はてなキーワード: 八方美人とは
昔、2年ほど前に、Web界隈?エンジニア界隈?はてな界隈?を発端にFacebookが流行し、「いいね!砲」などが流行った時期に、みんながこぞって「いいね!楽しい!!」みたいな感じでやってたころは楽しかった。俺もみたものすべてにいいね!していたりした。いいね!砲を使ってぶちかましたりしてた。通知乗っ取りとかしてた。楽しかった。
その時代を踏まえて、今。まぁ職場の同僚なんだが、別に特に仲良くも無いのだが、飲み会でFacebookやってるんですか、みたいな話になり、その流れで友達登録したのだが、そいつがアレだ。見たものすべてにいいね!するヤツだった。
今になると鬱陶しくて仕方が無い。その時代を通ってきてしまっているので余計感じる。流行んねーよそれ今更。クソか。読んでも絶対意味わかんねーポストにまでいいね!すんなよ。今時やってるやついねーよ、そんなの。八方美人でもブりたいのか?ああん?
これらをする人は必ず理由として「ソーシャルによる可視化が怖くなった」を挙げる。「見たくない話題があるから」「名前を聞くだけで気分を害す人物(そしてその関係者)がいるから」「我慢していたけれど私はそれでずっと傷付いていたから」。
つまり、自分が害を受けているのをインフラのせいにしている。まるでそれはいじめられっ子が「僕がいじめにあっているのは、義務教育という仕組で、画一化された不特定多数の人間が学校という空間に押し込められたから」と叫んでいるようなものだ。悪いのは仕組みではなく、いじめっ子だ。だが、いじめられっ子は基本的にどんなに悪い人間がいても「いじめるヤツが悪い!私をいじめているヤツは●●と××だ!」とは叫ばない。根本的な原因を明るみに出そうとしない。なぜかそれが出来るのは自分で命を絶つ時ぐらいだ。これでは「(いじめる側はもちろん悪いが)いじめられている方も悪い」と言われても仕方が無い。
そういった弱い人間はいる。それも仕方が無いし現実である。ただ、ソーシャルでそういった宣言をして自己保身をしようとする人はなぜか、本人としては弱いつもりがない。何が悪かったのか本質を見ていない。
結局の所、それはお前が悪かったのだ。お前の使い方が悪かったのだ。ネットの使い方を分かっていなかったのだ。自由で広大なスペースでは君は生きられなかったのだ。もっと閉じられた世界や、制限だらけの世界でしか本当は生きられないのだ。そしてそれは日本人の国民性であるとも言える。島国在住の君はそれが普通だ。
それならそれでいい。「私の今までの使い方が間違っていましたのでこれからの使い方を変えます」と。それだけでいい。だがそれは、本来は恥ずべきことだ。例えば、小さい頃から箸の持ち方を本気で間違えていた人間が大人になってから箸の持ち方を矯正する。おそらくそれは恥ずかしく思って矯正するのだ。恥ずかしいことなのにそれを全世界に向けて「私は今まで間違ってました!直します!応援してね!」などとは言わない。密かに、厳かに、なるべく誰にも気付かれないように矯正するだろう。そしてそれも日本人の国民性だったはずだ。なぜか君は普通ではない。そして「自分が悪かった」のに「インフラが悪い」せいにするなどとは本当に恥の上塗りである。陥没乳首のペチャパイで、ウエストがバストより大きくて、大陰唇が水着からはみ出すような、そんなブスはおそらくヌーディストビーチには行かないだろう?
その上さらに「本当は繋がっておきたい人もいるのですが」などという追伸まで付けていたりする。八方美人とはまさにこの事だ。この追伸はもちろん、本当にそう思ってる人に対してであろうが、例えば後から、自分が嫌だと思っていた人間や話題を克服した時にも使える。「(昔は死ぬほど嫌いだったしお前のせいで友達削除したんだけど)●●さんとは繋がっておきたかったんですよ!」と踵を返すことができる。万が一の時の回避策だ。日本という狭い島国で狭いコミュニティで生きる人間としては良い施策であろうと思う。それはまぁ良い。理解は出来る。
八方美人はいずれ破綻する。特に、まさに不特定多数の人間と一瞬で繋がれるネットでは破綻が早い。ただそれを「ネットのせい」にしてはいけない。その場所に合わせた振る舞いが出来なかった自分が悪いのだ。そしてそれは恥ずかしい事だ。色々ひっくるめて、はっきり一言で言ってしまえば「ネット向いてない」となる。
お前は弱い。弱いんだ。それをはっきり受け入れるべきだ。それを真に受け入れたのなら、とらないといけない行動は、八方美人という皮を被ることじゃないだろう。それは問題解決を先送りしているだけだ。受け入れていない。結局、同じ問題で永遠に悩む。
解決しなければならない問題とは、一体なんだったんだろうか。
フォロワー3桁でたいしたことないけど、おしゃべりだから絡みやすいのかもしれない、周りよりもちょっと人気のあるアカウント。
いわゆる廃人と言われるような使い方で、いつでもタイムラインを眺めているしツイートも多かったけど、最近Twitterに疲れてきた。
なにかツイートするとすぐリプライが飛んでくる環境がストレスになってきた。自分宛にリプライをしてくれるということはとても嬉しいことだと思う。自分のツイートを読み、わざわざ返事を書いてくれるのだから。けれど、自分に宛てて書いてくれたなんてことないツイートに苛つく自分がいて、疲れたなぁとふと思った。もう見るのも嫌になったのかと。
フォロワーが増えるにつれて返しにくいだとか意味のわからないような絡み方をされることも増えた。
Twitterなんて返事をしたくなかったらしなくてもいいゆるいツールだと言われるし自分もそれに同意するけれど、そう簡単な話でもなく、八方美人な性格も手伝ったおかげですっかりコミュニケーションに疲れた。
ただ静かにつぶやいていたいだけなのに、つぶやいたらまた誰かからリプライが来るとか反応されるんだろうな、と考えたら、ツイートすることすら憂鬱になってくる。
自分のタイムラインに構ってちゃんが溢れているように、コミュニケーションを求める人が多い中で贅沢な悩みだと思う。
もし実際に構われなければ寂しいと思うのだろうから、ないものねだりなのだろうとも思っている。
これでもTwitterというツールが好きだ。張り付いている時間はいまだに周りから見れば廃人というレベルだろうし、そこにいる人たちのことは好きだし、こんな状態になっても完全にはやめられないと思う。オフ会もたくさん行ったし、Twitterでしか連絡の取れない友達もそこそこいるので、アカウントを消すということもしないつもりでいる。けど、疲れた。
あのアカウントの中にいるのは自分ではなくて、そのように作られたキャラクターなのかもしれないと思う。
ある種のコンテンツと化したキャラクターとしての彼は、愚痴を吐いてはいけないような気がしている。
ので、増田に。
疲れました。探さないでください。
なんとなくマジレスしてみる。
友達は欲しいと思わないとできないのか→その通り、望まないとできないものだと思う。
自分が望まずに友達が出来たとすれば、それは相手が貴方と友達になりたいと思って行動したから。
本質的に、人間関係は面倒臭い。自分とは別の存在と関係を結ぶっていうことは、ビジネスならともかくプライベートだと損得勘定やら実益やらだけではなくもっと言語化し辛い感情的なものを主体としたものになるんじゃないだろうか。
「切望するほど望んではいないけどあるならほしい」程度の感覚だと、デフォルトが周囲に空気を会わせるタイプ(悪い言い方をすれば八方美人)でなければ相手が自分と友達になりたいと思ってくれないとまずもって友達になるのは無理。
そういうタイプで友達が多い人間はそれだけ魅力のある人間だけど、文面をそのまま信じるのであれば元増田は少なくとも周囲には元増田の魅力は伝わってないんだろう。
友達って何か→個人的に定義するなら「もろもろの面倒臭さを我慢してでも一緒にいたいと思う人」。
その感覚がわからないのであれば、友達を自分から作るのは難しいんじゃないだろうか。
自分にとって他人が必要か不要かは実際にそれなりに深い関係の人が出来てみないとわからないことだと思うので、まずはないならないでもいい、じゃなくて本当になくてもいいのか試すために友達を作ってみた方がいいというのが私個人の意見。
それでやっぱり面倒臭いと思うならそれでいいし、面倒臭いけど付き合いを続けていきたいと思うならそうすればいいし。
価値を見出せないものに手を出す必要はないけれど、価値があるかどうか理解していないものを価値がないのではないかという推量で遠ざけるのは勿体無いと思うので。価値があるか確認するのにかかる労力が多すぎるので、というならある程度は仕方ないけれど。
どういうものが友達であるかは、実際に自分が体験しないと分からないこと。そもそもの友達の定義が恐らく個々で違う。
一つ言えることがあるとしたら、友達が増えると自分の趣味に費やせる時間は減る。かなり減る。ごりごり減る。それでもいいって言えるのが友達なわけで。
減らない友達にめぐり合えたとしたらそれは本当に貴重な奇跡なので、手放してはいけない。(迫真)
どうやったら友達が作れるか→まずは忍耐力が必須。友達がいる人は無自覚なだけで他人との交流という面倒なことをこなしている。もしくは面倒であることを楽しみにできる。
そして相手の観察をする。べつに本当にじっくり眺める必要はなく、相手が好ましいと思うもの、不快に思うものが何かを知る。こういうことを書くと友達を作るのにいちいちそんな打算が必要なのか、とか言われたりするけど普通の人は無自覚にそれをやっている。友達にわざわざ嫌がることをしようとするのはどSだけ。
普通の人間が意識せず自然と(無意識で)やっていることを、自然にできないのであれば考えてやるしかないよね、っていう。自然にはできなくてもやりたいからやるのであれば、別にそれは打算じゃない。
相手の観察については交友関係を深めるのと同時にできると望ましい。他人から一方的に観察されると不快になる人は多い。
で、観察結果から「自分の理念に反しない範囲で」相手の好ましいと思う行動を取り、不快に思われる行動を取らないようにする。自分がしたくないことまで我慢してしているとそれは結局負担になるし、それこそ本当の友達にはなれないと思う。
一応言っておくけどいくら相手にとって好ましい行動でも相手の見ていない場所だったり他の人にやっても基本的に意味はない。対外的な振るまいにより相手からの好感度を上げるのは戦略の一つではあるけどそれこそ打算に近いものになってくる。
ここで言う行動は基本的に友達になりたいその相手に対する行動だと思いねぇ。
友達とかは置いておいて、相手を不快にさせないコミュニケーション→究極的には不可能。同じ発言を見て好ましいと思う人間もいれば不快になる人間もいる。
ただ、比較的多くの人間から好まれやすい対話術はある。しかしそれで自分が楽しんで対話できるかといえばまた別。
日常的な会話で楽しみを得たいなら、方向性は大きく2種類に分かれるんじゃないかと思う。
一つは会話の空気を楽しむもの。これは会話の内容とかは関係なく、なんとなーくゆるく相手となんか楽しげに会話ができているというその事実を楽しむ。
こいつについてはそれこそそこらへんの聞き上手になれるコツでも適当にかじっておけばいいんじゃないだろうかとか。
もう一つは会話の内容を楽しむもの。知的好奇心を満たしたりとかそのへん。
これをするには相手が「優秀」であればあるほどよいので、そういう相手を見つけるのは大変。ただ、相手が普通だと会話の内容を楽しめないかというとそうでもない。
他山の石ではないけれど、例え相手がバカだったとしても、自分が糧にしようとすればなにかしらの得るものはある。
会話の内容を楽しみたいのであれば、相手のどんな言葉も無駄にせず、自分の愉悦に使おうという欲を持たないと難しい。
元増田のしたい「楽しい会話」がどちらなのかは分からないけど、どちらにおいても相手を操作しようとするよりも自分を操作した方が一般的に楽なので、自分の楽しみたい会話はどっちか考えた上でそれを得るにはどう相手に合わせて行けばいいのかを考えていくといいんでないかなあ、とぼんやりと思う。
ふと思ったことをメモ。理論なり参考にして演繹的に書くわけじゃないので、まあ反論なりいただければ是非読ませていただきます。
さて、結論から言うと以下の考えのコアは「嫌いな人といかにして距離をおくか」ということ。嫌いな人、までいかなくても苦手な人、ウマが合わない人くらいでもいいです。
自分の人間関係における考えとして、人生を楽しく生きるには嫌いな人なり苦手な人とは極力付き合わないこと、というのがあります。人によっては周りの感情に気を使いながら~とかとかあるけどそんなの気にしながらじゃなくて気の合う連中と好きなこと言ってる方がよっぽど人生の充実度高いっすよ。経験則的なところなんですけどね、自分自身も努めて友人の数を増やそうと、八方美人外交てきな態度をとってた時期がありまして。よくわからない価値観に頷いてみたり、おもしろくもない話に全力作り笑いしてみたり、やりたくもない呑み会の幹事やらされたりなどなどなど。
で、今はと言うと自分の価値観全面に出してすきなように生きてます。友達って呼べるのなんて片手ぐらいだったりするかもでその他表面的な付き合いだったりするけど今のがよっぽどいい。気を使わなくていいからラク。
どうなんですかね、多分そこらへん男女だったりで違ったりするのでなんとも言えないけど。ちなみに自分は男。
・一つ大事かなと思うのは、割りとどの人を好んで、どの人がそうでないかを公言してしまうことかなと。(※もちろんさすがに本人には聞こえないレベルで)共通の友人なんかにもこいつとこいつはあまり合わないというのを把握しておいて貰えれば、会合も上手く調整されてその場の変な緊張も緩和されて実に有意義な会合になります。
・もう一つメモにしておきたいところは相手がこっちが嫌ってると知ってても近づいてくる場合。婉曲的なアプローチだけでなく、直接拒絶した態度をとっても気づかれなかったり一方的な好意を示してくる人種もいます(本当に)こういった人の場合はもう共通の知人を通してそれとなく自分がその人のことを嫌ってること(ないし良くは思ってないこと)、そして場合によってはその共通の知人を通してその自分が嫌っている人に距離をとってもらうように言ってもらうこともありなのかなと。ここまで言っても態度が変わらない人っていうのは少しオトナの対応がとれない、あまり人間的には成熟度の低い人なのかなと思うところなので、周りに相談を持ちかけるような形で軽い村八分的な雰囲気に持っていくのが有効かなと思います。ここまですれば相手も態度を選ばざるをえないので。
以上、あくまでメモなのでご参考に。最近はSNSなんかも出てきて人間関係がほんとうに面倒になってきたなあと思います。で、前提にあるのは方針として嫌いな人とは付き合わない。(もちろん自営業の人で仕事上要面的な付き合いを切らないほうがよいこともあるし、割りと神経が図太くて些細なことが気にならないタイプの人はむしろ広く友達を募ればいいと思います。)ここ、はてなとかネットが好きな人って割りと価値観がリベラルだったり干渉嫌いだったり一人の時間が好きだったりする人が多そうですよね、そんな人とか、またさらに知性的だったりプライドが高いタイプの人なんかだと絶対人に合わせてる生活ってのに無意識に疲れてるはずなので、人間関係の取捨選択は思いの外有効ですよ。
※ここで注意が必要なのは「人と距離をおく」ことが必ずしも悪いことではない、ということですね。自分もらくになるし、そういう場合往々にして相手も気を使っている場合が多いです。また既に書いたように周りもその緊張関係を読み取っていることがしばしば。なので後ろめたい気がしても実際にこういう態度を採用してみるとラクになることがあるので、自分のケースだとどういうふうに取り入れられそうか考えてみてはいかがでしょうか。(もちろん、嫌いな人を安易に前切りしてはいけません、必要な人間関係もあるので。)
結果に関してさすがに責任は負いかねますが自身で考えてよりよい人間関係を築きたいものです。他にも気をつけていることなんかあれば是非一筆ください。
Pythonの方が弄れる対象が多いのに、なんでウェブ系だとPHPの方が流行ってんだろ
端末からのテキスト処理も楽だし、数値計算周りのライブラリも充実しているのに
PHPが優遇されているのって歴史的な経緯以外に何か他の理由でもあるのか?
けどまぁ、情弱な文系SEが大半を占めているバカだらけの日本じゃ別にPHPで困ることもないか
数値計算や端末からのテキスト処理なんてWeb系じゃ大して使わないからなあ…
Pythonに関しては、ZopeさえコケていなければWebサーバ用LLとして大成功していたはずなのに、
Railsなんかが登場したおかげで、すっかり影が薄くなってしまいますた....
ってか、railsにインスパイアされたフレームワークって今じゃ幾らでもあるよね
djangoとかCakePHPとか。rubyってRoRを使いたいユーザを除くと、
pythonやPHPの方がユーザー数は圧倒的に多いと思うんだけど
本家のrailsって、他を遥かに越えるほど良いものなんだっけ?
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Zopeが登場した当時、「RDB+PHPはもう古い、これからはOODB+ZopeがWebの中軸になる!」と
少なくとも自分はZopeからPythonという言語を知ったし、その時点でRubyは知らなかった
そして、その後のORM(RDB)+Railsの出現と華々しい革新性への注目は、誰もが知っているだろう
今でもZopeの開発は継続されてはいるが、結果的に当初の期待が大きく裏切られたという事実は動かしがたい
djangoとCakePHPについては実際に触っていないので憶測になるが、おそらく技術水準ではRailsと同等だろう
しかしRailsはRailsでコミュニティの活動が活発だし、その進化は異常に早い
Railsに何か致命的なトラブルが発生して開発が停滞する、あるいはdjangoやCakePHPから
何かのイノベーションが提示されでもされない限り、後発のdjangoやCakePHPがRailsに追いつくのは無理
Railsは決して技術的に完璧なWebフレームワークではないんだけどね....(たとえばSeaSideのような.... )
だからこそ「もしもZopeが....だったなら」という「たら・れば」感はPythonコミュニティの潜在認識になっている
C a k e P H P は う ん こ
CakePHP使ってんの?
可哀そうにw
でもやっぱりいつもの使い慣れたLL(Python/Ruby)で
Webサービスを書きたいってのがある
求人数は
Ruby on Rails>>>>>>>>Django
http://www.indeed.com/jobtrends?q=django%2Cruby+on+rails&l=
どういうことなの?
求人数が多いのはそのためだと思うよ
なんかのミスかと思ったがアメリカでもRuby on Railsは人気があるのかなあ・・・
Pythonのほうが使いやすいと思うのだがフレームワークはRailsが優位なんだろうか
Djangoは周辺ライブラリが微妙だし本体も鈍くさい感じがする。
でも、FlaskはSinatraより好きだから、Pythonが嫌いってわけではない。むしろ好き。
ただ、いざ作り始めるとやっぱりRailsが楽だなあってなって、Railsを使い続けている。
同感だ
同じように思っている人が他にもいて安心した
PHPはフレームワークが乱立しすぎているから、RailsをPHPで実装してみようというやつが出てきた。
それに比べてPythonは、Zopeというデファクトスタンダードが既に存在していたけど、
ただ、どうやってもRailsもどきがRailsを超えることはできないのは間違いない。
パクリはオリジナルを超えられない(キリッ って定型句だけど、
これってキリッって言いたいだけだと思う。
D言語って超えたって?
B言語って超えたって?
PHPで同じ事をできないわけではないだろうけど、Ruby on Railsほど簡潔にはできない
まあくだらねえWEBサービス作って喜んでる情弱は早く死ねって事だよ
そういう理由じゃなくてRailsのほうが単純に情報もプラグインも多いからでしょ
linuxじゃデフォのツールなんだし、ツールとの連携を考えたらpython一択じゃん
わざわざ不合理で不完全な言語を使うなんて
もしも
>linuxじゃデフォのツールなんだし、ツールとの連携を考えたらpython一択じゃん
真実であるのなら、今頃はdjangoの情報とプラグインが溢れかえっているはず
yumや、gdbとgnomeの拡張がpythonであるからといって、それをwebアプリでも使いたいと思う人は少ないというだけのこと。
ソースからインストールする必要があったとしても、web開発ではrubyを使いたいという人が多いというだけのこと。
というか、世界中のPythonプログラマが Remeber Zope!! を合い言葉に
打倒RailsたるWebフレームワークを開発しているはずだけど、
Railsも登場してから、かなりの年月が経過しているんだけどなぁ....
その間にもRailsはRails 3が登場して、REST/AJAXの強化等の進化が継続しているよ
Ruby では
ary.map {|x| x**2}
map(lambda x: x**2, ary)
となり、lambda の本体が1つの式では表現しきれなくなると
.....
と書き換える必要があります。
f = lambda x:(x and f(x-1)*x)or 1
RubyにはPythonのように「lambda本体は式でなければならない」という限定がありませんから、
f = lambda{|x|if x == 0 then 1 else x*f.call(x-1) end}
または
f = lambda{|x|x == 0 ? 1 : x*f.call(x-1)}
と書けます。lambda内でreturnが使えますから、書きたければ
f = lambda{|x|if x == 0 then return 1 else return x*f.call(x-1) end}
でもOKです。
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これはPythonをdisっているように見せかけてRubyをdisっているのか? と一瞬思ってしまったw
だってRubyのほうが長くない?CLのfuncallみたいなcall()がちょっとうざいし…
そしてどっちもlambda式の中で束縛変数の名前で再帰可能、と
print [x*2+100 for x in [1,2,3,4,5] if x > 2 and x < 5]
暗号のように見える。
puts [1,2,3,4,5].select{|i| i > 2 and i < 5}.map{|i| i*2+100}
思考の流れと、コードの流れが一致しているので書きやすい。
map(lambda x: x*2+100, filter(lambda x: x > 2 and x < 5, [1,2,3,4,5]))
pythonて可読性が高いのをうたってる割にはそこいまいちだよね
Rubyの場合には、左から右へと無名関数がデータフローあるいは
関数型プログラミングに不慣れな初心者でも、参照透明性のあるコードが自然に書ける
プログラマにとって優しい or プログラミングの楽しさを教えてくれるのがRuby
それと比較すると、Pythonのコードは、関数型プログラミングというものが
いかに高度で難解なものであるかという事をもったいぶってプログラマに押し付ける
もしもPythonしか知らないプログラマであれば、関数型 = 難解 という印象を持つだろう
階乗計算くらいだと単純すぎて、ナゼ重要なのかが分かりづらいと思うのでコードで示す
result_list = source_list.map { |elem|
x = foo(elem.x) # ここが局所宣言を書く部分
x + y # 最後に評価された式の値が、無名関数のリターン値になる
}
Rubyでは、map等に与える無名関数の中で局所的な環境(クロージャ)が作られるから、
x = foo(...) のような代入文がいくつでも(= 複雑な処理でも)書ける
このポイントは、実用的なプログラムを関数型風で書こうとした時に、威力を発揮する
余計分かりづらくなった
高卒ドカタなんだろうなぁと可哀想になる
集合の表記に似せてることが分かるから
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>map/filterはfor/ifと同じだと言っているだけだから、難解という印象は持たない。
関数型プログラミングに慣れた、あるいは得意な人であれば、そういった印象なんだろね
Rubyの魅力はこれから関数型プログラミングを学ぼうとする初心者、 あるいはそんな初心者へ教える立場から見た、優しさ or 分かりやすさなんだ
[1,4,3,2].sort.reverse.map{|x| x.to_s}.join('-')
Pythonだと読みにくい。
'-'.join(map(str, reversed(sorted([1,4,3,2]))))
Pythonでは思考の流れと一致しないばかりか、「カッコだらけ」のコードになると.....
カッコだらけのコードを分かりやすくする基本的な方法は静的単一代入じゃないか
Rubyのやり方は基本ではなく玄人のやり方だろ
Pythonでは組み込みの型でメソッドチェインはやって欲しくないな
似たようなコレクションtuple,deque,array,queue等にも同じメソッドが必要になってくるし。
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外部のライブラリでも列挙可能なものは、たいていEnumerableモジュールをimportしてますね
Rubyユーザーは列挙可能なものはmapやselectできて当然だろって思ってる気がします
Pythonは「何かを便利に書くためのしわ寄せ」をはっきり寄せてくる
得意と不得意を言語レベルではっきり主張するのでメリケン好みと言えなくもない
Rubyは全方位になんとなく八方美人なので、全体的になんとなく書きやすくてなんとなくキモくて遅い
「書きにくいってことはその処理に向いてないってことだから諦めろ」を地で行く
無名関数が文を使うほど複雑なら名前を付けるのが Python 流と想像。
これを読みづらいと感じるのは、左から右に流れる
もしかしてアラビア語ネイティブな人からすると逆に読みやすいのか?
http://anond.hatelabo.jp/20110627021418
仲良くしないくてもいいんだよ。
増田は仕事中も必要な事以外喋らないって言ってるけど、プライベートでも必要な事以外喋らなくても心地良い相手っているでしょ?そういう顧客は必ずいる。
企業は浅く広く顧客候補を集めるしかできないし、新規開拓営業でも手当たり次第当たってくしかない。
営業って99%は断られる仕事。自分と合う人をずーっと探し続けて1%を契約していくのが仕事。まずは昨年の10倍断られることから始めていけばいいんじゃないかな?
その中で必ず自分と話の合う人が現れてくる。その見極めが出来る人が営業のデキる人なんだよ。どんな八方美人の営業マンでもできない営業マンと比べて、会社全体の全顧客に対する契約率は数パーしか違わない。唯一違うのは見込客の絞り込みが上手いということ。100人の顧客の内10人のピックアップが上手いということ。
もっとデキる営業マンは、その10人の内、購入できる人をピックアップするのが上手いんだけどw
増田が苦手に感じているのは「接待に持ち込める位仲良くなれ」と言う会社の人の問題なんだよね。仲良くって形は千差万別なんだけど、増田自身もその助言をしてくれた方が言う「仲良く」ってのはコレだ。って感じてしまって、それに合致できないから苦手意識を持ってしまったのかな?
もう一度言うけど、プライベートでも必要な事以外喋らなくても心地良い相手っているでしょ?そういう顧客は必ずいる。
それは「仲良い」って言わないのかな?俺は言うと思うよ。
苦手ってホントはいいことだよね。苦手だったり嫌だったなら、人って不思議と現状を変えようとするから。そういうパワーが生まれる環境に身を置けてることをちょっと考えてもらえると営業をやっている人間としてうれしいな。
営業マンとして上司や同僚のやり方をそのまま真似ず、サラリーマンとしてそのやり方の話をうまく合わせて聞き流す立ち回りを期待する。大丈夫、増田からしか買わない顧客は必ずいるからさ。
参考になるものが多すぎて、
いろんな角度の意見に影響を受けすぎて、
こだわったとしても、受け身のこだわり方が染みついている。
例えば、漫画や音楽の批判だったり、デジタル機器の選択するときの
能動さってのは能動と思わされた受動的な行動だと思う。だから簡単に行える。
追求することを突きつけられると、途端にめんどくさくなって逃げだしてしまう。
例えば、絵を上達させたり、歌を上手く歌うのにはいつも感覚だけでやってしまう。
理論を学ぶ、自分のできてない点を分析して意識的に修正するとなるとやる気を失う。
日記にしてもそう。
でも自らの夢の想像を膨らませることや、
書いてるうちに気づいたけど、これらを考えなきゃいけないときは、
自分の欠点を補うことを夢にしたり、自分が凄いと思われるために他人が喜ぶことを考える
という逆のプロセスを踏んでいる気がする。
世の中で嫌われる人間の性質ははっきりしている。それはルールの内側なら何をしてもいいと考えている人間である。ルールに欠陥があるのは仕方のないことであって、その欠陥はモラルによって埋められることが暗黙に期待されている。ところが世の中には、公的なルールにさえ反しなければ完全に自由だと勘違いし、ルールに従っているという体裁をとっていればどんな醜い悪行をしてもよい、極力自分の利益を図ってよいと考えているヤクザ的人間がいる。こういう人間は、本来はルールに従っていてもその人格の醜悪さから嫌われて当然なのに、ルールに従っている者を嫌うのはおかしいなどと思い上がった考えをしており、自分を嫌う人間をルールの名の下に断罪するという卑劣な態度に出ることが多い。また、これと同様に、公的なルールの妥当性自体を検討しようとしない衆愚的な思考も罪である。これでは、一部の権力者が、自己の主観を、正義や現実性の名で覆い隠し、一般人に押し付けることになりかねない。場合によっては、権力者自体が巨悪であり、苛烈な法を有無を言わさず押し付けていることもある。これでは、順法やモラル以前の問題である。さらに、警察によく見られるように、確固とした人格がなく、自分たちのルールに従う人には優しくし、反発する人には、自己の人格を発露して善導するのでなく、徹底的にいじめるという矛盾的態度を示す者が実に多い。つまり、統一的な人格がなく、自分が好きな人だけ優遇し、嫌いな人はいじめるという、ご都合主義的な人格をしているのである。我が国の法の最大の欠陥は、ただ法の形式ばかりが完璧かつ用意周到に整備され、実際場面では、個々人がその法の範囲内で極力自己利益を図るように行動したり、人格的統一性がなく、相手に対する好悪で態度を変えるという日和見主義、八方美人的発想をしていることである。これでは法治国家として4,5流であって、とても世界に冠たる先進国などとはいえないし、子供たちの前で立派なことを大言壮語しておいて、実際の努力が偏狭な欲望と見栄を満足させることに費やされているのでは、あまりにも情けない。そもそも当の日本人自身が、机上では高邁な論議を尽くしながら、実際には実行に移さないとか、一定期間は実行してみるが、どういうわけか長続きせず、むしろ反動で高邁どころか徹底的に下劣になることが歴史的傾向としてあり、これでは日本国家以前に日本人自体がある種絶望的な人種であるというほかない。これを克服するには日本人自身が自己を反省すべきことに行き着くのであるが、現状は反省するどころか開き直っている日本人が多い(こういう人間に限って「学校からはもはや学ぶものは何もない」と嘯いているが、まったくもって何も学んでいない)。これでは、過去の高邁な議論は実を結ばず、すべて水泡に帰し、知的偉人たちの人生が無駄になってしまう以上に、日本人自身が単なる存在悪であることが証明されてしまったも同然であり、現代日本において正義が廃れ、社会が卑劣な人間の共同犯罪や阿鼻叫喚の物理的精神的戦争状態と化し、力で他を制した者こそが正義だという古代以前の未開社会に堕するのも蓋し当然である。ここまでくると、日本は北朝鮮や北アフリカの独裁国家以下の犯罪国家であり、日本自体存続に値するものとは思えない。日本の首相(もはや首領か)は今すぐにでも国際刑事裁判所の御世話になるべきではなかろうか。
元増田様
ご無沙汰しております。
LoveFlower合同会社 代表社員CEOの内木場です。当該メールサービスの運営をしていた会社の社長です。
まず、当該サービスに関しては収益の見込みがなかったので、さっさとやめました。
すでに多くの会社が似たようなサービスをされてる(展示会でもテーマの1つになってる)以上、なおさら他社との明確な差別化ならびにまだ未開拓の顧客層へのアプローチが必須です。
ドラッカーの「マネジメント」的に、「イノベーション」と「マーケティング」、ってことですね。
そして、それをやるにはあまりにも課題が多すぎた。手を出すべきでなかった。本来弊社がすべきものではなかった、と。
このへんがちゃんと出来なかったから、売れなかった。顧客の心に響かなかった。
・・・これが総括ですね。
あと、本音を申し上げますと、正直、いきなりこんなことされて逆に困惑しております(おりました)
まず、「売れてない」とは一部の人向けにしか書いてませんでした。その内容をいきなりpublicにされてしまって困りました。
正直、アドバイスと称した「晒し」としか受け止められませんでした。
なんというか、私のこと考えてくださってる感じがしないのですよ。私と向き合ってくれてないという印象がしました。
あと、あれこれアドバイスと言ってますが、単に駄目だししてるだけで、具体的解決策を述べられておりません。
もし部下や同僚がこのような意見を出した場合、「じゃあ、これをよくするにはどうしたらいいのか?」と突き返しますね。
ちなみにアクセス傾向については、Google Analyticsを使って把握しております。
これでだいたいの情報はつかめます。Google AdWordsとの連携もできるので、それなりに使えました。
また、それぞれにおいて、あなたの想像がすべて事実と違うところがありましたので、一応指摘しておきます。
1:もしあなたの言うとおりであれば、サイト滞在時間がものすごく短くなります。解析の結果ではそのような傾向は見受けられませんでした。一通り読んでくださったかんじです。
2、3:あなたがTwitterに張り付いてたりサイトに張り付いてたりしてたからこそ言えるのです。もしこれが原因で本当に顧客が誰も来なかったとしたら、みんながみんなtwitterの過去ログをかたっぱしから読んでたりしてることになります。
そもそも、twitterで八方美人目指すとか不可能です。あっちが立てばこっちが立たない。そういう世界なのですよ、この世は。
それに、あなたが先に実践して成功して指し示すべき。
あと、述べられてる理由を見て思ったことが1つあります。
「ロリコン漫画がはびこるから幼児への性犯罪が増えるんだ」という論調と似てるものがあって、気持ち悪かったです。
一応釘さしておいたほうがいいと思い、書いておきました。
あと、これだけじゃなんなんで。
ものを売る、お客さんと向かう、商売するという意味で、これ読んだらいろいろと考えさせられました。これ、おすすめしときます。
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改行がうまくいってないところがありますが、不慣れという点でお許しください。
せめて新銀行東京の名前となぜそれが問題なのかぐらい自分で調べてから、その筋で非難すればいいのに、ばかだなあホント。愚民は誰だよ。
ここでも揚げ足取りばかり。八方美人の聖人など期待しているうちは政治に口出さないほうがいいですよ。まあ、投票しない口実ができてよかったね、としか。
主にブラック企業関連の批判が多い人。まあこの人は中身もなかったし当選することはないと見てましたが。
無愛想な八方美人というのは両立できる。
単純に笑顔が足りないのかもしれない。
愛想は相手の望むタイミングで振り撒かないと効果が無い。
そんな人ばかりに言い寄られる私はきっと相手には
というか、「横柄に扱っても構わない奴だ」と思われてるよね。
「こいつレベルが俺と付き合えるなら感謝しろやと」って人でも横柄に扱われない人はいるからね。
「(色んな意味で)付き合えない!」と思ってても扱い自体は丁寧になる。
一回盛大にキレないと周りは理解しないだろうけど、キレ方を間違うと逆効果なので注意してね。
こっちは積もり積もったものが原因で擦り切れているのに、
周りはわざと直近のトラブルだけを指して「この程度であんなに怒るなんて頭オカシイ」と言うよ。
人事異動があって第三者が来た時は、周りに何か吹き込まれる前にお友達になろうね。
多分人見知りだろうからシンドイだろうけど。
要約すると、そんな職場は辞めた方がいいよ。
でも、世の中には 八方美人が嫌いとか、日和見が嫌いという人もいるから 愛想が良いというのも万能ではない件。
明確な固有スキルがなく、愛想だけが良いというのが嫌われる条件になり得る。