はてなキーワード: 社会とは
頭がいい人が居るなら人口増を食い止めるよりも老人が溢れかえる社会の方をなんとかすべきだった
体だけ動く元人間みたいな人達のための席が、いつまでも用意されているのが現状
老人ばっかの世界になるなら、老人で自活出来る社会に変革しないといけないのに
「体が動かない」「頭が動かない」なんて状態は許されず死ぬまで働き続けなければいけないと思う
頭がいい人が全力で取り組むべきことはソレ
そもそも飛行機の添乗員になんで容姿求めるんだ気持ちわりぃ。求める社会も、求められて喜ぶ女も。
給料も高くない。
なのに美人の仕事だ〜!思って応募する女たち。ただの客室乗務員だぞ?変だろ。。
エアラインスクールとかいう就活対策学校もあるの、おかしくね?それになんで金払う?
すっぴんとかナチュラルメイクだけして、バチバチに決めてないやつばっか。
そういうのでいいんだよ。
お前が人間関係下手な社不なだけだろ。
「優しすぎる」といえば聞こえは良いが、「逃げられない」「不満を口にしない」「溜め込む」の結果メンタル壊すの馬鹿みたい。
普通の人なら耐えられるような言葉に耐えられず、「あなたの発言の数々で心を病みました」とか、それを言えるなら心を病む前に「嫌だからその言い方はやめてほしい」と言えよ。逃げられなかった、逃げるスキルがなかったお前の社不性にも原因はあるのに、相手が明確に傷付く言葉だけ残していくなよ。
「嫌だからやめてほしい」と言って、やめてもらえなかったら確かにそれは相手が悪い。ただ言ったらやめてくれる人もちゃんといるんだわ。
人間の相性なんて無限にあって、折の合わない人だってたくさんいる。暴言や暴力となると犯罪だし相手が100悪い。ただ「言い方が合わない」人なんて腐る程いる。社会人になったらその中で上手くやっていかないといけないんだよ。それが人間社会だから。
職場がメン弱社不に乱されて苛立ち。
何年、何十年と一生懸命練習して必死に習得してきたスキルが、aiの登場で一瞬で陳腐化する喪失感って凄まじいものだと思うんだよね。
自分が死ぬほど苦労して生み出した会心の一撃が「エモい絵」一言のプロンプトで数秒で生成されるai絵に敵わないことに絵を完成させる度にわからせられるんだぜ?
「絵師ざまぁwww」とかバカにしているかもしれないけど、今後あらゆる分野がaiに飲み込まれていくことが想像できるから絵にかかわらず語学でも、学問でも誰も苦労してスキルを磨こうとする人はいなくなると思うんだよね。
精神病と名がついているが、ほとんどの患者は普通だ。ほぼ健常者だ。
一方で社会の基準がどんどん上がっている。膨大な仕事量が待ち受けており、それに適応できないと病む。
それが深くなると精神病とされる。
当たり前だ。社会の方が病んでいる。
社会に存在する仕事の要求量は上がっている。要求されるクオリティも高いし、量も多い。
そんな中で、「あなたのペースでいいんだよ」「休んでいいんだよ」と言っても、仕事が減るわけではない。そいつの仕事は減っても他の人間への仕事はその分増える。
そんなふうに優しく言うと、儲かるから言っているだけだ。
もしくは、強メンタルの人でも一時的に病むことはある。休んだあとは、あとあと頑張ってもらうために言っている。
そして資本主義は容易には変わらない。所有権は資本主義の基本原理であり、富裕層は所有権を絶対に自ら手放さない。
あなたたちも自分の全所有物を「まず手放せ」と言われたら嫌だろう。それに、「誰」に手渡す?
歴史的にも共産主義は否定されている。にもかかわらず資本主義の打倒に命を賭けるべきか?
「いいんだよ今は」
「ゆっくりでいいんだよ」
「そんなにがんばらなくていいんだよ」
「あなたのペースでいいんだよ」
「無理しないで」
「焦らなくていいんだよ」
「がんばったね今まで」
「気が向いたときでいいよ」
「つらいよね、くるしいよね」
「疲れてるみたいだけど大丈夫?」
なんだこれ。ナメてんのか?
弱いなーーーーー。
弱いんだよ。慰めっていうのは弱いのか?
言う側も同じ人間だろ。どの立場で言っている?テメェは神か何かかよ。
本来は以下のようにならなければならない。
「テメェって、よわいよなあああああああああ!!!!!!!!!!」
「おまえって、ザコだよなあああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
「おまえさああああああああああ、みじめだよなああああああああああ!!???!!!」
「もう立ち直れないよなあああああ!!!! 可哀想になああああああああ!!!!!」
「お前の人生さあああああああ!!! 一生そのまま固定だよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜????」
こういう意味だろ。しっくりこないか?誰もこうやって直接的には言わないんだよ。言うとバッシングされるからな。そいつが物理的に危険にさらされる。
違うだろ。
弱者はそんなに弱くない。もっとしたたかで、強く、ずる賢く、悪辣なんだ。
目の前にクマや虎がいて強烈に飢えているとする。
絶体絶命だ。もう助からない。
そこで病むのか?
誰かあーーーーたすけてぇーーーーーーと叫ぶのか。
クマがたくさんいて、人間もたくさんいるから、クマには「こっち来ないでくれ」と思っているし、人間には「誰かなんとかしろよ」と思っているのだろう。
助けてもらえるうちはまだいい。だが誰も助けてくれないときにも病んでどうする。
クマがまさに目の前まで迫っていて早急に対処しないときに、慰めの言葉は何の武器にもならない。
こうだ。今はそういう社会なんだ。
金を直接は配らないかもしれないが、そいつは持っている金を配る。
そういうやつを待っているのか。そういうやつは忙しい。病んでいる人間にかまっている暇はない。
まあ、病んでいる者の大変さはわかる。いや究極的にはわからないんだが。だが90%ぐらいはわかる。
しかしそうやって病んでいたとして助けてもらえるのは今だけだ。
こう言うと奴らは「うわーー理解してくれないーーー!!死にてぇーーー!こういうやつがいるから生きづらいーー!」とか言う。
ほーーーー?
敵対する元気はまだ残っているようだな。使えるな、コイツ、と俺は思う。
そういうやつは死にてぇ死にてぇって言いながら死ねてないのが現実だ。
なぜなら死は難しい。米食いながら死にたいとか言ううちはまだ甘い。糠でも草でも食っても人間は生き延びられる。
病んで病んで病むのは、そうすれば助けてくれる誰かがいると思っているからだ。わかっていてやっている。
助けが来るうちに病んで病んで病んで、それで他人に迷惑をかけている。そして他人に迷惑をかけることを正当化する。
なぜ自分が病んでいるのか、自分が病むことはどうして正しいのか、徹底的に理由を作り上げる。そこには水も通さない。
病んでいるとき、存外人は冷静だ。病んでるとき、意外と楽しいものだ。その病んでいるという状態は快楽だ。楽だ。それ以外がんばって考えなくていいからだ。
だが助けは来なくなる。奴らはよくわかっている。だが、未来のことを考える必要はない。
奴らにとって、未来の自分は他人だからだ。未来の自分に莫大な希望を託している。
未来のことを考えて奴らが病むときというのは、その未来の自分への負荷が上がったと確信したときだ。
経済的困難もなく不自由がないのなら病む必要はない。将来の見通しがある者は病まない。見通しがないと病む。
あとがなくなれば病んでいる暇はない。
良い方向に自分を放り投げて退路を無くせ。進むしかなければ進むしかない。
戻る道をふさげ。
「いいんだよ今は」→「今こそやるべきときだ」
「ゆっくりでいいんだよ」→「急いで動け」
「そんなにがんばらなくていいんだよ」→「ようやく腰を上げてがんばろうではないか」
「あなたのペースでいいんだよ」→「お前のペースを上げろ」
「無理しないで」→「無理をすべきときがきた」
「焦らなくていいんだよ」→「焦ってばかりいるが、手足はなぜ動いていない?」
「悩んでることがあるなら相談にのるよ」→「ぐずぐず悩んでる暇があったら動け」
「あなたはそのままでいいんだよ」→「このままじゃダメだってわかってるだろ?」
「がんばったね今まで」→「まだまだこれからも同じように頑張っていけ」
「気が向いたときでいいよ」→「気が向け。今すぐ。今、気が向け」
「つらいよね、くるしいよね」→「こんなつらさやくるしさは、いつだって乗り越えてきただろう?」
「あなたの心がいちばんだいじだよ」→「おまえの心の成長がいちばんだいじだ」
「疲れてるみたいだけど大丈夫?」→「休んだら次!」
これだよ。できなきゃ身の破滅が待っているだけだ。死ぬか行くかだ。
お前も落ちてこい、落ちてこい、地獄はこっちだ、お前を利用してやろう、お前はそのまま搾取されろ、お前はダメなままでいい、お前はカスのままでいい、お前は地獄に堕ち続けて苦しんだ方がいい、お前は成長しなくていい。
そんな言葉や人間であふれている。そしてそれが正義だと思われている。
病んでんじゃねーぞクソガキ。
平気だったのに…
大きな病気をしてリハビリ中に出会ったSNS知り合いとゲームするようになり
ふたりで遊ぶようになって1年後。
自分も元気になり社会に復帰し、その人は別の友だちを見つけた。
毎日のように遊んでいたのに、その人は別の人としか遊ばなくなり
声をかけても面倒な感じで冷たくされるようになった。
自分でも驚くくらいに執着しているのがわかる。
まずい…。
このままではまずい。
相手には仕事が忙しくなったと言って、なるべくSNSをしないように心がけてみた。
しかし、たまにチラ見えするその人の楽しそうな姿にびっくりするくらい不快になる。
どうしてしまったんだろうなあ自分。こんなキャラではなかったのに、初めてでどうしようもない。
SNSでしかない縁もあったが、この際全部一旦休止してしまうのがいいかな。
寂しさがすごいけど、そのほうが自分の心のためにもいいのかもしれないな…。
どうしちゃったんだろう、自分。
それは子供のことを考えれば考えるほど、子供を持つのはやめよう、という流れになるのだから。
男女間の自由恋愛志向の上昇もそうだけど、男女間の結婚観も変化も見逃せない。
女性が結婚したくない理由については色々語り尽くされているが、男性側にも結婚したくない理由はある。
男女平等なのだから一家の大黒柱の役割を押し付けられたくない。
その月1.5万、年18万円もらえる上限ギリギリの人が結構お得ってことです。
830万円はその他控除がない場合の話かなと思う。
実際には子供人数やその他控除があってもうちょっと高くても子ども手当がもらえることが多いように思います。
(自分自身にはこういった手当と無縁ですし境目の年収帯でもないので詳しく計算してないけど)
800-1000万円あたりで子ども手当とか授業料の減免とか、複数の手当や社会保保証制度が対象外になるせいで
800万円がちょっと税率が低くて、1200万円くらいは実質税率がかなり重くなるって事になってるんですよね。
各種手当の制度の方で、上限を作っちゃうと変な事になるので、そちらでは上限を作らない方がいいんじゃないかなあって話でした。
絶対的に自分より劣ってる人間の世話を焼いていると自分が相対的に立派に見えてくる。
世間一般では「人権を擁する猛獣の相手をさせられて薄給なんて最悪の仕事だ」と思われているが、給料が低い所以外は実に楽しいぞ。
結局の所、障害者なんてのは本当に動物と紙一重なんだけど、そこを割り切れるのが本当にいいんだ。
俺は昔とある企業で事務方をやっていたんだが、事務方ってのはつまる所は健常者の障害者じみた部分について尻拭いをしてやる仕事だ。
ご立派に健常者してるはずの連中相手に「伝票が揃ってませんよ」「書式が間違えてます」「これテンプレが古いバージョンですね」とかいちいち言うのはこっちも疲れる。
相手だって「おいおい俺様は健常者なのにそんな障害者に接するような態度を取りおって(#^ω^)」とイライラしているのが伝わってくる。
それもこれもお互いが一人前の人間同士だから起きるストレスだ。
だが片一方が四半人前の障害者だったらどうだろう?
向こうがイラついても「やれやれ障害者は脳が小さいことも多いからな」と諦めがつくし、話を聞いてなくても「おっと、障害者には難しかったかな?」と自省する余裕さえあるってもんだ。
たまに人並みのことをしてるのを見たら日光の猿が算数の問題を解いてみせたような驚きと喜びが得られる。
実に楽しい。
なにせ獣というのは所構わずウンコをする奴らしかいないが、障害者の9割はちゃんとトイレまで行ってウンチをする。
躾けられた飼い犬だって散歩のときは平気で野糞をするのを思えば、人間という種族の偉大さを感じるというもの。
時折トイレにクソを塗りたくるモンスターもいると聞くが、そういう連中はいよいよそっち方面が怪しい人向けの病院へと消えてくれるので、そういう職場を選ばない限りは相手をしなくていい。
障害者はリミッターが壊れているから凄い怪力とも言うけど、ちゃんとした筋トレもせず甘やかされて育っただけのホモ・サピエンスなんぞ猛禽類やヒョウ属と比べればどうでもなる相手ではないか。
動物を対等の存在として見ているような似非動物好きと違い、人間様に敗北した霊長レースの二番手以下として好いている。
ロクに爪も牙も生えていない毛無しの猿に負けるような知能の低さを愛しているのだ。
サバンナでは向かうところ敵なしと君臨していた連中が大学生ぐらいのバイトからバケツで餌を貰って大人しく食っているのを見ると「ああ、コイツらは地球の覇者にはなれなかった負け犬なのだなあ」と感動してしまう。
俺は自分より弱い相手に優しさを振る舞うというのが楽しくて仕方がない。
弱い奴らの何が素晴らしいって、俺がちょっと優しくするとみるみる依存することだ。
生殺与奪権の欠片を毎日少しずつこっちへと譲っていくその姿を見ると、「ああ、コイツらは本当にどうしようもない」と感じて、大事にしてやりたくなる。
駄目な奴というのは、こっちに依存してくれる。
でも健常者同士でそれをやるほどの根性はない。
だが執着は消えない。
その隙間を埋めるように、この人間社会で他人の助けを借りなければ生きられない連中を日々愛でているわけだ。
楽しい。
女が辛い辛い言ってるのってどれも減点回避のための辛さでしょ?
生理が辛いので薬で誤魔化す
そういった自縄自縛の地獄絵図を自分たちで作っておいて奴隷の鎖自慢に毒されているから辞めようともしない。
マナー講師に仕組まれた代理戦争みたいなことを延々と繰り返してるだけのしょーもない辛さ。
そのしょーもなさこそが辛いっていう。
対して男の辛さはひたすらに加点法
結果を出せないなら存在価値なし
男の世界ってのはひたすらにマッチョイズムでどこまでハイスコアを叩き出せるかというゲームが延々に続く。
人間をゲームの駒みたいに性能だけで測って弱い奴には一切の容赦をしない。
たまに見せる優しさも結局は強さアピールというひたすら強さ力パワーの世界。
男の世界ってどこまで美化しても結局は強い奴=正義の価値観なんだよね。
正義は必ず勝つ!=勝ったから俺達が正義 のちびっ子向けヒーローの価値観で一生生きてる。
永遠の万人闘争状態を生きるブリリアントジャーク溢れるパワー主義のサイコパス地獄。
身近なボスが作ったクソ見てーなお気持ちルールを利益度外視で守ることが最重要。
そしてそんな猿山ワールドが多重構造になり無限のウォーターフォールと井戸端が形成される無間地獄。
オリンピックの見世物でジェットパックが飛んできた時の衝撃って格別だったんじゃないかなって思う。
演出のセンスとかそういうのじゃない、「夢」があるなって。GTAもジェットパックで飛び回るの楽しかったもんな。007は知らん。
空飛ぶ車やステルス迷彩のデモンストーションなんかを見ても、お〜〜…………くらいにしかならない。
まあありえなくはなさそうなくらいの技術だしな……
といって実用には程遠い代物だろうし、フィクションの中のスタイリッシュな姿にまるで追いついてないし……っていう。
そういうのに感動を覚えるとしたら、すっかり実用化されて町に溶け込んだその時、ふとした拍子に感慨が湧いてくるんじゃないかと思う。
なんかギリギリ手の届くような地に足のついたびっくりテクノロジーって掘り尽くされちゃったのかなって思う。
ここ5年か10年かで流行りのドローンだって、言うてもラジコンヘリは昔からあった訳で。使い方の問題とマイナーな部分での技術向上というか……
DSが出た時はタッチパネルにはしゃいでたな。今は誰もが全面タッチパネル操作の板を持ち歩いてる。
iPhone7だかの、振動でグリっと押したような錯覚を与えるホームボタンは結局定着しなかったな。面白がって友達のやつしょっちゅう押してた。
ChatGPTは結構凄いと思ったかもしれない。ただ返答のパターンを増やすだけの進化とは違って、初めて自律的なものを感じた。
おもちゃに使われてるような無課金のやつでもあれなんだから、相当凄い所まで行ってるレベルのも隠されてるのかもしれない。
でも人が単身で飛び回るのに比べたらなんかささやかだ。ささやか過ぎる。
社会の仕組みをじわじわ変えはするのかもしれんけど、インパクトに欠ける。もっと秘密道具みたいなさあ。
日大・底辺駅弁もバカだけど落ちる奴が少なからずいる時点で一定の学力のある人間が集まってきてるわけじゃん
でもさ偏差値すらつかないレベルの大学って3年間その最低限の勉強すらしてこなかった人間が来るわけで、そんな奴が「大学で勉強頑張ります」って言われても説得力無いわ~
大学には進学してる時点でそれなりの経済的余裕もあり、学ぶことを大切だと理解できる環境には置かれてるわけでそんな状況で一切勉強出来ないんだったら、何かを学んだり頭を使うことには向いてないんだから専門学校に行くなり、高卒で働くなりする方が本人にも社会にも有益だ
「またブスにマウントされたまんこ〜あー!!ムカつくおまんこよ〜!!腹立つまんこォ〜!!このブスアタクシたちのおまんこ社会をバカにしてぇ〜おまんこ社会の道理を理解してないまんこォ〜まんこの道理を叩き込んでやるまんこ〜」
「またブスにマウントされたまんこ〜あー!!ムカつくおまんこよ〜!!腹立つまんこォ〜!!このブスアタクシたちのおまんこ社会をバカにしてぇ〜おまんこ社会の道理を理解してないまんこォ〜まんこの道理を叩き込んでやるまんこ〜」
結論:他ジャンルより読む側、書く側の双方のハードルが低いから
現実社会を題材にすると「これはあの会社のことか」」 「これはあの政治家のことか」 等々の連想や邪推を招く。昔から「この作品はフィクションです」という断り書きでそういうクレームを遮断する体裁はあるが、断り書きを書いてても消費者や企業、政治絡みや宗教絡みの諸方面からのクレームを避けて通るのは難しくなっているし、〇〇警察の声はSNSを通して響き渡るようになり、昨今は海を越えてのクレームまで届く(昔なら海外を舞台にすればクレーム回避できたのも、今だとできなくなりつつある)
アニメ化、コミカライズなど映像化前提の話だけども、魔法やモンスター、王侯貴族の豪華な服装や建築物など、ビジュアル面で派手な要素を入れやすい。実写はCGや衣装やロケなどで高額の製作費が必要なので話は別だが、アニメやコミックなら現実世界とファンタジー世界の描写にかける手間やお金の差は比較的少なくて済む。
20世紀までだとファンタジーは「知らない人に説明する」ハードルが極めて高かった。「現実世界とあれが違う、これが違う」という説明をしてからでないとストーリーを進行させられなかったため。異世界を描写する手間を考えたら、日本なら時代劇、アメリカなら西部劇のように様式化された過去を舞台にしたほうが説明する必要がなくて楽だったが、RPGが共通言語を用意し、それを踏まえてハリウッドでCG大作ファンタジーが製作されて「ファンタジー世界はこういうもの」という共通認識が共有されて、説明の手間が大幅に減った。エルフもドラゴンも説明不要になった上に、レベルやスキルの概念までフル活用すれば説明の大半が省略できるようになった。
ファンタジー世界の住人だけで進めると「そこに魔法があるのが当り前」 「そこにモンスターがいるのは当たり前」なので説明台詞を入れられない。読者向け解説が手軽に欲しいとき、異世界転生したから現代人の感覚を持ち込んで問答できるのは超便利。(いまは異世界のテンプレートがかつての時代劇や西部劇と同レベルの共通認識となったので、転生者を入れなくてもファンタジー世界の住人だけで話を作るのも容易になった)
異世界転生以外のジャンル(学園物やお仕事もの、趣味活動ものなど)も普通に人気だし、比較的作りやすい(クレーム回避的な意味で)ので量産されまくってるが、異世界転生ジャンルは20世紀の頃はなかった(少なくともジャンルとなるほど量産されてはいなかった)のもあり、さらに製作費的な意味で実写ドラマや実写映画になりにくくアニメやコミカライズだけ先行してしまっており異質に見えてしまう。