2012-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20120306141227

なんとなくマジレスしてみる。

友達は欲しいと思わないとできないのか→その通り、望まないとできないものだと思う。

自分が望まずに友達が出来たとすれば、それは相手が貴方と友達になりたいと思って行動したから。

本質的に、人間関係は面倒臭い自分とは別の存在と関係を結ぶっていうことは、ビジネスならともかくプライベートだと損得勘定やら実益やらだけではなくもっと言語化し辛い感情的ものを主体としたものになるんじゃないだろうか。

「切望するほど望んではいないけどあるならほしい」程度の感覚だと、デフォルトが周囲に空気を会わせるタイプ(悪い言い方をすれば八方美人)でなければ相手が自分友達になりたいと思ってくれないとまずもって友達になるのは無理。

そういうタイプ友達が多い人間はそれだけ魅力のある人間だけど、文面をそのまま信じるのであれば元増田は少なくとも周囲には元増田の魅力は伝わってないんだろう。

友達って何か→個人的に定義するなら「もろもろの面倒臭さを我慢してでも一緒にいたいと思う人」。

その感覚がわからないのであれば、友達自分から作るのは難しいんじゃないだろうか。

自分にとって他人が必要か不要かは実際にそれなりに深い関係の人が出来てみないとわからないことだと思うので、まずはないならないでもいい、じゃなくて本当になくてもいいのか試すために友達作ってみた方がいいというのが私個人の意見

それでやっぱり面倒臭いと思うならそれでいいし、面倒臭いけど付き合いを続けていきたいと思うならそうすればいいし。

価値を見出せないものに手を出す必要はないけれど、価値があるかどうか理解していないもの価値がないのではないかという推量で遠ざけるのは勿体無いと思うので。価値があるか確認するのにかかる労力が多すぎるので、というならある程度は仕方ないけれど。

どういうもの友達であるかは、実際に自分が体験しないと分からないこと。そもそもの友達定義が恐らく個々で違う。

一つ言えることがあるとしたら、友達が増えると自分趣味に費やせる時間は減る。かなり減る。ごりごり減る。それでもいいって言えるのが友達なわけで。

減らない友達にめぐり合えたとしたらそれは本当に貴重な奇跡なので、手放してはいけない。(迫真)

どうやったら友達が作れるか→まずは忍耐力が必須友達がいる人は無自覚なだけで他人との交流という面倒なことをこなしている。もしくは面倒であることを楽しみにできる。

そして相手の観察をする。べつに本当にじっくり眺める必要はなく、相手が好ましいと思うもの不快に思うものが何かを知る。こういうことを書くと友達を作るのにいちいちそんな打算が必要なのか、とか言われたりするけど普通の人は無自覚にそれをやっている。友達にわざわざ嫌がることをしようとするのはどSだけ。

普通人間意識せず自然と(無意識で)やっていることを、自然にできないのであれば考えてやるしかないよね、っていう。自然にはできなくてもやりたいからやるのであれば、別にそれは打算じゃない。

相手の観察については交友関係を深めるのと同時にできると望ましい。他人から一方的に観察されると不快になる人は多い。

で、観察結果から自分理念に反しない範囲で」相手の好ましいと思う行動を取り、不快に思われる行動を取らないようにする。自分がしたくないことまで我慢してしているとそれは結局負担になるし、それこそ本当の友達にはなれないと思う。

一応言っておくけどいくら相手にとって好ましい行動でも相手の見ていない場所だったり他の人にやっても基本的に意味はない。対外的な振るまいにより相手からの好感度を上げるのは戦略の一つではあるけどそれこそ打算に近いものになってくる。

ここで言う行動は基本的に友達になりたいその相手に対する行動だと思いねぇ。

友達とかは置いておいて、相手を不快にさせないコミュニケーション→究極的には不可能。同じ発言を見て好ましいと思う人間もいれば不快になる人間もいる。

ただ、比較的多くの人間から好まれやすい対話術はある。しかしそれで自分が楽しんで対話できるかといえばまた別。

日常的な会話で楽しみを得たいなら、方向性は大きく2種類に分かれるんじゃないかと思う。

一つは会話の空気を楽しむもの。これは会話の内容とかは関係なく、なんとなーくゆるく相手となんか楽しげに会話ができているというそ事実を楽しむ。

こいつについてはそれこそそこらへんの聞き上手になれるコツでも適当にかじっておけばいいんじゃないだろうかとか。

もう一つは会話の内容を楽しむもの知的好奇心を満たしたりとかそのへん。

これをするには相手が「優秀」であればあるほどよいので、そういう相手を見つけるのは大変。ただ、相手が普通だと会話の内容を楽しめないかというとそうでもない。

他山の石ではないけれど、例え相手がバカだったとしても、自分が糧にしようとすればなにかしらの得るものはある。

会話の内容を楽しみたいのであれば、相手のどんな言葉無駄にせず、自分の愉悦に使おうという欲を持たないと難しい。

元増田のしたい「楽しい会話」がどちらなのかは分からないけど、どちらにおいても相手を操作しようとするよりも自分操作した方が一般的に楽なので、自分の楽しみたい会話はどっちか考えた上でそれを得るにはどう相手に合わせて行けばいいのかを考えていくといいんでないかなあ、とぼんやりと思う。

  • http://anond.hatelabo.jp/20120307002658 なるほど。 やっぱり相手と一緒に何かしたいって気持を持つことが大事なんですね。 正直言って、自然にそういう気持ちになるのは無理なので、最初は意...

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