呉という国は豪族の寄り合い所帯なので魏や蜀と比べると統治が非常に難しかった。
江南も当時はまだ開発が進んでおらず河北の豊かさには一歩も二歩も劣る。
日本の戦国時代で言えば武田信玄のようなポジションであって、初期条件から詰んでいるといわざるを得ない。
それでも無謀な領土拡大を望んで全周囲を敵に回した挙句に最悪のタイミングで死んでいった糞老害信玄と比べれば、
己の分を弁え豪族たちをよく抑え後継者争いにもとりあえずの収拾をつけて死んだ孫権は遥かにマシだ。
曹操と劉備が破格すぎただけで、曹丕を除く魏帝や劉禅と比べれば十分に名君と言えるだろう。
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歴史関係で三国志が話題に昇った時、非常に地味だったという記憶がある。 何故なら、呉といえば大事な戦が孔明の引き立て役となった赤壁、周瑜が頑張った荊州南郡、呂蒙が頑張った...
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孫権という人物は赤壁の戦いで曹操と戦うという決断を下して、負けなかった(普通の場合、裏切り者が続出して自滅する)だけで英雄として評価してよい。