はてなキーワード: ペーストとは
なんでitunesってあんな使いにくいのか。
WindowsPC&Androidスマホ&Kindle使いなんだけども(過去iPod所持)。
お下がりでipad2を貰った(相手が私とfacetimeしたかったらしい)。
PCには一度接続したきりで、音楽やブックはipadで直接購入していた(家族共有してたこともあって)。
ある時、ibooks内のブックがKindle端末で読める裏技を知り、2度目のPC接続。
まず、同期がやたら長いし終わらんし。なんでフォルダ開いて直接ポイッとペーストさせてくんないのかな。
後、やたらitunesってアップデートするのはなぜ?その度に使い方が分からなくなるのよ。
これが嫌でiPodも捨てた。
お下がり貰って文句言うなよって感じだけど、くれた相手はapple信者。
だから私がipadからfacetimeかけると全デバイスが鳴るらしい。
icloudを使えば同期も簡単らしいんだけど、ipadしか持ってなかったらクラウドもどーでもいいんだわ。
apple使いにとっては私がいい加減すぎるだろって話なんだろうけど、なんかしょうに合わないんだな。
大学四回生の夏、下宿の扉に「出入禁止」とチョークで大書し、親を呼ばれて精神病院に連れて行かれた。
パソコンを買ってもらったのは小学三年生の冬だった。今でも覚えている。1996年12月2日のことだ。Windows95発売で世間は揺れていた。インターネット回線がうちに来たのは翌97年の1月、これはそこそこ早い導入だったと思う。さらに翌々年の99年にはケーブルテレビで常時接続になった。親には先見の明があったが、しかしパソコンには詳しくなかった。PC-8001も確かそうだ。親はこれが次世代の必需品になると確信して買っていたが、買った一方で使い道が分からなくてオブジェとして放置していた。親はPC-8001をパソコンだと言っていたけれど、僕にとってパソコンはおっきなテレビが標準で付属しているものだったし、マウスもなかったので、それがパソコンだとは到底思えなかった。でも親は言った。今度来るのは違うんだ、オフィスも入っているパソコンなんだ。僕は聞いた。一太郎っていうやつは入ってないの?テレビで言ってたよ、と。親は答えた。オフィスってのは一太郎より機能がスゴイんだよ。僕はへぇ、とだけ言った。どちらにせよペイントは入っているだろう。ペイントなら親戚の家で使わせてもらったことがある。パソコンはお絵かきができるのだ。マウスをカチカチして、キーボードをカチャカチャするのだけが楽しみで、納品の日を一週間ひたすら待った。その頃、漢字の宿題提出が滞っていて、そのままでは居残りでさせられることになっていた。僕は久々に奮起した。いつもは踏み倒していた宿題を、全部一気に終わらせた。家に帰るとパソコンが電気屋さんの手で設置されつつあった。今は亡き、ニノミヤで買われたパソコンであった。
97年にインターネットを始めた。一日一時間まで。実のところ電話代の問題ではなく、一時間ほど使うとブルースクリーンが発生するからだった。一日一時間以上動かすと壊れるから。PC-8001をキッチリ買った親なのに、それぐらいの(?)ITリテラシーであった。ただ別にそれを責めるつもりはない。僕はすぐにアングラサイトに入り浸った。人に飢えていたのだ。普通のチャットには人がいない。テレホタイムにならないと、誰一人ログイン氏亡いのだ。でも、アングラサイトなら四六時中書き込みがある。僕は思う存分厨房行為を楽しんだ。煽り騙りなんかは、小学生がやっても大人がやっても大して変わらないものだ。You is a big fool manという文句をリアルタイムで目にした人は、多くても数百人だっただろう。何千、何万のツイッタラーが押し寄せ、ブクマが1000以上付くような今の炎上とはほど遠い暢気さだ。当時の匿名掲示板とはそういうものだった。誰一人本気で投稿しなかったし、しかし誰一人面白くない書き込みをしようとはしなかった。トイレでもネタを考え、思いつけばすぐに投稿し、ワラタが付くのを待ち続ける。あやしい、あめぞう、あやしい、2ch。人の多いところから人の多いところへ。ワラタが多くもらえる場所へ。気づいたらインパクが終わっていた。
その一方で僕は中高一貫の私立校に入学していた。高校受験がないことから、ネット依存はさらに加速した。しかし2000年を境にアングラ掲示板は衰退の一途をたどり、2ch一強時代を迎えていた。1ch.tvをボコったりするなど楽しいネタがないわけではなかったが、匿名掲示板はネタの宝庫と言うより、本気でちゃんと議論することもできる場所になり始めていた。ちゃんと議論しようとしたらすぐさま崩しにかかるのが2ch隆盛以前の匿名掲示板文化であったが、2003年頃を境にはっきりと潮目が変わっていったように思う。まあその辺はどうでもいい。アングラと非アングラの境目は消え始めていた。
その狭間に、僕は生きていた。
自分で掲示板を設置することにした。けれども何をして良いのか分からない。CGIレスキューに救援要請をして本も買った。Perlだ。Perlしかない。しかしPerlがどうして動いているのかは、全く分からなかった。何十行、何百行もの文字の羅列が、どこでどうなって、掲示板になるのか。インタプリタ?コンパイラ?訳が分からない。そもそもCPUがどうやって動いているのかも分からない。僕にとってプログラムとは、セットアップウィザードでCD-ROMをギュンギュン言わせながらインストールするものであって、掲示板というものは、Teacupで借りるものだったからだ。でもどうやらそうじゃないらしい。コンピューターに翻訳するのがコンパイラです。さっそくコンパイラを使ってみましょう……
お手上げだった。
コンパイラがないのだ。コマンドプロンプトにはない。Linuxを入れる?使い方が分からない。Vine Linuxが初心者にお勧めだった頃の話だ。ボケッとしててもGNomeぐらいは動かせる程度には簡単になっていたが、そこからターミナルを開いてgccでコンパイルするなんて想像も付かないことだった。Hello, Worldはなんとか表示できても、それをGUIで動かす方法が分からない。僕はデスクトップに「Hello, World」のポップアップウインドウを表示させたかったのに。全然訳が分からなかった。
プログラムが動いている方法を知らなければならない。プログラミングを学ばなければいけない。しかし全体像を把握するにはあまりにもほど遠い……。絶望感が支配し始めていた。Hello, Worldはできたけれど、その先が全くわからない。どの参考書を読んでも分からない。ググってもググっても分からない。ポインタで躓く初心者が多いです!……どの本にも書いてあったけれど、僕はポインタどころか、変数の種類がたくさんあるところでお手上げだった。int?char?long???意味不明の文字列が並び続ける。メモリ?メモリって、挿したらいいんじゃないの?確保?fopen????どんなプログラミング言語も、何一つ分からなかった。その頃インターネットは加速し始めていた。切るのが当たり前だったJavascriptが復権し、Ajaxと名を変えてやってきた。掲示板スクリプトもどんどん高機能化し、もはやPerlを知るだけでは何一つできないようになってしまった。苦痛の日々が始まった。どの言語も、全く分からなかった。分からなければならないという焦りが募っていった。
あるとき、一年間ほど、とりあえずお手上げのままにしておくことにした。大学受験が迫ってきたからだった。そして案外あっけなくそれは終わった。僕は某大学の情報科学科に入った。
教授がガイダンスで説明したとおり、情報科学科のプログラミング演習はそれほど多いものではなかった。一回生の時なんか、キーボードを目で追って人差し指で打っている人もいるぐらいだった。学校の授業はアテにならない。そして大学受験でいったん引っ込んだ、とにかく十代でなにかしないと、という焦りが復活してきた。
大学のキャンパスは広すぎた。何をして良いのか全く分からなかった。授業内容はひどくつまらなく、何が役に立つのかも分からず、ただただ苦痛で、キャンパスでサークル活動に打ち込んで楽しく過ごせるほど社交的ではなく、かといってオタク集団に混じる勇気も無く、とにかく、とにかくここで四年間、四年間で何かしないと、何かしないと就職に間に合わない、大学院進学に間に合わない、十代のうちに何か大きな事を成し遂げなければならない。日々研鑽に励み、日々プログラミングスキルを磨き、日々勉強会に参加し、日々コードを書き、日々環境設定をし、日々本を読み、そして日々コードを美しく書かなければならない、そういう焦りだけがどんどん加速していった。大学の生協で片っ端からプログラミングの本を買った。ド初心者向けのPerl本から、美しいコードは何か、みたいな本まで。でも、どれ一つ、僕のスキル向上には役に立たなかった。プログラミングスキルの向上=自分自身の地位=生活の保障、と思っていた自分には、悪夢のような現実だった。
とにかくインターネットと一緒に歩んできた僕にとって、ITスキルはすなわち力であり、むしろITスキル以外は何の価値も持たないもの、と思えるほど脅迫的な観念にとらわれていた。入ってくる情報はさらに増えていった。Cができるのは当たり前、Ruby on Railsがアツい、Java、PHPはもちろんできるよね、MySQLは当然使えるよね、もちろんHaskell、Scheme、Objective-Cもやらなきゃね……何一つできないのに、習得すべき言語だけがどんどん増えていく。加えて美しいコードを書け!という文句が飛んでくる。クソッタレが。何が美しいコードじゃ。goto使ってもいいだろ。好きなだけ使わせろクソッタレが。全部getsで書いてやる。クソが。アルゴリズムアルゴリズム勉強会勉強会ビューティフルコードMacMacMacジョブズジョブズジョブズ……???????????????
それでもなんとか、そう、なんとかなった。友達が優秀だったのだ。僕には到底できないような、きれいに整理されたコードを書く人だった。聞けば在学中から外注のプログラマをやっていて、それなりに稼いでいたのだという。性格はちょっとアレで、風俗に勇気を出して行こうかどうしようか迷ったけどその金でオナホ買ってシコってオナホを床に叩きつけたみたいなヤツだったけれど、そいつからもらったコードを、わざと汚く成形し、変数名も汚らしくし、提出し、なんとかなった。結局自分で最初から最後までプログラムを作ることはできなかった。丸々コピペはしなかったけれど、コピペがなければ卒業は無理だっただろう。
そうして三回生の終わり、試験がどっと押し寄せてきた。一月のことだった。機械学習と……なんだっけ?そういう感じの試験が、2月の初日、行われることになった。三回生はただでさえ試験が多かったが、その大トリこそが機械学習だったのだ。
まるで意味が分からなかった。推論、それは分かる、機械学習?機械に学習??やっていることは数式だしベイズがどうの……まるで分からない。泣きそうだった。三年間必死こいて勉強したり勉強会に行ったりプログラミングスキルを上げようとしたり本を読んだり色々したのに、何一つ得るものは無かったのだ。僕はあやしいわーるどでオマンコ連呼していた頃から、何一つ成長出来なかったのだ。そしてそれは、間違いなく、疑いようがなく、自分のせいだった。自分の頭が悪いせいで。自分の勉強不足のせいで。自分のせいで……コンピュータとともに、十何年も育っていた僕にとって、コンピュータに関するスキルこそが、全ての力の基準だったのに、その全てを否定されたような気持ちだった。プログラミングができなければ、死ぬ。だって、友達はみんな就職して、SEになったりSIerで働いたりネットワーク管理者になったりしてるのに、僕はなんで、こんなところに。そいつらに取り残されるのに。みんな勉強会に出てMacを持ち寄ってハッカソンしてるのに。泊まり込みでプログラミングしたりしてるのに。なんで僕は、fgetsすらマトモに使えず、getsとscanfだけであなたの名前を入力してください オマンコ オマンコさん、こんにちは!みたいなプログラムしか書けないんだ。
大学四回生になった。研究室を選択する必要があったがしなかった。しないでは困るとのことで、適当に書いたらその一番上に配属された。でも一切研究せず、下宿に引きこもって何もしないをした。今日の輪講はここまで進みました!という報告が毎週回ってくるが、まるで研究室では日本語でなくアラビア語が公用語になっているのではないかと思えるぐらいの光景だった。この頃、近所の人の証言によれば、言動がおかしく、訪ねてきた人に暴言で返し、殺す殺すなどの声が聞こえ、時折モノを投げつける音が聞こえたりしたそうだ。まあよく知らない。僕は普通に何もせずぼんやりネットを見ていただけのような気がするけど。
それからしばらく経った。
結局僕は中退した。そして別の大学に入り直した。今度は、工学じゃない別の場所に。みんなキーボードの文字を読みながら指先でキーを叩いている。安心する光景だった。僕らはプログラミングを習わなくてもいい。これから習う必要も無い。タッチタイピングだって、できるに超したことはないだろうけど、できなくてもいい。ただ、そこにある便利なモノを使えば良いだけなのだ。Chromeを使っていて、うっかり開発者向けコンソールを開いてしまっても、何も分からなかったことにして閉じて良いのだ。きっとマクロを書けば、楽ちんに勝手にやってくれるような作業を、人の手で何度もやる。それでいいんだ。マクロを考えるために必死になる必要なんか無い。マウスで右クリック、コピー、ペースト。それでいいのだ。キーバインドすら覚えなくて良い。メモ帳を使ってもいい。viやEmacsのキーバインドを覚えなくてもいい。マウスも使えないようなエディタと格闘する必要は無い。Macを買っても、XCodeやportsを入れる必要は無い。iTunesでiPhoneを同期させて、音楽を聴くだけでいいんだ。
僕はもうプログラミングしないでいいんだ。
それが分かったとき、全てから解放されたような気がした。僕を苦しめ続けたプログラミングというものは消えてなくなった。パソコンでやる作業は、昔と一緒、匿名掲示板にオマンコと書き込むだけだ。それ以上のことをしなくてもいいんだ。勉強会に出てハッカソンする必要は無いんだ。プログラミングスキルを錬磨しないと死ぬなんてのはウソだったんだ。美しいコードを書かないと天罰が下るというのはウソだったんだ。毎日毎日はてブのホッテントリを見てると、プログラミングでマスターしなければならないこと、何何する方法、開発者必須スキル、便利ツール、Macでのアプリ開発、セキュリティ、通信、データベース、勉強会、ハッカソン、そういうもので溢れている。苦しくないのか不思議で仕方ない。もちろんプログラミングをしていて楽しい人もいるんだろう。けれど、僕みたいに、プログラミングという行為が苦痛で苦痛で苦痛でしかない人もいる。たとえ1000回の同じ操作でも、人力でやる方がマクロを書くよりも楽だという人も、ここに存在するのだ。そしてそのような人の存在も当たり前に肯定されるのだ。みんな苦しまなくて良いんだ。誰かが勝手にやってくれればいい。できる人にお金を渡して、僕らはそれを享受するだけで良いのだ。ここでプログラミングという言葉を連呼したけれど、コーディングという言葉との違いとか、そういうのを気にするような人とおつきあいする必要は無いのだ。いずれプログラミングは必須スキルになるとか言われて何年も何年も苦しみ続けてきた。けれど、そんなことをする必要は無いんだ。
それでぶっちゃけここからが本番なんだが、十代でなんとかしないと、という焦りはこないだの青木君の小四なりすましの話に似ている。僕もそうだった。僕らの世代だと登大遊氏なんかが結構輝いてて、ああいう感じにならなきゃ、と思っていた節はある。十代の時になにか成し遂げないといけない、そのためには誰かに認めてもらわなければならないという焦りは、どれくらいの「大人」に理解してもらえることなのだろうか?誰かの承認を得たいという承認欲求を、同じ世代の誰かを使って満たすことができず、むしろ同じ世代の誰かを一緒に引き連れて、承認欲求を満たしてくれる「教祖」にすがりつく。NPOの大学生が「承認」を欲し、政治家が「承認」を与えているのだ。AO入試用の作文?図?みたいなものも見かけたが、「私はリーダーシップがあります!」とか実にくだらないことしか書いていない。しかしそういうものでさえ、学生団体とやらは「承認」してくれる。結局、オウム真理教が丸ごと開けたポジションに、バラックが建ち並び闇市が行われていて、コミュニケーションで自然と得られるはずの承認欲求が、法外な札束で取引されている、そんな感じのような気がする。
意外にブクマが増えていた。PC-8001は俺が産まれる前に買われたもので、ずっとオブジェだったのだ。動くかどうかもわからない。テレビに接続するコードがなかったから。
店員の薦めるままに私はそれをバケットに塗って口に放り込んだ。 濃厚な味わいが広がり、それでいて後に残るのはさっぱりとしたさわやかな香りで、しつこさを感じさせない。
私の人生はもう半分を折り返して新しいことなどそうそうなく残りの退屈な人生を送るものだと思っていたが、まだこんな出会いが残っていたのかと歓喜の気持ちが抑えられなかった。 今の私の顔はきっとひどく緩んでいることだろう。 うまい食事は人生を豊かにしてくれる。
「これはいったい何なんだ?」
当然の疑問だ。 今まで食べたことのある味とはかけ離れていて、肉とも魚とも野菜ともつかぬ。 類推することさえ許さぬ珍奇さである。
一瞬、店員の言葉が理解できなかった。 まさかここで出てくるとは思わない単語だったからだ。
しかし、数秒の後、ゆっくりと言葉が私の頭に浸透してくると、これほど珍奇な味わいであればそういうこともあるのかもしれないと思えてきた。
「ははっ。 驚きましたか。 まあ今ではガンダムを手に入れるのは難しいですからね。 ペーストにするなんて贅沢なことをしてる店はきっと世界でここだけですよ」
ん? 今年の話だと思ってんのか?
http://anond.hatelabo.jp/20140705003923
本来ならばこの7に書く話だったんだよ。
8自体は昨年の、確か七月末か八月頭くらいの話だな、日付までははっきり覚えてないが
書き込んだ時は、こいつ後回しにして正解だったな、全国的にもタイムリーな話題になったし、と思ったもんだけど
そこまでは書かなかったし、タイムリーなエピソードでもあったから、今年の話だと思うのも無理はないがな
日記日記連呼してたし、素直にその日確実にあった事だけを書き綴ってくれるものだと思ったのかな、素直な子だ
あと、非常に申し訳ないんだが、大祓詞はネットから拾ってきたコピペなんだが……。
検索候補の二番目だか三番目から拾ってきただけのコピー&ペーストだ。疑うならば調べてみるといい。
流石に全文とか電子データでわざわざ管理してる神主とかいないんじゃないのか。そもそもあれ暗記するものだし。
ちなみに百巻というのも、その時用意するべき字数的(何万字)に丁度良かったからってだけだから。
まあ何だ。色々と乙だな、迷探偵さん。
スパゲティ 300g
オリーブオイル 大さじ5
ニンニク 2かけ みじん切り
鷹の爪 2本 種を取る
塩 少々
コショウ 少々
フライパンにオリーブオイルを入れてニンニクを入れ弱火にかける。
スパゲティを鍋で茹で始める。
アンチョビがしゅわしゅわしだして臭みがとんだら鷹の爪を入れる。
オリーブを入れる。
トマト缶もしくは白ワインを入れ中火にあげる。白ワインの場合は一沸かししてアルコールをとばす。
ミニトマトを入れる。
火が通ってきたらスパゲティの茹で汁をお玉1、2杯入れる。
全力でフライパンを揺らしながらかき混ぜて、水分と油分が混じるようにする。
塩、コショウで味の調整。やや薄味で。
麺が7分ほど茹でてアルデンテより一歩前のところになったらザルに上げ迅速にフライパンに入れて絡める。
お皿に移したらオリーブオイルをちょっとかけて、好みでチーズをたっぷり振って食べる。
http://anond.hatelabo.jp/20140314233406
論文でコピー&ペーストをしてしまったのは、学部時代からレポートにおいてコピペが常態化していたからという話を聞いて、ではなぜレポートにコピペが蔓延するのか原因を自分の経験を基にして考えてみた。
実験や課題に対して自分の力のみで手法や解法を毎回ひねり出すのは非常に大変なことである。しかも、それが成績に直結するのであれば尚悩ましい。簡易的なレポートであればその作成手順は下のようなプロセスになるだろうか。
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一定の結果を出力し、見直しを行う
他者に頼らないなら、問題解決の基礎は自分の力と文献のみとなるはず。しかし、自分の調査能力や思考能力のみにより、それを採点する側から見て理想的な結果を常に出すことは難しい。自力では想定し得ない領域を減らすために、他者(自分と同じことをしている学生)の力を借りる=相談することは珍しくないだろう
弊害となってくるのは、この他者が現在進行形で問題解決に取り組んでいる人間ではなく過去に行った人間、即ち過去のレポートであった時である。過去のレポートには自分の行為によるフィードバックは無い。また、それは多くの場合何度も多数の学生により推敲されているため完成度の高いものであることが多い。時に誤字脱字や誤答が混じっていることもあるが、それはまだ経過が浅いものであるか、時たま出てくる例外である。
自分で解決する以上の完成度を持つレポートはどのような形で"参考"にしたところで、最終的に自分の解がそれに近づくことを助長するだけである。特に必修範囲の実験レポートのようなものは提起から結論までの道筋が既に決まっている。従って、付け加えることができる領域はとても狭い。理想形が存在し、それが眼前にありながら自分の意思で離れることがどうしてできるだろうか。
提出物に正確な解答が存在しそれと比較して成績が付けられる以上、成績=レポート完成度向上に全力を尽くすのであれば、過去のレポートのコピペこそが最善の手段であることは明らかである。しかも、大学によってレポートの量は半端ではない。時には1日に複数あり、1つあたりの質も問題となる。それに対して毎回プロセスを踏みながら満足な結果を出せない。学生は自身の意思で自分のレポートをよりよいものにするために不正を行っていく。
採点員がコピペレポートに高評価を付ければ、自身の能力向上に繋がっていないことを半ば承知で、その学生の丸写しはさらに加速していくだろう。
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コピペをなくす方法は困難であるが簡単である。レポートを出させる講義の内容を毎年変える、もしくは提起する問題を変えばいいのだ。
そうすれば過去のレポートは無用となる。新聞のスクラップ化しところどころ同じような課題が出てくることもあり一定の有用性は残るだろうが、この時点で全てを写されることは免れ、新たな、または変形した課題に対しては学生自身の応用能力にその解決は委ねられる。
大学生自身に解決を求めることはできない。中身は年ごとに異なるし、コピペへの問題意識の徹底しても成績採点をしている以上より高い点数を求める心理をなくすことはできないため、過去の高完成度レポートの流通を食い止めることにはならない。せいぜい、情報格差が生まれてくる程度である(こちらも別の意味で問題である)。
また、減らすという意味ではコピペを行う意義を減らすために、レポートそのものの数を減らすことも有用である。1つのレポートに熟考できない、していられない環境下においてコピペは省力化という方向で意義がある。使わなくとも平均的学生が注力し続けていれば全てを解決できる程度の分量であれば、自然と不正は減っていくかもしれない。
私自身の経験として、コピペを行ったことは実験レポートにおいては無い。これは1週間に1本しか提出が求められていなかったこと締切が教員によっては緩かったこと、私に同じ学科の先輩のつてがなかったからであろう。私の大学では学部時代の実験では試行のためのコマ以外に記入のためのコマが設けられており、レポートの書き方を一から教えてくれる教員もいたこともコピペを行わなかった一因である。
必修の力学関連においてはしたことがあるが、これは文字通り毎年大量の同じ課題に出され続けており、正に早稲田大学内部と同様の状態にあったためである。その講義の担当教員は試験においてしなければいい程度の認識で、阻もうとしていなかった。
丸写しがいいことでないのは確かである。既に卒業した身としては、学生に解決を求めるよりそれを助長しがちなシステムの方にメスを入れた方がいいと考えている。
アットホームどころか、俺にとってはここが家なわけだが。
まあそこは本題じゃない。
業界の風向き次第で吹けば飛ぶような我が社だが、去年ついに東大卒を採用した。
幹部候補生としてしっかり育てようとか、俺も東大生を顎で使えるようになったかとか、
年甲斐もなくわくわくしていたのだが、こいつがどうしようもなく使えない。
仕事は雑だしやり方を教えても覚えないし、むしろ我流の効率の悪い方法を押し通そうとする。
とにかく気位が高い。
そのくせ地頭もとりわけいいというわけではない。
もちろん東大に入っておきながら民間企業に落ちてくるような人材なんて、相対的に落ちこぼれであるとは分かっていたが。
最低限、最難関入試を突破するだけの要領の良さは持っているはずではないのだろうか。
だが俺は東大ブランドのまばゆさに目をくらませて、持ち前の鼻の良さを活かしきれなかった。
「ベンチャーに魅力を感じる」という見え見えのおべっかを真に受けてしまった。
自分の心の深い所に根強く残っていた学歴コンプレックスが払拭されたように感じた。
こいつ一人のために社内(というよりチーム)の空気は乱れ業務に支障をきたすようになってきた。
今ならなんとか取り返せる。
なんとか自己都合で退職してもらえないものかと、胃をキリキリさせている毎日だ。
お前のことだよお前の。
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うちの部署に入れる新しい業務システムの構築の担当になって、昨日から打合せが始まった。今までエクセルで管理してたものが多くて結構表組みで管理したいものがたくさんあったから、そういう要望を業者に伝えたら「いや~、、ハハハ・・(だったら今まで通りエクセルでやれば?)」みたいな反応。例えばフィルターとか超使ってるし、タブをドンドン増やしてハイパーリンクでつないで元データから引っ張ってきて計算して表組みを作成するとかいつもやってるような作業が新システムだと厳しい(=できないor莫大な時間と金がかかる)らしい・・。帳票は固定になりますね、帳票増やすと増やした分だけ金かかります、みたいな感じ。いちばんビビったのがコピーペーストができないって言われたこと。列ごとコピーしてデータ貼り付けて表作るっていう単純なことが、何百万だか払って作るシステムではできないとか・・。(CSVで保存してアップロードしてくださいとかなんとか言ってたけどそんなことしてられっか!みたいな・・・)なんかいきなりやる気なくなってるんですけどこの先大丈夫かな・・。
お前のサイトにアクセス解析導入してて、そいつのアクセスの形跡を調べられるか?出来るなら、アクセス制限かければいいよ。.htaccessでググれ。
あとは、コピー・ペーストでパクれないように、右クリック禁止用のJavascriptを入れるとか、透過画像を上にかぶせる(CSSで出来る)などが考えられる。そんなに手間じゃないし、おそらくパクリ元もいちいち手入力してないだろうから、防げると思う。
Google関係についてはウェブマスターツールから申告できたはず(違ったらごめん)。検索順位は変えられない(なぜなら、言いがかりをつけてライバルサイトを落とそうと企む奴が出るので)が、お前さんのサイトをコピー出来ないなら、情報量も減って順位も下がるだろう。