はてなキーワード: 自己憐憫とは
貴様のようなカスが、てめえの挫折を東京で味付けしてクソみたいなストーリーで感傷に浸るせいで、まーた東京のプレゼンスがあがんだよな
みんな挫折したがってるとこあるからな こういうのを読んで、愛すべき田舎モンがクソ東京に出ようと思っちゃうワケです
大分だろうと仕事キツけりゃ人生もキツくなるし、東京だろうと仕事が楽なら人生バラ色ですよ
満員電車……はまあ、さすがに、ある程度東京固有であることは認めざるを得ないが、しかし、あれはキショいでしょ
もっと敵対的にいくべきだ 大都会の奔流にのまれて翻弄される!とかじゃねえ 人間が箱の中にギッシリ詰まっている謎のキショい交通機関(笑)みたいな認識でいけ 被害者になるな 流されるでねえ
メシ食う相手がいないのはそこが「東京」だからではなく、「知らない街」だからだ
俺は地元からふたつ隣の市で就職したが、それからの飯の90%以上がひとりメシや
寒いのはそこが東京だからじゃねえ 緯度が高いからや 東京に特別性はねえ
とにかく、君の人生の物語を、東京の物語にするなってことなんですよ
もしかすると自己憐憫に酔うためにワザとやってんのかもしれないが、そういうことをやっているうち、いつのまにか自意識がデボアーされて、完全に頭東京・糞人間に成り果ててしまう
それは良くないし、悲しいことですよ
さよなら岐阜、つっておんなじ様なこと書いてる人がいたらダセーじゃん
東京でもダセーんだよな
挫折がダセーんじゃねえぞ
東京の話にしてんのがダセーんだ
どうせ、悲しみを象徴する雨、みたいなあっさいあっさい演出意図でやってんだろ、カス!と思うようになってしまった
だいたいの場合、傘ささずに雨に濡れてるキャラとかがいて、それも腹立つ リアルな話、雨に濡れるのはどんな状況だろうと嫌じゃん
悲しくても傘くらいさしますよ
葬式で傘ささずにズブ濡れになってる人間みて伝わってくるのは、痛々しい哀しさじゃなく、イタい自己憐憫だけなんだよな
そんで、ホントに浅いんだ、雨!!
悲しくても晴れるし、嬉しくても雨降るじゃん
そういうところで演出とか脚本みたいなのを感じさせないで欲しいんだよなあ
ビミョーな薄曇りとかならまだわかる
雨、雨ねえ……
まあ降らんことはないだろうけど、やっぱ降りすぎですよ
だれか統計とってたりせんのかな
俺は、登場人物の心を語るべきは、登場人物の動きだけだと思うんだ
悲しいときにウロウロしたからって、偶然背後に「悲しみ」が花言葉の花が咲いてたりはしねえ
父を亡くしたからって土砂降りの雨にはならん
人の心を表すのは人の心だけであってほしいんだ
そういう奴同窓生にもいる。
躁うつ病で引きこもってて、不安定で会社勤めできないからずっと在宅ワークしてるしいが
今時躁うつ病で会社員してる人なんて幾らでもいるし、若い時にちゃんと探してれば配慮してくれる職場もあったろうに
仕方ない無理だったを連呼をして「病気に苦しみながら何とかしようとする弱者男性」像にすがってんだなと。
今は親に代わって祖父か祖母の介護してるらしいが、それ言った時の口調がどことなく自分に酔ってて
本人にとっては悲劇のヒロイン気取れてさぞ都合が良いんだろう。
こいつのほうが自己憐憫ポルノ互助会に浸ってるようにみえるがな
北朝鮮の人民みたいなおまえらだけいいもんくってる!的ひがみを平等で圧政もない日本で書き連ねてどうしようっての?
その「おまえら」ってのにはどうやっても「女」を代入したいみたいだけどなんでなのかさっぱりわからん
客観的には政治家や社長にさえ女がほとんどいなくてこんなに女に厳しい国先進国にはないよってずっといわれてるのに
おまえも虐げられる主夫になりたいならなりゃいい
性転換手術して戸籍も女になりたいならやればいい
おまえらはすでにエンパワメントされてるのにこれ以上なにをほしがってるのかがわからんのよ
ただ金くれってんなら「女」じゃなくて政府にいえ
愛をくれ、プライドくれってんならそれは他人が与えるものではなく自分で築くものとしかいえない
自分を自分で全力で「弱者」「弱者」とおとしめて乞食のように他人に喜捨を強いる卑屈な行動をやめることからはじめたほうがいいとおもう
最近この手の感傷マゾ野郎が多くて辟易するんだけど、やっぱこの手の奴らが「結婚こそが人生で最も重要なものなんだぞ!うわああああああああああ!」みたいなこと言い出すのは、そこ以外に特に挫折経験がないからなんだな。
なんつーか人間を舐めすぎというか、それを女に見透かされてるから結婚できねーんだろって言うか、中途半端に良いスペックを与えられて生まれたがために考える必要がなくて勘違いを直せないまま大人になっちゃったというか、そんな感じがする。
そういう意味では被害者と言えなくもないけど、流石にその恵まれた脳味噌で考えてみろよ自己憐憫の脳内麻薬でラリってないでさ、と思う。
頑張った人だけが幸せになる社会の方が、みんなが頑張るからいいじゃん。
から始まってのネオリベでしょ。幸せになりたきゃ頑張ればいいってこと。
問題は、いくら個人が努力によって這いあがっても全体として不幸な人の割合は変わらないことだけど、最早「みんなが幸せになるべきだ」なんてはじまりを持ってないネオリベネイティブ世代にとってはそんなの何の問題でもないんだよね。「頑張ればいいじゃないですか?」ってだけの話。
負け組のおっさんだけが「みんなが幸せになるべきじゃないんですか?」と、問いかけてくるけどさ。
共産主義をアカと呼んでボコボコにして、根本である「みんなが幸せな社会」なぞ1ミリも考えずに、手段であった生産性を目的にして社会を進めてきたのは等のおっさんなわけで。
強者が弱者がと言い訳するが、一有権者としての責任を果たさず思考停止してきたのも、自己責任論と自己憐憫を都合よく使い分けて気持ち良くなってきたのもテメェらなわけ。老いては、子に従えーーつまり、テメェらが育てたネオリベネイティブ世代に従うしかないよね。
しょうもない人生のしょうもない老後を生かして貰えるだけ有り難く思うべきだよね。
結婚しなった、養わなかった、子作りしなかった、子育てしなかった、そのくせ国に介護してもらえると思ってるカス共に際限なく乞食されるこっちの身にもなってみろよ。
伝統だかにこだわって、お前ら若者も夫婦同性で結婚して日本の伝統を継げだとか、日本人の日本を守るために純日本人に俺のオムツの世話をさせろだとかワガママぶっこいて正気かよ。老害が
術後、女性の医師に診てもらって子宮綺麗ですよと言われたので、
綺麗って何ってちょっと思った。
悲しいのか何なのか分からなかった。
可哀想と思って涙は少しでた。
結婚8年目で、途切れ途切れにだけど不妊治療をして、初めて陽性の印を見た。
エコーを見た。心拍を確認した。母子手帳を取りに行って、産院を決めた。
義父母、実母にも伝えた。喜んでもらえて嬉しかった。あまり喜ばせた事がないものだから余計に。
産院に決めた病院に初めて健診に行った時、きっとこれから有給を使う機会が沢山あるし、出来るだけ有給は使いたく無かったから、フレックスで遅く出勤する事にしていた。
待っている間に、産休について調べていた。
産前は産休を請求しなければ出産直前まで働いていいんだって、私はいつまで働くのがいいかな?と夫にLINEした。
受付から3時間経って、コアタイムに間に合わなくなるんじゃないかとハラハラしてた。
診察後に保健師さんから話がありますよと言われて、それじゃ完全に出勤時間に間に合わないなと頭を抱えた。
それって次回にできませんか?とダメ元で聞いてみたけど、それは難しいと言われてこれは遅刻だな半休かなと考えていたら診察に呼ばれた。
「あー…
赤ちゃんが育っていませんね…」
え
そうなんだ
エコーで見た赤ちゃんは小さいけど頭と体があって、人のようなシルエットをしていた。
心拍が確認できず、前回の診察から育っていない、9週なのに明らかに小さい。
前回の診察の数日後で成長が止まったと考えられる、
手術をするか?それとも自然に任せるか?と聞かれた。どちらがいいか分からないと言ったら
今後のために手術をお勧めする。ご主人と話して決めて明日来てくださいと言われた。
冷静を装ってはい、ありがとうございました。と言って診察室から退出したけど、初診だからどうやって会計したらいいか分からない。
受付の看護師さんに声をかけた。
「あ、そうですね、まだなんですけど、いらないと思うんです。えっと」
だって流産なんです、とは他の妊婦さんの前で言えなかった。だってそんなこと聞かされたら胎教によく無さそうだし、
なんというかさっきLINEで自分で打ったのに、口に出すのは憚られた。
「聞かずに帰ると言うことですか?」
怪訝そうな顔で看護師さんが見ている。何か言わないとともごもごしていたら、もう一人看護師さんがきて、向こうで話を伺いますと離れたスペースに案内してくれた。
ここなら他の妊婦さんに気にする事なく言う事ができそうだった。
「さっき流産と診断されたので、保健師さんの話は必要ないと思うんです。会計をお願いします」
後半は泣いてしまってまともに言えなかった。悲しいと言うより衝動的に涙が出た。人前で泣くなんて迷惑をかけてしまった、早く泣きやめと頭だけは冷静に考えた。
家に帰って病院でもらった書類を夫に渡して、パソコンをつけて出勤して、溜まった連絡を片付けてようやく隣にいる夫に向き合った。
手術をしようと言うことになった。
1ヶ月とちょっとだけど一緒にいて、
名前も考えているところだった。
頑張って保活して、2人とも職についたまま地元に帰って子供と暮らせる家を建てようねって夫と話していた。出産までに貯金も増やそう、でもそんなにうまくいかないかも、私いい加減だからなって不安だった。幸せにしてあげたかった、と思う。
と、言うことが全てなくなった。
昨日、私の中から居なくなった。
やっぱりこれは自己憐憫かも知れない。どう思い出しても自分のことばかりだから。
でも、いいわけかも知れないけど、その子のこと悲しむにもまだ何も知らなかった。
初期の流産は染色体の異常で起こる事が多く、完全には防ぐことはできないというのは、不妊治療をする上で知っていた。でもやっぱりああすれば良かった、ああしなければよかったと言うことはたくさんあって、自分のせいじゃないかと思わないでもない。仕事してなかったらとか、もっと前から葉酸飲んでればとか、もっともっと以前から身体を大事にしていればとか、
ごめん。申し訳ない。
初期の流産は珍しいことじゃない。だからこんな長文を書くほど嘆くことじゃないのかもしれない。何故こんな事を書いているのか、
きっとそのうちこの気持ちを忘れてしまうのが嫌だからだと思う。
自己憐憫か分からないけど、悲しいと思う。妊娠が分かって嬉しくて、居なくなって悲しかった。夫にも悲しい思いをさせて申し訳ないと思ったし、子供に申し訳ないと思った。
それを忘れてしまうのは嫌だと思う。他の人は知らないから私だけは覚えておいてあげないといけない。いけないのに、私はアホだから忘れてしまう気がする。
父が死んだ時どう悲しかったか、だんだん分からなくなってきたから、それ同じように。
書けば覚えておけるかもしれないし、インターネットが覚えておいてくれるかも知れない。
この記事を消しても忘れないように、
自分で覚えておけるのが1番いい。
【町山智浩に「庵野秀明にシンパシーを感じる」と表明する資格は有るのか?】
最近の町山智浩は、テレビで放送された庵野秀明氏の長期密着ドキュメンタリー番組を観て、庵野氏と自分を重ねてシンパシーを感じているようです。
正気でしょうか?
『シン・エヴァンゲリオン』の公開に伴う報道に拠れば『旧・劇場版エヴァ』の内容に不満を持った当時の熱狂的なファンたちが、庵野秀明の死を願うような内容の発言をネット上で盛んに行い、それらを見た庵野氏は大きな精神的なダメージを負ったとのことです。
さて、町山智浩は『シン・エヴァ』フィーバーに便乗して「オレは庵野秀明の苦しみを理解できる!」と言わんばかりに、庵野氏に対するシンパシーを盛んにTwitterでアピールしていますが、どれだけの人が真に受けるでしょうか?
町山智浩も大きく関わっていた『映画秘宝』は、年に一回、編集者/ライター/著名人/読者からのアンケートを集計して映画・役者等の「年間ベスト/ワーストテン」を発表していることで有名です。
それに伴う同誌の目玉企画の一つが「死んで欲しい奴ベストテン」でした。これは、駄作を世に送り出した監督や脚本家、勘違い役者、演技経験も無いのに起用されたアイドルやモデル、配給会社/広告代理店などのお偉いさん、気に食わない政治家、日常生活でムカついた相手など、様々な人間に対する怒りや憎悪をライター/編集者/読者がぶつけると云う、少しどころか「かなり悪趣味な企画」でした。
『実写版デビルマン』が公開された当時、あまりにもひどい出来ばえの為に、この「死んで欲しい奴ベストテン」において同作の監督・那須博之氏が大きく票を集めたことは、古株の『映画秘宝』読者ならばよく知っている事実です。
この企画からしばらくして、那須博之氏は病魔により亡くなりました。
そして、この「那須監督逝去」のニュースに対して町山智浩が、柳下毅一郎との対談において「『死んで欲しい奴ベストテン』で投票した皆の願いが通じたな!」と浮かれてはしゃいでいたことも、古株の『映画秘宝』読者ならばよく知っている事実です。
思えば、作品の出来ばえに不満を抱いた観客がクリエイターたちに対して、人間としての一線を越えた激しい憎悪をぶつけると云う悪しき世間の風潮を作り出した責任の一端は、町山智浩らが主導権を握っていた『映画秘宝』にも有るのではないでしょうか?
そのことに目を瞑ったまま、庵野秀明氏にシンパシーを感じると云う「自己憐憫」に浸る資格が、果たして町山智浩に有るのでしょうか?
なお、町山智浩が脚本家として関わった『実写版・進撃の巨人』が低評価を受けた際、忖度した『映画秘宝』界隈からの批判は「過去に同誌の『死んで欲しい奴ベストテン』で俎上に上げられた他の人間たちに比べれば、信じられないほど、遥かに小規模なものであった」ことも、併せて記憶しておきたいところです。ここでも『映画秘宝』関係者の「『敵』には厳しいが『仲間』には甘い」と云う行動パターンは発揮されていた訳です。
もう一度言いますが、果たして町山智浩には自己憐憫に浸る資格が有るのでしょうか?
【2021/03/26誤字・脱字等を訂正しました。】
ちょっと前まではこんなこと言うやつはよほど知能の発達に支障をきたしているか分かっててネタで言ってるんだろうと思ってたんだけど、去年くらいからいわゆる「普通の人達」の話を聞く機会が多くあって「あれ?ひょっとして日本ではそっちの考えがデフォなの?」とちょっと困惑というか落胆してるんだけど。まあそれはそれで知能の発達に支障をきたしてると言えるんだけど。それでもあまりにも「そっち側」の人が多すぎるんで、ちょっとね。
簡単に言うとな、個人というのはただ個人が存在するから存在しているのであって、社会のために社会の役に立つために社会をよくするために個人が存在するわけじゃねーんだわ。話が逆。社会というのは個人に奉仕するために個人の集団の合意の上に形成されるもんだから「社会をよくするために」個人を虐げてたら意味がねーんだわ。だったら初めから社会はいらねーわけ。もちろん個人は自ら合意した上で社会に参加してるわけだから社会(自分たち)のきまりは守らなくちゃいけねーよ? 守りたくなければ参加しなければいいだけの話だから。自分で選んだことはちゃんとしようや。人間として。
だけどな、それと「能力が上だから」とか「上位互換下位互換」とかは関係ねーんだわ。個人は全部違うってのは単なる事実で良い悪いじゃねえの。個体の発生の仕組みとして個人は全部違うようになるようにできてる。だがそれを横に並べて「上だ下だ」とか果ては「上は良くて下は悪い」とかってのは人間がいろいろ作った価値観の中のひとつに過ぎねーんだわ。絶対じゃないの。そして近代民主主義社会ってのはこの「人の間には上下があります」っていうアイディアを明確に否定するところからスタートしたわけ。わかる? 俺たちは自分で選んで「人間は平等です」ってルールを作って、そのルールのもとに運営される社会に参加することを自分で毎日選んで生活してるわけ。自分で選んだことはちゃんとしようや。人間として。それが嫌なら参加しなければいいだけの話なんだから。
で、優生思想だろ? 明らかに間違ってるよな? 社会より前にまず個人がいる。個人の中にはいろんなやつがいる。たまたま社会に役立つ能力に秀でてるやつもいればそうでないやつもいる。または特に理由もなく何となくエエなとされている形質(目が青いとか)を持ってるやつがいる。ここまでは単なる事実だ。優生論というのはこの事実の上に「人間の作った価値観の尺度(頭いいだとか背が高いだとか)に沿って人間に上下をつけて異なった扱いをすることを正当化しましょう」という思想だな? それは「人間は平等だ」というルールがある社会の外でやってください、という話になるわな。優生論は「その方が社会の為だ」とかいう詭弁を「自分の価値観」を正当化するために使うわな。それは俺たちが自分で選んできまりに同意して参加してる「平等な社会」とは別の社会だわな。どうぞ他所でおやりください、となるわな、当然。「そんな社会は虐げられる個人の為にならない」んだから。
わかるか? 世の中に絶対の悪なんてねえ。能力の低い自分が恥ずかしくてしょうがなくて「生まれてきたくなかった」と思うのはおまえの勝手だ。おまえがそう思うならおまえの価値観に賛同するやつを集めてダメ人間は最初から生まれてこない社会を作ればいい。そのことに構成員全員が同意してればおまえを止める奴は内にも外にも誰もいないだろう。そんなもん相手にしてられっか、馬鹿馬鹿しい。
世の中にはな、他人よりできなくても人生楽しんでるやつはたくさんいるんだ。そして俺たちは個人一人一人の幸福を実現するために一生懸命この社会を維持してるんだ。たとえそれが「完璧な社会」でないとしてもな。社会より人間の方が大事だからな。おまえはおまえの惨めったらしい自己憐憫をカワイーカワイーしてればいいだろう。そんなおまえにも社会の中で生きる権利は保証されてるし、嫌なら自分の足で歩いて出てくことさえ自由なんだからな。
ということだ。「自分の価値観」を「社会正義」とはき違えるな。自分のつまらん劣等感を社会のためとか言って正当化するな。
本当の社会というのはな、そこに暮らす人達は、おまえの程度のよくない妄想なんかよりもずっとずっと良いもので幸福なんだ。
そしておまえでさえそこに参加することが許されているんだ。おまえがそうしたければな。全て自分次第なんだよ。他人のせいにして逃げるのはガキだけだ。
http://www.gp-sri.jp/report/detail028.html
健常者が57.4%なのに比べると、メチャ低い
96.7%が未婚、というとマジですごい感じする
「知的障害者は生きる価値ないから、97%は生まれ次第殺処分だ!」っていうとヤバい感じするが、実際には80年かけてるだけで97パーセントは殺処分して断種してるらしい
まあでも、それをいうと俺も殺処分されてんだよな
つうか、子を残したら「意味がある」 残せなかったら「無意味な命」っていうのも貧困な発想だな
いいか!べつに!
知的障害者の9割以上が結婚すらできずに死んでいくかもしれないが、それでも彼らの命には意味があるよな!
特に電車でアウアウ言って車内に緊張感走らせてくれるタイプの人 彼らは俺なんかよりよっぽど社会的プレゼンスが高い
俺が今日死んでもほとんどのやつは気にとめないだろうけど、毎朝電車でウアーつってる知的障害者が突然死んだら、「あれ、今日はあの人いないのか…」ってなるもん
個性があってすごいよな ホントに生きてるって感じがする 多分俺より人生楽しんでるしな
ああ
知的障害者の未婚率をタネに社会をバカにしようと思ったが、うっかり俺自身の虚無っぷりに目を向けてしまった
「命は大事!つって生かされるが、別に何を残せるわけでもなく、楽しくもなく、搾取されてぼんやり苦しみながら死んでいくだけの存在」、俺そのものじゃん
つうか、健常者も結婚率57%とかなのかよ
結婚が全てではない、子供なんか作んなくていい、それはそう、でも仕事キツいし、休日も別にめちゃくちゃ楽しいわけじゃないし、じゃあなんなんだこの人生
ていうか、この苦しみは俺に固有のものなんかでは全然なく、低く見積もっても25%くらいの人生はこんな感じなんじゃねえか?
それも悲しいよなー 俺だけが超かわいそうな最強被害者なんだったらまだ自己憐憫に浸れるけど、ちょっと周り見ただけで俺程度に辛そうなのはゴロゴロいる つらさすら凡庸
俺は誰にもこんな人生を送ってほしくないから、できたとしても絶対に子供は作らないが、じゃあ俺はなんでこんな人生を送らされてんだ
親を恨む気にもなれん 気のいい人たちだし、いまだに金くれるし
俺は被害者だ〜ッ!つっても、それをいうならこの世の人間は全員被害者だからなあ
どうしたらいいんだこの感じ
俺ってどうしたらいいですか?
瞑想?
「キモくて金のないおっさん」問題が盛んだけど、自分も客観的には当事者なので共感できる部分も多いが、どうも議論の内容の質が総じてよくない。
自己憐憫や被害者感情の異常なまでの強さ、行間から溢れ出す「本当はモテたい」という欲望、自分をまともに相手にしない女性に対する逆恨み。そして、「キモくて金のないオバサン」も、それこそたくさんいるんだけど、それは絶対に視野に入れたがらない。安直にフェミニストへの批判につなげる人も多い。理解できてしまうだけに、余計に「痛い」と感じる。
「キモくて金のないおっさん」どうしで傷を舐め合い共感し合う文章だからこれでいいんだ、というのも全否定はしないけど、当事者の一人としては、それ以外の人たちにも届くような文章を書けないものかなと思う。