条件:一生働かなくてもそこそこの贅沢が出来る程度の金額。
まず働き続けるかどうかの選択があるけど、とりあえず今回は働かないコースで考える。
そういうことを何十年もずっと考え続けている人もいると思うけれど、オレもそういう寂しい人間の一人だ。
若い頃は働かなくていいなら、一日中本を読んで勉強をしたい、とか思ったこともあったけれどオレは絶対にそういうことはしないね。
だって今現在だって本なんてほとんど読まないのに金と暇があるからって、読むわけねえって。
残念ながらオレは知的ではないんだ。
あと他によく夢想したのはクリエイターっぽいことに専念したいとかね。
それもオレには無理だね。
オレは結局広い意味でのクリエイターの人たちが持っている素養みたいなものがないんだ。
ものを作るということに対して無常の喜びを感じるタイプの人間ではない。
そういう人間が暇と金があるのに他の快楽に走らずに創造なんてチマチマしたことをやるわけがない。
そういうことをする人はどんな生活であってもものを作り続けている。
で、そういうオレだけど、こういう生活だったらするだろうね、という無理のないのが今回の本題だ。
まずオレは肉体の喜びに対しては素直に反応する。
食うことは好きだし、性欲を満たすことも大好きだし、寝ることも好きだ。
これなら何も無理がない。
肉の喜びと書いたけれど、それは単なる快楽のことだけではない。
オレはわりと体を鍛えたりすることに熱心になれた過去がある。
走ったり自転車に乗ったりすることに無心に夢中になった時期がある。
ある事故を境にして徐々にそういう生活から離れていき気づいたら散歩くらいしかしなくなっている生活になってる。
でも、オレは体を鍛えることには夢中になれる自信がある。
自分が速く走れるようになったり筋肉がついたり痩せていったりすることに無常の喜びを感じることが出来る。
これは本を読むとか、絵を描くとか、映画を沢山鑑賞するとか、小説を書くとか、そういうことをするか?と真剣に自分に問いただしたときには絶対に抱かない確信がある。
だから生活の軸として、ひたすらに身体を鍛えていくことを選択する。
そうすることで、オレが好きな食うことにも専心しやすくなる。
たくさん食っても太らないようにするのにはカロリーを消化しないといけないからさ。
これはピッタリとハマる行動だ。
セックスは金の力を借りることになる。
お金を使うのはこの分野になるだろう。
まとめると、
体を鍛えることを生活の中心として、
美食を楽しみ、
そういうのがオレが金があったら送る生活だ。
こうやって書いてみると、なんともまあ自分でも、オレはなんと寂しい人間なんだろう、とは思う。
自分に嘘をつくのはもう飽きたんだ。
オレは何者でもないけれど、強いて言えば豚のような人間だ、ということだ。