頑張った人だけが幸せになる社会の方が、みんなが頑張るからいいじゃん。
から始まってのネオリベでしょ。幸せになりたきゃ頑張ればいいってこと。
問題は、いくら個人が努力によって這いあがっても全体として不幸な人の割合は変わらないことだけど、最早「みんなが幸せになるべきだ」なんてはじまりを持ってないネオリベネイティブ世代にとってはそんなの何の問題でもないんだよね。「頑張ればいいじゃないですか?」ってだけの話。
負け組のおっさんだけが「みんなが幸せになるべきじゃないんですか?」と、問いかけてくるけどさ。
共産主義をアカと呼んでボコボコにして、根本である「みんなが幸せな社会」なぞ1ミリも考えずに、手段であった生産性を目的にして社会を進めてきたのは等のおっさんなわけで。
強者が弱者がと言い訳するが、一有権者としての責任を果たさず思考停止してきたのも、自己責任論と自己憐憫を都合よく使い分けて気持ち良くなってきたのもテメェらなわけ。老いては、子に従えーーつまり、テメェらが育てたネオリベネイティブ世代に従うしかないよね。
しょうもない人生のしょうもない老後を生かして貰えるだけ有り難く思うべきだよね。
結婚しなった、養わなかった、子作りしなかった、子育てしなかった、そのくせ国に介護してもらえると思ってるカス共に際限なく乞食されるこっちの身にもなってみろよ。
伝統だかにこだわって、お前ら若者も夫婦同性で結婚して日本の伝統を継げだとか、日本人の日本を守るために純日本人に俺のオムツの世話をさせろだとかワガママぶっこいて正気かよ。老害が
「頑張った人が幸せになる社会」って、立民のおっさんですらフツーに言っちゃってるんだもんなあw