はてなキーワード: 治療とは
ただ、摂食障害の事を何も知らないまま「カショオ」を認知した人が、これから不適切に使う事が予想できたから釘刺したかっただけだよ。
SNSに投稿するような人だけではなくて、食べ放題にもゆかず、自宅に食品買い込んで、罪悪感で家族にも隠したままやめられなくなってる人もいるから。
ミームが流行って、友達が通りすがりの他人に「あいつカショオっぽいよなw」って言われたら、また悪化して、自死でもするかもしれないのが怖いんだよ。
増田と増田の職場が彼女らに営業妨害のような迷惑を被っていることも、過食嘔吐がわざわざ食べ放題に来てSNS投稿してるのは、回転寿司屋で醤油差し舐めた動画投稿に等しい所業だって点は理解してるし同意だよ。
病みとか地雷、ODメンヘラのようにそれがブランド化してるのも苦々しくて、彼女ら・彼らには早く治療に向かって欲しいし、同属性と共感肯定し合うのやめて、店に迷惑かけるのもやめて欲しいと思ってる。
正直、増田が否定された!あいつら正義ぶって気持よくなってるだけだと過敏になるのは勝手なんだけど、
最近「ドカ食いダイスキもち⚪︎きさん」や「ドカ食い気絶部(これは男性も多いんじゃない?)」の流れで、摂食障害が面白おかしくコンテンツ化されてるタイミングなのもあって、以前から不安だったんだよな。
元増田も書いてるけど、ニキビ関連も虫歯と同じ病気の一種と思えばいいと思う。歯痛も医者にかからないと、そもそも虫歯なのか歯茎の痛みなのか、今すぐ治さなくてもいいのか、軽く削るのか、神経付近まで削るのかって判断できないのと同じで、肌も医者に見せないと本当にそれがニキビ跡なのか分からない
ニキビ跡20%で残り80%はアレルギー性の肌荒れの可能性とかも全然あるしやろし
ニキビ跡以外の要因があればまず薬での治療計画に入るし、完全にニキビ跡ならレーザー治療とか、予算と期間込みの詳細な治療計画も皮膚科で立てられると思う
特殊な皮膚病とかでない限りは、ニキビ関連なんかは町の皮膚科でも治療実績がかなりあるはずだから、美容とは思わずに歯医者と同じ感覚で行けばいいよ
全社的な出社10~40%要求と、割と自由な上司と、割と自由な同僚と、PJの狭間で勉強ぐらいしかすることがない社会人にあるまじき暇さが重なり、
のびのびと不妊治療に取り組めている。でも内心は不安でヨロヨロだ。
現在、採卵周期で3日に1回ぐらい受診している。採血と結果待ちもあり、毎回2-3時間ほど拘束される。待合でちょろちょろとテレワークをしている。
今日は思ったほど卵胞が育っておらず、また数日後に受診の運びとなった。PCOS気味なのである。
こんな風に、予定は立たないわ、内臓の位置の問題で内診が痛くてぐったりするわ、薬の副作用でもぐったりするわ、仕事が忙しかったら使い物にならないし、どちらかが無理だったかもしれない。
でも挙児は選ぶことができないから、働き続ける。キャリアを途絶えさせたら、二度とここに戻ってこれないだろうし。それに、不妊治療は保険適用になったけど、やっぱりお金が掛かるからインカムは重要だ。
今後採卵と移植でも数万円ずつ、さらに先進医療を使う予定で、それに10万円以上の支払いが確定している。
2、3ヶ月、限度いっぱい、またはそれに近い治療費+先進医療費が掛かったら、なかなかの経済負担だ。
経済基盤が怪しかったらちょっと選択が難しそうだ。片働きでは負担感はさらに増すだろう。
しかし私の労働環境はかなり恵まれている方のはずなので、多くの治療中の女性や家族は精神的にも金銭的にももっと苦しい思いをしているのではないだろうか。
民間保険で色々カバーできるが、加入からある程度の年月が経過するまでは不妊治療は免責だったりするので気を付けたい。
今日の日本では、挙児希望カップルの10-15%が不妊に悩んでいるらしい。
2022年に出生した子供の1割は体外受精経由で、総数77k人だったそうだ。
その割合からすると、挙児希望カップルの不妊率はもっと高いはずじゃなかろうか。前に示したように治療のハードルは依然低いとは言えないし、体外受精以前の不妊治療もあるし、それになにより授かれない人もいるのだから。
全員がぽろっと授かれたら出生数は万単位で増えるのかな。
キャベツ畑でとれたらいいのにな。
亀レスですまんが
考え方にしろ幻聴にしろ感覚にしろ、起こってないことが現実に起きたことと同じようにリアルに感じてしまうのが統失だから
外的な要因で他人を信じられなくなってたり、自分の感覚や経験を疑えない性格で、病識がなく自分が正しいと思い込んでるうちは難しいと思う
俺はひぐらしのなく頃にとうみねこのなく頃にが好きで、作品を通して自分を疑うこと、自分が見たことや物事の表面を鵜呑みにせず理屈で考えることを覚えていたのと、人を頼ることの重要性を理解していたから
90年代に連載され90年代が舞台の「ふしぎ遊戯」の過去編で、大正12年が舞台
このシリーズの共通設定「古代中国の呪術的書物を日本語訳したら訳本自体が呪力を持つようになり、物語を完成させるため、処女(おとめ)を本の世界に引き摺り込むようになった。処女は神獣を召喚するための巫女となる。神獣はどんな願いでも叶えるが、巫女=生贄の存在を食い尽くして巫女は死ぬ」
玄武編主人公は3つの願いのうち2つを叶えた後で、玄武に食い切られる前に人間として死ぬため命を断つ
その数年後にはじまる白虎編、こんな呪いの本なんか避けるはずなのになんで巫女になっちゃうんだろうと思っていたが、その展開が上手い
関東大震災と絡め、家屋が崩れ脱出できない中でせめて延命させるために本の世界に逃げさせるという流れ
呪い本は破れず燃えずだから、中にいる間に外で大地震があろうと安全
白虎編楽しんで読めたのだが、作者はTwitterで鬱々としている
元から少年漫画家を志していたが紆余曲折あって少女漫画家としてデビュー
少女漫画で大ヒットを飛ばし編集者は編集長にまで出世、次には少年漫画に進出したがそちらはパッとしなかった
一度発表した作品「アラタカンガタリ」は少年誌編集の指示で設定を変えた部分があり不満だからと、セルフリメイク
アラタ〜は需要があまりなく内容ほぼ同じのリメイクは更に需要がなく、初版4千部二まで落とされたと嘆いている
一方でふしぎ遊戯はシリーズ累計2千万部、主に朱雀編のヒットによるところだが白虎編だけでも単巻5万部
でも作者はアラタが売れなかったことばかり見て、白虎は編集や読者が求めるから義務的にやっているところが大きいかのように腐す
母親にも白虎編を見たいと言われていたが病んでる間に母親が死去して、描いてもどうせ見てもらえないのに意味がない、と読者を無視した発言
単巻100万部の大ヒット少年漫画の世界からは劣るが、5万部売れてれば十分売れっ子だ
でも描かされてる少女漫画で売れても満たされず、描きたい少年漫画で評価されないと嬉しくないらしい
2千万部どころか5万部すら売れない、なんなら4千部出してもらうことすらできない人もいるのに、十分才能を評価されてるのに
恋愛漫画の当て馬キャラの気持ちってこんなのだろうな「俺じゃダメなのか?」「あいつといても辛いだけだろ?」みたいな
作者に振られてる気持ち
婚活ってそんなにうまくいかないものですか?僕も43歳で婚活したけど、選ばれなかった経験ってすごく人生の中で大きなモノにも黒歴史にもなる。でもそこで自分と向き合わないと、本当の婚活は始まらない気がする。選ばれなかった人として何ができるかを考えて。そうすれば普通に結婚できると思うけどな
相手はビジネス系のアカウントなので、容赦なくさらすけど、プレコックス感――発達障害っぽいとか躁鬱っぽいとかdv 属性を持ってそうとか所謂弱者男性とも被る属性のヒトはどうすればいいんでしょ?発達障害や躁鬱は薬が効いても寛解止まりで、dv属性も発達障害と合併してることは普通にあり治療が難しく、治療したところで配偶者に殴らせて警察を呼んで…みたいなやり方を覚える人もいて治療が難しいんですよ。しかも、こういう人たちって低賃金なことが普通にありましてね。低賃金を解決しようにもまともなところはプレコックス感で雇ってくれず…選ばれない理由をつぶすことってできます?
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
食べ物に関する話題が中心で、「台湾まぜパンチョ」や「しゃぶしゃぶ温野菜」の体験談が共有され、雷の話も少し出ました。また、洗濯機が壊れたため、コインランドリーに行く必要がある話題もあり、手洗い方法や台風情報が話題になりました。
秋の訪れを感じ、季節の変わり目が話題に。過去の治療や美肌ケアについての話、ウーバーやセブンの宅配サービスの意見交換、ゲリラ豪雨の影響についても話されました。
サンフランシスコの商店街や「ラピュタ」の「バルス」に関連する話題、またeSIMや子供の成長についての驚きが共有されました。
台風の影響による新幹線運行停止や、大雨による交通への影響が話題に。サウナや宿泊施設に関する話、そして経費精算や勤怠の完了についての業務連絡も行われました。
宇多田ヒカルのライブ、吉野家のだちょう丼、Ingressの世界大会についての話題が出ており、台風の進路や影響も共有されました。
メンタルヘルスやリモートワークが話題になり、宇多田ヒカルのライブの予定や、花火、食べ物の話題も出ました。台風や座布団ネタも話題になり、再結成についての喜びが共有されました。
洗剤の種類や使い方、台風の影響、洗濯機の機能についての意見交換が行われ、公務員のメンタルヘルス問題も話題に上がりました。
猫が甘えて動けないという日常のエピソードから、洗濯機の買い替えについての話、公務員のメンタルヘルスに関する問題についての話がありました。
この要約から、チャットの主な話題が日常の出来事や季節の変化、食べ物、天候の影響、そしてメンタルヘルスに関連していることがわかります。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
リスパダールが効きにくい場合、オランザピン、シクレスト、リチウムが赤い怒り――理由はあるが、客観的に見て妥当でない怒りに効くそうだが、ぐぐると糖尿病の人には使えないなど制約がある
黄蓮解毒湯も制約はあるが、腸間膜静脈症になる可能性があるぐらいで、1日程度なら、裏寒気味の人でも使え、リスパダールよりも即効性がある
不妊治療といってもまだ人工授精を数回しただけだから、ちゃんと頑張ってる人に比べたら全然だけど、体外受精以上のことしてまで子ども産みたくない。
夫は「できれば子どもが欲しい、無理のない範囲で妊活をしてほしい」というスタンス。
私も、表面的には「絶対に欲しいわけではないけど授かったら産み育てたいし、不妊治療もひとまずやってみる」という態度でいた。
でも本心では、産みたくない。
元々私は反出生主義的な価値観を持ってて、こんなクソみたいな世の中にわざわざ新しい命を送り出すことに抵抗がある。
生まれてこなければ、確かに楽しいことは経験できないけど、苦しいことも経験せずに済む。そして、人生には楽しいことより苦しいことのほうがずっと多いし、基本苦しい人生をわずかな楽しみだけをご褒美に死ぬまで続けるなんて絶対割に合わない。
とはいえ、こういう話は「世の中をクソと思うかどうか、人生が楽しいか苦しいか、生まれてきてよかったと思うか否かは、すべて生まれてきた子が決めることなんだから、お前の勝手なエゴを言い訳にするな」と言われればそれまでだ。
私は発達障害と双極症持ちのいわゆるメンヘラ枠で、自分の子どもを産めば少なくとも発達障害は確実に遺伝する。年齢も若くないので、その他の疾患や障害のリスクもあると思う。
心身ともに健康な人が心身ともに健康な子どもを授かってさえ、妊娠→出産→育児はすごく大変だと聞くのに、生きるのに向いてない私が「育てづらい」子を無事に育てられるわけがないと思ってしまう。
最低でも自分自身の精神状態は間違いなく悪化するし、子どもを虐待する確率も高い。最悪、自分か子どもかその両方を殺すかもしれない。
夫は「産んでみたら意外となんとかなるものだよ」と言うし、ひょっとしたらそうかもしれない。
でも、自然に授かるならともかく、わざわざ心身+経済的な負担がかかる不妊治療をしてまで、そんなリスクを取りたくない。
いつか、もっと私の心身が安定して、子どもを育てるだけの余裕ができたら、里親制度を利用するのもありだと思っている。
自分で新しい命を作るのには抵抗があるが、生まれてきてしまった子どもの幸せを支えることは意義深いと思うからだ。
もっとも、夫は「血のつながってない子どもはいらない」というかもしれない。その気持ちはわかるし、夫婦二人だけで生きていくのも、私としては大歓迎だ。
我が家も2人目の不妊治療で何度も流産を繰り返した結果、自然妊娠しました。5年、400万くらい突っ込みました。
その昔、ある人に、猿になれば子供は出来る!と言われたことがずっと引っかかってます。つまり、あんなに苦しい妊活の前に、妊娠するまで狂ったようにsexすれば、夫婦仲ももっと良くなり、それで子供も出来たんじゃないかと。
なんか、当初からタイミングを意識してsexしてて、不妊治療が進み体外受精、顕微授精と進むにつれて射精が作業になってしまってました。
もっとタイミングを考える余裕もないくらいにsexすれば良かったなーと。結果、自然妊娠だったんだから、トライの数が少なかっただけなのかなって。
結婚して10年くらい経つけど初めての妊娠だ。この10年間で子作りはやっていたけど、せいぜい月に1回にこなすくらいで、年によって1回もなしていないこともあった。なんで今回妊娠したかについて書いてみる。試行回数を単純に増やしたことで妊娠したと思っている。以前は、布団で1時間くらいかけて質を重視していたのだけど、妻を満足させないといけないとか時間的にもお互い負担が高かった。でも、数ヶ月前から試行回数を増やすことに重点を置き、お風呂場での子作りを試したのだ。お互いに前戯はするもの軽く済ませていた。当たり前だけど前戯が短いと妻が濡れていないので、ローションをフル活用した。作業的ではあったけど、夜にサクッと子作りノルマを達成できるし、ボディコミュニケーションも取れていたので夫婦仲は割と円満だったと思う。
うるせ~~~~~~!!!!!もうだいーーーーぶ頑張ったんじゃ!!これ以上頑張ったらそもそもの夫婦関係に亀裂が入るだろうというところまで来とるんじゃ!!!!!
そんな甘言はいらんのじゃ~~~~~~!!!!そんなのは一握りの人達だし、そんな期待をかすかにでも抱いている限り私の自意識は「不妊女」として囚われ続けるんじゃ~~~~もう開放してくれ~~~~~
うるせ~~~~~~~~~!!!!!猫は昔から飼いたかった、というか猫が家にいる生活こそが私にとって自然なことだったけど、新たに猫を迎えるなら子供が生まれるまで我慢しよう(子に猫アレルギーとかあるかもしれんし)とずーーーーーーーっと!!何年も!!!我慢してたんだよ!!!!愛情を注ぐ存在が欲しいという気持ちも産んだ子でないと許されないのか?うるせえ!!!!!
うるせ~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!子供がかわいくてしょうがない~~~って自慢してくれるほうが100万倍よいです!!!!!!!!!!
不妊治療がつらい!という日記を書いてから5年、子どもが生まれました!
不妊治療は結局、あの日記を書いた少しあとに挫けて中断してしまって、「でも不妊治療をやめて一体どうするんだ?」「何もしなきゃ妊娠しないぞ」「でももうしんどい!」「デモデモダッテ……」と自問自答を繰り返しているうちにコロナ禍になって、3密回避で病院自体に行きにくくなり、なんとなくそのまま不妊治療から遠ざかり、どんどん歳だけ重ね、もういいか!夫婦2人でも楽しいし!これはこれで!という気持ちに切り替えようとしていた矢先に、自然妊娠。
あんなに心をすり減らして時間もお金も費やして通った不妊治療だったのに、治療の手を借りずに、しかもあの頃よりも歳をとった身体機能で妊娠するんですもん。読めなさすぎる。人生わからん。人生むず。
抱っこ紐の中から世界を眺める横顔を見ていると、これ以上に尊いものはどこにもないなと感じます。
子どもを持つってこんな感じだったんですね。
ひとつのノートの中に自分の精神を集約するという考えがしばしば私の心を捉える。私の注意力は散漫であり、精神活動の成果をただ生活の諸場面に撒き散らして終わってしまう。だがそれを一か所に押しとどめることができれば、そこに何か、私の精神の輝きと呼べるようなものが見えてくるのではないか、と期待するのである。
瞑想がその役割を果たしてくれればよいのにと思う。だがこうして左手で文章を書くことのほうが、はるかに強く光を集める。(注:この文章は紙のノートに利き手でない手で書いた文章を転記したものである)
瞑想によって心を集中させるには、私は自分に甘すぎるのかもしれない。単にコツが掴めていないだけかもしれないが。
これからの自分の人生に何一つ希望が持てていない。希望というか、楽しみにしていることがない。またそのような対象ができるとも思えない。というのは、未来において何かが得られることを心待ちにするという心理状態が、もはや私においては不可能と感じられるからだ。
つまりこういうことだ。手を尽くして欲しいものを掴み取ったとする。すると私は「手を尽くしたのでこれは当然のことだ。起こるべきことが起こっただけだ」と思うだろう。そこには高揚感や達成感はなく、自明な疲労感が残されるだけである。では苦労なく手に入れたとしたらどうか。その場合は「ただそのようになっただけだ。私の人生とは関係がない」と思うだろう。
要するに、私は非常に疲れやすいので、達成の小さな喜びは、達成に至るまでの労力に打ち消されてしまい、かといって単なる幸運を自分の手柄とも思えない、ということである。
そもそも達成したい事柄が自分にはほとんど存在しないのである。物質的成功はもはや煩わしいものとなっている。もちろん私は虚栄心にまみれた人間だから、ちょっとした成功でしばしば調子に乗ってしまう。そしてしばらくして我に返り、みじめな気分になるのだ。それは、その時の喜びが、純粋に虚栄心に由来するのであって、自分の本当の望みとは関係ないことを知るからだ。何かが上手くいくたびにそれがわかるのだ。
この記述自体が虚栄心によるのであって、私は自己認識に失敗している、と思う。
仮に努力の末に二兆円の資産を得たとしよう(自己認識の上では、別にそれが欲しいわけではないが)。私は喜ぶだろうか?働く必要がなくなり、時間的自由を得られたことを自分はポジティブに評価するだろうとは思う。つまり少し安心するだろうということだ。
私にとって物質的成功とは、物質的苦痛を減らす方法に過ぎない。苦痛は少ないに越したことはないが、耐えれば済む話でもある。快適に生きて快適に死んだとして、それをよい人生とは思えない。その意味で、快も苦痛も大差ないと考えている。
私は異常に理想が高いのだ。あるいは、私の理想は、現代社会で一般的なそれとは位相が異なっている。これは宗教的な感情である。
もちろん、物質的快楽よりも宗教的崇高さのほうが格上だから、と私の虚栄心がささやいているだけという可能性は否めない。というかたぶんそうなのだろう。自分のやる気の無さにもっともらしい説明を与えているだけだ。
異様な無気力。これだけが真実である。しかしそれが真実であるなら、私の人生の目的が形而上学的位相にのみ存在しうる(しないかもしれないが)、ということもまた真実ではないか?
「無気力は治療できる」という通念が、社会の物質的傾向を強化しているのだ。物質的傾向というのはここでは精神的位相を無視する傾向性のことを意味している。「我々に迎合しないのは甘えである。なぜならその手段は常に準備されているのだから」というわけだ。コンサータを飲んで労働にいそしまないのは甘えである。
勇気をもって NO を突き返そう。だがその NO が具体的にどのような形をとるのか分からないから困っている、と言える。出家か?だがこの道も物質世界に吸収されて久しい。