2019-10-31

大学生とき、いわゆるFラン大学存在意義がよく理解できていなかった。

高校までの知識を身につけられていない人間高等教育を受けさせる必要性がよくわかっていなかった。

よくわからない大学に払う国家予算無駄だと思っていたし、潰してしまえば、いま自分が通っているオンボロ国立大学の校舎もきれいになる、と思っていた。

大学院生になり、Fランを、院生就職先として存在意義がある、と考えるようになった。

しかし、相変わらずそれ以外のメリットについては、よくわからなかった。

教師になった。あまり学力の高くない生徒の多い学校に通っている。田舎の狭い人間関係、偏った価値観のなかで暮らしている生徒を見て、もっと広い世界を知ってほしい、大学に行ってほしい、と思うようになった。Fランは、そういう子たちが、自分も進学できるかも、と思うくらいのちょうどよい学校であると、感じるようになった。

身の丈に合わせて生活する、確かにそれもいいのかもしれない。でも、少し背伸びしながら過ごした世界で、人生の幅が広がり、豊かになっていくのではなかろうか。

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