はてなキーワード: ラテン語とは
19世紀中盤以前の歌謡や、和歌漢詩の類は多すぎるので除外して、成立年の古い順に
Arma uirumque cano
Gallia est omnis divisa in partis tres.
ガリア戦記の冒頭文。日本で言う平家物語のノリで昔の欧州のラテン語学習者は暗記してるっぽい。これも教科書に載ってた。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。驕れる者は久しからず。ただ春の世の夢の如し。猛き者もつひには滅びぬ。ひとへに風の前の塵と同じ。
遠く異国を訪らへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱異、唐の禄山。これらは皆、旧主先皇の政に従はず、楽を極め、諌めをも思ひ入れず、天下の乱れん事を悟らずにして、民間の愁える事を知らざつしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり
リアル中二だったので、冒頭のちょっと先まで、わざわざ図書館で書籍を探して覚えた
In principio creavit Deus cælum et terram.
in principio erat Verbum
これらも教科書に載ってた
Freude, shcoenell goetterfunken, Tochter aus Elysium.wir betretn Feuertrunken himmlishce dein heinligtum.
Deine Zauber binden wider was die Mode streng geteil.Alle Menshcen werden Brueder,wo dein sanfter Fluegel weilt.
一応読んでるけど、覚えたのはアニメかも
ラノベだとこれくらいかな。「東中出身、涼宮ハルヒ。だたの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしの所に来なさい。以上」は冒頭ではないしなー
こうやって見るとやっぱり教科書は強いな
https://youtu.be/d-qnUCteMEE?t=3m53s
よく知らねーけどゼノギアスのラスボ(もしかするとラテン語とかかも)
https://www.youtube.com/watch?v=RuJtOQSB2Hs
https://www.youtube.com/watch?v=qzWy0rroavA
まー何をカッコイイと思うかは人次第だよな。
あとは任せた
千葉県市原市田淵の地層「千葉セクション」を中期更新世(77万年前~12万6000年前)の代表地層とし、この時代を「チバニアン」(ラテン語で千葉時代)と命名するかどうかを決める国際学会の審査が4月から中断している。
茨城大や国立極地研究所などの研究チームが「チバニアン」を申請したのだが、
研究チームとは別の地質学者らで作る「古関東深海盆ジオパーク認証推進協議会」が今年4月、
「(地磁気逆転の根拠に)約2キロ先の別の地層のデータを使っており、捏造だ」などと主張するメールを同連合やイタリアの研究チームに送った結果、審査が中断したとのこと。
ちなみに、「古関東深海盆ジオパーク認証推進協議会」は、地層に勝手にコンクリートの階段をつくった団体。
この世界で神様を信じないで生きる方法がないか模索していた。ワイは、不条理を受け入れられるほど、マッチョでもないし、自殺をするほどの勇気もない。いまのところのワイの解決策は、神様を盲信することしかできない。
自殺:まずシンプルな1つの方法として人生を終わらすということ。キルケゴールとカミュはこの方法が非現実的であるとして退けている。
盲信:不条理を超えた何か、触れられず実験的に存在が証明されていないものを信じること。しかしそれをするには理性を失くす必要がある(すなわち盲信)、とキルケゴールは言っている。カミュはこれを哲学的自殺として考えている。
不条理を受け入れる:不条理を受け入れて生きる。カミュはこの方法を推奨しているが、キルケゴールはこれを「悪魔に取り付かれた狂気」として、自殺を引き起こす可能性を論じて批判している[1]。
別に神様なんか盲信しなくても、生きていける。それは例えば順調に心理的に成長した場合だ。発達課題を克服し、欲求を順調に満たせた場合には、別に神様なんか必要なくなる。
しかし、それがどうしてもできないワイのような人間が出てくる。なぜなら、人はどうしても理屈ではわかってはいても、他人のとの比較の中で、自分の幸せを定義してしまうから。もちろんこの実験では 2 の世界だと 1 ドルの価値が低いから選んだんだろ。というツッコミもありますが..
次のどちらの世界に住みたいか、ハーバード大学の学生と職員に質問を行いました(Is mor always better? A Suvey on Positional Concerns,Jounal of Economic Behavior and Organization)
1. 自分は収入が5万ドルで他のすべての人は収入が2万5000ドルの世界
2. 自分は収入が10万ドルで他のすべての人は収入が20万ドルの世界
結果は、56%の学生が1を選びました。
だから、幸せになる人たちがいる反面、不幸になる人たちがいる。他者よりも優れていたいという、本来の生物的な欲求も満たすことは、まずできない。社会的な欲求を満たすには、人の役に立ったりするには、必ずしも優れている必要性はない。でも、他者よりも優れていないと、そういった機会は、どうしても少なくなる。
アイアムヒーローの世界には、発達課題を克服することができず、欲求を満たせない人たちに焦点が当たっている。クルスをはじめ、みんななぜこの世に生を受けたのかということ自体に疑問を抱いている人たちだ。彼らは神なった。でも、英雄は神にはならなかった。
終わり方がひどいって書いてあるけど、奇跡を起すこともできたんだと思う。誰かを生き返らせたり、あるいは敵役を殺したりして。でも、奇跡を描かないで、丁寧に現実の世界で生きている英雄を写して、徐々にワイら読み手の世界と近づけようとしている感じがした。
物語の最後の局面で誰もいない、比較されることのない世界で一人になった。なんだか急に現実に引き戻されたような気もするし、そうでないような気もする。生きることを選んだという意味において、現実の世界でクルスのように生きているワイのような読者にとって、英雄は hero なのかもしれない。
でも、決してなけなしで放り出したわけではない。ヒロイン2人から愛されたという記憶はでかいよな... それが読後感を与えている。ヒロインが登場しないでもそういった話は描けるのだろうか.. 難しいだろうなぁ。
童貞がセックス「だけ」出来ても満たされないのは当然で、AVオナホ風俗が氾濫する社会で性愛に苦悩する男が求めているのは「異性の承認」であって膣ではない
童貞を苦しめているのは性交体験の欠如ではなく、雄の自尊を構成する「自らが女に求められand/or受け入れられた」という成功体験の欠如なのだ— 脱税レイヤー風呂屋さん (@557dg4) March 27, 2018
ドストエフスキーの罪と罰でも、ソーニャがいて、ラスコーリニコフは普通になった。結局は可愛い女の子との記憶がないと楽しくないなんて、なんだか寂しい気もする...。
そういった成功体験、物語、あるいは神様と、そしてその成功体験、物語、神様を確実なものにするために、社会生活からの隔絶されて初めて、英雄は生きているのかもしれない。また、奇跡が起こって元の人のいる社会になったら、そういう辛い世界に戻ってしまう。
結局、我々は物語という神様から逃れられないのではないだろうか。でも、ある意味、生物学的に優れている人も、そういう自分は優れているという物語の中に生きているのかもしれない。その物語も、所詮は相対的なものでしかない。絶対的な基準ではない。
神様なんかいないんだ、という姿勢は、結局、俺はすごいんだぞ、という自分の物語、世界を押し付けているだけで、どこか、酷い気もする。
人間は(信じたいと)望むことを信じる。
Homines id quod volunt credunt.
逃げられないというより、作るしかないのかもしれない。自分が、いま生きている世界を。ある種の不条理、社会的な不条理は、物語を作ることによって、乗り越えることができるのだろうか。それは自分ができる範囲でということか。
クルスくらい追い詰められた人間にも希望を与えるというのは、正直かなり厳しい気がする。クルスは神様になるしかない。普通の人間ならできるだろうか。もう少し文章をまとめたい。
まったく意味不明でクソワロタが、ふと以前の「高校に漢文は不要か否か」論争を思い出した。
「不入斗」って地名の読み方を理解するには、高校漢文程度の知識は最低限いるだろ。
漢文で広がる知的世界をないがしろにするから「不要」だというのであって、
史記なんて、白文に補助訳着けて読んだら面白すぎて徹夜するぞ。
まぁ加えてラテン語も覚えると面白いよ!ウルガタ聖書とガリア戦記読むだけでもいいから。
というか、ヨーロッパ文学読んでると、ラテン語知ってると元ネタわかって楽しすぎる。
あ、ウルガタはギリシャ語の翻訳じゃないか、というならこいネーもついでに覚える
のもいいか。マタイの福音書なんてすごく稚拙にかかれているのがバレて面白いぞ。
あとはサンスクリット語かね。
バーフバリ好きだという人はサンスクリット覚えてバガヴァット・ギーター
とりあえず古典語は年取って勉強してもなかなか身につかないんで、10代、20代でなんとか
「漢文は社会で役に立たない」と切り捨てる“意識高い系”の勝ち組へ | 文春オンライン
知らないより知っていた方がよいと思う。
取り入れられたりしている。
中国語のみられ方が
変わってきてるのだと思う。
わたし想うわ
ウォーアイニー
彗星ハネムーン / ナユタン星人(cover) - Eve - YouTube
◯ いーあるふぁんくらぶ
〔れをる〕 いーあるふぁんくらぶ 〔歌ってみた〕 - YouTube
この人もそんなに文句を
言わなかったんじゃないかなと思ったりもする。
わいのような低所得は学ぶべきではない。
他に学ばないといけないことがある。
やったらよいことはたくさんある。
でも、やるべきことは他にある。
何を学ぶかは慎重にならないといけない。
この手の記事は大抵
それに引きずり回される必要はないと思う。
小学生の時、合唱団にいて、もちろんチコタン、みたいな歌も歌ったが、
今時だと宗教色が強すぎてキリスト教系の学校でもない限り難しい選曲かと思う。
ペルゴレージのはラテン語のお経、ブリテンのは、古英語とラテン語のミックスで
日本の小学生からすると文化的にものすごく遠いものであったことは確かなのだが、
小学生に刷り込まれたラテン語のお経のイメージは強烈で、振り返ってみればとても影響を受けている
なんとなくイタリアの教会とはこんな歌歌うんだなぁ、とかイギリスの教会ではこんな歌歌うんだなぁ
というのが心に刻みこまれているのだ。わからないなりに感じることがある。
その後の毎日の暮らしの中で、ラテン語のお経に触れる機会はめったにない。
でも美術館で中世ヨーロッパ関係の展示でキリスト教が主題の絵などがあったとき、
なんとなくわかるような気がして、ちょっとだけ遠い異国の人達が身近になったような気がするのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=ERqmDg8zH_w
いま小学生に歌わせるとすれば、gleeやピッチパーフェクトみたいな感じで
選ぶかなぁ
大学受験も大体終わった頃のようなので、何となく書く。筆者は以下の言語すべてが流暢という訳ではもちろんないが、まあ平均的な高校生が英語を知っている程度よりはそれぞれの言語について知っているつもりだ。ただし、大学の教師でもなければ語学で食べているわけでもないので適当に割り引いて読まれたし。
のっけから本題とずれるが、これから大学生になる人が外国語学習において力を注ぐべきなのは、英語の学習であって、第二外国語ではない。各国語(あるいは文学)を専攻しないならば、第二外国語を学ぶのは大体多くても2年くらいだろうが、授業を聴いているだけならば間違いなく卒業する頃にはすっかり忘れているだろうから、実際的には毒にも薬にもならないと言ってよい。それでも外国語を学ぶことはその使用者の文化を垣間見せてくれるし、ヨーロッパの言語であれば英語の理解を深めてくれる部分もある、かも知れない。
というわけで結論だけ先に述べれば「直感で好きなのを選べばよい(どうせたいした違いはない)」。もう少し付け加えるならば「フランス語はやや覚えることが多く、単位を落とす人がそこそこいる。英文法になじんでいる人間にとっては中国語の文法はややとっつきづらい。逆に英文法がどうも嫌いだという人は中国語にチャレンジしてみてもいいかもしれない。以上を逆にとらえるとドイツ語やスペイン語は無難な選択肢だろう」くらいだろうか。
以下各国語についてのコメント。文法:A(簡単)- D(難) 発音:A(簡単)- D(難) 実用性:A(役立つ)- D(全く無駄) で一応つけてはみたものの、印象なのであしからず。
かつては第二外国語筆頭だったろうが、学習者は減少している。大学の二外として言うのであれば、初期学習は簡単なので一番無難であると思われる。英語と同じゲルマン語に分類され、文法はまあ似ているのでそれほど違和感なく入っていける。また、発音もよく知られるようにだいたいローマ字読みであり簡単。また、日本人にとって、クーゲルシュライバー(ボールペン)などの一部の単語は(ドイツ人が理解することができない)クールで魅力的な響きをもつ。
歴史的な経緯からドイツ語が通じるのはほぼドイツだけで、ビジネスで関わるようなドイツ人であればまず英語が話せるのでドイツ語の実用性は低い。とはいえ、EUの中で最も力を持つ国ではあるし長期的に学習することを考えるのも無駄ではないだろう。
こちらもメジャーで、その意味では無難。文法でハードルになるのは、やはり動詞の活用であろう。例えば英語だとgoは三人称単数でgoesと活用する。フランス語の場合、{単数、複数} x {1,2,3人称}の6パターンの活用をするのが普通で、さらに現在形、過去形、etcと6種類ずつ活用を覚えることになるので英語やドイツ語に比べると暗記が必要な部分は増える。二外としてみる場合、大してモチベーションもないのにこれを暗記するのが大変という場合が往々にして起こりえて、単位を落としやすいように見える。
発音については、英語ほどスペルとの対応が不規則ではないと言われるが、発音しないのに表記される文字が多く初学者にとっつきにくいものである。またこれが上の動詞の活用のスペルを覚えにくくするものでもある。
以上の点から、二外として単位を取るだけならばあまりオススメはできない気がする。ドイツ語に対して利点があるとすれば女の子が多そうなイメージがあるくらいだろうか。ただ、ある程度学習が進むと上で書いた文法や発音の困難はたいした問題ではなくなる。また、歴史的経緯から英語の語彙は(同じゲルマン語である)ドイツ語よりもフランス語との方が共通点が多いので、英語が十分できる人間にとっては、入門を果たした後ある程度読めるようになるための労力はドイツ語より少なくて済む。
実用性という点では、アフリカに植民地がたくさんあった関係上アフリカで多く使われるため国際協力云々といった仕事に興味がある人にはフランス語の知識は有利に働く。
いろいろな問題を抱えつつもとにかく巨大かつ成長中の国で、さらに地理的なこともあって学習者は増えているようだ。
まず、発音が難しい(厳密に言えばどの言語も難しいだろうが)。よってリスニングが難しいので単位取得にはマイナスかもしれないが、逆にだからこそ授業でとるべき言語とも言えるかもしれない。文法についてはひとことで説明するのは難しいのだが、なんと言っても全く活用しない(=漢字は形を変えない)ので英語と同じノリで文法を理解しようとするとなかなか腑に落ちない。原因をいくつか挙げると、一つの文字がいろんな品詞で使われることや「目的語」の概念が英語と若干違った意味で使われるといったところだろうか。また、文法のルールが複雑というよりもどのルールをどこで使えばいいのかがよくわからないという難しさがある。
こういう難点はあるものの、暗記するのはまあ文字くらいで、日本人にとっては文字を習得する苦労があまりないので二外の単位取得くらいだったら一番労力が少なくて済む(かも)という面もある。ある程度要領が良い人で、外国語の勉強をしたくない、というひとには選択肢に入るだろう。
実用性という意味では、もちろんペラペラになればそれなりに重宝されるだろうが(ただし英語もできるという前提で)、そこまで行くのはまあ大変だろう。日本語ができる中国人は大量にいるので、ちょっとやそっと中国語ができても、それだけではあまり使い道がない(と言われている)というのは留意すべきか。
文法の複雑さという意味ではフランス語と似たり寄ったり(どちらもロマンス語に分類される)。ただし、発音がおおむねローマ字読みでありその分暗記はしやすいように感じる。二外としては大きな困難がない言語であると思う。実用性からみても、話者の多い言語でありそれなりに有望だろうが、下手にスペイン語ができるからといってメキシコで働くことになったりするのは怖いかもしれない。
スペイン語も読めるようになるまでは英語の知識が役に立つが、おそらく難しいのは聞いて話すことで、一般に早口で話されるので実際に会話できるようになるまでに必要な労力はどの言語でも変わらないなあ、と感じる。
ちなみあまり二外の選択肢にない気がするがイタリア語も同じロマンス語であり、スペイン人とイタリア人は場合によってはそれぞれがそれぞれの国の言葉で話して理解できるようである(ポルトガル語の方がスペイン語に近いらしい)。少し勉強しただけの印象だとイタリア語の方が文法も発音も少しルールが複雑である。それよりも大きな違いはイタリア語は特定の分野をのぞけば実用性があるとは言えないという点だろう。もっとも、プロとして高い能力を持った人も少ないらしいので全く仕事につかえないという訳ではないだろうが。
実用性は近いからなんとなくドイツ語単品よりは仕事ありそう(ただし地理的に限定される。北海道とか新潟とか)、というくらい(あくまで印象です)。
まず文字が違うのでそれを覚える苦労があり、発音も難しく、文法も複雑である。語学に時間を割きたくない人にはお勧めしない。二外としての利点を挙げると、大体少人数の全学部合同クラスなので、知り合いの幅が広がって楽しそうだった、という風に記憶している。難しい言語ではあるが、その分授業も緩くすすむ場合が多く、選択者の評判はおおむね良好だった。
個人的にはドイツ語とフランス語の後に学習した方が諸々楽な気がするので、二外としてはやはりオススメではない。ただ、ロシアという国に何となくロマンを感じる人は適当に勉強してみるのはオススメしたい。
古典語について個人的印象。括弧は実際問題発音しないので...
ラテン語。文法:C- 発音: (A) 実用性:C- (ヨーロッパ言語の文法的特徴について見通しをつけるのに役立つ気がする)
古典ギリシア語。文法:D 発音:(B) 実用性:D (特定の目的があるなら別ですが)
くどいようだが、(少なくともほとんどの人にとって)なんといっても英語の勉強をする方が先決だ。日本人が中高大と英語を勉強しても話せないのは教育が云々といっていろいろな試みがなされているが、第一の原因は勉強不足である。そもそもセンター試験で安定して9割くらいとれないのであれば高校までの勉強が不足しているし、話せるようになるにはセンター9割からさらにそれなりの努力が必要だ。日本人のほとんどはセンター9割*に達していないうえに、大学に入ると勉強を止めてしまう。これでは「中高大で英語を学んだ」とは到底言えないだろう。(*あくまで一例。要は高校までの学習内容をきちんと身につけているかということ)
また、機械翻訳が発達して語学力はいらなくなるという意見もあるかもしれないが、すくなくとも10年以内に(話を英語に限ったとしても)英語を全く理解せずに英語話者と口頭でコミュニケーションがとれるようになることはないだろう。先のことはわからないとはいえ、機械翻訳の発達を強調して語学学習の無意味を説く人はノストラダムスの予言を当てにして何の努力もせずともよいと言っていた人(いるかは知らんが)と大差ない。ただし、コストパフォーマンスの面から翻訳が金にならなくなっているのは既に事実であり外国語で食っていくのはコンスタントに難しくなっていくというのも正しいだろう。自分は「英語はただのツールなんだから必要になればすぐに身に付く」という言説は全くの嘘だと思っているが、そうはいっても金になる技術を身につけるのはそれはそれで重要であるのも事実で、英語だけできても仕事がないというのはある程度正しい。同時に、別に誰もが英語をぺらぺらになる必要もない訳で、「英語が先決」と書いたのはあくまで外国語学習という範疇に限れば優先すべきは英語であるという意味なので、自分の時間配分の優先度を考えた上で外国語学習をしてほしい。