はてなキーワード: 不可能とは
私がそう思ったのは、Appstoreのアプリレビュー(ゲームアプリ)を見ていた時だ。
ユーザー名を付けることが出来るので、匿名というわけではないので、ここで意味したいのは、ユーザーの履歴(他のレビューなど)などを見ることが出来ない。
コメントのみで良し悪しを判断する必要があるシステムのことを言いたい。
料理の口コミサイトなどは違うという意味だ。(その人の他のレビューが見られる)
話を戻すと、Appstoreのアプリレビューは良いレビューだと上位に来るようになっていて、詳しいシステムは分からないが、システムによって何らかの判定があったのだろうと思う。
そこで最初のレビューを見ると、大抵の始まりはこうである、「私はこのゲームはかなりやっていて詳しいです。」
それの何が悪いのか?という疑問は当然あるだろう。
それを話すには私のことを話さなければならない。
「誰が言ったかではなく、何を言ったか」を重視することを理念としていた。
(もちろん、実際にそこで行われていたのは、馴れ合いと誹謗中傷の地獄でしかなかった。)
それに、これは都合のいい言い訳のようなもので、誰も本気ではなかったというか、ネラーが大衆を見下すための言葉でしかなった。(というか匿名システムに何かを持たせることは不可能だろう。)
2020年になってさめてしまい、既に匿名性などに期待していないのだが、残り火みたいなものが私には残っているのだ。
私は完全にさめているし、はっきりいってアプリのレビューなんてどうでもいい。
ちなみにsteam(ゲームDLサイト)のレビューもそうだ、やたら長文だし、レビューした人のプレイ時間が分かるし、さらにレビューにも書くだろう。「私はこのゲームに詳しい」と。
steamはレビュー本人の履歴が読めるので、私が言う匿名ではない。
本当は、レビュー本人の情報を抜きにして、製品の情報だけが欲しいのだ。
こう書くとかなり強欲だが・・・そいつが何時間プレイしたとか、ラスボス撃破済みとか、周回プレイ済みとか、どれだけゲームを愛しているとか、どれだけゲームが嫌いかいう情報は要らないんだ。
というか自慢にしか読めないだろ、私はレビューを通して何を読まされているんだ
そもそもAppstoreのアプリレビューは、アプリ開発者に対して感謝や改善要望、クレームを吐く場所になっているので、読む価値などないのだが。
じゃあお前の考えるまともなレビューサイトとはどういうものか、と言われれば何も思いつかない。
感想などというのは、そんなものだと言われれば確かにそうだ。別に私が素晴らしいと思うレビューや評価に出会ったとしても、実際に買うわけではない。
やはり何か生き方を間違えた気がするな。
知能の差。日本人は論理的に考える能力があるから感情論に流されにくいだけ。欧米人は論理的に思考するのが苦手で感情的。みんなテレビで動物愛護番組見たり、YouTuberが「みんな聞いて、環境がヤバイの!......それでガラスのストロー買いました」みたいなこと言ってるの聞いて「まあ、動物可哀想」「環境を守らねば!」みたいになっちゃってるだけ。日本人は西欧人の知能の低さがここまでとか想像できないから、「先進的・意識の高い欧米」を勝手にイメージしてるようだけれど、その実態は扇動されて集団でヒステリーになって、集団で自慰行為してるだけの土人集団。
後、Z世代と呼ばれる世代にはとりわけヒーロー妄想というか、ヒロイン症候群のヒーロー版みたいなものが蔓延している気がする。「俺たちが動けば世界は変わる!地球温暖化を食い止められる!」みたいな。欧米人はほぼみんな頭が悪いからこれを純粋に信じられる。「悪いのは地球温暖化だ!地球温暖化を滅ぼそう!」特定の物を悪と見なして、集団で攻撃、これを真理として布教。真理を受け入れない人間は異端として攻撃・排除……魔女狩りしてた中世の頃と全く変わらない土人マインド。
信じてもらえないかもしれないけど、欧州民の算数のできなさは本当になにか障害でもあるのではと思うレベル。ここまで算数できなかったら論理的思考なんてほぼ不可能だと思う。(彼らは「数学」じゃなくて「算数」ができない。)日本人には想像付きにくいと思うけど、国民の大半がれいわ支持者みたいな世界を想像したらそれが近いかもしれない。こいつらと日本人との差はなんだろうとか真面目に考えるだけ時間の無駄。
これ好きすぎる、こんな曲あってええんか、マジか!ってなるやつ
ないすか?俺はある
Santiago MotorizadoさんのAmor en el cine これはマジでいい
日本語だと愛ってあんまり連発する概念じゃねえし、「映画館」って単語もそこそこ画数が多い漢字三文字だから、結構かたい感じになってしまうな
違うんですよ
愛、amorは、知らんけど、多分わりとカジュアルに表現できるものくさい
「この曲愛してる」みたいな表現をYouTubeのコメント欄でわりと見る
ほんで、映画館だって、「館」なんて大袈裟なものはつかずに、cine、シネの二文字だ
なので、Amor en el cineを「映画館での愛」なんて言っちゃうやつはセンスがないですね 誰だ?そんなこと言ったの 俺だった
とにかく、言語感覚が違うので、多分うまく訳すことはできないんだが、とにかくアモール・エン・エル・シネですよ
「ねえ君、あの映画を見に行こうよ」
ああー違うな もう、一行目から難しい!
Ey nena,一番好きなスペイン語のひとつかもしれない つってもまあ要はHey, babyなのですが…
俺はサンティアゴモトリサードさんが優しい声で言うEy nenaしか知らないから、そのイメージがすごく強いんだよな
ヘイベイビー、って言うとサングラス・革ジャン・イケイケみたいなイメージが頭に浮かんでしまう
エイネーナは違う こう、もうちょいなんと言うか、文学的な感じがするんですよね
でもこれは完全に偏見なんだよな 多分普通にヘイベイビーではあるんだと思う
それはそれとして、どっちにしてもうまく訳せないな
まずEyってなんなんだよという話はあるよな
やあ、ヘイ、よう、なあ、ねえ 多分この辺全部いけちゃうんだよな、Ey
でも多分「ねえ」にある若干ウェットな感じってEyにはないんだよな
でも「なあ」はちょっとぶっきらぼうすぎて解釈違いですっ ここは「ねえ」にしとこう 「エイ」だとお祭りみたいだもんな
そんでネーナだよなあ ネーナとかベイビーとかダーリンとか、なんならyouですら訳出が難しい
言わねえもんな
彼女を映画に誘うとしたら「ね、映画行かない?」くらいになりそう 二人称は入んねえ あっでもこれ「ね」入ってんな! やっぱ「ねえ」だな
ネーナ…なんだろうなあ 「君」ってわりと距離感あるもんな いっそ「ねえ」だけでいいのかもしれないけど、nenaって単語を落とすのは悲しい
いや、でも自然な日本語って意味では落とさざるを得ないわね 落としましょう!
「ねえ、あの映画観に行こうよ」
「ねえ、今夜はひとりにしないでよ」
「僕は全部すごい好きなんだ」
ああもう難しすぎる!!!!
つかこの曲すげえey nena出てくるな oh nena もある どうしろってんだ
答え:原文のまま味わえ
あの映画監督の大ファンなんだ、つった後に「僕はすべての大ファンだ」っていうんだけど、これがいい
「映画館の暗闇の中で」
「映画館にいるのがどれほど好きか君に言うよ」
「でも僕の心には君用のスペースもあるんだぜ」
「でもね、僕は全部に惚れてるんだ」
英訳するか
"Oh baby, in the darkness of the theatre,"
"I will tell you how I love being in the theatre"
"But also there is space for you in my heart "
"But baby, I'm in love with all"
やっぱ英語って気取ってて気に食わねえな
estoy enamorado de todoのニュアンスってもしかするとスペイン語にしか存在しないのかもしれない
多分なんですが、君の全てに惚れていますということではなく、世界のあらゆるものに惚れていますって意味だと思う
そうだよな多分
そうなんですよ
あの映画監督だけじゃなくてすべてのファンだし、君だけじゃなく全てに惚れてるんすよ
そういう人間の歌なんだよ
めちゃくちゃいいんだよな
映画館の暗い中で、っていうから、告白するぞみたいなのがくんのかと思うじゃん
映画館にいるのがどれだけ好きか、ですよ
「増田くんのことが大好きです」って言われるより「私映画館って本当に好きなんです」って語られた方がグッとくる
俺自身、田舎もんだからあんまり映画館行かないのですが、いいよなあの空間
静かにしないといけない雰囲気と、ちょっとした圧迫感と、緊張感、非日常感
地面とかなんか全部絨毯だしさ
目に入るもの全部が人工物じゃん
ああ映画館行きたいな 俺は馬鹿なのでダイハードとかしか見たことないが、もうちょっとこう、それこそアルゼンチンあたりの文学性ある映画を見たい気もする
いやでもそういう、文学性とか気にしてんのがダサいって話だよな 見たい映画を見るべきですよ
なんの話だっけ なんの話かというと、いい曲ってあるよねという話
良すぎて笑いが止まらなかった
そういうことってあるよね あって欲しい
Gomosoってのが正直意味がよくわからないんだが、ゴムっぽい→粘っこい、みたいな連想で、どうもこう、ストーカーじゃねえけど、粘着男みたいなニュアンスで使われているような気がする
君にとって僕はウゼー粘着男にすぎないのだ、みたいな感じなんですか?(知るか)
歌い方もいい
あっ、つかこの曲もey nenaから始まってんな やっぱey nenaなんですよ
でもこの曲のey nenaはわりとヘイベイビーって感じだな 呼びかけって感じはしない
これぜんぜん脈無しの恋愛ソングだし、たぶん呼びかけが届く位置に君はいないんだよな
「ヘイベイビー、僕は君のゴモッソだぜ、僕は君のゴモッソ!」
まずサビの顔見せから始まるのが良い
サビを短めにやってからAメロとかに入る構成好きなんだよな 紅蓮花とかもそうだよな
ゴモッソなんなのかイマイチわかんなくて、まあ、粘着男くらいかなあ…… ゴム質、粘着質のほかにチャラチャラ系ナヨナヨ男みたいな意味もあるっぽいが、この歌はナヨナヨ度関係なさそう
「悲しい今夜は君のことを考える、君のことを考える」
このフレーズのいかにもAメロっぽい始まり方がいい estaのeが伸びるのがすげえ好き
noche tristeは直訳で悲しい夜なんだけど、これは結構難しい
悲しいっていうと行き過ぎな気もするんだけど、実際わからない 何もわからない
で、君のことを考えるって2回言うのがかなりいい しかも俺の大好きなvosが出てくる サイコー
「君が僕のことを思って悲しくなってるのを見たいぜ、すげー正しいだろうな」
とりあえず「正しい」としたが、ここのjustoの意味合いはもうお手上げ
片想いの段階だとすげえあるんだよなその感情 相手が自分のことを思って自分と同じくらい狂っていてほしいという感情 それはあります
なのでまあ、やっぱりjustoは正しいとか公正とかってことでいいんだろうな
君が僕のことで悲しくなってたら、それは"正しい"だろうな、と うーん…イイ
「でも気づいちゃったよ、僕は感情のない君のゴモッソなんだ」
全体的に難しすぎて嫌になってきた
まあ、イケてないってニュアンスなんだよな要は
サビを挟んで2番 このサビの明るさがいい
で、2番ですよ 2番が一番好きかも
「僕は君に心をあげるよ、僕は君に心をあげる」
「僕は君に心をあげる、君がそれを笑ってくれるように」
訳が下手すぎて死にたくなってきたな
とにかく、僕は君に心を渡すんですが、それでどうなるかって言うと、君がウケるだけなんだよな
こういう必死かつ絶望的な好意みたいなやつ、見る分にはかなり好きだな
「君が気にいるかなと思ってこのシャツを買ったんだけど、いまはこのシャツのせいで泣けてくるな」
ここでシャツを指すremeraなる単語、完全にアルゼンチン語で笑ってしまった スペイン語だとcamisetaとかで、マジでカケラも似てねえ!
remera、覚えておきたいな
単語もいいけど中身もいい
頑張って選んだプレゼントがフラれたあと致命的な呪いの品に化ける、みたいなテーマはメチャクチャ好きですね
ここから先がもうすげー好き
「あの夜はすごくmágicaだった、すごくmágicaだった、すごくmágicaだった、
あの夜はすごくmágicaだったんだよ、僕にとっては」
「で、君にとってはすごくゴモッソだった」
もう翻訳を諦めつつある
しかしこのmágicoという概念、メチャクチャ好きなんだよな
magicalとおんなじで、魔術的な・魔法のっていみに加えて「うっとりするような」みたいな訳が辞書にはのっていて、その意味だと思うんだけど、やっぱこう、魔法の要素は外せないよなあ
いっそ「あの夜は魔法みたいだった」みたいに訳した方がええんかもしれん
いやでも、「みたい」なんてつかないもんな 非常にmágicaだったわけですよ もう、そういうことですよ
歌い方もうっとりしたような感じで、なんと3回繰り返す もう泣いちゃうよ俺は
その直後に、おなじみのゴモッソ概念がでてくる
しつこい夜?なんだろう、とにかく、僕はもう舞い上がっちゃってさあ、mágicoなんて言っちゃうくらいウットリなのですが、君にとってはむしろイヤ〜なウザい夜だったってワケ
ムチャクチャいい
mágico概念の良さが反転して悲しさに変わる それが本当に良い
そんでサビでシメですわ
僕は君のゴモッソ!とヤケクソみたいに言って終わる 潔い
わからんけど、すげえ良い
以上……
……
これ、gomosoってグミとかアメとかそういう感じのものを指してる可能性あるっぽいな?!
ウーン……
結局、ルパン三世ってルパンの声優の山田さんが亡くなったときに終わってしまっていたんだと思う。
これは私とか私と同世代のかたにとっては真実ではないかなあと思う。
ルパンというのはかなりいい加減な話が多くて、
なのに、なぜルパンというと一定のクオリティ、ハードルの高さがイメージされるかというと
それはルパンというキャラクターの緊張感が醸し出していたものなのだと思う。
もちろん次元や五右衛門、銭形、不二子などのキャラクターもそのルパンという作品のテンションの中に含まれているのだが
そのルパンという作品のテンションの源泉はやはりルパンというキャラクターが成立させており
そのルパンというキャラクターの肝要の部分として山田さんの演技というものが大きな部分を成していたのだ。
ルパンというキャラクターは山田さんの演技がなくては成立し得ないものだったのだ。
ルパンというキャラクターなしには成立し得ないルパン三世という作品を
ルパン無しでやろうとする、
山田さん不在以降のルパンはそんな不可能を追求する物語だったのだ。
ゆえにどんなルパンを見ても我々は満足することはなかったのだ。
そのなかで例外である不二子をスピンオフさせてルパンとは別物語を構築した場合のみに納得の域に達したのはそれはルパン三世という作品とは別作品になったが故だろう。
数学レクリエーションなど科学啓蒙の執筆活動で有名なマーティン・ガードナーが、雑誌Scientific Americanに連載していた人気連載『数学ゲーム』で紹介した論理パラドクスに「執行不可能な死刑」という話がある。概ね、次のような話である。
===
ある被告人が裁判で死刑判決を言い渡された。その判決の際、裁判官は次のようにも付け加えた。
「刑の執行は何月の第何週に行われる。しかし、刑の執行が行われる日まで、それを死刑囚に事前に知られないように配慮するものとする」
裁判が終わり、今は死刑囚となった被告人と面会室で面会した弁護士は、死刑を恐れる被告人に対して「安心して下さい。あの判決による刑の執行は不可能ですよ」と語り、次のように勇気づけた。
「いいですか?仮に、死刑が土曜日に行われるとします。しかし、土曜日よりも前の金曜日まで死刑が執行されなかったとしたら、貴方は翌日の土曜日に刑が執行されると気づくことになります。これでは『事前に知られないように』という条件とは矛盾します。ですから、土曜日には刑の執行はありません。すると、次は金曜日に死刑執行ができるかどうかの話になりますが、これも実行不可能です。金曜日よりも前の木曜日まで死刑が執行されなかったとしたら、やはり貴方は金曜日に刑が執行されると気づくでしょうから、判決に矛盾します」
だんだん弁護士の説明が飲み込めてきた死刑囚は、表情も声も明るくなった。
「つまり、同じ理屈で水曜日も火曜日も月曜日も日曜日も判決と矛盾することになるのか。だから、刑の執行は不可能ということですね!何だか希望が見えてきました」
そして、いよいよ問題の1週間がやってきた。その週の水曜日の朝、刑務官たちが死刑囚の独房を訪れ、彼を刑場に連れて行くことを告げた。
「そんな馬鹿な!」と叫びながら連れて行かれる土壇場になって、死刑囚には「やはり裁判官の『事前に知られないように』という言葉は矛盾しておらず、正しかったのだ」と思えてきた。確かに彼は、まさか水曜日に死刑の執行が行われるとは夢にも思わなかったのだから。
経済って限られた資源をどのように配分するかっていう椅子取りゲームだからねえ。
だんだん資源を効率的に利用できるプレイヤーに資源が集中して椅子が減ってくし、積極的に取りに行かないプレイヤーのための椅子は残らない。
すごい勉強量だな。「出来るようにならなかった」というのは具体的にどのくらいのレベルを指してるんだ?それだけやってTOEIC800は無いだろ。満点は取れるか知らんがもうTOEICは意味ないなと思う程度の英語力はついてるだろ。
ネイティブと全く違和感無く喋れるレベルは日本で大人になるまで育ってしまった人間にはまず不可能。たどたどしいけど意思疎通くらいはできるというレベルなら既に達してるのでは?
それでも、選挙結果に対して有権者が愚かとは言っちゃいけない。
ゼロ歳児から死ぬ寸前の老人まで全員を対象に抽選すれば確実に民意だ。
ゼロ歳児がどうやって法案に賛成反対を表明するかが問題だけども。
ヒトが紙に鉛筆で書いて投票してヒトが数えてるから無理というだけで技術が進化すれば不可能ではない。
不公平だし非効率だし、民意はゆがんで抽出されるし、穴だらけの制度だけど、納得がしやすいというだけで選挙という制度が採用されてる。
今の日本には死刑(絞首刑)はあるものの、その執行手段は人道的なものであり、ほぼ苦しまずに死ぬことができるという。(アメリカのように電気椅子や薬殺の方が人道的という話もあるがそれは置いておく)
さて今回の京王線の事件のように、犯人が「人を殺して死刑になりたかった」という事件を抑止するのに、上記の絞首刑は明らかに役に立っていない。
そこで今回のような事件に対する刑罰として、凌遅刑や鋸挽きなどの導入を行ったとしたら、抑止力が期待できるのではないだろうかと考えた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%8C%E9%81%85%E5%88%91
鋸挽き
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8B%B8%E6%8C%BD%E3%81%8D
もちろん現実には、非人道的である・残虐である等の批難が国内外から殺到し、そのような刑の導入は不可能だろう。
ただ、ではどのような刑であれば「人殺しをして死刑になりたい人」の犯罪を抑止することができるのか。
刑罰は犯罪抑止のためにあるのではない、などという話がしたいわけではない。
「人殺しをして死刑になりたい人」も優しく受け入れる社会、道徳教育、親からの無償の愛を受けた経験。理想はそうなのかもしれないけど何世紀後に実現するのだろう。
今後次々と同様の事件が起きたとしても、現実的に手荷物検査や全車両への警備員配置などは不可能だ。
我々はどのような対抗策がとれるのだろうか。
言いたいことはわかるので、選挙でどのような投票行動を選ぶことが愚かであるのかをはっきりさせてほしいと感じる。
①「自分が最も幸福になる選択肢に気が付かずに投票を行っている」なら「愚か」として構わないと思う 好感度は間違いなく下がるだろうけど愚かだから仕方ない
②「自分が最も幸福になるが全体の幸福度が下がりそうな投票を行う」を「愚か」とするのは不可能ではないけどやや無理がある
③「自分が最も幸福になるが発言者にとって不都合な投票を行う」を「愚か」とするのは愚か
そういう発言をする人って、①-③のどれに当たるのかをはっきりさせないせいで③をやっていると捉えられてしまう人が多い気がする。ただ、自分の発言が①であることを証明するのはかなり難しいと思う。
横です。
厳格なポリティカル・コレクトネスでは、個人が持つ多種多様な弱者性を加算し、最終的に一人一人の弱者性を比較します。
また、女性である時点で、黒人である時点で、克服が困難なレベルの大きな弱者性があると考えます。
幼少期の被虐待経験とトゥレット障害も弱者性として計上できますが、ジョーカーの場合は白人男性という圧倒的な強者性が邪魔をしてしまいます。
被虐待経験を加算してもなお、女性や黒人の弱者性を持つ人物と比較するなら、ジョーカーは社会的に有利な立場と見なされてしまうのです。
冒頭のaquatofanaさんのコメントは、このようなポリティカル・コレクトネスの考え方に立脚すれば自然と導き出されるものなのです。
被虐待経験も深刻な問題ですが、厳格なポリティカル・コレクトネスでは、他の弱者性との比較を行わざるをえません。
弱者性を計算して厳格に比較するポリティカル・コレクトネスには、「血も涙もない」「人の心が通っていない」との批判が向けられることも少なくありません。
しかし、このような手続きを踏まない限り、社会的公正を具体的な政策に落とし込むことは不可能です。
ご理解いただけるでしょうか。
物語の理解というのは最終的に個人の頭の中なので「正しい理解」が生まれるように誘導するというのは不可能に近く思う。誰かにとって単純暴力のスカッと映画が、他の誰かにとっては精神的な深みを持った救いの物語に見えることもある。
物語を解釈するとき、受け取る側の頭は、受け取り方のスタイルは、もう出来上がっている。もしチャンスがあるとすれば、物語を受け取った後、自分以外の視点をインプットして解釈の調整を図る、もしくは自分の解釈を他人に語り、距離感を測りながら調整することだろうか。
というかそもそもの「男女雇用機会均等」の理由が、「働く権利」みたいなもので誤魔化されがちだけれど
「現代において専業主婦という存在は、経済の合理化(国民から効率よく資本を回収する)において無駄=楽しすぎ」なので
「専業主夫」という選択肢は本末転倒なんだよな。夫婦共働きで経済競争の中苦しんで生産力として人生を消費して欲しいってのが国としての願い。
でもそうしたら一時的に生産性は上がったけど、持続不可能だよね→移民入れよう→移民自体が負債になった
ってのが「欧米」の結果。じゃぁ自国民で子供産んで育ててもらおう、女に金渡そう→女自体が負債になった
というのが現状なんだよな。結局生物的なシステムとしてはイスラムみたいな世界観が最適解で、とにかくその負債を無くすために何かほかの代替案でなんとかしてきたのが現代。
それで自動化やAIに期待が膨らんでいる訳だけれど、結局自動化やAI自体が運営コストにおいて負債になって……って事を延々と繰り返しそう。
そいつらは、経験が足りないとかではなく、根本的にセンスがおかしいのだ。
たとえば、ブログのサイドパネルに別のコンテンツ(最近更新された記事とか、人気記事のランキングとか)を埋め込む機能をつけるとしよう。
埋め込むコンテンツはデータベース上でIDを持っていて、どの記事を埋め込むのかは、内部的にはそのIDで指定される。
ところがどういうわけか、「コンテンツ側のレコードを更新したとき、サイドパネル側も参照するIDを更新しないといけない」みたいな、理解し難い設計をしてくる奴が世の中にはいるのである。
しかし、問題なのは「ここは直しましょうね」で済まないことだ。つまり、わざわざこういうことをしてくる奴というのは、根本的に頭がおかしいから奇妙なことをするってことだ。