はてなキーワード: 曹操とは
時は2013年。
後継たらんとしたアグネスタキオンも亡く、次いで頂点に立ったマンハッタンカフェの栄光も続かない。
そしていま、三頭の種牡馬が鼎立し、混迷極める競馬界の統一を目指して相争っている。
今回はその三頭の種牡馬を三国志の各国になぞらえて紹介してみたい。
最高の血統。圧倒的な実力。完璧な戦績。
初年度から名将を輩出、二年目からは三冠牝馬ジェンティルドンナが登場、数々の決戦を制した。
質・量ともに他国を圧倒し、サンデーサイレンス王朝の後継者としての地位を確固たるものとしつつある。
サンデーサイレンス王朝とは無関係の出自を持ち、中央から地方にかけて独自の勢力を築き上げている。
(近年はサンデーサイレンス系の馬ばかりで近親交配がやばすぎるので非サンデーサイレンスのキンカメは貴重なのである)
芝コースでもダートコースでも有力馬を輩出するオールマイティさは、まさに水陸で活躍した呉軍のごとくである。
大舞台での惜敗を繰り返すも、引退戦で劇的な勝利。
皆から愛された晩成の名君。
国力ではディープ・キンカメに大きく劣るものの、数少ない配下の中には大物が並ぶ。
三冠馬オルフェーヴル・二冠馬ゴールドシップは、さながら張飛と関羽と言ったところ。
さて、若手の同世代最強決定戦、日本競馬最大のレースである「第80回日本ダービー」が、5/26(日)に開催される。
ディープインパクト産駒の「キズナ」とキングカメハメハ産駒の「コディーノ」の対決は、あてはめるなら魏の羊コ(祜)と呉の陸抗あたりか。
そして現役三強である「オルフェーヴル」「ジェンティルドンナ」「ゴールドシップ」が揃って出走する(予定の)「第54回宝塚記念」は6/23(日)。
ステイゴールド産駒の暴君か、ディープインパクト産駒の女傑か、赤壁か、定軍山か、はたまた五丈原の戦いか。
近年稀に見る一大決戦となるだろう。
どうぞ御覧ください。
かつて劉備の代理として孫呉に訪れた際、共に赤壁を打ち倒しましょうと言ってすり寄った。
実際には漁夫の利を得た形で約束違反である荊州を簒奪した。漢朝廷にすら許可を取らなかったため、後に曹操に利用されて公式に周瑜を南郡太守、荊州総督を任せる等として荊州統治を孫呉に委ねたのだ。そうなると当然荊州の正当支配者は孫呉になり劉備は違法にそこを占拠してるに過ぎなくなる。そこで孔明は一計を案じて周瑜を誅殺し孫権から荊州を借りる形を取って劉備を統治者とした。当然条件付きで蜀を取れば荊州を全て返還するという劉備・孔明両名のお墨付きである。しかし蜀、そして漢中を奪っても返さなかった。孔明は嘘吐きである。これがきっかけで荊州争奪戦および関羽処刑事件に繋がるのである。また、後継者問題では自身の優位を絶対にするため、劉備信者の魏延らをあることないこと誹謗し続けたのである。これは一政治家としてあるまじき愚行であろう。ともすれば、これを手本とする日本の某政党は嘘吐きであることを肯定しているも同じである。
嫁に関して「孔明の嫁選びを真似るなかれ、阿承(黄承彦)の醜い娘をもらう羽目になるぞ」という諺が存在するほどで人を見る目が全くない。
後に重用された悲劇の名将魏延も反骨の相(史実では不明)としており、一方で劉備が重用するなと言っていた登山家馬ショクへは自身の片腕以上の待遇だった。また、後蜀将として蜀漢を直接滅ぼす原因を作り滅んだ後も劉禅に迷惑を被って死んだ姜維へも彼は特別待遇にしていた。そう、孔明は老練の将軍よりも口先だけの若造を重用する傾向にあったようだ。だがそんな彼でも老練を重用することがあったのである。名前は李厳。後に李平と改名する政治家である。彼は孔明いわく「陸遜に匹敵する名相」だったが、才覚は確かにあったらしい。しかし性格に難があり、孔明はたびたび彼への諫言を聞くことになるが無視し重用し続けた。その結果231年の北伐の大惨敗を引き起こすことになる。とんだ見立てである。実は李厳だけではない。後に魏に投降したのち蜀に再び寝返り新城の戦いで司馬懿に瞬殺された孟達も孔明は重用した。実は孟達も才能はあったが、李厳同様性格に難があった。日本プロ野球選手に例えると中村紀洋である。孟達の面白い所は劉備に信任された上庸を守らず更に関羽からの援軍要請を無下に断り見殺しにした所であろう。彼は李厳と同じく才覚はあったが考えるところは常に目先の小利だけである。その結果、関羽は死にその責任を負わされることになった孟達は曹丕の元へ逃げそこで厚遇を受けた。しかし曹丕が死ぬと冷遇された孟達は蜀に帰りたいという非常に自分勝手な判断のもと蜀に保護を求めて降伏してきたのである。それを大いに喜んだ孔明は自らドツボにハマる事に気付かず結局孟達の死をきっかけに北伐は失敗に終わる。逆に彼が冷遇し続けた魏延は殿軍を務めるなど蜀を守る役目に徹して彼以上に功績を挙げてしまった。孔明は自分が貶めようとした者が成功するのを見ていられなかったのだろう。死の間際にこれまた後に蜀を滅ぼした姜維に後事を託して五丈原で病没した。その託した後事が問題で当時重用していた文官楊儀と確執のあった名将魏延を排除したのである。これを機に蜀は滅ぶ道を辿ることとなる。オチとしては魏延を廃した楊儀も後に謀反を起こして流刑となったことくらいか。
結局孔明は人を見る目が皆無で、結果として劉備に信頼されておいて蜀を守りきれず滅ぼす遠因を作ったのである。
漢の四相と称される孔明だが、それは内政だけの話でこと軍事においては亡きホウ統や法正に劣る。後の「死せる孔明、生ける仲達を走らす」で有名になる司馬懿は電撃戦を得意とし曹操にも警戒された天才で普通なら孔明では太刀打ち出来ない相手なのだがここでも孔明は嘘吐きの才覚を遺憾なく発揮するのだ。また、火刑オタクの陸遜は孫武に勝るとも劣らないと称された天才で孔明も対呉では慎重論を唱えたほどだ。実際には孫呉は派閥政権なので内側から崩せば安易に滅ぼすことも可能だった。また曹魏にしても司馬懿の専横を煽る批判文を口先だけは超一流の馬ショクがやって見せたように続けていたら内部亀裂は免れておらず面白いことになっていただろう。孔明は情勢音痴だったのだ。また地理にしても荊州や益州では無双だった孔明も長安への道についてはこれまでにない慎重な姿勢を貫いていた。これを地理に詳しい魏延にたびたび批判されていたことは有名で、子午谷を通る国士無双の名将であった韓信の攻略法を提案し続けたものの、却下し続けた。その結果が成果の見えない3度の北伐である。しかも孔明は人を見る目がなかったので要所要所を劉備にすら諫言された将を大将に据えて任せており、その都度名将魏延を殿軍にするなどして引き離すといった愚行を演じている。こと軍事においては後世の学者からしても魏延の方が上回っていたと指摘されることがあるが、実際その通りだったのかもしれない。孔明は何も成果を挙げられていないのだから。しかも北伐にかまけて劉禅の教育を怠り漢王朝滅亡の原因である宦官制を敷いていたことが後に蜀を滅ぼすのだから孔明は実は内政も言われてるほど優秀ではなかったのかもしれない(宦官は劉備提案かもしれないが)。
結論として孔明は、無能だが口先だけは一流の人間を重用し、まともな武将を片っ端から左遷しちゃうクソ政治家である。ま、そんな政治家を神としちゃう某政党も流石だとは思いますけどね。
以上、孔明は歴史捏造が生んだ最大の恩恵者であり、また稀代の嘘吐きである。某政党もこれを真似たのだから面白い。後に筒井康隆がその政党が政権を取ると日本が終了するといった旨の小説を書いているが、これは単なる偶然の一致なのだろうか。
もう嫌だ。
何考えてんのかさっぱり分からん。
これをどう対処するかが「大人」かどうかなんだろうけど、
ごめんなさい。
最悪だねまったく。
上手く行かないよ。
どうしたもんかね、まったく。
仕事向いていないってことなのかもね。かもではなく、そうなのだろうね。
まったく。
嫌になっちゃうね。
こうも周りの状況に左右されていては、ぐだぐだにな人生になってしまうね。
もうなってるか。
guhe・・・・・。
帰りたいけど帰れない〜♪
あれを見ていた時はこんなふうになってるなんて思いもしなかったね。まったく。
なんか上手くいかないなぁ。
一生こんな感じで上手くいかないのかなぁ。
人生ってなんだろう。
どうせ死ぬよね、最期には。
それなら頑張るのに。
けどきっと天国にはそれを知らなくても、頑張った人がいくんだろうね。
困った。
分け分からなくなって来た。
ぼーーーーん。
なんだか、やたら手に汗をかく。
不思議。
生きるって不思議。
聖徳太子もヒットラーもチェも坂本龍馬も曹操もガンジーもケネディーもガガーリンもアインシュタインも犬もじいちゃんもばあちゃんもみんな生まれて死んだ。
シャボン玉もストローから押し出されて、屋根にあたって割れた。
どんどん生まれて。どんどん死ぬ。
50年くらい早く死んでも誰も困らない。と思う。
誰かが悲しむかもしれない。けど困らない。
その人が有用でなかればないほど困らない。
ストローから出てすぐに割れたシャボン玉は存在すら気が付かない。
そっと。自分でも気が付かないくらいにそっと割れてしまいたい。
それって
我が儘ですか。
情けないですか。
恥ですか。
はぁ・・・・。
シャボン玉って割れる時
「ぱっ」
って音がする。
聞いた事ある?
その音が聞けると、長く飛んだシャボン玉でも悲しくなかった気がする。
不思議だね。
ふと思ったのですが、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」なのではないでしょうか?
思い出していただきたいのは、麻生政権時代の話です。あの時、私たちはなにかモヤモヤとしたものの中にいたような感覚を感じていたのではないかということです。自分自身に不確定感を感じており、自暴自棄な部分があったり、八方ふさがり感を感じていたり、手応えの無い生を生きている様な感覚を感じていたのではないでしょうか?
つまり、あのまま、自民党政治なり、麻生政権が続いていたとしたら、私たちは、自分たちが溶けてなくなるような感覚に襲われていたのではないかということです。
戦後民主主義というマッカーサーの誘導通り、生きている事にリアリティのない、夢見がちな子供こそが日本人であるということを日本人自身が真面目に実行してしまい、日本人の精神年齢は永遠の12歳に閉じ込められてしまいました。つまり、団塊世代を含めて、子供が多数派になってしまったという現実があると思います。
そして、その結果として、野党が多数派となり、鳩山内閣になったという訳です。
今までは、誰かが(この場合、自民党が)、親のように国民の面倒を見てくれましたから、親に子供が不満をぶつけるように、国民も野党もマスコミも外部からヤジを飛ばしていれば、責任を果たした気分になっていました。しかし、いざ、自分が権力を持ってみると何も出来ていないのが現実としてあります。
鳩山首相というのは、今まで、外部にいた国民や野党やマスコミが……外部にいた人間が、鏡に映った場合にどう見えるかという事の体現者です。彼を無能、正常な精神状態でない、歪んだ笑顔が醜い(そこまで言ってませんね)と責め立てた所で、それは結局、国民自身が自分自身を批判していると言える事が出来るのではないでしょうか。
ですので、結果的にであれ、どうであれ、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」として機能してしまっているというのが実情でしょう。
以前、こんな記事を見ました。
「三国志の中で誰になりたいか?」という記事です。中国では狭義心に富む「関羽」が人気でした。アメリカでは有能で策謀謀略に長けた「曹操」が人気でした。日本では天才軍師の「諸葛孔明」が人気でした。
これが何を表しているかというと、自分の立ちたい立ち位置を表しているのではないでしょうか。
つまり、「トップに立たずに、冴えたアドバイスをする「知恵袋」として活躍したい」というのが日本人の心情な訳です。
これがそのまま、日本人の野党体質に繋がっているのではないかと思います。
例えば、ある社会学者があるジャーナリストをなぜ、実際に著名人をどんどん引き連れて政治工作しないのか?と責め立てる訳です。ジャーナリストは「自分がやりたいことをやりたい」と答えていましたが、要するに、誰も当事者にはなりたくないのです。その社会学者も、孔明的な立ち位置に立ちたくてそんな事を言ったのでしょう。でも、責任は取りたくない訳です。ジャーナリストにしても政治運動の当事者になる事は「やりたい事リスト」の中に入っていない訳です。やはり、孔明的な立ち位置でやっていきたい訳です(その点、勝間女史を悪く言う人がいますが、そういう人達のサバイブ能力は、彼女以下であることは間違いないと思います)。
結局、政治の当事者ではなかった自民党時代の民主党も、国民も、マスコミも、(当事者からすると無責任な)冴えたアドバイスをしたい訳です。何か偉そうな事を言いたい訳です。その欲望が中心にあったのだと思います。
しかし、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」は、日本人をことごとく死地へ向かわせ、容赦なく、当事者にしてしまうでしょう。逃げ切れると考えている団塊世代も例外ではありません。財産に対する猜疑心に否まされ、孤独死してしまう人も多いのではないかと思います。そして、実際、氷河期より就職事情は厳しいですし、経済的な脱出口は見つかっていません。また、ご存じの通り、外交も迷走しています。
多分、日本人がこの通過儀礼を無事乗り切るかは分かりませんが(最悪、中国の植民地だと思っています。もっとも、チベットのように民族浄化されるかも知れませんが)、ある種の諦観と、自身しか当てにならないというサバイブ能力を持たざるを得なくなるでしょう。
レイプ問題を熱く議論するのは結構ですが、現実問題として、全ての男を隔離されている日本より、女性が鉄砲を持ち迷彩服で町中を歩く日本の方がリアリティがあるのではないでしょうか?(現に、アフリカでは似た様な状態の国もあるらしいですし。そして、残念ながら、非常に残念ながら、日本のレイプ発生率は低いのです。いずれにせよ移民は増えると思いますが、容赦なくレイプ発生率もグローバルスタンダードに近づくでしょう)
そして、そして、そして、そんな困難の時代を生きるあなたに、格好の情報があります!
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清朝崩壊のキッカケとなった辛亥革命は1911年。かくて生まれた中華民国は間もなく四分五裂。混沌・混乱の時代を経て、共産党一党独裁(というより毛沢東王朝)の中華人民共和国が建国されたのが1949年。
つまり40年にも満たない時間の中で、中国人は封建帝国、民国、人民共和国の3つの異なる政体に身を委ねざるをえなかった。
この三代を生き抜いた《怪人》の筆頭は政治家ならダントツで毛沢東、知識人なら陳寅恪。この本は、その陳寅恪の栄光と悲劇の生涯を描く評伝だ。とはいうものの陳寅恪といったところで、その名を知る日本人は皆無とはいわないまでも、限りなく少ないことだけは確かだろう。
中国語で怪人とは、たとえば「怪人二十面相」という言葉から連想される“怪しい人”という意味ではなく、己の信念を実現させるためには天下を敵に回しても構わないという鋼鉄の意志・執念の持ち主を指す。
京劇「捉放曹」の舞台で曹操は「寧可我負天下人 天下人不負我(俺は天下に叛いても、天下を背かせはしない)」と大見得を切るが、この台詞が表現する己を恃む志操こそが怪人の真骨頂。
怪人とて政治家なら権力を握れば、コッチのもの。毛沢東のように正々堂々・公明正大・勝手気侭に「寧可我負天下人 天下人不負我」の世界を愉しむことができる。
大躍進も文革も、毛の身勝手な「天下人不負我」の悲惨な結末だろうに・・・。
だが同じ怪人でも、陳は中華文明の精華たる文史(=文学と歴史)を命を賭して守ろうと任じた精神の貴族たる文士、つまり文化・文明を守護する武士だ。そこで政治家と文士の怪人の激突となる。
1953年、共産党政権は中古史研究所所長への就任を陳寅恪に要請した。
建国から4年。毛沢東が進める政策の「倫理的側面」が盲目的に賞賛され、彼の声望は一気に高まっていた。
であればこそ、そのポストは“毛王朝の貴族”への道を確約するもの。
だが陳は!)マルクス・レーニン主義を信奉しない。!)そのことを、最高権力者が公式に認める――を所長就任条件とした。
文史という中華文化の根幹を支える学問領域には権力者であれ容喙を許さず。文士の怪人たる陳は決然として「天下人不負我」といい放ってはみたが、そんな“我侭”を認めるほど政治の怪人は甘くはない・・・冷徹・峻烈・酷薄・残忍・非情。
50年代後半から文化大革命へと続く疾風怒濤の政治の季節の中でも、陳の志操は挫けない。
広東の中山大学に在る彼は、広東を中心に中国南部で強い影響力を発揮していた陶鋳の厚い庇護を受け研究と教育の日々を送る。
陶からすれば、陳は食客ということか。失明、大体骨骨折による両足切断の悲劇にもたじろがない。
全ての中国古典の一字一句まで刻み込んでいるような彼の頭脳が研究を止めることはなかった。ほぼ寝たきりの彼を支えたのは妻、助手、同僚、看護婦――すべて女性である。
怪人は硬骨漢。
だが朴念仁にはあらず。
頼みの綱の陶鋳が文革で失脚し、紅衛兵の攻撃は堰を切ったように激化。スピーカーのボリュームをいっぱいに上げ耳元で悪罵を浴びせ続けると、陳の「全身に震えが来て、ズボンが小便でぬれて」しまう。
窮状を訴えるが、紅衛兵からの反撃を恐れる大学当局は取り合わない。
69年、惨死。79年の生涯だった。清末光緒十六(1890)年、湖南省長沙の産。
陳のような知識人を産み育て生かし尊敬し畏怖しながらも、とどのつまりは笑殺、やがて封殺・謀殺・愁殺・・・中国の社会は、そうやって続いてきたようにも思えるのだ。
42 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/06(火) 09:30:14 ID:z2zMK6/C0
一致団結って奴だな。だって私達みんな・・・仲間だもんげ!
46 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/06(火) 09:31:07 ID:z2zMK6/C0
×もんげ
○もんね
47 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/06(火) 09:31:31 ID:qRcAMw0H0
50 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/06(火) 09:32:54 ID:mmShhCmU0
素直に信じた自分
アイマスニコマス断絶問題には程遠いがニコマススレやらどこやらで「もんげ流行りすぎてうぜえよ」みたいな話はループ話題の一つになってる感があるけど、自分はこれが結構怖いわけだ。聞いていると突然背筋がぞくっと来るような怖さ。ニコマスに真剣にはまってた以前はそう感じなかったのだが最近は特にそう感じる。
まあ上記の通り突然浮上したフジの取材問題が解決の日差しにたった際に出てきたお決まりの誤字ネタなんだが、これがかつてないくらい流行った。当時の自分は「おいおい動画にまでネタ出張して、ニコニコしか見てないって人はネタがわかるのか?まぁ大百科もあるし大丈夫か」くらいに思ってたんだけど、よく考えてみれば大百科が出来る前から艶村やらダバァやらやってるわけだから、やっぱり内向きな文化だと思う。
ネタが流行ったのといえば2007年の年末にもPネタがやたらめった流行ったという過去があるが、直後に24時間TVがあったこともあってか、ここ数ヶ月間はずっとこのネタ一つだった印象がある。いくらなんでもネタ一つで回せるっていうのは異常だろう。
思うにこの「仲間だもんげ!」という言葉には単純なネタの中に非常に内側に引っ張る力があると思う。
他ジャンルのスレなんかでニコマスの印象として、「なんかあいつら良くわかんねえけど仲良さそうだよな」という評を良く聞く。そもそもストレートになかまなかましていた元ネタの団結が他の曲と比べても人気が高かったりしたのも、オールスターがみんなで和気藹々としている感じが受けたんだろうと思う。でもそのまんま言葉に出すとなんか馴れ合いっぽい。そうしたときにそういうフレーズをうまいことネタでオブラートに包んでくれるようなもんげネタが出てきたのでみんな喜んでこれを使い始めたわけだ。要するにみんなアイマスの彼女達みたいに和気藹々したいんだな。
で、もんげの中にはそういうネタとしてオブラートに包まれてはいるものの、もともとの原曲があってそうなのかしれないけどどこか女の子めいたものがある。「私たち友達だもんね!」みたいな。しかし何度も何度もそれを聞かされると、どこか笑顔の下に何か重圧を感じるのだ。急に不安になる。お前達は仲間じゃないもんげ!とか突然言われたりしたらどうしよう。そういう考えが頭によぎるともうだめだ。
[アイドルマスター]さてここで俺が颯爽と突撃して爆裂してみるよ - はてなで留まってすぐ溶解
いつだったか、「『歌ってみた』や『踊ってみた』を無視するからニコマスファンは駄目なんだ」というコメントをどこだかで見かけたこともありましたが、
歌ってみたとか踊ってみたとか演奏してみたジャンルは割と普通にランキング除外対象となっている。
そうしないとJとか有名歌手がランキングを占めるようになるからということで、割とこの除外に関しては大方の人間が同意しているらしい。
で、週マスになると架空戦記動画にネガ米をつける人がいるのはお決まりな感じで、それには一応擁護なんかもつくわけだけど、よくよく考えてみると歌ってみたとか踊ってみたなんかと同様そのシリーズものが毎週ランキングに居座ると不都合と考えているわけだ。
じゃあ歌ってみた踊ってみた、演奏してみたはようするに「仲間」じゃなくて、架空戦記は「仲間」なんだろうな。としてオチとするのは簡単なんだが、僕自身割と架空戦記がいわゆるニコマス内で「仲間」として認められてるかどうかなんか微妙な気がする
今では2chで新しいニコマスジャンルが定着し始めると専用スレが自然と立つわけだが架空戦記スレが始まったのは九月九日で、まだ閣下立志伝や律子の野望、春香三国統一なんかが主流で、曹操をプロデュース、春香で世界征服、貧乳なんかが始まりだした頃。
底辺スレなんかもそうだけど書き込むスレが異なり、語る対象も違えば当然住民層やら文化の違いなんかは出てくる。これが次第にジャンルが成長して大きくなっていって、さらにHOL関連の成りすまし削除事件を乗り越えていくと、その住民層の中にも何かしら内向きの力のようなモノが出てきて、またこの差異も大きな流れになってくる。なんかスレ内でネトゲなんか流行始めて、次第にニコマスやらぎろかくスレだけ見ている人間とは言葉が通じなくなってくる。
今までは「まぁそれはそれでそういうもの」みたいな自然な断絶としての雰囲気があったんだが、なんとなく最近になってから、この二つがうまくいってない気がする。特に「仲間だもんげ!」が流行りだした24時間前後辺りからそんな印象があった。ループ的にニコマス内での架空戦記的なモノへの扱いのような話題が出てきたような気がする。わりかしネガ方向で
僕個人としては昔から割と普通にあって、多分このままずっとそうあるだろうと思うニコマス、アイマスユーザー間の断絶よりも、現在進行形で進みつつあるニコマス内のジャンル同士の断絶関係の方が興味をそそられるわけだ。ニコマスは数多くのジャンルを包括できるような懐の大きいジャンルというふうに言っていたのは誰だったか忘れたけど、この流れでどんどんいくと、ニコマスという大きなジャンルが、異なった文化の集合体として細分化されていくのかもしれない。
一方でそういう断絶関係は文化の違うもの同士の必然ということで、こういう断絶があったから異なった文化の良い作品が産まれてきてるってこともあるし、そういった意味では良いこともあるかもしれない。でもなんだろう。さみしいじゃないですか。なんか独立しちゃう感じで。もうあれか、雪歩は黙ってて!と怒られるのが歌ってみたとかで「もうあたしは仲間じゃないなの!」とか言って事務所出て行くのが架空戦記かと。最終的に765プロは何人に減るんですかと。
この前のシネMADなんかはそういう断絶を逆に利用した感じがあるけど、でもなぜだろう、24の時もそうだけどこういう感じのは「コラボ」というよりは「交流」といった感じで、妙にボカマス祭りなんか連想しちゃったりする。もう仲間じゃないもんげ?
仲間だもんげって言葉の薄ら寒さはその言葉がニコマススレ界隈の人間にしか向けられていないことから発するかもしれない。その言葉と裏腹に、仲間じゃない人間に対して国境線を張っている。
最近考えたのは、「アイマスもミクも東方もハルヒもらきすたも遊戯王もキワミもひぐらしもドナルドも誰も彼も全部仲良くすればいいよ!」とか思ってる俺はアイマスもニコマスもそんなに好きじゃなくて、ニコニコが好きだったんだなあということでした。
http://anond.hatelabo.jp/20080924021347
IRC素で忘れてた!あそこもニコマス語る上では忘れちゃならんところですな。あれもたしかいくつかのニコマス系IRCと戦記IRCは別に存在してたはず
手描きMADは厳密の意味ではMADではないという人もいますよね。確かにPVとストーリー系という違いはありそうです。でもやっぱスレみたいなコミュニティが同じ所に存在するというのはわりかし大きいんじゃないかと
ちょっと昔の話。今よりも僕はずっとずっと言い訳をするのが好きで、理屈を説明するのが好きだったんです。
でまぁ、当時も今と変わらず領土がないんで、
孔明と飲みながら「領土がない、だから天下統一ができないんだ」と文句言ってたのです。
江夏で。
したらまた、この孔明が「じゃあ、わかった」と言うのです。「今から赤壁に行こう」と。
水上戦なんかしたことないオレは焦りました。「いや、ちょっと待って」とあわてます。
でも孔明は、少し遠くで飲んでいる孫権と周瑜を指さし、「あそこ行って同盟を組もうぜ」と言い、席を立ちます。
オレは「いや、向こうも迷惑だし」とか「さすがにうざいっしょ」とか言って止めます。
孔明は「襲われたら小舟をつけて趙雲を待機させておけばいいんだよ」と言ってましたが、オレが動こうとしないので行くのをやめました。
「じゃあ、孫権と組まずに、曹操と組むか?」と孔明は言います。
「逆にそっちの方が難易度高いだろ」とオレは顔をしかめます。
「でも領土がないんだろ? だったら作るしかないだろ」と孔明は口調を強めます。
「そうだけど、もっと普通に漢中王を名乗りたいっていうか」とオレ。
「なに、普通って?」
「帝の詔とか、実は前漢の血筋とか、そういう…」とハッキリ言えない自分。
「じゃあ、オレが今から上奏してきて、それでお前を漢中王にしたらいいか? それも漢朝の勅令だよな」という孔明。
「それは…、だけど、ほら、お前もこの前言ってたじゃん。大義名分のない戦でついてくる武将って反骨の相が多いとか」
「は?」
「その…」
「…反骨の相じゃねぇよ。ノリが良い将だよ」
「あ、そうだったね。…でもオレ、ノリの良い将、少し苦手だし。そこまでして領土が欲しいってわけでもないし…」
孔明はオレの顔をじっと見つめながら、一言、
「だせぇ」
と言いました。
彼は言います。
言い訳をして、さも「こういう事情なんだ、だからしょうがないんだ」って言うけれど、
天下を三分する勇気もないやつが、領土がないとか言うんじゃない。
どうせ荊州に行けば「劉表には跡継ぎがいるから…」って言うし、
赤壁につれていけば「ああいう水上戦は苦手だし、東南の風も吹きそうにない」とか言うだろうし、
蜀のかわいい劉璋を狙えって言えば「いや、劉璋とは同姓で義に背くし」って何かにつけて言い訳するんだろ?
だったら「自分には他国の領土に侵入する勇気がないんです」って素直に認めて文句言うんじゃねぇよ。
そっちの方が、よっぽど何かってときに力になりたいってと思うし、
つーか、できない理由並べて、今の自分を否定させずに、わかってもらおうとするその魂胆がだせぇ、と。
あれは恥ずかしかったなー。すげぇ。恥ずかしかった。
その場は言い訳もできず笑ってごまかしたけど、家に帰ったら孔明の顔とセリフが思い浮かんで、
新野城の中で「でもさ、でもさ」と必死に言い訳考えてた。
オレにはオレの事情があるんだ、しょうがねぇじゃんかよって。孔明の「天下三分の計」聞きながら(笑)
ひとしきり考えたら、そんな自分を「だせぇ」って思った。
「要は、勇気がないんでしょ?」で始まる太平洋戦争 - ARTIFACT@ハテナ系
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20080414/startpacificwar
「要は、勇気がないんでしょ?」で飛び込む赤きサイクロン - welchmanの日記
http://d.hatena.ne.jp/welchman/20080414/1208183341
要は、勇気がないんでしょ? - Attribute=51