はてなキーワード: フリーターとは
多分アーカイブ取られた時期違うやつ見てるな…
フリーターと無職は別にいいと思うんだ。無職が鼻につくのは引退して悠々自適な奴が誇らしげに無職とか書くやつね。年金生活者ってののくささとおんなじの。
女性労働者と母、妻、と3人男児の母と娘二人、母親の介護生活は猛烈に思想を感じるというか「作ってんな~」という気持ちになる。
こういうときにクィアて。同列のゲイとかレズとかバイとか女好きとかを肩書に書かんでしょこの趣旨の文書に。
76才はなんですかね…
私は父が大嫌いでした。
末っ子の私は末っ子あるあるなのか、あまり幼少期の写真もなく、家族で旅行に行ったのもベビーカーで東京ディズニーランドに行ったのが最後だった。シンデレラ城の前で撮った古びた写真を見せられ、ほらみんなでディズニーランドに行ったんだよ。なんて母に言われても覚えているわけもなく、羨ましいという気持ちが膨らむばかりでした。
誕生日ひとつとっても、兄達は母手作りのアンパンマンのケーキと一緒に写った写真も残っていてズルい。私の誕生日なんて写真どころかケーキがないことだってあった。それも全部、父が悪い。父がギャンブル好きで借金まみれなのが悪いのだ、と思っていました。休みの日は寝るかパチンコか競艇か。たまに家族サービスをしてくれることもありますがそれは稀なことでした。
そんなこんなで家計は火の車なので私が小学校中学年の頃から母は働きに出るようになりました。最初は日中働いていた母も、稼ぎが足らずホテルの厨房の夜パート、更にスナックと職を変えていきます。父も泊まりや一日仕事が多かったので兄妹だけで夜を過ごすことも多くなりました。それに比例するように両親の喧嘩が増えていきます。何度も母の携帯を逆パカ(死語)して破壊したり、服を切ったり、暴力を振るったり、果ては首を絞めて兄妹で警察を呼んだこともありました。祖父母の家から電車で1時間以上かけて小学校に通うことも何度もありました。
なんで離婚しないのかと兄妹で何度も言いましたが、ひとり親で兄妹5人も育てられる福祉のサポートも無く、余裕がないから我慢するしかないと言われ続けました。
そうして半引きこもりになった私は高校受験の時を迎えていました。レベルを下げまくった公立高校すら内申点の悪さで落ち、さらに下の公立の二次募集も落ちました。父からは私立にやる金なんて無いと言われ、もう中卒で生きてくからいいわ!と喧嘩していたところを母の説得で私立に進学することに。(兄は私立に行ったのになんで私は駄目なのかという思いもありました)
そして在学中のバイト代は完全母管理。バイト代を自身のお小遣い代としているバイト仲間が羨ましくなることもありました。若かったので。
やってきました修学旅行。私立あるあるなのか、私達の旅行先は海外でした。授業でも楽しくどこを観光するか話し合っているうちに班長に決まり、ワクワクは最高潮。ですが、修学旅行の積み立てを崩し、父が遣いこんでいたことが発覚しました。
ひととおり泣いて暴れた後に全てを諦めました。もう行けないんだ、どうでもいいやと。母が知り合いからお金を借り、行けるようにしてくれましたがそんなお金で行くのも嫌でした。行かせようとする母と行かない私で揉めに揉め、結局無理矢理タクシーに乗せられた私は集合場所に遅刻して現れました。こんな話出来るわけもないので、寝坊して迷惑をかけてごめんなさいと謝り普通の顔をして修学旅行に参加しました。先生とも一悶着ありましたがいい思い出になりました。
その後も両親の喧嘩は何度もありましたがそれもいつも通り。出席日数は足りてないはずでしたが先生方の温情で無事に卒業の日が来ます。奨学金も借りられず、高卒フリーターになりました。成人式の振袖ももちろんお金がなかったので諦めていましたが、小学生の頃に亡くなった祖母が私の為に着物屋さんにお金を掛けてくれていたので素敵な振袖を買うことができました。本当に祖母には感謝しかないのです。
なんやかんやで父も年を取り、それにつれ性格が丸くなりました。仕事に行かなくなってからは毎朝のように私を職場に送ってくれました。両親と私でいきなり日帰りで温泉に行くこともありました。父が私にたくさん話しかけてくるようになりました。ですが返事だけで会話をすることはほとんどありませんでした。どうやって接していいかもわからないし、今までのことを無かったことにされるのも嫌だった。だから冷たくするくらいが丁度いいと思っていました。
今は誰も住んでいない祖父母の家に家族が集まりました。夜は皆で近くの焼肉屋さんで食べて、父は発泡酒ではなく、大好きなビールをしこたま飲んでそれはご機嫌でした。祖父母の家に着くと一足先に父は横になりました。たまに母に水を持ってくるように頼んでいましたが、私達兄妹はそんな父を気にすることなく、リビングで兄妹水いらずでテーブルゲームをして遊んでいました。すると、父が急に雄叫びのような大きな声をあげました。その時に、相変わらず寝言がうるさいなぁなんて言わずに、確認をしに行けば良かったと後悔しています。
30分後、気づいた時には父は動脈破裂で亡くなっていました。
父がまさか亡くなるなんて。晴天の霹靂でした。思春期の頃は死ねばいいのにと何度も思っていましたが、本当に死ぬとは思っていませんでした。憎まれっ子は世に憚ると思っていたんです。どうせ母のが先に亡くなるだろうから老後の面倒見るの嫌だなーと思っていたんです。震える手で救急車を呼んだり、警察の方に事情を聞かれたりしましたがあんまり記憶がないです。ただ、あの時に気付いていれば父は助かっていたんじゃないかということばかり考えていました。
最近は姪っ子を可愛がったり猫を可愛がったり車を出してといえば出してくれたりして、実は好感度が上がっていたのです。冷たくしたり、母と一緒にふざけてお尻を叩いたりして、少しずつあの頃の仕返しをしていたのです。結局逃げられましたが。畜生。
何年か経ちますが今でも父への思いはあまりまとまっていません。嫌いなような好きなような。まあ素直に好きと言いたくないだけなのでしょうけど。
あんなにあんなに憎んでいても時が流れると絆されたり、むしろ後悔したりすることがあるんだよ。ということです。ちなみに兄の中には未だに父を許していない人もいます。なのでまあ人それぞれですね。でも亡くなった人のことを悪く言っても仕方がないし、良くしてもらったこともあったのでその事を覚えておこうと思います。天国に行けたかはわからないけどイッヌと仲良くしてて欲しいな。
母と久しぶりに父の話をしていたらお互いに涙が止まらなくなったので書いてみました。
この間、女子フリーターアルバイトさんが外国人のお客様の言う「143番」が何度聞いても聞き取れないといってタバコの棚の前でおろおろしていた。なので、丁度レジ対応を終えた私が143番のタバコを取ってあげた。赤マルのボックスだ。彼らはこれをよく買うので、聞き取れなかったら「これですか?」と赤マルを取って見せてみるといい、と私は女子フリーターアルバイトさんに説明した。
と私が女子フリーターアルバイトさんに言うと、女子フリーターアルバイトさんは、
「そうかー、おいしいのかなぁー?」
と答えた。地味なディスコミュニケーション感。女子フリーターアルバイトさんのお母さんとお姉さんは彼女を「馬鹿」だというらしいのだが、彼女と話すごとにその「馬鹿」の意味するものがじわじわ分かってくる。馬鹿の一言で切って捨ててはいけないと思うけど……。
女子フリーターアルバイトさんは異様に頑固者で、一度思い込むと絶対にそれを曲げない。それは日常会話の端々にも出ているけれども、特に何かトラブルが起きると顕著に出る。落ち着いて人の話を聞こうとしない。絶対自分が正しいと思い込んでしまう。それでお客様と激しい言い合いになってしまうこともあり、かなり危うい。
また、自分にわかることは他人もわかっているはずだと素で思っているらしく、説明すべきことを説明しない。たとえば、レジが金詰りで動かなくなってしまった時、仲間に助けを求める際、「レジが詰まってしまって直せないので見てもらえませんか?」とでも言えばいいところ、レジ対応中の仲間にいきなりタックルかまして強引に交代し、
「あっち行って! レジ!」
そんな思い込みの激しさとハイパー言葉足らずの一つ一つを「それじゃ通じないからこう言って」と注意して言い直させた方が彼女の為になりそうだが、そこまでできるほど暇じゃないんだよなぁー。
交代の時にあまり見かけないが初対面でもない昼勤のパートさんと顔を合わせ、申し送りを聞いたのだが、そのパートさんが終始「はぁ? お前何?」とでも言いたげな顔をしていたのが気になった。
そのパートさんが帰った後で、Aさんに「さっきの人って昼勤の○○さんですよね?」と聞いたら、「いや、××さんですよ。確かに、○○さんと感じがにてますけど、シフト表にも書いてあったじゃないですか」と、なんか意味ありげな表情で言う。
意味ありげというか、たぶんAさんが言いたいのはこれだと思う。
去年、○○さんに二年ぶりに会った時に驚いたのだが、○○さんがギャルママファッションから私みたいな地味系に劇的イメチェンをしていた。分かりやすくいうと、派手さの全くないタイプのマナー講師か葬儀屋のスタッフか、キラキラ成分を抜いた美容部員みたいな感じだ。黒髪は一本の引っ詰めにまとめ、眉毛は先細りのアーチ状に黒く濃く書き、アイラインはきつめでチークは施さない。鶏ガラみたいに痩せているのもあいまって、地味なのにむやみに眼光鋭く見える感じの。
××さんにも私は新人時代に一度会っているのだが、その時の××さんは森ガールが大人になったみたいな人だった。
それが、今となっては三姉妹を通り越してクローン状態になった我ら。一体、どうしてこうなったのだろう。別に流行っているわけでもないのに。中年になると皆こうなるべきみたいなルールがあるわけでもないのに。ていうか、私はずっとこうなのだが、時代が私に追い付いたのか?
コンビニでパートやアルバイトをしている女性といえば茶髪で仕事中は抑えても基本的に派手という印象だったのだが、いつの間にか葬儀屋スタイルが主流になったというのか。でもシフトリーダーは相変わらず浜崎あゆみ隆盛時代のファッションの面影を残したギャルのままだがなぁ。女子フリーターアルバイトさんは若いだけあってキラキラに輝いた今時の女子だ。
なんか、見た目同じようなキャラが三人も当店にいるなんてこわい。イメチェンして一抜けしたい気持ちになってきたが、今更髪型とかに金かけるのめんどいなと思ってずるずるしている。
先日、とある別のフランチャイズのコンビニに行ったら、私みたいな葬儀屋スタイルの女性がレジ打ってたのでおののいた。その時の私は休日だからって蓬髪に素っぴんだったから相手から「お前なんなの?」って顔はされなかったが、私は内心かなり動揺した。これじゃまるで、コンビニ店員がジュンサーさんになったみたい。
私は父が大嫌いでした。
末っ子の私は末っ子あるあるなのか、あまり幼少期の写真もなく、家族で旅行に行ったのもベビーカーで東京ディズニーランドに行ったのが最後だった。シンデレラ城の前で撮った古びた写真を見せられ、ほらみんなでディズニーランドに行ったんだよ。なんて母に言われても覚えているわけもなく、羨ましいという気持ちが膨らむばかりでした。
誕生日ひとつとっても、兄達は母手作りのアンパンマンのケーキと一緒に写った写真も残っていてズルい。私の誕生日なんて写真どころかケーキがないことだってあった。それも全部、父が悪い。父がギャンブル好きで借金まみれなのが悪いのだ、と思っていました。休みの日は寝るかパチンコか競艇か。たまに家族サービスをしてくれることもありますがそれは稀なことでした。
そんなこんなで家計は火の車なので私が小学校中学年の頃から母は働きに出るようになりました。最初は日中働いていた母も、稼ぎが足らずホテルの厨房の夜パート、更にスナックと職を変えていきます。父も泊まりや一日仕事が多かったので兄妹だけで夜を過ごすことも多くなりました。それに比例するように両親の喧嘩が増えていきます。何度も母の携帯を逆パカ(死語)して破壊したり、服を切ったり、暴力を振るったり、果ては首を絞めて兄妹で警察を呼んだこともありました。祖父母の家から電車で1時間以上かけて小学校に通うことも何度もありました。
なんで離婚しないのかと兄妹で何度も言いましたが、ひとり親で兄妹5人も育てられる福祉のサポートも無く、余裕がないから我慢するしかないと言われ続けました。
そうして半引きこもりになった私は高校受験の時を迎えていました。レベルを下げまくった公立高校すら内申点の悪さで落ち、さらに下の公立の二次募集も落ちました。父からは私立にやる金なんて無いと言われ、もう中卒で生きてくからいいわ!と喧嘩していたところを母の説得で私立に進学することに。(兄は私立に行ったのになんで私は駄目なのかという思いもありました)
そして在学中のバイト代は完全母管理。バイト代を自身のお小遣い代としているバイト仲間が羨ましくなることもありました。若かったので。
やってきました修学旅行。私立あるあるなのか、私達の旅行先は海外でした。授業でも楽しくどこを観光するか話し合っているうちに班長に決まり、ワクワクは最高潮。ですが、修学旅行の積み立てを崩し、父が遣いこんでいたことが発覚しました。
ひととおり泣いて暴れた後に全てを諦めました。もう行けないんだ、どうでもいいやと。母が知り合いからお金を借り、行けるようにしてくれましたがそんなお金で行くのも嫌でした。行かせようとする母と行かない私で揉めに揉め、結局無理矢理タクシーに乗せられた私は集合場所に遅刻して現れました。こんな話出来るわけもないので、寝坊して迷惑をかけてごめんなさいと謝り普通の顔をして修学旅行に参加しました。先生とも一悶着ありましたがいい思い出になりました。
その後も両親の喧嘩は何度もありましたがそれもいつも通り。出席日数は足りてないはずでしたが先生方の温情で無事に卒業の日が来ます。奨学金も借りられず、高卒フリーターになりました。成人式の振袖ももちろんお金がなかったので諦めていましたが、小学生の頃に亡くなった祖母が私の為に着物屋さんにお金を掛けてくれていたので素敵な振袖を買うことができました。本当に祖母には感謝しかないのです。
なんやかんやで父も年を取り、それにつれ性格が丸くなりました。仕事に行かなくなってからは毎朝のように私を職場に送ってくれました。両親と私でいきなり日帰りで温泉に行くこともありました。父が私にたくさん話しかけてくるようになりました。ですが返事だけで会話をすることはほとんどありませんでした。どうやって接していいかもわからないし、今までのことを無かったことにされるのも嫌だった。だから冷たくするくらいが丁度いいと思っていました。
今は誰も住んでいない祖父母の家に家族が集まりました。夜は皆で近くの焼肉屋さんで食べて、父は発泡酒ではなく、大好きなビールをしこたま飲んでそれはご機嫌でした。祖父母の家に着くと一足先に父は横になりました。たまに母に水を持ってくるように頼んでいましたが、私達兄妹はそんな父を気にすることなく、リビングで兄妹水いらずでテーブルゲームをして遊んでいました。すると、父が急に雄叫びのような大きな声をあげました。その時に、相変わらず寝言がうるさいなぁなんて言わずに、確認をしに行けば良かったと後悔しています。
30分後、気づいた時には父は動脈破裂で亡くなっていました。
父がまさか亡くなるなんて。晴天の霹靂でした。思春期の頃は死ねばいいのにと何度も思っていましたが、本当に死ぬとは思っていませんでした。憎まれっ子は世に憚ると思っていたんです。どうせ母のが先に亡くなるだろうから老後の面倒見るの嫌だなーと思っていたんです。震える手で救急車を呼んだり、警察の方に事情を聞かれたりしましたがあんまり記憶がないです。ただ、あの時に気付いていれば父は助かっていたんじゃないかということばかり考えていました。
最近は姪っ子を可愛がったり猫を可愛がったり車を出してといえば出してくれたりして、実は好感度が上がっていたのです。冷たくしたり、母と一緒にふざけてお尻を叩いたりして、少しずつあの頃の仕返しをしていたのです。結局逃げられましたが。畜生。
何年か経ちますが今でも父への思いはあまりまとまっていません。嫌いなような好きなような。まあ素直に好きと言いたくないだけなのでしょうけど。
あんなにあんなに憎んでいても時が流れると絆されたり、むしろ後悔したりすることがあるんだよ。ということです。ちなみに兄の中には未だに父を許していない人もいます。なのでまあ人それぞれですね。でも亡くなった人のことを悪く言っても仕方がないし、良くしてもらったこともあったのでその事を覚えておこうと思います。天国に行けたかはわからないけどイッヌと仲良くしてて欲しいな。
母と久しぶりに父の話をしていたらお互いに涙が止まらなくなったので書いてみました。
20歳くらいで、高校中退で大学生が遊んでる間に働いてたせいかそこそこいい金を貰っていた。
「まだ若いのにいい会社で働いているのね~」とか言われたのだが、
自分としは「いえ、職業に貴賤はありません」とか痛いことを言ってしまった。
今まで一度も一緒にシフトに入ったことがなかった男子高校生アルバイトさんとのシフト。
私が出勤してきて20分も経たないうちに、男子高校生アルバイトさんが担当していたレジが、特になんかやった訳でもないのに動かなくなった。おりしも来客のピーク時。会計待ちの長蛇の列ができる。
男子高校生アルバイトさんはしばらくレジの前でおろおろしたあと、私のところにきた。
「何かしたわけでもないのに、レジ止まっちゃいました。見てくれませんか?」
とのことだったので、
と交代した。男子高校生アルバイトさん、女子フリーターアルバイトさんとはだいぶ違うなあ。女子フリーターアルバイトさんが同じようなケースで私に助けを求めて来た? 時は、突然横からタックルしてきて、無理やり商品の袋詰め作業を代わり、
とまくし立ててきた。なんのこと? と思って思わずきょとんとしてしまった私に、
「レジ止まったんで! ここは私がやるんで! レジレジ! いいから早くやってください!」
そんな女子フリーターアルバイトさんよりは大分マシな男子高校生アルバイトさんだったが、私が四苦八苦してレジの小銭の詰まりを取り除いてから、どこがどう詰まっていて、どのようにすると解決できるのか、説明しようと思ったら、
「あー、ありがとうございます。もういいです」
とバッサリ遮ってきた。いやいやいや、次同じ事になったらどうやって解決する気だおめーは! また先輩呼ぶのか? 一緒にシフトに入ってた相手が新人だったら?
と、若干腹が立ったけど、高校生だしまあいいか。ちゃんとレジ直してって頼んで来ただけまし。で許した。
ちなみに、私がレジから詰まった小銭をせっせと取り除いている間、常連というほどでもないが時々来るお客様が、横で励ましてくれていた。親切……なのか? そうかも……。
20時にAさんが出勤してきた。男子高校生アルバイトさんは退勤。Aさんにレジが急に詰まった話をしたら、それはあるあるで、本当に何かやった訳でもないのに不意に小銭は詰まるらしい。私はつま楊枝で小銭をツンツンして除去したが、なんか他によさげな小銭除去法ないのかなと思って聞いたら、べつに無いとのこと。自動レジの地味な欠点……。
Aさんから、今日男子高校生アルバイトさんが女子フリーターアルバイトさんの代わりに出勤してきた理由を聞いた。前日、女子フリーターアルバイトさんがドタキャンしてきたからだったそう。前日はちょうどオーナーが業者の人と何か話し合いをしなきゃいけない日だったらしく、ただでさえ忙しく脳のメモリ食っていてピリついているところへ、ぎりになって女子フリーターアルバイトさんから休む連絡が来たとかで、オーナーは激怒した。
で、今日はオーナーは昼間に介護中の家族の付き添いで病院に行かなくてはならず、今日もまた女子フリーターアルバイトさんにドタキャンされたらやってられないと思い、男子高校生アルバイトさんにシフトを代わらせたのだそうだ。
実は女子フリーターアルバイトさんはドタキャンの常習犯で、もはやオーナーは彼女を「さん」付けで呼ばなくなった(←オーナーは嫌いな人に敬称をつけない。)ほどだという。Aさんが、
「若い女子アルバイトあるあるですよね。なんで女子ってみんな同じことするんだろう」
としみじみ言う。実際、若い男子のバイトの場合、無法者だったりサボり魔だったり遅刻魔だったりしても、取り敢えずお賃金が欲しいのでドタキャンはしない人がほとんどだ。だが、若い女子バイトの場合は気まぐれなのか? と思うくらい唐突に休みがち。しかも、ドタキャンをすること前提でわざわざシフトを多く長く入れがち。なので、休まれるとシフトに大穴が空くので、オーナーは怒るし他のバイトやパートさんは穴埋めのために予定変更を強いられる。
どうして若い女子ってこうなのか? 元若い女子の私が思うに、唐突なPMSや生理痛で心身の調子を激しく崩すことがままあるからだろう。とはいえ私はあんまりそれで仕事をドタキャンしたことはないけど……。PMSと生理痛がとても酷かっただけに、なんかヤバそうだなと思ったら早めに休む連絡をするか、無理して働くかだったなぁ。無理した結果ミスを連発して、職場の嫌われ者になってたので、ドタキャン常習犯と同レベルで迷惑バイトだったかもしれないが。
という、本人にはどうにもならない心身の不調の他、若い女子は働いていると何か特別なことをした訳でもないのに褒められ易くなるので、これまで満たされなかった承認欲求を拗らせて、急に人生舐めプモードに入ることがある。そういう子は、学生時代は学校の成績が振るわなかったとかスクカーのランクが低かったとかで、あまり褒められることなく、褒められ慣れていないのだ(ということは、そういう女子と雑談してみると本人の口から聞ける)。
これまで、ヤバいレベルの問題児という印象はなかった女子フリーターアルバイトさんだったが、なんかここへ来て順当に歴代のクビになった女子と同じ轍にはまり込んできたので、例によって、ある日を境に姿を見なくなるのではないか。
ところで前回のシフトの時に、Dさんから「Aさんがホットドリンクの品出しをしてくれない」と泣きつかれた。いやいや、それくらい自分で直接Aさんに文句言えって、と思ったが、DさんはAさんにセクハラをしまくった結果、Aさんにまともに話に傾聴してもらえなくなっていた。自業自得が過ぎる。
しかし、Aさんがホットドリンクの品出しをやらない・私がやろうとしても「後でやるからいいです」といってやらせてくれないせいで、夕勤・夜勤の人間は全員ダメ人間だと昼勤の人達に思われてしまっている。私までいっしょくたにされ続けるのは嫌だったので、Aさんを詰め詰めして、ホットドリンクの品出しを私がやってもいいと話をつけた。
その詰め詰めの過程で、Aさんがやりきれない仕事を黙ってサボり昼勤の人達に押し付けているのを知った。だから、
「やりきれない仕事は勝手にさぼらんで、オーナーと話し合って正式に昼勤のほうに回してもらってくださいよ。オーナーはAさんの言うことならちゃんと真面目に聴いてくれるんだから」
と言った。
3年前、30年ローンで4000万の家買った。
今29歳で年収500万。
週1で”ねぎし”行って1000円超の牛タン定食食べてたし、PS4は財布と相談せずともその場で新品買えた。
月収16万と聞いたときは「こいつどうやって生きてんだ」と思った。
俺よりもよっぽど金遣い荒いし、服やマンガやゲームや酒に金をガンガン使う。
そんな彼に最近
「節約したほうがいいぞ。貯金はマジでいざというときの命綱になる」
と老婆心ながらアドバイスしたら、なんと毎月必ず3万円は貯金できているという。
正直、ぶったまげた。
「実家だからなあ。家賃ないと低収入でも貯まるんだよ」と言っていた。
家賃入れずに実家で問題なく過ごせるってこんなにも凄まじいパワーなのな。
同年代の平均以上に頑張って生きてるの、実家に住めないがために生活水準がフリーター以下の俺。
無料の家があるってとんでもないパワーなんだな。