はてなキーワード: 眼差しとは
性的な眼差し全般を禁じたいのであれば、他人の内心を制御したいという時点で日本を含む大抵の国の憲法や法律とは相容れないので出ていって貰うほか無い。
「内心の自由」って意味わかって使ってる?おっぱいを性的な目で見るのは内心の自由ですって本気で言ってるの?笑
まず芦部本読もうや
興味深く読ませてもらった。 https://anond.hatelabo.jp/20220426
私は当該のTwitterスペースはほぼずっと聞いていた。
まず、この騒動は表現の自由の話ではない。表自界隈は回れ右。今回の件は要約すると以下である。
まず謝罪文 https://docs.google.com/document/d/1aXnVgq-yH1idOFUILt7dRNJlm33raLC_TVq2zKCCbgo/edit の中で書いてあるように
それは胸の大きな女性の主体的で自主的な自己表現が尊重され、尊重するべきだからです。その考えは、これまでもこれからも変わりございません。
という一点に付いて何の偽りもなく、 最初から最後まで同じ態度を貫いていた。ただしその「女性」に付いては実在する女性の話をしており、絵に描かれた実在しない女性は主体も何も無いので黒澤さんは強い意見を持たなかった。
スペース内では黒澤さんは繰り返し「日経新聞ではゴルゴ13や島耕作も広告を載せているが、日経は殺人や不倫を推奨してはいないし、空想の中の話なのでファンタジーで構わない」という趣旨の発言をしていた。
その文脈の中で「空想の中の話で未成年に性的な眼差しを向ける事だって殺人や不倫と同様にファンタジー」という流れで未成年を性的な対象とする風潮についてコメントしていた。
わかりやすく言うと「他人の内心の話なんだから咎めるのは無理筋じゃない?」という意味で、言い換えれば「デューク東郷による暗殺劇を楽しむのは犯罪ですか?」と同じ温度感で「未成年を性的に見て悪いんですか?」と言っていたのだが、最後の部分だけが切り取られてあたかも「児童ポルノを奨励している」とされていたのは明らかな誤解や悪意を感じる。
黒澤さんは実在する未成年が望まない性的な眼差しを向けられる事に対しては明確に反対している立場だが、絵のように実在しない存在や、そもそも本人が望んで性的な眼差しを受けたくて見せたくて見せている事例に対しては「女性の主体的で自主的な自己表現の尊重」と矛盾しないため反対していない。
また、ビジネス感覚も備えているので、未成年のグラビアが表紙になっている雑誌などをわざわざ叩きにいくような事もしていない。
何なら巨乳を肯定的に捉える一部の媒体に対してはtwitterでフォローすらしているようである https://twitter.com/___mumumm/status/1517769922411376640
HEART CLOSETは胸の大きな女性向けの服を扱っているブランドで、買って着た顧客が自身の写真をアップロードして交流するコミュニティがあったというのは元増田にもある。
当然胸の大きい女性の写真が出てくるので喜ぶ男性がいるのは想像に難くないが、それらの写真などに対して男性が性的な声掛けをするのを黒澤さんは「女性の主体的で自主的な自己表現の尊重」に基づき明白に反対している。
そうして「モデルに対して性的な眼差しを向けないでください(これはそういう意図の写真ではありません)」と主張したことが、ハートクローゼットの一部の顧客に曲解されて「黒澤は男性からあらゆる物に向けられる性的な眼差しや内心を絶対許さない人だ」という事になった。
ハートクローゼットの服に対して残念だと言っているツイートをいくつも読んだが「これまでのハートクローゼットの服は黒澤代表が男性の性的な眼差しを糾弾してくれたから安心して着れたのに、黒澤が方針転換してしまったので汚物になってしまった二度と着ることはできない」という趣旨の物が主流であった。つまり黒澤さんに対する豪快な誤解が根底にある。
そもそもであるが人類の歴史の中で性的な眼差しを向けられないよう配慮して設計された服はいくつもあるし(メイド服、修道服、セーラー服、ブルカetc)その全てが結局性的な眼差しを向けられるに至ったわけで、服自体に対して性的な眼差しへの防護を期待するのは筋悪であるし、ましてやブランドイメージのお陰で性的な眼差しを防げるはずもない。
黒澤さんは男性がユーザーの写真を見ること自体に対しては禁止せず(というかできず)黙っている限りにおいては黙認していたようである。
試着者の写真もブランドイメージの醸成と宣伝に役立てていく戦略の一部のようなので鍵付きのクローズドなコミュニティでやるわけには行かず、ブランドの知名度が上がれば勝手に写真も拡散していき男性の目も増える一方で、顧客は男性の目が向かなくなる魔法の服を所望している矛盾があったので遅かれ早かれ破綻する戦略だったといえばそうかも知れない。
ハートクローゼットを叩いているアカウントの主張と黒澤さんの主張を並べると、黒澤さんは所謂正統派のフェミニストで女性の権利と尊厳を推進する立場として正しい活動をしている一方で、叩いている人達はオタクが喜ぶ内心を良しとしない「内心の自由反対派」であることが浮き彫りになる。
スペースで顧客の女性が泣きながら訴えていたのは「黒澤さんは一緒にオタクの内心の自由を制限する同志だと思っていたのに裏切られた」という要旨であり、黒澤さんは「フェミニスト」であって「内心の自由反対派」ではないので衝突が発生してしまった。
「解釈違い」と言っても良いし「推しの声優が処女じゃなかった」とキレてるオタクとレベル感は同じである。
他人の内心を制限したいという実現不能な願望を勝手にハートクローゼットに押し付けていたのはそういう一部の身勝手な顧客であって、それらの要望に合う服はoverEだろうが何だろうが今の地球に存在しない。男性の性的な眼差しを恨む気持ちはわかるがその恨みを特定の個人やブランドにぶつけるのは明らかな間違いである。
性的な眼差し全般を禁じたいのであれば、他人の内心を制御したいという時点で日本を含む大抵の国の憲法や法律とは相容れないので出ていって貰うほか無い。
さて今回の件、あなたは「フェミニスト」の味方ですか?「内心の自由反対派」の味方ですか?
追記:da099db98ca9da58133e9acf176766e9
母は美しいが致命的に頭が悪かった。高校時代に誰だかわからない男にはらまされ、そのまま退学しこの子を出産した以降は体を売りながら生きてきたらしい。
それでも子を思う気持ちは純粋で、なんとか子供にだけは不自由をさせたくない、私を愛人にしてくださいと、俺に必死にすがりつくのであった。
直感的に俺は思った。10年後、美しく育ったこの娘の処女を母の眼の前で奪うのだ。その絶望の眼差しはどんなに美しいことだろうか。
そんな歪んだ欲望をいだきながら、あくまで同情心に駆られた親切なパパとして母子を田舎の別宅に囲い、何不自由ない生活を与えた。
このまま都会に住まわせていれば娘も早くに男の手に落ちるだろう。そうなる前に手の内に確保しないといけない。
その地にある名門女子校への転入を決め、季節ごとに流行りの衣服をおくり、成長するにつれ娘はあしながおじさんである俺に完全な信頼を置くようになった。
月日が流れ、18歳の春、都会の大学に進学が決まった娘にと瀟洒なマンションの鍵を渡した。初めて見る都会の景色に目を輝かせる娘には特別製の牛丼を食べさせる。
「田舎には牛丼なんてなかったよね。お祝いだから本当はもっと良いものがいいのかもしれないけど、おじさん大学のときはこういうのばっか食べててさ、君にも牛丼の味がわかる大学生になってほしいんだよ」
表現の自由戦士やオタクの人たちは、「女子高生漫画広告を見た人が痴漢や女性差別をする」というダイレクトな因果関係など全くないと言う。それはそうなんだけど、論点はそこではなくて、「日経新聞のように公共性の高いメディアで女子高生を性的に表象する」ことで、「未成年の女性を性的に眼差してもいいというお墨付きを与えること」が問題なの。なんでいつまで経っても理解しようとしないんだろうね。
「ヤンキー漫画を禁止すべきなのか」なんていう屁理屈を繰り出す人もいるけど、件の漫画を発禁にしろなど誰も言っていない。今回問題になっていることに当てはめれば、「不良が同級生をいじめている(ように見える)場面を朝日や日軽が全面広告で採用する」ということけど、それはダメでしょという話。
ていうか、オタクの人たちは、満員電車で巨乳が男性に密着するという内容まであるのに、件の漫画が性的な要素がないなどという真っ赤な嘘をどうして平然とつけるんだろうね。表現の自由云々の前に、嘘をやめよう。
小宮氏とCDB氏の「論争」についても、CDB氏が何が論点なのかを分かっていないまま噛み付いているので、小宮氏が議論そのものを拒否するような態度になるのは理解できる。ただSNS上のパフォーマンスとしては悪印象なので、それはどうかとは思うけど。
この記事を見て自分も近い経験を最近していて感化されたので自分語りさせてほしい。
[5年かけて作ったウェブアプリを Hacker News に投稿し、最初の1ドルを得た話]
https://zenn.dev/ryohey/articles/6da216dc43557a
「自分の定義での真のお金を稼ぐ」というのは、簡単にいうと業を起こすということ。
アルバイトでバイト代として、企業に就職して給料としてお金を稼ぐというのはしています。
(脱線するけど、投資で利益だすとか、使わなくなったswitchが買ったときよりも高くなったから売って稼いだとかは自分ルールで稼いだには入らない)
自分がビジネス上で出会ってすごいと思う人は、結構若い段階で何かしら大なり小なり、ビジネスを自分なりに考えて業を起こした経験があると感じていた。
そういう人は機転が効くし、本質を見逃さないことが多いという感じ、羨望の眼差しで見てきた。
正確にはそれに気づきコンプレックスが生まれてから何度かチャレンジしたが 完遂できない or 完遂してもお金生み出さないになっていた。
なのでコンプレックスは絶賛継続中で、仕事をリタイアするまでは諦めるかぐらいの気持ちでいた。
ちょっと作ったものをSNSで見せたら多少反応がもらえたので数ヶ月かけて完成させストアに出してみた。
これまでの失敗経験から、売れたらいいなまぁ売れないだろうな、ぐらいの気持ちだったんだが、
全く知らない人複数人に購入してもらえたんだ。
複数人に購入してもらったといっても単価がそんなに高いものではないので、
開発にかかった時間を考えるとペイには程遠いのだが、これまでにない経験に静かに興奮している。
開発をする中であんまり使ったことない言語だったのでインターネットで検索しまくった。
途中めんどくさくなって完遂しなくなりそうになったんだけど反応が少ないときにSNSで賛同者が応援してくれたりして最後まで開発できた。
「コロナ、ふざけんな」とか
「生ジョッキ缶、ふざけんな」とか
「給付金の支払いの遅さ、ふざけんな」とか
色々話していて、その中で特にふざけんなと思ったのが
◯◯◯件保存があり、◯◯◯件電話がありました。
◯十万円です。いかがですか?」
と。
色々話を進めていくと
すぐに、その◯◯のアカウントを見ると
断ったそうだ。
投稿を見てみると
PRでないのに、どこから情報が入ったのか「新オープン!」と叫び
毎日投稿され、他のインフルエンサーとコラボっぽいこともしている。
少しばかり分けているのだろう。
ほぼ全てがPRだとするととんでもない収入になることが分かって
そのことに対して、俺は「ふざけるな」と思っているわけではない。
何にふざけるなと思っているかというと
この◯◯のステマ案件が肥大化し、明るみになりバブルが弾けた時に
TikTokで紹介されている飲食店の全てが怪しく思われてしまうからだ。
俺のお店でも何人かのTikTokerに来てもらって投稿してもらったことがある。
(すぐに客がたくさん来て驚いた)
そういう投稿にも怪しい眼差しが向けられる恐れがあることを心配して
ふざけんな!と思っていた。
何かペナルティを与えてほしい。
ペナルティを与えるどころか
新店なのに、PRが付いていなかったり
ワイヤレスイヤホンとしては、廉価帯としての評価は上々で、★4前後をキープする
下手な中華イヤホンを買うならこっち買えば?と勧めたくなる程度には悪くない商品
恐らく、男女ともに、このCMなら忌避感は少ないんじゃなかろうか
アドセンスだと、イヤホンした横顔だけ映ってるシーン(0:14)のスナップが広告バナーとして表示される
画面下1/3に文字で「ワイヤレスホン」と表示されるので何の広告かは判明するが
アニメ絵だから結構キャッチーなバナーで、絵だけではパッと見何の広告か分からない
タイアップかなと思って一度興味本位でクリックしたから、結構選ばれるようになって
電車で落としそうだからフルワイヤレスを買うことは無いが、存在を気付かせる「広告」としては全然及第点だ
では、「女性を目を引くための道具にすることは問題」とするとき
女性の横顔がほとんどで、イヤホンは言われなければ気付かないバナーは
どういう判定になるのだろう?
客体化の問題はエロであって、女性を使って目を引くことではないってなる
そのほかの諸々だって「それ、あなたの主観でしかないですよね」と言えてしまう
これを「アニメ広告まで作ったプロモの一環だからOK」と切断すると
そのほかの諸々だって「背景をきちんと考慮しましょうよ」と言えてしまう
もちろん、「程度問題だ」というのだろう
女優を使ったら即アウトでもなければ
アニメ絵使ったら即アウトでもない
ヤマハの広告には「性的な眼差し」が感じられないと言われればそうだ
でも考えて欲しいのはそこではないんだ
言われるのは
みたいなことよね
半面、ジャニタレなどを使った客体化広告はほとんど問題にならない
みたいな事は、もっと考えられていいよね
私個人の考えでは、ヤマハの広告は問題なしだし、ツイフェミみたいな人でもほとんどの人がそうではなかろか
「これがエロくないなんてオタクは歪んでる」みたいな主張になるケースよりも
こういう、「問題はないけれど、これ性の客体化だよね」というケースの方が
実のある話が出来るのではないかな
週末になるとみんなでビラを折るんだ。そこでビラをただ折りを手伝っていた。
小さかったので、折り紙の容量でどんどん折っていった。
他の友達は子ども会とか習い事をしている中で、自分は親に連れられて政治関連の大会に出ることもあった。
小さかったので、何かぼーっとお茶とお菓子を食べる場所として過ごしていた。
高学年くらいになると、段々自分の家と周りの家の違いが分かるようになってきた。
選挙時期になると親は土日は会議、平日も仕事終わりに会議に出かけていくし、電話かけとか選挙カーとかにのって、街頭ではチラシを配る。
そんな親たちと鉢合わせしたくなくて、逃げるようにその場を去ったこともある。
選挙ポスターも貼ってあるし、友人らにその意味を理解されたくなくて家に呼びたくなくなった。
大量の政治関連の新聞記事のスクラップや政党支持のチラシを広げて、テレビ番組のゴールデンタイムはBSのニュース番組がずっと流れてる。
社会問題に対する認識をずっと植え続けられることに拒否反応を起こしていた。何で自分は家に帰ってきてもずっと、社会に目を向けなきゃいけないのと感じていた。
それで親は家事は任せ、夜は再び会議に行く。政治家じゃないよ、一般の政党支持者の話だよ。家庭の事を省みない態度に思春期は辟易したが、もう諦めた。
大学を卒業し、社会人になって結婚とか色々考える時に、ますます親の事が気にかかった。
相手の家にどう思われるんだろう。家には絶対呼べないと思った。自分と親は違うけど、明確にある政党を支持してるって思想をもった家は繋がりをもてるのか?
だから、政治のことを半端に分かってる人じゃなくて、なんかよく分からないくらいの人が相手にいいなと思ったし、気にしない人がいいという願いもある。
何だろうな。政治が大事だと思うし、親の事は否定できない。けど明確に、指示政党の立場示す行為を続けることって何かタブーなんだよ。自分的にだけど。
すげー卑屈になってくんだ。親が必死になってる様を見てかっこいいなと思うより前に、狂信的な態度におびえちまったというか。それが与党だったらまだ許せたのかな?
とにかくすごい閉塞的な気分になってくんだ。親が政治活動やってるってことが。周りからどう思われてるのかすげー怖い。早く家を出ろって話なのかもしれないけど。
自分もその親の子どもだから、若手として期待されるような声をかけられることがある。ジェンダー?SDGs?貧困?・・・社会問題を一緒に解決しようという眼差しが自分にはすごく、辛い。
疲れた。もう何でもいいそんなの。