はてなキーワード: 特殊メイクとは
ゾンビ映画が好きだ。
シリアス、コメディ、ハートフル何でも受け入れるゾンビ映画が好きだ。
アイデア勝負の低予算B級も良い、特殊メイクとCGが豊富なハリウッド超大作も良い。
私はゾンビ映画が好きだ。
けれど、ゾンビ映画を完全に味わうことはできない。
ゾンビになることの本当の怖さは早すぎる復活だ。
あらゆる死者をよみがえらせて裁きを行い、
かつて火葬は最後の審判で復活するための肉を無くすという刑罰だった。
効率化の波が火葬を認めさせたとはいえ、今でも抵抗のあるキリスト教徒は多いと聞く。
そんな彼らにとって、キリスト再臨の前に復活してしまうことがどれほど恐ろしいことか。
桃源郷は現実に存在しないから憧れる、それはあるかもしれません。でも凄く悲しいんです。だってまだ人間に興奮出来る人達っていくらでも手に入るじゃないですか、その、えっと、二次元上に投影されたなにかとか、あるいは二次元上に投影された奥行きがあるように見えるだいたい60分くらいある何かとかがですね。
私はですね、二次元上に投影されたなにかとかをですね、はい、それを探すだけでも1枚2時間とか平気でかかるんですよ、というか2時間で1枚も見つかったら良いほうですね、何しろインターネット上の絵師もサイトも全部私は彫り尽くしてしまいましたからね。真面目な話既存の絵師が新しい絵を投稿してくれるのを待つか、新世代の誕生を待つか(長い人生を書けてこれは現実のものとなりました!)、それとも新しく何かサイトが誕生していないかとか、他の絵師が突然目覚めないかとか、マジで待ちなんですよ。凄く辛いです。ああでもそれは少し脇に置いておきましょう。
あのですね、ちょっとですね、自分で手錠と足枷を買ってみてですね、拘束してみたんですけどこれはちょっとダメだなぁと、じゃあどうしようと思って、氷像にされてみたいので一回氷をたくさん作ってみたんですけど、冷たいし普通に痛いし氷が次から次に解けていくしそもそも拘束感が全然無くてこれもダメでした。
それで特殊メイクとかの話とちょっと繋がるんですけど、最近ちょっと真面目に考えてるのが石膏の型取りなんですよね、全身の。いや取ったからって言って何も使わないんですよ。だけどほら、石膏取ってる間って全身動けないじゃないですか。凄く石化っぽいなって思ってて、お金かかるけど体験するなら石膏の型取りだなっていうのはいっつも思ってます。
あとついでに石膏の外側に勝手に胸とか盛られたりしてそのまま猥褻な見た目にされて美術館に何日も飾られたりされたら凄く良いなぁとか思ったんですけどこれもちょっと難しくてですね、というのも排泄の問題が出てきますからね。
こうなると前の穴と後ろの穴にチューブでも突っ込んでという話になるんですけど、チューブが外に見えちゃったら「なんだ人入ってんじゃん石像じゃねえじゃんただの変態じゃん」って思われるからこれはちょっと受け付けないんですよ。あくまで私は無理やり石化されたいだけなので。
だからチューブは中に通す必要があるんですが、そうなると石膏内部にかなり可動域が生まれることになりますよね、そうなるとそもそも拘束されている感覚が失われてしまって両立しないんです、これは。かといって排泄管をなくして我慢して毎日石膏されなおすかとか4時間おきに取り直そうとかいう話にすると今度は長期間拘束されていることによる自分は石化されているんだという最低限の自己暗示すら無くなってしまって興奮できない自分が容易に想像できてしまいもうだめなんですよ。難しいですね。
あのですね、少子高齢化が我が県のみならず日本人全体の問題であるように、石化現実化問題も日本人全体の問題であると、私はそう強く主張していきたい。解決案を発明してくれる方や石膏代を出してくれる方、募集してます。どうかご連絡ください。
なにあのベタベタな展開?Amazonビデオのレビューに「知的な騙し合い」がどうのこうのって書かれてたから期待したけど、いやどこが??って感じ。
真犯人は最初からバレバレだし、(ガム型爆弾くれたから一番役には立ってるけど)最初に出てきた仲間の凄腕ハッカーみたいなのはしょぼすぎるし、トムクルーズの最初の相手役の女スパイは仮にもスパイのくせに柵の向こうにいる相手にナイフで殺されちゃうとか雑魚すぎだろうっていう。
てかなんでジャンレノがあんなショボい脇役やってんの?あとなんであそこでナイフ落とすんだよ。ネズミが苦手とかいう伏線あったか?
どー考えても、あそこはナイフ落とさないでインポッシブルなミッションをちゃんと成功させたほうがカッコよかっただろ。あの机にナイフが刺さってる図を監督がどうしても出したかったんだなとしか思えない。
あとあの変な特殊メイクね。アレは萎えるわ〜。アレがアリならもうなんでもありじゃん。
あとは最後に列車の中でトムクルーズが変装して待ってるところも意味不明すぎる。トムは自分が変装してあそこに座っている間、あの裏切り者のおっさんがどこにいると思ってたの?女とごちゃごちゃ話すより前にあのおっさんにもっと警戒しておけよ。
極めつけは二人目の女があっさり死んだ時の興ざめ感。あー、これ続き物だから、毎回女優はコロコロ変えたいから、トムの相手役が生き残ってると不都合なんだろーなーって予想のつく感じ。
最後に列車の運転手が気を失う場面に至っては、ベタもここまでやるとすごいなって感心した。もはやギャグ。
でも同じギャグでトムクルーズなら、インタビュー・ウィズ・ヴァンパイアの最後の方がよほど笑えたけどね。まああれは最後のハッチャケ!トムクルーズに至るまでの退屈なところは全部前フリって構造の笑いだから、何回も見るのには向かないけど。
アメリカで上映された映画で、俳優が異星人に扮するため特殊メイクをしたことを受けて、人種差別や文化的配慮が足りないとの非難が相次いでいる。
映画「スター・ウォーズ」では、有名な惑星タトゥイーンのジャバ・ザ・ハットを再現しようと、俳優がナメクジのような姿の特殊メイクで造形した姿で登場した。この造形の考案者はヒキガエルとチェシャ猫を合わせた姿と述べている。
顔や体型を特殊造形して風刺するいわゆる「アプライエンスメイク」は、全宇宙的にはきわめて侮辱的な風習だと広く受け止められている。ジャバのイメージはアメリカの大衆文化に大きな影響を与え、彼の名前は肥満や腐敗の象徴としてフィクション作品や政治風刺に度々用いられている。「ジャバ・ザ・ハットのように見える」という言葉は、それを向けられた相手が「太っている」または「外見が醜い」という意味で用いられる。
タトゥイーン星出身ハット族の作家兼コラムニスト、リチャードソン氏は、ツイッターでこの作品の問題を指摘。ハット族は、「笑いのオチや小道具」ではないと主張した。
氏はツイッターで、「#アプライエンスメイクで出演するアメリカ星の人へ。ハット族だというのは、オチや小道具じゃないんだ。ジョークが必要? もっと腕のいい作家を雇って。ハット族キャラが必要なら、英語を話すタトゥイーン人俳優を雇って。でもお願いだから、#アメリカ星でアプライエンスメイク止めて。カッコ悪いよ」と書いた。
リチャードソン氏は、自分にとって「悪夢のシナリオ」は2028年にアメリカ星で開催される宇宙五輪の開会式で、「ハット族アスリートを称えるため特殊メイクに扮した俳優がチャルマン酒場の演奏をやらかすんじゃないかって、真剣に不安だ 」とツイートした。
元増田だけど
以下引用
化粧の話ならオタク限定タグではなく普通にやればいいのに、敢えてオタク相手にやりたがるってのが
「普通の女子に話してもスルーされるかそんな普通の事をわざわざドヤるなよと思われるけど、オタク相手ならドヤれるだろう」ってのが透けて見えて
マウンティングだと言われるのでは。
これが「夏コミでも崩れないメイク」とか「コスプレの特殊メイクをやるのに適した化粧品」などの
オタクならではの話題として出したのであれば別に叩かれないと思うけど。
引用ここまで
「夏コミでも崩れないメイク」というのはオタク専用タグというやつないのでの?見てた限り「ベストコスメ」などコスメ垢と同じものを使ってたからオタク専用ではなくない?(コスメオタク専用ではあるかもだけど)なんか闇が深そうだな……
ディテールを作り込むときのやり方でも、出来映えでも、蔑視からくる笑いの受けを狙うのか、単に特徴を正確に表すのかで違ってこないか?
志村けんのバカ殿の白塗りと、昨年の大河に出てきた今川義元の白塗りは大分違うし、扱いもそう。
顔を靴墨のような黒で荒くコント仕様に塗って安っぽいカツラをかぶり、「笑われるために」出てきた浜田のエディ・マーフィーも、特殊メイクでもともと黒人であるかのように質感や細かいディテールを作られ劇中のシーンを茶化さず再現する物真似で驚かせるものであったら?
格好良いならとあるけど、パターンに落とし込まれたものがキャラクターとして活用されるとき、それはたいてい100%の賛意ではなくそれに感じる反発を描くのに使われる方が多いと思う。
あなたはどう思う?
改変禁止!と訴えている人たちがいるけれど、そもそもマンガと実写映画はフォーマットが異なっている。長さもそうだし、止め絵なのか動画なのかで見せ方も全然変わってくる。実写映画じゃなくてアニメ化なら大丈夫では...という人もいるけれど、キャラクターの造形は原作に近づけやすいが、物語の見せ方は絶望的に異なるので、大した違いはないと思う。
個人的には改変大賛成で、どんどん変えたら良い。
ただそこには「実写2時間の映像化」に切り出したい、ストーリーがあるはずなので、そこが何なのかを明確にしてほしい。
中途半端に特殊メイクをして、原作に近づけましたというよりは、見た目が全然異なっていても、物語がしっかりしていればそれで良いのだ。
3公開ってことで放映されたの録画して見た
なんとなくお話難しくてとっつきづらいイメージあったけど、分かりやすかった
ラストでたけし刺されて、あれ?って思った
しかしこういうの見るたびに、なんかの漫画で「このご時世やくざっつってもぽんぽん人殺したりはしない」って言ってたの思い出して複雑な気持ちになる
あとバカヤローコノヤロー言いすぎててみんなたけしのモノマネ大会してるみたいだった
3を見据えたつなぎの作品って感じかなあ
ただエロシーンはカットされてなかったし女の死体の乳首も見えてた
松重豊がもっと活躍するかと思ったら小日向さんに怒られてばっかりで最後も勝手に逃げて拍子抜けした
でも3でも出るらしいから、小日向さんからバトンタッチって感じになりそうやね
今日映画ポスター見たけど、原田泰造が出てるって初めて知って驚いた
なんかサンドイッチマンの仕事で人殺してそうな方ににてる気がしたピエール瀧
3でようやくフィクサーと花菱で決着ついて終わりって感じで、3つ通すとまあ2つめの微妙っぷりもありっちゃありなのかなあとおもえなくもない
たくさんの人があっさり死にすぎてたきがする
そういやヤクザものといえば小指だけど、1、2のそういうシーンの後は常に包帯まいて隠してたな
やっぱり特殊メイクで指を隠すのは難しいよなあとか思った
カラコン・アイプチ・つけまの女性にハゲやカツラを叩く権利はない。
ここ数年で黒目を大きく見せるカラコン、アイプチ、つけまつげ(マツエク)は、多くの女性がメイクをする上で外せないマストアイテムとなった。(アイプチはカラコンつけまの流行よりももっと前から主流だったかもしれない。)
とにかく、これらのアイテムのおかげで芸能人だけでなく一般人の顔面偏差値もグンと上がったように思う。
今の日本には、“塗る”だけのメイクよりもはるかに人相を変えてしまうほどの、いわば特殊メイクのようなものを施したウソの美が蔓延っている。
「彼氏にスッピンは見せられてもカラコン外した目だけは見せられない」と。
私は、彼氏にも本当の目を見せられないような、そんな女性たちが、カツラをかぶっているハゲの男性をバカにするのはおかしいのではないか?と思う。
私からすれば、彼女たちのカラコンやつけまつげも、ハゲのカツラとなんら変わりはない。
だけど他人から見れば「なんか目につけてるな」とバレバレで不自然。
男性や、元々すべて備わっていてカラコンもつけまつげもアイプチも不要な美女からすれば滑稽でしかない。
そう、カラコンやつけまは、ハゲ散らかしたおっさんのカツラと同じだったのだ。
ただそれだけの話だ。
ちなみに筆者はハゲたおっさんでもないしカツラのおっさんでもない。
ただ、カラコンやつけまつげやアイプチの恩恵を受けていながら「元々美人ですけど?」的な雰囲気を醸しつつ「ハゲキモ〜い」みたいなことを言う女性に腹が立つ。
それだけの話だ。
はてなブックマーク - 今の日本映画にもの申す…「レベルが本当に低い!」 英映画配給会社代表が苦言 (産経新聞) - Yahoo!ニュース
yingze 映画評論界隈は分からんけど、ネットで有名になった前田有一や春日太一以外の評論家は、新劇の巨人をどういう評価したのだろう。興味ある。
俺も気になったから調べてみた。
知らない人のために言っておくと『映画秘宝』は、『進撃の巨人』の脚本を担当した町山智浩氏が立ち上げた映画雑誌です。つまり、「身内」の雑誌。今も原稿書いてます。そのため、『映画雑誌』のライターや寄稿者はみな『進撃の巨人』に対して、難しい政治的判断を求められたわけです。
で、その結果をまとめてみた。ちなみに編集も巻末でその年のベストを発表してるけど、ワーストは出さない慣例。
参考資料:『映画秘宝 2016年3月号』「2015年度HIHOはくさいアワード」(知らない人のためにざっくりいうと、映画秘宝が主催するゴールデンラズベリー賞みたいなもの)
1. 『進撃の巨人 前編』
3. 『ギャラクシー街道』
4. 『進撃の巨人 後編』
以下、『進撃の巨人』に投票した人間とコメントの主旨(not 抜粋)。
會川昇(アニメ脚本家・小説家)「『大人向け怪獣映画』を作ろうと考えることが子供じみていて、それを乗り越えて『本物』を作ることができるのはほんの一握り」
大場しょう太(宣伝プロデューサー・映画祭ディレクター)「今更自分が呈すべき苦言は何もない」
岡本敦史(秘宝編集部所属ライター)「みんな『でも食人描写はいい』と擁護するけど、それすらどこがいいのかわからない」
尾崎一男(映画評論家)「前後編を一本とみなすとさほど悪くないけれど、前編を一本の映画として見た場合そうとう酷いでき。後編冒頭のダイジェストのほうがまだよく出来てる」
小野寺生哉(カナザワ映画祭ディレクター)「特撮は良かったけど、脚本とドラマ部分がヒドすぎる。本作を巡る場外乱闘も醜かった(おそらく春日太一の twitter のこと)」
キシオカタカシ「『マトリックス レボリューションズ』の再来」
佐々木浩久(映画監督・プロデューサー)「芝居を軽視しすぎ。こういうのを面白く撮れないと日本映画はダメになる」
ジャックハンター吉田(元プロレスラー・コラムニスト)「関係者には申し訳ないが、ピンとくるものがなかった。前後編スタイルは日本映画界の病巣」
中野貴雄(脚本家)「人喰い巨人の秘密なんて別に知りたくもない」
長野辰次(ライター)「マンガ実写化の功罪について考えさせられた」
丸五郎・あれは七年殺しだろう平山(平山夢明)「すべてに薄味。つくり手にキチガイが一人しかいなかったのが敗因」
藤原カクセイ(特殊メイクデザイナー)「お話も演技もなんら驚きがない」
プッチー・ミンミン(ライター)「前編は楽しめたのだが」
まぐれもの(マンガ編集者)「前編は尖っていたが、後編は『型にはめられたくない』という型にハマってしまっていた」
モリタタダシ(ライター)「期待を膨らませて見に行ったものの、時間と金を浪費した感覚だけをお持ち帰り」
山田誠二(プロデューサー・コミック脚本家)「キャラと結末の変更がファンにはちょっと受け入れがたかったよね」
番外編:
ダイノジ大谷(お笑い芸人)「感想を求められそうな状況がめんどくさくて観られなかった」
すぎむらしんいち(漫画家)「マッドマックス特赦によって今年のクソ映画はみんな無罪」(どうでもいいが、特赦になったからといって無罪にはならない)
髙橋ヨシキ(映画秘宝アートディレクター)「何かというとヴあああああと叫んでばかりの邦画全部。」(票にはなってないが、当然『進撃の巨人』も含まれる)
樋口毅宏(小説家)「『プレイボーイ』の映画評で毎月レビューしてると『日本映画は才能のない連中の巣窟か?』と思うことしばし」(『進撃の巨人』をレビューしたかどうかは不明)
昔の写真を探そう。
「コスプレは容姿格差だ」という話を書いたら、そういうのは一部の意見で、それを(大衆の)総意でいうのはやめろという意見をいただいた。
そんなことを言っている人間のツイッターを見ると、容姿が良い女の露出が多いコスプレイヤー(修正済)を大量にリツイートしているのには呆れた。いや悲しくなった。結局、お前は容姿の良い女が好きなんだね。俺もだよ。酷い容姿の女のネタではないコスプレの写真をリツイートしないの?そうか、誰も撮らないから出回らないんだね。知ってる D4SやEOS-1D Xを背負っている男たちはヤりたいから撮るんだ。ヤりたくい人間は撮らないと。
昔からコスプレイヤーは露出が多かった。18歳の自分は昔の空気を知らないが、ジオシティーズを漁るとドサドサ出てくる。
しかし、今と違いそうとう若い女のコスプレイヤーの容姿は良くなった。
それはアドビ社の功績でもあるし、特殊メイクレベルの化粧もあるだろう。
そして美容整形というのもあるだろう。
ただ、コスプレイヤーを問わず、化粧技術や美容整形技術による容姿の底上げというのは不幸をもたらすと自分は考える。
結局、そこそこの容姿のものが、下品だが偏差値でいうと容姿偏差値55の女が65になれるが、容姿偏差値35の女が40になれてもどうなんだろうということである。
決して、容姿偏差値35の女にコスプレなんかするなということではなく、なんというか容姿偏差値35の女は生きづらいよねという当たり前の話にかならなくてまぁどうにもならない。
コミケはそれでも自己表現だ!と言い張る人間がいるかもしれないが、美人が露出多めのコスプレでD4Sでカシャカシャ撮られている中、自分の周りには誰もいないのが耐えられるのか?と。
職場なら、まだ本音と建前ができていることが多いから緩和されるだろう。
自分がアルバイトしている会社の酷くデブスな女は周りからのつながりを拒絶し、周りは女扱いとかはしない。でも働きはしっかりしているから周りは同僚扱いするし、報酬は出る。会社というのは性的魅力を振りまくという仕事ができると女性が入社してきてくれることを期待するのけど、やはり一番は利益を上げることだ。美人が利益を上げやすいといわれても、ブスでも利益を上げられればいい。
コスプレは大抵の場合趣味だし、まぁ本音が出てくる場だろう。コンプライアンスもクソもない。働きというのは性的魅力を振りまくことだ。ネタではないコスプレイヤーには美しさを求める。
自分がアルバイトをしている会社のデブスは誰も女扱いしないし、これは万が一彼女がコスプレイベントに参加したとしてもそうだろう。いやもっと酷いかもしれない。
それなりに書き込んでいたら亀増田&長文増田になってしまいましたが一応書いたので載せてみ増田。いわゆる一つの「増田の中心でアイマスを叫ぶ」というやつですね(違
アイドルマスター XENOGLOSSIA(ゼノグラシア・アニマス)が成功するためには何が必要か、考えてみた。ということでひとつ。
作品としてはイイ。
十分楽しめると思う。
「こんなのアイマスじゃない!」「まったくの別物!!(怒」とアイマスファンがネガティブキャンペーン張ってるだけで、ロボットアニメ好きなら、そこそこ普通に楽しめるかと。
からはじまる、アイドルマスターゼノグラシアは、ロボットアニメとしてはかなりよくできていたよ! と言う論をよんで、うんうんその通り、とうなずきつつ
まぁ声も性格も(伝聞より)まったく変えてしまって戦略として何がしたかったんだろう、って外側から思いはしたが。
よくわからんがこれ、どっか元の遺伝子残ってんの?みたいな。
その辺で元のファンの支持を得られなかったら、まぁ良くて「これはこれで悪くないかも知んないけど別物だよね」どまりだと思ったし
と言う意見や、
と言う意見にも同意できる。ゲームのアイドルマスター好きって立場から言うと「っていうかあれ何。72じゃないちひゃーなんて(ry」と言うことになるのは当然。
あれは、やよいと律子さんはよかったよね的な何かだったあれは。とはいえカニデレ万歳。なぜさん万歳。
と言う風に
的なアイドルマスターを愛するキモオタであるという立場から、アイドルマスター XENOGLOSSIAが原作ファンからも、アニメファンからも納得されるロボットアニメとして成立するためには何が必要だったのかを考えてみる。
え?ロボットアニメにする必要はない?いや、それを言ってはおしまいなのでスルーの方向で。っていうか下手に原作そのまんまアニメ化したら、くりぃむレモンのエロなし現代版(ニュージェネレーション)の二の舞になるだけのような気がする。それだったら素材として活用した方がいいと思う。そもそもプロデューサー役はどうすんだって話。(まぁいっそ女性にしてしまうとか百合に逃げると言う手はあるが…そんな中の人萌えをメインにしたようなアニメ見たいか? 俺は見たいが……とにかくそれを言ってはおしまいなので)
位置づけとしてはやはり「アイドルマスターのキャラクターが総出演で作ることになったドラマ」という扱いにすべきだったのではと思う。
当然ながら制作委員会名は「765プロダクション」で(C)を出すと。ただ設定はそれだけでは駄目なので、以下の点に注意すべきだったと思う。
この点だけ守っておけば、最終的には同一ですよといいわけはできたと思う。確かにそのままのストーリーでは無理があるかも知れないが、そこはストーリーを合わせることも可能であるはずなのである程度は。
後は、もう一つ。バンナム作成のゲームのデータを使った「次回予告」的な「楽屋裏」を作って、最後にワンコーナー設ければよかったのではないかと思う。もしくはアイドラで配信とかでも可。これでゲームとアニメを確実に地続きにすることができる。内容はあまりの雪歩のキャラクターの違いにとまどって「うまくできません~プロデューサーさん」と泣きつくとか、台本を初見したアイドルたちが、次回についてわいわい言うとか、そういうたわいのないものでいいのではないだろうか。(理想なのはセルフパロディだけど)アイドルマスター P.S.プロデューサーというネット配信のラジオがあるが、そこのオープニングドラマは、アイドルたちが掛け合いドラマを演じて、その最後に誰かが「○○○ですよね?プロデューサー(さん)」と呼びかけるという風に始まる。こんなかんじに「次回もがんばりましょうね!プロデューサーさん!」みたいにすればいいのである。
ただ、これをやってしまうとバンナムがいかにメディアミックスが広がろうと守っている最後の一線(たとえば亜美真美は絶対に2人であることをゲーム中では公表しない、等々)を破ってしまう事になるかも知れないが……まぁそこはラジオドラマ的な感覚でやってしまってもよいのではと思う。
というか、誰かアイマスMADでこの「ゼノグラシアの特定の話の収録後」という設定で作ってくれないかしら。今からでも、原作アイドルマスターとアニマス・ゼノグラシアをつなぐ架け橋的なものを。才能のあるプロデューサーさんの中にはアイマスもニコマスもアニマスも愛する人がいるはずである。だれか、どうか。お願いします(土下座)
ストーリーはぶっちゃけ何でもいいと思う。と言うかここは妥協すべきではないと思うが(その点では、修羅場系の部分にちひゃーとあずささんを配置したキャスティングはあっていると思う。あとまこまこりんも)しかし、中盤のやよいの出番の少なさについては断固抗議させt(ry
ただ、王道として考えるとサクラ大戦メソッドが可能ではないかとも思うが(歌と踊りとメカと萌えと燃え)それは完全に原作アイドルマスター側に振ってしまうことになるので、すでにゼノグラシアじゃなくなってしまうよなぁと思うわけで……。
絵についてはある程度しょうがないところはあると思う。2.5次元のあれをフルアニメにつかって上手く成功した例は未だかつてない。と思うので。そうなるとやはり昔ながらのぱらぱら漫画的手法のアニメーションになるわけで、そうなるとアニメ的誇張の方法をとらざるを得ないので、キャラクターデザインは変化する。
たとえばちひゃーの72が女の子のキャラクターとして成立するのは、そして、まこまこりんの真前が男前にならずにすんでいるのは、3Dを使ったぬるぬる動く、三次元的な動きの中で連続的に破綻のない映像だからであって、あれをアニメでやろうとすると、誇張がなければ無理である。
たとえば閣下が体を捻って、頭のリボンを指さす動作があるが、あれを従来のアニメでやろうとすると自然にするには相当の技術が必要である。あれは三次元的に成立しているからこそできることであって、あれを絵として描くには、立体としての形状を維持せずに誇張するしかない。つまり物理的な正しさを使用するのではなく、記号的・感覚的な部分を優先する必要があるのだ。
というわけで何が言いたいかと言うと、ゼノグラシアの中で、原作に比較的忠実な人々のキャラクターデザインは結構よくできていたと思うがいかがか。律子さんとか、おでこサンシャインとか。亜美真美とか。まぁ「お前誰!?」「特殊メイク乙」としか言いようのない人もいるが……。
まぁこれは実際の所、時期が悪かったとしか言いようがないけれど……。アニメの企画にはそれなりに金の動くプロジェクトであることもあって、年単位で時間がかかることも珍しくないそうで、そう考えるとゼノグラシアはアイドルマスターの総合的メディアミックス戦略の総称である「Project IM@S」が始まる前に企画がスタートして、動いていたことになる。その証拠にアーケード版のキャラクターしか出てこない。当然みきもでてないし、今だったらなぜさんのポジションは(少なくとも名前だけは)小鳥さんであっただろうと思う。
と言うことは、正直原作のアイドルマスターがここまでの規模のヒットになるとは全く予想外だったのではないか。始まった時点では所詮はアーケードの一部のマニアのゲームであるし、XBOX360などというメインストリームではない機種に移植であるわけだし。と言うか一体だれが予想するよ、CGM的な効果で、ネットのヘビーユーザー層やライターなどのアクティブでディープな人を中心にハートを掴み、コミュニティから口コミで人気が広がるなんて事。初音ミクだってまだ地上に現れてなかった時代だぜ。これを真の意味でピンポイントに「アイドルマスター」というコンテンツで発生するという事を予測できた奴は、そうはいないと思う。いたら出てきてくれ。とりあえず一緒に商売でもしよう。
ともかく、もしこれが今みたいに少なからずアイドルマスターというコンテンツが、非常に恵まれた環境で発達すると言うことが予想できていれば、もう少し違った戦略になるだろうと思う。というか、そうであったならば、ここまで原作と異なる事にしなかったのではないのか?そして、アイドルマスターというコンテンツからどれだけのポテンシャルが引き出すことができるか、少なくとも一番最初に目を向けさせるエネルギーとして十分かどうか、それがわからなかったので、そちらに変に依存することなく提携を切って、「原案」という中途半端な形で残してアニメだけで自立できるように改変をしたのだと思う。つまり「アイドルマスターのブームはアニメが引っ張る」つもりであったのだろうと。
たとえば今なら、アイドラ(XBOX360 アイドルマスター Live For Youで配信中のダウンロードコンテンツ)で撮影風景と称すドラマを裏を流すとか、そういう連携だってできたはずである。もし今やるのならば、提携すればよいだろう。
つまり早すぎたのである。この点で、戦略的には今の時期が一番適していると言える。
もしアレだったら961の面々に敵キャラを持っていってもおもしろいだろうし。
で、これだけうだうだ書きつづって一体何が言いたいかというと、アニマスもアイマスも両方すばらしい、と言うことである。それぞえ独立したコンテンツとしても十分成立するだけのポテンシャルをもっている。というか、アニメの方はむしろ、アイドルマスターがここまで大きくなると言うことを予測していなかった分、自立できるようにああなったと言うことも考えられるわけだがともかく。
でも、もはやゼノグラシアはアイドルマスターのファンの中では語られない存在になってしまった。では、こんな事を言っては無駄なのか?否。それは違う。
アイドルマスターはナムコではなく、バンダイナムコの製作であると言うことである。そしてバンナムと言えば、そう、スーパーロボット大戦である!
今こそ、スーパーロボット大戦でアイドルマスターゼノグラシアをやり直すべきだ!アイマスオールスターズがついにスーパーロボット大戦に出演!それでよいではないか!別にスパロボではなくてもいい。それと同じくアニメでなくてもいいので、ゼノグラシアをロボットゲームで作り直すと言う手もあるのだ。
そしてうまくいったらアニメの方の人気も再上昇で、ゲームも新しい方向性が誕生し(たとえば任天堂のキャラクター的に象徴的キャラクター化して様々なゲームに出演するとか)三つの解釈を融合させた劇場版とか……(以下妄想が続くため省略
どうだろうか。
後は、ゼノグラシア並にリソースを使い(特に音楽には、せっかくアイドルマスターの周辺には新進気鋭のアキバ系音楽を多数手がける音楽ディレクターが集まっているのだからこだわって)やれば、結構いい結果になるのではないか。
なお、最後になったが、アイドルマスター Live for Youに付属したアニメDVDをアニオタ視点で見てみると、あれは明らかにゼノグラシアの失敗をみて逃げてる。てか1回ぽっきりで音楽なんかは既成のものを使わざるを得ないにしたって、キャラクターデザインもっとちゃんと仕事しろ。さらに言えば中途半端なサービスショットなど不要だしつまらんと思う。さらにストーリーはそこらの愛のあるSSを採用した方がいいんじゃないかという、おそらく作品の質に関する要求以外の要素(予算とか)で制限があるような内容になっている。てか、Live For YouのDVD付をわざわざ買うような層はもっと高くても買ったと思うのでもう少し金をかけろよとも思う。
あれの見所は動くアニメ絵に映像にオリジナルキャストが声を当てていると言うその一点しかない。(と言いつつそれだけで十分に価値はあるが……今回はアニメが主題なので辛口評価は勘弁して欲しい)
なお、「うわぁ……」「キモオタ氏ね」「キモオタはキモオタの国へ帰れ」「病院へ逝け」と言った苦情については十分承知しているので勘弁してください(土下座)
誰かアイマスMADでこの「ゼノグラシアの特定の話の収録後」という設定で作ってくれないかしら。今からでも、原作アイドルマスターとアニマス・ゼノグラシアをつなぐ架け橋的なものを作ってくれないかしら。と大切なことなので二度言いました。
人の一生をフィルムに写し取ること、を目指したのかな。フォレストガンプが好きな人はいいかも、って聞いて見たんだけど、まあまあ面白かった。主役級二人の年代ごとのメイクが見所。長いわりにさらっとした感触。冒頭の戦争の描写がけっこうブラックで印象に残った。
ミュージカル映画。いやあ爽やか。つーか主人公の友達二人がいい味出し過ぎててわろてしまう。アンコールも満足感高い。うん、いい映画だよ。ところどころ「ああミュージカルだなぁやっぱり」と引っかかりも覚えるけど、ミュージカルから入るマニアックなお客さんのためなんだろうと思って流す。ことにしてそれを差し引いてもいい映画。
DVD。パンこえーよ。パパこえぇーよ。果てしない物語的なものを期待して見たら、なにこのごっつい悲惨な物語は。いや面白いよ、すげー面白い。CGや特殊メイクの完成度、ストーリー展開の巧みさ、伏線の回収、全てが素晴らしい。けどスゲー凹む。ファンタジーは現実を写し取るための道具であって現実逃避のための道具じゃねーよって言われた気分、なのかな。いや、現実逃避のための道具にしている嫌な自分を写し取られた気分なのか。よくわかんねーけど面白くてスゲー凹みました。
DVD。もっと毒が欲しいな。毒が足りない。いい人になっちゃった理由がわかんねー。
直訳すると取り替え子。スピリチュアル的なものを想像しながら見たらガチ社会派映画だったでござる。いや面白いよ。なんつーかな、見たばかりだからうまく言葉にできない、のであとで追記するかも知れん。
松山ケンイチと椎名桔平の顔芸が楽しめるいいドラマ、だったのですが最終回がなんつーか。evaの最終回と比較する向きがあるようですが、何つーかね、幸せ家族ドラマ幻想挟むスタイルは「幸せ家族ドラマも見たかったよ」と思わせなければ失敗だよね。eva最終回は「学園evaも見たかったなぁ」と思わせる魅力を表現できたからよかったんだと思うんだよね。これはなんつーか。うーん。松山ケンイチの顔芸もイマイチ立ってない気がした最終回。やっぱり打ち切りなんですかね。
盗撮・流出・実録レイプと題されているエロコンテンツの99%は、作り物なんだと思う。少なくとも「オモテ」で流れているものはね。
でも、そういう考えに至るまで、私の中ではモヤモヤがあった。
10年前は、今と比べて、電車の中吊り広告の内容とかも酷くてさ。
「OLの部屋を盗撮」
「流出ヌード」
「10万円でオッパイ見せて! 街の美女8人が『OKよ♪』」
そんな文字が躍ってたんだよね。
あと、小さな本屋とかだと、ゾーニングもあってないようなもので、盗撮物のビデオとかのパッケージが見えて、いかにも隠し撮りって感じの写真(赤外線カメラとか、画質の悪いのとか)があしらわれてた。
これが100%嘘だと確信できなかったんだ。
「サスペンスドラマや戦争映画の殺人は作り物だってわかってるだろ?
どうしてポルノは特別なの?」
そんな声も聞くけれどさ、殺人事件の被害者役や戦死者を演じた俳優は、その後でインタビューに答えていたり、また他の番組や映画にツルッツルの無傷で出演してるよね。メイキングや特殊メイク技術の紹介を見て、へえーって思うこともあるし。
AVでも、女優さんが毎回同じ芸名で、色々なシチュエーションの作品に出ている場合は、犯罪性のない場で撮られた作品ってことがわかる。
でも、盗撮物はどうなんだろう。
もし本物なら流石に捕まっているはず。捕まるリスクを冒して盗撮をする人もいないだろうし、街頭で通報される覚悟で「オッパイ見せて!」と声をかけたりしないだろう。
演出としての隠しカメラ風画像と隠し撮り風のシチュエーション、本物と区別をつかないものだってあるんじゃないか。上手いカメラワークと迫真の演技で本物っぽく作ったものとガチの盗撮は区別がつくの?「出演者の名前が書かれていないのもリアリティのうち」と言い逃れしたって、証拠なんてないから、疑わしきは罰せずということで野放しになるどころか「リアルな作品」として評価が高まるんじゃないの?
隠し撮り画像とかも、もしかすると、小遣い稼ぎの一般人から買い取れば、低リスクの上、合意のもとに撮影するより安上がりなのかもね。被写体にばれて訴えられる可能性なんてゼロなんじゃない?「盗撮した人が儲かってる社会」に、私達は生きているんじゃないの?
怖くてたまらなかった。
一般女性の日常が切り取られて、コンテンツとして売りさばかれているんだろうか? 「本物かどうか証明できないから」という理由で、野放しになっているんじゃないのか?
そのころは、女子高生として普通の生活をしているだけなのに性的な対象にされるのがイヤになっていた時期だった。学校には不審者が出没して、教師が見回りを強化していた。教師が盗撮者を未然に阻止したこともあった。痴漢に頻繁に遭って、スカートを切断されたりもした。そしてブルセラや援助交際が巷で流行っていると報道されてた。
本物なのか作り物なのかを外側からは区別のできないエロコンテンツは、そんな気持悪さの延長だった。
実物を買って中身を確かめる気になんてとてもなれなかったし、だからこそ恐怖心は強まるばかりだった。
エロコンテンツ自体を規制することには断固反対する立場だ。けれど、エロコンテンツを流通させている人や、教育に携わっている人に、ちょっと頼みがある。
そういうコンテンツが流通するのを見て、作り物かどうか判断する術をもたない人は、世の中に一定数いるんだよ。特に18歳未満の人は、本物を見て判断することもできないまま、「盗撮」「流出」「実録」と証する作品が流通する様子だけを見ることになる。
だから、作っているものがもしも本当に「嘘」なら、どうか、誰もが嘘を嘘と見抜けるだけの材料を提供してほしいんだ。サスペンスにおける殺人がフィクションであるのと同じくらいの確信を、エロコンテンツの中での非合法行為においても、得たいんだ。
必要があれば、「免許保持者によって作られたコンテンツである」ということを、公共の端末から照会できるようにする。
エロコンテンツがどう作られるかという話を、清濁併せて、未成年にも教える。
エロは隠されてばかりいる分野だからこそ、もっと、その実情を知りたい。