はてなキーワード: 性教育とは
少年漫画の風呂覗き回、またそれに類する表現への「あれは女性差別だ」「差別じゃない」「二次元と三次元の区別をつけろ」みたいな話題についての記事です。
筆者は「危険性は高いのですくなくとも安易には描くべきでない」という立場ですのでご注意ください。
例え話をします。
漫画で、修学旅行の夜とか部活の新入生歓迎会とかで、「よーしそれじゃあ全員で万引きにしいくか!」っていうお約束回があるとするじゃないですか。
「誰がいちばん高いもの/大きいもの/センスのよいものを盗んでくるか」っていうところでゲーム性もあるし、
どういうチョイスをするかでそれぞれのキャラクターの個性も出せますし、
なによりこう全員で同じスリルを味わい秘密を共有するということで、集団としての団結も高まりそうで、悪くないとおもうんですよね。素人考えですけど。
実在の小売店業者のひとから「そういう展開は配慮してくれ」という意見がでたとして、
「嫌なら読まなければいい」が回答として成立していないことは判りますよね?
小売店業者のひとは「こどもたちが影響を受けかねない」ことを懸念しているのであって、一読者としての快不快の問題ではまったくないので。
「こどもが漫画をそこまで鵜呑みにするはずがないだろう」とか、
「こどもが影響を受けることはあるかもしれないがそれは表現者が負うべき責任ではない」とかなら回答としてわかります。
それで、
「万引き回も風呂覗き回もどちらもジャンプで描かれるべきでない」の、この二者の主張なら首尾一貫してて理解できるんですが、
「万引き回は駄目だが風呂覗き回は許されるべきだ」っていう意見は個人的にはちょっとよくわからないんですよね。それってどういう線引きなんでしょう?
性犯罪軽視の価値観を交えずに説明するの、すごく難しいんじゃないかとおもうんですが。
「いや、風呂覗きをしたキャラはきちんと殴られたりして制裁を受けている。犯罪を推奨するのではなくむしろ戒める内容だ」っていうひとは、
小売業者さんに「いや、このキャラは殴られている。警察沙汰にも出禁にもなっていないが、決して犯罪を推奨してはいない」って反論して納得してもらえるか考えてみてください。
わたしは無理だとおもいます。たんこぶ出来たって3コマもあれば消えますもん。
というかジャンプの現役読者なら、こういう風呂覗き的な表現が事実がんがん淘汰されつつあること、みんなわかっているのでは……?
ハンター、ハイキュー、鬼滅、ネバーランド、アクタージュ、呪術あたりは絶対やらない作風、
逆に明らかにやりそうな作風っていうとワンピースとサムライ8くらい?
チェンソーマンは微妙なところですけど、あの漫画はものすごく懇切丁寧に筆を尽くして「この漫画のキャラクターの倫理観は最悪です!!!」って描写してるし、
もし風呂覗き回をやったとしても批判されるような描き方にはならなそうな気はします。
風呂覗きを娯楽として描くからこどもへの悪影響を心配されるのであって、きちんと倫理観最悪なものとして描かれるならそういう心配はされないはずなんですよね。
「ゼルダの伝説 夢をみる島」で泥棒をすると以後ずっと「どろぼー」って呼ばれるのとだいたいおなじ感じ。
またマキマさんは何回も繰り返し「キスやおっぱいそのものがエロいんじゃなくて文脈や気持ちが伴ってこそのエロさですよ」っていうことをデンジに調教してくれてるので、
そのためには結構手順は長い。
ちなみに男性も裸を見られるのは恥ずかしい。女性に性的にみられることは比較的問題ないはずだが、その裸が所謂「イケボディ」でないからである。逆に「イケボディ」の場合は見せることにむしろ快感を覚える。
性教育の不備、俺もそのように思う。男がセックスしたいということを未だにブラックボックスのようにして場合によってはそれ自体が罪のように扱っていては、問題は広がる一方。
したいのはしたい、しかしそれを達成するのは合意が必要である。合意形成に至らない場合のセーフティネットも考慮しなければならない。それは公営風俗店だと俺は思っている。
というかもっと性教育体系的にちゃんとすべきだよな。「ただし男の性欲はないものとする」とか「女の不快感はないものとする」ばっかになっちゃってる。いやまあこれも社会を変える方向っちゃそうなんだが、少なくとも正しい教科書は欲しいところ。
に配慮するのも結構だと思いますが、それよりまず「大人からそのような教育を受ける機会がある子どもたち」について議論しませんか?
現状の学校教育が、少なくとも性教育について、「十分頑張っている」と言える状況にありますか? はっきり言って「何もしてない」と思います。一切の責任を放棄していると言ってもいい。その状況で、少年漫画にばかり「最大限の努力」を求める理由はなんですか?
になっている。だけれど私たち大人は子どもの頃、親や教師の言うことと漫画に描かれていることどちらを信じたがっていたか?を思い出してみてほしいし、大人からそのような教育を受ける機会がなく孤立している子どもたちもいることを想像してほしい。
ペンは剣より強いと言う。剣を使う人は、その→— まかないこども食堂「たべまな」 (@tabeyomanabo) November 6, 2019
あと
と言ってるのにその後少女漫画について一切触れていないのは、「少年漫画だけを叩いて少女漫画は叩きたくないダブスタ」なのか、「実は少女漫画も叩いてることを気付かれたくない詐欺師」なのか、どっちですか?
思い出したから書くんだけど娘が割とどこでもマスターベーションをしてしまう件なんだけど。Kくんが来ていた時もそれがあって、それを見て奴は大声で何回も「クリトリスを床にこすりつけるのはやめろ」とか言ってて。私たちに聞こえるように。「これはあんたの娘がオナニーをしてるんだそれを俺は教えてやってるんだ」と言いたかったのかもしれない。わたしはとにかくその発言が(1度ならまだしも2度は絶対聞いた。2度目に聞いてああれこれはウッカリな発言じゃなくてあえてわたしに向けて教えてやろう的な態度を持って言ってるんだと確信した)とにかくその発言が不快で不快でしかたなくて怒りで爆発しそうになったんだけど、さあなぜでは自分は不快に思ったのか筋道を立てて説明できなくて。この人のことだからきっと「私はその発言が不快だというオキモチ」を表明するだけではダメでなぜそう思うに至ったのかを説明しないときっと俺のアウティングは正しいんだと反論してきそうだなと思ったからそんな面倒なことは嫌だったし。
でも普通に性教育のトレンドに則して考えればいいだけだったわ。性はプライベートなこと。その感覚は子ども時代に長い時間をかけて環境や教育によって獲得されたものであるわけで、2歳の子がわかるわけがない。腰フリフリするのは1人の時にやろうね、って言ったところでまずそもそも「ひとりのじかん」なんかあるわけない2歳児に。物理的にも精神的にも。性は完全にあなたの自己決定のもとにあり、プライベートなことなのだよ、とこれからわたしはムスメに子ども時代を通してずっと教えていかなければいけないわけだ。しかも自尊心を傷つけることがないように教えなければいけない。そんな大きい責任を背負ってるなんで彼には想像もできないでしょうけど。こちらとしてはいかに痴漢に合わないようにするか、いかに隠れミソジニストやらモラ夫やら人間のハズレを引かないようにするか、いまの時代がいかに女性差別にまみれているか、それを彼女がこの世に絶望することがないようにデリケートな方法を常に考え抜いて伝えて行かなきゃいけないわけで。
で、あの発言。2歳でようやく言語を知り外とのコミュニケーションが楽しくて仕方ないそんな黄金の時間を生きてる彼女を、心ない言語で辱めようとした。えっ待ってよオナニーはひとりでするもの、っていう大人のプロトコルを2歳で知らないのがそんなに罪なのか??
てか普通に考えて、友達とその家族と楽しい話をしてる場で「そういえばKくんって彼女も居ないしドレッドに精液ついてそうだから建ててる家の発注者の人に気持ち悪いって思われてそうだよね〜笑」っていったら嫌じゃない???
篠原先生と話して、「確かにジャンプへの連載は私的営利活動であり、100%表現の自由がある。けど、週刊少年ジャンプは本当に『私』だろうか?『公』に近い面もあるのではないか。性教育が足りてない今、作家にも作り手としての責任と誇りがあるべきじゃないか?」と考えていたところへ今週の乳首よ…。 https://t.co/Z3WPPXFpmJ— ゆい (@mrr_nn) 2019年10月29日
現実に「見なければいい」で済んでいないのは、漫画雑誌最大の発行部数を誇るジャンプのコンテンツに「閣僚の発言級」の公共性があると認識されている結果です。ジャンプ編集部と作者にその矜持があるのなら、きちんと抗議に向き合うべきです。馬鹿にしたり先送りしても解決にはなりません。— 安達瑶b『鄙の聖域』9/11 発売です (@adachib) 2017年7月15日
「男に生まれたなら(女湯覗きを)やるだろうが 命を賭しても」って言葉がジャンプレベルの公共な出版物に肯定的に載せられることに問題を感じないのか???「お前の楽しみを俺が奪うぞ」って言ってんじゃなくて「俺たちへの攻撃をやめろ」って言ってるんだが。 https://t.co/DsIJWOnZEF— ぎっちらこ全国委員会 (@ScrapHarmony) 2019年11月5日
むしろ「創作は現実のためにそう言う細かいところまで散々配慮してやってるのに、いつになったら現実は創作のために配慮してくれるのか?」という話なんだよな。
「配慮されて当たり前」っていつまで甘えるつもりなんだよと。
表現側としては「善意で配慮してあげている」のであってそれは義務でもなんでもないのに、「それをしない奴は叩いていい。排除していい」って傲慢にも程がある。
なら、それを学校で教えればいいだろう。
性犯罪はそれを悪い事だと分かってないのが多々いる
も同じ。いやそれ以上に、性教育を学校で行うのは当たり前のことだろう。その義務から今まで逃げ続けてきたツケを、なんでおまえらじゃなく俺らが代わりに払わなきゃいけないのか。
「日本には、人権、男性学、女性学、性教育が不足しています。」
男性がなんとかエロを日用品にしたがるのは、「性欲無罪」を続けたいから。
性欲は、人間の本能ではない。「射精快楽依存症」に
ならなければ、エロは日用品にも実用品にもカウントできない。つまり、彼は…? https://t.co/pWhGGxfINd— ミラーリング (@yuzuyoukan367) 2019年11月2日
それは置いといて、時折この手の事を見て思う事がある。
コモドドラゴンと言った爬虫類ですら、特定条件下では単為生殖を行う事も一時期話題になった。
しかしそれでもギンブナはその繁殖プロセスには他のフナ類の精子が必要ではあるし、アブラムシやミジンコと言った生物に至っても有性生殖を行う。
またギンブナに関しては有性生殖を行う個体の集団も同時に存在するのは有名な話である。
コモドドラゴンに至ってはストレスが溜まって、子孫を残さないといけない緊急手段として、用いられる程度である。
当たり前だけど、環境の悪化等の原因により、多くの生物が有性生殖を行うのは種として生き残る為である。
ゾウリムシとかの繊毛虫や一部の細菌、後は生物であるとは言えないウイルス辺りか?
それでもゾウリムシとかは確か合体したはずだし、細菌とかでも遺伝子情報の交換はするだろうし、ウイルスは生物とは言えないし…。
あれ?これ種としての存続無理じゃね?
でも根底に社会構築主義があるとすれば、生物学的な性別は社会が勝手に作り出したものやら生物学的な性別は存在しないとからしいし、もう全ての人間は自然発生するとかそう言う感じに考えているのかも知れないんかね?
まさかね。
しかしあれ調べれば調べるほど、インテリジェントデザイン論を思い出して仕方ないのだけど。
これは正しく読まなければならない増田だね。海外白人HENTAIと並んでいて脊髄反射で拒否したくなったが、書いてあることは非常に理解できる。「男が悪い」と押し付けているわけではないしね。(罪深いという言葉はあるが)これは結構難しいことなので、評価されるべき行動と思う。
さてこの話は、潜在的ヒエラルキー意識(金持ち→貧乏人や、欧州→アジアのような)も絡んでいる。ひどくざっくり言えば、日本の「エロ」文化の独自性と「一部欧州にとって未知なる日本という国がHENTAIで女性差別的であることは実に都合がいい」ということが悪魔合体してしまい、日本人女性は迷惑するという結果を招いている、ということと思う。非常に男性的(バイアシーな表現失礼)に言ってしまうと、先の大戦で日本が勝利していたらこれは異なっていただろう。これはそういう、「真理のように見えて実は流動的な問題」なのである。
「他人の気持ちになって考える」というのは結構難しい。性別や国籍が違えば猶更である。なぜなら他方に自分は行かないからである。女は「女というだけで性的対象に見られる」ことが耐えがたいし、男は「男としての内心に納めている性欲までも否定される」ことは許しがたい。その互いの「辛さの程度」は互いには分からないので、いわゆる「不幸自慢」的な流れになってしまう。そんな時に権威があると主張の拠り所にしたくなる。それは研究だったり、「海外の目」であったりするわけである。しかしそこには絶対的な基準は実はない。研究は一側面だし(実際に真反対の研究結果も出得る。じゃあどっちが正しいかというのは結局「それっぽさ」を脱せない。学会は多数派に付くが、マイノリティが必ずしも不確かだとは誰も言わない)、「海外」も結局人間の集まりなのである。
anond:20191016163058だけど、ちょっとブコメに誤読マン多すぎない? なんで? 3つくらい具体例を示してるのに何でそういう理解になるの?
こんな基礎的概念をいちいち説明するのアホらしいんだけど、消極的に~をやりたくないっていう自由が消極的自由で積極的にやりたいことやる自由が積極的自由ではありません。
行動を制約されず好きなことをできるのが消極的自由で、そもそもその行動のためのリソースを得られる、自由の物質的基盤を手に入れられるっていうのが積極的自由です。
「自由に書きたい本を出版したい! 国家に検閲されたり出版を禁止されたりしたくない!」という要求が消極的自由を求めているいっぽう、
「確かに検閲はないけど紙の値段高すぎて自由に出版できる状況じゃないじゃん! 政策的介入してもっとお値段下げてよ!」というのは積極的自由を求めている。
「好きなところに住みたい! 強制移住なんてさせられたくない!」というのを問題にするのが消極的自由で、
「確かに住居選択の自由は保証されてるけど特定のエリアにしか水道引かれてなくね? 実質的に選ぶ自由がなくね?」というのを問題にするのが積極的自由。
「お小遣いの範囲でならどんな本を買ってもお母さんは関知しません」が消極的自由で、
「でもお小遣いが月額500円じゃ新潮文庫も買えないじゃん! せめて3,000円ちょうだい!」が積極的自由。
「好きなイラストをポスターに描いても検閲されない日本は自由の国!」は消極的自由が保障されている状態だけど、
「でも好きなイラストを自由に描くためには画材を買うお金がいるよね。イラストレーターの給料が安くて自由に絵を描けない……」という状態ならば積極的自由が損なわれている。
「どんな性教育をしようが親御さんの自由です」が消極的自由で、
「でも事前に歪んだ情報が入ってくるような環境だと私がやりたい性教育ができなくなる」というのは積極的自由を求めているわけ。
こう並べれば、なんで消極的自由の方が重視されるべきか、なんで元増田の要求が積極的自由とみなされるか、ってのもわかるでしょ。
積極的自由も重要だけど、それは消極的自由のほうが重要だって認めた上での話でしょ。
現代自由主義では、消極的自由の保護だけだと実質的に自由が制約された状況(=積極的自由がない状況)が改善されないので、積極的自由も保護していくべきだと主張することが多いし、私もそれを支持する。
場合によっては、比較衡量のうえで、大きな積極的自由を獲得するためにささやかな消極的自由を犠牲にすることもありえるだろう。
でも、原理原則としては、消極的自由の方が積極的自由よりも重い。
最初の増田でも書いたように、国は俺に六本木ヒルズに住めるだけのカネを補助すべきだ、と主張したら頭がおかしい人だろう。この場合、俺が六本木ヒルズに住むための物質的基盤は保障されていないので、俺には六本木ヒルズに住む積極的自由がないことになる。でも、それを問題だと思う人なんているわけがない。
しかし、もしも、合法的に居住し家賃も毎月きちんと払っているのに、国が俺を六本木ヒルズから追い出したらどうか? それはひどい、住居選択の自由を侵害している、国家権力の横暴だ、とみんな怒るのではないか。これは俺の消極的自由が侵害されている状態で、それは多くの人に不公正だという感覚を抱かせるだろう。
多くの場合は、六本木ヒルズじゃなくて義務教育とか女子教育とか最低限の住居とかそういったものが賭け金になっているから、積極的自由は必要だ、と主張されることが多いんだけど、こういう極端な例を考えてみると、消極的自由は原則的に保護されないといけないけど積極的自由はまあ程度問題だよなという話になる。つまり消極的自由の方が重い。
これが消極的自由と積極的自由の違いだ。行動や動機が積極的か消極的かなんてこれっぽっちも関係ない。
なので、
いや、なんとなくおかしいというか、例示の文脈に恣意性を感じる。献血にくる人を増やしたいから人気漫画とコラボするって献血のあれは、どっちかと言ったら積極的自由って概念に入れるのが正確じゃないかと。
つまり公的機関が性的イラストを掲示したいと思う積極的自由は公の場で性的イラストを見せられたくないという消極的自由に劣後するわけね。筋の悪い議論
お色気イラストで客を呼びたい、なら積極的自由に、子供の環境に性的刺激を持ち込まないで欲しい、なら消極的自由になるような(´-`)既特性なんかも考えると視点によってがらりと変わるよね
詭弁。原理原則としては同意するが、当該問題への適用が雑。掲示は明らかに他者に広報(干渉)する目的でされているから積極的自由ともいえるし、これを差別表現とする立場なら見ることを強制されないのは消極的自由。
アホかこいつ公共の場所で性的な表現を披露したいって方が積極的な自由の範疇だろ、猥褻な絵画を見たくないがなんで積極的な自由の追求になるんだ
積極的自由と消極的自由”解りやすく言うと「やりたい放題やる」自由と「遮断したい」自由ね。でもそれ精神年齢とかで個人差あるモノだから間尺合う人とだけ付き合いたい
このへんのコメントは軒並み、問題文を理解していませんね、零点、でおしまい。漢字は正しく書けてるみたいだから部分点はあげようかな。
義務教育なんて積極的自由の最たるものでしょ。日本社会における消極的自由を実現するためには日本語の読み書き能力とか日本社会についての基礎知識とか計算能力とかそういったものが必要で、それを叩き込む――つまり、自由を実現するためのリソースを与える――のが公教育の役割。
言論の自由を実践するためには表現を世に問うための読み書き能力が必要だし、職業選択の自由を実践するためには望みの職業に就くためのスキルとかが必要だよね。
政府批判をしても逮捕されない、自由に好き勝手言える、といった消極的自由を保障されたって、日本語の読み書きが全然できない人とか日本社会の仕組みを全然知らない人とかは実際問題としてその自由を使いこなすことができないじゃん。だから最低限の消極的自由だけじゃダメで積極的自由が必要なんだよ――というのが現代自由主義では割と受け入れられている考え方だと思う。
積極的自由の恩恵は俺もお前もこの社会に生きるほとんどの人が受けているんだよ。
ただ、上で書いたようにあくまで程度問題。「女だから十分な学力を持っていても医者になれない」とかは直接的に職業選択の自由が侵害されてるから大問題になったけど、そもそも大学に行けるほどの教育を受けてないから医者になる道が最初からなかった、というのが問題視されることは少ない。医者になる気があって能力もある人間が性別を理由に選ぶ機会を奪われるのは消極的自由の侵害だから絶対にあっちゃいけないとみんな考えてるわけだけど、医者になれるだけの能力を育てる機会を持てなかったからそもそも選ぶ機会そのものがなかったというのは積極的自由が欠如していたということだから問題になりにくい。でもこれも直接的に奪われるのとは違った形で自由を持っていないともいえるよね。ではどこまで国家が介入するべきか? どのくらいの不自由までに国家が責任を負うべきか? というのが、現代自由主義でよく議論される点。
我々法学徒は民法の最初に出てくる「悪意」で、あっこの世界は字面を字面通り読むと単位がもらえないんだなーと理解する(理解できないと単位を落とす)が、一般人はそういう洗礼は受けていないので
文学部卒ワイ「なるほど~~~~~~~知らなかった~~~~~~~」
英語でもnegative libertyとpositive libertyだからこれ以外に訳しようがないんだよね……
句点毎に改行入れるのはわかるけど読点に改行入れる人って(´・_・`)しかも全部の読点に入っている訳でもなければ、句点との差や話の区切りの見やすさにつなげる訳でもない
流石にこの文章を読んで読点での改行の意図をご理解いただけないのであればずいぶんと日本語の読解力が、その、なんというか、必要最低限に届いておられない方なのだなという感想しか湧いてこないですね……
前の記事でもこの記事でも増田自身程度問題とわかっていながらその線引きを増田の正義における絶対的に正しいものと仮置きして喋ってるように見えるからいかんのでは?
程度問題って書いてるのは「積極的自由をどこまで保障すべきか」なんだけど私そこの線引きに関して何か断言したっけ? 義務教育は絶対に保護されるべき積極的自由だと主張したけど、そのほかの論点では特に断言とかしてないよね。
まあ、「何が消極的自由で何が積極的自由か」とかそういう話では線引きした上で断言したけど、私そこに関しては「程度問題」って言ってないよね。大丈夫? ちゃんと日本語読めて議論の流れ追えてる?