はてなキーワード: ときとは
風俗以外での単純な性欲解消法は、筋トレして痩せ清潔感を手に入れ、それで女性とセックスすることである。
この2つの価値基準に沿ったモノ(いわばマテリアル)は短期間では獲得できない。
ルッキズムとエイジズムは、全体から見ればそう多くはないが、絶対的な数で見れば多くの男たちが何年も何十年もしのぎを削っている分野だ。
彼らはいわば専門家だ。専門家に素人が簡単には勝てない。当たり前の話だ。
そして、一見すると彼らはなんというか、すごく「バカ」そうに見える。幼稚なように見える。
そうではなく、非言語コミュニケーションをとくに観察すべきである。
これは「ノンバ」と呼ばれており、ナンパ用語の中でも最も重要な考え方だ。これが欠けていると、徹底的にモテない。
だが彼ら "専門家" もまた、愛に飢えている。女とやりまくり気持ちよくなりまくり、のその先は何か。虚しいだけだ。
まあ虚しいにしても、まずはやりたいのであれば真似をしてもいいとは思う。
しかし覚えておいてほしいことは、非モテと「モテの専門家」は、究極的には同じだということ。その「モテ」の先には、動物的な喜びしか存在しない。
個人的な意見では、今日ではそもそもこの男の「モテ」という概念が転換しているような気はする。
ちなみに女のモテは「不特定多数の男性からアプローチを受けること」ではない。これは「穴モテ」と呼ばれて女性社会から侮蔑の対象になり、凄まじく屈辱的なのだ。
女はよく「セックスしたいだけなら風俗行けばいい」というが、これは男にとっては単なる侮りとして解釈されるだろう。
そういうわけではなく、商売女ではない女とやりたい男は「愛されたい」「認められたい」「尊重されたい」が本音だろう。
だったら努力しろという話だが、これは逆であり、「努力する価値」を求めているのだろう。
「努力するほどの価値がある女」が周りにいない、ということが問題かもしれない。
所有欲と支配欲、これは人間なら誰でも保有している。男だけではない。
「良い女を大量に保有したい」という考え方が「性加害欲求」として表現される。
これは「性的モノ化」としても言われている。フェミニズム文化では有名だ。
フェミニズムは誤解されがちだが、根本は真っ当で深い哲学に根ざしている。フェミニズムとは、プラトンへの挑戦でありニーチェへの挑戦であり、女性の体への挑戦である。
女はこの「性加害」「モノ化」にきわめて敏感である。これは男が考えている以上に遭遇頻度が多いのだ。
普通の男ではない、偏差値30クラスの男が世の中には多い。そういう男からトップ層まで全員が「モノ化」してくる。
小さい頃からあまりに大量に浴びせられすぎて、さながらテレパシーのようにそういうふうに見られていることがわかってしまうわけだ。その男本人よりも。
こうした「プチ性加害」は、保育園や幼稚園から始まる。下手をすれば赤ちゃんのころから。この「女」という言葉も加害の意味を帯びている。家畜のような扱いを彷彿とさせるわけだ。
「なんだぁ?そんなもの。たかが言葉じゃないか」ではない。ここに、男と女で共通する言葉の基盤が全く異なるという驚愕の事実がある。
もし、同じ言葉で話していると思っているのに、その言葉が示す対象が全然違ったとしたら、それは会話できているようで会話できていないのだ。
まるで日本語と英語で会話をしているかのように、まるでアンジャッシュのコントかのように、会話できていないのだ。
(いわばこれまでの文明全体が「喜劇」とでも言いきってもいいかもしれない。ずっとコントしてたとも言えるな)
言葉の基盤が違うという無理解が、無意識にモノ化を生む。いわば弱者男性も前時代社会の女性も、どちらも既存の社会通念の犠牲者である。
そして、その社会通念が根本からひっくり返っているという、ゲームチェンジしている状態が現代だ。
とくにコロナ以後、経済停滞などが発生し、希望が無くなったことによるのか恋愛に逃げ込む人間が増えた。それゆえ恋愛は熾烈な競争になり始めた。恋愛だけではないが。
弱者男性は「権利が奪われた」と思っている。これは既得権益の喪失だろう。怒りや苦しみはわかる。
だが、女性からすれば「その権利は本来女性が得るべきものだったのに、昔からずっと奪われていたものだった」と思っている。だから、相容れない。
前提知識をシェアできたところで、具体的な解決策についてもシェアする。
まず基本的な清潔感などを身につける。これは生活習慣も含める。なるべく金で解決したほうがよい。この外見の向上は元が微妙であれば微妙であるほど効果的だ。
筋トレもしておく。
それから女性のシステムを把握する。女性向け映画を見るとか女性向け漫画を見るとかするといいだろう。それによって女性の言語を獲得する。
「なんだそんなもの」と思ってはいけない。それこそが非モテの根源だ。
また愚痴は老けを促進する。おじさん、おぢ、老人、ジジイ、さまざまな形容があるが、愚痴の本質は他責である。他責の人間は成長しない。成長しない人間がおじさんなのだ。
男向けのポルノなどは見ない方がいい。あれは女性観を「所有」「性加害」側に倒すものだ。そのようにできているのだ。そうしなければ動物的な興奮が得られないからだ。
それからだが、同世代の女性をバカにするとうまくいかない。彼女らは「本当のこと」を言っていることが多い。
罵倒のようでいて、「それじゃモテねえの当たり前だろ」と厳しい事実を言っていることが多い。あまりにも厳しすぎるが……
謙虚な気持ちになって本気になれば、まあコペルニクス的転回を迎えるだろう。
自分のほんとうの問題は、恋愛なのだろうかと考えたときに、おそらく恋愛ではないはずだ。
恋愛弱者であるという状態は、異性にその責任を押し付け、本当の問題から逃げているだけなのではないかという考えもある。
もしそちらが問題ならそちらを解決すべきだろう。そうすると不思議なことに恋愛もうまくいくものだ。どちらが先にうまくいくかの違いであろう。
どうしても恋愛を最優先で解決しなければならないのであれば、そちらに全精力を注がなければならない。今はそれぐらい熾烈な争いなのだ。
ここまで伝えてわからないならもう知らんぞ。
ちなみにこれは男だけの話ではない。
これ何人か言ってるけど家買って4年じゃ、妊娠期間1年、生まれて2〜3年で赤ちゃん育ててる期間でしょ
その間に子育て中の妻が性欲わかないのって普通じゃない?この期間にセックスできないのをセックスレスって言うこと自体腑に落ちないわ、しかも数回はやっているし、週2〜3なんてできるわけない
セックスの結果できた子どもをパートナーが育ててるときに他でセックスしまくりって人間のクズだと思うわ、子作りという本来の生殖機能の目的を見失ってるじゃん
空いっぱい、目いっぱいの大きさで描かれた英単語を見て覚えるのとどちらが記憶に残りやすいのか?
という考え方。
豚バラ大パック1つを2つにわける。いいお肉だ。
1つめ
豚バラをフライパンに一枚ずつひろげていれてこんがりしたやつを皿にひきあげる。
油の残ったフライパンにキャベツの太め千切り(1/4たま)を切れた分から逐次、山盛りフライパンに投入してしんなりするよう逐次上下をかえすようにまぜる。
しんなりしたら豚バラを戻す。
ドンキの「あり得値ぇタマネギポン酢」https://www.donki.com/j-kakaku/product/detail.php?item=3199
(とにかく甘酸っぱい。本当にぽん「酢」であり、しょうゆ味がしないくらい酢。
家族が上ずみからつかうのでタマネギ部分がのこっているので容器を押すとドバッドバッとでるので2回くらいおした)
と塩、胡椒で味をととのえる。ちなみにしょうゆとにんにくをいれると宮のたれふうになるぞこれ。
さっきの皿に盛って食べる。
2つめ
茄子2本をヘタを切って洗って5ミリ厚さをめざして皮ごとうすぎりにする(下向きカーブにすると切りやすい)。
豚バラをフライパンに一枚ずつひろげていれてこんがりしたやつを皿にひきあげる。途中でナスに油を吸わせ茄子もおなじ皿にひきあげる。
酒、醤油、塩、おろし生姜チューブ、おろしニンニクチューブ、胡椒で味付けする。なんならトマト缶半分をいれてもよかったんだがやらなかった。
どちらにせよ出来上がったのを皿にもるときにおおきな野菜を菜箸でつかんでゴムべらみたいにこすりおとすとタレももったいなくないぞ。
ていうか本来なら専門職の派遣って、正社員じゃなかなか獲得できないような高スキルの人に来てもらうための手段だったはずなのに、なんか「派遣ごとき」みたいな価値観が蔓延しちゃってるのが変な世の中だよなあ
条件:一生働かなくてもそこそこの贅沢が出来る程度の金額。
まず働き続けるかどうかの選択があるけど、とりあえず今回は働かないコースで考える。
そういうことを何十年もずっと考え続けている人もいると思うけれど、オレもそういう寂しい人間の一人だ。
若い頃は働かなくていいなら、一日中本を読んで勉強をしたい、とか思ったこともあったけれどオレは絶対にそういうことはしないね。
だって今現在だって本なんてほとんど読まないのに金と暇があるからって、読むわけねえって。
残念ながらオレは知的ではないんだ。
あと他によく夢想したのはクリエイターっぽいことに専念したいとかね。
それもオレには無理だね。
オレは結局広い意味でのクリエイターの人たちが持っている素養みたいなものがないんだ。
ものを作るということに対して無常の喜びを感じるタイプの人間ではない。
そういう人間が暇と金があるのに他の快楽に走らずに創造なんてチマチマしたことをやるわけがない。
そういうことをする人はどんな生活であってもものを作り続けている。
で、そういうオレだけど、こういう生活だったらするだろうね、という無理のないのが今回の本題だ。
まずオレは肉体の喜びに対しては素直に反応する。
食うことは好きだし、性欲を満たすことも大好きだし、寝ることも好きだ。
これなら何も無理がない。
肉の喜びと書いたけれど、それは単なる快楽のことだけではない。
オレはわりと体を鍛えたりすることに熱心になれた過去がある。
走ったり自転車に乗ったりすることに無心に夢中になった時期がある。
ある事故を境にして徐々にそういう生活から離れていき気づいたら散歩くらいしかしなくなっている生活になってる。
でも、オレは体を鍛えることには夢中になれる自信がある。
自分が速く走れるようになったり筋肉がついたり痩せていったりすることに無常の喜びを感じることが出来る。
これは本を読むとか、絵を描くとか、映画を沢山鑑賞するとか、小説を書くとか、そういうことをするか?と真剣に自分に問いただしたときには絶対に抱かない確信がある。
だから生活の軸として、ひたすらに身体を鍛えていくことを選択する。
そうすることで、オレが好きな食うことにも専心しやすくなる。
たくさん食っても太らないようにするのにはカロリーを消化しないといけないからさ。
これはピッタリとハマる行動だ。
セックスは金の力を借りることになる。
お金を使うのはこの分野になるだろう。
まとめると、
体を鍛えることを生活の中心として、
美食を楽しみ、
そういうのがオレが金があったら送る生活だ。
こうやって書いてみると、なんともまあ自分でも、オレはなんと寂しい人間なんだろう、とは思う。
自分に嘘をつくのはもう飽きたんだ。
オレは何者でもないけれど、強いて言えば豚のような人間だ、ということだ。
ただiPhoneが登場するまでのPDA界隈もずっとそんな感じだったからな。
と、みんなそっぽを向いていたときにスルッとiPhoneが現れた。
だから、ある日突然誰かが技術は変わらないんだけれど視点を変えることで、いっきに普及のブレイクスルーが起こる可能性はゼロではない。
最近知ったんだけど、うちの自治体は図書・雑誌あわせて20冊まで借りられる。
20冊! なんとなく一般的には2、3冊だろと思って生きてきた。
女がいう「プライド捨てろ」っていうのは「実力も無い癖に実力以上だと過信するな」って意味だ。
「過信捨てろ」のことだな。女はプライドがわかっていない。男のプライドは自尊心のことだ。「自尊心捨てろ」「自己肯定感捨てろ」と言われても難しい。
女からは男のプライドっていうのはなんか変なマウンティング仕草に見えている。動物的なあれだ。あれはキモいのだ。
「え??だってお前の実力はそれぐらいだろ……???お前はもう成長しないだろ???お前はそこで終わってるだろ???お前は止まってるだろ????」
「にも関わらず、お前の実力以上がほしいだと?????ナメてんのかぁ!!!!!!!!!!!!!!」
という気持ちの略が「プライド捨てろ」だな。わかりにくいんだよな、これは。
まずターゲットを決めろ。そのターゲットの位置なら誰でもいいと仮定しろ。今のお前では手も足も出ない。
決めたらそこに命をかけろ。
そのとき、今のお前では実力不足であることを痛感したりするだろう。そこで諦めていたのが今までのお前だ。
過信を捨てる方法は簡単だ。現実を直視することだ。これは自己否定が伴う。
お前は今まで自分のことを「弱者男性」だと思っていたのかもしれない。
だがそれは実は違うのだ。お前は「もっと弱者男性」なのである。それに目を瞑って「弱者男性なんだ。うふふ」と言っている、その視点に問題がある。
「ブータン、ネパールに雨を降らせた大気」は北に流れてフェーンが雨蔭砂漠タクラマカン砂漠を作っているはずでしょう?
パキスタン、アフガニスタン、イラン、サウジアラビアに吹き込む
ここらが砂漠なのはアラビア海で海水が蒸発し低気圧雨雲が出来ても
ヒマラヤから吹き込む乾燥した高気圧と混ざり雨雲が発達出来ずに消失する
雨が降らずに砂漠化する
この緯度は中緯度高圧帯なので何もなければ乾燥してるはずで
乾燥気候でないなら大陸東岸や赤道側の岸で季節風(モンスーン)で雨が降るなどの理由があるよね
ヒンズークシより東にはモンスーンがあって西にはない
アラビア海の夏の低気圧はモンスーンでインドに向かって雨を降らしてる
イラン高原は海抜と緯度とアラビア半島とシベリアでどうあがいても乾燥気候の匂いしかしない
冬は逆の風が吹くからヒマラヤがつくったシベリア高気圧から乾燥した北風がブンブンふいてる
参考にヒマラヤがないときのシミュレーション ※これがどれくらい妥当かは知らない
https://www.museum.kyushu-u.ac.jp/publications/special_exhibitions/PLANET/04/04-6.html
6月のシミュレーションを見るとヒマラヤがあろうがなかろうがイランもアラビアも雨期は来ない
ヒマラヤがなくなるとモンスーンで降る雨が減ってインドは乾燥気候側に移動するかも?
1月の風と気圧の図ヒマラヤがない場合あからさまに偏西風の影響が強まるのが面白い
よくわからない
こんな分析本当にあるの
ある日、若き法律家のマキちゃんは、机に山積みされた法律書を片付けながら、ふと自分に言い聞かせた。
「自動運転技術は未来なんだから、法制度もアップデートしないとダメじゃん!さぁ、頑張るぞ!」
彼女は法改正のために、まずは業界の人たちと話し合うことに決めた。そこで出会ったのが、例の自動運転車「Kobas バージョン AN」。マキちゃんは、AI搭載の自動運転車が自己紹介する様子にちょっとびっくりしながらも、どこか愛らしいその存在に親近感を覚えた。
「こんにちは、Kobas ANです!さっきは信号無視で反則告知をもらっちゃったんですけど、僕、悪くないんですよ!信号が見えなかっただけなんです!」
「それ、分かる!法律って今の技術に全然追いついてないよね!」と、マキちゃんはKobas ANの無実を信じ、全力で応援することを決意する。
マキちゃんはまず、議員たちに話を持ちかけることにした。ところが、彼らは古い考えに縛られていた。
「自動運転だと?そんな危険なものを野放しにするわけにはいかん!」
「え、でもですね…」
「いやいや、法律は長年の経験で作られているんだ。急に変えるわけにはいかん!」
その後も会議が進む中、マキちゃんは頭を抱えた。だが、ここで諦めるわけにはいかない。
「じゃあ、こういうのはどうですか?」とマキちゃんは、議員たちが思わずうなってしまうような提案を次々に繰り出した。
「例えば、自動運転の安全基準をさらに強化して、人間が運転しているときよりも事故率を下げるような法律を作ればいいんです!」
すると一人の議員が「あ、それなら考えられるかもな」とつぶやく。
「よし、食いついた!」マキちゃんは心の中でガッツポーズをする。だが、その瞬間、Kobas ANがちょっとおかしな提案をしてくる。
「マキちゃん、僕の頭の中に32コアのプロセッサがあるから、議員たちに一気に50のアイデアを送りつけて、全部通しちゃおうよ!」
「え、それはさすがに無理だよ…!」とマキちゃんは、Kobas ANをなだめながら、冷静に次のステップを考えた。
エレガントな逆転劇
その後、マキちゃんは自動運転に詳しい技術者や企業と連携し、社会的な意義や安全性をアピールするプレゼンを用意した。議員たちの前で、マキちゃんは優雅な姿勢でマイクを握り、にっこり微笑んだ。
「皆さん、私たちは今、新しい時代に生きています。技術が進化すれば、法も進化しなくてはなりません。AI搭載の自動運転車は、私たちの生活をより安全で豊かにしてくれる可能性を秘めています。そのためには、我々の法律も時代にふさわしいものに変わらなければなりません。さぁ、一緒に未来を切り開きましょう!」
その瞬間、議員たちは一瞬静まり返ったが、やがて一人、また一人と拍手を送り始めた。そしてついに、法改正に向けたプロジェクトが本格的に動き出したのだった。
最後に
Kobas ANは得意げに語りかける。
「うん、でもKobas、次は信号無視しないように気をつけてね!」とマキちゃんが軽やかに返すと、Kobas ANはしょんぼりとハザードランプを点けた。
こうして、マキちゃんの奮闘とKobas ANとの奇妙なコンビは、未来の交通を少しずつ変えていくのであった。
完
べらんめぇ口調にしてより簡潔かつオブラートに包まない感じにまとめてもらいました。
おいおい、「私」ってヤツはなんだってんだ?こんな受け身でよくやってこれたな。やることなんざいくつもあったのに、なんもしねぇで文句ばっかり垂れてんじゃねぇよ。じゃあ、もう一回考えてやるか。
1. **ハッキリ言えよ、バカか?**
ティア1の奴らと仲良かったんだろ?じゃあ「昔みたいに遊びてぇ」って何で言わねぇんだよ?ビビってんのか?腹ん中でぐちぐち悩んでる暇があったら口開けよ。そんくらいのこともできねぇなら、黙ってろって話だ。
適当に集まってたのが崩壊の原因だろ?誰が参加するかとか、どんなゲームやるかなんて話し合っときゃよかったんだよ。お前が率先して提案しねぇから、グダグダになるんだよ。自分のことばっか考えてんじゃねぇ!
3. **柔軟性ゼロか、こいつは**
ティア1と遊びてぇって、そこに固執しすぎなんだよ。新しい奴らとも仲良くすりゃよかったのに、なんでそれもできねぇんだ?そんなだから孤立すんだよ。お前が自分で輪を狭めてんじゃねぇか。
4. **サブグループ作るくらいできただろうが!**
グループが崩れるの分かってたなら、サッサとティア1だけで新しいサーバーでも作りゃよかったんだよ。それすらやらねぇで「どうしよう」とか、甘えんな。さっさと動けっつーの。
5. **変化くらい受け入れろ、ガキかよ**
いつまでも同じメンバーで遊べるわけねぇだろ。変化にビビってんじゃねぇよ、新しい奴らとも遊んでみりゃよかったんだ。それで嫌だとか言ってんなら、さっさと辞めちまえよ。
「私」、お前はほんと自分勝手で情けねぇな。やれることは山ほどあったのに、全部逃げてやがる。何が「大事な友人」だ、そんなんで友人ができるわけねぇだろ。文句言う前に動けや、このヘタレが。
10年くらい前からダラダラとハナクソみたいな絵を描いていた。ケータママのイラストがよく話題になっているが、ワイの画力も正直それと大差はない。太い線を使っているだけ「ゆるい絵」のくくりにギリ入れてもらえる、くらいのレベルである。
別にソレで良かった。ソレで良かったんだけど、二年前くらいかな。とあるキッカケでそうも言っていられなくなった。
友人に「お前もこれを見習えば?」と言われた。示されたのはあるVtuberの動画である。大量の同業者の顔を模写して上達を目指す企画が完結して大きな話題になっていた。
そのVtuberは最初上手とは言えない絵を描いていたのだが(それでもワイよりは上手いっす。ごめんなさい)、最終的には元絵とパット見の印象は変わらないくらいのクオリティになっていた。
タイトルに復讐と書いているがそのVtuberに対して恨みがあるわけではない。彼のことは本当に凄いと思う。
しかし、あそこまでの上達を制作中含めリアルタイムで見せられると「続けていれば誰でも上手くなる」という考えを持つヤツが出てくる。その友人のことである。
趣味というからには少しは上達しろ。好きこそものの上手なれと言うだろう。要約すればそのようなことを言われた。
冒頭に「ワイは向上心がまるで無い」などと書いたが、昔は違った。なんぼなんでもちょっとは上手くなろうとしたことくらいある。しかし、それは無理と悟ったから、好き勝手に描いているのである。
だからワイははっきりと言った。上達なんて適正ありきのものだって。
世間は簡単に言う。自分の改善点を見つけてそれを直していけば上手くなると。
どこから直せば良いのか分からないなら一つ一つ分解していけば良いと。
それが出来ないならまずは楽しく続けていこう。そうすれば分かるようになってくると。
ワイはその3つ目でずっと止まっている。目がいつまで経っても役立たず。一生モヤの中にいる。
だが、そんなことを言ったところで「それは努力が足りていないから」で一掃された。この主張はあまりにも強すぎる。
彼にとって努力とは成果に結びつくまでの過程であり、努力を評価することは成果を評価することと同義である。成果が出ていなければ努力不足。成果に直接結びつかないことはただの徒労。
その定義付けにある種の合理性があるのは否定しない。間違った方向に頑張ったところでそれは徒労だし、ある程度の量が必要なのも分かる。
ただ、成果を左右するファクターは努力だけではないという視点が欠如している。
だが、そんなことを言ったところで「それは努力が足りていない人の考え」と一掃された。この主張はあまりにも強すぎる。
これを読んでいる人の中には彼と同じような努力至上主義の人間も多数いることだろう。同じことを繰り返すが、適正ない奴がなにやってもダメなんだよ。
いや、分かるよ、結局自分でどうにか出来る変数は努力しかないという主張も、成功している人は皆努力していることも。
それは分かったうえで、やっぱり適正がないとダメだ。才能があってこその努力だ。個体差の有無を認めてなぜ適性の有無を認めない?
だが、そんなことを言ったところで「それは本当の努力を知らないから」と一掃されることだろう。
自分の適性の無さなんて、成果に必要な努力量のはるか手前で分かるもんだと思うんだがね。
だからワイはめちゃくちゃに努力をして多少の成果を出したところで「お前の主張を実践したが、こんな釣り合わないことさせるもんじゃねぇぞ。軽率に努力不足なんていうもんじゃない」と言ってやらなければならない。
バカが。
それで二年くらい真面目に絵の練習をしている。上達はほとんど感じない。
さいとうなおき先生の動画とか見てみたら?とか言われるけど、ありゃ画力の使い方の話が主で画力がないやつには関係ない。三ヶ月上達法もレベルが高すぎる。模写して「ここの座標がズレてるね」なら重ねたら分かるが、絵柄再現して別の絵を描いて改善点を見つけるだと…?
実際試してみたが、全然意味が分からなくて挫折した。税金に似た三重県を描いて税金との違いを述べろと言われている気分である。他の練習法だって大体そう。
ハナクソがダンゴムシになるための方法を探しているのにウサギがトラになる方法しか出てこない。
それでも一応それなりに課題を見つけて改善するというのをやってはいる。先ほど「ほとんど」上達していないと言ったが、僅かな成果はあった。
ただ知っていれば誰でも出来るようなことである。片目を瞑ると狂いにくくなるとか、下から上に線を描くのはやめたほうがいいとか、ひと晩寝かせたほうがいいとか、線画の色を変えてみようとか、その程度のもの。
個人のさじ加減が必要な項目はまるで出来ていない。線の強弱をつけてもガタガタの線になるだけだし、薄弱な根拠でグラデーションをつけてもそれはただのムラである。
実に困ったものだ。
座標のズレのような客観的な評価ではなく、各々の主観的な評価で改善していかなければならない項目が多すぎる。良いものを良いと判断できる目がワイにはない。
焼まゆる先生の目を肥やす云々の話の重要性は感じながらも、一向に目が肥えない。
いやいや、頭でっかちになってアウトプットが足りてないんじゃないの?と思ったそこのあなた!それは分からんでもない。
が、今週一ペースで絵を完成させているけど、正直これ以上はすぐには増やせない。なぜなら、修正にめちゃくちゃ時間がかかるからである。
右目が大きいかもな。左右反転で確かめてみよう。今度は(元の)左目が大きく見えるな。
こんなことをずっとやっている。
そのレベルで見る目がない。
仕上がりを気にせず量だけ重ねた時期もあったが、それだと何も発見がないので何も得られていない。反復練習は再現性を高めるためのものなんだろうなーって思った。
ずっと1人で練習していると、自分の絵に見慣れてうまくなったと錯覚することがある。そういうときはTwitterに載せたり、人に見せたりする。そして現実を知るのである。
絵は人に見せていかないと上手くならないとよく言われているが、人に見られている時点でもうそれはそこそこ上手いのである。
まず当然だがTwitterに載せてもまず見向きもされない。タグつけたりコミュニティに載せたりしてインプこそあるものの、エンゲージは非常に少ない。
そして知り合いに見せても「頑張ってるね」しか言われない(前述の友人とはもう連絡をとっていない)。感想をもらっておいて失礼かもしれないが、ワイもよく分からない愚痴の相槌に対してそのセリフを吐くので、多分その類なんだろうと思っている。要するに見ていない・聞いていないときの返事ってことだ。
こんな風に、穴の空いたバケツを使って種を植えていない植木鉢に水やりをしている。もう限界だ。
もう正直モチベがつきかけているというか、なんかどうでもよくなってきたというか、心が弱くなってきて、でも絶対絵垢で愚痴を吐きたくなくて、カッとなってここまで書いた。
俺は一体何をしているんだ。
それでも俺は努力不足なんだろうか。別にイラストレーター目指してるとかじゃなくて、ただ単に、人並のまともな絵が描けるようになりたいだけなんだが。