はてなキーワード: 哲学的ゾンビとは
いやいや
なにゴチャゴチャした方向へスライドして誤魔化そうとしてんだよw
お前の用法は「応用範囲が広かった」とかいう言い訳成り立たないからw
哲学的ゾンビは外部的にまったく区別できないってのが最重要ポイントなの
そこおさえてないでただの「ぱっと見わからない知恵遅れ」程度の意味で使った時点で
さっきも言ったとおり。
リアルでこんなんやってばれてみろ、何年も夜に思い出してジタバタするはめになってるわ
ネットで指摘されたらそっと検索して正しい意味を知ってそれで終わりでしょ
俺は善意と慈愛で持って「調べたほうがいいぞ ネットで恥かくのは幸運だよな」と言ってやったのに
なんで「しってましたー」と言い張ろうとしたり
そんなんやってるほうが恥ずかしいだろ
逆転狙う意味もないし
ああなんだ
同じ奴が言ってるとは思わなかった
しったかぶりしたアホがググッて書き込んで何を偉ぶってるんだw
想定のはるか上をぶっ飛ぶ恥ずかしいアホだなwww
中身を哲学的ゾンビにでもして、イケメンという皮だけが社会的に有利か、と言われたら
出会い頭の数分は有利という程度
ぶっちゃけ「ガワがきれいで中は知能が無い存在」みたいに勘違いしてるよね。
ログ書き換えない限り「しってましたー ググる前からしってましたー」は無理よw
小学生並みの開き直りをする割りにログを書き換えてないとこだけは誉めてやるけどな
そこまでも頭回らなかっただけかもしれんがw
http://b.hatena.ne.jp/c_shiika/20151105#bookmark-270377351
http://b.hatena.ne.jp/c_shiika/20151027#bookmark-269835832
http://b.hatena.ne.jp/c_shiika/20151024#bookmark-269649307
中世警察ですが、蕎麦切りが食べられるようになったのは近世以降です。蕎麦がきやガレット、あるいは粥として食べるのはともかく、麺状にして食べるのはいかがなものでしょう。
http://b.hatena.ne.jp/c_shiika/20151002#bookmark-267797936
http://b.hatena.ne.jp/c_shiika/20150919#bookmark-266482271
http://b.hatena.ne.jp/c_shiika/20150913#bookmark-265691693
ドーモ、満を持して警察デス。なぜ「今」ダイゴを投下してホッテントリ入りすると考えたのか問いたい、問い詰めたい。タイミングを見計らわない増田投下を「満を持す」とは言わないのだぜ?
http://b.hatena.ne.jp/c_shiika/20150908#bookmark-265355352
ナイル川警察だ! ナイル川は毎年氾濫を起こすことで上流から肥沃な土壌をもたらしていました。氾濫はむしろ歓迎すべきものです。
・・・
これだけ各種警察として日夜ブコメの治安を守っているとは知らなんだ
そうやって見直すとあの「襟のフリルも歯に見える」とよくいじられるヲ級コスチュームも警官の制服に見えてくるから不思議なもんだ
ブクマカーに時々いる驚異的に博識な人の一人です
「私」という自我は、私の人生を体験しているだけであって、その人生を主体的に生きているわけではない。あなたが自分の意志だと思っているのは本能の集約にすぎず、あなたの意識はその行動に何の影響も与えていない。実際の行動から遅れてそれを追体験することにより、意識がそれを「自分の意志」と勘違いして認識しているだけだ。
そういう考え方がある。で、おそらく正しいだろうと思われている。詳しくは受動意識仮説でググってくれ。
これを知っているのと知っていないのとでは、ハーモニーの感想は大きく変わってくる。
受動意識仮説は相当に怖い考え方だ。自分の存在に対する深刻な疑問をいだかざるを得なくなる。というか、これが正しいとすると「私」なんて存在がいてもいなくても、私の行動には何の変化もないのだ。哲学的ゾンビは単なる思考実験ではなく、全ての人間にとっての喫緊の問題となる。
それを突きつけてくるのがハーモニーという作品だ。「私」という存在は,私にとって有用なのだろうか? 社会にとって有用なのだろうか?
少しずれてる。
哲学的ゾンビを理解するためには、酔っ払って記憶を無くした人について考えてみるのが一番わかりやすい。
酔っ払って記憶を無くした人は、別に何かができなくなるわけじゃない。
他の人と会話できるし、もちろん歩けるし、悲しい話を聞けば泣く。記憶を失う前と全く変わらない行動ができる。外から見ても違いは分からない。
ただ、本人に意識はない。
会話中の相手の顔も目には入っているし、脳でも理解している。ただ"意識"してはいない。
話を聴いて、理解して、「つらい話やなぁ……」と泣きながら応えることができても、悲しいという"感覚"を感じてはいない。
この「お酒を飲んで記憶を無くしている状態」がずっと続いているのが哲学的ゾンビ。
だから、
というのは間違っているし(自発的な意志を持たないのではなく、ただ意識がないだけ)
ピンク髪の「いっそ死にたい~、っていうか消えたい」というコトバ(=入力)を
というのも少しずれていて、「別にキャラメルをあげるつもりがなかった」わけじゃあない。
「キャラメル2つ貰ったし1個を使って誰かを騙そっと♪あ、前から話してみたかったあの子をこのキャラメルでからかっちゃおうかな?」
オチについてはブコメを見てくれ。 http://b.hatena.ne.jp/entry/omocoro.jp/kiji/64616/
「下校時刻の哲学的ゾンビ」というマンガが話題になってるのを知って
はじめは「構成とかよく考えられてて面白い」と思ってたんだけど
最近、ある疑問を持つようになった(知らない人はこちら→http://omocoro.jp/kiji/64616/)。
補修プリントやっているピンク髪に、メガネが話しかけてるんだけど
自発的な意思をもたない哲学的ゾンビが、他人にキャラメルあげようとか思うのかなと。
哲学的ゾンビなら、授業終わったらさっさと家に帰るんじゃないの?
ピンク髪の「いっそ死にたい~、っていうか消えたい」というコトバ(=入力)を
たまたま耳にして「話しかける」という行動(=反応)を出力してしまい
話の行きがかり上、ゾンビ化キャラメルをあげることになったということなのか。
あと、終わり近くのコマで、ゾンビ化したピンク髪とメガネが友達っぽくなってるけど
池田氏はまだブログ論を述べたり、はてな村がどうとか言ってるが、私はそういう記事には興味が無い。
むしろそういった話題ではない、上に挙げた2つのエントリのようなものにとても魅力を感じる。
これらの記事は全く「かっこつけていない」。何かが氏の中で吹っ切れたのだろうか。ナルシズムが見えない。
モヤモヤグネグネしていながらそれでいて切り良く終わる自己省察。
大胆に開示される彼の心と、大胆に使われる言葉(他者を理解する気も無いし、他者に期待しない。全部の努力を他者にアウトソースしていきたい。等々・・・)。
サッパリした(正直になった)村上春樹、もしくは、すねた松本人志、とでも表現したらいいのだろうか。
格段に文章に魅力が生まれている。
こういった文章や、こういったブロガーこそ、私が求めているものであり、間違ってもミーアキャットのような人物は求めてはいない。
人から「お前は恋愛感情を抱いた事がないんじゃないか」と指摘された。
男女関係なく、友人と会う約束があれば前日はウキウキして眠れない程だし、
友人からも「あなたの好意は、犬が尻尾ふるくらい分かりやすい」と言われる。
そういう、友人への好意に性欲が上乗せされたものが恋愛感情だと思っていた。
だから、昨日はあの人が好きだったし、今日はこの人が好き。みたいな。
だが違うらしい。
いわく、「友人への好意」「家族への好意」「性欲」とはまた別個の感情との事。
(一部、共有してる部分もあるらしいが)
話を聞きながら推測した「恋愛感情」とは、独占欲がポイントな気がするんだが、いかがでしょう?
しかし、例えば、同性の友人A・Bが私抜きで二人で遊んだ場合、好意が低い方の友人に嫉妬してしまうんだけど…
バイ…って事もないと思うんだけどなあ。
それよりも、普段何気なく付き合えている友人達の中に、自分の未知の感情が宿っていると考えると怖い。
どちらが少数派なのか分からないけど、道ゆく人みんなが自分の持っていない感情を持ってたとしたら怖い。
正直、指摘者が「恋愛」に対し格好付けているだけ、もしくは自分の感情を理解出来ていないだけ、とも思っている…
まだ理想の相手()に巡り会えてない!とかそれだけかもしれんけど。
前提を確認せずに議論すると、最終的に
「鶏であるとはどういうことか」
「卵であるとはどういうことか」
というところでもめるので大変面白い。
ダウン症関連で
「人であるとはどういうことか」
っていう議論も面白そうだけど、知的障害のないダウン症の例が少なくて難しいのかな
遺伝子的にヒトと違っても、機能が人として生きるのに充分であるのなら「人」派なんだけど
意識ってなんか脳の各部で処理した情報をすり合わせる段階で発生するカスみたいなものだと私は思ってるんだけど
脳と全く同じ機能、振る舞いができるシステムがあったら必ず意識は発生してるんじゃないだろうか。
書いてみたらすごい電波だった。随伴現象説好きをこじらせたらこんなんなった。
自分が知らなかった(または作り出せなかった)コミュニティが楽しそうにしていると、誘蛾灯に集まる蛾みたいに「ねぇねぇ、何してるの??おれも仲間に入れてよ」と空気を読まないでしつこく話しかけ、コミュニティで共通のスラングをわざとらしく真似し、そこでイケているとされているローカルルールや価値観に少しでも近づこうとして、答えを求められも話しかけられもしていないのに会話に反論し賛同し加わろうとし、それを内面化し自身すら洗脳し、むしろ洗脳どころかまるで自分の考えだったように嗜好も変え、少しでも輪に入れようものなら、嬉々として無邪気にそこに居座って他人の精神から、和から快楽を貪るような利己的な人間。そう言う人間がいる。
あまりにも利己的なので、上辺はポジティブに見える。だからこそ、あまりにも感情の奴隷で、まるで機械のようで、虫のように自動的な心だなと思う。なんでこんな人間がいるのだろう。きっと前世は虫だったんだろう。見ていると、蟻の群れが落とされた食べ物に群がっているのを見るような、ゾッとする非人間的なものを見たような気持ち悪さを覚える。理性を持った虫だ。「楽しいこと」だけに忠実な哲学的ゾンビだ。絶対に関わりたくない。どんな犠牲を払っても、何の反応も与えたくない。拒否の言葉、嫌悪の言葉すらあいつを喜ばせるだろう。
誰かに、どこかのコミュニティにつきまとって(あなたは付きまとっているつもりもなくて、何やらワイワイ楽しそうにしている界隈に惹かれて憧れているだけなんだろうけど)そこから蛭みたいに「楽しさ」を得ようとしているあなた、心の中で、わたしはこんな風にあんたの事を感じている。願わくば、わたしが知らないところで、誰にも気づかれずに、何も自分で築いたものも生み出したものも矜恃も覚悟もないまま、他人の楽しさを自分の楽しさと錯覚したまま求め続けるけど手に入れられず、独りで誰にも迷惑をかけず、消えるように存在が無くなればいいのにね。