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はてなキーワード: 社会思想とは

2020-06-27

SNSを続けていくうちに社会思想への好みが変わることは珍しくないんだと思うけど

元々、反ニセ科学ブログを描いていた頃には左派リベラリストくらいのポジションだったkikumaco先生が、主に左翼による口汚い罵倒で完全なる反左翼に立つ様になり、ツィッターではリベラル右派どころかネット右翼と呼べるような人達ともすっかり仲良くなってるけれども、その反対側では元々「右翼左翼も嫌い」で若い頃にはどちらにも露骨な悪意を隠さなかった小田嶋隆氏が、こちらは主に右翼から下劣悪口雑言で完全に反右翼になってて、好対照と言えば好対照な気がする。

2020-06-24

痴漢被害について攻撃的な発言をする女性

1.

本来憎むべき相手がいるとすれば

それはその人に直接危害を加えた特定痴漢に他ならない。

しかしその特定痴漢に対して仕返しをし損ねたのでその後もずっと恨みをため込んでいる。

 

2.

その恨みをより広い相手にぶつけて受け止めてほしがる。

結果「男」がどうこうというような主語デカ発言になっていく。

 

3.

しか主語デカ発言お気持ちを受け止めさせようとする人に対し、人間はあまり優しくない。

 

4.

それは不毛精神構造の発露に他ならないから。

そしてそういう精神構造には際限がないということを多くの人が人生のどこかで自覚しているから。

 

5.

私自身も自覚体験がある。

新卒で入った会社職場全体のストレス源になっている物凄いモンスターお局様と遭遇し、意味不明いじめを受け、

高齢独身で働いてる女性は必ず精神不安定になり職場害悪」という一般論ネットに何度も書くようになった。

しかし当たり前だが、その後同じ属性でまともな人にも会った。

私はせめて当該お局様のみを憎むべきであったのに、

社長コネで引き取られていてアンタッチャブルなそのお局様に誰も対処できなかったフラストレーションから

高齢独身で働いている女性」という風に対象レンジを拡大し、無関係人達八つ当たりをすることで留飲を下げていたのだ。

主語デカ発言精神構造というのはこれだ。

 

6.

小島慶子さんにしても、

大元は何かまっとうに憎むべき相手理由体験)があったのだと信じる。

けれども対象拡大主語デカ発言とそれをしてしま自分精神構造とを検討して戒めることがなかったために、

八つ当たりで広範囲に嫌な思いさせることを狙うのがすっかり癖になってしまっているように見える。

 

7.

社会思想はこのような主語デカ発言精神構造と相性がいい。

自分の身にたまたま起きたことを一気に社会問題にまで拡大してくれるから

そして同じ精神構造の同じ性格人間が同じ理由ですでに集まっている。

 

8.

そうして、仲間と一緒に主語デカくしながら特定属性範囲攻撃をし始めることになる。

もちろん無関係な人を大量に巻き込む八つ当たりだ。

八つ当たりからこそ溜飲が下がる。

自分の恨みや無念を無関係な人にも横暴にぶつけていける攻撃の実感と権力感で快楽が発生する。

 

9.

このような時、社会思想の仲間というのは実はただの八つ当たりを好む性格同士の仲間だ。

個々の体験を共有するために乱暴抽象化を行い、主語デカ属性への攻撃合意する。

何かの問題解決ではなく、本来の恨みへ復讐することですらなく、もはや八つ当たり快楽自体を追い求めている。

 

10.

一般を凄く憎んでる男の集団が家父長制とか保守とか言われて

一般を凄く憎んでる女の集団フェミニズムとかリベラルとか言われていても

でもどちらも「個人の恨みを八つ当たりにまで拡大してしまうことを自分に許してしま性格」という同じタイプの人の集団で、

これについては保守とかリベラルとかはあまり関係がないと思う。

  

11.

twitterはてなブックマークidを追ってみても

こういう主語デカ八つ当たり好きな人というのは明らかにいて、そういう発言を多くしたりいいねや☆を付けたりしている。

野蛮な時代だとこの種の性格の人は「女は劣等」とか「朝鮮人は劣等」という”社会思想”に多く隠れていたんだけど

それは差別だとわかりやすいため不当さを批判されるようになり気分よくなれなくなってきたため、

今では「男は害悪」とか「日本人は劣等」という”社会思想”にも潜むようになっている。

 

12.

これはその人達性格問題であって、本来社会思想問題ではない。

からこのエントリウヨクサヨクがという批判ではない。

どのような思想であっても、主語デカ八つ当たり快楽を求める性格の人が入り込む。

これ自体社会問題でも思想問題でもなく、個人性格問題なので、

そう言う性格の人が自分自分精神構造に気付き、性格を戒めてやめていかなければいけないのだ。

 

13.

本来社会思想の人か、八つ当たり快楽追及者かの見分け方として、

人を助ける活動を地道にやることに重点を置いている人は前者の可能性が高まる

右翼であっても私財を投じて日本人の子弟を扶けようとか援助しようという人間は立派な性格だし、

左翼であっても自分の頭と体で貧困者の面倒を見て汗を掻いている人間は立派な性格だし、

一方で「敵対陣営に嫌な思いをさせること」ばかり楽しそうに追及している人は右翼であれ左翼であれ尊敬しにくい。

 

14.

痴漢については満員電車を減らすことと監視カメラを増やすことぐらいしか現実的対策がないと思う。

せめて小池百合子知事を憎む…のではなく強く働き掛けを行うことで実現に向かっていくことが建設的態度ではないかと思う。

このような現実ベースの話で異論討論が起きているのをあまりたことがない。

現実での対処法はみんなわかってるしほぼ合意を見ている。

 

15.

話が荒れるのはいつも気持ちベースの話であって、

しか気持ちについては個々人が自分解決していくしかないものだ。

自分の無念とか、それを他人八つ当たりして受け止めさせたいという欲望とか、

そういう部分を社会思想すり替えるのは何も解決しない。

自分自身一時的スカッとしても、結局憎悪が膨れ上がるし、他人の分の憎悪まで勝手に持ってくるようになるし、

そうして自分が何年も何十年も憎悪と共に過ごすことになるだけだ。

 

16.

男であれ女であれ右翼であれ左翼であれ

攻撃を楽しむ性格人間になってはいけない。

自分のそういう性格思想のように取り繕ったりしてはいけないし、誰かや社会のせいにしてもいけない。

それは自分の心のハンドル自分で握らず、程度の悪い何かに預けてしま行為に他ならない。

追記

pikopikopan 攻撃を楽しむ人間になってはいけないには同意する。ただ一個人の力で対処出来ないことや境遇に恵まれてなかったことを該当者だけの責任にする訳にはいかない。

「一個人の力で対処出来ないことや境遇に恵まれてなかったことを該当者だけの責任にして済ませよう」

なんて話はどこにもしてないつもりですが・・・

私は社会思想自体否定していないということも繰り返し断っていると思います

負の連鎖を生みださない為の働きかけは出来ると思う

社会思想風に八つ当たりを楽しむ人たちのアクション

負の連鎖を防ぐ側ではなく生み出す側なので区別することが必要だし

当人にもろくなことはないため自分で戒めてその性格から脱却した方がいい

という話をしました。

 

kincity 性的イシューで「本来なんの関係もない無辜男性」が「痴漢クソリプしてくる奴」相手の注意指摘の文言に非常にヒステリックに噛み付いてくる心理について当人たちが認識分析すべきでは?何故黙ってられない?

個別の事例次第ですが

痴漢について男性全体を巻き込んで非難したり責任を分担させようとしたりする発言については、八つ当たりが含まれており反発があるのは仕方ないと思いますし、それについては八つ当たり発言者が「始めた人」だと思います

ただしそのような八つ当たり要素が無い発言に対してもクソリプゼロにならないことは確かです。

 

dogear1988 増田がそうだった様に、人が傷を癒すにはそうした言動をする期間が大なり小なり必要なのだが、ネットではそれに対する批判が集まる過程で寧ろ反発心を強め、誰も幸せにならない悪循環。難しいね

個人的には、ネット情緒的に人とつるむこと自体をやめた方がいいと思っています

twitterはてなブックマークなどでは八つ当たり仲間を見つけるのは簡単すぎます

あいアクション社会を良くしないし、自分の心も良くしないし、

なのに社会思想看板やのなんらかの大義名分がくっつくと何か立派なことをしてる気持ちにまでなるんです。

実際には誰かに対する攻撃感情を楽しんでるだけでも。

 

追記

skgctom 何で「私は職場高齢独身女性に酷い目に遭わされたので高齢独身女性が嫌いだ」を「高齢独身で働いてる女性は必ず精神不安定になり職場害悪」と言い換えたのだろう。「酷い目に遭った私」はどこへ行ったの?

えーと

からまさにそれについての話だったんですが

「私は職場高齢独身女性に酷い目に遭わされたので高齢独身女性が嫌いだ」

ならば自分情動客観的に観察出来ているんです。

 

「ある高齢独身女性に嫌な目に遭わされたので、別の無関係高齢独身女性を見ても条件付けで嫌な気持ちが起きる」

という事実自分の心の動きを高度に客観視して把握してますよね。

そういう人なら無暗に無関係な人を攻撃したり八つ当たりしたりしないわけです。

   

自分の心が無関係高齢独身女性嫌悪感を持つの自分心の問題であり、対象のあの人に責任の無いことなのだ

とわかっているんです。

 

一方、自分の心を客観視して戒めない人間は、

高齢独身女性全般への嫌悪の反応を正当化する方へ向かうんです。

「実際結婚もしてない人ってみんな最後ヒステリーお局になるんだよ、嫌われて当然。きもい迷惑だよねー」とか。

 

自分の中の恨みとか不快感とか攻撃欲を正当化するために、八つ当たり肯定するために、

主語デカ攻撃言説を始めるわけです。

 

というかskgctomさん

高齢独身で働いてる女性は必ず精神不安定になり職場害悪」が

不適切八つ当たりの例であるということは理解してくれているでしょうか?

 

 

追記

grdgs 「お前ら攻撃的。お前ら口が悪い」と常々言っている人たちが得てして普通に攻撃的で口が悪かったりするので、そのような鏡がない人たちにも伝わるといいですね。

あなた日本人に対する差別発言を(わりと許される空気もあったため)繰り返していたところ

風向きが変わって非難を浴び面目を失った人だと理解しています

  

あなた実体験上の恨みがどんなものであったとしても

日本人全体を憎悪して差別呼称を繰り返すというのはやはり主語デカ八つ当たり病だったというほかないと思うし、

そこは真摯客観視が必要だと思います

  

そのうえで…

1.「差別発言」を咎められたのを「言い方の乱暴さ」を咎められたというようにすり替え意図であれば感心できません。

2.仮にあなたと同レベル差別発言あなたの”敵”がやっているとしても、それはあなた正当化しません。

(これはこの文の主旨の主語デカと別の話なので本当に蛇足ですね。)

 

建設的な日本批判日本人批判をしてくれればちゃんと読みたいと思います

 

 

追記4

differential どう対策しても痴漢ゼロにできるとは思わないが、過去現在喫煙飲酒への風当たりの変化を知るオバハンは、痴漢もっともっと風当たり強くなって良くね?とは思う。喫煙者より無条件に嫌われるべきと思う笑 ブコメ見た感想 知らんけど 無自覚バイアス

ちょっと意味がわかりません。

痴漢は誰に聞いたって犯罪者であって、喫煙飲酒より社会から甘い扱いを受けているということはないと思うのですが…。

また「喫煙者が無条件に嫌われるべき」というのも危ういものを感じます

私は喫煙者の健康被害観点から煙草社会からなくなる方が良いと思っています

あなたのその「喫煙者が無条件に嫌われるべき」のような感情

問題解決ではなくあなたが何かを憎悪して快楽を得たいだけに見えるので与したくありません。

 

既に明確に犯罪者である痴漢さら憎んで風当たりを強くする(これ以上どのように?)ことで問題解決になる、という不思議な主張も

あなたシラフの理性が言わせているというよりは、やがて抱えきれずに誰かに八つ当たりを始める攻撃心の萌芽のような気がします。

2019-06-10

anond:20190607102450

信仰って何かというと、現実から目を背けたいときの心の救済なんじゃないかな。

 

ここが雑なので、いろいろ誤差が大きくなっていく。

 

魔法が消えてしまった、それはいいよ。

でもそれは具体的にはどういう作用だったか

 

信仰は結果として迷信だったかもしれないけど、科学が未発達だった時代信仰をしたのは、それが「現実」だったからだ。世界神様が作ったという世の真理を、教えてくれるものだった。信仰を知らないものこそが「現実」を知らない者だった。

魔法が消えた、と君が言ったのは、信仰が示していた「現実」が迷信だったことが判明してきたということだ。

現実から目を背けて救われたい、という信仰のありようは、確かに君の目の前にあるかもしれないが、それは魔法が消えたから出てきたものだ。

もともとの信仰ではない。

 

から信仰が衰退した後に来るのは、笑い、みたいな、別の気晴らしとかではないよ。

別の方法で「現実」を説明するもの信仰に取って代わります。つまり科学社会思想、そんな感じのものだね。

em菌水素水否定する人たち、フェミニズム擁護したり攻撃したりする人たち、信仰めいてると思ったことはないかね? 彼らはまさにかつての信仰者のように、人生価値を与えられ救済されている。

2019-04-09

anond:20190409155911

それに近い人間福祉宗教の代わりに政治思想とか社会思想というものインストールして盛んにアウトプットしてるのがああいう人たちなんではないのかという視点

2019-02-27

anond:20190227042355

僕も本好きだが、小説はあまり読まないぞ。他にも社会思想とか未来学っぽいのとか、いろいろあるだろ。最近だと、現代資本論だの、シンギュラリティだの、AIだの、そんなこんな。

2018-05-30

朝日新聞真人 経済成長永遠なのか 「この200年、むしろ例外

2017年1月4日 [脱成長論][成熟社会][定常社会]

 いつしか経済成長」は私たちにとって当たり前のものになっていた。だが、それは永遠のものなのだろうか。

 アベノミクス大黒柱である日本銀行異次元緩和はお札をどんどん刷って国債買い支えるという、かなり危うい政策である。にもかかわらず世論の支持が高いことが不思議だった。

 思えば「成長よ再び」という威勢のいい掛け声と、「必ず物価は上がって経済は好循環になる」と自信満々の公約に、人々は希望を託したのかもしれない。

 希望をくじいたのはくしくも日銀が放った新たな切り札マイナス金利政策」だった。昨年1月に日銀が打ち出すや世論調査で6割超の人が「評価できない」と答えた。いわばお金を預けたら利息をとられる異常な政策によって、人々がお金を使うようせかす狙いだった。これには、そこまでする必要があるのか、と疑問を抱いた人が多かったのだろう。

 政府国民も高度成長やバブル経済を経て税収や給料が増えることに慣れ、それを前提に制度人生設計してきた。

 だがこの25年間の名目成長率はほぼゼロ。ならばもう一度右肩上がり経済を取り戻そう、と政府財政出動を繰り返してきた結果が世界一借金大国である

 そこで疑問が浮かぶゼロ成長はそれほど「悪」なのか。失われた20年と言われたその間も、私たちの豊かさへの歩みが止まっていたわけではない。

 その間、日本ミシュラン三つ星店は世界最多になったし、宅配便のおかげで遠方の特産生鮮品が手軽に手に入るようになった。温水洗浄便座の急普及でトイレは格段に快適になった。

 若者たちが当たり前に使う1台8万円の最新スマホが、25年前ならいくらの価値があったか想像してほしい。ずっと性能が劣るパソコンは30万円、テレビ20万円、固定電話7万円、カメラ3万円、世界大百科事典は全35巻で20万円超……。控えめに見積もったとしても、軽く80万円を超える。

 スマホに備わるテレビ電話や会話する人工知能機能となると、25年前ならSF映画世界の話だった。

 ただ、この便益の飛躍的な向上は国内総生産GDP)というモノサシで測ったとたんに見えなくなる。80万円超の大型消費が、統計上はスマホの8万円だけに減ることさえあるのだ。

 そこで見えなくなってしまう豊かさの向上を考慮せず、「どんな政策手段を使ってでもとにかくGDPを膨らませよ」というのがアベノミクス思想である

 人間はそうまでして成長を追い求めるべきなのか。

 実は、いまのような経済成長歴史が始まったのは200年前にすぎない。長い人類史のなかでは、ほんの最近だ。GDP統計が初めて作られたのは、さらにずっとあとのこと。1930年代大恐慌、第2次世界大戦がきっかけだった。

GDP、語られぬ限界

 昨年夏、GDP統計をめぐるちょっとした論争があった。所管官庁内閣府日本銀行が「実態より過小評価されているのではないか」と問題提起したのだ。

 きっかけは日銀の若手職員が発表した個人論文。ただ論争には日銀上層部意向も働いていた。アベノミクスの主軸として史上空前の超金融緩和をしながらインフレ目標を実現できず、成長にも結びつかない。現実へのいらだちがあった。

 数字ひとつ財政金融政策を動かし、人々の景況感にも影響するGDP。その歴史は、長い人類史のなかでは意外と短い。

 世界で初めて国の経済全体の大きさを測ろうとしたのは英国。17世紀の英蘭戦争のためにどれくらい戦費が調達できるか知ろうとしたのだ。そこから現在のようなGDPになったのは、さらにあと。1930年代英国米国大恐慌対策を探り、第2次世界大戦に向けた生産力の分析を進めるためだった。(『GDPダイアン・コイル

 一般的には1760年代英国産業革命が成長の起点とされる。だが西暦1年~2000年代世界の成長を人口歴史資料から推定した経済学者アンガス・マディソンによると、1人当たりGDPがはっきり伸び始めた起点は60年ほど後の1820年ごろだった。

 その理由投資理論家で歴史研究家のウィリアムバーンスタインが『「豊かさ」の誕生』で分析している。1820年ごろになると、ようやく私有財産制度資本市場が整い、迅速で効率的通信輸送手段が発達。技術進歩や新しいアイデア評価する文化制度ができて、成長を後押しする基盤が整ったという。

■もとは冷戦期の産物

 社会思想家の佐伯啓思京都大名教授によると、国家が成長を必要としたのはもともと冷戦期に資本主義陣営が社会主義陣営に勝つためだった。「それだけのことにすぎない。なぜ成長が必要なのかという根源的な問いに、経済理論には実は答えがないのです」

 冷戦が終わったあとも成長への渇望だけが残った。むしろ成長の限界弊害について、以前より語られなくなったのかもしれない。

 1970年代初頭、世界科学者経済学者たちが集まる民間組織ローマクラブがまとめた報告書成長の限界』は、経済成長謳歌(おうか)する人類への警告だった。人口が増え、先進国経済が膨張しすぎると、資源の使いすぎや環境悪化などからいずれ限界が生じる、という問題提起だった。

 いつしかその問題意識は薄れ、成長信仰だけがひとり歩きしはじめた。

 佐伯氏は「ローマクラブが指摘した問題重要性は今も変わらない。これから無理やり市場を膨張させ、成長させようとする試みは競争格差を激しくして、人間にとってますます生きにくい社会にしてしまうのではないか」と話す。

■低成長容認社会に変化の兆し

 紙幣を発行し、金融政策をつかさどる中央銀行。その「元祖」は英国イングランド銀行とされる。もともと民間銀行の一つだったが1844年の制度改正中央銀行進化した。

 つまり1820年ごろに始まる「成長」とともに誕生した機能だった。

 いま世界経済の成長スピードが落ちている。2008年のリーマン・ショックマイナス成長に陥った先進諸国は、危機から回復した後も以前のような成長軌道に戻れていない。

 サマーズ元米財務長官は3年前、物質的に満たされた先進国簡単に低成長から脱せないという「長期停滞論」を唱えた。

 日米欧の中央銀行はまるで自分存在意義を確かめるように、ゼロ金利政策、量的金融緩和マイナス金利政策……と成長を取り戻すための異例の緩和策を次々と繰り出した。

 「これは長い目でみれば中央銀行の終わりの始まりだ」と言うのは日銀出身金融史にも詳しい岩村充・早稲田大大学院教授だ。

 中央銀行政府から独立する必要があるのは、たとえ政権が代わっても、お金価値が変わらない金融政策を続けることが経済の安定には大事からだ。岩村氏は「政府といっしょになって成長のために異常な金融緩和を進める。そんな今の中央銀行独立性はない。存在意義がなくなってしまった」と指摘する。

 経済史の泰斗である猪木武徳大阪大名教授は、成長を謳歌たこの200年間を「経済史のなかではむしろ例外的な時期」と言う。そのうえで無理やり成長率を引き上げようとする最近政策に異を唱える。

 「低成長を受け入れる成熟こそ、いまの私たちに求められているのではないでしょうか」

 成長の意義も認めてきた猪木氏が最近そう考えるのは、成長そのもの役割が変質してきたからだ。

 「かつて経済成長には個人を豊かにし、格差を縮める大きなパワーがあった。最近国家間の経済格差は縮まったものの、上っ面の成長ばかり追い求める風潮が広がり、各国の国内格差が広がってしまった」

 主要国の成長戦略金融政策は往々にして強く富めるものを、さらに強くさらに富ませる傾向がある。それがトリクルダウン(滴がしたたり落ちること)で中間層低所得層に広がるという想定だ。現実にはそうなっていない。

 19世紀の経済思想ジョン・スチュアート・ミルゼロ成長の「定常社会」を構想した。だが近代経済学事実上、成長ぬきには語られなくなった。いつしかあらゆる経済理論が成長の持続を前提に組み立てられるようになったからだ。

 むしろ現実社会に変化の兆しが出てきた。たとえば最近広がりつつある、買わずにモノを共有するシェアリングエコノミー。大量消費と一線を画す動きだ。

 四半世紀にわたるゼロ成長期を過ごした日本人の意識に変化もうかがえる。

 博報堂生活総合研究所定点観測調査によると、「日本の現状はこの先も、とくに変化はない」と見る人は昨年54%で、9年前より22ポイントも増えた。さら身の回りで「楽しいことが多い」人が増え、「いやなことが多い」人は減った。

 同総研の石寺修三所長は「人々の意識が定常社会を前向きに受け止めつつある変化がはっきり示されている。いわば『常温』を楽しむ社会です」と話す。

 いま世界が直面する低成長が「成長の限界」を示すものかどうかは、はっきりしない。ただマディソンの2千年の成長率推計を見れば、この200年の2~3%成長が、まるでバブルを示す急騰曲線のようだとわかる。

 成長の鈍化はむしろ経済活動の「正常化」を意味しているのかもしれない。少なくとも成長は「永遠」だと思わないほうがいい。(編集委員・原真人

元ページ(リンク切れ): http://www.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html

ブコメhttp://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html

2017-05-08

大学社会思想先生が言ってた

めんどくさいから三週間髭をそらなかったり半年散髪に行かなかったりすることがあるらしいが、凄まじく怪しい風体になって電車に乗っても隣に誰も座ってこずに埼玉から東京まで座席を広々使えるらしい。

2017-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20170109062650

まあなんでもそうだけど

社会思想っていうのはあらゆるニュースにあてはめることが「できてしまう」ので

自省の効いた知性を持ってない人は統合失調みたいな感じになって行くんだよね

思想を万能のハンマーにしちゃう

2015-12-17

ネットで俺の考えた理想社会思想をばらまくのは一向に構わないのだが


大抵、それ誰かだいぶ前にたくさん発表してるでっていう新規性がない。新規性が。

2014-03-17

STAP小保方

専門性の高い分野だから、「博士」だとか「nature」だとかを信用して、成果を信じてしまうのはある程度仕方がないだろう。

その分野にとっては多くの人間素人だ。だからそう報道されれば額面どおり受け取るのが素人ってもんだ。別に悪い意味じゃなく。

だが問題なのは、STAP小保方の業績をダシにして、自分思想信条社会思想敷衍させようとする言明があったことだ。これは明らかに時期尚早だった。

例えば若年層の研究職への就業の問題。女性就業(それも科学者として)の問題。日本人世界活躍することについて。細かい点で言えば、STAP自身のいでたちやヘアメイクなどについて。

もともと議論されそうな話題なうえに、その本体の評価が180度変わってしまったことで大変ややこしいことになってしまった。

そして180度評価が変わったことで、その業績をダシにして評価していた思想信条社会思想への個々人の意見のあり方も見えにくくややこしくなってしまった。

如上の動きはまさに時期尚早で、素人ならば言明をグッと控えるべきところだった。

いろんな人間が気軽につぶやいたり言明できる時代からこそ、グッと控えるべきところだった。

いろんな人間が気軽につぶやいたり言明できる時代からこそ(意見言いたくなっちゃうけど)、脊髄反射しないようにグッとこらえる部分もあった方が良い。

そして様々な分野に素人たる私たちは、知りたいと思うこと、興味を持ったことに対しただブクマコメ悦に入るのでなく、腰を据えて学ぶ姿勢も持たなくてはならないだろう。

気軽につぶやいたり言明できる時代からこそ、ある程度勉強して発言しなきゃならないし、勉強の成果として知識だけでなく行間も読めなきゃいけないし、リテラシーも持たなくてはならないし、自重すべき箇所も知らなくてはならない。

STAPの一件からそんなことを考えさせられる。

2014-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20140314113954

先進国女性管理職比率は30%を超えてるので、日本民族女性特別能力が低いというわけじゃなければ、別の増田に言ったような社会思想が背景にあるんだろうね。

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