参考になるものが多すぎて、
いろんな角度の意見に影響を受けすぎて、
こだわったとしても、受け身のこだわり方が染みついている。
例えば、漫画や音楽の批判だったり、デジタル機器の選択するときの
能動さってのは能動と思わされた受動的な行動だと思う。だから簡単に行える。
追求することを突きつけられると、途端にめんどくさくなって逃げだしてしまう。
例えば、絵を上達させたり、歌を上手く歌うのにはいつも感覚だけでやってしまう。
理論を学ぶ、自分のできてない点を分析して意識的に修正するとなるとやる気を失う。
日記にしてもそう。
でも自らの夢の想像を膨らませることや、
書いてるうちに気づいたけど、これらを考えなきゃいけないときは、
自分の欠点を補うことを夢にしたり、自分が凄いと思われるために他人が喜ぶことを考える
という逆のプロセスを踏んでいる気がする。
メアリースー作品しか作らない人ってこんな感じなんだろうか
メアリースー作品作る人とはまた違うと思う メアリースーは黒執事みたいなの好きなタイプやろ