はてなキーワード: クレーマーとは
よくクレーマーに対する捉え方として「捌け口がここしかない可哀想な人なんだな」みたいな考え方があるよね。
確かに言われた店員さんはそう考えるのが一番楽かもしれない。
でも接客業やったことない俺が言うのもなんだがそういう見下しがあるかぎりクレーマーはなくならないんじゃないか?
NHKの番組で店員に土下座させた人が出てたんだよね。それに対するTwitterのまとめがあって「非正規。あっ(察し)」とか「弱いものたちが夕暮れ~」みたいなコメントがちょっと気になった。
普段見下されている人がクレームをきっかけにさらに不特定のネット民から見下される。こうなるとその人って秋葉の加藤みたいな犯罪に走っちゃうんじゃないかな。
俺はクレームなんていれないしクレーマーを擁護したいわけでもない。
ただ、こないだお客様の声を興味本意で見ていたカップルが「ここに書く人ってどんだけ惨めでつまらない人生送ってるか逆に知りたいよね」なんて言ってたからさ。
まあそのお客様の声は俺が書いたんだけどね。
いいよね。恋人みたいに受け入れてくれる人がいる人はさ。
小さいころドラマや小説で「自分の本当の気持を大事にするのは素晴らしいね」と何度も伝えられてきた。
テレビで有名人もそう言っていたし学校の先生も「自分の気持ちを素直に伝えなさい」と教えてきた。
嫌な事があったら嫌だなとちゃんと思うようにした。
学生の頃はそれで何とかなった。
大学や高校では少し危うかったけど何とかなるの範疇だったと思う。
どっちも第二志望で滑り込めたし就活も大体似たような具合に行った。
毎日辛いことが起きる。
何度も何度も何度も「本当の気持ち」が嫌だなと自分に訴えてくる。
クレーマーに怒鳴られて上司に怒鳴られて初歩的な失敗をしてフラフラになって帰ろうとしたら上司に飲みに誘われ断れずにお説教三昧で二日酔いのまま次の日出社してようやく土曜日になっても仕事の宿題がたんまりと。
その状況の中で嫌だ嫌だと毎日考えていたら限界が来るに決まっているのに自分は気づかなかった。
そんな日々が続くはずがないんだ。
どこかで割りきってその状況を楽しむぐらいでいるべきだったんだ。
就活のハウツー本やライフハックの薄い本には「大変な仕事は自分を成長させるチャンスだと捉える」と書いてあったっけ。
あんな知ってる人向けの説明じゃ自分みたいなまだ気づいてなかった人間には分からないよ。
精神的に前向きなサイクルを回すために、大変な状況の中でもいい事を見つけていってそこに意識をフォーカスしろなんて誰も教えてくれなかった。
いやおざなりな言い方は沢山されていたけどただのポジティブ信仰で中身なんてないから伝わらなかった。
辛い時に辛いと訴える事は必要だ。
自分で自分に辛いと毎日訴え続ければ自分にとって自分自身が敵になってしまう。
こんなに苦しいと毎日伝えているのにいつまでこの社会にしがみつくんだ、この悲鳴が本当に聞こえているなら首に縄をかけて屋上から飛び降りろ。
自分の心から自分の心へ向けられるシグナルはいつしかそういったメンタルヘルスが危うい物になっていく。
本当の気持ちを大事にしようとした自分はその言葉を毎日聴き続けた。
そうして壊れかけた。
駄目なんだこれじゃ。
「辛いけど毎日乗り切れてる。大変なことを乗り切るのはゲームのハードモードみたいで楽しい」と思い込んじゃって良いんだ。
そうすることで結果として気持ちや人生が上向きになってこのクソみたいな毎日が少しずつ良い物に変わっていくんだ。
もしも今度「自分の本当の気持ちを大事にしなさい」と言う人がいたらこう言ってやる「大事にするのは他人の本当の気持ちでしょ?自分の気持ちは自分で変えちゃえばいいんだから」って。
この程度の絵をセクハラ扱いする被害者意識の最先端に言われても困るなあ
正当な例=クレームの数が少なくて取り下げられなかった敗亡なら沢山あるだろうよ
ただしそれでも幼稚なクレーマーはまだしのごのいって悪扱いしてるけどな
明確なわいせつ物でもないのにセクハラだのなんだの騒ぐ感性を持っているからって
解釈の仕方なんて人それぞれなのに一部の気に入らない人間に配慮して表現を規制することを肯定するのか?
胸が大きい女性なんていくらでも世の中にいるのに胸の大きい女性キャラを描いたらセクハラ扱いってどういうことだ?
イケメン描いたらイケメン・ブサメン問わず男性にセクハラなのか?
キリスト教もよくキリストの半裸を絵で描いてるけどあれは男性にとってセクハラじゃないのか?
気安くセクハラ扱いすれば潰せると思っているクレーマーの要求をそんな簡単に受け入れてたら世の中何も出版できなくなるぞ。
覚えてない方はこんにちわ。
今回も長文でごめんなさい。
わたくし実はクレーム担当という側面もございまして、先日ちょっと話題になってた某オリエンタルランドにおけるチケットクレームの件を少し考察してみたいと思います。
要約すると「特別なチケットをもらったのに、入場制限がかかっていて入れないのはおかしい。それをなんとかしないディズニーは殿様商売だ」といったものです。
まず、クレームに対応する上での鉄則がありまして、その話を一つしてみます。
今回で言えば、「特別なチケットで入場ができなかった。」さらに踏み込めば、「それによって家族の労力が無駄になった。」というものです。
その結果として、大半の場合、その被害に見合った補償、もしくは解決のための要求がなされます。
それが今回で言う、「なんとか入場させて欲しい」だったり、「せめて心付けほしい」といった内容だったわけです。
クレーム対応とは、一見この2つに対して解決を行うものと思われています。
しかし、クレーム対応が最もこじれるポイントは、その解決にこだわりすぎてしまうことでもあります。
「相手の言う被害と要求に、絶対にこだわってはいけない」ということです。
さて、今回のクレームにあたって、現段階で明るみになっていない部分があります。
クレーム対応とは、即ち、この「原因」を読み解くことが全てといっても過言ではありません。
今回の方のブログを拝見すると、この原因部分がまだ解決されていない印象を受けました。
それは、「もらったチケットが特別なものである」という誤解です。
他の方の反応を見るに、このチケットにはそうした特別な能力はなかったようです。
その誤解が解決されないままに、いくらディズニー側が解決手段を提示したところで、当事者としては納得ができるわけがないのです。
なぜなら、自分の被害の責任は先方にあるという誤解が解決されていないからです。
本来、クレームに対応するにあたって、こうした「相手の考える原因」を紐解くことが真っ先に求められます。
そのためにヒアリング技術などを用いて、まずは相手の話を聞き出すことが必要なのです。
今回であれば、このチケットが特別なものではないという誤解を解くことが、まずはこの対応において再優先になります。
しかし、ここで相手方の無知や調査不足を指摘するようでは、さらなるクレームに火を付けてしまいます。
ここは解決を優先させて、説明責任が不足していたことに原因をシフトさせる必要があります。
「当方の説明が不足しておりまして、誠に申し訳ございませんでした。大変恐れ入りますが、当チケットは入場規制が発生してしまった日には入場することができません。誤解を招く結果となってしまい、誠に申し訳ございませんでした。」などでしょうか。
ここで大切なことは、できないことはできないとはっきりと相手に伝えることです。
ここに少しでも緩和の余地があると、相手に食い下がるポイントを与えてしまうことになります。
これによって、「当日入れるはずのチケットで入れなかったことに対する被害」を、「当日入れると思い込んでしまった勘違い」にシフトさせることができました。
そうなれば、もともとあった「その日に入場できないとおかしい」という要求は意味を成さなくなります。
これによって、本来の問題に対する解決は、「チケットの説明不足に対する謝罪」、もしくは「それに見合う対応」に変わるわけです。
説明不足(ただし、ある程度説明責任を満たしていたとして)、もしくは当人の勘違いが原因となれば、本来あると思い込んでいた当日入場できる権利は行き過ぎた要求になります。
それでもなお要求が続く場合は、今度は過剰な要求に対する対応へとシフトすることができるようになるわけです。
ただ、今回の件に限っては、何故入場制限が必要なのかというポイントに対する説明も不足しているように感じられました。
ここにも原因に対する勘違いがありそうなので、説明があると解決が早まったように思えます。
「お客様に快適に楽しんでいただくために、一切の例外を作らず対応させて頂いております」
「これだけの混雑ですので、小さいお子様をお連れの場合であればむしろ入場をすすめることはできません」
「警察からの指導のもと、パーク内でのお客様の安全を優先することが義務付けられています」
「何かしらトラブルが発生してしまえば、今後さらに厳しく入場制限を設ける必要が発生してしまいます」などなど。
実情は知りませんが、あくまでサービス提供側の都合ではなく、お客様のためにあるルールであることが伝わると良いのだと思います。
さて、今回に限っては、当人を後に引けなくさせるもう一つの要因がありました。
もしここまでにこの要因を見抜けた人は、クレーム対応においてかなりの才能があるといっていいと思っています。
もし、本人だけであれば、この方はこれほどまでに食い下がることはなかったかもしれません。
人知れず一人で恥をかいたならば、こっそりと身を引くことは容易いからです。
しかし、今回はこのまま引き下がれば、家族の前で大きな恥をかいてしまうことになります。
文章の内容から見るに、そのことは彼の中で絶対に許されるべきことではなかったのでしょう。
例えばここで、パークの説明員(しかもそれなりの責任がある人物)が、家族の前に立ち、説明不足を謝罪していたら解決はもっと早まったかもしれません。
なぜなら、それによって自分の力で謝罪させたという男性のメンツが保たれるからです。
こうした相手が引き下がれなくなった理由を素早く見つける能力は、クレーム対応において非常に優れた能力であるといえます。
まとめるとこんな感じです。
・ヒアリングから原因を読み解き、全てを聞き出した上で間違っていれば正しい原因へと導く
・正しい原因から被害に対する誤解を説明し、適正な被害とそれに対する解決策を提示する
・この時、相手がなお元の要求にこだわる場合、過度な要求として態度を改める必要がある(第三者が介入した時に有利になる)
・一連の内容以外、相手が引き下がれなくなっている理由があれば、察知して解決策を提案する
・ルールを主張する場合、それは運営側の都合ではなく、あくまでお客様の権利を守るためであることを前提として説明する
当然実際のクレームは、簡単にフローチャートでわけられるようなものではありません。
しかし、こじれてしまう理由のほとんどは、原因を共有しようとせず被害と要求にこだわってしまっていることも事実です。
クレームを訴える側は要求が正当だと信じ、クレームに対応する側はクレームが不当だと戦うことになってしまうわけです。
被害の責任がどこにあるか。それによって相手の要求がどこまで現実的であるか。
クレームの解決において、両者がその部分をどこまで正しく共有できるかが最も重要なポイントといっていいと断言できます。
尚、クレーマーが要求を通すための常套手段に次のようなものがあります。
・解決にかかった時間をどうするつもりだ。
今回も数時間を無駄にしたことが言及されていましたが、全てとは言いませんがこれらの都合は先方にあります。
諦めなかったのは先方ですし、予定があるのも先方の都合です。
それによってクレームを受ける側が態度を変える必要はありません。
そんな要求に屈することなく、勇気を持って毅然と対応してもらいたいと思います。
蛇足ですが、例えば今回の例に限っては、後日利用できる日付確定型の入場チケットに変えることが妥当なところではないかなと思いました。
さて、運営側として読まれる方も多いかと思うのでここで忠告を一つ。
クレームを解決するにあたって、ルールを主張することは大切なことです。
しかし、解決を優先するあまりにその都度ルールを変えてしまうようでは、それだけ信用を失うことを意味しています。
クレーム対応は組織を成長させるものとして、不明瞭な部分を明確にするために役立てるのがいいのではないでしょうか。
パチンコなんかで言うと理不尽な要求なんて日常茶飯事なのですが、それが理不尽かどうかはその時点ではこちらの視点でしかないわけです。
たとえそれがどんな要求であれ、まずは原因を紐解かずして解決はないと言えるのです。
毎日歩いている道路の横に、某ファーストフード店がある。某MS店。
某M店は地域から撤退、ハンバーガーを扱うファーストフードとしては周辺ではこの店のみ。
私が知っている限りMS店では、店舗入口に看板を設置していて、店員が書いたと思われる皆様へのメッセージ――あるいは物事への感想――が書かれている。
ある店舗では「映画を見に行く」と伝えていたり、ネット上ではテレビ番組の感想を絵付きで紹介している看板を画像付きで紹介していたり、
ハンバーガーとは一切関係無い、どこに需要があるのかは分からないがなぜか読んでしまう文章が日々どの店舗でも更新されている様だ。
しかし、この地域の店舗ではいつも体調の変化しか心配していない。(毎日見ている訳でも無い気がしてきたがまぁいい)
ある暑い夏の日、「今日は温度が高くなる様です、熱中症に気をつけてください。(以下店舗の宣伝だったような気がする)」。
またある寒くなってきた秋のある日、「今日からだんだんと寒くなってくるみたいです。急激な温度変化もあるかもしれないので体調管理の徹底を!!」。
そして冬のある日「いよいよ冬って感じですね(中略)体調を整えて3連休を楽しみましょう!!」。
なぜ、体調ばかり心配しているのか。MS店の健康志向な商品のせいなのか、それとも「お客様は神様です」――クレーマーが発生する前に対応する――という精神が働いているからか。
ポイントの後付けを許容しているのが全ての元凶。(許容はしているが実作業としてめんどくさいから事前に確認をしてるわけでしょ)
後付けはできません。カードを出し忘れたらそれまでです。もちろんいったん返品してもう一度会計をするなんてことは許しません!ってクレーマーにビシッと言えれば済む話しなんだけど、イビツな「お客様は神様」文化が広まった日本ではそれが言いにくい。
バカが垂れ流すモンクを適切に無視や却下できるようにならないと従業員のみならず他の客までを疲弊させる。
もちろん最終的な方針は店が判断して決めればいいけど、現状は店や企業や自治体にクレームを入れたらそれを却下する仕組みがあんまり無いっぽいからね。一部のワガママのコストを負担するのはサイレントマジョリティたる一般ユーザだよ。
慣れとしかいいようがない。
俺も会話は下手な方で電話とか苦労したが、
電話の後に言わなかった方がいいこと、言い回しが悪かったこと、時間、意思表示が弱かったところ、声の大きさ、丁寧さなどなど、
特にお客さんがこうしろよ!と言ってきたことは例え理不尽に思えても、必ず反省材料にする。
相手がクレーマーだとしたらクレーマー対策をしたらいいだけの話。
そうやって何回かやってれば自然に身に付くようになってくる。
考える前に相手が何を言ってほしいのかとかどうしたら会話がスムーズになるのか分かってくる。
例えば、早くしゃべれと言われたらなるべく巻きでしゃべるようにする。
難しくてわかんねーよと言われたら重要な点だけを短めに説明する。
根拠もなく論理もなく自分におかしなことを言う人、つまりクレーマーのような人達が”機械”にしか見えなくなってきた。
なんらかの内部エラーが発生して、顔真っ赤にしたり怒ったり怒号を発しているようにしか思えないのだ。
精神病かなにかを患っているのかもしれないが自分と同じような感情や思考回路があるのとは到底思えない。
だから、おかしなことをしでかす人には、でたらめな対応をするようになった。これも自分を守るための防御。
これを言ったら、相手は傷つくのではないか?
これを今この場で行動をおこしたら相手はあわてるのかな?
とかも考えられなくなってきた。
だって、自分と同じ人間じゃないもの、トラブルを起こす器械だもの とかしか考えられなくなってきた。
人を大事にする。隣人を愛する。 これってどこまで必要なことなんだろうか。
休日は混むので、有給をとって東京から日帰りで紅葉を見に行った。Walkerプラスで、「今見頃」を検索すると、奥日光の湯元がヒットした。紅葉情報を出しているサイトはたくさんあるが、日光(湯元)とか、その地域の細かい地名によって紅葉情報を分けているのは、Walkerプラスだけだった。それによると、今見頃なのは、バスの終点まで山を登ったところにある湯元らしい。
が、行ってみると、すでに終わりかけ。
サイトをよく見ると、小さな字で、「紅葉情報は、近隣の紅葉スポットの指数を参照しています」と隠すように書いてある。要は、細かい地域ごとの実測値ではなく、少し下の方にある中禅寺湖の情報をそのまま表示しているらしいのだ。冗談じゃない。だったら、最初から、遠い湯元などにはいかず、中禅寺湖にいくわ。地理的には近くても、山に登るかどうかで紅葉の進み具合は違う。実測値でないのなら、人を騙すようなことをせず、例年の見ごろ時期だけ書いて、検索にもヒットさせないでほしい。
http://koyo.walkerplus.com/detail/ar0309e12908/
どうせ、クレーム入れても「紅葉は時期によって云々」、「情報は正確でないことが云々」と、こちらの質問を曲解するような回答しか返ってこないだろうから、ここに書いておく。予想が間違ってることがあるのは、百も承知だ。予想を、あたかも実測値のように書くなつってんの!!!
http://b.hatena.ne.jp/entry/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151006-00000021-asahi-bus_all
http://openblog.meblog.biz/article/18809585.html
一概に給料を上げたからといって保育士が増える結果になるとは私は思いません。
それよりも、預ける側の気持ちが昔と変わってきているせいでクレーマーが増え、保育士が精神的に追い詰められていることの方が重要だと思います。昔は『預かってくれてありがたい』と言っていた保護者が現代では『金を払ってるんだから何でもやって当たり前』となっていることが大問題です!
保育士として現役で仕事をしていますが、先の方もおっしゃっているように保護者の質、モラルが低下していると思います。みてもらって当たり前。何かあれば保育士のせい。保育士に対して依存し、何もかも任せてしまいがちで、母親のすべき本来の子育てを放棄しているとしか思えません。そのような方が増えているのではと思います。
ああやっぱそういう親増えてんだな、と思った。
ネットでも「預かって貰って当たり前」「全部園でやってくれて当たり前」「親に楽させろ、親に面倒な事を求めるな」ってんのをよく見かけるよね。
上の記事内で「保育への親の参加を促す」と言う例が上がってたけど、日本じゃ大抵大反発食らってるし。
別にバザーとかじゃなくて直接子供に関する事でも「仕事で忙しいんだからそんな事やらせんな」だらけ。
やりたい人がやればいい、ってのも横並び大好き日本じゃ「誰かがやったら自分もやらざるを得なくなるから最初から誰にもやらせんな」となるし。
実際仕事に余裕あって積極的に園に関わりたがるママが陰口叩かれてたりするし。
「子に積極的に関わりたい親は幼稚園行け、保育園はそういうのやりたくない親の為の場所なんだから」と言う風潮になっていて、住み分けられてしまっている。
揚句の果てに「保育士って低学歴だから私達のようなエリートママの望む子育てなんて分からないんだよね」という暴言吐いてる人も見た。
(因みにこのブログ主は「そんな母親は退園して貰えば良い」と言ってるけど、認可保育園の場合入園児は行政が決めるので
園側の一存で退園させる事は不可能なんだそうだ。
モンスターだろうが排除出来ず何年も付き合わなければならない、って嫌過ぎる。
小学校教師も鬱病増えてるというけど、これも義務教育だから退学させる訳にいかないのが原因の一つ。小学校教師は保育士より給料高いけど、それでも鬱になっていくわけで。
一般接客業でもモンスター客を排除できず職員に過剰な負担を強いる職場はブラック化して行くよね)
つか保育士になる人って、元々子供好きで子供の為になる仕事をしたいと思うから保育士になるわけだよね。
子供ではなく親の為に保育士になりたい、なんて人はまずいないわけで。
それでわざわざ学校通って資格取って就職したら「子供の為ではなく私の為に働け」「子の為になる事でも親に負担がかかるならすんな」という親のオンパレードじゃ、そりゃ心折れるよね。
保育士だけで出来る事なんて限られてるだろうし、子供の為に良い保育を行おうと思えば親の協力が不可欠だろうに。
はてなーはやりがい搾取だ!と言うけど、そもそも「元々やりがい搾取で成り立ってた業界なのに、最近はそのやりがいすら奪われる傾向になったので皆逃げた」って構図じゃないの。
そこで「やりがいなんて無くても我慢できるくらい給料を上げれば解決」って、そういう問題か?
“31歳無職に彼氏を自称されていた時に学んだこと、か。書いてる内容は正しいと思うが、なんか好感の持てない文だ。選民意識高そう
僕が彼女に「選民思想でもあるんじゃない?」と言った理由を少し書いとく。どちらかと言うとアートニート寄りな人間のいうことなので、ハヤカワさんの言う不正解な人間の言うことだからコバエが飛んでると思って無視していただければ幸いですよ…
まず、僕は女の人のブロガー・ライターが増えたことで、「自分が出会ったダメンズへのヘイト」を書き散らかすブロガー・ライターの存在を山のように見てる。本当に彼女達が弱者で被害者ならまだ応援する気にもなるけど、ある程度モテてる人間による、モテない人間へのマウントでしかない用に感じ、不快
僕はハヤカワさんについて「選民思想」といったけど、具体的に言うとうしじまいい肉とか峰なゆかとかそっちの人と同じ系列の選民意識を感じています。自分が男性にモテるような位置に行って、実際多少なりモテた結果、モテの弊害も経験し、その弊害を語ることで私はモテてるとでも言いたげなナルシズム
ダメンズについて綴る女性のブログやツイートに対して、ある種のセクハラやセカンドレイプだという自覚「自分は被害者でかつ、相手を汚い言葉で見下せる立場であるから殴るんだ」という被害者最強(クレーマー的)な発想と「でも、そんな経験のある私はモテてるの」というナルシズムが感じられる
クレーマー的に人を殴るのも、被害者としてナルシズムを発揮する発想も僕から見るとなんかご都合主義で論理的でない(この人と関わると立場や印象で態度をコロコロ変えられるのだろう)という懸念を感じて、不信感が募る。ハヤカワさんに限らずね
とは言え、僕はアートニート寄りの人だからきっと彼女に何を言っても「お金というグッドをもらってないあなたが何を言っても、それはコバエ程度のノイズにしかならないよ」って意見でしかないだろうし、そのことは僕も自覚してます。しかし、ハエでも生きてる以上飛び回るし、生きようとはするんです
あとは20歳のガキに説教するのもどうかと思うけど、人間ね、はじめから道が決まってる人ばかりじゃないんだよ。進んだ道が合わなかったり、塞がってたり、転落して見失ったりしてその都度模索しながら生きてる人もいるんだよってことを若くして成功なさってる彼女に差し出がましくもいいたい僕がいる
どうせみんなハヤカワさんの味方をする負け戦だと知ってるから、僕はこの場で言っておくか。よく、女の人はヤリチンが女の子との行為を成果物のように言うことを批判するが、最近溢れてる自分の関わったダメンズを晒して批判して同情を集める行為もヤリチンのそれと本質的には同じことなんじゃないの?
はいはい、負け戦。今回も僕はまた女に負けた。お金に負けた。攻撃される前からこうやって愚痴ってる時点で自分にも負けてる。オーディエンスも戦意がない僕に味方しない。そこにナルシズムはないです。僕も彼女が正しいとは思うから、僕を否定してますます彼女が正しいと示されたらいい。全部僕が悪い
病んでもないさ。ただただやる気をなくしているのさ。
kanose お金がなくて女性に対する自信がないからって女性のブログを無料でキャバクラ代わりに使って心を癒やそうとするかのような鬱陶しいつぶやき。これシラフで書いてるなら怖いな