はてなキーワード: 院生とは
北海道大学にいたころ、同級生や院生、博士研究員の女性は学問分野に差こそあれ女性学やジェンダー論に敏感で図書館で論文複写したり書籍借りたりして、何を読んだか研究室でちょっと話題にしてたりしていた。
教員の具体的な挙措や発話のどこが問題か話題になることもあった。もちろん、特定の学生の「至らない」振る舞いを問題視して、陰に陽に指導したり仲間内で話し合ったりってのもあった。学部生で何も知らない私も色々指摘されて勉強するようになった。ちゃんとできてるかはわからないけど、彼女たちのおかげで勉強する機会が得られた。
今twitterみると、この大学でのやり取りはなんだったのかと思うほど女性論の格調は低い。
ある絵がダメだという根拠や条件などを提示できない。「お気持ち」との批判を乗り越えられない。
それどころか、例えば「お気持ち」って言葉は嫌いです! みたいな本旨とはかけ離れた話を持ち出してきたりする。
それは別にしっかり語ってもいい。だが今そのことは話をしていない。そのことがtwitterという仕組みではわからない。
2週間くらい使ったら、現実世界での実践をしていた方が内外に絶対に特になると気づきそうなものだが、それがわからないのだ。
なぜだろうか。
この時間まで研究室にいても、一向に発表資料作りが進まない。修論もどきは既に渡してある(期日までに改めて提出する必要はあるが)。発表中に首をかしげられても、いくら恥をかいたり叱られたりしても、約30分壇上で堪え忍べば取り敢えずは大きな山を越えることができる。一応発表練習はしてアドバイスもいただいたので、あとはそれに応じてスライドを修正すればいい。ただそれだけだ。でも、そのあと一歩の作業が進まなくて、ひとり背中を丸めてスマホで文を打っている。かれこれ5時間は作業が止まっている。こんな時間なのに眠気はない。なんか知らないけど涙と鼻水が止まらない。たぶん、ろくに寝てないから体がおかしくなったのだろう。
昔から人に頼るのが下手だった。言わずもがな、友達を作るのも壊滅的に下手である。
だから、自分で問題を解決しようとしすぎてしまう。ストレスを溜め込みがちなのも割と自覚している。自分の嫌いなところはその他にも色々あるけれど、特に「自分に甘くて他人に厳しいところ」と、「やらなければいけないことを先延ばしにする癖」は大学に入ってから悪化した気がする。
対人関係のストレスで勉強が手につかなくなり、センター試験はまあまあ悲惨な成績だった。センターの結果にあわせて出願した大学に後期試験でなんとか合格した。学費を出してもらっているし、入学を決めたのは他でもない自分なので、講義はしっかり出席した。選択科目はいくつか落としたものの、卒業に必要な単位はしっかり取った。1年生のときは将来なりたい職業もあまり考えていなかったので、取り敢えず何となくで教職課程を取った。教職科目は思いのほか興味深くて、教員になることも一度は考えた。でも決めきれず、向いていないことは薄々気付いていたものの、大学院に進学することを決めた。そして迎えた教育実習だが、これが本当につらかった。この仕事は自分に向いていないとはっきり分かった。加えて実習中には色々あって、精神的に追い詰められてしまった。正直、人生で初めて死を考えたほどである。2年半経ってもこのときのことを考えようとするだけで涙が出てくるので、極力思い出さないようにしている。暫くはベッドから起きれなかったし、泣きながら親や相談センターに電話した。見かねた親がはるばる新幹線でやってきて、ごみ屋敷と化した部屋を片付けてくれたこともあった。幸い研究室の活動は週1のゼミのみで負担は少なかったし、大学院進学も運良く推薦をいただけたので、進学のこともなんとかなった。でもこんな調子だったのと、先生が厳しく言わないのをいいことに卒研の開始は先延ばしになっていった。徐々に体力も回復してきた頃にはかなりギリギリの時期だったが、なんとか卒論発表には間に合った。ただこの頃から、先延ばし癖はどんどんひどくなっていった。
大学院に進学してからの生活を振り返っても、研究にきちんと取り組んだとはお世辞にもいえない。授業やTAの仕事、アルバイトには人並みに取り組めていたから、おそらく自分で規則や締切を考えてタスクを片付けるという作業が嫌だったのだろうと思う。卒論発表を終えたときには「修論は反省をいかして頑張ろう」と思っていたのに、気がつけば立派なダメ院生になっていた。趣味は楽しめていたから、たぶんただの甘えだと思う。
そんな私だが、義務教育時代は大きな問題なく過ごすことが出来ていた。未だに「どこで間違えたんだろう」なんてことを考えてしまうのは、この頃の成功体験によるものだろう。そんなこと振り返っても仕方ないが、あの頃の全能感や将来への期待感みたいなものを思い出すと、現状にひどくがっかりする。ただ、今思えば部活でもちょっと浮いた存在ではあったと思うし、友達からお祭りに誘われなくて落ち込んだこともあった(自分から誘えばいいのに)。多分、人からの悪意にはめちゃくちゃ鈍感なところがあるので、それで自分の身を守っていたのかもしれない。今はちょっと人の目が気になるようになった。
ああ、どこで間違えたんだろう。
ああ、どこでなら取り返せたんだろう。
色々思い当たる節はあるけど、悩んだときにいい子ぶらないで親や先生に相談していれば、事態は変わっていたと思う。「誰にも言いたくない」というわがままは、きっと自分を苦しめる。自分ではSOSを出していると思っても、相手がそれを受け取っているとは限らない。「言わなくても気付いてくれる」というのは、ある種の甘えかもしれない。
と、誰にするわけでもない言い訳を並べている。
私は自分の能力は並であると判断したので米国の大学院に進学した。
米国の博士課程は厳しいと聞いていたので、留学前はかなり気構えていたのだが、案外そんなことはなかった。もちろん、課題や研究、TA業務に追われ、日本の大学院に在籍していた頃よりも3倍程度は忙しいのであるが、精神的にはかなり楽に感じている。日本にいた頃は、将来への不安を感じたり、就職して楽しそうな友人が眩しく見え、本業の研究に集中できないこともあった。しかし、こちらの大学院は院生の人数も多く、学部生との関わりも多いので、そのような感情を感じることも少なくなった。その結果からか、研究や勉強にも身が入るようになり、日本にいたころでは想像もしていなかった場所まで来れたと思う。もちろん、母国語で会話できないという辛さはあるが、研究生活全般としては非常に充実した日々を送れている。
そろそろ卒業後の進路を考える時期に来ているのだが、日本の大学には戻れる気がしない。日本の大学の研究環境が良くなってほしいという想いは今も持ってはいるが、少子高齢化の影響がこれまで以上に大きくなることを考えると、日本の大学がかつての輝き(実際に見たわけではないので存在したのかもわからない)を取り戻すのは厳しいのではないかと思う。研究はしたいけど、日本でバシバシ成果だせるほどの天才である自信がない中間層は米国の大学院が良いのではないだろうか。ほとほどの英語と料理ができれば特に不便はない。日本人が外国で成果を出しまくれば、日本政府が彼らを呼び戻すために日本の大学の研究環境改善に本気で取り組むという微かな希望も持っている。できることなら母国で研究したいが、求められないのなら仕方ない。自分を求めてくれる場所で結果を出すだけである。
とりあえず、院生で中の上の成績でそれでもポンコツとかいうのはやめた方がいいです。
無用な自己卑下は周囲の人間に対しての意図しないマウンティングになってしまいます。
就職してからは、今よりもいろんな社会階層の人たちと接することになりますので、あなたが持ってて(できて)当たり前のことが必ずしも他のすべての人にとっての当たり前ではありません。
もちろん、そんなこと頭ではわかっているかもしれませんが、実際に人と接してみないと実感できないことでもあります。私もそうでした。そうやっていろんな人を怒らせてしまいました。
「すいません早稲田卒なんで頭悪いんです勘弁してください」
「十か国語しかしゃべれないので私には語学の才能なんかありません」
「応用情報処理技術者を小学生のうちに取れなかった私はチンパンジー並の頭脳です」
と言っているのとほぼ同義だと思ってください。
今度自分が結婚するってことでさ、彼女の実家で相手の家族とご飯食べたりしてきた。
その時に奥さんの妹さん(25歳!わけぇなおい!)にPretenderって教えてもらったのよ。
おじさん(30歳)だから知らないでしょって。まぁ実際知らなかったんだけど。
妹さんも俺も別の国だけど、2人とも留学してたから、結構話があって、その延長で”この曲まじやばいですよ!”とかいって。
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家帰って一人でなんとなく聞いてみた。
俺が院生で24の時に留学してる時に会って、1年くらい付き合ってた現地の女の子の事思い出して最後まで聞けなかった
ホント人生で初めて好きになったって感じだった。相手はそんな本気じゃなかったんだろうけどさ。
俺さ、もう結婚しちまうよ。どうやって気持ちを整理したらいいんだ。
みんなどうやって過去の人達を振り切ってるんだよ
診断つくほどではないですが、傾向としてはADHDだと思っています。
③授業に出るとき
が主な用途なのですが、これらのときにいつも学生証を持ち歩けないんですね。
一番利用するのは②なので機器分析室で使うUSB等と一緒に小さな袋に入れて白衣のポケットに入れている(それでもたまに袋ごと持っていき忘れる)。でもそうすると授業の時に鞄に移すのを忘れるし、毎日帰りに鞄に移せるわけないから翌朝たまたま一番だと学生証は研究室の中なので他に誰か来るまで開けられない。いままで4-5回くらい警備員に泣きついて開けてもらった。多分覚えられている。恥ずかしい。
私が思い付く最良の方法は学生証二枚持ちで白衣のポケットと鞄に入れておく方法なのだが、まあそれは出来ないので何か現実的な対策は無いのかと途方にくれている。
まだ学生だから笑っているが、これが社員証になったら社会人としての信用が疑われるしどうしたらいいのだ。
【スペック】
大卒社会人3年目、女、適応障害で休職中。転職で悩んでる。復職の可能性もあり。
直属の上司(女性)によるパワハラが一番の原因。暴言、間接的な暴力があった。
今の会社は、他業界と比較して事務手続きが膨大かつ細かい、風通しが悪い、減点主義、体育会系、飲み会多い、勉強で休日が潰れるなどが嫌だった。
【何故転職したいのか】
・成長している業界に行きたい
【転職に求めること】
・人と関わりたい
今の仕事で唯一楽しかったのがお客様と話すことだった。どちらかというと広く浅くが好き。
・一人になれる時間も欲しい
今の仕事は昼休みも雑談必須。ニコニコは得意だけど、本当は一人大好きだし昼休みくらい好きにさせて。
・良好な人間関係
いつも誰かが陰口言ってる職場はもう嫌。メンタル弱いから違う人の悪口聞いてるだけでも傷ついてしまう。気の合わない人とは最低限の付き合いでいいじゃん。
・男女比率半々くらい
女性が多いと陰口が多くなりがち。男性が多いと長く働けなさそう。
・適度な運動
立ちっぱなしは絶対嫌だけど座りっぱなしも辛い。色んなところに出かけたい。
【できること】
・愛想がいい。とにかく笑顔を褒められる。
・人と一対一で話す。初対面が一番得意なタイプ。
・褒める。人や商品のいいとこ見つけるの得意。
【嫌なこと】
大学もそれなりだし、ストレートでここまで来て挫折知らずだった。
彼氏はまだ学生で結婚に逃げることはできない。できれば私も働きたいし。
親とも疎遠。周りも院生等働いていない子が多いし、働いていても転職してない。
営業職の求人どんどん紹介してくれるけど、こんなにメンタル弱い私にできるのか。かと言って、事務職も社内の人間関係を上手く構築できるか不安だし、都内で一人暮らしするにはお給料少ない。
最近学会に参加するときなどに行う出張申請が、教授を通して一括から参加者が個別に行うようになった。
この出張申請のために動くシステムこそが、最近中高年を1000人単位でクビにした某Japanese Traditional Big Companyが開発・販売を担うワークフローシステムだ。
このシステムがすごい。
まずはじめに出張申請を行った10人が10人全員理解できない謎の画面が表示されるのである。一応所々に「こういうときはここに入力してね」というアナウンスが書かれているが、そこにもたまに嘘が混じっている。
教授どころか申請を処理する学校事務まで仕様を把握していない有様で、どうすれば申請できるのかよく分からない。
データベースから検索をかけていると思しき箇所がある。1データが6個の文字列・数値から構成され、それが推定1万件程度あるだけの小規模なデータベースだ。そこから1個データを取ってくる検索処理に10分近くかかる。さらに因果関係は不明だが、10人が同じタイミングで出張申請を行っていたらシステムがダウンした。まさかとは思うが、データベースの検索の負荷で死んだのか?
そして何より触った人間を例外なくイラつかせるクソUIである。本来ならばシステム化し学生にも個人で出張申請をさせることで関係者が楽になることを目指したはずなのに、関係者全員の生産性が低下する逆・働き方改革を成し遂げたクソUIがそこにはあった。
大学はこのマイナスしか産まないシステムに一体いくらかけたんだ?
疑問は尽きない。
ハードを重視するあまりソフトを軽視しまくったことが日本のIT産業を衰退させたという言説をどこかで聞いたことがある。
このソフトの出来を見る限り、それは本当かもしれないと思った。
確かに、ここに引かれている内容だけ見ても「ちょっと高度な文系ジョーク」に近いおハナシレベルの内容で、まともな学者がこれに取り合ったというのが信じがたい。ソーカル事件は、あれはあれで「訳分からん」現代哲学世界の出来事だからなあとも思うけど(それでももはやジョークだけど)、文系の中ではそれなりにロジカルで実証的で研究の価値が明白に判断できそうな「言語学」の世界で、門外漢の素人にも判断できそうな内容でコレとは……。書評を書いた院生の憤り、それを掲載した人の判断、そして博士号を与えた方々は、いずれも「相当思い切ったことやったなあ」という印象だ。
[追記]
ちょっと分かった。この人は日本語学界の人でなく「英文学科」で英語学?やって、「英語」の高校教員から年取って大学院に戻った人なのな。でもって「認知言語学原理に基づいた外国語習得コンピュータプログラム」みたいな発表を見るに、「英語を勉強するのに、日本語をこんな風に考えると理解しやすいよ」という発想で教育寄りにやった研究か。それで、まっとうな言語学・日本語学の世界の研究の積み重ねを丸無視したようなイキリ散らした研究が出来たわけだな。はぁ。東大の院生がカチンときたのは分かる。
いいお年のようだが、ネットのあちこちで見かける文章を見ても、ちょっとご自身の日本語自体もかなり怪しい印象がある。人情かな京都大学。
大学生のとき、いわゆるFラン大学の存在意義がよく理解できていなかった。
高校までの知識を身につけられていない人間に高等教育を受けさせる必要性がよくわかっていなかった。
よくわからない大学に払う国家予算が無駄だと思っていたし、潰してしまえば、いま自分が通っているオンボロ国立大学の校舎もきれいになる、と思っていた。
大学院生になり、Fランを、院生の就職先として存在意義がある、と考えるようになった。
しかし、相変わらずそれ以外のメリットについては、よくわからなかった。
教師になった。あまり学力の高くない生徒の多い学校に通っている。田舎の狭い人間関係、偏った価値観のなかで暮らしている生徒を見て、もっと広い世界を知ってほしい、大学に行ってほしい、と思うようになった。Fランは、そういう子たちが、自分も進学できるかも、と思うくらいのちょうどよい学校であると、感じるようになった。
身の丈に合わせて生活する、確かにそれもいいのかもしれない。でも、少し背伸びしながら過ごした世界で、人生の幅が広がり、豊かになっていくのではなかろうか。