はてなキーワード: 九州とは
最近「被害者や弱者はみんなが思ってるようなのじゃないんだぜ!」みたいなのが流行ってるから、もう一つ。
こんな恐ろしいひどい事件、赤の他人である自分達ですら加害者が憎くて堪らないのに、被害者はきっと想像を絶するほど加害者が憎くて、苦しめて苦しめて殺したいに違いない!被害者に刑を決めさせればいい!
そう思いがちだ。
たとえ重犯罪でも。
それは、汝の敵を愛せよという精神ではない。
一番有名なのはストックホルム症候群だ
誘拐や監禁などにより拘束下にある被害者が、加害者と時間や場所を共有することによって、加害者に好意や共感、さらには信頼や結束の感情まで抱くようになる現象。
解放後に犯人をかばう証言を行う者や犯人に恋愛感情を抱く者までいるという。
逃げられない状況下では、犯人を好きになるしかない。また、犯人の優しさや人間味に惹かれてしまう。
虐待すればするほど子供は親を慕うものになると小山晃弘も言っていた
酷い毒親、虐待親でも慕う子供は山ほどいる。大人になっても洗脳が解けないことはザラにある。自分の親が毒親だなんて認めたくないことだから。
家庭という閉鎖的な空間で虐待に晒されているとそれが普通だと錯覚する。親との温かい思い出もある。親の機嫌をとるため、親のことを好きになる。虐待を受けても、自分が悪い子だからだと思い込む。
大事にされるのに慣れなくて、優しい養親に反発したり、殴るパートナーを選んでしまったり、自分の子に同じことを繰り返したりもする
性的虐待も同じ。
性的虐待を受けても父親を嫌いになれない、あれを除けばいい父親だと言う少女や女性は少なくない。
自分から求めてしまった、快感を感じてしまったという体験談も…それが罪悪感を植え付ける
自分の中のダメージを少なくするために、なかったことにしようとして被害後も加害者に普通に接したり、あろうことが加害者に好意を持ってしまう人もいる
レイプから始まる恋は実際ある、と小山晃弘も言っていた。まぁ関係ない人のコラ画像を使ったりしていて悪質だが。
「学生時代痴漢にあって、最初怖かったけど快感に目覚めてしまった」と語る裏垢もあるし、それを見て勘違いしてしまう痴漢野郎もいる。
ストックホルム症候群と同じく、ダメージを少なくするための防衛機能なのだろう
加害者に好意を抱いたり、快感を感じたりはしなくても、加害者を憎まず「自分が悪いからだ」と自分を責めて終わってしまう人もいる。
「他人のことならあなたは悪くないと言えるが、自分の被害に対しては自分が悪いのだと思ってしまう」と語る性被害者は少なくない
ネットでは「いじめたやつ許せない!」的な声ばかりが大きいが、「いじめられたのは自分が悪いのだ」と結論付ける被害者は少なくない。
昔リア中の時に朝日中学生ウィークリーを読んでいたが、いじめ相談的な投書欄に「いじめられる方にも原因がある」的なのが殺到した時期があった。しかも、「いじめられた自分はこうやって乗り越えた。だからいじめられる方も変わるべきだ」的な投書もあった。
「いじめた子に謝って今では親友です」「いじめてきた子に自分も不愉快にさせたと謝って今では親友です」的な体験談を複数見た。
そこに、ストックホルム症候群的な心理はないといえるのか。
いじめられっ子を助けたら、そのせいで自分がいじめのターゲットになり、あろうことが助けられたいじめられっ子がいじめる側に回る
「鬼」とかいう話題の漫画でもあったよくあるケースだけど、これもいじめられっ子がいじめっ子を憎んでないからだと言える。憎んでないから媚びるし、一緒に恩人をいじめる
体罰もそう。
「悪い自分を殴ってくれた先生に感謝してる。体罰は必要だ」と語る大人は少なくない。
「言うこと聞かない奴は殴る。殴った子ほど後に慕ってくれる」とのたまった顧問もいた
意外なことかもしれないが、加害者を憎むより、自分が悪いと思う方が楽なのだ。憎むのはエネルギーが要る上に、被害は自己肯定感を失わせ、自責に向かわせる。
更に問題なのが、「被害に遭った自分が悪いのだ」を他人にも押し付ける奴がいることだ
山口達也に襲われた女子高生をセカンドレイプしてた女性達のうち何人かが「私は電車で痴漢されたことがあるけど自分が悪いと反省したのに」「セクハラでキスなんて私もされる。よくあること」と言っていた。
「私はレイプされても我慢したんだから、痴漢くらいで訴えるなんて甘えてる」
「いじめられる方にも原因がある。自分がいじめられて変わったようにお前も変われ」
「俺の時代は体罰は当たり前だった。体罰が禁じられて甘えたガキが増えてる」
「今はなんでも毒親毒親と。私は暴力アル中etcの親にも感謝してるのに」
「今の女は甘えてるのよ。私は夫に殴られても我慢して尽くしたわ」
これ、全部見た。
人は自分の身に起こった事(幸福でも不幸でも)に理由付けをしたがる。
普通の人でも不幸が連続して降りかかった時に「俺は前世で悪いことをしたのか」と溢してしまう。
「あなたが受けた虐待はあなたが前世で悪いことをしたからです。あなたがその体験をしたいと選んだのです」的なスピには、意外と虐待の被害者がハマってしまう。自分の受けた不幸に理由付けをしてくれるからだろう
殺人事件の被害者遺族なら犯人を憎みまくるはずだって?それが、そうでもない。
「心にナイフを忍ばせて」という、酒鬼薔薇事件の被害者遺族を追った本(ブコメ見たので訂正。そっくりな別の事件の被害者遺族を追った本)では、加害者に対して被害者遺族が同情的なコメントをするシーンがある
また、死刑賛成派のルポルタージュでは、死刑囚が被害者の兄と手紙で交流し、被害者の兄が「彼を死刑にしないでください」と頼み込むエピソードがあった
死刑反対派の森達也氏も、死刑を望まない遺族は意外と多いと言っていた。遺族と言っても生前の被害者と良い関係とは限らないが…
断っておくが、被害者に原因があるとか被害は大したことないとか言いたいわけではない
むしろ、だからこそ虐待もいじめも体罰も性犯罪もDVも殺人も、許されないし痛ましいのだ。
もちろん、全ての被害者が憎まないわけではない
加害者が憎くて堪らない、殺したい、そんな人の方が自然だろう。
だが、加害者を憎まない、憎むことすらできない被害者は「意外と」いる。
そして、被害者は加害者の代わりに自分の味方や同志を憎むことがある。
虐待を受けても親を慕う子供は、親から引き離そうとする大人を憎むだろう
発展途上国だかで性的虐待、児童買春の被害に遭っていた女の子が保護された後、不自由に耐えきれず何度も施設から逃げ出して売春しようとしたって、その人の人生を綴った本に書いてあった。きっと、施設に連れ戻し不自由な生活を強いる保護してくれた大人を憎んだのではなかろうか。
前に「九州の田舎に嫁いだ語り手がレイプ未遂に遭って、姑に『みんなあの男に足入れされて我慢してるんだから』と説得されるも振り切って被害届を出したら、『未遂のくせにズルい』と被害を受けた女性達から嫌がらせされるようになった」という地獄みたいな話を読んだ。
レイプ男には仕方ないと諦めて立ち向かわないが、「被害を我慢しない裏切り者」は憎み、嫌がらせする。
とんでもない毒親だと思ったが、加害者よりも、弱い立場であり目の前にいる子供を責める方が楽だからだろう。
子供の被害=自分の被害のように感じてしまい、でも子供は自分の思い通りにはならない別個体なので、「自分が辛い目に遭ったのは子供のせいだ」という風になってしまうのだろう
ナチス政権下では、ユダヤ人を虐げる中にはユダヤ人もいた。他のユダヤ人と違って特別扱いをされていた。
そんなユダヤ人も、しまいには他のユダヤ人と同じように殺された。
ユダヤ人自身からも、「ユダヤ人が虐げられたのは自業自得」という意見は出ていたのだ
彼らは「あなたはいいユダヤ人だ」と褒められていたのだろう。そして、「他の悪いユダヤ人がいるから私達ユダヤ人は差別されるんだ。本当に迷惑だ。許せない」と思っていたに違いない
よく「被害者が叩くのはわかるけど第三者が口を出すのはよくない!」と言われたりする
だが、私は明らかな加害があれば第三者こそ叩くべきだと思う。何故なら散々述べたように、被害者は被害者だからこそ、意外と加害者を憎まないからだ
第三者が「それはおかしい」と言う事で、被害者も「そうかこれはおかしいんだ。おかしいと思っていいんだ」と目覚める事は多い。虐待でもいじめでもハラスメントでも。
って書くつもりだったが忘れていた
追記2
鶏天
エビは絶対被る、穴子や鱚もいいが、九州の者として鶏天を争いたい。やはりドラフト1位はタンパク質の天ぷらを取りたいという希望はあるだろう。ここでメインとなる1品を確保することで後にサポートでもサブでも取ることができるので、なんとしても鶏天をとりたい。
舞茸
下手したら1位で他チームに取られそうだが、しかしエースになるかと言われると難しい立ち位置。2位で取れたら儲けものという意味で2位。舞茸にかぎらずきのこは天ぷらにするとうまい。中でも舞茸×天ぷらの相性は抜群なので強く希望したい。
4位でも残ってそうだが、これは絶妙な指名だと自負する。鶏天も舞茸も間違いなくうまいんだが、素材としてのパンチがあくまでも素材。味と刺激を両立してなおかつ油との相性が良い紅生姜天という芸術は是が非でも3位で指名したい。
3位指名と迷った。残ってない可能性も十分にある。絶妙な苦味と香り、油との相性の良さ、天ぷらにすることで真価を発揮する。嫌いな人も多い野菜ではあるので残ってることを期待して4位。調理が難しいので、プロに頼むか私に挑戦させてほしい。
残ってたら取りたい
ごぼ天もいいなぁ~~
【追記】
年越しそばのために天ぷら揚げたよ!結局鶏天と舞茸と紅生姜にした!紅生姜天作るの難しいのな!みんな天ぷらの種類考えてくれてありがとう!
グルメである自覚はないのだが、今年2回そう呼ばれる機会があったのでそうすることにする
私の乏しき給料の使い道は、もっぱら食品関連に費やすことが多い
だいぶ前から知っていて、もっと増えろもっと増えろと思っていたが
雨後の筍の如く増えて嬉しく思っている
そんな私だが今年を振り返り、食の遍歴を振り返ると一層際立つ思い出がある
それはカレーの街神保町の街で行われたカレーグランプリ…で試飲できた「紅茶」である
しかし、それを差し引いても日東紅茶が淹れてくれた紅茶はやたら美味しかった
飲んだ瞬間香りが押し寄せ、いつもなら下に感じりえぐ味のたぐいは一欠片も相見えず
なめらかに喉を通過していった
それぐらいに割りと感動した味でした。
大田区議会議員_おぎの稔/C101土曜東ポ27a/メタバース・議員系Vtuberの大田区議です。
@ogino_otaku
Colaboの騒動は、九州の工藤会跡地を買い取ってホームレス支援をやるクラファンや他の活動にも影響が出て実害が生じてるらしいから、そろそろ決着をつけないとね。
仁藤氏がめくれるとその上まで行っちゃうから、仁藤氏をどう切って決着をつけるかになるんじゃないかな。
https://mobile.twitter.com/ogino_otaku/status/1604296749119467520
大田区議会議員_おぎの稔/C101土曜東ポ27a/メタバース・議員系Vtuberの大田区議です。
@ogino_otaku
仁藤氏、取材をしても自分の言いたい事を一方的に話し、相手の質問には答えない、噛み付いたり急な予定変更や取材時間の巻きもある。撮影も「こことここを撮って」「ここは撮らないで」とメディア側に細かく指示してくるらしいね。仁藤氏は福島氏や辻元氏のようには人の話を聞けない。とも聞いた。
大田区議会議員_おぎの稔/C101土曜東ポ27a/メタバース・議員系Vtuberの大田区議です。
@ogino_otaku
別の事業にも影響が出始めていて皆さん困ってるらしいですよ。
政党には一切寄付しない。政治家をみたら強盗を見かけたのと同じです。
政党には一切力を貸さない。税金チューチュースキームを批判したら誹謗中傷だの恫喝する連中です。有権者は奴隷と思ってますね。
赤い羽根共同募金は論外。税金チューチュースキームです。今後一切募金しない。泥棒にお金は出さない。
休眠預金があれば1円でも残らず回収しましょう。すべて人権を侵害するために使われます。
最終更新日は2020年です。関係者はBONDプロジェクト、コラボが全く機能していないことを、ひどい待遇ばかりしていたことを知っていました。
このように誹謗中傷どころか、とっくに知られていた事実でマスコミや政治家、学者、人権団体が税金チューチューを擁護してたわけです。
19歳から地元を離れて県外の大学に通っている。大学院に進学したため、一人暮らしは6年目を迎えた。
6年目にして、初めてホームシックになった。
小学生から不登校を繰り返して、高校も中退し、親との関係が安定してきたのはだいたい7〜8年前。
小学生の時からかなり自律神経がしっちゃかめっちゃかで、最近はプレッシャーを感じると何もできなくなってしまう。
11月にあった学外発表で無事に力尽きてしまい(発表前は60時間起きてた)、毎日18時間寝る生活になった。その後、修論に全く向き合えなくなり、バイトにも行けず、ゲームもできず、ただひたすらYouTubeと小説でやり過ごす日々。流石に指導教官から実家に連絡が行き、母親に帰ってこいと言われ実家に帰った。
私(長女)の経験を生かし、不登校に関するNPO法人を立ち上げたり、放送大学に通い心理学を学んだりと、母親が学び続けたおかげで関係が改善したと思っている。
そんな母のことは嫌いでない。好きだし、尊敬もする。
それでもこの歳になるまではとにかく家を出たくて、一人暮らしも楽しく満喫していた。
小学2年生から不登校だった。幼少期は引っ越し続きで、父は九州の田舎の亭主関白、母は全く周囲に頼れる大人がいない状況だった。その上、父は単身赴任(本社勤務とのことで家を買ったが、その後転勤が決まったらしい)。私と、弟たちを母1人で育てていくのは今思えば本当に大変なことだったと思う。
それでも、小学生の私にとっては、母が子育て等に不安を感じ続けている生活で不安を感じないわけがなく、学校で周囲と衝突し、家では激しい反抗期、とにかく攻撃によるストレス発散が多かった。
よく父に怒られて家の外に出されていたが、その時は泣きながらどうしたら死ねるだろうと、塀(といっても1m)から飛び降りるか迷っていた。飛びおりなかったが、人生で初めての自殺未遂は今でも鮮明に覚えている。
ご飯を食べなくていい、と父に子供部屋に閉じ込められたこともあった。内開きのドアの前に重たい家具を置かれて、ドアノブを紐で繋いで開かないようにされ、水も飲めないトイレも行けない状況で一晩を過ごしたこともある。
大喧嘩した時、私がダイニングテーブルをひっくり返して破壊したこともある。15万くらいするかっこいいデスクトップpcも壊したことがある。
流石にいいところも書いておく。
ピアノを小学1年生から始め、2年生の時には100万の中古のグランドピアノを買ってもらった(欲しいとは言ってないけど)。水泳やそろばんなど、習い事をたくさんさせてくれた。クリスマスや誕生日には欲しかったゲームをくれた。高校では50万の管楽器を買ってくれた。行きたいと言えば海外研修にも行かしてくれた。母は料理が上手(だと思っている)で、3食手作りしてくれたし、時にはお菓子も作ってくれた。裁縫もうまい。父も農家出身で未成年喫煙するような不良だったが、国立大学に行き20代で1000万プレイヤーだ。
やりたいことをやらせてくれる家庭だったと思う。
今は母も穏やかになり、自分のやりたいことを見つけて人生を楽しんでいる。父も亭主関白はなりをひそめ、週末は単身赴任先から帰ってきていろいろ料理をする。私が帰省するとリクエストを聞いてくれる。私がお金の心配をしなくてもいいのは絶対に父のおかげだ。
とにかく小学2年生から5年生までは攻撃的な子どもだったし、両親だった。家庭内の情緒が最悪であった。(1番の被害者は弟たちだと思っている)
私は部屋に閉じこもり、昼夜逆転生活を送り、どうしたら死ねるかを考え、なぜ生きているのか悩み、母が書いてくれた私の0ヶ月から1歳半までの育児日記を読んで母の愛を確認していた。こうして振り返るとかなり寂しい子どもだと思う。
中学生になってからは、かなり落ち着いたと思う。母が支援に繋がれたことが大きい。
そんな家庭で、形や中身は変わりながら高校まで過ごしていた。
大学はとにかく県外に出たかった。高校中退で学歴コンプレックスがあったし、弟たちがいるので国立しか視野になかった。将来の夢があり、養成の名門と呼ばれる大学を目指した。
5年半、ずっとホームシックになることはなかった。
一人暮らしは本当に楽しい。自分のペースで生活できること、家にいる限りだれも私のことを知りようがないことがよかった。今でもそう思う。
それでも、ホームシックになった。
実家から帰る日、予定があったのでどうしてもその日に帰らなければならなかった。帰ろうと朝起きて、起きた瞬間涙が止まらなかった。8時半くらいに起きたと思う。18時まで泣き続けた。結局予定はキャンセルした。
18時に、今帰らないとずっと帰れない、と覚悟を決めて帰る準備をした。泣きながら準備をした。
それを見ていた母に、抱きしめてもらった。頭を撫でられながら、がんばってるね、えらいねと褒めてもらった。頑張りすぎなくていい、いつでも応援してると慰めてもらった。
1、2分だったと思う。
そのあと、やっぱり泣きながら車を運転して帰った。
母が持たせてくれた沢山のご飯を食べながら生きている。ジップロックに書かれた母の文字を見ては泣いている。
修士論文にはまだ向き合えていない。
就職が決まっている。
なにもできない日々を過ごしている。
TSMCやソニーが半導体の工場作るってニュースに「なんで熊本?」みたいなブコメが散見される。
半導体の製造には大量の水が必要で、熊本が全国的に見ても水資源が豊富な土地ってのは割と有名な話だと思ってた。
元々精密機器の工場もあるし、飲料関係の工場や酒造、稲作、い草の栽培など農業も盛んな土地だ。
これらは全て水資源の確保が重要な産業で、熊本はその需要を満たすだけの水資源を確保できるところって訳だ。
「なんで熊本?」って発言が出てくるのが不思議だったんだが、熊本県があれだけ水資源が豊富な県ってのをアピールしてたのにまだ全国的には知られてないのだろうか。
熊本は交通の便も悪くないし、九州の中にあっては平地を確保しやすい。
俺は地元が長崎なんだが、諫早にあるソニーの工場なんかも将来的には閉鎖して熊本に集約する流れになるかもしれんなぁって思ってるよ。