はてなキーワード: 一時帰国とは
遠方にいる母方の親類から、実家に掲題の電話が来たらしい。享年94歳。
自分はほぼ寝たきりの妻の介護があるため通夜や葬儀への参加が難しく、でも弔いにせめて想い出したくて(吐き出してくて)、日記に書きます。
一時帰国したときによく泊めてくれて遊びに連れて行ってくれたよね。
そうそう、当時欲しかったファミコン、それもディスクシステム付きのをプレゼントしてくれたね。誕生日でもなかったのに、なんでか理解できない残念な子供だったけど、めっちゃ喜んだのを覚えてます。
やたらに早起きで、朝ご飯にいつも出してくれたプルーン、正直苦手でした。それが顔に出ていたのか、頑張って食べると、めっちゃ嬉しそうに目にいいんだと破顔して毎度教えてくれたよね。
いざ書き出してみると、なんかもらった話ばっかり思い出すけど、庭の芝刈りや水やりをやらせてもらったのもちゃんと覚えているよ。
前に顔を見たのは、ばあちゃんの49日だったよね。
でも、本当に好きでした、優しい笑顔。
道中気をつけて、ばあちゃんによろしくね。
泣いていたら、妻に「自分がいるから葬儀に出られないんだね、ごめん」と悲しい顔で謝られてしまったので、涙で送り出すことはできないけど、許して。
http://b.hatena.ne.jp/entry/360023176/comment/yamatedolphin
北朝鮮が軟化すると騙されるなって人、日本にはすごく多いんだけど、「一時帰国」で北朝鮮を騙した日本がそれを言えるのかってずっと思ってるよ。
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くそうけるww
最近時々記事を目にするようにもなった月経カップ。私はかれこれ10年ほど使用しているので、導入を考えたり使い始めた人の参考に、また自分自身のメモとして記しておこうと思います。
合えばとても快適です。
さて本題に戻りましょう。実際に購入したのはメールを確認すると2009年の3月の事でした。なので実際には9年程ですね。加えて間に妊娠、出産を2度ほど挟んでいるので実際には5年程しか使っていないかもしれません。思ったより短いな。導入のきっかけは、生理はこの先数十年はどうしたって避けることができないものなのだから、できる限り快適に過ごしたい、そのためなら何でも試してみようという気持ちからです。また快適にしたいという願望から布ナプキンを使用しており、汚れを軽減したいという狙いもありました。タンポンも過去には使った事がありますが、結局紐を伝って出てくるし、出すとき不快だし、トキシックショック症候群も怖いので、当時はほぼ使用は控えていました。月経カップの存在を知ったのは、購入より数年前に出会ったこちらのコラム(既にないのでリンク先はアーカイブになります)。アダルトサイトのコラムのようなんですが、なぜここに行き当たったのだろうか。とにかくこのサイトに載せられているKeeperという製品の画像。かわいさのかけらもないし、文中を見てもおそろしげな事が書き連ねられており、こんなん絶対無理だわ~とそっ閉じしたと思うんですけど、その衝撃的なビジュアルは脳髄に深く刻み込まれ、数年後に何かの拍子に思い出す事になるのである。そして私が初めて購入したのは、あのごっついKeeperではなMoon Cup。当時はMoon CupとDiva Cupが有名だったと思いますが、Moon Cupの方が入れやすいだったか、購入しやすいだったかでそちらを選びました。透明なシリコン製で、Keeperみたくビジュアル面での抵抗感が少なかったのも決め手だったと思います笑。UKのオフィシャルサイトで購入手続きして待つこと数週間?斯くして無事に到着。程なく生理が始まったので、ドキドキしながら使ってみました。…まあそんなに初使用時の記憶ってないんですけど、ステムが長くて当たって痛かったのでちょっとカットしたのだけ覚えてます。その後ずっと快適に使用しておりましたが昨年海外に引っ越した際になんとカップを忘れてきてしまい、一時帰国時に国産のローズカップを購入して現在はそちらを使用しております。
基本的には折りたたんで入れるだけです。きちんと入ればほとんど漏れませんが、余程気を付けないと完全にゼロにはならないので私はナプキンを併用しています。私の場合、経血の量はそれほど多くないので、1日目と2日目にカップ使用、3日目は時と場合によって、4日目以降はほぼ使用せず、ナプキンのみで過ごしています。ナプキンは、1、2日目…日中羽根つき&夜は夜用、3、4日目…羽なし&夜は羽根つき、5日目以降…おりものシート な感じです。現在は布ナプではなくケミナプ使用です(理由は後述)。カップの中に溜まる分は出てきませんが、おそらく隙間から多少漏れる分と、膣の壁についている分の血液が出てくると思われ、完全に出血がゼロにはなりません。カップだけで大丈夫な人もいるのかもしれませんが、私はナプキンも併用してます。
Max12時間だそうですけど、そこまでつけてたことはほとんどありません。私は多い日だけ付けるので、数時間でいっぱいになってちょっと漏れてきたりしてしまうので。家だと洗面所で洗って付け直しますが、外だとちょっと難しいですね。今は仕事をしていないのでそこまで長時間の外出はしないので外で外す事はほぼないですが、仕事していた時は間に合わないので、トイレに血液を捨てた後、トイレットペーパーで拭いたり、使う人が限られているトイレの場合はウォシュレットのビデを利用して洗ってから再装着したりしていました。ウェットティッシュ等を携帯するのもありかもしれませんね。
ありません!!!布ナプで生理痛が軽くなったなんて話も聞きますけど、こちらも全く効果を感じておりません。元々そんなにひどくなかったのはあると思いますけど、1日目に腰や下腹部が重ダルいのは変化なしです。というか、生活や活動に支障が出る程度の生理痛でしたら生理用品でなんとかしようと思わず病院に行った方がいいのではと思います。
ムーンカップは透明シリコン、ローズカップは不透明なピンクのシリコンです。ムーンカップは使っていると徐々にうっすら血の色に染まってきました。ローズカップは今のところ変化なし。ムーンカップはつるんとした形ですが、ローズカップは入り口に漏れを防ぐための返しがついています(これも効果あるのか~?て感じですけど)。返しのせいで汚れが溜まりやすいのでは?と心配でしたが、洗うときに少し注意すれば大丈夫です。一番違うのは、私は硬さだと思います。ムーンカップの方が硬く、ローズカップはかなり柔らかい。なのでローズの方が初心者向きかなと思ったのですが、こちらの方が装着が難しいです。ムーンカップは入れて手を放せば、その硬さのお陰ですぐに元の形に戻り、ビチっと入り口を塞いで漏らしません。しかしローズカップは手を放しても戻らず、隙間から経血が漏れてきたり、うまくはまっていないのでずれて漏れたり…という事がよくありました。ローズカップの場合、先端が入ったらもう手を放してカップの形を整え、カップの形状のまま奥にグイグイ押し込む方がうまくいってます。じゃあムーンカップの方がいいの!?となると、ムーンカップは装着は簡単だったけど、その硬さ故に尿道や腸を圧迫するのか、少し排泄時大変だったりしました。結局どっちがいいのかと言われると…どっちもどっちですね…。今は他にも色々種類があるので他にもいいのがあるかもしれません。
以前は布ナプのみ使用でしたが、交換したら汚れたものを持ち帰らないといけないし、洗濯も大変でした。多い日は縫い目を伝って漏れたり、記事が経血を弾いて滑り落ち、服を汚してしまう事があってこれが一番のストレスでした。ランニングコストがかからないのはいいけど、なんとかならないかと月経カップを併用したところ、汚れは格段に減るし、お金も全くかからないし、ナプキンを切らす心配もないし、何より服を汚す不安から解放されました。じゃあなぜ布ナプをやめてしまったのか…。賛否はあると思いますが、一度お○たぢからの経血トレーニングの講習を受けたことがあります。あの団体はオーガニックの使い捨てナプキンを推奨しているのですが、布ナプを推奨しない理由が洗っても汚れが残るから…とのこと。病院ではオートクレーブを使って殺菌するのに、洗濯では落ち切らないので尿道炎(?)の原因になる、という事を言っていました。実は私、膀胱炎を頻発した時期があり、多分布ナプは原因じゃないけど、衛生的にしておいた方がいいと判断して布ナプはやめて使い捨てのものをまめに変えるようにしました。それとは無関係にその後も膀胱炎にはなりましたがw現在は海外という事もあり、管理が楽で入手しやすいケミナプを使っています。オーガニックのも一時期使ってみたけど、別に何も変わりませんでした。
そんな話も聞いたことはありますが、私はなっていません。私も専門家ではないし自分以外の事例を知らないので自分の話しかできませんが…。
衛生を保つ目的でVIO脱毛のIだけ数回やりました。無毛にはなっていませんがかなり量が減り、生理時に血液が絡んで汚れにくくなったのでかなり快適になりました。Vはともかく、IOは生えてる意味を感じないし不快なので、抵抗がなければより快適さを求めるために脱毛もありなのではと思います。
率直な感想を言うと全然良くなかったですよ。子宮内膜症をケミナプのせいにしてたけど、そもそもケミナプが生まれる以前には子宮内膜症が病気として認められていなかったのでは?と思いますし。こういう感じに情報を隠して自分の都合のいいように話を展開する人や団体は私は好きではありません。他の話はほぼ忘れましたが、具体的に血液をどう溜めてどう出すのは見たいな話はなくて、締める、緩める練習をちょっとしたくらいかな。あれで何をできるようになるというのか…。骨盤底筋をきちんと鍛えるのは排尿障害にも大きなメリットがあるのでいいと思いますけど、経血がどうこうとかってのは全然いいとは思いませんでした。最近、特に主催者の方がどんどん言ってる事がおかしくなってると思うんで、私は関わらない方がいいと思いますし、関わる気もありません。
他に思い出したことなどあったら追記するかも。
自分以外にもこんな感じの人いるんだな。つられて、つい自分語りをしたくなったよ。
自分はこの元増田より2−3年下だが、うちも両親中卒だ。おかげで高校入るくらいまで大学というものがどういうものかさえよくわかっていなかった。それどころか勉強を親に教わった記憶がない。
なにしろ小学校の高学年の頃には、勉強に関してははっきりと自分の知識も能力も母親より上だと認識していた。親から勉強を教えてもらった記憶など、小学校以降ない。父親は父親で勉強のじゃまばかりしてくる。なにしろ家で勉強をしていると酔っ払った父親に家で勉強なんかするな目障りだと怒られる。
おかげで高校まではテスト前にちょっと復習するくらい(親が帰ってきたら止める)で、のびのびと過ごさせてもらった。
たまたま中学の成績が良かったので、ろくに勉強もせずともぎりぎり大学進学できる程度の高校に入れたのが僥倖だった。その高校が公立で家から自転車で通える範囲だったのも幸運だった。貧乏な家だったので電車通学が必要だったり私立だったりしたら止められていただろう。
その高校に入って2年目くらいでようやく気がついた。このままじゃ面白そうな職、面白そうな仕事にはつけないぞと。世の中にある面白そうな仕事ー弁護士、大企業のエンジニア、作家、官僚、パイロット、建築家ーそういった物の多くは大学を出ていないとスタートラインにもたてないらしい。はずかしながら高校生の半ばまでそんなことさえ知らなかった。
そこから必死になって勉強した。勉強してないのは飯食ってる時間、眠っている時間、部活の時間くらい。それ以外は全部勉強にあてた。3年になって部活が終わってからは飯、勉強、飯、勉強、飯、勉強、寝る、の毎日。おかげで高3のころには県でも上位の成績を取れるようになっていた。
だが、それが父親には余計気に食わなかったらしい。親戚の話によると中学の頃まで父親の成績はけっこう良かったのだが、その父親(私の祖父)がアル中でろくに働かないせいで進学を諦め、中学をでるとすぐ働き出して弟妹達を高校まで行かせたそうだ。泣ける話だ。だがそのルサンチマンであたりちらされる子供にとってはとんでもない災難だ。
家で勉強しているのを見つかると怒鳴られる、酒をかけられる。夜中に泣いて家を飛び出したことも何度もある。毎日家に帰りたくないと思っていた。何ヶ月も父親と口を聞かないこともあった。そのうち不憫に思ったのか叔父や叔母が仲介に入ってくれて、物理的な嫌がらせは止まったが、それでも家で顔を合わせると「誰の金で食わせてもらっていると思っていやがる」などの嫌がらせの言葉が飛んでくる。3年の夏休み頃、一時的に成績が落ちたのを挽回しようと家で勉強していたら家業の手伝いをさせられた。たのむから勉強させてくれというと「お前が勉強するための金はどこから出ていると思っているんだ?」という答え。その後なるべく家では顔を合わせずにすむようにしつつ勉強を続け、成績ももどり、どうにか東大に入った。(嘘だろうって?そう思うんなら勝手にそう思ってろ。しょせん増田だ。)
高校最後の一年くらいはこの家から早く出たいという気持ちが、将来ひとかどの人間になりたいと思いと同じくらい強くなっていた。家を出ることができて心の底からほっとした。東大に入ったことよりもそちらのほうが嬉しいくらいだった。その後大学院まで進学し、外資系に就職し、今は海外からこの増田を読んでいる。
元益田と同じように両親をうらんでいるか?ときかれれば、恨んではいるが仕方がなかったことも理解していると応えるしかない。それは当時から同じだ。自分の学歴コンプレックスから優秀な子供の邪魔をし芽を摘む一歩手前まで行ったことは今でもゆるせないが、同時に、自分より劣る弟妹を高校に進学させるために中学を出て働き出したというエピソードには一人の人間として畏敬の念を抱かざるを得ない。
高校の時以降、親を頼ろうと思ったことなど一切ない。その点ではまったく恨んでなどいない。ただ、恵まれた同級生たちをみて、自分の親が彼らの親のようだったら、自分ももっと素直に育っていたのだろうか、同じように青春や人生の幸せを感じ取れたのだろうかとつい詮なきことを思い浮かべ悲しくなるくらいだ。高校をでてからはろくに実家にも帰らなかったが、初孫にあたる息子を連れて行った時は、本当に喜んでいた。その姿をみて毒気が抜かれた。自分が生まれた時もこんなふうに喜んでいたのだろうかなどとさえ思った。
その父親はその後病気になり後遺症で口さえ聞けなくなった。たまに一時帰国時に入院先に見舞いにいっても、言葉にならない声を出すばかり。ただ目には喜びがうかんでいる。子供の時には仲の良い親子だった。その頃の気分になっているのだろうか。それとも俺のことなど無視して孫達に会えたことが嬉しいのか。話が聞けないので、それはわからない。
> 自分の価値を会社に求めたり、恋人に求めたりしてしまう。会社に行ってる自分や、恋人がいる自分にしがみついてしまう。
まさにそうかもしれない。今は社内や社外から自分がどのように見られるかにすごく縛られている気がする。
親とはうまく行っているけど、今は自分が海外出張中で、10,000km以上離れたところで生活している。住環境も食生活も良くない。
仕事の内容について相談できる同僚もいない。親にはうつ気味で仕事をやめたいと思っていることは全く話していないのに、
一時帰国の際にわざわざ否かから東京に会いに来て、自分が死ぬんじゃないかと心配していると泣かれてしまった。
こんなに心配をかけて本当に申し訳ないし親不孝な息子だと思うし、何も言っていないのに自分の気持ちを察する親はすごいと思った。
→それ以降朝日新聞が大々的に取り上げる
(その後どちらも事実無根であったことを認める)
1995年 女性のためのアジア平和国民基金として6億円寄付 当時の金泳三韓国大統領は「従軍慰安婦問題に対して
2015年 裁判にて『帝国の慰安婦』が事実上の発禁処分にされる
→慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に
2016年 元慰安婦を支援するための財団に10億円拠出 『帝国の慰安婦』の著者朴裕河が裁判にて、
2016年にアメリカで発見された朝鮮人捕虜の米軍調書では当時の朝鮮人捕虜により従軍慰安婦が否定されるなど、未だに従軍慰安婦が存在していた客観的証拠や女性を性奴隷にしてという客観的証拠は見つかっていない。
日本政府はサンフランシスコ平和条約や日韓基本条約によってこの問題は解決積みであり、軍による強制連行と性奴隷はなかったと主張するが、女性の名誉と尊厳を傷つけた事に対し責任を痛感し、お詫びと反省の気持ちを表明している。
しかし、一方で韓国側は、慰安婦問題を女性の権利の問題だとし、謝罪と賠償と元慰安婦に対する謝罪の手紙を要求している。
『帝国の慰安婦』を書いた朴裕河によれば、もし韓国側が慰安婦の強制連行がなかったと認めれば、それは「日本の罪を軽くすることにつながると考えている」ため、従軍慰安婦が事実ではなかったとしても、もはやそれを受け入れられる考えは韓国側には存在しない。
また、韓国は法治国家ではなく、世論によって判決が左右されることがある。日本軍による性暴力被害女性たちは、韓国だけではなく中国やフィリピンなどでも裁判を起こした。それらの裁判は二国間条約により解決積みという理由ですべてが却下された。しかし、韓国では却下されなかった。また、朴裕河も名誉毀損で判決をくだされるなど、韓国は法治国家として機能しておらず、慰安婦問題についてもまともな議論がなされていない。
韓国の反日感情は宗教のように根強いものであり、日本側がどんなに譲歩しようと、韓国と共に手を取り合う日が来るのは当分先のことだろう。
韓国民団、少女像の撤去求める 「在日同胞共通の考え」:朝日新聞デジタル変更する
http://www.asahi.com/articles/ASK1D5JXGK1DUTFK00V.html
「韓国政治にはできるだけ関与しないというのが民団の立場。ただ、この問題で一番の被害者は在日同胞だ」と強調し、
駐韓大使らの一時帰国や通貨スワップ再締結協議の中断といった日本政府の対抗措置については
「大変厳しいが、早く問題を解決してほしいという日本側の思いも理解できる」と述べた。
(武田肇)
いや実際難しい立場になってるとは思うけど
「自分達の為の身の可愛さのために母国が道を曲げろと言ってるのか」
「お前らなんか知るか裏切り者」
ってなるじゃん。
「その論法は母国で慰安婦で騒いでる人達と全く同じ論法では…」
ってなるし。
そこはやっぱり自分達の身や自分達の都合の話をするんじゃなくて
みたいな言い方するもんじゃない?
実際わたしら板挟みで困るわー
っていう感覚や都合まで捨てろって言ってるんじゃないですよ。
と思ったら韓国人にキレられまくってるし。
http://oboega-01.blog.jp/archives/1063723302.html
うーん…
私は日本で大学まで行き、卒業後3年日本で働いた後、海外へ移住した。
私が移住したエリアは日本人がほとんどおらず、職場も現地の人たちばかりで、私は唯一の日本人として働いていた。
その後、ネットのニュースなどで、日本で派遣、非正規雇用が流行り出したのを知った。
私はその後、別の国で働くことになり、私が行ったエリアでは日本人の留学生が多く、何人かの日本人学生と知り合った。
私は当時完全に現地に馴染んでしまっており、日本の若者からの言葉に少なからずカルチャーショックを受けたり、いろんな変化を感じ取ったりして刺激的であった。
知り合った日本人の一人が私と専門が同じく、日本を離れ海外就職を目指しての留学とのことだった。その人がかかわったプロジェクトやスキルなどを見てもこちらで働くには十分すぎるほどのもので、あとは英語さえできれば問題ないというレベルだった。
その人が言うには、大学卒業後ずっと非正規として働いていたとのことだった。
ずっと正社員を望んでいたものの、非正規としてしか働けず、そういった環境に将来の希望を見いだせず日本を離れたとのこと。
かなり衝撃だった。なぜこれほどまでの経験、実績のある人が非正規なのかと。
私は、日本には一時帰国だけで、職場環境、就職状況がどうかなどはもう分からないのだけど、実際こういう人って多いのだろうか?
数年前、留学から帰ってきた自分の専門がたまたま珍しかったからか、遊びで作った同人誌が全国紙記者の目にとまり、そこから出版社へと連絡が回り、高そうな店と老舗バーに呼び出された末に執筆依頼を受けた。基本的に自己評価の低い人間なので嬉しかったけれど、実際、何を書いたものかと思いながら、その編集者や記者とは仲良く友人のようになり、数年が過ぎた。
2016年、年が明けてから色々と思うところがあり、やっと書き始めた。昨日、東京駅で会った作家と一時帰国中の某国在住の博士に近況報告がてら書きかけの原稿を見せたら、今すぐ編集に連絡したほうが良いと言われたので、アニメと映画を観たあと、久しぶりに編集に連絡をした。2万字程度書いているが、本にするには最低でもこの5倍か6倍は書かなくてはならない。でも、今までブログやら論文まがいのもので書き散らしたものがあるので、それを整形すれば、おそらく、読める本にはなると思う。
作家になろうと思ったことはない。憧れはするが、自分にそんな才能があると感じたことがない。
だから、たぶん一度きりのチャンスだろうから夏前までには書きあげて何とか上梓したい。
もし、この企てが成功すれば、最近の日本では途切れていた分野の復活に一役買えると自負している。
もちろん、きちんと書きあげ完成し、それが流通に乗った場合に限るわけだけど。
ただ、個人的には、いま書いているものが、僕にとっての社会貢献だという意識はある。というか、人類への貢献とか歴史形成とか言っても過言でない。数百年後、千年後に現われるであろう天才や偉大な誰かへとバトンをつなぐために、小さな砂粒を海に投げる試み。
出版社がダメという場合もあるので、その場合は、冬のコミケに出してみようかと思っている。最低限の目標は、今まで世話になった家族や知人が笑って読んでくれるようなものにすることだ。もちろん高望みかもしれないが、できれば、見知らぬ多くの人が楽しめるものになるといい。友人経由で、某省官僚が僕の本を待っているという話もある。その官僚が笑って読んでくれるようなものにしたい。少しは人文学の減衰に対しても益することができるかもしれないし。
僕の周囲には、十万部単位の専業作家や著書が数冊ある友人たちがいる。いざ書き始めてみると、彼らの苦労が見えてくる。本を書くのは大変だ。でも、きっと、こうやって言葉を紡ぐことが、どこかの誰か何かになるんだろう。その意味で、初めにことばあり、ことばは神であり、ことばは神とともにあったという有名な一句は、象徴的だ。文字通り、ことばが人の世界を造っている。
なんとか書き上げて、本屋に並べばいいなぁと思っている。