はてなキーワード: 映画評論とは
昭和の価値観からすれば、女とセックスできるなんて大層なことだった。
しかし、今ではネットで美女を見ながらオナニーできてしまうので、女とのセックスに大層な価値を感じられないと思う。
しかし、じゃあそれに対応した価値観ってなんなのか、昭和生まれのモテないおっさんである俺は知らない。
もしかしたら、当たり前に存在しているかもしれないその価値観が無いから、いまいち現実の事象を理解できない。
なぜ、価値が無くなった女が偉そうに恋愛における優位を仕事場なんかでも持ち込むのかが理解できない。
女性を大切にする価値観は、そりゃリア充はセックスできるから意味があるかもしれないが。セックスすることもない非リアにその価値観が押し付けられる意味が分からない。
セックスだけで言えば、オナニーでセックス以上が得られる世界になっちゃったじゃないか、と素朴に疑問に思う。
女は非リアに対してセックスチャンスゼロでいいし、それなら男同士のように対等な付き合いできてほしいんだけど。
なぜか、アファーマティブアクションもらってる側が偉そうにしている。おかしいと感じるが、何らかの価値観があるんだろう。その価値観ってなんなんだ。
論理的に異常に感じてしまうのは、昭和感覚からすれば当たり前だが、昭和とは社会構成が変わったから新しい価値観ができたんだと考えるのが妥当だろう。
その価値観ってなんなんだ。昭和的価値観しか持ってないから、その違和感をずーット感じている。
でも、現代に生まれる子供世代はそういう新しい価値観の中で生まれているわけだから、その空気を当たり前として生きる世代がいるんだろう。
その価値観、教えてほしい。子供達に頭を下げて授業してほしいくらいなんだわ。
俺が生まれた世代ってのは、戦争世代やバブル世代とはまた違った価値観を確かに持っていた。
だから、今生まれている価値観ってのもあるはず。だって世界がコンだけ変わったんだから。
でも今じゃネットでそこらの人の意見が簡単に分かるし、映画のまとめもウィキペディァで明確に分かる。
こうなってくると、映画評論で映画を感じていた人間とはまた違った価値観が生まれる。
俺は、映画評論的な時代の映画鑑賞には価値を感じなかったが、今はいくらでも見たそばから感想を見れるため、映画を見るのが好きだ。
『桐島、部活辞めるって』を見た後は、『リリイシュシュのすべて』や『大怪獣、東京に現る』や『ゴトーを待ちながら』といった関連作品をスグ知って速攻世界を広げられる。
こういう価値観の中で見る映画への価値観は、1990年代とは全然違う。
こういう価値観の中で映画を見ることは俺はマッタク抵抗ない。だって、その世界の価値観を知ってる側だから。
でも、セックスの価値観は未だに分からない。もしかしたら、皆も知らないんじゃないかとすら思っている。
俺と同じように、リアル女性と関わるリスクとリターンより、xvideosアサリやエロ漫画アサリのほうが当然いいよねって考えのほうが当たり前だしスタンダードなのかもしれない。
皆、この新しい世界での新しい理屈に対応できず、価値観がずれてるんだけど、対応できてないみたいな不安を感じているのかもしれないと思えてくる。
実は、20歳のアイドルやってる女と援助交際をした。デートして、飯食って、セックスした。4万円弱。
数回やったが、価値を感じなかった。素人とやった感はあるんだけど、昔なら感じていたレアリティーを感じなかった。
AVで美女を見れなかったり、二次元がこんだけ進んでいなかったら、多分相当価値があったことだったんだろうけど。昭和ならすごい価値あることだったんだろうけど。
マッタク価値を感じずビビッタ。むしろ、コンだけ金とってこの程度なのかってビックリした。
エロゲー買うほうがまし。DMMで見放題登録したほうがましだった。快感だけで言えば。
素人とやったとか、その女とやったみたいな価値がマッタクなかった。
これで、よく皆納得して彼女作れるもんだとビックリしてしまった。
もちろん、セックスだけじゃないんだろうけど。じゃあその価値観ってなんなのってのが伝わってこない。
たとえば、ユーチューバーのリア充を見ると、リアルでリア充を見る価値ってのが伝わってこない。
ネットで絵画や演劇を見て楽しんだら、リアルで見るのはダルイ。ってか、コスパ考えるとリアルに赴くコストに対して得られるリターンが小さい。
でも、もちろん、たまには行くよ。そりゃ行くよ。そこで得られるものもある。
でも、相当な部分がネットで代用されるから、相対的にリアルの価値は小さくなる。小さくなった価値を補填するだけのサービスを受けられない。
リアルでの活動は、これまでより値段が下がっても大きな買い物になっちゃったのに、それでも、価値観を変えずにリアルはリアルで続くんだろうか。
そこは違う価値観が生まれてると思うんだけど、じゃあその価値観ってなんなんだ。
でも、旧来の価値観や人間がそのまま受け継いでネクストステージを生きているように感じる。
新しい価値観、みたいなのってないんだろうか。
リア充。本当に皆好きなんだろうか。
『桐島、部活やめるって』みたいなのでリア充が非リアに敗北みたいなのやってたけど。
好きになれないが、周りがワイワイと誉めそやすから、仕方なく付き合わざるをえない。
俺は本当は、将棋とか、絵画とか、映画評論みたいな、クッソ地味な話がしたい。
しかし、そういう話はウケナイ。
リア充がウケル層ってどこかといえば、女だ。
イケメンとか、高身長みたいなのを取り込む力がリア充は強いらしい。
一方で、もしかしたら本当に皆リア充が好きなのかもとも考える。
ポジティブでないと、子供を残すという話にならないんじゃないか。
子供を残さない感覚ってのは、いくら正しくても否定するように遺伝子が働くんじゃないか。
イケメンが、非リアのほうがいいよーってなれば、多分この世は非リア推しの風潮になるように思うんだけど。
多分それだと女が楽しくないんだろう。女に受けないものをやってもリア充はセックスできないし、マスコミは煽れない。
でもさ。
純粋な楽しさや、レベルの高さで言えば、圧倒的に非リアだろうって思うけどさあ。
『グミ、チョコ、パイン』みたいなのでも、そんなの言ってたかなあ。
女は流されやすいし、流行に弱いから、バンドみたいな、クソ下らないリア充趣味が世の定番になるんだろう。
って思うんだけど。
なぜ世の中リア充ノリなのか、分からないんだよなあ。マジでつまらない。
『桐島、部活やめるって』みたいな感じで、イケメンが映画作りやってますみたいな風潮はやらないかなあ。だめかあ。イケメンにメリットないよなあ。
つか、仮にイケメンが来ると、女が来るから、女が来たらその分野がつまらなくなるから、ダメか。
そう考えると、リア充趣味って、女や馬鹿リア充を隔離するための分野で。
本当に面白い分野は非リアに任されてるってことか。
なるほどな。働き蜂と、女王アリみたいなもんか。
映画レビューの信頼度を測って順位付けとか映画好きとして看過できない記事を見かけた。
結論から言えば、言葉の使い方から数字の使い方までテキトウで、普通に侮蔑になっててヒドイ。
(たぶん自分が何をしたいのかよく判って無いまま数字を弄ったからだと思うけど)
みんなも、自分の感性に似てるレビュアーを見つけるようにしてみよう!
映画は感性に大きく左右されるので、万人に正解があるレビューは存在しない。
端的に言えば、アンパンマンが好きな人と、チャイルド・プレイが好きな人とで、レビューの読み方は違う。
どんなに高評価だろうが、子連れがポルノの帝王「ドン・ジョン」みちゃダメなのだ。
どんなに高評価でも、ゴア好きがモキュメンタリーホラー「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」はダメだろう。
なので、映画のレビューの優劣を決めよう、成功や失敗を検定しようというのは、無意味な行為だ。
「オレが映画を観る参考にする為に、ある人のレビューが利用できるか知りたい」なら別に問題ない。
これは言い換えると「オレの感性に最も近いレビュアーを探したい」と言う意味だからだ。
そこで、自分の映画評とマッチングさせるにはサンプル数が少なくて使いづらいので、
自分の感性の近似として「Filmarks」スコアを用いる、なら良いと思う。
これは「Filmarks」の評価集積に良く近似するレビュアーを見つける事になるからだ。
(これなら、近似しないレビュアーが別に劣っているわけではないことは自明だ)
故障率とか、稼働率を出す際に利用されている、工業的な用語だ。
(ある業界内の定義通りに使えという意味ではなく、キチンと意味付けして使う必要があるってことだ)
「Filmarks」が2点以下なのにレビューが4点以上なら「故障」と意味づける、ならまだ判る。
Filmarksの低スコアを高スコアにしちゃう人、つまりオレの地雷判定とは違う≒壊れている、だ。
(それだって相当失礼な表現だが。本来この手のは第一種過誤と第二種過誤(偽陽性・偽陰性)の話だ)
ある値(真値)に近いかどうかを示すのは、「正確度(accuracy)」と呼ぶ。
1点を1点と言うか、4点を4点と言うか、ということだ。マッチングだね。
計測値に再現性があるかどうかは、「精度(precision)」と呼ぶ。
2点の映画を1点と言ったり3点と言ったりバラつきが無いか、ということだ。
元々やりたかったことが「地雷を踏みたくない」なら、信頼度(故障率)を測るべきだ。
件の雑な記事では、正確度を測ろうとしている。しかも測り方が輪をかけて雑だ。
そもそもの「地雷を踏みたくないから、低評価映画を高評価付けられたら困る」なら、
「Filmarksで低評価を付けられてる作品に、何点付けたか?」を数え上げないといけない。
件の記事のFilmarksスコアで2点以下は、「ワイルドカード」ただ一本である。(2.9点)
そうすると「地雷避けレビュアーを探す」意味では、コレと比較しないと無意味だ。
(4点を4点と評価してても、2点も4点と言っていれば、地雷避けにならない)
一本しかないので誰でもすぐ判る。
- 中山 治美(2点):こんなジェイソンはイヤだ!
- 森 直人(3点):意外にもオフビートな面白さ
- くれい響(3点):ハゲがハゲを嘲笑する深い意味。
- ミルクマン斉藤(3点):強引に派手な展開を狙わない余裕のステイサム映画。
- 相馬 学(4点):ハードボイルドな味が活きたステイサム最新作
- なかざわひでゆき(4点):これぞ男が惚れる“男の映画”
(http://www.cinematoday.jp/movie/T0019688 短評順序は引用者入れ替え)
同率2位が、3名。Filmarksで低評価なのに4点が2名。
件の記事では中山 治美が7位、相馬学、なかざわひでゆきが4位と、
地雷避けには全く使えない順位になっていることが、ひと目で分かる。
あのランキングでは、ワイルドカードは観るべき映画になるのではないか?
(そもそも1本で検証する滑稽さは伝わると思うが、10本でも同じであるのはお分かりいただけるだろうか?)
目的を忘れて地雷避けにすら使えないランキングをドヤ顔で載せるぐらいなら、
レビュアーのお名前を書いた紙飛行機を飛ばして、飛距離順に並べたほうがマシである。
ミルクマン斉藤さんがFilmarks近似である(その他の方がFilmarksと乖離がある)と主張する件の記事は、すぐに取り下げるべきだと思う。
タイトルに「【検証】シネマトゥデイ映画短評ライター信頼度調査 ~映画評論ライター9人の頂点は誰だ?」としているのは、即取り下げて謝罪すべきレベルの侮辱記事であると思う。9名全員を愚弄している。
(最低でも【お遊び】【ジョーク記事】と入れるべきだし、調査や頂点という単語を使うべきではない。はてなブックマーク - 【検証】シネマトゥデイ映画短評ライター信頼度調査 〜映画評論ライター9人の頂点は誰だ? - YU@Kの不定期村に冷静なブコメが付いているのが不幸中の幸いだ)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11251769.html
ワールドカップはおろか、サッカーに関する記事のなかでこれほどまでに無知蒙昧、盲目、的外れのくせに上から目線な記事は初めて読んだ。
全文を読む為には登録しなきゃいけないところをみると炎上商法か?
以下、興味ある方向けに全文をコピペします。こんなクソ記事読むために登録なんて誰がするか、誰がさせるかクソ朝日。
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サッカーのワールドカップ(W杯)ブラジル大会が終了した。熱戦続きだったが、「なぜ、開催国ブラジルはドイツに7点も奪われたのか」「なぜ、日本代表はまったく精彩を欠いていたのか」など、さまざまな謎も残った。映画評論と共に、斬新な視点からのスポーツ評論でも知られる蓮實重彦さんに、謎解きをお願いした。
――今回のW杯、特に決勝トーナメントに入ってからは、一部の試合を除き、なかなか点の入らない展開が目立ちました。素人が見てもワクワクするような試合をもっとやって欲しかった、という思いもあります。
「国民や国の期待を背負うと、どれほどスポーツがスポーツ以外のものに変化していくか。それを見せつけられた何とも陰惨なW杯でした。サッカーとは本来『ゲーム』であり、運動することの爽快感や驚きが原点のはずですが、W杯は命懸けの『真剣勝負』に見えてしまう。お互いもう少しリラックスしなければ、やっている選手もおもしろいはずがないし、見ている側も楽しめない」
「『ゲーム』ではなくなるからです。ましてや負けないための真剣勝負など、見ていて興奮するはずもない。前回2010年の南アフリカW杯で、日本代表の岡田武史監督は大会直前、徹底的に防御を重視した『負けないサッカー』へと泥縄的に方針転換しました。確かにそれで1次リーグは突破できましたが、『1点でも奪おう』というサッカー本来の精神からは、ほど遠いコンセプトだった。今回3位になったオランダ代表は、まあ前線にファンペルシーやロッベンがいるからでしょうが、5バックというさらに防御重視の戦術で、まるで『岡田ジャパンのなれの果て』のようにさえ見えました」
「勝ち上がるのを最優先すれば、どうしても『岡田化』が進む。今後はさらに防御重視の傾向が強まるでしょう。しかし、サッカーはどちらかが防御に徹すると、ゲーム自体が成立しなくなる。日本―ギリシャ戦はその典型です。運動の快さを放棄してまで、国が期待する勝利にこだわる。そんな『スポーツの死』には付き合いたくない。W杯はそろそろ限界だ、とつくづく思いました」
「国を背負うとどこか血生臭さも出てきます。その一例が、コロンビアの選手がブラジルのネイマールの背中にひざを入れ、骨折させた場面です。故意かどうかという問題ではなく、国のために死にものぐるいでプレーすると、ああいうことが起きてしまう。他にもずいぶん負傷して血を流している選手がいました。観客の皆さんは、あの血生臭さにもう慣れてしまったのでしょうが」
「ザッケローニ監督は、日本のサッカーのためにある程度までうまくやったと思います。岡田監督とは違い、前々代表監督のイビチャ・オシムが作った流れを壊さなかった。私はオシムが率いていた時代のジェフ市原(現・千葉)の、攻守にわたり選手たちがダイナミックに動くプレーを見て、日本でもサッカーが見られるんだという喜びを感じました。ザッケローニにも『みんなが走り、気持ちよくサッカーをしないと意味がない』という姿勢があった」
「問題はそれを十分に実現できなかった選手の方です。私は前回の日本代表について、岡田監督の急な戦術変更にもかかわらず、選手たちの『運動する知性』が想像以上に高かった、と評しました。選手たちが無言のうちに素晴らしい連係を達成したり、味方をも欺くようなはっとさせる動きを発想したりする知性のことです。前回は、松井大輔からそういうトリッキーな動き方を感じたのですが、今回はみんながまじめすぎた。少なくとも大久保は、もっと不まじめでもよかったのではないか。市原でオシムに鍛えられた前代表・阿部勇樹のように、『失点のリスクをつぶす責任はオレが負うから、君たちは好きにやれ』という人もいなかった。知的な面では退化していた、と言わざるを得ない。それでも、岡田サッカーで勝つよりも、ああいう負け方の方が日本の未来にはよいことだと思います」
――本田の「目標は優勝」という言葉とは、かけ離れた結果でした。
「本田の発言の真意は分かりませんが、多分『そうでも言わなければやってられない』という思いがあったのではないか。『オレたちはどこまで伸びられるのか』ということを意識的に試そうとしている選手が、彼以外にはあまり見あたらなかった。そんな仲間たちを鼓舞しなくてはいけない、と思ったのでしょう。ただ、本田自身も、勝利へのこだわりが動きの柔軟さを奪っていたような気がします。それでも1点を取り、1点をアシストした。彼が日本代表の最低限の名誉を守りました」
――誰もが国を背負い、勝利にこだわりすぎたW杯だった、と。
「サッカーの魅力は『うそのように思いがけないことが、ピッチで起こる瞬間を目撃すること』ですが、今回それを味わわせてくれたのは、オランダ―スペイン戦におけるファンペルシーのヘディングシュートだけでした。決勝戦でのドイツ・ゲッツェのシュートは確かにみごとでしたが、ああいう場面で輝くのは真のスターでなくてはならず、まだスター予備軍のゲッツェが決めても、私たちを驚かせることはできません」
「1カ月も大会を続けていれば、その間に必ず愉快でおちゃめな選手が出てくるものですが、今回はそれも不在でした。唯一、相手選手にかみついたウルグアイのスアレスには一種のかわいげを感じましたが、おちゃめと言えるかどうか。02年の日韓W杯で、ブラジルのロナウドが前髪だけ三角形にそり残した奇抜な髪形でプレーし、優勝トロフィーをさらってしまった。そういう『変な人がおちゃめをしながら勝つ』という楽しさもなく、みんなが必要以上に本気になってしまった」
「一方で『見たことを一刻も早く忘れたい』という瞬間が多すぎました。世界最高GKの1人、スペインのカシリャスはオランダ戦で5失点した。彼があんなによれよれで崩れてしまう、という場面は決して見たくなかった。ポルトガルの対ドイツ戦での惨敗にも目を背けたくなりましたが、極め付きはやはり準決勝のドイツ―ブラジル戦です」
――ブラジルが7失点。目を疑いました。
「あれはもうサッカーではない。ドイツが7点も取ってしまったことは、果たして成功なのか。もちろん、勝利したという点では成功なのですが、『サッカーをサッカーではないものにしてしまった』という点においては、醜い失敗だったとしか思えません。誰かがドイツ代表の精神分析をやらなくてはいけない。どこまで点が取れるのか、面白いからやってみよう、というぐらいの気持ちになっていたと思うのですが、どう見ても7点も取ってはいけない。何かが壊れるし、人の道から外れているとしか思えない」
「サッカーから運動の喜びを奪うW杯という枠組みが、選手たちの精神とゲームそのものを、いかに異様なものにしてしまっているか。それを象徴する試合でした。サッカーは死んだ、と思いました。前回のW杯でも、国を背負うことの問題は至る所に現れていましたが、それでも決勝、準決勝は緊張感のあるいい試合でした。それが今回のW杯では、なくなった。次回のW杯まで私が生きているかどうか分かりませんが、確実なのは『もう、徹夜をしてまでは絶対に見ない』ということです」
■ ■
「実は今回のW杯では、二十数年ぶりに心から応援するチームがありました。ボスニア・ヘルツェゴビナ代表です。1914年に同国の首都サラエボで起きたオーストリア皇太子暗殺事件が、第1次世界大戦の引き金になった。それから100年。20年近く前まで殺し合っていた三つの民族が、オシムの尽力で一つのチームを作り、W杯に参加した。これはもう、応援するしかない」
「最初の対アルゼンチン戦で、敗れはしましたが、イビシェビッチがチーム初得点を決めた時には、わがことのように泣きましたね。最後のイラン戦で初勝利した時にはまさに『オシム流サッカー』という感じの躍動感にあふれた闘いぶりで、その華々しさにまたも涙しました。この年になって真夜中に何をやっているんだろう、とも思いましたが」
――蓮實さんは、スポーツの世界に、スポーツ外の浪花節的な物語を持ち込むことを嫌っていたのではなかったですか。
「いや、これは私個人ではなく、人類の問題なのです。サラエボ事件100年ですよ! そこから来ている代表が民族対立を乗り越え、W杯で初勝利した。その奇跡を、日本と関係の深いオシムが実現させたことを、心から祝福するべきなのです。そしてボスニア・ヘルツェゴビナがオシム流のサッカーをさらに継承し、将来のW杯で魅力あふれる運動感をピッチに行き渡らせる。これは私のロマンチックな願望です。そうなれば、W杯をまた熱心に見ることになるかもしれませんね」
(聞き手・太田啓之、金重秀幸)
*
はすみしげひこ 1936年生まれ。東京大教授、教養学部長、総長を歴任。著書「『ボヴァリー夫人』論」「表層批評宣言」「スポーツ批評宣言」など多数。
匿名ダイアリーの公開質問へのお答え - 映画評論家町山智浩アメリカ日記
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20140629
「町山さん、ありがとう。それこそ俺たちが一番知りたかったことだよ」(ますだ漁港の漁師)
というネタはさておき。
町山さん、匿名ダイアリーの公開質問状(http://anond.hatelabo.jp/20140629111911)に、迅速かつ誠実にご回答いただき、誠にありがとうございました。
余計な雑音に惑わされることなく、町山さんから直接映画に関する疑問や矛盾についてご説明いただいたことで、もやもやがすっきりしました。この点について、ぼくは心から感謝いたします。
こちらからは以上です。
作品の感想なんてものは人それぞれ勝手に受け止めるものであって、そんなものは「※個人の感想です」でしかなく、それ以上でもそれ以下でもないものなのに、
文化人とかサブカルとか言論者なんかが自分のメシを食うためのメディア露出や本や雑誌やブログ記事のネタつくりや、ハク付けや権威や発言力を高めるためにしゃしゃり出てきて、出さなくても良いクチを出しているだけ、っていう認識なんだけど。俺の中では。チラシの裏に書いとけよ。と。
権威が幅を利かせる社会だから、権威を作ることでメシ食おうという職業が成り立つ土壌だということか。カツマとか。
んで、そういった権威を、作品を作る側や商売展開する側も利用しているので、彼らの中ではwin-winなんだろうな。お金払って評論書いてもらったりしてるのかも。
権威のための評論なんかじゃなくて、いろんな見方や新しい切り口を提示してる個人の感想文のほうがよっぽど意義があるとおもう。
たとえばヱヴァ破のときに、「あれはギャグである。"そんなの関係ないって言ってるでしょう!"って発言は小島よしおに結びついており、現代において"いかに笑いをとるか"ということがコミュニケーション上の重要な要素であることの表現なのだ」的な主旨のブログを見たけどそれはおもしろかった。
でも、「権威評論 かつ 新しい切り口で面白い」というパターンもあるかも。それはそれで面白いからおk。
※個人の感想です
まず、高木浩光さんについて。俺は散々彼の批判を行なっているが、基本的には彼を尊敬している。というか俺がセキュリティ批評に本腰を入れ出したのは言うまでもなく彼の影響だし、実際イベントでも何度も会っておしゃべりしている。
しかし彼の行動があまりにも度を越していたので、後輩としてそれはちょっと違うよと言った次第だ。実際、あのブログ記事を書いたあとに飲みに行ってるので、特に仲が悪いとかいうわけではない。
そして、そういう事情を知らない奴らがネットでゴチャゴチャ言うのにうんざりしている。お前らはネットに全ての事実が書かれていると思ってるのだろうが、そんなわけはない。それぐらい分かれ。実際、面白いことはほとんどリアルで起こっている。
とにかく、ネットの外野連中のせいで俺と高木さんの仲がこじれてしまった。全く遺憾である。
お前らは高木さんがセキュリティの世界でいかに第一人者なのかを理解していない。彼に比べれば俺なんて金魚のフンだ。とにかく、俺が彼を尊敬しているということは声を大にして言っておく。
ところで、なぜ俺が最近セキュリティに傾倒しているかについて説明しよう。もともと俺はクリエイティブなことが好きだった。というか活動初期の頃はメディアアートまがいのことをやっていた。そして、徐々に作品でインタラクティブなことをやるんではなくて実用的ソフトウェアでインタラクティブなことをやることに目覚めていった。
しかし、そろそろそれも潮時かなと思ってきた。というのは、世の中的にプログラマーが増えすぎたというのがある。日本だけじゃなく世界中で、ギークに憧れる少年が増えている。そしてスマートフォンのアプリは指数関数的に増えていってる。もはや、飽和状態だ。今必要なのは、「創ること」ではなく「批評」だ。
コンピュータにおける批評行為というのは、セキュリティのことだ。映画なら映画評論、音楽なら音楽評論とあるが、コンピュータにおいてはセキュリティこそが批評なんだ。だからこそ俺はセキュリティの啓蒙に力を入れるようになった。そして、それを10年以上まえからやっている高木さんの先見の明には全く頭が下がる。俺の何歩も先を行っている。いつかあの足跡に辿り着きたい。
コメントも、本当に自分のためなメモ書き以外はやめようと思ってる。
ふと気付くとはてブの会話って偏った集団の内輪受けだから
これやってるとむしろどんどん頭が悪くなる気がしてきた。
一時は星を集めるのが結構楽しかったけどもう集め方が分かったのでゲームとして面白くない。
センス+はてな受けする方向。
その3倍ほどのお気に入られを得たけれど
彼らと会話や交流をするほど実は馬鹿になっていってるんじゃないか。
お気に入りは面白い言語センスや狂った物の見方をするぼっちっぽいidが多いんだけど、
彼等から学んでるんじゃなくて、刺激されてるんじゃなくて、実は考え方や喋り方が融合してるだけなんじゃないか。
仲間の誰かが攻撃されると庇ったりみんなで喧嘩するクラスタ、みたいなのも見えてくる。
自分が身を置きつつあった交流だって傍から見ればクラスタであり、脳が麻痺していくような馴れ合いだったんじゃないか。
議論は煮詰まりすぎたオタク趣味サークルの内輪もめみたいな感じで風通しがいいわけじゃない。
特に映画評論はみんなオトモダチかそのオトモダチと言う感じで、
下火ジャンルほど人間関係にサブカルっぽい腐臭がしているの法則。
はてなブックマークには5年とかそれ以上やってる人もいる。これがイタい。
20代前半に作ったらしきキャラからバージョンアップ出来てない人が居る。
それに限りなく温かい目を向けて甘やかす人達が居る。
「31歳にもなった男のグロッキー顔のアップ写真は本当にただのグロですよ、あなたがイケメンだと思ってても」
と直言出来ない人だけで作った、濡れた真綿みたいな質感の人の輪。
そういう人の輪の一部にもなりたくないし
そんな輪に包み込まれた人間にもなりたくない。
誰だってしらふの時はそう思うはずなのに、脳が麻痺し始めるとそう思えなくなる。
1年近くはてブをやり続けてきての今の心境は
大学生の頃の
こんなことをやっている場合じゃない。
ここ数ヶ月、ずっと心に残っていたが忙しくて書けなかったことを書く。
梅田望夫氏は、新著『ウェブ時代をゆく(http://d.hatena.ne.jp/asin/4480063870)』の発売を記念して講演会を開いた。その様子はリアルの世界に生きる人は、ウェブ時代をどう生きたらいいのか--梅田望夫氏講演:前編:コラム - CNET Japanと「たいしたことない自分」だから、本を書いた--梅田望夫氏講演:後編:コラム - CNET Japanにまとめられているが、僕が気になったのは、後編での来場者からの質問に対する梅田氏の返答である。
――米国大統領選挙において、ソーシャルネットワーキングサービスやブログをどのように活用しているか、実例を教えて欲しいのですが。
あんまり知りません(笑)。これは重要な問題で、僕が米国に住んでいるから大統領選挙について語れるという前提が間違っている。肝に銘じてほしいと思います。
そういうことは自分で調べたらいいんですよ、すぐできます。Googleがあれば、調べてみましょうか、というだけです。ウォッチしようと思ったら、そこに壁なんてない。心から知りたいなら僕に聞くのは間違いで、Googleに訊いてください。もちろんGoogleだけではないけど、そこをとっかかりにいくらでも調べられますよ。
旧世代の人には多いんですよね。昔は情報が少なくて、米国選挙で何がおきているかを知るには英字新聞とかから情報を得るしかなかった。
時間の使い方の違いだけなんだよね。僕は(大統領選挙について)ウォッチなんかしてない。自分の優先順位に従ってやってるから、いくつか優先順位が高いと決めたもの以外には語る資格がないんです。
そういうものに対しては、答えないことが僕にとっての倫理観なんです。適当なことなら答えられるけど、それなりに自信があるもの以外は質問に答えない。そういう時代なんですよ。本当に知りたいならGoogleに行ってください。それがウェブ時代ということです。
梅田氏は「僕が米国に住んでいるから大統領選挙について語れるという前提が間違っている。」と言うが、これはまさにその通りであって、僕の姉夫婦はアメリカに住んでいるが大統領選については私の方が余程知っている。しかし、この質問は正確には大統領選挙について聞いたものではない。「大統領選挙においてSNSがBlogがどのように活用されているか」を聞いている。『ウェブ進化論』や『ウェブ時代をゆく』を読んで梅田氏を知ったにすぎない私などからすれば、梅田氏は一般的抽象的にいえば「ウェブの専門家」である。その「ウェブの専門家」でありアメリカ在住の人物に対し、「大統領選挙においてSNSがBlogがどのように活用されているか」を聞くことは不合理なことだろうか。私はそうは思わない。
私は梅田氏が大統領選挙におけるウェブの使われ方について知らないこと(答えないこと)を非難しているのではない。優先順位の低い情報をダラダラと摂取することは無意味だし、調べようと思ったらGoogleに聞けばある程度のことは分かる。確かにその通り。正論だ。「優先順位が高いと決めたもの以外には語る資格がないんです」。これも正論。「そういうものに対しては、答えないことが僕にとっての倫理観」。大いに結構、尊重しましょう。
だが、専門家は自分が知っていることだけ答えればいいのだろうか。「詳しくは知らないけど一応の返答はする。情報の手掛かりだけは教える。もし間違ったことを言ってしまったら訂正して謝罪する」。これも専門家の責任のあり方ではないか。
例えば、カリフォルニアのバークレー在住の町山智浩は映画評論家である。彼は当然映画評論が専門であるが、問われれば大統領選挙についても答えるし、キリスト教原理主義についても答えるし、ウェブについても答える。なぜか。皆が彼にそれを期待しているからだ。町山さんは話を大きくし過ぎるところがあって、時には間違ったことも言う。放送禁止ギリギリの発言もする。でも、間違えばきちんと訂正して謝罪する。そして彼は信頼されている(少なくとも僕は信頼している)。それが彼の責任のあり方だ。
他の専門家はどうか。例えば、弁護士は様々な法律相談を受ける。弁護士の業務も今では専門分化されているので、全ての領域をカバーできるわけはない。では、知らないことを相談されたら彼らはどうするか。まずは知っている限りのことは答えるだろう。そして、その問題に詳しい他の弁護士を紹介するとか、しかるべき専門機関を教えてたりする。そこまで含めて、弁護士としての責任の果し方だろう。「本に書いてあるから自分で調べて」と言うことなどあり得ないはずだ。
さて、梅田氏である。梅田氏が「大統領選挙においてSNSがBlogがどのように活用されているか」についてフォローしているか否かはここでの問題ではない。問題なのは、梅田氏が「ウェブの専門家」として期待されているところについて無自覚であることだ。無自覚でなければ、わざわざ講演会にまで出かけて行って恐縮しながら質問をした人に対して(ここは想像)、こんな冷たいことを言い放てるはずがない。「Googleで調べて下さい」で済むなら専門家など存在する意味はない。Googleで調べればいろんな情報が得られる時代だからこそ、専門家には水先案内人としての役割が求められる。
それがウェブ時代ということです。
(支離滅裂なのは理解している)
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Amazon.co.jp: ザ・コーポレーション: DVD: マーク・アクバー; ジェニファー・アボット
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Amazon.co.jp: マイケル・ムーアの恐るべき真実 アホでマヌケなアメリカ白人 1: DVD: マイケル・ムーア
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Amazon.co.jp: 動物農場: 本: ジョージ・オーウェル,高畠 文夫,George Orwell
Amazon.co.jp: シンドラーのリスト スペシャルエディション: DVD: リーアム・ニーソン,ベン・キングズレー,レイフ・ファインズ,スティーブン・ザイリアン,スティーブン・スピルバーグ
Amazon.co.jp: トゥルーマン・ショー(通常版): DVD: ジム・キャリー,エド・ハリス,ローラ・リネイ,ノア・エメリッヒ,ピーター・ウィアー,アンドリュー・ニコル
劇場管理人は生きていた!! 更なる研鑚を積み分裂勘違い君が甦った!!!
釣神!! d:id:fromdusktildawnだァ――――!!!
その話題はすでに私がまとめている!!
萌え理論Blog d:id:sirouto2だァ――――!!!
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真の非コミュを知らしめたい!! 世界のはて d:id:Masao_hateだァ!!!
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任天堂に更なる愛を捧げ ”テラヤマアニ”d:id:kowagariが帰ってきたァ!!!
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罵倒芸だったらこの人を外せない!! 超A級釣り師 d:id:Marco11だ!!!
超一流ブックマーカーの超一流のタグ芸だ!! メタクマ拝んでオドロキやがれッ
うんこ投げはこの男が完成させた!!
モヒカン族の切り札!! d:id:ekkenだ!!!
若き社長が帰ってきたッ
俺達は君を待っていたッッッ d:id:jkondoの登場だ――――――――ッ
加えて負傷者発生に備え超豪華なリザーバーを4名御用意致しました!
伝統派映画評論 d:id:samurai_kung_fu!!
難読idの巨人! d:id:suVene!
……ッッ どーやらもう一名は超大作インモラルフリーシナリオゲーム「はてなRPG(仮)」 を作っている様ですが、完成次第ッ皆様にご紹介致しますッッ
参考記事→anond:20070205220152
でも上の記事探して今見てみたらたしかに色々な主題があるんだってわかったので
あんまり恋愛一辺倒じゃなくて他の主題も雑多に入り乱れて議論だとかネタだとかが飛び交うようなカオスな増田がいいってことだろうか、と思いもしつつ
たしかにテレビ、音楽、映画、哲学、現代思想、物理、化学、生物学、社会学etc...とかの主題がどうにか出てこないかなぁと思ったり。
でも~~~っていうアーティストのあの新曲!、とかこの~~~って映画よかったよ!、とかはあまり増田民のある一定度の範囲に係る話題ではないからその意であまり反応がないしそれほど…という感じだなぁ。
だったら、テレビ学とか音楽学、映画評論。または科学の最近の話題だとか。ちょっと後ろに「~学・~評論・~批評」だとかいうような感じであるような話だったら食いつくのかなぁと思ったり。
とりあえず今日も暖冬。なんかもっと寒いのがいいなぁと思ったりする今日この頃。という感じで以上。
追記