物語の理解というのは最終的に個人の頭の中なので「正しい理解」が生まれるように誘導するというのは不可能に近く思う。誰かにとって単純暴力のスカッと映画が、他の誰かにとっては精神的な深みを持った救いの物語に見えることもある。
物語を解釈するとき、受け取る側の頭は、受け取り方のスタイルは、もう出来上がっている。もしチャンスがあるとすれば、物語を受け取った後、自分以外の視点をインプットして解釈の調整を図る、もしくは自分の解釈を他人に語り、距離感を測りながら調整することだろうか。
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