げるの?残らないの?」みたいな感覚を
「いや、指揮官は後方に控えてないと死んだら終わりだから」に観客の気持ちを変えたかったんじゃないかな、と思う。
それでもまあ、良くあるヒーロー映画みたいにゴジラに触れるような最前線までは最後まで行かないし、良かったんじゃないかな。
(良く言われる「陣頭指揮」を観客がどう捉えるかが、映画を見た後で変わったのではないか)
正直に言えば、予算の都合で、東京のみの話にしないと収拾が付かないと思う。
「福島第一原発事故」が「東京駅」で起こったとして、煽りじゃなくて日本としての機能がどうなったか考えるとゾッとする。
その俺の思いと重なるが、何度も「経済的」な話が出てくる。
経済的には莫大な損失とか、熱核攻撃を受けて世界から支援を受けないと復興できないとか。
損得勘定で熱核攻撃を仕方がないと受け入れる「論理」と、象徴的な意味で核攻撃を受け入れられない「感情」との対立軸にも見える。
「国」とは何なのかを観る人に問うシナリオになってたんじゃないかな、と。
まあ観たひとに届かないのであれば、そりゃ成功してないわけだけど。
まあ、観たひとに届かない思いは独り善がりなワケでダメなんだと思うけど、
最初に書いたように、そういう「普通の映画のダメ出し」してもらえるところにシン・ゴジラの価値がある。
と、思うわけで、やっぱり気になる点を俺も最後に列挙して置こう。
熱核攻撃をあの付近で行うことに対して、日本人が触れないってのはあり得ない。
「彼らはここがニューヨークでも同じことをするそうだ」とはセリフにあるけど、あれ「ワシントン」じゃないんだよね。
(あくまでも経済の中心であるというセリフであって、象徴的なんだけども)
突然地上にさまよい出た、排熱の為に進化した、冷却のために海に戻った。
突然さまよいでることも、デタラメに動くのも、再冷却の為に海に戻るのも災害っぽい。
進化の方向性として陸上に特化してしまったとして、海水を捨てて地上に出てくる理由が不明。
牧元教授が好きにした結果、ゴジラを生み出して、意思を方向づけたなら判らなんでもないけど。
(配偶者を原爆で亡くし、国と核を憎んだ牧元教授なら、先の大戦の直接の責任者である国の象徴にまず向かい、その後アメリカ上陸を目指すのは理にかなっている)
途中、スパコンの計算能力貸して欲しいって海外の研究機関に依頼するときに、
一旦「ウチの技術を盗むかもしれないから断ろう」みたいなセリフがあるんだけど、
もしも「間に合わなかったら首都が熱核攻撃を受ける」みたいな状態なら、
「ひとを信じよう」みたいなのんびりした話にはならないと思う。
(秘密裏に国連安保理が熱核攻撃を容認するって、日本は外交力ゼロってことになる)
(そうすると、フランスと裏取引する外交技術との整合が取れない)
シナリオが福島第一原発事故を念頭に置いてるからなんだろうけど、
ゴジラに対して調伏(焼却or冷却)しか選択肢が無くなってるのに違和感がある。
保護が無理、退治が難しそうなら、通常は追い出しの手段を検討するんじゃないか。
餌で釣るのか、行動パターンを読むのか、押し返すのかは別にして。
追い出しにリソースが避けないって言う描写は欲しかったかな……
(これはほとんど「他の個体についての言及がない」ってのと同じポイントだな)
映画を見ながら、実際に災害になったらどう逃げようか俺は考えた。
かなり踏み込んで災害を描いてるような気がするけれども、どうかな。
最初に出てきた深海魚のような不気味なゴジラは完全体と同一個体とは到底思えないが
今までに見たことが無い怪獣を見れて眼福だったし、ゴジラが放射能を吐くシーンは
かっこよすぎて震えたし、背びれビームも美しかった。庵野はゴジラを神話にしたよ。
一方で、ゴジラが街を破壊し自衛隊や米軍の兵器と戦うための口実とはいえ、
日本の役者、どいつもこいつも下手糞だしかっこ悪いしで全然絵にならない。
官邸ドラマの部分は踊る大捜査線のような劇場テレビを思い出させる安っぽさで、
竹野内豊や石原さとみにエリートの役をやらせちゃいけないと思ったし、
なんで庵野ゴジラがこんなくだらない奴らに負けなきゃいけないんだよ。
夜中にゴジラが初めてビームを放ったときのスペクタクルに劣るとはいえ、
あれで最後にゴジラが放射能で政府関係者らを一瞬で焼き消してくれれば最高だったのにな。
これから見る人にアドバイスだけど、夜に放射能を放ったゴジラが休眠に入った後の
30分はトイレ休憩だと思っていいよ。
人間側の勝利には、庵野ゴジラが邦画の引き立て役にされてしまったかのような不快さがあった。
邦画なんてこの世に必要無いんだから、骨のある作り手は邦画を馬鹿にして突き放してくれよ。
Twitterに書いてるとTLにネタバレを延々垂れ流すことになりそうだからこっちで。
・そもそも冒頭なんで爆発したんだろう。第一形態から第二形態に進化するために必要だったのかな。トンネルに落ちてきたのは体液だよね?
・第二形態の移動にともなって呑川から溢れた水が住宅街に向かいそれから逃げる人。押し寄せる船。一度海に戻ったあとの瓦礫の表現はかなりリアルだった。
考えてみれば3.11で本物を見せつけられ今でもYouTubeでちょっと検索すればいくらでも見られるんだからあそこまでやらないとしょぼくなるよね。
・一回目は気にならなかったけど閣議の欠席者がもろ伏線だったのね。
・里見さんが安保理の決定に従うと言ったあとの「東京に核を使うことを容認することも?」(うろ覚え)のときの竹野内豊の演技というか表情はもうね…俺の中ではこの映画イチ!
あれがあるからあの後の矢口とのやりとりで赤坂の言い方は非情にも思えるけど本当の気持は違うというのが感じられてグッと来る。
そして「そろそろ好きになさったらどうですか?」につながるのかなと。
・モノレールのとこでの矢口とカヨコのやりとりの後の原爆落とされた後の写真の挿入は必要だったのかな…?
・ラストシーンの解釈。一回目見たときは続編を匂わすのかなと思った。二回目見たあとはギリギリで世界の終わりを食い止めた表現だったのかなと。
・スタッフロールで「特殊建機小隊エンブレムデザイン 出渕裕」とあったんだけどどんなエンブレムだったっけ?もう一回見なきゃいかんか…。
まぁ好きに書けばいいんですけど、みんな長々と書きすぎなんですよね。読む気がしないっていうか。
①民間人の描写がない、②石原さとみが気に入らない、③BGMネタ辺りは、2chやTwitterで死ぬほどやってるんで、改めて書かれても何度目だよそれって気分になって、ほかの部分に良いところが書いてあったとしても読み飛ばしてしまうんですよね。
そこで、みんな気付いてないけど~~じゃね?ってのをポイント絞って書いてくれれば、おお!と思うし、議論も盛り上がると思うんです。
具体例出せやと言われそうなんで何個か挙げておくと、(a)牧博士の「私は好きにした。君らも好きにしろ」って台詞と、竹野内豊の「この国で好きを通すのは難しい」という台詞は対応してるんじゃないか、とか、(b)牧博士はパトレイバーの帆場暎一と似ているってのは個人的になるほど、と思いました。
よろしくお願いします。
・
時勢的な意味でもの凄い時期にもの凄い映画公開されちゃったなって思ったけど、めちゃくちゃ面白かった…!
夏休み時期映画だけど、ちょっと子供向けではないね。きっと読めない漢字の字幕(役職名など)もたくさんあるので。
隅から隅まで庵野監督が作ったんだな〜と思える最高傑作でした…。
じっくり何度も行き来して観たいのでDVD出たら絶対買う事決定。
カット割と構図が庵野監督。完全実写以外(庵野監督の場合はアニメ)の場合だと「カメラが絶対に置けない場所」なんてものはなくて、どんなアングルからでもあらゆる構図が作れるけど、この実写作品でも普通にやってたw
印象づけるために、特別なシーンとして変わったアングルを作ったりってのはあると思うけど、普通にどってことない部分でもそこにカメラ!?みたいなのがいっぱいありましたね。
冒頭、受話器を置くシーンでいきなりそれが始まってめちゃくちゃ興奮した。
戦闘シーンはいわずもがな、それ目当てで観に行った自分としては「やっぱり自分は庵野監督の戦闘シーンが一番好き」って再確認できました。
ここに関してはあんま言わない。
いやいやそんな手法はって思うかもしれないけど、以前ヘリで水撒いてたの思い出したら「使えるものはなんでも使う」のは当たり前ですよね。
・
色んな俳優さんがたくさん出てるらしいことは知ってたけど、あの人がこんなところに!とか、えっこの人でてるの!?みたいなのもたくさんあって面白かったw
しかも有名人出して話題性出してやろう根性よりもホント適所適材の配役が多くて、こういう立場の人はこういう顔してそう〜とかこういう偏屈そうな性格してそうだよねって思えてとってもよかった。
配役よかった過ぎて誰の話をしたらいいか…。
石原さとみさんほんと素敵だった。最初ルー大柴かな?って思ったけど全然ですわ。あまり(というかほぼ…)彼女の出てる作品観た事なかったんですけど綾瀬はるかさんみたいなあの世代のほんわか可愛い感じの方なのかなって思ってたので驚いた。
「若く、かつ大胆で、セクシーさもあり、賢くしたたかで、それでも年相応に夢見がちで、残酷になりきれない部分がある」これをまとめて一つにして威風堂々と演じてらした。
長谷川博己さんも似合ってたね〜。そこそこ地位の高めの政治家。かつ主役。もの凄いイケメン顔じゃないところがとってもいい。上司に竹野内豊さん、部下に高良健吾さんだからね、主役までどイケメン顔にしたらどんだけドリーム映画だよって感じ(政治家こんなイケメンばっかじゃないだろ的な)するし、あっさりさわやか・清潔感たっぷりで「こういう若手政治家いるよね」思える。そして長谷川さんと正反対のもろ政治家顔の松尾諭さんが悪友というか信頼してる仲間議員というこの顔の配役の絶妙さ。これは計算されてないかもだけど、部下の高良さんの方が背が低くて、二人が並んだり前後で歩くシーンでどっちが上役なのか視覚的に感じれるのもとてもいい。
余貴美子さんも凄くかっこよかった。防衛省の大臣だよね。そこに女性を置くって配役がまたうまい。ずるいよね〜。硬派な女なんてかっこいいに決まってるわ!
・
今まで過去にゴジラ関係の映画みたことないけど、「現実の日本に、ゴジラが攻めて来たらどうなるか?」っていう映画なんですね。
架空の超強力な組織もないし、特別な才能を持った人もいない。学者と政治家がそのとき持っている知恵と人脈と能力を糧に未知の生命体に対抗するって話でした。
すっごい考えさせられた。
未知の生命体を侵略してくる仮想敵国歌に置き換える事はできないけど(なぜなら未知ではないから。軍事力はある程度わかるし。)侵略されるってこういうことなんだな、と思った。
そして有事の際に、政治的方面から見ると自分の国はこんなに弱いんだとも思った。
これは映画だから、実際はどうかは本当のところはわからないけど、3.11の時、どうだったんだろうとは思った。
もしそういう日が来たら、あ、来ないとは絶対に断定できないだってイラク戦争はたった13年前の話しだし、シリア騒乱は2011年から今でも続いてるし。戦争は現実にまだ起こってることだからね。
もしそういう日が来たら、こうなるのかなと思うとホントになんか胸が詰まる思いで魅入ってしまいました。
自衛隊の扱いとかね。政治家は軽く「行け」っていうし、特定の層は抗議活動してるし、それでもまっさきに私たちの為に体を貼って死んで行くのは自衛隊なんだと思うとなんかもうほんとね。たまらない気持ちでいっぱい。
同じ人間で、同じ重さの命なのに「どうしてそこまでできるのか」って気持ちと「親兄弟の気持ちを考えると死んでしまったら悲しい」って気持ちと「意志の強さと尊さに感動する」って気持ちと、とにかく入り乱れてなんとも言いようのない気持ちになってはっきりと理由はないけど、途中から泣きながらみましたよ。
またその亡くなる若い命が斉藤工さんなんですよね。モブじゃない配役最高。有事の際には彼のような男が死んで行くって思ったらほんと泣ける。
なんていうんでしょうか。軍人Aじゃなくて、顔もしゃべり方もこんな感じの人柄もなんとなく知ってる人が理不尽に亡くなるってこんな切ない事なのかと痛感したというか。切ない。
小出さんもそうだよね。ああいう若者が最前線にかり出されるんだなって思った。
凄い考えさせられる。
やっていいルールはあるけど、前例はないから自衛隊を使っていいのかとか、国民が一人でも被害を受けそうなら一切作戦はできないとか。
大義の前に一人の命なんてどうでもいいって意味じゃなくて、ロシアだと普通に人質ごとガス責め作戦実行(モスクワ劇場占拠事件)してたし各国なんだかんだいってそういう風潮あるけど、自国民を守るのが使命っていう信念をどこまでも通し抜こうとするとことか凄いなって思う。
果たして現状、実際の自衛隊にきちんとした立場と栄誉は与えられているんだろうか?有事の際だけ駒扱いじゃないだろうか?悪い意味で日陰者なんじゃないだろうか?
海保・消防・警察と同じくらい尊敬される職業であってほしいな、と思う。
憲法上の存在云々の問題は色んな思想と国際的な問題もあるからそのあたりに関してはなんとも言えないけど、実際の実務としてはなくてはならない職業だと実感しました。
・
と、いう内容を含むので右だ左だ強烈な思想をお持ちの方を刺激しそうな…気もするけど、思想のせいで善しも悪しも語って欲しくないなというのが思うところ。
これは、娯楽だから。
あ、エヴァの続編は別に遅くなってもいいです。そりゃ仕方ないよねって思わされる作品でした。
・
※TOO YOUNG TO DIE!もめちゃくちゃ面白かった!
※次に見たいのはスーサイド・スクワッド
彼らは恐らく数々の素晴らしい女性と付き合ってきたことだろう。
性格がいい女、料理が上手な女、会話が合う女、金持ちの女、頭のいい女。
男としてのトップに属する彼らは、いわば選び放題な訳だ。
そんな彼らが最終的に選んだのが巨乳な訳だ。
もちろん、吹石一恵も倉科カナも、性格がよく会話が合い料理もうまい頭のいい女なのかもしれない。
でも、貧乳でも彼らが結婚を選んだとはどうしても考えられない。
今回の結婚の反応を見ても「なぜ吹石一恵?」「なぜ倉科カナ?」と言うのはほとんど女性だったように見受けられる。
ほとんどの男はニュースを聞いて驚いた後に「まぁ分かるよ」とほのめかす言動をしていた。内心「おっぱいうらやましい」と思ったからだ。
結局、人間は本能に操られたちょっとだけ賢いサルなのだと思う。
そんなことは分かっていたけど、福山雅治や竹野内豊のような全てを手に入れた男が巨乳を最終的に選んだことに、もののあはれを感じてならない。
朝早く下町の住宅街を歩いて通勤か通学している途中、不意に昔ながらのオーソドックスな正油ラーメンが食べたくなって、たままた通りがかった昔の漫画に出てくる土管が置いてあるような空き地にやたら賑わっているラーメン屋がテントを出していたものだから寄ってみたところ、なぜか一瞬カツ丼を注文してしまいそうになりつつもなんとかカツ丼付きのラーメンセットということで落ち着き、支払いも済ませて食券ももらって、さてじゃあ先客もそこそこいるしってんで、店の裏手にある待合広場で呼び出しを待つことになったものの、五分と待たず5、6人の先客とともに呼び出され、食券と引き換えに手渡された名刺大の手書きのメモに、「申し訳ありませんが、皆様は『ラーメン詐欺』にまんまと引っかかってしまわれました」などと書かれており、テントに引き返すもあれほどの賑わいが嘘のように人っ子一人おらず、寒空のだだっ広い空き地にぽつんと掲げられていた看板には「ここにいたすべての人間は弊社が用意致しました『サクラ』です」とあり、なぜそれをわざわざ伝えたのかと呆然としかけていたところで、ふと我に返って、そういえばどこかへ向かう途中だったことを思い出したので、また歩き始めたが、自分が詐欺に遭ったと嗅ぎつけた柳原可奈子がリポーターとしてやたら付きまとい、「どんな気持ちでしたか」とマイクを向けてくるのを煩わしく思いながらも、徐々にそれまでの展開に違和感を覚え、どうやらこれは夢だと気付きつつあったものの、だとすればこれは俺の意思だということで、じゃあどういったわけで俺が己を騙してこんな恥ずかしい気持ちにさせやがると憤ったところで場面は暗転し、ふとCMに入るのだけど、それがまた5年前の竹野内豊的イケメンが人をおちょくるような軽妙なノリで「ヒゲと月、どっちが好き? 」「そりゃあ月でしょ」「でもヒゲは猫のひげだぜ」「んだよ、それ先に言えよ」などというもので、さっきまでの腹立ちもどこへやら、で、結局これは何の宣伝なのか気になって見届けようと思ったところで、ピピピピと目覚ましの音が聞こえてきてタイムアップ。おはよう。