クリスチャンみたいに、どこかで神様がみていらっしゃるとは思わないけれど、悪いことをすると罰が当たると思えて言えない。
そんなわけで、陰口も叩けない。
私だって、言いたいことくらいあるさ。
と心のなかで呟いて、心の中で取り消すのが精一杯さ。
せっかくの朝だ。
ジョギングでもして心を晴らそう。
オッス、元増田です。ご検証ありがとうと礼儀としちゃ言うべきなんだろうけど、そんな話じゃないんだけどなーという印象。
「僕らの世代は実際には手塚漫画を読んでないのね」は主語が大きすぎてなんともですが、個人的には少年チャンピオンで「ブラック・ジャック」終了後も「七色いんこ」や「ミッドナイト」はよく読んでました。「ゴブリン公爵」は忘れてください。
また手塚クラスになると過去の名作に触れる機会も多く、「火の鳥」(「太陽編」の前まで)は朝日ソノラマ版で読んだし「ブッダ」も床屋で読みました。
ここで全称命題の話にしますか(笑)。前世代、前々世代に比較すればあながち的外れな考察でもないと思いますけどね。もちろん統計データなんてありませんけど、クラスのほとんどが読んでいた、半分くらいは読んでいた、5人くらいは読んでいた、と比較すればほとんど読んでいないという大きな主語は、この場合、個人的にあれも読んでいた、これも読んでいたというのよりはよほど実態に即していると考えます。それともそれこそ何か統計的なデータでもお持ちでしょうか。
1971年生まれで、チャンピオンを追いかけている人は相当稀少だったのではないでしょうか。何といっても同時代的には「ドラゴンボール」「北斗の拳」「聖闘士星矢」「キン肉マン」などのジャンプ黄金時代だったわけですし、6割ジャンプ、2割マガジン、1割サンデー、残りの1割でその他というのが実感です。70年代黄金期を過ぎてのチャンピオンの凋落ぶりは言うまでもなくて、看板作品でも老若男女誰でも知っている作品というのがもうここ30年ないですよね。
たとえば週刊ポストには「弐拾手物語」が長期連載されていましたし、週刊プレイボーイが本宮ひろ志の「俺の空」を載せたり平凡パンチは岡崎京子の「ジオラマボーイ パノラマガール」を連載してました。
「漫画が一般雑誌に掲載されたのは大昔にはあるかも知れないけど80年代の文脈で言えば手塚だけだったね」は勇み足というか、元増田の興味に引っかかるのが「アドルフに告ぐ」だけだったものと想像します。
ま、これは確かにそうですね。一般週刊誌は文春、新潮、朝日のみというのが感覚的には正しいと思います。この三誌とそれ以外では、オーソリティがまるで違うからです。この三誌がクオリティマガジンとは言いませんが、WILLに連載するのと、中央公論に連載するのとでは全然意味が違うのと同じです。ロッキード事件やリクルート事件など社会的な問題でたびたび尖兵となってきた雑誌と、スポーツ新聞に毛が生えたような雑誌とでは社会的な意味が違います。それは現在に至るまで、掲載されている作品の内容でも歴然と異なります。
特に80年代は、週刊文春は花田体制の下、絶頂期にあって、100万部を毎週越えるような規模としても内容としても一軍でしたから、基本的には政治経済、時事的なトピックでそれだけ中心的に扱われているメディアに漫画が乗った(プレイボーイならいざ知らず)ということ自体がトピックであったという意味で、アドルフの例は出しましたけどね。ただしアドルフ以後、この三誌での漫画連載は定着しませんでしたが。
ブコメで「サンコミックスが昭和40年代に出るまで単行本はハードカバーが普通、ただし人気作しか単行本化されなかった」とあります。
純粋にハードカヴァーの作品自体であれば貸本屋の漫画は基本的にハードカヴァーでしたし、店頭でよく見かけるものとしては、学研の「ひみつシリーズ」もハードカヴァーでした。ただしサンコミックスなんてほとんど誰も知らないように、社会的な景色の話ですからマニアックな話をしてもしょうがないわけです。平積みにされて、多数の人が「おお、漫画もハードカヴァーになる時代なんだな」と認識することが重要であって、消費物としてではなく作品としての漫画、芸術としての漫画という意味合いを一般化したのは手塚がやはり尖兵であったという、そういう話です。「火の鳥」と「のらくろ」のどちらが先なのかは分かりませんが。
赤塚さんはあと、コロコロでは「花の菊千代」を連載しています。その後、ボンボンでも何作か連載していますが、知る人ぞ知るという程度の作品で、連載作家として仕事はしていたわけですが、雑誌の主力になるようなパワーはなく、その仕事自体が大御所としての余暇的なものであったと思います。
何とは言わないが、ひとつの区切りが付いたタイミングなので、追記する事にした。
ウサギィが社外のエンジニアを安く買いたたいた件が、じわじわと話題になっていた当時、僕の経験を元にウサギィ社長と会った話を記した。
今、ウサギィという会社は変わっているかもしれないし、昔のまんまかもしれない。
ウサギィの社員をRubyのイベントで見かけるようになった。そして社員が執筆したRubyの書籍も、良く出来ている。
HTML5 Japan Cup 2014では、ECサイト賞と花王賞を獲得した。プロダクトも素晴らしいと思います。
HTML5+画像認識(HTML5とか勉強会LT) - SSSSLIDE
画像解析の機能を分離したサービスがリリースされた。大変よく出来ている。
最先端の画像認識技術が簡単に試せる『画像解析できるマン』をリリース致しました。(2015/5/19)
Googleでウサギィとぐぐると、公式サイトの次にこのエントリーが表示される。
申し訳ない。という気はさらさらない。当時書いたこのエントリーを覆す気はないし、当時僕が感じた社長のニヒリズムと態度は、すこぶる不快だった。
が、あのとき社長が言い放った「何も話す実績はないし、聞かれても話す事はない」という状態ではなくなったと思います。
(別に守秘義務を破れと言っているのではない。来客に対して、品定めするような目でありながら、己の手の内を明かさず、悪辣な態度に腹が立ったのである。いくら守秘といえど、ものには言い方がある。)
今のウサギィには、いくつかの公開された実績があるし、コミュニティでの活躍もある。
これからも頑張って欲しい。ウサギィの今後を、応援してます!!
追記はここで筆を置き、以下は2013年5月当時のままとする。
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http://anond.hatelabo.jp/20130510163712
id:ssig33さんが「山岸和利の話」というエントリーを公開しているから、
彼についての技術力とか、金額が妥当かどうかは、そっちを参照。
それはともかく、僕も昔、ウサギィに見学に行ったけれども、良い印象を持たなかった。
とにもかくにも、社長の態度が悪いです。見くびっていたのでしょうね。
こちらの技術力とか、経験とか、雰囲気を見て、下に見る感じでした。
非常に失礼な応対だったので、同行者がいなければ、さっさと帰ろうと思ったほどです。
イラツキ半分、どうしようもないなぁ半分という微妙なきもちで、彼らの会話を見ていました。
それでいて「ウサギィでは何を作っていらっしゃるんですか?」と問うと「守秘義務だから」って、何も言わぬし。
そんな会社に、なぜ自分の実績や経験を話さなければならないんだ。って気分になりました。
いや、守秘義務は守秘義務だけどさ。君らの手札を見せないで、なんでこっちの手札を見せる必要があるんだろうね。
それとも「コイツには手札をチラ見させる必要もない」って判断をされただけかもしれませんが。
そもそもこちらは、ウサギィの守秘義務案件を聞いて、どうこうしたい訳ではない。
お話のとっかかりというか、コミュニケーションとして「どんなお仕事しているのですか?」と尋ねるのは、「今日はいい天気ですね」と同等レベルだと思う。
要するに気を遣っているだけなのだ。それに対して「守秘義務なんで」の一言シャットアウトは、さすがにコミュ力低すぎてびびる。
守秘義務と職業倫理が結びついている、医者や弁護士だって、もっとましな返答をする。
どうせ僕以外にも多くの人が同じ質問をしているだろうから、トークスクリプトを考えた方が良い。
小規模ベンチャーにありがちな、技術力至上主義的な考え方を持っていらっしゃるようでした。
でもさ。はっきり言って、飛び抜けて技術力持ってる。って訳じゃないよね、ウサギィの中の人。
もちろん、得意不得意分野はあるだろうけれど。
何か専門分野の特許を持っている訳でも、それに相当するような研究開発をしているわけでも、
特定の業種に特化してソフトウェア開発しているわけでも、不特定多数の人に使われるソフトを公開しているわけでも、
オープンソースの世界でバリバリ活動しているわけでもなく(WikiにRailsの機能紹介があるくらい)
何やっているかと言えば、いろいろな会社の社内ツールとか作ってるんだよね?ウサギィって。
でもさ、ウサギィ規模の会社が、外部非公開&守秘義務縛りの社内ツールしか作っていないって、結構つらいんじゃないかな?
7年(だっけ?)も会社やってるのに、訪問してきた人に、1つも話す実績がないって、なにやってきた会社なんだよ。どういう契約なんだよそれ。
そりゃ、お邪魔しても海鮮丼食べておしゃべりして帰るしかないよ……。
別にコンサルタントみたいなこと言うつもりもないが、会社として軸足持った商品開発した方が良いんじゃないでしょうかね。たぶん。
その全部がプロフェッショナルとして価値を提供できているんだろうか。あの人数で?
もしそうなら、すごい逸材ですね。かずー氏も町裕太社長も。
それから。会話でも採用情報でも、「デザイン、デザイン」ってやたら言ってるけれども、
ウサギィのウェブサイトは何年前のデザイン・センスだよ!!!!リニューアルしてこれかよ!!!!
いくらペーパプロトタイプで裏側設計をデザインしても、表向きの表現力がないなら、ただの残念ウェブサイトです。がんばりましょう。Adobeも月額5000円で使えるんだし。
えーっと。技術力がある人って、ウサギィみたいなことやっている会社に魅力を感じるんでしょうか?どこに?
ウェブサイト、リニューアルしてました。この増田を読んでくれたのかなぁ。おーい、かずー氏、みてるー?
今風になって、なかなかシャレオツだと思います。さすが、ソースコードも綺麗です。
まぁ、この記事を書いた当時は糞ダサかったって事で。
悪いコトばかり書きすぎるのもアレだ。かわいそうだ、うん、ごめん。さて業務について良さげな点を記そう。
開発環境の構築&業務フローの最適化については、しっかりしていると思いました。
こういうの、小さい会社ほど小回りがきく分野ではありますが、誰かが旗を振って導入しないと難しい。Gitとかペーパプロトタイプ導入とか。
別に珍しい手法を取り入れている訳ではなさそうだけれども、ちゃんと業務が流れているんだなと一目で分かった。
大きな会社であっても、ダメな所はてんでダメ。その点、ウサギィの業務フローはしっかりしてるように見えた。
そのあたり、かずー氏の得意分野なのでしょうか。
これが出来ている会社だと、従業員が増えた時の進化が早くなります。
渋谷あたりでソシャゲ作ってる弱小ベンチャーとかでよくある話ですが、
アプリがヒットしてエンジニアを大量採用したものの、情報管理や連携が取れなくて死屍累々って例は無数にあります。
しかし、もしかしたら。ウサギィにはそういう問題とは無縁かもしれません。
いつかウサギィに主軸事業ができ、会社が大きくなる時、比較的スムーズに開発業務を拡大できるのではと感じました。
「Twitterは宣伝道具。広告費がないから、Twitterで人を呼んで、優秀な人材を集める」
と言っていましたし、まぁそれもひとつの戦略なんだろうな。と思うものの、
人を安値で買い叩いてるっていうなら、もちろん感心はしない。
まぁ、そこはあまり僕の知っている範囲じゃないから、控えるけど。
ウサギィにインターンやらで行く学生が、僕の周りにいたら、止めるねえ。
今回の噂もあるが、それ以上に、ウサギィは体制が整っていない会社だ。
ウサギィ社長が言っていた「女性こそ、プログラミング能力を身につけるべき」という考えや
独立志向の思想(Independentな考え方)は、大変結構なことと思う。
せいぜい、ベンチャー企業の中身をちょこっと覗かせて、場所を提供して、終わり。ってレベルでしょう。
この業界、女性エンジニアというだけで、大した技術力や経験がなくても、引く手あまた。
教育してくれるところも、資金があるところも、いろいろあるからね。
ウェブサイトで「ウサギィの女子力!!」とか書いちゃってるけれど、女性エンジニアのタマゴは別にこんな会社に行く理由はない。
結局のところ、ウサギィは何をやっているかわからない、すこしTwitterで人気な、零細企業なのである。
まぁ、それを魅力に感じて働きたいという人は、行けば良いと考えますが。職業選択の自由です。
ウサギィの人達がよく使う「おもしろいことを、仕事にしたい」って、なんなんだろうね。
僕には、君たちの考える面白さが、分からなかった。伝わらなかった。
直接話したかずー氏も町社長も、リアリスティックでニヒリズムに満ちた発言ばかりだった。
Twitterでは、クールで知的なキャラクターにうつる。しかしリアルで会うと、ただの尖った思想のコミュ症ではないか。
君たちに実際に会って「ウサギィ、面白い、クールだ」って感じる人、どれくらいいるんだろうか。
経営者の役割って、一緒に働く人に、なにかしらの夢やら目標やら、見せるものじゃないかな。
そういう点で、ウサギィってどうなんだろうね。
ステッカーを大量に配りまくるのも、Twitterで知名度得るのもいいけど、
本気でブランディングしたいなら、もう少し考えた方が良いんじゃなかろうか。
君たちの目指す"おもしろさ"って、なんだい?
なー。生活に関係ないってことは人間に関係ないってことにいつ気づくんだろうな、この手の連中は。有名な哲学者ってのは大抵現実生活上のやむにやまれぬ自分自身の悩みから思想を出発させるんだけど、連中はそういう偉人のイメージに自分を重ねてるだけで、本当は悩んでも苦しんでもないんだよな。悩みのための悩み、苦しみのための苦しみ。
いや違くて、哲学者を名乗るすべての人がそうではないし、自分自身哲学を学んだ身であるので哲学の人間に対する必要性は同意するし少しはわかっているつもり。ここから大切なんだけど、しかし俺が実際に触れた、哲学徒を名乗る多くの人間は単に自分を愛する手段として、知恵に耽溺する自分を肯定してくれる哲学を利用しているだけであり、またそうした自分を一段下がって観察吟味できる知恵すら持ち得ない。なんてーか、もうそこにはまり込んでしまったから、哲学最高と言い張らないと生きていけない感じ。結論ありきでそこに無理やりつなげる知恵だけは大したもんだとおもったわ。彼らが常々バカにしていた宗教と何が違うんだろうと。それで真剣にやってたつもりだった俺は嫌になっちゃっただけだよ。
恵まれすぎ、って語弊あるな……身近な人と、相性良すぎだから。
それ幸運だから!偶然だから!!誰もがまねできることじゃないから!!!
身近に好条件が揃ってないひとにとって、
その「情報」を都合よく消費されて、(ジョーカー的に)利用されて、
方向性のまったく違うカンチガイ上メセで役に立たないアドバイスとかされて、
それだけならまだしも、進行中の案件、土足で踏み荒らされたりして、
甚大なマイナスが無いだけまだマシ。
人ってさ、傷ついた時とか「癒され」たいと思って、例えば海に行ったりする。
それは雄大な自然を眺めて、そんな悩みなんてちっぽけさ、っていう確認の為の作業でもあると思うんだけど、
でも本当に「癒して」くれるのは、やっぱり人だと思うんだよ。
自然は「和ませて」はくれるけれども、「癒して」くれるのとはちょっと違うような気がする。
例えば失恋して傷ついたとする。
それは確かに人に傷つけられたわけだけど、でもその傷を「癒して」くれるのはやっぱり人なんだよね。
慰めてもらったり、辛さを聞いてもらったりとかさ。
だから悲しい時は大自然に「癒され」に行くんじゃなくて、身近な人に吐き出すのが一番の「癒し」になるよ。
みんなも辛いことがあったら身近な人に話してみなよ。
「癒され」るからさ。
そうだな。
もっと幸せになれるのかもしれないけど、当たり前のことができるというだけで十分幸せなのかもしれない。
反省するよ。
http://anond.hatelabo.jp/20130510163712
労働基準法などの労働法を遵守した契約であったかどうかが争点となる。
「労働者には契約内容を判断する能力がなかった」かどうかは意思能力の有無が争点となる。
「労働者は騙されて合意した」かどうかは詐欺であったかどうかが争点となる。
契約の内容による。就業規則・労働契約において職能給による給与決定が定められていた場合に争点となり、職務給や業績給などそれ以外の場合は争点とならない。
市場原理に基づくので、賃金が低い企業は外部競争力が小さくなる。
「ウサギィの問題でなく論点であるところ」「ウサギィの問題でなく論点でないところ」は一般論か妄言なので取り上げることはしない。
個人的には、第一に「ウサギィの問題であり論点であるところ」の解決は法的に図られるべきであって、インターネットで論じるのは無意味であり、第二に「ウサギィの問題であり論点でないところ」は一意に解決される性質のものではないからインターネットで様々な見解が出る価値があるが、あえてウサギィと結びつけてどのように論じるかは後述の毀損の問題から注意すべきである、と思っている。
もちろん、これは無意味だから論じてはいけない、これは論じてもよい、などという主張はあまりに空疎な論説でそれこそ無意味であるが、懸念はどちらの場合でも論じ方によっては毀損に発展することである。特に最近は一部で議論が雇用問題から悪意に満ちたウサギィ叩きに変質しつつあるのが気がかりで、このままウサギィの名誉を著しく貶めるような言い回しだけが先鋭化すると要件としては重くなってくるのではないだろうか。名誉毀損は一種の逆ギレであるように捉えられ軽視されがちではあるものの、事実の指摘であるから問題ない、という立場は少なくとも名誉毀損の考えを理解していないんじゃない?かな?
あんたの解説見てガリレオが見たくなったわw
ごくろうさんです。
目立った批判も聞いたことないし、まぁそれなりに楽しいミステリーなのだろうな・・・と思っていたらこれがビックリ。
死んだ女性の会社に勤めている人間が、死後に彼女の声を聞いてしまい、
それが原因で自殺する者や、急に暴れだすといったことをしてしまったというもの。
それを物理学者に湯川学が科学的に解決する、という筋立てなのだが・・・。
まずこの話を整理すると謎は3つある。
謎2:「死者の声」を聞いてなぜ自殺したのか?
謎3:「死者の声」を聞いてなぜ暴れだしたのか?
で、結果から言うとどれも十分な答えをだしていない。
「死者の声」が特定の人間に聞こえるよう、細工をしている犯人がいる。
どう「死者の声」を特定の人間だけに聞かせているか、がトリックの見どころなはずなのだが、
なんとこのドラマはそれを「そういう機械を作った」で解決させてしまう。
Q.「死者の声」が聞こえるのはなぜでしょう
これは謎解きとは言わんでしょう!!!
Q.朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足。これなんだ?
A.そういう生物なんです。
これと同じレベルの謎解き。こんなのはトリックとはいいません。
では、謎2と謎3はどうなのかというと、これが何と説明されないんだ!!!
特殊な機械で女性の声を聞かせていたんですよ、で終わり。ええっ?
なんでその声を聞いたら自殺しちゃったの?
その声を聞いて暴れだして、女刑事を刺した男がいたけど、何で?
呪いじゃないんだから、その理由も説明されなければいけないはず。
その答えはまったく説明されず。こんなのでみんな納得しているわけ!?
女子高に通っていた頃、今で言うアラサーな男性教諭が二人、同時期に赴任してきた。もちろんどちらも妻帯者だ
中高一貫だったのでその二人(とロマンスグレーな校長)は私を含む多数の生徒達(と一部の独身の女性教諭から)人気があった
しかし、この二人が校内で会話してる所を見た者はおらず、廊下ですれ違う時も互いに視線すら合わせずすれ違うだけだった
そのため、この二人が何かの理由で険悪な関係である事は生徒達の間で半ば常識となり、触れる事はタブーとなっていた
そしてそれぞれの先生のファンの間に派閥のような空気が生まれ始めていた
そんなある日、決定的な出来事が起きた。2月14日である。バレンタインデーである
何時限目かの授業が終わり、二人が廊下ですれ違う
それほど頻繁にあるわけではないが、この瞬間は周囲の生徒達の間にはいつも緊張が走る
そしていつも通り、二人は言葉を交わすこともなく、まるで互いが互いを存在していないかのように通り過ぎた、その瞬間であった
「あ、おい、○○!!」
すれ違った直後、男性教諭(こちらをA先生としよう)は思い出したようにもう一人(こちらをB先生とする)に声をかけたのである
しかも姓ではなく、ファーストネームの方を、呼び捨てで、口調は極めて自然に、まるで授業中に生徒を指名するかのように
今でも忘れない。二人がいた階全体が一瞬で静まりかえった。これから一体何が起こるというのか、周囲のおそらく百名近い女子高生が固唾をのんだ
A先生は教材入れ代わりに使っていた鞄のポケットから、赤い包装紙に包まれた、小綺麗な小箱を、数メートル離れたB先生に放り投げた
「ほれっ」
縦に回転しながら放物線を描いた小箱は、B先生の胸元へと飛び込んだ
B先生は小箱を片手で受け止め、数秒まじまじと見つめ、A先生に視線を移した
「何これ?」
「××ちゃんから頼まれた」
「お前、自分の嫁さんをちゃん付けで呼んでんのかよ」
A先生が応酬する
「お前だって呼んでたじゃねえかよ」
「言っとくけど、俺のより高えんだぞ、それ」
「へいへい」
B先生はそう吐き捨てて足早に去って行った
私はこの日ほど、次の授業の受け持ちがどちらの先生でもない事を恨めしく思った事はない
何のことはない。B先生には年の離れた妹さんがいて、この学校に赴任する少し前にA先生と結婚していた、というのが事の真相である
A先生は奥さんであるB先生の妹さんから、職場で兄にチョコを渡すよう頼まれていた、ただそれだけだったのだ
この1分足らずのやりとりは私が卒業するまで校内で半ば伝説、半ばネタとなった
私が知る同級生の中には、想像力を暴走させて道を踏み外す(ある意味ではその道に踏み込む)者もいた
この二人が校内でまともに会話をしているのを直接見たのは、この件を含めて片手で数える程度だったが、
今もそろって元気に母校で教鞭を執っているという
GW、久しぶりに帰省したので昔良く通っていたゲーセンを巡ってみたんだが、ほとんど潰れてた。一軒だけ、通ってた高校の傍にある店はまだ営業してたけど、そこにも客が1人しかいなかった。
そのゲーセン、LSI(仮称)は本当に学校のすぐ傍、歩いて五分もかからない場所にあったので、当時は夕方になると母校の生徒でいっぱいだった(ちなみに男子校なので男しかいない)。自分は、新しいゲームが出た直後などは昼休みにも通っていた。さすがに、その時代、90年代中盤でも昼休みの時間帯は誰も客がいないことが多かったので、心ゆくまで格ゲーの一人プレイを練習することが出来、重宝した。稀に、先客がいる場合もあって、これはそのままの意味で、「ゲーセンで会った不思議な女の子」になってしまうんだが、常にジャージ姿の、中学生くらいの女の子だった。
昼休みにLSIに通っていた奴は他にも何人かおり、彼らも少女を見かけていたので、当然、あれは何なんだ、という話が何回か出た。LSIは小さいゲーセンで、奥にあるドアからたまにその向こうを覗く機会があった。そこは生活感のある、畳敷きの部屋だった。そして、その部屋から筐体の修理に出てくるおっさんはどうも普段からそこに住んでるように思われた。つまり、LSIはゲーセン兼住居であり、あの女の子は、おっさんの、不登校かなんかの娘なのでは、というのが有力な説だった。個人的には、おっさんが人の親であるとは到底思えなかったので、その説は筋が悪いのではないか、と感じていたが、誰も、おっさんや、女の子に訊ねて確認しなかったので真相はわからなかった。とはいえ、実は一度、その女の子と話をしたことがある。自分は、左手にぱっと見でわかるような障害がある。レバーを持って遊ぶ分には全く問題ないのだが、それで不自由なく遊んでいるのが不思議だったようで、左手について突然聞かれた。その時は、失礼だなぁとも思わず、普通に動くので大丈夫です、と説明して午後の授業に戻った。
というような思い出のあるLSIに十数年ぶりに行ったわけだが、相変わらずにビデオゲーム主体で代わり映えのないレイアウト、到底利益が確保できるとは思えないけど、いまも夕方になると繁盛するのかなぁ、この時間は客が1人しかいないけど、ともう一人の客をしっかりと確認したところで驚いた。高校時代に見かけた女の子とそっくり同じジャージを着ている。というか同じジャージなだけでなく同じ人なのでは? と思い、掛けていたGoogleグラスを外してよく見ようとするとすると女の子がいない。ちょっと混乱して、メガネをかけ直し店の入口を振り返るとすぐ傍に女の子が立っている。ちょっと怖くなってもう一度グラスを外そうとすると今度は右手が動かず外せない。これは、Googleグラスを通じて脳をHackingされている!? このまま身動きがとれなければ、ゲーセンの精、もしくは電子妖怪である彼女に縊り殺されてしまう……。
ところで、私は左手に障害があるといったが、正確には障害ではなく、幼い頃、切り落とされた本来の左手の替りに、"鬼の手"が付けられている。これは私の体の一部分ではないので、宿主の危機に反応し少女を脅威、もしくは獲物と感知して勝手に攻撃を開始しようとしたが、それよりも速く、大量の無意味な情報をメガネ経由で送りつけられた私の脳は活動を停止し、私は死んだ……。