「曹操」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 曹操とは

2016-11-18

有能厨は裏切られて死ぬ

信長曹操を見ろ!

人間性の疎外!人間を裏切った天誅だ!

2016-09-29

転職すると忠誠が下がる

代わりに野望が上がる。

そう思うかもしれないが、そうでもない。

転職人というだけで不当な扱いを受ける。

行動範囲制限されていく。

ヘッドハンティングは専ら競合を弱めることが目標だったりする。

上司パワハラに耐えかねて呉に出たビ芳なんかも官職は高いが陰口がひどかったという。

劉備から曹操に行った徐庶なんかはひどいものだ。母親すら人質にとられた。

反対に、うまくいく例もある。

魏の反乱とともに蜀に行った夏侯覇は車騎将軍に命じられその後も重用されている。

海賊上がりの甘寧なんかは、元ヤンキーが改心した効果非難されることが無い。

果たして何が成否を決めるのだろうか。

例えば孟達挙動は当時どう評価されていたのだろうか。

また、魏延が魏に下っていたら…。

そのあたりに、ヒントがありそうな気がする。

2016-06-27

[][][][][][]

三略(さんりゃく)

乱源(らんげん)

公立私(はいこうりっし)

自分より優れたるものを自分の周りに置きし者ここに眠る。カーネギー

派閥をなくす決め手は信賞必罰の断行である

そうすれば派閥による昇進や、派閥によるかばい合いはなくなる。

非情のススメ 超訳 韓非子

唯才是挙(ただ才のみ、これを挙げよ)曹操孟徳

現代の世の組織には、学閥派閥などがあり、お互いに共通点のある者で組織内に組織のようなものを作るときがある。

お互いに共通点のある者が親しむこと、それ自体は何も悪いことでなく、自然なことである

しかし、これはあくまプライベートで行われるべきことであり、人事や職務に影響させてはならない。乱源とは公私混同のことである

三略 乱源 背公立私





10代の終わりに実施した学力テストの点数が、50代や60代まで、それも正解のないビジネス世界通用するものだろうか。

仕事の頑張りとは関係ないところで評価されるのなら、真面目に仕事をするモチベーションも高まらない。

http://news.nicovideo.jp/watch/nw230641



企業内OB会は品がない!慶應三田会に見る「学閥」の功罪 - 山崎元のマルチスコープ

学閥の特徴




あなたを大切にしない人をあなたが大切にする必要はない

ttps://bit.ly/2K5LWk2




ttp://www.ncn-t.net/kunistok/6-13-SOSHIKITEITAINOGENKYO.htm

ttp://www.h4.dion.ne.jp/~sstm/library/heihou/sanryaku.html

ttp://blog.livedoor.jp/momotarou100/archives/51236132.html

2016-06-06

モーレっていったら

曹操だよね(答えは聞いてない

2016-05-06

うじうじ

彼氏と2週間に一度会いたいと思うのはわがままなのだろうなあと考えると少し虚しくなった。

正直、会いたくてたまらないのだけど、相手は忙しそうなので私のことなんて気にする余裕もない感じである

相手のことを考えると会わないほうが良いのだろうなとは思うけど、他の女性とは会っていると考えるともやもやするんだよなあ・・・

そこで生きやすくするために色々と策を考えてみた。

彼氏のことを曹操だと思うことにすればなんとかなるかもしれない。

わたし曹操のn番目の奥さん、活動的な人だから支えてほしそうなときに支えて放っておいてほしそうなときはほうっておくのがベストだと思う。

って考えるとなんか気力出てきた!!!頑張りますorz

2016-03-21

真田丸見てるととても昌幸が統率98知略96とは思えないんだが

信長の野望真田昌幸過大評価されてる。

真田丸を見るととても活躍してるように見えない。

かなり運に助けられてる感じがする。

関ヶ原以降も生き残って息子は大名になったか処世術に長けてるとかで評価されてるんですかね?

上田城攻防戦で秀忠の本隊を上田に釘付けにした事が評価されてるんですかね。

真田丸を見ると、彼の嘘八百に簡単に騙される北条上杉徳川が滑稽に見えてくるんですよ。

あんな狸だか狐だかの化かし合いを演じた昌幸が評価されてあの数字なら

ずっと狸を演じてきた徳川家康の方をもっと強力にしてくれてもいいんじゃないですかね。

全部オール90以上って曹操みたいな数字にね。

ともかく昌幸は統率80代知略90前半位に直した方がいいですよ

2016-03-16

三国志演義がっかりポイントワースト5

5位 呂布の死

個人的呂布が好きってのもあるけど、処刑シーンにおける劉備スネ夫ぶりがムカつくので。

もし呂布曹操配下で生き長らえていたら…夢が広がりんぐ。

4位 関羽の敗退行為

あれだけ豪語しておいてあっさり曹操を見逃すのかよ…やる気がないなら出てくるなよ…。

孔明に止められて最後まで出撃できませんでした、という方がまだ良かった。

3位 青嚢書

医学書を捨ててから夫の様子がおかしい」案件

せめて誰かに譲るなりしろよと思いました。

2位 馬超存在感

あの錦馬超劉備の仲間に!うおお五虎大将軍!と思ったらほとんど出てこなくなりいつのまにか死んでいた。

RPGとかでよくある強敵が仲間になったら使えなかったみたいなやつだ。

1位 落鳳坡

あの龐統劉備の仲間に!うおお伏竜鳳雛!と思ったらロクに活躍もしないうちにあっさり死んでしまった。

RPGとかでよくある強キャラが仲間になって喜んでたら一時加入だったみたいなやつだ。

2016-02-18

中国約束を守らない国って果たしてそうだろうか?

秦は穆公から始皇帝まで約束を守らない虎狼の国と言われ続けてた。

漢の高祖は項羽との約束を破って垓下の地で項羽を滅ぼしたし、

天下統一韓信を始めとした功臣を意味不明理由で殺しまくった。

三国志裏切り時代

曹操若い董卓の怒りを買い逃亡中、自身親族を裏切るからという理由だけで皆殺しにした。

孫権太子孫登亡き後二宮の変優柔不断を発揮して功臣陸遜事実上殺した。


後は頼んだ。

2016-02-05

ガンダムとか暴走族ものとか

anond:20160204010018

ヤクザとかマフィアとか。

まり任侠ものの変形だとおもいますー。

強さ+かっこよさ+イデオロギー団体という尺度史実により正当化されるっていうかー

将棋っぽいっていうかー

 

ていうか一部の女子もわりとふつうに好きですぜ(海月姫と天地な~グフフ)

 

孔明がー曹操がーとかって中国ではあんまり人気ないらしいっすな

関羽だけだもんなー

2016-01-10

三国志でなんだかんだで荀彧ゴイスーだなっていう

曹操陣営はあまり好きではないんだけど、荀彧の才能は認めざるをえない。

2015-11-07

http://anond.hatelabo.jp/20151106235938

信長はやったことないけど

三国志曹操使っても領地を広げすぎて周りから攻められまくった

大戦略とかファミコン版でもコンピュータ強すぎ

ゲームは向いていないけど

家で何してろっていうんだ

2015-08-11

三国志の楊修の話好き

主なエピソード演義含む)

曹操が自信満々で出したクイズを得意のとんちで解いた

曹操が出しそうなクイズをまとめた書物を息子の曹植に渡した

・蜀の張松曹操バカにして曹操激おこなので、張松曹操様の偉大さを知らしめてやろうとしたら逆にぐうの音も出ないほど論破されたので曹操曹操様はバカにされたけど張松はすごい人ですよって報告した

曹操ポロッと口にした「鶏肋」という言葉から曹操の深意をくみ取って撤退準備したら殺された

最高。

社会に出たら上司の面目を潰さないように適当ごますって、わかってることでも聞いておだてようって教訓を得るよね。

2015-07-14

Wikipediaに憤死したと書かれている有名人

李広

前漢武将。衛青に従って匈奴征伐に出陣したが遅参してしまい「慣れない搦手の部隊に回されたせいで道に迷ったじゃねぇか!」と逆ギレして憤死。

周瑜

三国志演義』に登場する呉の武将諸葛亮にことごとく策を読まれた上に「どうせ俺に勝てないんだから曹操に隙を突かれる前にやめたら?」と言われて憤死。

于禁

三国時代の魏の武将。有力な将軍であったが関羽に敗れて降伏した。のちに魏に送り返されたあと、関羽に命乞いしている場面の絵を見せられて憤死。

曹丕の項にて「憤死」を確認

王朗

三国志演義』に登場する魏の政治家。戦いの前に諸葛亮に論戦を挑むも「逆賊曹操に取り入って私腹を肥やしたくせにまだ手柄が欲しくて戦場に出てくるのかこのジジイ」と罵られて憤死。

曹真

三国志演義』に登場する魏の武将。陣中で病にかかり重体となり、それを察した諸葛亮がここぞとばかりに送った挑発的な内容の手紙を読んで憤死。

陸遜

三国時代の呉の武将老害と化して後継者問題引き起こし孫権が周囲の讒言を信じて何度も問責してきたため憤死。

蕭衍

梁の武帝。当初は名君だったが仏教に傾倒して国を衰退させ、宇宙大将軍が率いるたった1000人の反乱軍に敗れて首都を包囲され降伏幽閉中に蜜を求めたが与えられず憤死。

侯景の項にて「憤死」を確認

ベリサリウス

東ローマ帝国武将東ローマ帝国の最大領土を築き上げたが、皇帝から必要ときに呼び出されてこき使われるだけの不遇な人生を送り、最後には無実の罪で逮捕されて憤死。

早良親王

兄・桓武天皇から藤原種継暗殺事件関係した疑いをかけられて流罪に処され、無実を訴えて絶食し憤死。

ボニファティウス8世

ローマ教皇フランスフィリップ4世対立して監禁されて「異端者」と罵られて殴られて身ぐるみ剥がれて憤死。

2015-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20150606115855

それが本当だったら、曹操の大群が少数の諸葛孔明の少数軍に敗退したりしない。

2015-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20150518191230

こうして見ると高く評価されるにはいくつかの条件があることが分かる。

兵法書が書かれていること…孫武呉起・孫臏・曹操李靖・戚継光

中華統一に貢献していること…白起・王翦・韓信・劉秀・李靖李世民・徐達

異民族撃退していること…李牧・衛青・霍去病・班超・李靖・郭子儀・岳飛・戚継光・左宗棠

この中で三つの条件を全て満たしているのは李靖だけである

中国名

中国の名将について検索をかけたときによく挙げられている人物を紹介する。

春秋
孫武世界史上に名高い兵法書孫子」の著者。伍子胥と共に呉王が覇者となるのに貢献した。
戦国
呉起孫子と並び称される兵法家。いわゆる「呉子」。魯・魏・楚などに仕えたが、強引な改革で周囲の恨みを買って殺された。
孫臏「孫臏兵法」の著者。友人に裏切られて罪人となり脚を切断されたが、逃げ出した先の斉で将軍となり、「馬陵の戦い」で復讐を成し遂げた。
白起秦の名将。包囲殲滅戦の名手にして虐殺者。「長平の戦い」では四十万もの捕虜を生き埋めにした。そのあまりの強さから王に恐れられて賜死された。
李牧趙の名将。匈奴に大勝を収め、秦の大軍を退けたが、離間の計によって王に疑われて殺された。趙が滅亡したのは李牧の死からわずか三ヶ月後のことだった。
王翦秦の名将。趙や楚を滅ぼし、始皇帝中華統一に多大なる貢献を行った。猜疑心の強い始皇帝に誅殺されることもなく天寿をまっとうした。
楚漢
項羽秦軍の中心となり西楚の覇王と号す。戦では無敗を誇ったが、それまでさんざんに勝ってきた劉邦最後になって敗れ、自害した。
韓信建国の功臣。漢の三傑。「背水の陣」で有名。魏・趙・斉を降して劉邦天下統一を大いに助けたが、皇帝即位後は冷遇され、謀反を企んで処刑された。
西漢
李広匈奴戦の名将。弓の名手として知られる。若い衛青が台頭したのち、その下で不甲斐ない戦いをし、それを恥じて自刎した。
衛青匈奴戦の名将。苦労人で人格者。低い身分から取り立てられ、匈奴と戦って連戦連勝し、その功績により大将軍にまで出世した。
霍去病匈奴戦の名将。衛青の甥。天才肌で直情径行。若くして匈奴との戦いで活躍し、衛青を凌ぐ名声を得るが、24歳で夭折した。
東漢
劉秀東漢の初代皇帝。「昆陽の戦い」では100万と号する軍勢わずか1万の兵で撃破した。皇帝としては一代にして創業と守成を成し遂げ、功臣を粛清することもほとんどなかった。
班超中央アジアを平定し、東漢の最大版図を現出した。西域に三十年間も留まったのち、洛陽に帰還して一ヶ月後に亡くなった。
三国
曹操東漢末における群雄のひとりから三国鼎立中の最大勢力にまでなり、後の魏・晋の礎を築いた。兵法家詩人としても名を残す。
周瑜呉の名将。美男子で有名。「赤壁の戦い」において魏の大軍を破った。
南北朝
韋叡梁の名将。身体が弱かったため、戦場では鎧を付けず輿に乗り、竹杖で指揮していた。南北朝最大の決戦「鍾離の戦い」にて百万の大軍を破る勝利立役者となった。
陳慶之梁の名将。わずか7000人の「白袍隊」を率いて北伐を敢行、連戦連勝で洛陽まで陥とした。「千軍万馬も白袍を避ける」と賞された。
李靖建国の功臣。内戦においては中華統一に貢献し、外征しては騎馬民族騎馬戦術によって滅ぼした。中国史上屈指の名将とされ、李靖に仮託して兵法書李衛公問対」が書かれた。
李世民唐の二代皇帝。李淵の次子として、隋末唐初の戦乱において多大なる軍功を挙げ、そのまま兄を追い落として皇帝となった。政戦両面における名君として知られる。
郭子儀安史の乱を平定し、吐蕃ウイグルの侵攻を撃退するなど、幾度にも渡って国を救った。子孫、財産長寿に恵まれ万民から敬愛された。
岳飛対金戦の名将。忠臣として名高い。私兵を率いてたびたび金軍を破るも、和平派によって冤罪を着せられ殺された。
常遇春建国の功臣。常に先陣を切って戦った猛将で、日頃から10万の兵士を率いて天下を横行したい」と語っていたため「常十万」と呼ばれた。
徐達建国の功臣。謹厳実直にして冷静沈着。総司令官として北伐を行い、元をモンゴル高原へと追いやった。朱元璋からは功績第一と称賛された。
朱棣明の三代皇帝。甥の二代皇帝に反発して挙兵、圧倒的不利を覆して正規軍勝利し、帝位を簒奪する。皇帝となった後も、自ら軍を率いて積極的な外征を行い、明の最大版図を築いた。
戚継光私兵を率いて倭寇討伐に功を挙げ、また北方に赴いてモンゴル侵入を防いだ。倭寇に対抗するため、中国全土の武術をまとめあげ、日本剣術研究したことでも知られる。
左宗棠自らを今孔明と称した。太平天国の乱の鎮圧に貢献し、洋務運動を推進した。さらには回民蜂起の鎮圧、捻軍の鎮圧新疆奪回など、清軍の大黒柱として活躍した。

2015-04-17

世界史人物概覧

世紀
前6孔子(前551儒教の祖)
孫子(前544・『孫子』著者)
前5釈迦(?・仏教開祖
ヘロドトス(前484・歴史の父)
ヒポクラテス(前460・西洋医学の父)
プラトン(前427・哲学者
前4アリストテレス(前384・万学の祖)
アレクサンドロス大王(前356・マケドニア王)
前3アルキメデス(前287・古代最大の数学者
始皇帝(前259・最初中華皇帝
劉邦(前256・漢の高祖)
ハンニバル(前247・包囲殲滅戦術確立
前2司馬遷(前139・『史記』著者)
前1カエサル(前100・ローマの終身独裁官
ウェルギリウス(前70・ローマ最大の詩人
オクタウィアヌス(前63・ローマ帝国の初代皇帝
イエス(前4・キリスト教開祖
1プトレマイオス(83・天文学者
2ガレノス(130・古代医学確立
張仲景(150・医聖)
曹操(155・三曹の一人)
3
4王羲之(303・書聖)
アウグスティヌス(354・古代最大の神学者
5アッティラ406・フン帝国の王)
6ムハンマド(570・イスラム教開祖
李靖(571・『李衛公問対』)
李世民(598・唐の第2代皇帝
7
8アブー・ムスリム(700・アッバース革命立役者
李白(701・詩仙)
杜甫(712・詩聖)
カール大帝(742・フランク王国
9
10フェルドウスィー(934・『シャー・ナーメ』著者)
イブン・ハイサム(965・光学の父)
イブン・スィーナー(980・アラビア医学を体系化)
11
12朱子1130・儒教の中興者)
サラディン1137・アイユーブ朝開祖
インノケンティウス3世1161・教皇権最盛期のローマ教皇
チンギス・ハン(1162・モンゴル帝国の初代皇帝
13トマス・アクィナス1225・『神学大全』著者)
ダンテ1265・イタリア最大の詩人
ジョット(1267・西洋絵画の父)
14羅貫中(?・『三国志演義』『水滸伝』編者』)
イブン・ハルドゥーン(1332・『歴史序説』著者)
ティムール(1336・ティムール朝建国者
ヤン・ジシュカ(1374・マスケット銃を使用)
グーテンベルク(1398・活版印刷発明者)
15ジャンヌ・ダルク(1412百年戦争聖女
コロンブス(1451・アメリカの再発見者)
ダ・ヴィンチ(1452・万能の天才
ヴァスコ・ダ・ガマ(1460・インド航路開拓者
マキャヴェッリ(1469・『君主論』著者)
ミケランジェロ(1475・芸術家
マルティン・ルター(1483・宗教改革
スレイマン1世(1494・オスマン帝国最盛期の皇帝
16エリザベス1世(1533・アルマダ海戦に勝利)
セルバンテス(1547・『ドン・キホーテ』著者)
ガリレオ(1564・科学革命の中心人物)
シェイクスピア(1564・イギリス最高の詩人劇作家
グスタフ・アドルフ(1594・三兵戦術確立
デカルト(1596・合理主義哲学の父)
17ルイ14世(1638・絶対王政最盛期の王)
ジョン・ロック(1632・イギリス経験論の父)
ニュートン(1642・科学革命の中心人物)
康熙帝(1654・清の第4代皇帝
バッハ(1685・音楽の父)
18オイラー1707・数学者
曹雪芹(1715・『紅楼夢』著者)
アダム・スミス1723・経済学の父)
カント1724・哲学者
ワシントン1732・アメリカ初代大統領
ワット1736・蒸気機関の改良)
ラボアジェ1743・近代化学の父)
モーツァルト1756・音楽家
ナポレオン1769・初代フランス皇帝
ベートーヴェン1770・音楽家
ガウス1777・数学者
クラウゼヴィッツ1780・『戦争論』著者)
スチーブンソン(1781・鉄道の父)
ファラデー(1791・電磁気学の父)
バベッジ1791・コンピュータの父)
19ダーウィン(1809・進化論提唱
ポー(1809・ミステリの父)
マルクス(1818・共産主義提唱
ヴィクトリア女王(1819・帝国主義最盛期の女王
パスツール(1822・近代細菌学の父)
ヴェルヌ(1828・SFの父)
モネ(1840・印象派の祖)
ロダン(1840・近代彫刻の父)
エジソン(1847・発明王
フォード(1863・自動車大量生産
ライト兄弟(1867・飛行機発明
アインシュタイン(1879・相対性理論を発表)
ピカソ(1881・画家
ケインズ(1883・マクロ経済学確立
グデーリアン(1888・電撃戦確立
ヒトラー(1889・ナチス指導者

2015-03-27

荊州統治関羽でなく孔明に任せてたら

それだと益州取れなくなるか。

ホウ統戦死してこれといった軍師がいなくなるからね。

劉備がいくら戦上手でも慣れない土地で戦えないわけで

必然的地理に詳しい孔明を呼ばざるを得ないのはしゃーないか。

はいえ、あの段階で関羽の他に荊州統治を任せられる人が本当にいなかったのか

街亭でたまたま馬謖しかいなかったから彼に任せて駄目だった事があったけど、

関羽前評判はすごく良かったか荊州大丈夫だろと統治を任せたら

荊州全土取られた挙句関羽自身も敗死して、その後の荊州奪還と仇討ちなんてイベント

起こるはずが無かっただけに、関羽の身勝手さには反吐が出るし、

さすが人材コレクター曹操さまが一目置くだけの事はあるなと思った。

実際、曹操の目に適ってなかったら荊州統治という大任もなかったかもしれない。

曹操は目聡く将来自分にとって害になるかもしれない人物を起用する事によって将来の害を取り除いたかもしれない。

先見の明があるから中原覇者にもなれたのだ。

そう考えたら関羽ある意味然るべき所に収まったに過ぎないのではないか。

関羽でなく孔明かあるいは統治の巧い荊州閥の誰かに任せていたら、歴史はきっと変わってただろうな。

関羽だったか歴史がああなったのだ。

2015-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20150223214028

呉という国は豪族寄り合い所帯なので魏や蜀と比べると統治が非常に難しかった。

江南も当時はまだ開発が進んでおらず河北の豊かさには一歩も二歩も劣る。

日本戦国時代で言えば武田信玄のようなポジションであって、初期条件から詰んでいるといわざるを得ない。

それでも無謀な領土拡大を望んで全周囲を敵に回した挙句に最悪のタイミングで死んでいった糞老害信玄と比べれば、

己の分を弁え豪族たちをよく抑え後継者争いにもとりあえずの収拾をつけて死んだ孫権は遥かにマシだ。

曹操劉備が破格すぎただけで、曹丕を除く魏帝や劉禅と比べれば十分に名君と言えるだろう。

孫権という三国時代英雄について

歴史関係三国志話題に昇った時、非常に地味だったという記憶がある。

何故なら、呉といえば大事な戦が孔明の引き立て役となった赤壁周瑜が頑張った荊州南郡呂蒙が頑張った樊城、陸遜が頑張った夷陵、孫権大敗した合肥

数えるほどしかなくて、その中でも孫権自身が直接赴いた戦争合肥くらいで、

その上、張遼に始まって満寵や曹休(石亭でのやり返しは陸遜周魴による)、王凌などにボコられて負けたくらいのエピソードしか持たない

戦争に行けば必ず負ける郭図のような人物だったらしい。

そのため、甘露寺での劉備との同盟といった正に英雄と呼べる場面もあるのに

張昭の家を放火したり陸遜根拠なく憤死させたり二宮の変での優柔不断さが原因で呉の滅亡を早めたりと

無能エピソードがちらほら伺えてしまって、

対する曹操徐州虐殺劉備長坂で妻子を捨てて逃げた事なんかよりもずっとクズだし、

何よりも孫権は上二人の英雄に比べて戦争に強いイメージがなければ、政治家として優れてたかすら疑問だ。

何せ、これまで暗愚扱いされてきた劉禅宦官政治朝廷が腐敗したとしても少なくとも40年は国を維持してきたとして

良君として再評価されつつあるのに対して、

孫権二宮の変晩年後継者選び等の老害ぶりを発揮したおかげで若い時の事績が霞む程の暗君ぶりや兄孫策の偉業を評価せず

皇帝即位後、父は皇号だったのに兄には王号しか与えなかった事から孫権自身人間性を物語るのに十分だ。

そのため、彼に関して三国時代の三人の名君の一人に挙げられるとこれまで評価されてきたが、筆者はそれには否としたい。

偶然三国時代に入ったため、たまたま呉国君主だった孫権英雄扱いされてしまっただけだろう。

若い時は呂蒙や蒋欽に勉学を勧めたり劉表から亡命してきた甘寧を受け入れたりと正に英雄と呼ぶに相応しかったが

それ以上に短所が悪目立ちしてしまったのが残念で仕方ない。

2014-12-16

中国孔子が尊ばれる理由が分からない

斉の宰相妟子(妟嬰。春秋史上最高の名宰相妟管子の片方)に「コイツ理屈王侯貴族しか通じない」と称される程、

孔子(孔丘)の評価は実はあまり芳しくない。

それなのに弟子顔回あまりにも有名でその師匠曰くという所に魯の孔子が出て来るだけで、

中国では非常に尊ばれているのである

加えてこの孔子と言う人物は中国曰く聖人君子代表格とされるが、

呉の季札同様さして何かを成し遂げたでもないのにやたら持ち上げられる。

伝え聞いた所では……という塩梅で多少誇張された表現がこの孔子の周囲には多い。

更に孔子は当時仕官を断った妟子に対して、後に大した事がない奴だと扱き下ろしてる。

このように自分で何かを成し遂げていない上に傲慢人間にも拘らずやたら名声だけが付いて回っている人物が

中国では尊ばれる風潮がある(孔子の子孔融も同様)。

三国時代に目を向けると、劉備玄徳や関羽雲長諸葛亮孔明が「三国志演義」の影響から史実以上に聖人君子の扱いを受けており

これまた中国では尊ばれている。

逆に孫子兵法書編纂し、中国大陸の三分の二を掌握して漢王朝を永らえさせた曹操孟徳に対しては近年こそ

評価されつつあるが、それまでは悪逆非道代名詞とまで貶されていたのだ。

そう考えると中国では創作民話伝承の類が信じられやすい、言い換えれば単純な人間が多いために、このような誤解が

長らく国民感情として根付かれてきたのだ。

筆者が大好きな猛将魏延などの忠臣は演義のせいで墓まで荒らされて現在鉄道が作られている始末である

このように、中国史実に全く目を向けず自分たちにとって都合の良い虚構にばかり信奉しているのだ。

孔子が尊ばれるのも恐らくこの辺りが理由なのではないか?

そう思えてならない。

2014-10-25

static void ryofu()

三国志を読んで呂布を凄いと思うけれどあこがれることはない。大軍を指揮する曹操だったり、知略輝く諸葛亮だったり司馬懿だったり、なにもしないけれどなんかすごい劉備だったり、それを支えるかっちょいい関羽だったり張飛だったりに憧れるだろう。

三国志仕事に援用するのはクッソつまらない読書方法だとしってはいるけれど、男の仕事って、指揮する側に立つのが目指されている。いつまでも現場じゃなくてマネージャとして管理職になって経営人を目指す、みたいな意識の高さ。それが男子一生の仕事みたいな共通認識が暗黙の裡に横たわっていることは大勢同意してくれると思う。

呂布ではだめなのだ。状況を作り出す曹操諸葛亮司馬懿こそが男の仕事なのだ。たしか呂布は状況を作り出せない。状況に放り込まれるだけだ。しかしいったん放り込まれたらその状況をねじ伏せるだけの膂力がある。それは誇っていいし、誇るべきだし、呂布価値はそこにある。

たとえばSI屋でプログラミングもできて、サーバ構築もできて、ネットワーク構築もできて、設計もできて、提案書もかけて、価格交渉もできる人がいたとする。で、上司最初はそういう人がいることを喜ぶ。自分の予想以上の結果を出してくれる人だからだ。少少の荒い現場だってそのスキルですべてねじ伏せる。呂布のような人。

が、しかし、残念ながらそのうち慣れる。そしてその能力を予想通りに貶める。スケジュールだって工数交渉だって全部その人がやることを前提にして立案する。そんなの他の人なら達成できないプロジェクトタスクなのに呂布ならできると知っているから、抵抗なくアサインする。そして最初のころは予想以上だった結果が予想通りに毀損される。呂布にとっては褒賞は当然必要だけれど、それと同じくらいにそのスキルパフォーマンスをほめられたい、無二のものである特別扱いされたいのだが、残念ながら上司は慣れてしまったので、そんな気持ちは持ち合わせない。それどころか呂布能力が人並みになると「予定と違う」と激高する始末だ。人なのだから出力に並はあり、時には人並みの能力にある時はあるというのに、自分の予想を裏切ったと怒るのだ。そんな都合のいい予想のために。

そして自軍の全員に呂布能力を求める。「あれが普通だ」と言い始める。兵の誰もが知っている「呂布特別だ」が理解できない。それを「特別」だと認識した予定ではないため認められないのだ。自分完璧な予定が無能な部下によって踏みにじられたと感じるのだろう。そうやって兵の心は離れていって、褒章分だけ働くようになる。あたなのためにはたらくのではなく、金のために働くだけになる。軍師を通して金をみるだけになる。軍師会社の金を自分の力だと思うのかもしれないが、部下はそうは思っていない。軍師は軍の威力を借りた厭な奴だ。ますます軍全体の出力は低下していく。それを現場責任に変換する。まちがっても出力を十全以上にだせるような雰囲気をつくらない自分に原因を設定しない。一度人の上に立ったものはなかなか反省ができない。ましてや「会社」の中では自分はただしいと認められたからその地位にいるのであって、部下は自分より正しくないから私の下にいるのだと認識する。

そうやって呂布がいることがどれほどの僥倖なのかを忘れていって、呂布を平均的な兵士の姿に想定して行動を策定するのだ。

それが男の仕事だと信じているから。最前線で具体的な案件課題に対して大勢兵士より優れた能力を出し続けて結果の本体を出し続ける男を下に見る。

彼がいつまでの戦場にいるのを馬鹿にする。

2013-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20131227121058

曹操家康も、負けると分かりきった戦争を義の為にやって負け、勇名を得たからこそ人がついてきた。

どの戦いのことを言ってるんだ?なんだその勝手妄想

てか、それ、つまり日本は負けると思ってる戦いも、あえて戦ったことにより、国民はその姿を見て今、国に着いて行ってるということか?なんだ???


国家指導者である以上、国の命令により死んだ犠牲者を祈りに行くのは義務だ。

んー、なんで?

不良に絡まれて土下座させられたら、「土下座できて良かった、私は頭を地面に擦り付けられて幸せですぅー」とお前は思うか?

何の話?

からくる車に引かれないようにな。

2013-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20130808181055

決着自体は帝国同盟征服しちゃった時点で終わってるしね。

結局のとこ主役の二人をうまく殺すには「テロ」「病死」ってのは考えてると思うよ。

誰かに負けたわけじゃないので傷がつかないし。

まぁどっちかが征服して終わりってのもなぁ。

田中芳樹中国の歴史とか好きみたいだし、征服後の反乱とかは漢帝国の件とか知ってれば面白い

オーベルシュタインの行動とかもね。

三国志なんかも統一したのは曹操孫権劉備の一族じゃなくて司馬懿だしね。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん