はてなキーワード: スバとは
カスタマーサポートで男の名前と顔の場合と女の名前と顔の場合でクレームや理不尽な対応に有意な差があったり
男っぽいペンネーム等でクソリプを減らす効果があるエピソード等多数あり、女ってだけで舐められるケースが多いのはだいぶ周知されてるだろう。
SNSでも男女差で効果があるのは前述したとおりだが、アニメアイコンにも適用されるのではないだろうか。
中の人間の性別に関わらず、女って見た目で判断するだけでバカにしてくる人間が多数いるのだ。
テキストだけでやり取りするSNSにおいて、見た目はHNはカスタマーサポートの例のように性別の決めつけを行いやすい重要な要素だ。
つまり、一般人に比べてやたらとオタクがターゲットにされる原因は女のような見た目をしてるから。
ちょっと考えればアニメオタクは男だって分かる?第一印象でバカにしやすいヤツかどうかが重要なんだよ。クソリプに考察なんて要らねーから。
不祥事対応をする専門部署のリスクマネジメント室がアクセスした人物を徹底調査し、犯人を絞り込んでいくとあっさり認めたようです。女性だったと聞いていますが、暇空氏のファンだったのでしょうか
「暇空茜」にNHKの取材メモを流出させた犯人は子会社の30代派遣「テロップ係」だった 「年間100人くらい辞める、終わっている会社なので」
暇アノンに情報流出させた派遣社員のこと、皆も弱者男性みたいな奴だと想定してたよね?ワイも思ってたけど。
そういう無意識の思い込みってフェミニズムでは問題視されてるから、君たちが反省しないといけない点が残ったんだよ。
犯人は男性だろう、女性は結婚ですぐ退職するだろう。こういうちょっとした思い込みが差別の原因になったりする。
ありがとう。恥ずかしながら「根本的な帰属の誤り」について、あなたが教えてくれて初めて知った。
中卒だけど自分なりにざっくりと調べてみた。あくまでざっくりとなので理解が浅いのはご容赦願いたい。
認知バイアスの一種ということなので、これは心理学分野の話だと理解した。
それと話が一気に飛んでしまって申し訳ないのだけれど、健康の社会的決定要因(SDH:Social Determinants of Health)にも近い話題のような印象を覚える。
問題は個人にあるのか(自己責任論)、そうせざるを得ない社会的な要因が背景にあると捉えるのかという話。
また、最近はあまり使われなくなった用語ではあるが、防衛規制にも近い話かもしれない。
己の精神を守るために、根本的な帰属の誤りといった認知バイアスが強く働きがちであると。
これを避ける手段としては、誰しもが認知バイアスの影響を受けることを自覚すること、自覚することによりメタ認知でバイアスをコントロールすることが重要なのかなと。
学歴で大雑把にくくって統計をとった場合、最終学歴によって認知バイアスの自覚度合いやバイアスを自覚しコントロールする力に実際に差が出てくるのかもしれない。
しかし何事にも例外はあって……もしそういった統計学的な傾向はあっても、ケースバイケースだろうという気はしている。
基本的には日本一のCGI、VFXスタジオ白組のトップスタッフとして腕を振るっているので
問題作として名高いユア・ストーリーもスタンドバイミードラえもんもCGI自体はいいほうだし
スペースバトルシップキムタクだって別に映像が安っぽくて見てらんねーって程じゃない。
一般的な人間の思考だと説明がつかない、なんでそんなことするん(´・ω・`)
みたいな行動を人々が取りすぎて、頭が痛くなってくる。
ゴジラが出てるシーンはおおむね邦画のクオリティを越えてハリウッドトップスタジオ級だと思う。
それを見るためだけに映画館に行くべきだと俺は思うし、
もし今、ゴジラ-1.1を映画館で見るか悩んでる増田がいるんだったら、絶対に映画館で見るべき作品だと思う。
ただ、ドラマパートや「この映画がつくられた意味」とかを気にするタイプの人には
相当不満が溜まる作品でもあると思う。
平均して65点くらいはつけられる映画。
VFX使いで言えば間違いなく日本で1,2を争う名監督だと思うのに、
性犯罪被害の告発に対しては、セカンドレイプという主張が濫用されすぎだと思う。こんなん「時と場合による」としか言いようがないよね。
この場では、とにかく「被害者」の言うことが真実であるという前提で接するべき。仮に「被害者」の言うことが疑わしいのだとしても、ダイレクトに伝えるのではなく、治療者として適切な言葉遣いで伝えたりそれとなく適切な治療に繋げたりすることが求められるだろう。カウンセラーは知らんが、医師は国家資格があるわけで、そういう配慮も当然要求されるだろう。「嘘なんじゃないですか?」とか直截に言うような心療内科医やカウンセラーは看板を下ろすべきだ。
刑事裁判は、圧倒的強者である国家権力が、無力な弱者である市民(被告人)に対して、罰を科すかどうか決める場である。当然、被告人は、全力で自らの身を守る権利がある。被告人は身を守るために、「その日はアリバイがありました」とか「そんなことをする動機がありません」とか「踏み間違いではなく車の欠陥ではないでしょうか」とか「ドラえもんに助けてもらおうと思いました」とか「被害者の証言はここがおかしいと思います」とか、ありとあらゆる反論を国家権力に対して行うことが許されるべきだ。
実際、今回の事件や会津若松虚偽告訴事件のように虚偽の被害を訴えた事件だけではなく、「本当にレイプ事件はあったのだが、被害者が被告人を犯人と勘違いした」事件もある(氷見事件)。「本当の被害者なのだから、その証言を疑ってはいけない」などという原則を採用することは、刑事裁判の原則から考えてありえない。たとえどれだけ悲惨な被害に遭い苦しんだ被害者の証言であったとしても、疑われてしかるべきなのだ。なぜなら、被害が本当にあったのだとしても、被告人は犯人ではないのかもしれないのだから。
たとえば、仲の良い善良な女友達が泣きながら被害に遭ったという話をしてるときに、何の根拠もなく「それほんと? 嘘なんじゃないの~?」と言うのは割と人の心がない所業だと思うし、周囲のやつらからドン引きされ絶交されたりしても、まあ仕方ないだろう。
逆に、隣近所では評判のウソツキ女が被害に遭ったという話を吹聴していたら、何の根拠もなく「それほんと? 嘘なんじゃないの~?」と言っても、まあ、仕方ないだろう。日頃の行い、オオカミ少年、ってやつで、こういう場合に被害を疑うのは社会で生きていく上でなんら問題ない。
もちろん、善良な女友達が実は痴漢冤罪カツアゲ犯であり、評判のウソツキ女が実は本当にレイプ被害に遭っていたということもあり得るわけだし、実際の社会にはこのあいだに広大なグレーゾーンが広がっていて、「新聞で短く報道されたヨソの県のヨソの市での性犯罪」なんて、実際のところはどうだか全くわからないだろう。というか性犯罪だけじゃなくて、殺人だって詐欺だって何だってそうであって、つまり本当に大事なのは「それ、わざわざ話題に出す意味ある? あなたがコメントする意味ある?」ということだろう。友達や近所の人なら意味も必然性もあるかもしれない。友達が泣き崩れてる横で「僕はノーコメントで」とか言うのは(よほどの事情がない限りは)人でなしのすることだ。しかし、「新聞で短く報道されたヨソの県のヨソの市での性犯罪」にあなたがコメントする意味はあるのか?
さらに言えば、そのコメントを公開の場でする必然性もあるのか? もし「草津町ってひどいところだよね~」とか「絶対草津には行きたくないわ~」みたいなことを家族や友人のあいだでだけ喋っているなら、たとえばSNSの発言をめぐって訴訟リスクを抱えるようなことには基本的にはならない。草津町長は名誉毀損で何人もの人たちを訴える意向だと聞いているが、彼ら彼女らが身内の飲み会でそういうことを言っているだけだったら、町長は何の手出しもできなかっただろうし、フェミニスト学者の人たちが謝罪を求められることにもならなかったはずだ(cf. anond:20221117054344; anond:20221118212515; https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/okisayaka/status/1592551751072509953)。
もちろん、自由社会には「表現の自由」という大原則があり、意味も必然性もなくとも表現は自由であって、それを否定するとあいちトリエンナーレやクジラックスが弾圧される世界になってしまうから、SNSなどのオープンな場で自分にとって縁の薄い場所で起きた犯罪についての論評を行うのは自由であるべきだ。だが、天皇アートやロリ漫画と違って、実在の犯罪への言及には「冤罪に加担してしまう」というリスクが常につきまとう。「七色のおっちゃん」である(単なるざまぁ物かと思って読み始めたら期待値よりは面白かった)。義憤を燃やすのはいいが、それは後に訴えられるリスクを負ってまで燃やすべき義憤なのか? はよくよく考えた方がいいだろう。別に黙れとは言ってない。たとえば加藤智大のように現行犯で取り押さえられた人物については、冤罪の危険はそこまで大きくないので、言及しても比較的安全かもしれない。しかしもちろん、四日市ジャスコ誤認逮捕死亡事件のように、現行犯であっても冤罪があり得、取り返しのつかない結果が起きていることも忘れるべきではないだろう。そういうリスクを織り込み済みで、公的な場で義憤を表明したい、というならそれはもちろん表現の自由なので、どんどんX(旧ツイッター)で呟かれたりはてなブックマークでブクマコメントを残されたり、たまに裁判を起こされたりすればよいのではないかと思う。
英語のclaimは主張するって意味の通り、単に店員に対して主張してるにすぎないんだよね
クレーマーと店員だったら、問答無用でクレーマー側が悪いという風潮あるけどさ、店員側が悪いケースを想定してないよね?その主張に無理があるか否かはケースバイケースで見るべき
よく自分は客で神様だと思ってるみたいに決めつけられるんだけど、全然そんなことはない。フラットな立場でモノ申してるだけだから。なので店員からの反論も普通に想定してるし、「反論するとは何事だ!態度が悪い!」とはならないけどね
俺がブチ切れるポイントが一つあって、店員に恥をかかされた時ね。別にそうじゃないときもクレームつけてるんだけどそこは今回は置いとくわw
例で言うと、俺がたまに行く、手持ちの中で4番手くらいのラーメン屋があったわけよ。そこはいつも店員がお冷持ってきてくれるわけ。で、こないだ行ったら、お冷持ってこないから聞いたら、「セルフサービスって書いてますよね」だってよ
そこでは切れずに、(ひろゆきが言うようにラーメンにつばとか入れられたらいやだから)会計の時にブチ切れたよね
「お前ら今までお冷持ってきてたよな?なんで持ってこないん?」
「いや書いてありますよね」
「いやいや今までお前らが持ってきてたやん。おかしいやろ。じゃあ逆に教育なってないやん。なんで今までの店員俺にお冷持ってきてたん?」
そしたらなんか忙しいだの店は店長の私一人で回してるだの(←薄々気付いてたけど、今まで俺にお冷持ってきてたやつこいつなんよどう考えても)うだうだ言うから金投げつけて二度と来るかって言ってドアばたんって閉めて帰ったんよ
どう考えても忙しいとかは店側の都合であって俺には関係ない、店側が100悪いってわかるよね?
で、なんでたかがこんなことでプッツン切れたのかってことが本題なんですけど
結局他に客がおったわけですよ。そいつらの前で「セルフサービスって書いてますよね」みたいに、こっちが悪いみたいな言い方されたら、その他の客からしたら理不尽なクレーマーやなって思われるわけでしょ?
だから、その客がいる前で店長論破したんですよ。俺は「理不尽な」クレーマーじゃないですよ、正当なクレーマーですよってね。
つまり一人で勝手に無知ゆえに恥をかいたんじゃなく、店員に恥をかかされたんですよってアピールしたいんですね。こっちは被害者ですよと
店員より上に立っていい気分になりたいとか、ストレス発散とか、そんなんじゃないんよ
こないだすき家で何度ピンポン押してもシカトかましてたババアに店内に響くぐらいの怒声浴びせたときもそう。こっちは店側が押せって言ってるピンポン連打してんのやから(最初っから連打したわけじゃなくて押してもなーんの反応も一向にせんから10押して変わらんのやったらキレよって決めてたよね)
反応ぐらいしろやって話で。シカトかまされとる俺恥かかされとるやん。っていう話
だから、クレーマーにあったときは、単にクレーマーに当たった不運だったで済ませるんじゃなくて、自分が何かこの人に恥をかかせたんじゃないかということを、全国のあらゆる店員は念頭に置くようにw
ルックスじゃない?
マゾ男は美女に蹴られたいとは思ってるけどデブスババアに蹴られたいとは思ってない。
女性は暴力性高い男性が好きなのではなく、マゾの女性は暴力性高い男性が好き。
そしてマゾの男性がデブスババアとSMプレイしたいとは思っていないように、
ただそれだけの話。
「二者間の合意の責任が一方だけに偏るわけない」んなら女にも責任があるな
ここで大本の増田に戻ると、何の関係もない大衆からするとDV受けてる女の責任は(男と女どっちがどのぐらいの割合なのかはケースバイケースだろうが)絶対にゼロにはならないってのはお前も認めるところだろう
で、我々大衆はこの件について責任が完全にゼロなんだから、クリーンな状態で客観的に当事者各々の責任を咎めるわけだ。「なんで女の子はDV男と付き合って被害者面すんの?」ってね
そらリアルでそんなこと言わないし当然DVした方を責めるけど、どう少なく見積もっても女側にも匿名掲示板でちくりとやられるくらいの落ち度はあるよね?
ひとと会話してて、自分が「始終(しじゅう)」という語を使ったら「ちょっと待って、しじゅう?」と相手がひっかかった。
「しじゅう…? あっもしかして四六時中って言いたいわけ?」
と、スムーズに会話は流れていった。
こういう時に自分は一切逆らわない。話が通じることが重要だからだ。
相手が完全に間違えた表現使ってても指摘せずに自分も「採用」したりすらする。フィンガーボウルの水を間をおかず飲み干す。
でも「シジュウなんて言葉はないのだが自分が四六時中をちょっと覚え違いしてた」みたいな空気で流したことは小さなトゲが刺さったみたいにずっと居心地悪い。実は。
■追記
始終が適当かどうかみたいな自説開陳を始めるブクマカ群。リアルでそういうモードに入られたら困る(あくまでシジュウなんてナイっ! と詰められてもそれ以上譲れないし、勝ってしまったら恨まれる)から、いやいやながら予め安全側に振ってるよという話なのだが。
「この場合、私は間違ってないですよね」とお伺い立ててる訳でもない。至適かどうかはともかく(それはケースバイケースだ)不適当でないのは最初から私にはわかっている。
「あんな嫌な目には遭いたくない。私はどうすればよかったのでしょう…?」という相談でもない。こういうのは回避できない社会生活のコストである。
それを前提に「バカの気づかないところでこっちは色々気を使ってやってるんだからな馬鹿野郎このやろう」という愚痴である。無論私の気づかないところで以下略。
ちなみに件の会話の相手は警官であった。おともだちとのくだけた雑談を勝手にイメージしてか「始終なんて堅すぎて口語として不自然だ」みたいなことを鬼の首取ったようにいう向きもあったが、そもそもちょっと不自然な条件下のやりとりなのだ。どういう状況だったのかあらゆる判断材料を示そうとしていたら文章は無限に長くなる。「いろんな状況があり得るよな」「説明されてない事情もあるんだろうな」という、カメラアングル外への想像力を持って欲しいものだが。
結語の「居心地悪い」は本文中にも触れたような雰囲気重視の「敢えて採用する誤用」なのだが誰ひとり引っかからないのは少しだけ意外だった。