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2019-02-15

ララランド見たくなくなった

地上波初ララランドやってたと思う。

録画してたんだけど、テレビをつけたときに丁度やってて

そのままにして一旦トイレに行ったの。

緊急だった。

そこに恋人が帰ってきて「なんの音!?」とメチャクチャ焦る。

まだ事も済んでないかパンツもあげずに外でると、火災報知器みたいなエラー音がチコチコン鳴ってる。

テレビだった。ララランドだった。

音量は通常30くらいにしてるんだけど

3とかにしてもエラー音みたいなのがうるさかった。


見る気なくした。

どんな場面だったの、あれ?

2019-02-13

マンション買って10年、買って良かったことと悪かったこ

政令指定都市的な街の中心から電車で10分のベッドタウン的な駅だがや。

駅徒歩10分以内のまあまあ便利なマンション

買い物は駅前へ。

静かで教育環境も良い。

2000万ぐらいで、水回りリフォームしたのでプラス300万。

バブル最後ぐらいに建った奴で買った時には10年ぐらいの中古。(新築時は倍ぐらいの値段したらしい)

当時の年収400~500万ぐらい。

残念な点

駐車場、共益費、修繕積立とやらで月に4~5万持ってかれる。

子供増えたけど駐輪場が足りて無く、キャンセル待ちとか抽選だったり。

理事会対立。(老後も住む予定のガチ管理勢と管理会社に任せとけ勢、管理したいけどできないお年寄り勢)

新築から20年で早くも住人の高齢化が進んでいる。

機械駐車場に空きが多い(近くに安い平面がある)→点検、修理費がペイできない

ポンプやら水槽点検とかで断水とか多い。

火災報知器点検とか排水管洗浄とかで強制在宅イベントが多発。

火気管理の講習行ったり防災訓練計画立てたり、事あるごとに相見積もりとって説明受けたり理事会活動煩わしい。

ネット回線とかケーブルテレビ設備点検とやらでセールスマンを家に入れないといけない。

子供ベランダで遊んでたら隣のババアが切れた。

子供足音で下の住人が文句ゆってきた。

家でカナヅチが使えない。

隣りが下手くそピアノ弾く。

さらバイオリン始めた。

なんだかんだ固定資産税は持ってかれる。(年に14~5万ぐらいか

管理人(掃除とか雑務)に外れ人材が多く、すぐに誰かが文句うからすぐ入れ替わる。(バカッターほどではないがダメ管理人はてんでダメ

色々脱法的なことやって凌ぐのが常態化

脱法しなきゃ金かかるし脱法が度を超すと後々問題が出てくるはず。

さすがに老朽化した際に建て替えってなるときビジョンが全く見えない。

結局わずかばかりの土地権利が残るだけ。

犬も猫も飼えない。金魚ハムスター、すぐ死ぬ。亀がいい。

検査のたびに問題見つかる。

大規模修繕時は日光も当たらず、ベランダ使用禁止で部屋干しを強いられる。

ベランダに布団干せない(干せるけど外から見えたらだめという謎ルール

いざという時に変形してロボにならない。

地下に秘密基地がない。あるのは物置。

良かったこ

マンションが買えた

ほとんど値段が下がってない(リフォームした分の価値はないも同然)から、そろそろ売りに出す計画

anond:20190212203944

2018-11-30

anond:20181130111057

そっか火災報知器がだめなのかいきなり出鼻をくじかれた

anond:20181130110833

都会のワンルームに限らず、火災報知器ある家で七輪使ったら鳴るだろ。

2018-10-23

1年間エアコンを使わなかった話

ぼくが夜間の専門学生だった頃、1年間エアコンを使わなかったことがある。なぜ使わなかったのかというと、借りていたワンルームに元々備え付けられていたエアコンがガス式のものでガス代が高額だったからだ。都市ガスではなくプロパンだったこともあり、多い月は2万円くらい請求された。春はいいのだが夏になると、室内の温度は40度近くなり、サウナ状態になる。汗はダラダラと流れた。とても服なんか着ていられないから、常にパンツ一丁。スーパーで買い物をしたついでに、保冷材をもらってそれを体に押し付けたりしながら暑さに耐えた。眠りから覚めると、軽い脱水症状のような感じになっていた。どうにか夏を超えて秋になった。秋は過ごしやすい。1年中秋だったら、どんなに快適だろうか。そんなことを思いながら、あっという間に秋は終わり冬になった。12月あたりになると室内の温度は7度くらいなった。なるべく寒さを緩和させるために窓の隙間をガムテープで覆ったりもした。それでも寒さに耐えられなくなり、1.5リットルペットボトルにお湯を入れて抱いて寝た。ホームレス気持ちが少しわかった気がした。寒さは痛さに変わり体力を奪う。

ぼくの家には欠陥があった。それは風呂から出るときに湯気が大量に出て火災報知器が鳴ることだ。急いで風呂場の扉を閉めなければならない。何度か火災報知器を鳴らしてしまった。

そんなこともありながら、なんとか1年間エアコンなしで生活することができた。はっきりいってオススメはできない。風邪は月1くらいでひいた。エアコンがなかった時代の人たちはタフだと思う。

2018-09-10

火災報知器カメラ付けられないの?

標準装備で付けてほしい。

押した前後だけ録画する感じで。

検索したけど無さそうなのはなぜ?詳しい人教えてちょ。

イタズラで押すキチガイ抑止に良いと思うんだけどなぁ。

2018-08-30

anond:20180829121011

寝たまま消せる電灯のヒモ日本最大の発明らしいが、よくテレビ局では部署案内がわざわざ吊ってあるし車内吊り広告も当然吊ってあるわけなので、火災報知器ヒモみてればいいよ。

2018-08-18

食べログレビューを書かなくなった理由

外食にそこそこ行くので食べログレビューを頑張って書いていた時期があったが全然書かなくなってしまった。食べログレビューを書いていてわかったこと、書かなくなった理由を書きたい。いわば食べログレビューである

プレミアム会員権がもらえる

レビューをそこそこ書くとプレミアム会員権がもらえる。基準は公開されていないが、私は3ヶ月間、月10個は書いていた。しばらくモチベーションが下がって、月2~3になってしまったら3ヶ月ぐらいで解除されてしまい、それ以降はモチベーションが0になって1回も投稿していない。

自分レビューを書いても店舗評価には影響しない

「このお店はもっと評価されてもいいでしょ」と思って高評価をつけても、店舗評価は変わらない。非公開の謎ロジックで点数がついている。たくさんのお店に行き、フォロワーがたくさんついている「影響力」のあるユーザー評価店舗評価に大きく反映する仕組み。

フォロワーは読まずにいいねしあう

フォロー」の仕組みは、地域・好みが近いユーザーおすすめするお店が見れるのは良い。ただ、前述の通り、食べログレビュー書いているからには「このお店を応援したい」「このお店はもっと評価が低くてしかるべき」のような正義感みたいなものが出てきてしまい、自分レビューに影響力がほしいと思ってしまう。そうなると必然的フォローフォロワーをつけ、読まずにいいねだけ押していく関係が増える。

自然評価が高い店がある

食べログ3.54、おっいいねと思って行ったらかなり残念、3.0でももったいないレベルのお店に出会うことも多くなってきた。こういうお店はだいたい「公式情報マークがついている。食べログお金を払っているから、点数操作を受けているんだろうなとか、著名レビューアーを買収するとか少々レビュー不正をしても目をつむってもらえるんだろうなとか感じざるを得ない(個人の感想です)。

口コミ」の「評価」を見ると怪しさがよくわかる。次の2店舗評価分布をご覧いただきたい。片方が「公式情報」の店舗、もう片方が同じエリアのまったく別の店舗である

  • 5.0 [0]
  • 4.5~4.9 [0]
  • 4.0~4.4 [13]
  • 3.5~3.9 [13]
  • 3.0~3.4 [19]
  • 2.5~2.9 [6]
  • 2.0~2.4 [2]
  • 1.5~1.9 [1]
  • 1.0~1.4 [1]
  • 5.0 [0]
  • 4.5~4.9 [1]
  • 4.0~4.4 [9]
  • 3.5~3.9 [34]
  • 3.0~3.4 [39]
  • 2.5~2.9 [5]
  • 2.0~2.4 [0]
  • 1.5~1.9 [0]
  • 1.0~1.4 [0]

どっちの分布店舗の方が点数が高いだろうか? あなたならどちらの店舗を選ぶだろうか? 前者が公式情報店舗。こっちはレビューの総数は少ないのに極端に悪いレビューが目立つ。点数は3.54。後者公式情報ではない店舗で、点数は3.21。平均値中央値で考えるとこの2店舗の点数はだいたい同じになって然るべきだろう(高評価が怪しいということを考慮に入れなかったとしても)。食べログはもう点数の表示を単純平均にするか、中央値を出すほうがレビューサイトとしてまだ情報価値あると思う。

公式情報」の店舗に悪いレビューをすると消える

よく噂される、ウソのような本当の話。具体的には「火災報知器ラップがかけてありました。安全性大丈夫なのでしょうか。」と書いたら消された。まったく事実だし個人の感想でもあり、そういう情報レビューとして必要とされると思うのだが……。消されたら「この文が違反しているので消えました」と通知メールが来るのが武士の情けともいえよう。その文を修正すると公開はされる。ただ、やはり店舗が書いてほしくない文は書けない。食べログ気持ちはわかる。食べログのお客さんはユーザーだけじゃなく店舗もだもんね。でも店舗にいい顔しすぎると、今後「あ、この店は公式情報からちょっとリスクあるな」となってしまうよ、逆に。それってお店にも食べログにも、長期的に見て厳しいよね。

2018-06-09

anond:20180609193441

マジレスすると

火災報知器が付いてないような古すぎ物件民泊に使いたいってこと

壁だけセリアで買ったアイテムインスタ映えさせて

実際は古い部屋多いよな

AirBnB

anond:20180609101307

ホテル並みの火災防災措置」ってマンションなら火災報知器付いてんじゃん?

一軒家とかなの?

2018-04-13

七輪で焼き肉をする方法マンション Ver.)

どうやったら

マンションで七輪を使って焼き肉が出来るか

話し合おうではないか

話し合う上で重要ポイント

・煙

匂い

火災報知器 の3点だ

2017-05-20

常時不安という病



アメリカ出張中の話である




 連夜の懇親会という名の酒の席の後はよかった。酩酊で感度が鈍ければ気分だって軽い。夜が遅ければ通りに人は少なく、宿泊先のホテル近くまで、日本人の同行者だっていたのだ。

 一方で仕事が終わったあと、特に予定のない日に漠然とした不安が襲ってきた。仕事が終わって19時前、空はやや暗く人通りは絶えない。ホテルまでの帰途、行き交う人々の合間を一人で歩く。いかついタトゥーの強面の黒人、連れ立って喚いている話の通じなさそうなハイ学生たち。もし絡まれたらどうしよう。

 自分英語ができない。もちろん一人でアメリカ入国して一人でホテルチェックインして一人で仕事先で拙い英語をなんとか切り貼りすることはできている。と思う。が、そもそも英語以前に日本であってもどちらかというと人見知りするほうで、初めて訪れるお店に入る時はつい目の前を素通りして様子を伺ってしまタイプだし、咄嗟の会話で言葉に詰まるし自分相手がどう捉えているかが気になって仕方がない。相手意図が読めないと上手に話ができないのかもしれない。



アメリカではどうか。



 相手を読める気がしない。言葉の違いと文化の違い。歴史的背景的にアジア人は軽んじられたりしないだろうか。不安げな面持ちのうらなりが一人で歩いていたら簡単に絡まれるのではないか。絡まれたら何をどう説明すればいいのだろう。あいにく大した持ち合わせもないし、仕事の都合上でパスポートを持ち歩く必要があるのだ。これがなくなるとけっこう困る。必要以上に警戒して歩くと余計に目立つかもしれないと思いつつもつい警戒して挙動不審になっているかもしれない、という思考ループから抜けられない。しかしもちろん実際には誰からも何もされることはなくて、普通に歩いて普通にホテルについて普通に部屋に戻るのだ。

 しかしそれでも、漠然とした不安は鳴りを潜めてくれなかった。昨日には火災報知器誤作動したし、過敏になっているのはわかっていた。それでも何かの手違いで、突然ホテルを出ろと言われるような気がしたし、突然隣人が怒鳴り込んでくるような気がしたし、突然電話が鳴ってまたわけの分からないことを言われるのではないか



言われなかった。



 かくして短いアメリカ出張も終了し、一人でホテルを出て一人でバスに乗って一人で飛行機にのって一人で帰ってきたのだけれど、飛行機に搭乗してから安心感はまどろむようであった。ここでは何か困ったことが起きても日本語が通じるのだ。正しく現状を認識して自分に手落ちがないことを説明できる。もうこれで大丈夫アメリカで一人で抱えていた常時不安は消え去った。



 さて、この常時不安がけっこうキツかった、というのが本題である

 なんとなく落ち着かなくて、何も手につかなくて、楽しいことをしようという気にもならなかったし、なんだか体調まで悪くなった気がした。深呼吸しないと呼吸が苦しくて何度も何度も深く息を吸った。思考もどんどんネガティブな方向に進んでいく。仕事荷物を置いて再度ホテルから出て晩御飯を食べようという気も起きずにお腹が空いた。お腹が空いているのに部屋から出られない自分をみじめだと思った。

 いざ部屋を出てみると意外と平気なのは知っている。でもすごくストレスがかかる。飲食店であれスーパー店員であれ大した会話はしないのも知っている。でもイレギュラーが起きたら上手に対処できる気がしない。絡まれるのが一番ありそうな気がするし、食事をしたあとにうっかり財布を持っていないことに気付いたら誰に何をどう説明すればどう解決に進むんだろう。分からない。そんなことは財布をちゃんと持っていればいいことなのは分かっているのに、そんな起こり得ないことが起きたときにどう対処すればいいかからいから部屋から出られない自分がみじめ、と思うことがもっと自分をみじめにした。

 しかしなんとか日本に帰り、常時不安雲散霧消、好きなときに好きなところに好きなように行けるようになった。そこに裏打ちされているのは自信であって、日本語という言葉日本という文化と慣習に揺るぎない自信があるから常時不安には陥らない。少なくとも自分はそうだし、多くの人もそうだと思う。

 しかし、全員がそうだろうか。と思ったのがこの話を書いた最大の理由で、自分には世の中で生きづらそうにしている知人がある程度いて、そういう人たちに自分はどう声をかけたか休日に部屋に引きこもってないで出かけろだとか、出会いがないなら合コンへ行けだとか、そんなことを言ってきた。

 彼らは私がアメリカで常時不安だったように、ここ日本にいても様々な理由で常時不安なのではないか。対人恐怖症なんかは言語関係なく対人に自信が持てないのであって、自信が持てないのなら常時不安なのかもしれない。アメリカ自分が感じた常時不安の息苦しさの中で、「せっかくアメリカに行ったのに引きこもってるなんてもったいない」だとか「英語なんて適当で通じるから観光でもなんでも行ったほうがいい」とか言われたら確実に余計なお世話だと思う。あなたはそうできるかもしれないけれど、わたしに同じことができると思わないでほしい。不安なのは不安なのであって、簡単に消せないから苦しいのだ。

 無意識のうちに、同じことを同じように自分押し付けていたのではないか、と思った。人に会うのが苦手な知人に合コンに行けとか旅行しろとか友達を作れと言ったときあなたはそうできるかもしれないけれど、わたしに同じことができると思わないでほしい。そう思われていたのは、誰よりも自分だったのかもしれない。

 できることはなんだろうか。またアメリカに行くなら英語だと思う。英語圏の人と話す経験をたくさん積むのが理想だろう。いずれ海外に行くことはあるだろう。それまでにもっと勉強していく。きっとそれが一番いい。



 でも、いま、日本にいて常時不安を感じている人は、何をすればいいんだろうか。私にはわからなかった。

2017-03-31

引っ越し先の忘れ物

社宅に引っ越した。

前の居住者名前入り火災報知器契約書が出てきた時はこいつバカだなー、と思ったが、

その後で前々居住者仕事関係FAXと某宗教教祖のありがたいお言葉コピーを見つけた。助けて下さい。

2017-01-31

遺骨と記憶

昭和集合住宅に住んでいて平成不況人口流出で空室が多いんだが、火災報知器が昨日誤作動して消防出動の事態になったからか、工事をしていてうるさい。うるさくてつらいので、ヘッドフォンで昔に買った音楽を聴いている。それでふと思い起こしてこの人のブログを見たんだが、いまも死んだペットのことに執着しているらしい http://ameblo.jp/mariko-kouda/entry-12243053638.html

さて、私は仏教徒から遺骨には執着しない。遺骨に後生大事に執着するのは儒教徒だ。ちなみに中国仏教儒教習合してしまって渡来たか日本では混同されている。

私は数年前にもペットが死んだけど、遺骨は残さずにパアッと処分してしまった。私は、片親殺されているが、親の遺骨を相続したくないし、親の遺産相続したくない。

遺骨が残るのは、超高温でもなければ燃え残るからだ。火葬にするのは、インドではおそらく、遺体が腐ってむごくなるのを避けたかたか火葬にしたわけで、そうやって火葬された人の霊魂は報われていいとこに生まれかわると信じられていた。だから、偉い人、偲ばれている人は、火葬にされる。火葬にもされなかった人はいいとこに生まれかわれないと思われていた。

遺骨は残さない方が本当はよい。遺骨に執着するのは凶相だ。ちなみに世の中には「お焚きあげ」というのがあるが、捨てるに捨てられないものを焼却処分してもらう、ごみ処理である。以前流行った(流行らせた)ことばでいえば「断捨離である。例えば写真にしても、焚きあげて処分してもらう。それを、いまでも世の中にはなんでもかんでも写真に撮りたがる人々がいるが、画像データが大変だ。そして、見て記憶に残すことを忘れて、カメラで撮るのに必死になっている。

千の風になって」ではないが、遺骨はナノ単位にでも砕いて風葬にでもした方がよい。それとも、処分に困ったら一心寺にでも持っていけばいい。遺骨を墓碑か寺院にでも納める人は多いと思う、遺骨を手元に置いて仏壇にでも納めていると大変だ。ましてや、遺骨や位牌に執着して逃げ遅れて死ぬ人がいるが、正直に言って客観的にみて、滑稽だ。

遺骨は生きていないし、生前のものでもない。古代エジプト人ではないから、ミイラにしたらいつか復活するとも思っていないし。

生きているというのは状態であって、実体ではない。生きものというのは状態である

死んでもうこの世にない生きもののことは、記憶には残る。忘れられない。しかしその記憶所詮細胞状態しかない。記憶している人もそのうち死ぬ。残された記録もデータであって、実体ではない。

日記であろうが、枕草子であろうが徒然草であろうが愚管抄であろうが、経典であろうが、データである日本では驚異的なまでに昔の経巻が保存されているそうだが、それも経巻の内容より経巻そのものに執着し信仰してきたかららしく、「御真影」ではないが火事になっても必死に経巻を運び出したからだそうだ。しかし経巻を後生大事にとっておいてもしかたがない。それなら中村元岩波文庫のやつでも読んだほうがよい。

そうならないのは、貴重な経巻が残っているということが寺院資産であり「箔」が付くからでもあり、それで檀信徒から財施(供養)をもらっている。法要にでもなれば、漢訳経典暗誦するんだが、聞いている方は意味不明だ。我々は漢文ネイティブではないし、そもそもその漢文はいま「生きている」言語ではなく中国に行っても話さないだろう、ラテン語みたいに学術のものしかない。それでもその檀信徒財施をするのも、彼らがモノに執着しているからであり、だから古い仏像とか経巻とか建物とかをみて大したもんだといい、布施をするのである。そして、経典の中味ではなく、経典を読むこと自体目的化している。

あの人も、遺骨もアロマドームも生きていないしうまくすれば朽ちないだろうから後生大事に持っていれば何十年後かわからないが自分死ぬ方が先だろう。

忘れられないのはわかるし、忘れてはいけないのかもしれない。死なないと消えない記憶というのは、ときには快いかもしれないし、ときには残念かもしれないが、ある。空襲だか「鉄の暴風」だかに遭ったり、ベトナム戦争だかイラク戦争だかに行ったりした人は、忘れられないトラウマが残ってつらいものである。ヘタすれば人は80年とか100年とか生きられてしまうから大変であるしかしその記憶データであって、細胞状態である

本当に火事になったら私は死ぬかもしれないし、そうでなくとも私もいつか死ぬ。いま聴いている音楽も、データしかなく、ディスククラッシュでもしたら消える。人類が滅亡したらヒトの遺伝子も失われる、それがいつのことかは、ちょっと、わからないけど。

それにしても、あの人もそのうち50である。どうなんだろう。たしか40を「不惑」とかいったと思うが。当人も、未だに残っているファンも、互いに執着して、共依存して、期待される姿を互いに演じて定着してしまっているということもあるかもしれない。しかしそうした姿は、私の望んでいることではなかった。

私も歳とった。個人的には早く死にたいんだけれど、それもエゴか。

なお、この日記にはオチはないしTL;DRも書かない。

2016-02-20

恥辱殺人ゲームがそんなに需要があるなら

人をひたすら罵倒するゲームを作ってほしい。落ち度を責め続けるのもいいけど、何の落ち度もないのに罵倒し続けるのもいい。容姿をめちゃくちゃに言いたい。罵倒だけじゃなくて、Aボタン罵倒、Bボタンで足を踏む、Xで押す、とか色々あるともっと楽しい恥辱殺人に抵抗がある人でも楽しめるゲームだと思う。

どうぶつの森でさ、おとしあなのタネとか網で住人の頭を叩き続けると怒るシステムとかあるじゃん。初期のソフトでは住人がキョロキョロするだけだったのにいつのまにか怒るようになってた。相手の反応がある方が楽しいもんね。友達とキャッキャ言いながらやってたなぁ。学校では、意地悪する女子とか「キモイ」ってわざと聞こえるように言う男子とか居たじゃん。子供の時から加虐心があるってことだよね。つまり人間の大きなテーマだと思う。ざっくりまとめると、倫理的にいけないことをすることに興奮や快楽を覚える人が少なくないってこと。だから恥辱とか殺人とかのジャンル需要があるんだよね。身近なところで言うと、火災報知器ボタンを押したくてたまらないとか、葬式で笑いたくなっちゃうのと同じようなものなんじゃないかな。

性的コンテンツ規制すると性犯罪が増えるっていう説が正しいなら、このゲームプレイする人が増えればいじめとか減るでしょ。二次元で発散できればリアルでやらずに済むんだよ。そんなに長くは生きてないけど、意地悪や悪口ストレス発散する人は体感的にまぁまぁ居る。某掲示板有名人を叩いてる人たちだって同じ。需要はある。ぜひ作ってほしい。もし既にあるのなら教えてください。お願いします。

2015-02-19

やらかしてもへこまない人たち

朝のラッシュ時、駅の自動改札スムーズに通り抜けられるかどうかで乗れる電車が変わってくる。自分の列の前の人が、改札機で引っかかるとイラッとするし、自分が引っかかってしまうと、恥ずかしい気持ちと申し訳ない気持ちでやりきれなくなってしまう。

しかし、世の中には、改札で引っかかっても一向に何も感じない人(少なくとも何も感じていないように見える人)が一定数いる。後ろに何人並んでいようと、改札機警報音に全く動じることもなく、表情も変えずに何回も何回も定期を改札機にあてがうのだ。列に並びなおして別の改札機を試すとか、駅員のところに行く、とかそういうことをしたりはしない。

この前、家の近くのドトールに行ったときは、こんなことがあった。突然、店内の一角から激しいブザー音が鳴り始めた。店内の誰もが振り返るような大きな音であるが、その音がなっている一番近傍女性、60代ぐらいの女性は表情を変えず携帯をいじっている。彼女は時折、首を傾げたりするのだが、決して、他の客と目を合わせたりはしない。携帯だけを見ている。どうやら携帯から何らかの理由盗難防止アラームのような音がなっているらしい。しかし、女性のあまりの平然っぷりからして、実は、音の発信源は女性ではないのではないか、とこのとき私は自分自身を少し疑っていた。

しばらくすると、店員が近くにやってきて、女性のまわりをしきりに動きまわりながら、天井火災報知器を覗き込んだり、机の下を見たりする。店員も、その女性が異音の発信源であることは分かっているのだが、さすがに、この手の客に対しては慎重なようで極力自分のほうから客に対して声をかけたりはしたくないようだ。店員が女性のまわりを、かなりわざとらしくグルグルとおよそ2、3分も動きまわっているが、女性は店員に声をかけない。根負けした店員が、遠目からみるに、かなり低姿勢女性に声を掛ける。女性は二言三言、店員に対し話をしている。携帯を指さしている。店員はしばらく携帯をあずかるが、アラーム音を止められず、女性携帯を返す。女性は首をすくめるようにすると、携帯をバッグの中に入れ、アラーム音が鳴り続ける中、悠然とコーヒーの残りを席で飲んでいた。

2014-08-28

トイレタバコを吸うやつ

シネ。

こっちは排泄に集中したいんじゃ。

お前の嗜好に興味ないし、タールのニオイも気持ち悪い。

そんなんだから喫煙場所が減っていくんだろうが。

もう、トイレの全室に火災報知器つけてくれないかな。

2014-06-25

35才の今

クラス先生一同、みんなに声かけレベル同窓会やろうって事になってるらしく

同窓会本舗とかいう専用サイトまで用意して人集めてるみたいだけど

うちの中学地域にも悪名の高い絵に描いたようなDQN中学だったし

廊下公衆電話がぶっこわされたり火災報知器鳴るのなんて毎日

とてもじゃないがなつかしいねー会いたいねーといった事を素直に思えない

現在その同窓会をがんばって成功させようと幹事してるのは当時のDQNグループの一員で

思うように人が集まらず苦心しているようだが

自分そいつらに呼び出しされネチネチいびられたような思い出しかなく

くそんな事してた張本人が年くったからといってケロっと

集まろうよー思い出語り合おうよーみたいな事言えるなあ?って

自分中学時代どんなだったか全く記憶にないのかなあ?って

さめた事思ってしまうんだけどひねくれすぎなのかな

まあそいつらにとっては、のびのびとやんちゃに過ごした楽しい日々だったんだろうね

2012-09-13

法律トリビア

器物破損程度では警官は銃を使うことができない

正当防衛緊急避難に該当する場合は除く)

だが、火災報知器・消火栓などの消防設備を壊し、逃亡した場合警察官職務執行法7条の1に該当するので銃を使用することができる

消防法

第38条 第18条第1項の規定に違反して、みだりに消防の用に供する望楼又は警鐘台を損壊し、又は撤去した者は、これを7年以下の懲役に処する。

39条 第18条第1項の規定に違反して、みだりに火災報知機、消火栓又は消防の用に供する貯水施設を損壊し、又は撤去した者は、これを5年以下の懲役に処する。

2011-02-17

政策実現の方法学確立せよ

  火災報知器の普及率は、「義務化済自治体」でも70%程度らしい

  耐震診断は、新宿区で「診断への補助金制度」を用意しても、実施者はゼロだったらしい

  中央区で「高齢者が民間賃貸住宅への入居をあっせんする窓口」を用意したが、

  相談件数はそれなりにあったが、成約はゼロだったらしい

  (孤独死されると困るので、貸さない、という民間家主のハードルが高かった)

  ・・・ということで、政府にしても自治体にしても、

  「政策目標を、いかに住民等に実現してもらうのか?」という「政策実現テクニック」が

  あまりにも「下手」じゃないか

  お役所は「●●した人には、半額補助金します」的な政策テクニックが大好きだが

  そういうテクニックが、果たして「最少費用で、最大の政策効果を上げる」のに適切な手法だろうか?

  自分だったら、

  「●●したい人、自分の負担上限額を書いて応募してください」として、「入札」させる。

  耐震診断であれば、予算枠5億円であれば、「自己負担割合が高くてもいいか耐震診断したい」

  という人から順番に、予算枠5億円使い切るまでの人に耐震補助を実施する。

  要は、耐震補助金の「競争入札である

  役所が勝手に「補助率は半額」と決めて実施ゼロになるより、よほど有効に予算が使われる。

  自分の案はあくまで一案だが、このように

  「いか政府自治体の政策を実現するか?」というテクニック論について、

  社会学者政治学者が研究してもいいのでないか

  政策実現の方法学、とでも、言えばいいのか。

2008-06-26

統合失調症、のようなもの

インターネットはいろんなものを恐ろしいほど身近にした。

私は詐病ではないとしか思えない妄想にとらわれている人間をこれまで30年弱の人生で2回ほど見たことがある。ひとりは痴呆が進みつつあった祖父であり、もうひとりは高校時代の元同級生だ。祖父はあるとき突然強烈な被害妄想と見当識の異常を示し、老人性のせん妄と診断された。一過性のものであったらしく薬を飲んだり飲まなかったりしているうちになんとなく改善した。元同級生の場合はどちらかといえば思い込みが激しいだけだったかもしれない。だが、卒業後しばらくたってから唐突に私を訪ねてきた彼はあきらかに私の見えないものを見ていた。そして私に心酔していた。私が死ねといえばおそらく彼は死んでいたと思う。私は彼を恐れずにいることができなかった。

祖父はすでに亡くなった。元同級生は現在関東で生活しており、海外で暮らしている私に数年に一度、難解なメールをよこす。

祖父は漠然とした敵愾心の対象を「暴力団」と呼び、暴力に屈しつつある自分を恥じていた。齢八十を超えていたその当時、「暴力団拉致された」ことを「一生の恥だ」と訴えていた。彼はその日デイケアセンターをはじめて訪れたのだった。

元同級生はいわゆる精神世界的な領域に傾倒し、必死に私をそちら側へ救い出そうとしていた。私は彼と接しているうちに、世界には確かに別の領域があり、そこで生きる人間がおり、我々は分かり合おうとしなければ決して交錯することのない世界に住んでいるのだと悟った。90年代の終わり頃のことだった。

私が知っている二人にとって、世界漠然とした「悪」に蝕まれ、あるいは現実を超越した「善」が目の前に展開する地平だった。おそらくその二つは同じものだったのだろうが、私はそれを「よくわからない」といい続けた。そうすることが私自身のために必要であるように思っていた。

いま唐突に思い出したが、もう一人知っていたような気がする。大学で教鞭を執る父の研究室に遊びにいっていた子供の頃、父の同僚が配布していた一枚のビラをみた記憶がある。そこには火災報知器から発せられる電磁波人間精神に及ぼす影響、その装置の背後にある陰謀について書かれていた。質問した私に対する父の応答は記憶にないが、ガリ版刷りのビラに描かれていた火災報知器の分解図をよく覚えている。

ここまでは思い出話。

諸兄ご存知のようにインターネット妄想をも媒介し、増殖させている。「ストーカー」という言葉が巷に定着したのはたしか90年代の後半だったように思う。漠然と背後から忍び寄る「悪意」が「ストーカー」と結びつけられること、そしてそれがインターネット上の語彙として流通することも十分自然なことだ。ただ、20世紀の終わりのこのときまで、彼らの語彙を正確かつ広範囲に伝達するメディア人類が持っていなかったことは事実だろう。それまでは「妄言」かガリ版刷りのビラ、あるいは執拗に取りためたノート医師メモにしか彼らの「世界」は記録されることはなかった。彼らはメディア限界によって否応なく孤立し、孤絶し、知られぬままにどこかへ消えてしまっていた。

だが、いまやメディアは万人のものだ。

「集団ストーカー」と「電磁派」、あるいは特定の宗教団体の被害を訴えるブログが溢れていることはよく知られていることだと思う。彼らの「世界」は、写真動画、筆記によって極めて正確かつ着実に記録されつつある。その「世界」の強度は、ちょうど2ch、あるいはこの「匿名ダイアリー」のような空間の「向こう側」には実は誰もいないのではないか、という仮説が私たちにとってひとつのリアルジョークであるのと同じくらいに鮮明で、堅固で、揺るぎないものだ。

例えば。

miyoko gotoという、現在スイスのアーラウで「亡命」生活を続ける日本人がいる。彼女米国留学中に発症し、一度は強制力をともなった医療措置がとられたが、一度帰国を果たすものの再訪した米国から欧州へ遁走し、現在スイスに在住している。彼女の活動は現在進行形blogyoutube上に記録され続けている。それはすでに文字通りの圧倒的な「ライフログ」としかいいようがないものだ。それらは我々にとって彼女の困難な生存以上の事実を伝えるものではない。だがこれほどに強烈な生の記録は、私にとってはあまり目にしたことがないものだった。

人類学を専攻し、コンピュータプログラムの知識もある彼女は、自身のホームページSNSを通じて同じ世界を共有する「彼ら」と結びつき、知見を交換し、より強固な「現実」の地平へ下って行こうとしている。

いまや我々がひとりではないように、彼女たちもひとりではない。そして無論我々も彼女たちにメールを書き、コメントすることもできる。

運が良ければ彼女日本へ送還されるか、スイス医療施設で保護を受けることになるだろうが、運が悪かった場合はおそらく誰も救うことができまい。いくら治安のよいスイス田舎とはいえ、身寄りも国籍も何も持たない彼女が知らぬ間に消えてしまうことは十分あり得る。

私には、彼女のような存在を憐れむいわれもなければ、その近親者を責める理由もない。

ただ、その「生きていること」という「情報」が、日本に住む、彼女の近しい人々に伝わっていることを願っても許されるのではないかと思った、ということを記してみたかった。

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