はてなキーワード: 経験値とは
圧倒的に経験値、見識値が低い
以前自部署に配属されてきた新入社員が態度も良くないし能力もあまり無さげだったので
「適当な仕事割り振っておくか、すぐに辞めるかもしれないし」的な感じで業務量のバランスとか仕事の難易度とかあまり勘案せずに仕事を振りまくっていたのだが
自分で調べたり他部署にヘルプ頼んだりしながらなんかかんやで仕事をこなしていき、入社3年経過時には同期トップの優秀若手社員みたいな立ち位置になっていたことがある
自分が昔ファイアーエムブレムをやっていたとき、オグマとかナバールは大事に育てる一方で、戦士のバーツは「まあ死んだら死んだでいいか」
って軽いノリでいつも先陣切って突入させていたらめちゃくちゃレベルアップしまくって最後の最後まで主力を務めてくれたことを思いだした
ドラクエウォークとは、位置情報をもとにリアルに住んでいる場所をフィールドに、まものを倒しながら経験値をあげ、歩数や特定のミッションをクリアして進めていくスマートフォン向けゲームだ。
自分は数ヶ月前から運動不足解消を目的に始めたライトユーザーだ。ドラクエに関してもテリワンを幼い頃に熱心にやっていたのと、最近の作品を少しプレイしているだけのライトオブライト層である。
周囲にやっている友人はおらず、個人で楽しんでいる。好みのイベントのときは積極的にプレイ、ひっかからないときはデイリーをこなすという程度のいわゆる「カジュアルウォーカー」である。
ドラクエウォークでは自分の家という機能があり、体力の回復や部屋のレイアウトなどを楽しむことができる。他のユーザーには、非公開・ぼかして公開(ランダムで数キロ離れた場所にできる)・公開と範囲を選ぶことができる。自分はぼかして公開を選びプレイしている。
フィールドに表示された他人の家に入ることでアイテムをゲットできる仕様は、つぼやたるを壊して何かをもらえるシリーズおなじみのギミックを思い出させる。
始めてすぐの頃、自宅からほどない場所に表示された家に何軒か入り、アイテムをもらった後に「いいね!」をして回った。
そのあとすぐに、自分の家に訪問してくれたユーザーがいた。これがなみうちぎわさん(仮)との出会いだった。家に入ると訪問履歴がつくため、訪問した人の家に訪れることができる。ただしその場合アイテムは得られない。なみうちぎわさんは律儀に訪問を返してくれて、さらに「いいね!」までくれた。
きっかけは曖昧だが、なみうちぎわさんは初心者丸出しの自分とフレンドになってくれた。そこからすぐにドラクエⅢのルイーダの酒場イベントが始まった。フレンドを味方につけて戦闘するシステムだったので、なみうちぎわさんに設定。そのとき初めて知ったのだが、なみうちぎわさんは上級職の中でも相当の腕前の持ち主だった。自分の10倍以上の攻撃力を持つなみうちぎわさんには、何度も助けられた。
なみうちぎわさんとフレンドになってから、彼の家や服装も意識するようになった。いつも最新のイベント仕様に着替えているので、本当にドラクエウォークが好きなのだろうなあと思う。自分は今もそこまでガチでやっているわけではないが、新しいものをゲットして身につけることを楽しみにしているので、なみうちぎわさんのプレイスタイルも参考にしていた。
なみうちぎわさんから家に「いいね!」がきてから、なんとなく「いいね!」を返したら、また「いいね!」がきて、さらに…という日々が始まった。現在、約3ヶ月が経った。もうすぐ100になる自宅の「いいね!」のほとんどはなみうちぎわさんからのものだ。
ドラクエウォークのプレイヤーなら分かると思うが、この「いいね!」という機能はあまり意味がないといっても過言ではない。それでも自分となみうちぎわさんとの「いいね!」合戦という奇妙なやりとりはほぼ毎日欠かすことなく続いている。今では「いいね!」が一日の楽しみでとなり、ゲームのモチベーション維持にもつながっている。なみうちぎわさんとのやりとりがある限り、自分がドラクエウォークのログインをやめる日はないだろう。
拝啓 なみうちぎわさん
ドラクエウォークが1年を迎えましたが、今日も変わらず「いいね!」をありがとうございます。
初心者だった自分も、もうすぐ上級職になります。ここまで長かったけれども、なみうちぎわさんの励まし(と勝手に受け止めています)のおかげでドラクエウォークを楽しめています。これからもまだまだ弱い自分ではありますが、「いいね!」を送り合うだけの見ず知らずの人同士でもありますが、よろしくお願い致します。
ここはど田舎の村で、周辺市町村では感染者もいくらか出てはいるが、まだ村内での事例は無い。
そんな中、都会から数年前に移住してきた女性がこのコロナ禍を受け、俄然色めき立った。
ど田舎の行政担当者は知識も危機感も足りない無能揃いなので、私が皆を啓蒙し、村を救わなくてはならない、と。
・新型コロナに関する知識は全てネット経由。PCR推進派で理想は世田谷区。
・感染症や感染管理の専門家では無いが、専門家にはない独自のもののとらえ方ができると信じている。
・それら知識を根拠に、行政の対応の遅さや不十分さを指弾する。
といった塩梅で、残念ながら広範な支持は得られていない。普通に考えれば、都会から来ただけで何の専門性も無い人が
薄い知識をもとに何かを訴えた所で、そりゃ誰も耳を貸す訳がないのは当然なのだが、彼女はそうは思わない。
「村民も行政も蒙昧な田舎者かつ排他的なので私の悪口や噂話ばかり。折角のすばらしい意見を受け入れようとしない」
・一文が長く、主述関係が明快でない。
・誤字脱字を気にしない。
・「感謝」「運命」「自分らしさ」といった情緒的な言葉が多い。
そして多くのトンデモさんがそうであるように、彼女は聖戦を諦めない。
田舎の人って、限られた範囲での人間関係を生きているから、都会の人から見ると「コミュニケーション能力・経験値が低い」
と思われがちだ。しかし実際のところは「限られた人間たちと利害を調整しつつ、長年にわたって共存しなくてはならない」訳で、
水面下での攻防も含め、相手の腹を探ったり角の立たないように相手を遠ざけたりといった手練手管に長けている。
いつでも切り捨ててリセット可能な、豊富な人間関係資源に恵まれた都会人とは鍛え方が違う(まあそれが嫌で都会に出ていく
人も多いんだけどさ)。
「東大生は仕事ができないwww」「一生懸命お勉強してきた高学歴がNNTワロタwww」と言った、自分より高学歴である人間をなんとしても見下さないと気が済まない人が一定数いる。確かにある一面の能力ではあなたに劣っていることは大いに有り得る。人間だれしも得手不得手はあって当然であろう。何故こんなことを垂れ流すか。僕は地方都市(都市と言っても程度は知れている)に生まれ、「勉強ばかりしててもー」だの「いくら勉強ができるからー」などと言った言葉を山ほど浴びせられながら育ってきた。「いくらサッカーができてもー」などと言った文言は聞かないのに、殊勉強だけはやたらと矢面に立たされる。幼いころから今日の今日まで、ずっと不思議で仕方がなかった。「みんなちがってみんないい」を一周回って逆行しちまっているぞ。
このことに対して一つの仮説として最近思ったのが、「この社会ではもしかすると頭を使わないでいられる機会は思った以上に少ないのではないのか」ということである。極端な話だろうが、飲食のアルバイトですら効率的な仕事をしようと思ったら頭がいい方が様々な状況判断を素早くできるはずだ。どころか、スポーツですら昨今は頭を使って考えろと言われる世界である。これまた極端な物言いだが「バカにスポーツはできない」とさえ聞いたことがある。このような頭の良い悪いの指標が、かなり一面的とはいえ、出てしまうのがお勉強なわけだ。ところで、この頭の良い悪いを超越☆人力できてしまうカードが経験なのだ。「知ってる人は知っている、知らない人は覚えてね」なんてフレーズが昔のCMにあったがまさにその通り。知らないことは知らない、できないのが一般的だろう(ごく稀にいる、経験を頭の良さで超越してしまうジョーカーを除いて)。なんて思っていたらちょうど言いたいことを言ってくれたツイートを発見した(https://twitter.com/kasuga391/status/1302555478543663104)。
すなわち、最初に述べた高学歴を叩かないといけない人は自分が苦労してきた分、経験値やその他の面で揚げ足を引っ張らないと気が済まない人だと言えるかもしれない。安易に彼ら彼女らにかわいそうという言葉は投げかけないでおこう。唯々、彼ら彼女ら自身が仕事のことなどで勉強せねばならなくなった際に勉強している自分に嫌悪感を抱いて消滅しないように願うばかりである。
婚活が終わったので脳に蓄積した要らないものをアウトプットして捨てようと思う
行ってた相談所では交際1ヶ月で意思確認、その後1人に絞ってから3ヶ月で結婚退会、というルールが決まっていた
それを3ヶ月やったところでお互いの何を知ってるというのか、と
それをカウンセラーに言うと、結婚していく人は週1と言わず時間取って会うし、会わない日も連絡を取り合っているようだ、と
これを聞いて私は、そもそもの恋愛経験値・コミュニケーションスキルの前提が違い過ぎる、そんな話はコミュ障で出不精で人付き合いが苦痛でしかない自分には何の参考にもならないと思ったものだった
3ヶ月の感覚は違っていたとは思う
次の約束が苦にならない
相談所には4年半在籍したが、それまでは見合いも交際も基本的には努力と苦行だった
平日残業疲れで帰宅し、交際相手との週末の予定について週中ごろから調整連絡をし、当日は早く起きて身支度をし会っている最中は努めて明るく楽しく過ごし、別れてからやっと一息つく
毎週会うのは疲れるので、週末に用があって1週あくとちょっと楽になった気がする
そうしているうちに相談所から連絡がある、交際についてどんな状況ですか?と
うんざりしながら当たり障りのない返事を遅れ遅れに返す
相手を絞る段階に進む前は、毎月のように申し込み締め切りに追われて、チケットを捨てるのもなんだしと手当たり次第に申し込む
交際している最中に別の見合いが入ることもたまにあり、そうすると土日が婚活で潰れる、休めない
お断り連絡や終了の連絡が来るのは落ち込むが、一方で
これでしばらく1人でゆっくり週末を過ごせると安堵する
そんな感じだった
相手と会うのはとにかく疲れなかった
毎週会っても疲れなかった
3ヶ月の結婚退会確認の時は、まだ3ヶ月なんだっけ?と感じたくらいだった
それまでは2ヶ月で結婚の話切り出されても、と思ったし、会って3ヶ月の人と結婚を決められるほど知り合えるはずもない、と思っていた
はーいポエム書きまーす。
こいつどうしても吐き出したかったのではてなアカウント取ったらしい。
サイコロフィクション系のルールによくあるラストのMVPシステムが嫌いだ。
何度もそれ系のセッションをやって、その度に私は選ばれなかった。
何度やっても、私は誰の琴線にも触れない。
誰が見てもこの人がMVPだろうという状況なんて一度もなかったし、現に票は毎回割れたのに、綺麗に私だけが避けられてきた。
消極的なプレイをしたわけでもない。少なくともそんなつもりはない。
一度セッションした人たちと二度とやらなくなるなどいうこともない。要するに何か重大なことをやらかしてハブられたわけでもない。
それでも、面白いように、私は選ばれない。
それでも私はセッションが面白いから、最後にそれが待ち構えていると知りつつ参加してきた。 そして、MVPを皆が指し示す時、今日こそは選んでもらえるかなと期待し、そして絶望するのだ。
でもセッションが面白いから、やっぱり今日もダメだったかーと諦めてきた。
一度だけ、選んでもらえたことがある。
その時は相当舞い上がって、定期的に書いているリプレイで選んでもらっちゃったんだけど!とうきうきして書いた。
でもそれ以外の私が書くリプレイにはMVPシステムの話は出てこない。意図的に省いている。もちろんMVPシステム自体がないルールもあるけれども。
何故かは言わずもがな。
もちろん結果はお察し。そう。2回とも。2回ともだ。
他のプレイヤーが各々MVPで選ばれた分の経験値を入れている時に、何かがキレてしまった。
チャットを閉じた後に泣き、寝る時に泣き、夜が明けても通勤中に泣き、就業時間中に泣き、昼休みに泣き、帰り道で泣き、これを打っている時も泣いている。
落ち着いた、大丈夫だ、と思っても、このことを思い出すとまた際限なく泣いてしまう。
こんなことで、と思っても、涙が止まらない。
このシステムがプレイヤーの善意を引き出すために設定されたものだと知った。
最終的にみんなに評価されると認識していれば、変なプレイはしないだろう、という牽制をこめたシステムなのだそうだ。
そんなシステムに
苦しめられているとか
もうこんなのどうしようもないじゃない
私はもう二度とMVPシステムを搭載したルールでは遊ぶつもりはない。
MVPシステムのあるゲームで2つほどキャンペーンやってたけど、二度とやらない。というか、やれない。
MVP選択の度に恐怖に晒されるだろうし、仮に奇跡的に選んでもらえたとしてもおそらくもう喜べないだろう。
大体、そういう状況になった時に泣かずにいられるかまるで自信がない。
キャンペーンのうち1つは、一度時間切れでMVP選べなくて「次回までにMVP決めてきてね!」と言われたのが原因のひとつとなってその次回に適当な理由をつけて休んだ。
そのセッションに関してはMVP選択されたからキャラシーに何ポイント入れておいてね、などという話は以降なかったので、おそらく「また」だったのだろう。
ほんと参加しなくてよかったと今になって思ったので、その頃からもうだいぶ限界だったと思われる。
誰かのロールに笑ったり、感心したり、感動したりするのが好きだった。
そんな交々をリプレイにして、面白かったって言ってもらえるのが好きだった。
そういう楽しい思い出がなかったことになる勢いで悲しい思いをしていること自体が、今一番つらい。
ブランク込みだけど一応学生時代から長い間TRPGをプレイしてきて、こんなことで限界を迎えるとは思わなかった。
私は誰にも選ばれない。
自分のことが一番信用ならないし、自分のことに精一杯だから、恋愛や結婚のことは考えられないし、当然ながら子供のことも考えられない。そこまでは理解してもらえるのに、同じ理由でペットは飼えない、というとあまり理解してもらえない気がする。
人間だってお互いに何を考えているかわからないのに、言葉を発しない動物なんてもっての他で、ひどく恐ろしいものに思えてならない。
言葉を発しないから自分のそばにおいていても構わないというなら、エゴなのではないかと思ってしまう。命をあまりに軽々しく考えすぎなのではないか。
知人からペットの話や、またペットを飼いたいとか、そういう話を聞くたびに、気持ち悪いなぁと思ってしまう。こちらもこちらで、大人しく「そうだね」とか「かわいいね」と言って黙っていれば良いものを、下手に自分の考えを口に出してしまうものだから、微妙な空気が流れてしまう。
動物は美しいと思う。動物園も水族館も好きだし、ナショナルジオグラフィックも好きだし、BBCの野生動物に関する番組も好きだ。でも飼いたいとは思わない。こちら側と向こう側の間にはアクリル板や金網があるくらいの距離感でいい。その距離以上は近づきたくないので、猫カフェや猫のいる温泉に行こうと誘われた時は、丁重にお断りした。見るのはいいが触りたくはない。
そもそもあまりペットを飼っている人間が好きではないのも影響している。NHKでも民放でもペットとその飼い主についての番組を放送しているが、そういうものが本当に苦手なのだ。赤ちゃん言葉でペットに話しかける飼い主や、人間が映像の上からアテレコを行った映像が苦手だ。あの手の映像をペットを飼っている人間は可愛いと思って見ているのだろうか。
仕事として動物を飼っている人間は素晴らしいと思う。経済動物や実験動物を飼育している方々や、動物園や水族館の職員の方々は尊敬に値する。ただ本当に一般家庭にいるようなペットと、その飼い主が苦手だ。
最近気づいたが、猫を飼っている人間と小さな犬を飼っている人間が最も苦手だ。大型犬はデカいなとは思うが、大きい分だけ飼い主も経済的にも経験値的にもしっかりしているだろうからあまり何も思わない。ただ、猫と小型犬は経済的にクリアするハードルが低く、その分飼い主は「こんなに小さくて可愛い動物が嫌いなんて」みたいな顔をする。結局ペットじゃなくて、ペットを飼っている人間が嫌いだ。それがわかっただけでクソみたいな文を書いてよかった。
つらーっと上澄みだけ読んだ結果、凄く良くできた秀作だなあと。下の増田が言うように天才ではないけど、まとめる才能がないとあの構成できないから。間違いなく学習型の才能。つまり秀才。
主人公への出題の仕方がいいんだよ。要するに主人公への問題提起とその乗り越え方を演劇の技術論を通しつつ語ってゆく。片方づつではなく同時にやるのがうまい証拠。並の作者の場合技術論と心象風景が分離する。更にこの原作者には余裕があって、銀河鉄道のメタ発言をキャラの思惑に乗せて、作者が言いたいであろう心情を上手にカモフラしつつ物語のメッセージ性へと昇華している点。その中でキャラの相関と化学反応を上乗せして物語の難読化を図っている。たった1~2巻程度しか登場しない演出家兼脚本家大御所と、その男によって人生を台無しにされた女優の凄絶で深い愛憎なんかもよく言葉少なに語れるもんだと思う。大変うまい。圧倒的経験値。
ただ巧み味走りすぎて誰にも寄り添ってない感じがして、自分は揺さぶられないと言うか。まさに表面上のカメラ写りと演技を知り尽くしたサブヒロインの彼女のような、達観した気持ちで原作者が描いてると思うんだよね。だから自分の才に溺れて有頂天になった結果今回の事件かなと。個人的に「強制」じゃなけりゃ性的交渉は単なる商取引に過ぎないので良いと思ってますが、強制はまあなあ……。