はてなキーワード: さん付けとは
私の最終学歴は専門学校卒で今は看護師をしている。頭は悪かった。一方で弟はよくできていた。そんなもんだから弟と比較されて過ごしていた記憶しかない。
弟は県内一の進学校に通っていた。両親もそこ出身。私だけが例外。亜種。
そもそも小学校の頃から勉強にはつまづいていたし、だから親にはもう諦められていた感もあった。10歳程度で親の期待には答えられないことがわかった。バカに生まれると苦労するのである。
まぁ勉強できないからやりたくなくなるわけで、成績もよくない。当然ですがそのほかに身を立てられるようなスキルもなかったので、勉強するしかなかった。今でも「芸術とか運動とか、そういう才能あるの?あるんだったら文句言わないけど、そうじゃないでしょ。なんで勉強すらできないの」と言われたことをよく覚えている。正論なので当然文句は言えない。
なんとか高校は普通レベルのとこに入った。友達がいないわけではなかったので学校生活には問題無し。だがやっぱり家庭がネック。中学生の弟と当時の成績を比べられるわで。まぁ自分たちの行かせたくない学校に金払うのもばかばかしかったんだと思う。学費などは文句を言われた。色々あって進路を決める時期になった。もはや国立大学には行けそうにない頭の出来だったし、医療福祉関係には中学の頃から興味があったので看護専門学校に行こうと思った。お願いだから専門学校とかはやめてくれと言われたが、なんとか行かせてもらった。そしてバカなりに学校を卒業し、県内では結構大きい総合病院への就職が決まった。たぶん名前を言えばすぐわかるくらいって感じの。この頃から両親の態度は激変した。ようやく自分を認めてくれるようになったのだ。いいところに就職したね、と。一時期はどうなるか不安だったけど本当に良かった、と。嬉しかった。ものすごく嬉しかった。
何年かして弟も就職することになった。弟の就職先はテレビ局だった。進学校から偏差値の高い大学へ行き、テレビ局である。だが、ここで順調にいっていた弟の評価は一気に下がることになる。両親に言わせればテレビは斜陽産業だとかなんとかであんまり面白くなさそうなのである。
ちょっと弟にマウント取れたような気もした。性格悪いと言われそうだが、弟にも評価されない悔しさでも味わってもらえればいいな、とか思ったのである。
この間、休みに帰ってきた弟に話を聞いた。ちょっとかわいそうだな、くらいの気持ちで話を聞いた。なんかADのような仕事をしているらしい。新人のお笑い芸人のこともさん付けで呼んでいるところが業界人の自慢話っぽかったけど、基本的には楽しそうだった。自分が面白いことに携わっているという自信があるし、視聴者からのご意見でも高評価を得ているということがなによりも嬉しいらしい。一方、自分はどうかというと楽しく仕事をするとかそういう感覚がなかった。患者さんからありがとうと言われてもなんか信用できなかった。
楽しそうに話す弟に思い切って、両親のことを聞いてみた。弟は親のことは全然気にしていなかったらしい。というか両親のことを気にしたことがないとも言った。そうだった。弟は両親に事細かく言われたことがなかった。そもそも学校の成績も良かったし、進学の度に文句を言われた自分とは大違い。そういう部分で苦労なんかしていない人間だった。
自分は勉強に対する苦手意識が大きく残っていたし、今でもそれで勉強不足で恥をかくこともある。就職先でしか褒められなかったことも自分の自信につながらない。たぶん、今の病院をやめてしまうようなことがあれば両親は自分のことを、またボロカスにするに違いない。子供の頃の、自分に戻るだけなのだ。弟は今どこへでもいける。今更何か言われても自信が揺らぐことなんてないんだろう。まぁそんなことに気づいたところでこれからどうしようかと思ってもどうしようもない話なので。
高校は進学校で、ネクタイの着用を認められなかった。その反動でかスカーフをネクタイ調に首に巻くのが癖になった。通勤の服装もネクタイで、上司からは理解を得られた。その内社内でも「◯◯君」と呼ばれるようになる。さん付けよりかなりしっくり来た。髪も短くないと落ち着かない。ロングヘアに憧れはあるのに。
というより、外見の多くを私自身は選択していない。美容院に行けば自動的に髪を短くされ、親にはストライプのシャツを勧められる。女性らしくはないがまあこれで良いかと思うようになってしまった。服装が変われば性自認も引っ張られるようにして変化する。女性は私にとって守るべきものだった。今となっては女性らしくあろうとスカートも着用するが、それを「中途半端なFTM」のように言われるのは心外だ。
もっと媚びれば生き易いと言われた事があるが、それどころか男になれるなら、と思う。というかR18作品を見る時ですら男性向な嗜好が強くて、困っている。
1997年に結成した彼らは、00年代V系シーンにおいて、その重厚なサウンドと自他への憎悪や怨念、そして寂寞の篭ったような世界観という強烈な個性から、多くのファンを獲得し邁進してきた。
そしてその世界観を自ら打破し、ロックやテクノ、メタル等の様々な音楽要素を取り込むなど、新たな個性として「多様性」を得た結果、今やファンも老若男女様々な層が増え、20周年の今年は日本武道館2days公演を納めただけでなく、更に年末にもう一度玉ねぎの下で大規模な主催イベントを控え、その日に向けて日夜怒涛のツアーやイベントに勤しんでいる。
私は、ファン歴で言えば中堅どころにあたると自負している。
もう十余年もムックの音楽に浸り、彼らのライブサウンドに酔い、最早生き甲斐やライフサイクルの一環として「次のライブに行くために、また彼らの音楽を生で楽しむために」と社畜生活に従事する日々。
長らく夢烏(=ムックのファンの呼称。ムッカーと読む)を続けてきて、もちろん不満に思う事や上がろう(=ファンを卒業しよう、追っかけをやめよう)と思った事も多々あった。
しかし彼らの最大の魅力は良くも悪くも「変化し続ける事」と「ファンを裏切る事」である。
何だかんだと文句を垂れ、貶しては「やっぱりムックは最高だ」と舌を巻く羽目になるからこそ、次の良い裏切りを期待して離れられずに、盲目的に好きであり続けている。
そして自身の周りの夢烏仲間も「だせぇwww」「無いわwww」「新アー写ぶっさwww」等と貶しては、生のパフォーマンスを拝んだり、新しい歌詞を読んで「やっぱムックいいわ…好き…かっこよすぎ…」と滂沱と溢れる涙を拭い、感涙に咽びながら新しい告知に躊躇無くクレジットカードを切っていた。
2008年夏にリリースされた19枚目のシングル、「アゲハ」。
このリリースをきっかけに、あるバンドのファンが怒涛のようにムックに流れ込んできた。
ムックと同じ事務所に所属する大御所バンド、L'Arc〜en〜Cielのファンである。
このシングルにはラルクのギタリスト、Kenが楽曲のプロデューサーとして参加している。
日頃ラルクの活動の無さに飢えているファンが、ラルクの片鱗を求めてムックの音楽に興味を持ったのだ。
ムックは元々、リーダーであるギタリスト、ミヤのワンマンバンドである。
幼い頃より音楽を嗜み、プロデュース、作曲、編曲等々多方面のマネジメントを行うミヤに対し、音楽のド素人から始まった他メンバー。技術的な部分から何から、3人はミヤに首を垂れ従い続けるのが常であった。
「メンバーもファンもひたすらミヤのご機嫌取りに徹するバンド」等とも称される事もあったし、夢烏を自認する私も事実そういうバンドだと自覚する。
なお余談だが、興味のある方は是非今年リリースされた「M」というインタビュー本をご一読頂けるといいだろう。
リーダーから何故出来ない、お前に期待しているのに、というスパルタ虐待親よろしく高いスキルを要求され、心身に支障を来たす者もいれば、トラブルを起こす者もいた、解散しなかったのが不思議でならないかつての殺伐としたムックが。
そして20年という歳月を経て、ようやく分かり合おうとし、ほんの少し分かり合えるようになってきた彼らの、ありのままの成長の軌跡が綴られている。
さて、そんなムックが、よそのアーティストにプロデュースを頼むだなんて。
当初は「は?ムックのサウンドが好きなのによそにプロデュースされるとか無いわ」という気持ちと「あのとんでもワンマンバンドがよそに力を借りるなんて、少しは丸くなったんだなぁ」という気持ちを抱いていた。
実際楽曲そのものは、これまでのムックには無かった新しいテイストが組み込まれ、彼らの「多様性」に新たな1ページが加わったなぁと感慨深かった。満足であった。
しかしそのシングル曲が含まれるアルバムツアーから、ライブ公演に違和感を覚えるようになった。
「アゲハ」と、同アルバム収録のもう1曲のKenプロデュース曲「空と糸」のイントロで、何故か、黄色い悲鳴が上がる。
V系というジャンル柄、ファンは盲目的に思い入れを持つ曲が各々あったりする。また歴史を重ねるごとに、昔の音源はだんだん演奏頻度が下がる。
そうした中で、たまにいわゆるレア曲を演奏したりすると、イントロの時点で泣き出したり、歓喜の絶叫を上げるファンは沢山居た。
何ならこのツアー中は100%演奏するし、シングル曲故に今後もセットリストに組み込まれる可能性は非常に高い。
私はただたた首を傾げる事しか出来なかったし、周りの夢烏友達もそうであった。
その正体に気付いた時には、奴らはすっかりムックに居座っていた。
あれは忘れもしない、某年の恵比寿リキッドルームでのライブ。
早めに着いた私は、グッズ販売の待機列で友人を待っていると、数人程前にやたら声の大きい2人組が和気藹々と歓談していた。
V系のファン=バンギャもある種のキモオタなので、声が大きいのもよくある事だと、会話をBGMにTwitterを眺める私の耳に、信じがたい台詞が飛び込んできた。
「ムックはチケ代が安いから、ラルク待ってる間の暇潰しにはコスパがいいよね」
「Kenちゃん、ゲストで来てくれないかな。Kenちゃん見たい」
先の台詞は百歩譲って許そう。
いくら盲目に、宗教的にバンドを愛するバンギャと言えども、複数のバンドのファンを掛け持ちする事はザラだ。
特に本命バンドの活動が乏しい場合、あの爆音の非日常空間が恋しいあまり、他のバンドに手を出す事はしばしばある。
そして本命バンドと比較して、やっぱり本命バンドが一番好きだという実感を改める事は私も多々ある。
ムックが一番好きな人達ばかりのアウェイ環境で、よくもまあ大声でそんな事がしゃあしゃあと抜かせるものだと少しイラつきはしたものの、気持ちは分からなくもない。
しかし猫も杓子も二言目だ。
そう言うのならばKenソロのライブに行けと。公演が無いならばDVDでも観ていろと。チケットに書かれた出演者をよく観ろと。貴様の目は節穴かと。ムックにラルクの片鱗のみを求めているのかと。
音楽シーンにおいて特に興衰の激しいヴィジュアル系というジャンルでは、新たなリスナーの獲得が今後の生死を左右する。だから、新しいファンが、殊に音源やグッズを購入し、ライブにまで足を運んでくれる存在が増えるのは大歓迎だ。
それでもムックの純粋なファンではなく、ムックを通して結局ラルクしか観ていない。カードだけ剥ぎ取られて、開封もせずに捨てられるプロ野球チップスのようだと感じられる、ムックが本命バンドの自分からすれば侮辱としか思えない発言だった。
気持ちは分からんでもない。ただせめてこの場においては、まっすぐにムックを観てくれないものか。とにかく不愉快で悲しくて仕方が無かった。
しかしムックは、みるみるそれらのファンを増やし、固定させていった。
その後もKenのプロデュースの機会も増え、ラルクメンバー絡みのイベントに参加し、オールナイトイベントなんかにも出るようになり。いつかの2人組が望んだ通り、ワンマンライブにゲストで現れるようにもなり。
気付けば、スタンディングのライブで友達とはぐれた時、自分の周りにいる人間は知らない空気を纏っていた。
先述の通り、私はファンが増える事は喜ばしく、歓迎すべき事だと思っている。
以前はモッシュピットに棒立ちで、ぶつかられ露骨に嫌そうな顔をしながらも近くで見たいからと動かない、危なっかしい新規ファンも居たが、最近はムックのノリに慣れたのかそんな人間も見かけなくなった。
ムックそのものをちゃんと観に来ているファンが増えた実感もある。
しかし、あれからずっと変わらずKenプロデュース曲で上がる黄色い悲鳴。
チケットのファンクラブ先行受付がある度に、既存の夢烏同士の規模を圧倒的に上回る人脈での人海戦術で、人数の何倍も申し込んでは、ひたすら身内に、余れば興味の薄い人間にまで回されるチケット。
「ムックは昔から、皆仲が本当に良い」「ボーカルさん可愛い、女の子みたい」「リーダーさんが人を殴るなんてありえない」という、誤解を超えて定着してしまった新しい解釈。
そして何だかんだ言っても結局、Kenが関わる話題が上がっては「Kenちゃん来ないかな」。対盤で未発表枠が告知されては条件反射で聞こえる「絶対ラルクでしょ」。
何より許しがたい、「今のムックの動員や売り上げは、ラルクに支えられているようなものでしょ」という、あまりにも乱暴で横柄な認識。
そして自分達が総意であり真実であるかのように振る舞う。いつしか私も、仲の良かった旧来の友人達も、周りを念入りに警戒してから遠慮がちに感想をぼやくようになった。
もちろん、いいファンと悪いファンがいるのは重々承知しているし、それは旧来の夢烏にも言える事だ。
それでも、メンバー間のトラブルや修羅場があったからこそ生み出された過去の楽曲やパフォーマンス。そして背景としてそれらがあったからこそ、紆余曲折と凄まじい努力を経たからこその「今の彼ら」が在るのに、「今の彼ら」しか切り抜かれていないようで悲しく思えてならない。
V系における2ちゃんねるのような某掲示板で、貢ぎやセフレ要員として簡単に繋がりを持てると、繋がり入門麺とまで称されたメンバーに対して、手放しで可愛いだの聖母だの褒めちぎる。
バンドの運営をほぼ全て自分を中心に回し、ステージでミスしたメンバーや段取りの悪いスタッフを一切の遠慮なく睨み付け、手や足を出す事もザラだった、田舎のヤンキー気質の抜けないワンマンリーダーを、優しいだのと聖人君子のように捉える。
先述のメンバー程よろしくなかなか女関係が汚く、今やすっかりほうれい線の強い老け顔に対してただただ馬鹿のひとつ覚えのようにかっこいいを連呼する。気持ち悪さが売りであり、コールアンドレスポンスとして罵声が求められるパフォーマンスに対してきゃー可愛いなどと場違いな歓声を上げる。
元よりお馬鹿キャラではあったものの、立派な一人の成人男性としてオフショットでは煙草を吸ったり、平均的な態度振る舞いである事は容易に見て取れるのに、そうであると押し付けんばかりにひたすらバカわいいなどと称する。
昔の楽曲も好きだけれど、暗いから最近の曲の方が好きだなどと抜かす。
汚い部分もひっくるめてのムックは今時のファンの中では息絶え、やがてムックの中でも無かった事にされるのだろうかと、一抹の寂しさを抱いた。
ファンの在り方は様々だ。貶し愛と呼ばれる、極端なツンデレのような愛し方をする者もいる。ガチ恋と呼ばれる、本気で結婚したいと考え必死に札レターを贈る者もいる。アイドルのように無条件に可愛いかっこいいと愛でる者もいる。
ムックが本命バンドの人間もいれば、他のバンドが本命だという人間もいる。
必死な人もいれば、緩く追っている人もいる。
十人十色、千差万別。色んな愛し方があって当然だし、「多様性」を強みとするバンドならばファンも多様であっていいと思う。だからこそムックは、色んなものを身につけ、色んなものを培い、色んなものを味方につけて、色んな道を歩んできた。
とりあえず、これからもムックに金を落とし続けてくれればそれで結構なので、頼むからせめてダイブする時は柔らかい靴で・アクセサリー類は外す・髪は括る・ステージにもフロアにも余計なアピールをせずさっさと転がって降りるの4点くらいは徹底をお願いしたい。
それと人海戦術チケ確保も程々にして頂きたい。激戦チケットとの交換カード用に、自分にとっては余計なチケットを申し込んで転売するのもほんとに勘弁して下さい。
あーあ、やっぱりラルクソ居なくなって欲しいな。何だかんだ言ったけど、やっぱ存在が無条件にただただムカつくし気持ち悪いわ。
さん付けとかたつえちゃん呼びもきしょいし、下手くそな小学生の夏休みの工作以下のお手製土産(笑)を「声かけて下さい!」とか拡散してるのも本当にきしょい。
それもラルクソの文化?男性アイドル追っかけてる夢女子腐女子のオタ中学生みたいですね。
ガチ恋も増えた臭いけど、やってる事だけじゃなくて身なりもオタ中学生みたいな糞ダサデブスだし、見た目も繋がるためのお金も何の努力もしてないから本当に見苦しい。
せめてまず痩せろよ。1人で2人分くらいスペース取ってるデブ本当に殺意沸く。
何食ったらそんなデブになるの?何処かの相撲部屋に所属してるの?ちゃんこが美味しいのは仕方ないだろうけど、ここは土俵じゃないんですよ。
万が一にも動員落ちたら1人でチケ20枚くらいは買い支える気持ちでいるから、ここらで一発ムックには炎上してみて欲しい。
会社で、例えばこんな話をしている人がいる。
と。
こいつは山本に対してはさん付けなのに、ジャックさんに対しては呼び捨てだ。
ふたりとも対等な同僚なのにね。
アホかと。
お前、日本語圏と英語圏の人間とで敬称の有無分けてるつもりかも知れないけど、人それぞれのそんな生まれや育ちはどうでも良いんだよ。
あのね、日本語でコミュニケーション取ってんだから日本語の敬語のシステム使えよ。
相手は同僚で、同じ対等の立場で、なんで外国人なら呼び捨てでいいって発想になるんだよ。
お前キムさんに対してはキムさんって普通に呼ぶくせにさ。キムシとか呼ばずにさ。
相手は自分だけ特別扱いされて良いと思ってないよ。完璧に禍根残してるよ。
お前のやってることは人種差別だ。
別の会社の人に対しては、同じ会社にいる人同僚を呼び捨てにしないといけないというのがどうも苦手だ。
俺たちは仲間だ、共同体だ、身内なんだという意識なんて爺さんは持っててもこちとら持ってないんだよね。
身内らしい事を何一つしない完全な他人を何故身内扱いするのか。
なんて
知らないんだよね、正直。席近くても一緒に仕事した事ないし。
弊社におります山田さんの事をさん付けしても貴社の田中様の事をぞんざいに扱った感じします?しませんでしょう?
なにより自分が客側、それを言われる側でも気分が悪い。他人をへりくだらせ、貶めることによって高い位置あげられても嬉しくない。お前同僚とはいえ勝手に他人を呼び捨てにしていいの?身内の悪口だってきいたら気分が悪いのに、仕事仲間なだけの他人を勝手に貶めてこちらを立てられても気分わるいだけなんですけど?
ぐらいの距離感なんだよね。
会社が家のような共同体だった時代は終わっている。現に弊社の山田さんの家族構成も出身地も本名も知らないし、仕事を教えてもらうことも今の所ないし、そもそも何をやってるかイマイチ知らないし、席が近いだけで部署も違うし、電話連絡以外で話したことがない。呼び捨てにしたくない!!!
追加
トラバを読んで、改めて考えると
自分より相手のほうが田中さんとの親密度がかなり高いとわかってる場合だから嫌なんだとわかった。
尊社の社長様はないわ。社長の田中だわ。役職を付ける場合はさんはつけないし、そもそも様とかつけて崇めようという話ではない。
あがめず(尊社の社長様)
下に置かず(呼び捨て)
ああ、でも、呼び捨ては嫌だなぁ。
"馬鹿よ貴方は" OR "馬鹿よあなたは" OR "ばかよあなたは" -"定期" -RT
"ファラオさん" -"FGO" -"オジマンティアス" -"フレ" -"フレンド" -"【アカウント名がファラオのID(結構ある)】" -RT
"馬鹿よの" OR "馬鹿よは" OR "馬鹿よが" OR "馬鹿よに" -RT
さん付けするとファンの意見が引っかかりやすいから心穏やかになれる
「ファラオ」は検索ノイズが多すぎて意外と「新道」の方が検索ワード向き(この字のシンドウさんは珍しいから)
ファラオは無愛想と見せかけて意外と暴走するし演技力もある。声もいい。うらやましい
バクモン学園と被ってキングちゃん2期に出演できなかったのがホントに悔やまれる
「この会社は上司を役名じゃなくさん付けで呼んでる!フレンドリー!だから凄い!」みたいに紹介してたから
そういうのが通るくらいには一般的なんだろう
うちは同期、後輩だけでなく上司もさん付け。役職では呼ばないよ。
結構なババアだけど私が就職した一番最初の頃からそうだったよ。
呼び捨てとかあだ名で読んでたのはほんとうに仲の良かった同期2,3人でプライベートのときのみ。
社内ではさん付けだったよ。
自社もそうだし
取引先もみんなそう
みんな知ってる大企業も
「くん付け」は部下に対してのみ
それも「さん付け」に変わってきた
小学生の時、うちの学校では「異性のことは必ず名字+さん付けで呼ぶこと」って決まりがあって
仲の良し悪しに関係なくみんなそうしてた
クラスの男女間は別に喧嘩もなかったがその代わりなんとなーくよそよそしくて壁のようなものがあった
異性のことを下の名前+呼び捨てにしてたり、名字をもじったあだ名で呼んでたりしてめちゃくちゃびっくりした
そんな風に男女がフレンドリーに喋るとかアニメだけの都市伝説だと思ってた
でも6年間の習慣はなかなか変えられず、高校生になっても大学生になっても
あの小学校、今でもこれ続けてんのかな
あだ名付けによるトラブル防止とか、何か理由があるんだろうけど
あとあとのことを考えるとやめといた方がいいと思う
http://b.hatena.ne.jp/entry/diamond.jp/articles/-/122503
"なぜ若手社員は同期を「さん付け」で呼ぶのか"って記事のブクマ。
記事の内容は、時代錯誤のおっさんが、2人の若手社員の訪問を受けるんだけど、同期であるその2人が「さん付け」で呼び合っているのに違和感をおぼえて…というもの。
で、記事の内容はいいとして、ブクマを見ると、「さん付け」するのが当たり前って意見が予想外に多くて驚いた。
あまり馴れ馴れしいのは良くないかも知れないけど、はてなーの人なら、「どうでもいい」が多いかと思ってた。
やっぱり、仕事関係であれば、誰に対しても「さん付け」するべきなのかな?
俺は今20代半ばで、新卒で入った都内のSIerに勤めてる。同期は呼び捨てだったり、愛称で呼ぶ人も多い。「さん付け」する相手もいるけど、少数。
もちろん初対面の時は「さん」付けしてたけど、新人研修が長かったのもあってか、次第に打ち解けて呼び方が変わっていった。プライベートで遊びに行く人も多い。
後輩の呼び方は、大して親しくないから「さん付け」の方がいいかな…とも思った。でも他の同期が、男には「くん付け」、女には「さん付け」で呼ぶので、とりあえずそれに合わせている。女の後輩を「ちゃん付け」で呼んでる人もいる。まあ、女同士だとそんなものか?
あと、SIerなので他会社と働くことが多いけど、俺に対して敬語を使わずフランクに話してくる人もいた。年も経験も実力もかけ離れていたからね。俺は敬語で話してたけど、特に違和感は無いし、どうとも思わない。俺だったら他会社の人には年下でも敬語で話すけど、別にどう呼び合おうが、仕事に支障があるわけでもなし。
逆に、とにかく丁寧な言い方をしようとして、上手く喋れなくなっている人が結構多い。敬語なんて最低限でいいから、要点を言ってくれ、とよく思う。
書いてて思ったんだけど、俺は人の呼び方に特に拘りがないな。自分は常識的でありたい、と思うだけで、相手からどう呼ばれようが、どうでもいい。
形式的なメールの文面とか嫌いだし。最後に「よろしくお願いします」を付ける、みたいな。
でも、拘りがないからこそ、「さん付け」の方がいいかもしれない。「さん付け」するのが安全側だから。
呼び捨てされて気分を害する人はいても、その逆はほとんどいない、とも考えられる。
それとも、ブクマの方たちは、「仕事とプライベート分けろよ」って考えが強いのかな。半強制的な飲み会とかやめろよ、と同じ流れで。
俺もそれには賛成。ただ、俺の場合、客先常駐で同期が周りにいないので、というか同期と実際の現場で仕事したことがないので、「同期」というより「友達」という感覚になっている。同期には結構そういう人が多い。
やっぱり会社や人、あとは業界によってもこの感覚は違うのかな。
…まあ、何にせよ、「郷に入っては郷に従え」ということだろう。
呼び方なんて、どうでもいいし。
前は苗字にさん付けで呼ばれてたのに、名前にちゃん付けに変わった。
1日に数回、話をするために私の席まで来るようになった。(部署は違うけどフロアは同じ)
休憩に一緒に行こうと誘われるようになった。
帰りの時間を聞かれて、一緒に帰ろうと言われるようになった。
私のことを「可愛がってる」と周りの人に言うようになった。
いまどきこんなに○○ハラって騒がれてるのに、普通こんなことするだろうか。
私のこと、仲の良い友達とでも思ってるのだろうか。
私はいま社会人数年目の20代で、職場が同じだけの40代の既婚男性とは友達になれないと思う。
唯一の共通の話題は仕事の話だったけど、部署が変わったのであまり話すことがないし。
話しかけられるだけで嫌悪感がすごくあって、まともに顔も合わせられない。
でも冷たくあたるとそのあと罪悪感を感じて、次話しかけられたら何とか気持ちを押し殺して笑顔で応答してしまう。
人の話を笑顔で聞いたり、相槌打ったりするのって、媚びを売ってるとかではなくて普通のことだと思うけど、
こんな風に変に気に入られるくらいなら不愛想にしてたほうが楽なんだろうな。