連夜の懇親会という名の酒の席の後はよかった。酩酊で感度が鈍ければ気分だって軽い。夜が遅ければ通りに人は少なく、宿泊先のホテル近くまで、日本人の同行者だっていたのだ。
一方で仕事が終わったあと、特に予定のない日に漠然とした不安が襲ってきた。仕事が終わって19時前、空はやや暗く人通りは絶えない。ホテルまでの帰途、行き交う人々の合間を一人で歩く。いかついタトゥーの強面の黒人、連れ立って喚いている話の通じなさそうなハイな学生たち。もし絡まれたらどうしよう。
自分は英語ができない。もちろん一人でアメリカに入国して一人でホテルにチェックインして一人で仕事先で拙い英語をなんとか切り貼りすることはできている。と思う。が、そもそも英語以前に日本であってもどちらかというと人見知りするほうで、初めて訪れるお店に入る時はつい目の前を素通りして様子を伺ってしまうタイプだし、咄嗟の会話で言葉に詰まるし自分を相手がどう捉えているかが気になって仕方がない。相手の意図が読めないと上手に話ができないのかもしれない。
アメリカではどうか。
相手を読める気がしない。言葉の違いと文化の違い。歴史的背景的にアジア人は軽んじられたりしないだろうか。不安げな面持ちのうらなりが一人で歩いていたら簡単に絡まれるのではないか。絡まれたら何をどう説明すればいいのだろう。あいにく大した持ち合わせもないし、仕事の都合上でパスポートを持ち歩く必要があるのだ。これがなくなるとけっこう困る。必要以上に警戒して歩くと余計に目立つかもしれないと思いつつもつい警戒して挙動不審になっているかもしれない、という思考のループから抜けられない。しかしもちろん実際には誰からも何もされることはなくて、普通に歩いて普通にホテルについて普通に部屋に戻るのだ。
しかしそれでも、漠然とした不安は鳴りを潜めてくれなかった。昨日には火災報知器が誤作動したし、過敏になっているのはわかっていた。それでも何かの手違いで、突然ホテルを出ろと言われるような気がしたし、突然隣人が怒鳴り込んでくるような気がしたし、突然電話が鳴ってまたわけの分からないことを言われるのではないか。
言われなかった。
かくして短いアメリカ出張も終了し、一人でホテルを出て一人でバスに乗って一人で飛行機にのって一人で帰ってきたのだけれど、飛行機に搭乗してからの安心感はまどろむようであった。ここでは何か困ったことが起きても日本語が通じるのだ。正しく現状を認識して自分に手落ちがないことを説明できる。もうこれで大丈夫、アメリカで一人で抱えていた常時不安は消え去った。
さて、この常時不安がけっこうキツかった、というのが本題である。
なんとなく落ち着かなくて、何も手につかなくて、楽しいことをしようという気にもならなかったし、なんだか体調まで悪くなった気がした。深呼吸しないと呼吸が苦しくて何度も何度も深く息を吸った。思考もどんどんネガティブな方向に進んでいく。仕事の荷物を置いて再度ホテルから出て晩御飯を食べようという気も起きずにお腹が空いた。お腹が空いているのに部屋から出られない自分をみじめだと思った。
いざ部屋を出てみると意外と平気なのは知っている。でもすごくストレスがかかる。飲食店であれスーパーの店員であれ大した会話はしないのも知っている。でもイレギュラーが起きたら上手に対処できる気がしない。絡まれるのが一番ありそうな気がするし、食事をしたあとにうっかり財布を持っていないことに気付いたら誰に何をどう説明すればどう解決に進むんだろう。分からない。そんなことは財布をちゃんと持っていればいいことなのは分かっているのに、そんな起こり得ないことが起きたときにどう対処すればいいか分からないから部屋から出られない自分がみじめ、と思うことがもっと自分をみじめにした。
しかしなんとか日本に帰り、常時不安は雲散霧消、好きなときに好きなところに好きなように行けるようになった。そこに裏打ちされているのは自信であって、日本語という言葉や日本という文化と慣習に揺るぎない自信があるから常時不安には陥らない。少なくとも自分はそうだし、多くの人もそうだと思う。
しかし、全員がそうだろうか。と思ったのがこの話を書いた最大の理由で、自分には世の中で生きづらそうにしている知人がある程度いて、そういう人たちに自分はどう声をかけたか。休日に部屋に引きこもってないで出かけろだとか、出会いがないなら合コンへ行けだとか、そんなことを言ってきた。
彼らは私がアメリカで常時不安だったように、ここ日本にいても様々な理由で常時不安なのではないか。対人恐怖症なんかは言語関係なく対人に自信が持てないのであって、自信が持てないのなら常時不安なのかもしれない。アメリカで自分が感じた常時不安の息苦しさの中で、「せっかくアメリカに行ったのに引きこもってるなんてもったいない」だとか「英語なんて適当で通じるから観光でもなんでも行ったほうがいい」とか言われたら確実に余計なお世話だと思う。あなたはそうできるかもしれないけれど、わたしに同じことができると思わないでほしい。不安なのは不安なのであって、簡単に消せないから苦しいのだ。
無意識のうちに、同じことを同じように自分も押し付けていたのではないか、と思った。人に会うのが苦手な知人に合コンに行けとか旅行しろとか友達を作れと言ったとき。あなたはそうできるかもしれないけれど、わたしに同じことができると思わないでほしい。そう思われていたのは、誰よりも自分だったのかもしれない。
できることはなんだろうか。またアメリカに行くなら英語だと思う。英語圏の人と話す経験をたくさん積むのが理想だろう。いずれ海外に行くことはあるだろう。それまでにもっと勉強していく。きっとそれが一番いい。