はてなキーワード: サマソニとは
その一週間前に同じく幕張メッセでやってたダウンロード・フェスティバル・ジャパンに行ったんだが出てるバンド一組以外全員外タレだから伝わってなかったのか知らんけど、禁止されてるにも関わらず普通にコール・アンド・レスポンスとかモッシュとか煽りまくってて笑ってしまった
上半身裸でプレイしたMåneskin とそれを真似たKing Gnu は、サマーソニックを貶めた。彼らのやったことは単に身体を露出したポルノでしかない。
Måneskinは、日本人のようなイエローモンキーには、音楽なんか聴けるほど文化的素養はないと判断したのだろう。
King Gnu はボクたち海外に目を向けた意識高い系でーす、とアピールしたかったのだろう。
結果的に日本の観客に提示されたのは、下劣な海外ポルノと日本人による猿真似ポルノの2つだけ。
どちらのバンドにもノーを突きつける。ふざけるな。
サマソニでホルモンとキングヌーが差別的なMCをしたとかで叩かれてるようだ
俺はこいつらのファンじゃないから彼らがどうなろうと関心はないのだが
この話に乗じてロックは、音楽文化は自由で多様性を認めてないといけないだろ!と怒ってる頭の悪い連中がいるらしい
これまたいつもの思考停止ポリコレ信者連中であるが、ちゃんと音楽文化を勉強すれば反差別思想を学びとるはずだ!とか言ってる奴もいるらしい
頭が悪すぎてクラクラする
歴史的にみれば、文化芸術の類には我が国、我が民族は他の劣等民族に比べてどれだけ優れているかを誇示するような作品も多く
むしろ文化発展度合いを見せつけて他国や他民族を威圧するために作られていた
文化共生、みんな平等なんて価値観は20世紀に入ってからポリコレになっただけだ
なんでそんなものを盲信して俺は正しく音楽文化を理解しているぞとイキっているのか
こういう奴らって時代時代の流行を盲目的に信じ込んでるだけだから、第二次世界大戦以前に生まれていたらバリバリの差別主義者だったんだろうな
サマソニ云々でも見かけたので。今も相変わらず外国人にとってイエローモンキーは日本人の蔑称なんだなぁと思う。
ただ、「イエローモンキー」という言葉は、個人的にはさけずまれてるように感じなくて。孫悟空のせいなのかイエモンのせいなのかわからんけど。
不快に感じなければ差別ではないってことじゃないけど、差別って「言葉だけ」ではなく、発されるニュアンスとか、状況があってのものだなと感じた。
結局お前らking gnu とマキシマムザホルモン叩きたいだけだろ
ロッキン中止の件はロキノン側が被害者に見える構図になっているが茨城県医師会もロッキンに相当ヘイトが溜まってていたんじゃないかなという想像をしている。
会場のひたちなか周辺は田舎であり医療機関もそこまで余裕がない。そんなところで毎年大量の熱中症患者を出すフェスをやっていた。
ロッキン側も死者を出すわけにいかないから対策を取ってはいただろうが受け入れる医療機関にとっては充分と言えない対応でロッキンの時期は手が足りないということが起こっていたのではないだろうか。年々規模は大きくなり数年前から2週開催に拡充され対策は医師会側からは不十分なまま。そんな事からかなりロッキンへのヘイトが溜まっていた。
コロナで医療機関はどこも逼迫していて現在もそうである。そんな状態で今年はロッキンを開催するという。だからキレた。コロナ対策も勿論だが本丸は熱中症による搬送による医療崩壊への危惧ではないか?ロッキンが医師会への根回し、説得、取り決めを疎かにしていたのではないか?
という想像。
夏フェスなんてどこもそうなんじゃないか?と思うが人も多いだろうが他のフェスはロッキンに比べるとだいぶ規模が小さい。
ロッキンが異常なのだ。客も最前で見るため暑い中我慢してステージに張り付くも者も多い。
フジは暑さより雨に悩まされることが多く会場は新潟の苗場スキー場と高原なので暑さは比較的マシであり客層もあまりガツガツせずのんびり楽しむ雰囲気である。サマソニは殆どのステージが幕張メッセの中。屋内なのだ(大阪会場?知らんな…)ひたちなかの過酷さは群を抜いている。
そんな事情があり医師会はロッキンを中止させたかった。なんなら中止と言わずこれを機に終わらせたかったのかもしれない。
まぁ、それなら最初から熱中症によるコロナ対応中の医療機関の圧迫への危惧を前面に出せばよかったんじゃないかと言われるとその通り。それならもっと医師会への理解もあっただろう。
だからこれは俺の推測の話し。
ただの与太話。
ロッキン…嫌いなんだよね
ロッキン中止の件はロキノン側が被害者に見える構図になっているが茨城県医師会もロッキンに相当ヘイトが溜まってていたんじゃないかなという想像をしている。
会場のひたちなか周辺は田舎であり医療機関もそこまで余裕がない。そんなところで毎年大量の熱中症患者を出すフェスをやっていた。
ロッキン側も死者を出すわけにいかないから対策を取ってはいただろうが受け入れる医療機関にとっては充分と言えない対応でロッキンの時期は手が足りないということが起こっていたのではないだろうか。年々規模は大きくなり数年前から2週開催に拡充され対策は医師会側からは不十分なまま。そんな事からかなりロッキンへのヘイトが溜まっていた。
コロナで医療機関はどこも逼迫していて現在もそうである。そんな状態で今年はロッキンを開催するという。だからキレた。コロナ対策も勿論だが本丸は熱中症による搬送による医療崩壊への危惧ではないか?ロッキンが医師会への根回し、説得、取り決めを疎かにしていたのではないか?
という想像。
夏フェスなんてどこもそうなんじゃないか?と思うが人も多いだろうが他のフェスはロッキンに比べるとだいぶ規模が小さい。
ロッキンが異常なのだ。客も最前で見るため暑い中我慢してステージに張り付くも者も多い。
フジは暑さより雨に悩まされることが多く会場は新潟の苗場スキー場と高原なので暑さは比較的マシであり客層もあまりガツガツせずのんびり楽しむ雰囲気である。サマソニは殆どのステージが幕張メッセの中。屋内なのだ(大阪会場?知らんな…)ひたちなかの過酷さは群を抜いている。
そんな事情があり医師会はロッキンを中止させたかった。なんなら中止と言わずこれを機に終わらせたかったのかもしれない。
まぁ、それなら最初から熱中症によるコロナ対応中の医療機関の圧迫への危惧を前面に出せばよかったんじゃないかと言われるとその通り。それならもっと医師会への理解もあっただろう。
だからこれは俺の推測の話し。
ただの与太話。
ロッキン…嫌いなんだよね
『キングオブコント』(TBS系)や『M-1グランプリ』(ABCテレビ・テレビ朝日系)での活躍もあって、ニューヨークは年末年始大忙し。その合間を縫って『ユニオンレコード渋谷』にやって来た嶋佐は、疲れているはずなのに、笑顔を絶やさなかった。そこに多種多様なレコードがあったからだ。店内にあるレコード一枚一枚をキラキラした目で見つめ「このアルバム懐かしい」「このバンドはサマソニで……」など、音楽トークも弾んでいたのが印象的だった。
テーマは『渋谷で聴きたくなる曲』。主戦場の劇場・ヨシモト∞ホールがある場所であり、PARCOがある流行最先端の街だ。果たして彼はどんな曲を選んだのだろうか? いつものごとく、“嶋佐流レビュー付き”でご覧いただきたい。
久々に増田見返してたら出てきた
https://anond.hatelabo.jp/20160122172818
何人かブクマしてくれてたんだーありがとね
→草なぎ氏が現在、京都劇場(キャパ1000)に出てるらしい。小さくはないか
→ 2月に東京・武蔵野森スポーツプラザメインアリーナに8000人集めたらしい。ファンクラブ会員だけなのに…!
→まだ出てない。出たらきっと大騒ぎ。
→正解
YouTubeで番組やりなよ。ヒカキンの10倍視聴者つくよ。
→一部正解。主戦場はアベマ。ヒカキンの10倍はダウト。ヒカキンすごい。
CMはなくなったりするかもだけどねー
我ながら読み正しかったZE☆
スーパーで夕飯の買い物をしている最中、LINEの通知が届いた。
「BABYMETAL新体制のお知らせ」という件名を見て、とたんに胸騒ぎがした。嫌な予感だったから、ボタンを押すのを何度かためらった。
結局、後回しにしても結末は一緒だと思ったので、買い物かごの野菜を袋に入れるついでに、LINEを開いた。
YUIMETALが脱退したニュースを私はそうやって知った。
そのまま家に帰り、風呂に入り、泣いて夕食を食べて、今少し落ち着きを取り戻してこれを書いている。
私がBABYMETALにハマったきっかけは、サマソニ2014の出演者紹介ビデオのギミチョコのMVで
それがYUIMETALだった。
それからはよくあるメイトの話といっしょで、昼夜YoutubeでLIVEビデオをあさり、一週間後にはアルバムを買って
イベントホールの最上階で見る米粒のような彼女たちのパフォーマンスに心打たれた。以来4年間、ずっとファンである。
私はラウド系の音楽が大好きで、独身のころはよくモッシュピットでその場の有象無象がもみくちゃになる激しいライブが大好きだったが、
BABYMETALのライブで初めて、地蔵になるファンの心境を理解したし、実際自分がそうなった。
ノリのいい爆音の中で、体を動かすことより彼女たちのダンスから目が離せなかった。
本当は彼女の活動中にこういう記事を書くべきだったが、私は心底YUIMETALのダンスに惚れた。
私はダンスの素人で批評できるほど色々を知っているわけではないが、
激しく頭をふったかと思いきや、音ハメをするステップが乱れることもなく、
時ににこやかに時にクールに表情を作る彼女はプロフェッショナルだと思った。
マニアックな話だが、彼女のダンスの中で私が一番好きなところは
ヘドバンギャーという曲の最後の最後、操り人形がこと切れるように、腕を持ち上げてぶらぶらと揺らす振付の部分だ。
彼女たちのことを良く知らない人に説明すると、BABYMETALのライブは毎回ほとんど同じ曲で展開するが、
パフォーマンス中は曲転換の演出を除いてトークなしのノンストップのライブである。
およそ一時間半ほどのライブ中、インターバル3分程度の状態で、十数曲やるのが彼女たちのライブスタイルである。
スポットライトや火柱などの演出の中、たまにバラードやバンドのソロを挟むとはいえ、ずっと踊りっぱなし、歌いっぱなしになる。
ヘドバンギャーは大抵ライブのラスト前など、最後のほうに持ってくる曲だ。
BABYMETALの振付はPerfumeのMIKIKO先生がほぼ振り付けている。
ヘドバンギャーのダンスは、ジャンプや土下座などのダイナミックな振付から
先のMIKIKO先生らしい上半身の、特に腕の先までビタッと止める動きまで多様だ。
曲の中で腕をまっすぐ伸ばしながらも、肘から下をぶらぶらさせて
YUIMETALはこの四年間ほとんど、あらゆるライブにおいて
持ち上げる腕を水平に保つ、姿勢を保持する長さが変わらない。
その間の腕は吊り下げられたかのように持ち上げられ、キープされている。
真夏の酷暑の中のフェスのステージだろうが、パイロの炎をガンガン焚いて観客まで熱風の餌食になった幕張だろうが、
90分ノンストップで繰り広げるどのライブのステージでも、タイミングは変わらなかった。
疲れていれば、腕を早く下してしまうほうが楽だろうに、彼女はそういうことをしなかった。
そういうダンスへのプライドが垣間見れるようで、私はそのパフォーマンスを楽しみにするようになった。
私といえば毎回のライブの総括としてそれを見逃さないように躍起になった。
祈るような気持ちでヘドバンの腕の角度を見ては、その夜のライブもいいライブだったと満足するのが常だった。
YUIMETALのダンスは、上半身が激しい動きをする中一切下半身をぶらさない体幹の強さと動きのキレ、
バランスを保ちつつも、着地の位置まで決まっているかのように無駄のないステップなど
あらゆる点が華麗だった。
何度も上演する曲を、私が想像できないほど修練したのだろうと思う。
あまりにも洗練されているので、見ていて重力を感じることがないほどだった。
そういう彼女のパフォーマンスを、私はいつも楽しみにしていた。
YUIMETALのBABYMETALからの脱退はショックだ。
しかし、彼女は恐らくとても自分を強く持つ女性だということは、パフォーマンスの端々で感じていた。
その人が、あんなに大成功したグループを抜けるという意思を持ったら
これはもう何があっても覆らないのだろうと思う。
彼女がどんな夢を叶えたくて、あるいはどんな事情があって脱退するのか、私にはわからない。
でもあらゆる状況でも素晴らしいパフォーマンスをやり遂げた人が意思を持ったら
それは貫かれるものだと思う。
だから彼女の脱退を承認した、このバンドに関わる全ての人に、彼女の意思を尊重してくれてありがとうと言いたい。
SU-METAL、MOAMETAL、そしてマネージメント・スタッフにはこの状況下で、ひっそりと新体制のリリース準備を進めたことは
頭が下がる思いだ。
私は来週、幕張のイベントホールでBABYMETALのライブを観に行く。
奇しくも初めてBABYMETALのライブを観たのと同じ会場だ。
大好きなYUIMETALはいない。そのダンスは二度と見れない。
新しい体制となったBABYMETALを、私は目撃しに行くのみだ。
BABYMETALは、パフォーマンス以外の意思表示の機会は少ない。
ファンとして感じていたYUIMETALの信念を、意思の強さに、私は心底惚れていた。
一回り以上も年の違う女性に対して、同じ女性として尊敬をしている。
水野由結の名義で発表されたメッセージどおり、己で決めた自分の夢に向かって、これから突き進んでいてほしいと思う。
星野源が嫌いだ
アイツはコッチの顔をしてた。
だけど、俺みたいな社会のおこぼれで不本意にいじられて生きてるような奴と違って、根明野郎だった。
バンドマンみたいな顔して、三枚目でございってツラをしていやがった。
仲間だと思ってたら中身はアイドルたった。
なんでも出来てんじゃねーよ
ソロデビューあたりから怪しかったんだ。フジロックのインスト枠にハマっちゃうあたりからちげーと思ってたんだ。
何、ラジオのパーソナリティしてんだよ。何、人気番組になってんだよ。
何、本出してんでだよ。何冊も出しやがって
何、ウッチャンに認められてんだよ。
俺はソロデビューの時にサマソニに出て稲川淳二待ちの半分寝てる奴らばっかのガーデンステージを忘れてねーぞ
お前は最初、サマソニに出るくせに売れたらフジに行っちゃうだろ。アーティストさんですか。
実はそんなにギャグとかないのも知ってんぞ
なんでも挑戦してみようと思ったじゃねーよ。成功すんなバーカ
30代サブカルクソ野郎がなりたかったもの全部になってんじゃねーよ。これで舞台に定住したらぶっとばすぞ
そんとき嫁(いるんだよ!俺にだって)が言った一言教えてやろうか?
あー認められないんだって
変に世の中拗ねて、頭ん中こんがらがって、無駄な事色々考えてる人間がなりたいものになっても身近な人に1%も伝わんねーんだって
でも、苦しいな
あとで追加された屋根なんだけど
ドーム球場のこけら落としでお馴染みのジアルフィー兄さんたちが
まあ、いまはお察しの通り、
無理してでも行くべきよね。
無理矢理でも行けばよかったわと後悔先に立たず後の祭りよね。
みんなも後悔しない夏を、
なんてね。
もう9月だけど。
ヘビーローテーションでかかるから、
セプレンバーな気分を一気にかき立ててくれるわよね。
ラブの所に線を引いて返すわ。
セプテンバーと言えば
それも楽しみね!
焼き秋刀魚を思い出すわ。
しみじみ呑みたいわね。
だけど残念なことに
フルーツはあるというのにね。
うふふ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
■妹にまつわることを思い付くまま箇条書きしてみる。
■妹は15才年下。
■妹ができたことはうれしかったけど、40代で子供をつくった両親の「頑張り」が、当時は何とも気恥ずかしかった。
■私は大学進学と同時に一人暮らしを始めたので、妹と一緒に暮らしてたのは4年足らず。
■私が実家を出た時、妹はまだ3才。
■妹の赤ちゃん時代の可愛さは異常。なんだあれは。毎日、学校から帰ってくると、とてつもなく可愛い存在が家で待ってた。あの日々!奇跡!
■おかげで私は反抗期というものを経てない。妹をかわいがっているうちにその時期をみすみす逃してしまった。くやしい。父親に悪態をついたりしてみたかった。
■上京してからは、妹と会うのはお盆と年末年始だけになった。会う度に彼女の成長ぶりに驚かされた。
■「あの子、あんたのせいで大変よ。変なものにかぶれちゃって。大丈夫かしら、今からあんなにマニアックになって....」
■実家では妹が私の部屋を受け継いでた。部屋には私の本やCDやDVDが大量にあった。妹はそれらにひたすら耽溺していたようだ。
■実際は少しもマニアックではないんだけど、母にはそう見えたんだろう。まあ、なんと言っても私と妹は年齢差が15もあるのだ。母の心配もわからなくはない。
■中1になると、すでに妹はかなり仕上がってた。好きなバンドはジザメリ、グレイプバイン。好きな作家は倉橋由美子、多和田葉子。好きな映画監督はクロード・シャブロル、ウディ・アレン。
■大丈夫か、妹よ。クラスのみんなと話は合うのか? 友達はいるのか?
■当時、実家に帰ると、妹はとりつかれたように本や映画や音楽の話をしてきた。もはや私より詳しくなってた。子供の吸収力、おそるべし。
■中3に進級してすぐ、妹に危機が訪れた。不登校になってしまったのだ。またしても電話で母から伝えられた。理由は母にもわからなかった。
■結局、妹は1学期、最初の数日しか登校しなかった。そのまま夏休みに突入。
■ついでにいうと、当時は私もピンチだった。ろくに先のことも考えず、勢いで会社を辞めてしまったのだ。
■私は30才になろうとしてた。ちょうど妹の倍だ。倍なのに、やってることはそう変わらない。反省。
■無職&不登校。最低な姉妹の誕生。とりあえず何か記念が欲しいと思った。
■不登校真っ盛りの妹をサマソニに誘ってみた。出演者のラインナップがかなり私好みだった。そして私好みということは、妹にとってもストライクなはず。
■案の定、妹は私の誘いに飛びつき、前日に上京。私のアパートに宿泊。
■夜、私は妹と布団を並べて寝た。ついこないだまで赤ちゃんだったのに、もうあまり背丈が変わらない!
■お互いに心細い身の上だった。姉は無職で、半年先の家賃も危うい。妹は中3という大事な時期に不登校。泣ける....。
■にもかかわらず、2人でサマソニ!そのボンクラ加減がなんか笑えた。 何とかなるんじゃね?という謎の開き直り。
■妹はフェスどころかライブ自体が初めてだった。しかも、いちばん好きなジザメリが出るのだ!
■当日、お昼前に会場入り。妹は、はしゃぐのを通り越して、なんだかずっと茫然としてた。「大丈夫、疲れた?」と聞くと、「全然平気、なんか楽しすぎて....」と夢遊病者のようにつぶやく妹。最高!連れてきた甲斐ありまくり!
■妹はジザメリが出てきた瞬間に泣き出し、ライブ中もずっと泣いて、帰りは放心状態だった。「人生でいちばん楽しかった」というので「大げさ!」とつっこんだ。
■とりあえず、15才の妹に何か特別な経験が刻まれたのを、姉はしっかりと見届けた!
■妹はそれから2日間、私の家に滞在した。一緒にとしまえんプールに行ったりした。
■妹は大いに楽しんで帰郷。そういえば、不登校の話とか、姉としてのアドバイスとか、一切しなかった。そもそも学校の話をしなかった。でも楽しんでたし、まあいいかとむりやり納得。
■2学期、妹が学校に通い出した!母が電話で泣きながら喜んでた。
■私もどうにか転職に成功。そこで今の夫と出会う。ちなみに妹は私の夫をふざけてカスガさんと呼ぶ。オードリーの春日に似てるからとのこと。夫は本気で嫌がってる。
■娘かわいい!
■でも、今度は自分が母親。可愛いだけじゃ済まなかった。めちゃくちゃ大変な日々だった。
■妹が赤ちゃんだった時、もっと色々と家の事を手伝うべきだったと本気で反省。
■娘が4才になる頃まで、妹がまめにうちに来て育児の手伝いをしてくれてた。本当に助かった。感謝してもしきれない。
■そんな妹が、来月、結婚するんです!