はてなキーワード: マウンティングとは
余りにもヒマで、はてな匿名の人気エントリーを上から順に読んでいたら自分もなにがしか書き残したくなったので書く。
備忘録代わりのつもり
[かっこ悪い振られ方、二度と君に会わない]
http://anond.hatelabo.jp/20130326193638
ううーん!
なんたる!なんたる親近感。
これは恋愛に限らず、人間関係において決してやってはいけないこと、
所謂マウンティングをバリバリしていた方が元カノからの言葉ではっとして
その状態から脱したという、それを当事者目線でという、非常に素敵な記事なんだけど(ちょっと昔のだけど)、
金を出させるとか不機嫌を顕にするとかをやったわけではないけれども、
マウンティングとは根本的に心の中の問題なので、金銭の授受や肉体および精神への暴力がなくても十分に成り立つし、かつ、相手に伝わる。
例えば、自分の望む速度でリアクションが返ってこないから、自分より頭の回転が遅い人間なんだコイツは。とか
自分より収入が低いから、もしくは自分の仕事の方が社会的に認められている(勿論これは錯覚)から、自分の方が社会の中で価値がある人間なんだ、とか。
あとは顔とか。
いろんなことで人は人を見下してしまえるし、それが態度に出る。
基本的に女性は溜め込むから、「この人は私を見下している」という悲しい気持ちをためてためてためてためて爆発する。
だめなんだよなあそれ。と、今だから言えるが
ついこないだまで、29歳11ケ月までは私もウルトラマウンティングクソ野郎だったので気持ちがすごくわかる。
人を見下していると楽なんですよ。
見下している人と一緒にいるだけで、自分は何もしてないのに、何故か偉い人みたいな気分になるから。
母親父親兄弟友人ルームシェア相手…と、数えるとキリがないが、
マウンティングが前提になっている人間関係が構築されてしまうと
新しい友人や恋人に対してマウンティングする/される、しか選択肢がなくなってしまう。
具体的には、年上に囲まれて育ち「お前は出来が悪い」などと日常的に評価され
前掲の記事にもあった通り「第三者の前で笑い者にしてウケをとる」ことを繰り返されると
いざ自分が年下と仲良くなったりした時にそれをやってしまうわけだ。
芸人さんでいう「イジリ」。我々はイジったりイジられたりしてお金をもらっているわけではないのにね。
私自身も、いざ目が覚めて自戒してみるまで「不細工」とか「デブ」とか「グズ」とか
身体的特徴をはじめとしたどうにもならないことで人をけなす/けなされることが普通だった。
そんなことが健全であるはずないと気付くためになんと30年かかった。
人をけなし慣れていると、どんどんマイナスの語彙力ばかりが多くなって何に対しても否定から入ってしまう。
めっちゃ好きになれる人ができた
以上です。
詳しく書くと29歳と11ケ月で私が惚れた人間は今まで出会ったどんなマウンティングクソ人間とも違っていた。
まず年下なのにリスペクト出来るところが多すぎる。
彼女も勿論人間だからダメなところというのはまあ無いわけでなくて、今までの自分であれば
鬼の首を取ったようにその小さな欠点を挙げ連ねて攻撃してしまったと思うのだが、
端的に言うと一芸に秀でていて、その一芸さえあれば「多少自分より収入が少ない」とか「あんまり健康でない」とかマジ全く気にならないレベル。むしろ後者とか薄幸の美少女感が増しててやばい。
しかも、こちらがへりくだっているにも関わらず、マウンティングしてこない。
彼女は彼女で、こちらを尊敬してくれているのだということがきっちり伝わる。
あっ、健全な人間関係ってこういうことなんだ。と、付き合ってみてはじめてわかった。
つまり今まで自分や前掲の匿名さんがしてきたのは恋愛でなくてマウンティングごっこで、つまり同じ屋根の下で行われる堂々としたイジメ以外のなにものでもなくて、しかもイジメってやっぱりしてる方としては楽しいわけだから、悪いこととして認識出来ない。ついでに言うと自分が同じことされても、悪いこととして認識するのが難しい。
多分例の匿名の彼も私も過去の恋人のことをきちんと愛していたかというと全然そんなことなくて、とりあえず付き合ってるだけなんだろう。
そういうことをたくさんしたし、された。
で、結果的にそうでない人間関係を構築できる人と出会って、改善されたんではないかなと思うわけで、今更何だよって感じだけどさっきの匿名氏が立ち直ったのは元カノの指摘と自省の素晴らしさも勿論だけれど、今の奥様のちからも大きいんじゃないかなって思ったんだよね。
ということでした
自分が今まで好きだと思ってて付き合っていた過去の人のことを本当は全く好きでなかったのだなあと今更ながらに思い出されてちょい凹み。
もいっこ
http://anond.hatelabo.jp/20160203100640
これめっちゃいいですよね
自分メンクイなんですよね。
何やっててもカワイイんですよ。
絶対喧嘩にならない。だって心から笑いながら罵声は吐けないし、笑っている人間に罵声を吐くことが出来る人も早々いないだろうから。
この先彼女が歳を取って見ただけでニヤニヤ出来ることがなくなったとしても、
何十年とニコニコニヤニヤしながら接していたら多分ずっと優しくすることが出来そうかななんて
いざ冷静になってみると、人との関係をマウンティングありきでしか構築出来ない人、と、
そんなことない人、っていうのが会社にも取引先にも一定数ずつ居て、
勿論片方を排除することは難しいけど、出来るだけ後者と仲良くすることで
快適に人生を過ごせそうだよねっていうこと
自分自身も果たしてどこまで人を見下さない人間になれたか今の時点では微妙なんだけど
少なくとも「あっこれマウンティングしている。よくない」「されている。気を付けないと食い物にされつづける」等の俯瞰の視線は持てるようになった。
以上、覚書兼惚気終わり。
人の服装をダサいとか指摘することもハラスメント的なものとなると思うんだが
ファッションに関するマウンティングは人として当然の成熟を問うてるだけ、差別には当たるわけがない~でいいの?どうなんです?
インターンやってます、ぜひこのページ見てください! 留学決まりました!TOEICスコア900超えました!なんちゃらプログラミング言語習得しました!
という言葉を耳にする度、心臓が跳ねて胃がヒュンと飛びそうになる。
辛い。なにもやれていない自分が辛い。今からやっても到底追いつけなさそうなのが辛い。
大学生控えめに言って凄過ぎないか。良いコミュニケーションが取れて、向上心があって、愛嬌があって。彼ら彼女らはこれ以上何を望んでいるんだ。
私はその中で一部分しか持っていないのに。自分自身でも充分わかる。
こんな自己中心的な考え方だから悪循環に陥ってしまうのもわかる。
もう自分じゃない赤の他人に振り回されるのはやめようと、数日前に思い立ったばかりなのに。
必殺「でも私は○○がある」を使って騙し騙し自分に有利な結びを持って来ようとする。
そんな風に一瞬納得したようでも、自分が一番わかっている。
「自分の方が結果も過程も下であること」、「足りていないこと」に。
何が足りないのか?
それともこんなことを思ってしまう、心か。
”人は誰だって唯一の存在なのだから比べることに意味はない。”
でも何か一つの能力を見た時にこいつにはそれがあるかないか……見るでしょう?非常に日本の典型的就活面接っぽい見方だけど。
比べることがやめられないのが人間なのか。それなら周りの人達はなぜあんなに平然としているのか……。
あれ、これ私もじゃないか?
さすがに私も公の場でこんなこと言ったりしたらヤバイので言わないし。
なるほど。比べるのはみんなしていると考えてもいいのか。
私より上のその人たちはさらに上の人を見上げてこんな気持ちになったりするのだろうか。
そうだとしたらやっぱり比べることに意味はないんだろうなあ、うん。
意味ないんだったらやるだけ損だよ、前向きになるかあ、と落ち着く。
でもこれが再発するんだ、知ってる。
再発するごとに免疫ができて症状が弱くなるとかないかな。
あるといいなと思いつつ、再発してこじらせたくないので過程くらいは胸を張れるように、日々頑張ろう。
過去のことを振り返ってもしょうがないから今からやれることをやるしかないんだ。
とはいつも思う。
とりあえず生きよう。
なんてったって、東京中心の中華主義者、そういう類のスノッブにほぼ遭遇しないで済む。
日本中どこに行ったって、マスコミを通じて東京中心思想は浸透しているから、田舎にいる人はだいたい地域的な「格下感」を感じて生きている。
正直、他人を見下ろして生きている人よりも、見下されている自覚がある人のほうが、付き合ってて気分が悪くならないし、付き合いやすい。
(東京コンプレックスをこじらせすぎたような人は面倒くさいけど、そういう人はまず上京してしまうので、逆に田舎では遭遇しない)
手に入る服もファストファッションのものくらいだし、おしなべてみんな貧乏なので、身につけるものでマウントするような奴もほとんど居なくて
モノ・カネにまつわるマウンティングに巻き込まれなくて済むってのが、田舎暮らしの最大のメリットなんじゃないかなーと思ってる。
最近、身内に不幸があったり、知り合いに弔電を打ったりする機会があったんだが、
あれ、台紙に随分と差があるのね。
安いのはペラペラの紙なんだが、刺繍がついてたり、押し花がついてたり、七宝焼きがはめ込んであったり。
で、そんなことを知ってしまうと、「もらう立場」になると「ああ、案外あの人ケチってる」とか感じてしまったり、
まあ、香典なんかも金額の多少はあるわけだが、何となく相場観というのはあるから、
まあ、心の対処ができる。
でも「弔電台紙」に関しては、自分の中に「相場観」というのが無いせいか、
本来は「メッセージを送ったという事実」と「その内容」で評価されるべきものなのに、
余計な物差しが入ってくるせいだろうか?
もちろん、世の中には、「弔意を表す」という場にあって
「自分はこんな高価なものを送れるのよ」とマウンティングしたい人がいて、
そこに付け込んでアブク銭を稼ごうとするのは商売としてアリなことは理解するんだが、
それにしてもなあ。
「線香つき電報」とか「プリザードフラワーつき電報」なんてのもあるが、
逆に、こちらのほうが「台紙に高価なものをつかう」より、
心がざわつかなくて済む。
これはたぶん「弔電プラスアルファ」として受け止められるからだろうか。
いずれにしろ、「人の死に際して哀しみを伝える」時くらい、
こういう、いらん気疲れは無いようにしてほしいもんだと思う。
嫌いというか、内容が薄い割によくホッテントリにあがってきて気に障る。
サブカルが一応得意分野なのかな?
・批評めいたことするときはwikipedia、もしくは、どこかで拾ってきた他人の意見を参照して自分の意見のように言う。
・普段は自分がそこそこPVがあることをアピールしているが、自分が批判めいたこと言及されると、こんな泡沫ブロガーに…的な立場になり替わる。
・PVがいまいちなときは趣味の記事だから的な予防線を必ず張る。
・その界隈に一家言あるような記事の書き方をする割に、その界隈を知っていればありえないような名称の間違いをする。
・そのくせ難しい言葉を使いたがる。
・ネットバトルでは都合のよい発言を都合よく解釈し、決めつけで自分のブログで取り上げて叩く。そして最終的に興味ないアピール。
全体的に小心者の冴えないオタクが、突っ込まれないように、頭がよくみえるように、情報を詰め込んだ頭でっかちの無個性ブログ。
最近は互助会や若者ブロガーを馬鹿にしているみたいだけど、この人も前からやってて知り合いとかオフ会とかしてるからブックマークがついてるだけだと思う。
真田丸はほんとにいい。
まず主人公まわりがやたら現代的な価値観をゴリ押ししてこないのがいい。
天下とったわけでもない分際で反戦平和みたいなのを口に出す連中にはうんざりしてたんだ。
ポリティカリー・コレクトネスなんかいらん。そんなものはティッシュで丸めて捨ててしまえ。
メッセージ性のために精通するかしないかみたいな子供がやおら天下国家を語り出すようなのは脚本とも言えぬわ。
ティッシュ以下である。
その点真田丸はお茶の間共感ポイントが「家族」に絞られてて、自然に見ていられる。
まぁ戦国では「家族だいじ」みたいなのだって通じないご家中もあるにはあるんだけど……。
かといってシリアス一辺倒ではない、現代っぽいノリのホームコメディ感もまた良いのだ。
大河でコメディタッチはなにかと軽侮されるので扱いが難しいんだけど、
たとえば真田昌幸の老獪な食えない男っぷりを演出する描写とかと一石二鳥になっていて、
史実の読み込みから抽出してきた笑いどころを混ぜてるから妙な嫌味が出ないという気がする。
真田家の男たちがみんな演技一発でコメディとシリアスの切替えを伝えられる巧者なのも効いている。
コメディとシリアスの相乗効果が出てると言ってもいいくらいである。
たぶん真田丸も表面的なコメディ性の高さで一部には侮られる運命にあると思うんだけど、
時代劇のリアリティって究極的には言葉遣いとか時代考証とかじゃないんだよ。
話としての面白さと納得性があれば、リアリティなんか後からついてくるのだ。
現代人に通じる言葉遣い、当時の自然な言葉遣い、いかにもな時代劇語、
豪華絢爛なビジュアル、当時の自然な生活感、過去の作品のオマージュ、
あらゆるものを時宜に応じて適切に織り交ぜて、「面白い」と思わせれば勝ちなのだ。
そうなれば多少の嘘は勝手に補完して見てもらえるし、
気づかれても演出上必要だったと視聴者の内心に擁護する気持ちが芽生えるのだ。
言い換えるなら、内なる「重箱の隅つつきマウンティングマン」が死ぬのだ。
戦国や幕末なんかを題材に取ると、得てして重隅つつきマンとの激しい戦いになりがちで、
定説に配慮するあまり「後世完成した人物像」に寄せすぎた雰囲気のキャラ作りになることもあるんだけど、
家康なんていかにもまだぴちぴちの若だぬき感が残ってる感じで良い。
信長が生きてるうちからもう天下とってますが何か?みたいなオーラ全開の家康にも辟易していたのだ俺は。
明日とも知れぬ身の上の人間たちが織りなす群像劇だから面白いんじゃないのか、戦国は。
せっかく一年やるのだから、役の成長を考慮に入れた演出も見たいのだ。
もちろん重隅つつきマンにも役立つ面はあるのだけど、そのへん話しだすとキリがないのでやめる。
とにかく真田丸は良い。良いだけじゃなく新しさも出る気がする。
でもそのへんを判断できるのはまだまだ先になりそうである。楽しみだ。
てか男同士の飲み会ってそんなセックスの話するの?40も近くなって飲み会でセックスの話でしか盛り上がったりマウンティングできなかったりするのつらくない???— 青柳美帆子 (@ao8l22) 2016, 1月 10
タラレバ娘はアラサー女性向け説教コンテンツだけどアラサーアラフォー男性向けの説教コンテンツ必要だよね…という話を昨日みんなでしていた— 青柳美帆子 (@ao8l22) 2016, 1月 11
「アラサーアラフォー男性向け説教コンテンツ」なんという甘美な響きだろう。そして、なんと俺向きなコンテンツだろう。ふふふ、熊代亨『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』をもっとそっち方面にチューンした本をつくってみたいのう。— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2016, 1月 11
根性を入れてアラサーアラフォー男性向け説教コンテンツをつくろうと思えば、たぶん、つくれるはずだ!個人の自由と可能性をはき違え、ロストジェネレーションという言葉にもたれかかってきた人々の目を無理矢理開くような本は、たぶんボク得意です。— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2016, 1月 11
なんというか、凄いですね。そんなに説教がしたいの?
あ、シロクマがね。これだけ引用すると誤解を招きそうなので補足しておくと、青柳美帆子氏はこれより前のツイートで「VERYの妻だけED座談会」における「男同士の飲み会では、愛人とのセックスは自慢になるが、妻とのセックスはむしろ恥ずかしいこと。結婚10年も妻とのセックスが楽しみだなんて言ったら、おそらく変態扱いでしょう」などの発言を批判的に引用していて、あくまでその流れで「アラサーアラフォー男性向けの説教コンテンツ必要だよね…」と書いているだけです。たしかにこの「VERYの妻だけED座談会」の人達は(青柳氏の引用を見る限り)批判されるべきですし、氏がそういう意味で「説教コンテンツ必要」と仰るのはわかるんですよ。
でも、シロクマの「個人の自由と可能性をはき違え、ロストジェネレーションという言葉にもたれかかってきた人々の目を無理矢理開く」っていうのは、そういうのとは全然関係なく、ほんとに単なる、シロクマが気持ちいいだけのいわゆる「説教」ですよねそれ。そして「たぶんボク得意です」という謎の全能感にも恐怖を感じる。青二才さんのことを若々しい中二病と評していたけど、この「たぶんボク得意です」が若々しい中二病()でなくてなんなのだろう……。
だいたい、無理しなくてもあなたの普段の言動がすでに説教コンテンツなので安心していいですよ。非常に不愉快だったので何度でも蒸し返すけど、「子供ができると考え方が変わるよ」系の人に反発して「私たちはコストパフォーマンスを考え、子供を作らない選択をしているだけだ。」と言っただけの人に、「人生のコスパを語りたいなら、まず人生のベネフィットを語ってみせろ」と絡む(なぜか「子供ができると考え方が変わるよ」側の人には言わない)、こういうのをまさに「説教」といいます。なるほど、 シロクマ先生の本はロスジェネから搾取した結果出来上がったロスジェネを見世物にしたものだっていう評価は正鵠を射ていたんだなーと改めて思いましたね。(「シロクマ先生と親しいはずの人」の発言が消えているため本当にこんなことを言ってたのかはわかりませんが)
嫌な、事件だったね
狭い世界で我が物顔するヤツほんと嫌いhttps://t.co/IrnMJltQMi— TARA@Appism (@TARAM0L) 2016, 1月 10
このツイートの意図は青二才への批判ではなく、青二才が叩いているはてな老害たちへの批判。
これを誤読して自分が叩かれていると勘違いした青二才、高校生相手にマウンティング開始。
参考までに高校生のブログのPVは月15万で大学生時代の青二才の数倍であり数字だけ見れば青二才より数倍優秀。
スプラトゥーンの記事以外はニュースの後追いでみたいな記事しか書いてないブログじゃ、狭い所でさえ我が物顔できないからね…。おまけにスプラトゥーンの記事も何周目っすか?出すのが遅いし、同じような記事を書く奴が多いから安定しなそう…
若い芽を摘み取る気はないが、どっかで学んだブログ論の教科書通りの運用をする高校生を見つけて「この人は何のためにブログ書いてるんだろう?」とは思えてしょうがない気持ちになった。
個性が育つ前にテクニックとツールだけを覚えてしまうと没個性的になるのを見て「最終的には人間。最初の魅力も人間。」だと思えてしょうがない
ブログでマネタイズできてない青二才、なぜかマネタイズを目的としているわけでもない高校生相手にマネタイズのアドバイス
さっき批判気味に返信した高校生ブロガーへのツイートが本人からふぁぼられてたからもう一言付け加えとこう。マネタイズしたいならもっとジャンル絞るべき。オピニオン重視なら中途半端にニュースを追いかけるのを止めるべき。ニュースサイトにしたいならもっと細かいニュースをキュレーションすべき
ブログなんだから何を何のために書こうが自由ですよ?でも、目的意識に見合ったサイト作りをしなきゃ、ぼやけますよ。文体やお題を見ながら「この人はきっとこういうことが(ジャンルレベルではなく、人柄や理念のレベルで)やりたいのだろう」と思われるようなものを作らなきゃなんもないっすよ
最後、興味も見込みもない人間には何も言う気はないです。教科書通りとはいえ、手堅くスプラトゥーンの記事をヒットさせてた子だから「もっと解像度を上げて、自分のブログのイメージを作れたら、この子は化ける」と思ったので、アレコレツイートしました。辛辣だけど、悪口ではないのであしからず
炎上記事ばかりとはいえはてなでそこそこ力を持っていると自称できるまでにヒットさせてた個だから
「他人にマウンティングをするのをやめて、もっと好かれるイメージを作れたらこの子は化ける」と思ったのでアレコレ書きました。
物事を大づかみにする能力と、細かいことを積み上げる能力は、頭の使い所が違うなーとは確かに思う。増田の言い方を借りれば、「大事」を見られる人は前者の頭の使い方をしており、「小事」にこだわる人は後者の頭の使い方をしていると思う。それだけのことで、実は両者の頭のスペックにはそれほど大きな差が無いんじゃないかな。
脳があらかじめどちらかに特化していたのでその分野で勝負するか、あるいは、どちらかに特化して発達させることでようやく人並み以上のパフォーマンスを発揮できるようにチューニングしたかして、どちらか「だけ」はようやくお金を貰って仕事できるレベルに引き上げる、というのは戦略としてアリだとは思う。強みで勝負するという奴だ。そして、その意味で意外と見落としがちなのが、あえて「両者の調整」向けに頭を特化して、一見「どちらも」できそうに見えるようにチューニングするという戦略だ。こういう人は、他の二通りのタイプと頭のスペックは同じくらいなのに「どちらもできる」人に見えるので、信頼を得て出世しやすい。増田の上司も、実はそういうタイプなんじゃなかろうか。
だが、本当はそういう人は「どちらもさほどできない人」であったりする。もちろん、その人の性格が良かったり部下に恵まれたりすると、「小事型・大事型のよさを組み合わせ、力を発揮するチーム」を作れる可能性もあるから、こういうタイプが上司に向いているというのもあながり間違いではないかもしれない。もともと上司は仕事するのが仕事ではなく、仕事させるのが仕事だと言われてたしな(今は自分で仕事もバリバリやるリーダーが主流と言われるけど)。そういうチームは、確かに小事型のみ・大事型のみのチームよりも結果を出す可能性がある。
だが、多くの場合、そういう幸せなことは起こりにくい。それよりありがちなのが、根本的に自分に自信がないこの手の上司が自分の部下にマウンティングを仕掛けて、小事型の部下にはいかに自分の視野が広いかを偉そうに説き、大事型の部下に対してはその細かいミスをこきおろす、そして蔭で「仕事できねーくせに」と陰口をたたかれる、みたいな現象だ。そして、立派で凡俗なクソ上司・ダメチームの一丁上がり、ってわけだ。誰も幸せにならないケース。
まあ、増田も今はクソ上司のどうしようもない振りに華麗にスルー決めながら、将来自分がそうならないよういろいろ考えてみるのがいいんじゃないか。クソ上司だって、最初からクソ上司になりたかったワケじゃなく、ただスペックが不足なのに変に攻略本見たようなマニアックなステ振りして失敗してるだけのことなのかもしれないんだから。