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はてなキーワード: 哲学的ゾンビとは

2018-03-25

anond:20180325063216

人間思考機械で徐々に代替化していって

最後人間としての肉体が朽ち滅んでも意識機械によって継続してる状態哲学的ゾンビ範疇に入るの?

anond:20180324204110

伸びるかなと思ってたら伸びたな。

パラドクス哲学についての回答の1例を記す。

 

テセウスの船

ある物体オブジェクト)の全ての構成要素(部品)が置き換えられたとき

基本的に同じである同一性アイデンティティ)と言えるのか?

これは「観測者」に定義依存する。

観測者が「テセウスの船であることを認めない」と主張した場合は、その観測者にとってその定義有効とされ、

別の観測者が「テセウスの船であることを認める」と主張した場合は、別の観測者にとってはその定義有効とされる。

そして広義的な定義多数決によって執り行われる。

この場合部品を置き換えられた結果の船を周知していながら関連者はテセウスの船である認識しているため、

これはテセウスの船であると言える。

ただし、これにはオリジナルテセウスの船自体主観性がないとする。

日常において構成物質が変わっているのにも関わらず同一個体として認識されているものは「人間である

物体としては焼け落ちた城を再建させた城についても同じことが言える。

この場合も周りの観測者が大阪城と認めるから大阪城定義できる。

 

水槽の脳

あなた体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ているバーチャルリアリティなのではないか

正しい知識とは何か、意識はいったい何なのか・・・

これは仮定としては十分成立する。

反論として現代科学において脳にこのような仮想世界を作り出すために必要コンピュータを作り出すのは物理的に不可能だというものがある。

しかしこれは現実世界科学技術物理法則を元に論じられており、

水槽の脳実在する世界」においては別の物理法則や遥かに進んだ科学技術を持っているという仮定をするだけで条件をクリアできる。

映画マトリックス世界がそうであったかのように。

そのためこの世が仮想現実であるという主張に対して、完全な反論存在しない。

その説そのものが、科学的な進歩において何の有益性もないという科学者や論者がいるが、

その事実仮想現実論の否定とは結びつくわけではない。

 

哲学的ゾンビ

外面的には普通人間と全く同じように振る舞うが、その際に内面的な経験意識クオリア)を持たない架空人間

哲学的ゾンビは存在可能なのか?なぜ我々は哲学的ゾンビではないのか?

これに関しては解答不能である

人間とまったく同じふるまいをする、主観的意識を持たない哲学的ゾンビを作り出すために必要構成物質定義できないから、である

例えば魂と言われる霊的存在主観的意識人間のようなふるまいに必要不可欠であった場合哲学的ゾンビは成立しない。

魂の研究に関してはまだ発展途上の段階であり、最近になって発見されたクォーツなどのように、

仮に未だ見つかっていない法則や粒子が主観的意識構成する物質であり、必要な要素であった場合哲学的ゾンビは成立しないからだ。

まり主観的意識の有無が哲学的ゾンビの成立に関与するかどうかを科学的に証明できない限りは反論可能である

地球が平らであると信じられていた時代においては端にいくとその先に何があるか、という論議は成立するが現代では成立せず、

仮に魂の構成物質機能発見が終わった後にもまた、この問いかけは成立しなくなる。

私自身は魂がまだ未発見の粒子により構成されているという説が正しいと信じている。

 

スワンプマン

ある男が沼の傍で突然雷に打たれて死んでしまう。

その時、もうひとつ別の雷がすぐ傍に落ち、沼の汚泥不思議化学反応引き起こし、死んだ男と全く同一形状の人物を生み出してしまう。

この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。

スワンプマンは死んだ男と全く同一の構造・見た目をしている。記憶知識も全く同一である

沼を後にしたスワンプマンは死んだ男が住んでいた家に帰り、死んだ男の家族と話をし、

死んだ男が読んでいた本の続きを読みながら眠りにつく。

そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。

人格同一性問題を考えるための思考実験

こちらもやはり主観的意識構成する物質存在し、

それがコピーできないもの代替できないものである場合

全くの同一性定義上満たしていないことになる。

職場家族スワンプマンと元の男を見分ける術がないが、

これは素人が本物とよくできた贋作を見分けることができない程度の認識問題となる。

 

また、仮に最初落雷がある男に落ちずに沼に2度落ちた場合は、スワンプマンを含めた男は計3名となる。

しかし3名全員の主観的意識はそれぞれ別個に存在しており、

その点だけをくみ取ってもスワンプマンたちに同一性は成立していない。

よって沼にはじめて来た男とスワンプマンは同一存在ではないと定義できる。

 

哲学において同一性テーマが語られることが多い。

これは魂・霊的存在主観的意識科学において未だに解明されていないことを意味している。

科学的に解明されていない余地があるからこそ、思考実験バリエーションが多く組まれる。

また、観察者の能力についても、人類は正確に把握できていない。

そのため主体性意識を持つ存在認識定義について論じない、触れない哲学も多くみられる。

観測行為観測する者の不在では論じれない量子力学最先端物理学においては必要不可欠であり、

哲学が未だ観測者の能力機能性について、正確に学問体系に組み込めていないというギャップ引き起こしている問題だと考える。

2018-03-24

シュレディンガーの猫」的な面白い哲学思考実験教えて

こういうの好き。




テセウスの船

ある物体オブジェクト)の全ての構成要素(部品)が置き換えられたとき

基本的に同じである同一性アイデンティティ)と言えるのか?



水槽の脳

あなた体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ているバーチャルリアリティなのではないか

正しい知識とは何か、意識はいったい何なのか・・・


哲学的ゾンビ

外面的には普通人間と全く同じように振る舞うが、その際に内面的な経験意識クオリア)を持たない架空人間

哲学的ゾンビ存在可能なのか?なぜ我々は哲学的ゾンビではないのか?


スワンプマン

ある男が沼の傍で突然雷に打たれて死んでしまう。

その時、もうひとつ別の雷がすぐ傍に落ち、沼の汚泥不思議化学反応引き起こし、死んだ男と全く同一形状の人物を生み出してしまう。

この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。

スワンプマンは死んだ男と全く同一の構造・見た目をしている。記憶知識も全く同一である

沼を後にしたスワンプマンは死んだ男が住んでいた家に帰り、死んだ男の家族と話をし、

死んだ男が読んでいた本の続きを読みながら眠りにつく。

そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。

人格同一性問題を考えるための思考実験




他にもいっぱいあると思う、面白そうなのあったらおすすめして。

2018-03-06

この世の仮設を妄想する

考えても無駄だがこの世の仮設を立てることにした。

この世がどういう成り立ちや状態なのかを考える。

 

1.宗教

宗教にあるとおり、神と天使と悪魔存在するとする。

一神教もあるし数多の宗派があるため、

とにかく、

天界的なものがあって宇宙創成をそれが行ったとする。

宗教の成り立ちが神たちが実在したことを元にしていたのなら

世界中宗教が起こったことや、

機能が神を信じる器官を備えていることに納得がいく。

色々な宗派があるのはそれぞれの文化形態によって解釈が異なったからと考察する。

まり一定数の聖書にかかれたことは実際に現実に起きたことと解釈する。

この世は神の支配下にあるとする仮説。

 

2.影の政府

極めて即物的なこの世の解釈

この世には物質的な物しか存在しない世界

霊的な現象現代科学がそれを観測するだけの領域に到達していないのが原因とする。

陰謀が渦巻いており、

この世の支配者は地球における最大の権力財閥を持つ人間であるとする仮説。

神が存在せず宇宙の起こりは物理現象に過ぎないため、

人間支配力がそのまま支配力として認められる。

最終的に地球文明統一される。

目的においてある特定宗派をなぞっていると言われているが、真偽は定かではない。

 

3.宇宙人と地底

宇宙存在する知的生命体は人間だけというのは大いに誤りで、

実際は太陽系内の惑星それぞれに宇宙人が住んでいるという仮説。

地表にて生活する知的生命体は生活レベルが低い証拠であり、

普通は地中にて生活している。

人類起源宇宙人であり、

他の惑星で奇妙な建築物UFOや地表にあいた奇妙な穴はこれで説明がつく。

人間が知覚できないような電波ホログラム技術が発達しているので、

UFO宇宙人に出合っても気づくことはない。

地球に住む宇宙人も地底に住んでいて火山南極から出入りしている。

また宗教の神が土地によって違うのも接触した宇宙人の種類によって派生したと考える。

この場合宇宙起源については謎だが、人類の始祖としての捉え方をする。

地球人類が倫理的道徳的種族として進化しないため技術提供ができない、もしくは制限されている。

NASAは隠ぺいと同時にオカルト自作自演することで情報を混乱させている。

 

4.仮想空間

この世自体仮想空間にあるものとする仮設。

量子論における情報の損失による性質の変化や、

量子テレポートはこれで説明がつく。

4次元空間における人間が魂を知覚できないことも、

知覚できない物的証明ができない情報として最初から設定されているかである

では今まさに感じている自分という個体が感じる霊的存在についてはどうなるのかという問いが残るが、

現実世界に限りなく近い仮想空間において魂が発生しないという証明反証もするだけの材料がないため不明

神や天使幽霊なども仮想空間上におけるバグ残留データだと解釈する。

 

5.自分が神

説明が難しいが自分のもの宇宙と表裏一体であり、

存在自体最初からないという仮設。

いわば涼宮ハルヒのような話だが、この場合文章を読んでいるあなた宇宙と、

今書いている私の宇宙は全く別のものであるという解釈

まりつの宇宙複数人類存在しているのではなく、

つの宇宙存在する人間は、私・あなた・彼・彼女だけであり、宇宙は無数に近い数ある。

会話や対話する人間は霊的存在のない哲学的ゾンビのようなもの

全能の神が暇を持て余した結果の遊びのようなもの

2018-01-11

anond:20180111105101

哲学的ゾンビ人間の魂を宿すってのは違うでしょ、赤ん坊のころから性格が表れてるんだから

おまえ哲学的ゾンビ定義をもっかい見直してこい。

anond:20180111082040

その転生先が虫や動物植物でないのかどうか

転生先のホスト細菌含めて無数にあるなら転生するだけサイクルが巡ってくるのかっていう問題

善行を積めばまた人間に転生しやすくなる?誰が判定しているのか

神というのが原初意識を指している可能性は高いけど

死後の意識生前意識を追跡できる方法って今後科学的に解明されるんだろうか

お前のおじいちゃん、今銀座オカマやってるよ!とか

哲学的ゾンビ人間の魂を宿すってのは違うでしょ、赤ん坊のころから性格が表れてるんだから

anond:20180111075609

まれてくる人間には、過去にどこかで生きたことのある魂を1つ、もしくは複数が混ざって入ってきた状態赤ちゃんと、

魂の入ってない哲学的ゾンビ赤ちゃんの2種類が居るんだよ。

そして、魂のはいっていない赤ちゃんが成長すると、なぜか、その体内に新しい魂が誕生するのだ。

肉体という装置によって、無限に魂が製造される一方で、

死後に肉体から離れた魂のうちのいくつかは転生し、いくつかは転生することなく漂い続け、またいくつかは自然消滅してゆく。

人間は産まれてくる前から魂が存在して親を選ぶ

では魂は天国にいくつ存在しているのか?

地上が天国の魂以上に人間で溢れかえれば魂の足りない人間が生まれてくるのか?

前世記憶とかが正しければ人間の数は有限でリサイクルされてるってことになる

そうするとやはり人口が増え続けている以上は魂の入ってない哲学的ゾンビ人間もいるってことになる

本当に魂が入ってる人間って実は地上に数万人程度しかいないってことなんだろうか

それともこの宇宙存在する物質トータルで魂になってるから物質量=魂の総量で

魂が枯渇するなんてことは有り得ないということだろうか

では有機生命体が産まれない宇宙であれば魂は永遠に天国から出られないってことか

それとも無機質にも魂が宿ってるってことか

2017-12-08

anond:20171207163109

物質的なものではなく霊的存在が唯物的要素から独立しているというのなら

蟻が人間の霊を持ってても全然いいでしょって話をしてるんだけど

でも実際そうならないのは人間大脳皮質性質と容量が人間意識を形作っているハードウェアなのは明らかで

じゃあ魂は肉体・脳みそソフトウェアであると考えるのが自然しょうが

今は電子顕微鏡観測方法が発達したかシナプスの結合強度が記憶を司っていることや

各種脳部位がどんな役割を持っているのか解明できたわけだけど

これを知らない時代心臓に宿っていたと考えられていたときもあった

まり霊的存在というのは今魂に対する観測方法が無い故に産まれエーテル概念と同じであって

結局唯物論に行きつくと考えるのが自然じゃないの

重力波だって観測するまではあるかどうか分からんから観測できてすごいって話になってんだから

観測すらしてない魂があるから唯物論は偽であるとか

哲学的ゾンビが量子的に成り立つなんて論調は前提からし不可能

というかそもそもの話、魂だけ物質支配から逃れた要素というほうが不自然でしょ

2017-12-07

https://anond.hatelabo.jp/20171207122603

だって脳みそ欠損したら今の意識保てないじゃん。

脳みそ欠損して言ってんの? 保ててるか保ててないかなんて外部から判断つかないじゃん。保ててるのにそう表現できないだけかもしれないじゃん。

そこらへんに歩く蟻とかに人間の魂が入っていてもいいはずでしょ。

でも人間の脳持ってないから無理でしょ。思いっきり唯物でしょ。

蟻が意識をもってないってどうやって判断したんだよ。意識をもってても一切表現ができないで蟻としての行動しかできないだけかもしれないじゃん。

つーか、その議論こそが「哲学的ゾンビ」の話そのものじゃん。意識の有無は外部からは一切分かりませんよねっていう。その部分が分かってないなら、残念ながら君は哲学的ゾンビをめぐる考察意味が何も分かってないとしか判断できないよ。

anond:20171207122603

いや違うんだ。

 

哲学的ゾンビキモは、量子状態まで含めて自分と『完璧に同じ』哲学的ゾンビが居たとして、

その哲学的ゾンビクオリアを持たないということが想定可能だって点が問題なんだ。

「じゃあ、その『完璧』に同じでも現れないクオリアって何?」という

話につながるからね。

 

この想定可能ってのは神の視点から思考実験ができればそれでいいので、

別に魂が科学的に観測できないとかそいうことはスルーしていいんだよ。

 

で、こっからは私の意見だけおd、私は心脳同一説で問題ないと思うけどね。

どうしても物質的でない質的クオリア必要なら随伴現象説で理解すればいい。

(随伴現象説が採用された世界観では、哲学的ゾンビ存在できない)

哲学的ゾンビで感心してしばらくした後の考え

結論からいうとやっぱり魂は唯物論じゃないの?

 

だって脳みそ欠損したら今の意識保てないじゃん。

もし魂がスピリチュアルもので霊的存在であるならば

別に大脳皮質がなくても考えられるし意識を保てるでしょ。

単純に物質的な部位が記憶意識を保存してるし

同じDNAを持つ双子意識を共有してないことから

例え類似個体同士でソフトウェアが似ててもそこにはつながりが発生してないってことじゃん。

そこらへんに歩く蟻とかに人間の魂が入っていてもいいはずでしょ。

でも人間の脳持ってないから無理でしょ。思いっきり唯物でしょ。

霊とかフワフワした言葉ではなくて、

人間が持つ自意識って意識記憶でしょ。

意識記憶を司ってるのは思いっき脳みそでしょ。

 

それで哲学的ゾンビ反論としては

科学的に検証できない意識や魂を持たないゾンビとの比較から差異を行うわけだけど、

そもそも哲学的ゾンビ科学的に成立する存在ではないでしょ。

未だかつてそんなやつはいないんだから前提からして間違えてるでしょ。

脳みそがあって生きていれば意識を持つという物に左右される反応しか未だに世界は見せてないけど。

 

俺が即物的だと判断するのは今の科学技術で魂を観測できてないだけ考えているから。

今の時代でさえどんどん観測できていなかった粒子や重力波観測していってる。

観測はまだまだ未発達の段階であって、

今霊的存在と言われる意識もまだ観測できる領域に到達してないと考えるのは不自然ではない。

しろ現実で成立しないような哲学的ゾンビを論じる方が都合のいい解釈の仕方だと捉える。

 

脳の機能問題よりも霊的な問題の解明の方が大切だというのを広めたのは大変素晴らしいが

霊的なもの唯物論ものに左右されないとか

唯物論は偽であるとか

結論まりすぎ。

受精増田とか読んでてもそうだけど魂の発現そのものが思いっき物質に左右されてるじゃん。

物覚えが付く時期が人によって違うのも、脳の発達が思いっき意識記憶に影響してるからじゃん。

唯物じゃん。

エーテルなんてなかったように幽霊お化け存在せず、

細胞のものが魂であって現段階で科学検証観測ができてないって話の方がずっと信憑性がある話かと。

2017-11-06

anond:20171106123648

哲学的ゾンビクオリアは想定可能であることを示しているけれど、同時にその想定ではクオリアには機能がないことも示している。

機能があるクオリア」があれば、ゾンビ歯車は正しく回らない。

 

まり質的実体存在していたとしても、それは随伴現象説や並行説のソレでしかない。

人間機能についてはすべて科学説明しうる。

 

赤い光に網膜が反応したときに脳が赤いクオリアを感じる物理状態になることは、科学説明できる。

脳が赤いクオリアを感じる物理状態になったとき、赤いクオリアを感じるという対応がなぜ存在するのかは、科学では説明できない。

2017-11-05

AI人類幸せにするには

相対的に不幸な人間」「嫌われ役」をAIやらせる。

絶妙に不幸で、それでいて不幸を感じない哲学的ゾンビを人工的に作り出してしまえば、多くの人間相対的幸せ享受できる。

あなた職場の出来ない人、実はAIかもしれない。

2017-10-20

意識自我って何のためにあるのか

邪魔じゃね?

邪魔っていう感覚もまあ意識の働きなのかもしれないが

人間なんて有機物で出来たロボットでも良かっただろ

別の言い方だと哲学的ゾンビ

意識があーだこーだ悩んだってやらなきゃいけないことはやらなきゃいけないし

受動意識仮説なんて話が出て来る程度には意識の出来ることって限られてそうだし

2017-02-27

文系永遠に作者の気持ちでも考えてろよ〜作者のフレンズと作者の意

文系は作者の気持ちでも考えてろよwwwという文系に対する典型的煽りがある。

元々がネタスレ気味な2chネタなので、「マジレス」するのもどうかと思うが、「本当に文系は作者の気持ちを考えているのか?」について書いてみたい。


これについて書こうと思ったのは、以下の記事を読んだのがきっかである


けものフレンズ考察班VS哲学的ゾンビ

http://honeshabri.hatenablog.com/entry/philosophical-friends


いずれにおいても、根底にあるのは、作者・製作者の意図気持ち考察することこそが重要という発想ではないだろうか。

しかし、少なくとも現在文学において、作者の意図気持ちを推測・考察することはそこまで重要視されていない。

現在では、神としての作者の意図を探るのではなく、主として、作者から離れた作品のものテクストから何が解釈できるかが論じられるのである

(いわゆる「作者の死」。ここら辺の議論ロラン・バルト以降、色々と展開しているけれど面倒なので省略する。)

この考えのもとでは、文系は作者の気持ちを考えているのではなく、「制作者はそこまで考えてないと思うよ」というツッコミはあまり意味がない。

制作者がそこまで考えてなかろうが、作品自体からその解釈が成り立つなら、その解釈は「アリ」なのだ


では、その解釈が成り立つかはどう判断するか?

作者の意図に沿うかで判断することはできない。

判断方法としては、ざっくり言えば、作品の内容と整合するかを基準として、その解釈が支持を得られるか、という多数決的な方法しか取り得ない。

乱暴方法だが、これしか方法がないのである

文学における解釈とは、このようなルールのもとでのゲームとも言えるだろう。

もちろん、作者の意図を探る、というルールゲーム可能ではある。

しかし、個人的には、それよりも作者の意図を離れた解釈を論じるゲームの方が面白いと思うし、そちらが主流なのだ


では、作者の意図解釈と全く関係いか、というとそうでもない。

作者は、あえて明確には表現しないことにより、解釈余地(穴埋めの余地)を持たせることがある。

受け手がそのような作品解釈をすると、作者がこっそり埋めた宝物を見つけることができるのである

はっきり表現しすぎては解釈余地がない。

分かりにくすぎては解釈しようがない。

優れた文学とされるものは、この宝物の隠し方が上手いものが多い。

現代日本において、これを最もうまくやってのける作家の一人が村上春樹だろう。


もっとも、作者が整合的な解釈を想定せずに作品を作ることがある。

新世紀エヴァンゲリオンがこれだと言われており、上述の村上春樹も、ねじまき鳥クロニクルについて似たような批判がされたことがある。

作者の意図する整合的な解釈を求める立場からすれば、このような行為は、作者の裏切りにも思えるかもしれない。

しかし、作者の意図無関係解釈をする考えであれば、そんなに目くじらをたてることではないのではないかと思う。

もっとも、そのような作品に(作者の意図しない)面白い解釈が成り立ち得るかは別論である


以上に述べたことから分かるように、たくさんの人がけものフレンズについて考察をし、その考察がある程度の人に受け入れられているのであれば、制作者がどこまで考えているかはともかく、その解釈は(文学的に)アリなのである

から変な雑音に対する惑わされずに、考察班においては、思う存分考察をしてほしい。

けものフレンズは見たことがないが、切にそう願っている。

2016-09-02

知的生命体じゃない人間存在する事に気がついた

たまに「ん?こいつに知性はあるのかな?」と感じる人間存在する。

もちろん人間なんだから言葉もしゃべれるし論理的思考能力もある事は感じる。

でも、何かが違う。

まり、知性はある事は理解できているんだけど、自分と同じように感じる心というか、魂というか、自由意志みたいなものはこいつに存在してるように思えない、みたいな感じ。

この感覚説明するのは難しい。この説明でわかる人が存在してくれる事を望む。

極論を言えば「殺してしまっても大丈夫なんじゃないか?」と思える人間とでもいうか。(もちろんそんな事はしないですし、殺したいという事でもないです)

 

まあ、とにかく、そういう違和感を感じる人間がたまに存在するのだ。

それは一体なんだろうとずっと考えていた。

ある時、哲学的ゾンビという概念上の存在を知った。

 

これが俺がたまに感じる「こいつに知性はあるのか?」という疑問に近いものかと思っていた。

でも、なんかそうじゃない。クオリアがない、という感じではない。

もっと動物のように見える人間とでも言うか。

でも野獣という意味ではない。

なぜなら、数は少ないけれど優しい人に対しても感じることがあるから

(粗暴な人間に対しての方がより強く感じるのは、恐らく俺が粗暴な人間が嫌いだからで、公平な判断ではないと思う)

 

長くなってきたので、もう結論を書くけど、最近気がついたのは

反省したり疑問を持ったりしない人」がこれだということ。

 

例えば「なぜテレビは映るんだろう?」みたいな単純な疑問を持たずに生きてる人のこと。

流されるままに生きていて、何かを改善しようだとか、自分の行動はあれで良かったのか、とか、世の中はどうなっているんだろう、などなど、

そういった事をほとんど考えてないように思える人間を見たときに、上記の事を感じるのだ。

 

動物には発展的な可能性がないので、必要であれば殺してしまっても問題ないと感じる。

個々の動物には発展する可能性はほぼゼロで、彼らは世代を超えた突然変異しか発展しない。

(つまり個々の動物次世代を残して、自分自身死ぬことでのみ発展する可能性が存在する、という意味です)

から上記のような人間に対しても動物に感じるのと同じような感覚を持ってしまっていたのだと気がついた。

 

言い換えると「知的生命体じゃない人間存在する事に気がついた」になる。

 

補足すると、恐らくどんな人間子供時代は疑問を持ったり反省したり、色々していたのだと思う。

しかし、忙しい毎日で、そういう余裕が無くなったり、満ち足りた生活で何も疑問に思わなくなったりする中で、

徐々にそういう感覚を失っていって「発展」という意味においては動物ほとんど変わらない人間が生まれるのだと思う。

恐るべきことに、これはアカデミック世界にもそういう人間存在するということ。

 

恐ろしい恐ろしい

2016-07-10

http://anond.hatelabo.jp/20160710030513

哲学的ゾンビってやつだな

俺もそうだからよくわかる

増田は何も感じないけど、そういう風に増田を書くようにプログラムされたロボットなんだよ

2016-04-18

[]

完全なる首長竜の日を読んだ。ちょっぴり幻想的な雰囲気があって、なおかつミステリアスな内容になっていて、なんというか神秘的な読書感というか、不思議感覚が味わえた。

深刻なことには深刻なんだけど、表立って深刻ですよ―ってアピールしない深刻さが清々しいというか、おどろおどろしくないケイゾクを見ている感じ。

スラスラ読める文体も相まって良い読書時間を得られました。ごちそうさま。

重大なエッセンスとしてタイムリープや繰り返し系を扱う物語が多い中、程よく、と言うより基礎となる味わいとして据えた作品を手に取るのは久々だったので新鮮な気がした。

考えてみると、筒井康隆時をかける少女もそんなに深刻にタイムリープを扱っていないのかもしれない。

細田守時をかける少女はそこら辺ちょっと違ってて、タイムリープ物語の核として扱ってる気がする。筒井康隆は土台なのだ。その上に物語が出来上がっている。まあ雰囲気だけしか分析できないんだけど。

気を見て森を語るようだけど、昨今の物語は核を中心に物語を広げていくスタンスが多い気がする。基礎や土台の上に築く物語とは違った味わいがあるから上下を決めるつもりはないけれど、個人的に今現在は基礎や土台の上に築く物語のほうが面白いかなあって思う気がする。

まあ、完全なる首長竜の日を面白く読んで、それが基礎や土台の上に築いた物語だと勝手解釈しているからなんですけども。

バイロケーションでは哲学的ゾンビが、紫色のクオリアではタイトル通りクオリアが描かれてたけど、意識ハードプロブレムって創作意欲を掻き立てるキーワードなのね。シュレディンガーさんなんて漫画とかラノベでも大活躍な感じするし。ミステリーでも扱われるんだなあ。まあ不思議から当然か。

今度は奇書に挑むぞ―

2016-02-08

オタクおじさんがヲタクのことまったくわかってない話

http://anond.hatelabo.jp/20160208010627

あのねぇ、同じオタクでもアイドル架空女性にマジ恋するタイプヲタクってね

基本的相手のこと考えたり、理解したりするって方法を知らないの

相手感情思考脳みその中でエミュレートして、

その結果を元に反応を返すっていう人類としての基本機能が死んでるの。


少しは相手のことを考えて行動しろって(まったく正しい)アドバイスしても

ヲタ相手女性のことをまったく観察することもなく、

頭の中で自分の(見当違いの)考えを思いめぐらせるだけで精一杯。


相手に全部まる投げするのも、本当に頭がパンクして思考停止してるから

基本的相手を適度に観察→理解共感→適切な反応→親密度UPということがムリゲー

からストーカーになったり、色恋を本気にしたりしちゃうわけ。


大体、ヲタ同士の会話って聞いた事あります

お互いにほとんど相手の表情や口調に配慮せず、一方的自分の話をしてるだけで、

会話が成立していなかったり、相手に反応するとしても

せいぜい知識比べか、ヲタ界隈の決まり文句への定型反応くらいしかできない。


笑顔というか表情・態度にしてもね、相手によって対応を変えるどころか、

表情豊かに生活してないから表情筋が死んでて、感じのいい笑顔も作れないんだよ

キモく引きつった顔か、仏頂面しかできない。

遠隔ウィルス事件片山祐輔とか、安倍首相とかそんな感じよ。


そもそも、自分感情とそれを適切に態度で表現することができないの。

やったとしても、アニメキャラみたいな大げさで演技ががかった稚拙もの

緊張もしてるだろうからますます態度も固くなって

猫背で息が浅く、交感神経優位でややパニック状態

いつも相手に顔を背け、観察するにしてもボーッと凝視することしかできない

想像できないなら、認知症感情が死んでる高齢者イメージするといい。

何を考えているかからない人って、そばにいるだけで恐怖の対象でしょ

認知症認知機能が衰えてるから、怖いというか可哀想なんだけれども)


結論

ヲタっては(ごく一部の例外をのぞいて)基本的に人の道を外れた生き方してきた人なんだから

人付き合いについて正しいアドバイスをしたところで全く理解できないし

本当は理解する必要性も感じてない。なぜなら自分感受性に完全な自信があるから


自分の頭の中にある世界の外側に予想外の感覚

感情価値観があると想像もしていないから

居心地の良い自分の枠を超えなきゃいけないと考えもしない。

一瞬、予想外の感覚をおぼえたとしても、それはノイズとして直ちに捨てられてしまう。


ま、ヲタにとってリアル彼女というのは、

レア物のフィギュアをゲットするくらいの感覚しかないのよ

運良くゲットできたとしても、手に入れたら

今度は自分の所有物扱いでモラハラ一直線だろうし、

感受性が鈍麻してるからセックスしても大した快感も感動も得られないわな。


よく三十路くらいまで童貞だったやつが風俗言って童貞捨てた話で

大したことなかった、気持ちよくなかったとか感想を漏らしているのは

あい非モテ男子基本的人間としての感度が死んでるから

激辛フード食い過ぎて味覚がおかしくなった人と同じ。

生きながらにして死んでるゾンビだよ、世界に色が見えない哲学的ゾンビだ。


リンク記事オタクおじさんは人としてまともだったみたいだけど、

同人活動とかに入れ込んでるガチヲタさんに何言っても無駄

そういう手合はヤバイ女にひっかかって有り金巻き上げられて

ミソジニーこじらせるのが関の山ってわけさ。


増田にもそういうミソジニーをこじらせたヲタさんがたくさんいる。

しろそのカテゴリに入った方が精神的には安定するかもね


人のことを考えられないやつが他人から思われることなんてありえない。

言葉が悪いけど、キモヲタ婚活とか笑えない反社会的行為から

経済行為に例えれば窃盗強盗横領詐欺だよ。


相手人間扱いできない人は、

自分人間扱いしない人を引き寄せるってわけね




合掌

2016-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20160122090043

哲学的ゾンビって実現可能なのかなぁ。

物質的に人間と同じなら、人間と同じように意識をもってしまうんじゃないの?

意識ハードプロブレム

Category:哲学における思考実験 - Wikipedia

前置き

「脳という物質からどのように意識が生まれているのか?」という問題は“意識ハードプロブレム”と呼ばれる。

例えば、自分とまったく同じ細胞遺伝子、なんだったら構成する原子までをコピーした肉体があるとする。

自分とまったく同じなので意識も同じはずなんだけどそうはならない。多分。

http://anond.hatelabo.jp/20160121124538

簡単に言えば、「物質が全く同じなら意識も全く同じはずだ」という立場と、

物質が全く同じでも意識差異を生む『何か』があるはずだ」という立場がある。

その「何か」というのがいわゆる「クオリアである

コウモリであるとはどのようなことか

コウモリって超音波で周囲の状況を把握しているっていうけどさ、どんなにコウモリという物質分析したって、コウモリ超音波をどのように感じているかっていうのは、人間には実感できないじゃん? そういう物質的には分からない感覚ってやっぱり存在するんじゃん? それがクオリアなんじゃん?

マリーの部屋

たとえば生まれからずっと白黒の部屋で生活してるマリーちゃんが、在宅学習を頑張って「色」に関する全ての知識を身につけたとするじゃん? そのマリーちゃんが部屋から出て生まれて初めて「色」を見たら、知識だけでは分からない、何か新しい体験とか感覚みたいなものを得るんじゃねえの? それがクオリアなんじゃねえの?

逆転クオリア

たとえば同じリンゴを見ていても、自分認識しているリンゴの色と、相手認識しているリンゴの色は違うかもしれないじゃん。どんなにリンゴの色に関する知識を身につけても認識齟齬には気付けないじゃん。やっぱ表面的には同じでも内面が異なることはありうるよね!

哲学的ゾンビ

たとえば人間とまったく見分けがつかないゾンビがいるとするじゃん。見た目も行動も完全に人間なんだけど、でも内面的には意識とかは持ってないのね。そういうゾンビ論理的存在可能だけど、ゾンビ意識が欠けていることは物理的には説明できないわけじゃん。やっぱり何でもかんでも物理現象だけで説明するのっておかしくね?

スワンプマン

たとえばある人間が死んだ瞬間にさ、物質的に全く同じ人間が出現したら、それは同一人物と言えるの? っていうか、それで意識同一性みたいなものは保たれてるの?

関係あるようなないような問題

モリヌークス問題

まれてずっと目が見えない人は、球とか立方体とかを触った感覚認識してるけど、もし目が見えるようになったとき、その人は見ただけで球とか立方体とか認識できるのかな?

中国語の部屋

引きこもり中国語文通できるからって、その引きこもり中国語理解しているとは限らないじゃん? 部屋の中で隠れて日本語製の応答マニュアルを見てるだけかもしれないじゃん?

テセウスの船

ある船の古くなった木材を徐々に新しい木材に置き換えていったとき、全部新しい木材になってもそれは元の船と同じだって言えるの?

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