はてなキーワード: 意図とは
歌の歌詞だと記憶に残りやすいように敢えて文法を崩すこともよくあるからねえ
単にメロディの都合とかかもしれないし、意図は作詞者本人に聞かないとわからないね
実際きみもその歌詞が引っかかって増田で話題に出して俺がその曲を知ることになったわけだし、宣伝効果はあったよね
こういうブコメやトラバが集まってホッテントリ入りすることを狙ってやってたなら元増田の文も悪くないんじゃないの
すごい悪文だな。まず主語を特定するのに苦労したわ。わざとやってるの?/ 俺は、ピッコマとシーモアのお気に入りに入れてるマンガは、女性向けの方が多いね。ウェブトゥーンは女性向けの方がいい作品が多い。
翻訳:「性自認も男なのにもかかわらず少年漫画をちょこっと(自称少年漫画を読む女が読むのと同程度)しか読まない男って存在するの?」
誰か翻訳して/女だけど炎の蜃気楼は10巻ぐらいで挫折したわ……/会社にりぼん・なかよし・ちゃおを読み込んでた男性はいたなー
まずまともな文章を書け
私は分かると思って気づいた時に、遅くまでそんなに引っ張った文意を気づかせてくれるような主張の作り方を、気にしない方が良いと思えるなら冒頭の話にだいたい首肯できる人がいるかもしれない
ひどい文章だね。まず主語がわかりにくかったよ。意図的にそうしているの?俺は、ピッコマとシーモアのお気に入りに入れている漫画は、女性向けの方が多いな。ウェブトゥーンも女性向けの良作が多い。
翻訳してくれ
知りたいことはあるがかといって時間かけるの面倒なので反応あったらめっけものという態度で深く考えずさらっと書きなぐっただけなんよ。
複数の文に分解にしてわかりやすくすることに意を注いだ跡が見て取れるような文章は元のより嵩張るゆえに内容を水増ししてるようにみられかねないし、しかもそれとの関連でわかりやすく書こうという態度にあからさま反応狙いみたいないやらしさを感じて逆にたたかれることもありえそうだから、難しいよね。別に炎上的な伸びを求めてるわけじゃないから。今回は策士策に溺れるみたいな結果になったけど。
「俺、少年漫画が好きで良く読むんだよね」と言いながら、実際は話題作や有名な作品しか読まない(女性向けの方が全然よく読む)男ってどれくらいいるものなのだろうか
なんだよね。俺はハッタショだからか何も感じないけど多くの定型発達からみれば悪文なんだから意図違いの解釈されて当然なので文句言う筋合いはなんだけど。
他人の趣味や興味に対する評価は主観的であり、個人の嗜好やライフスタイルは多様です。年齢に関係なく、ゲームやアニメが好きな人はたくさんいます。趣味は個人の嗜好によるものであり、人それぞれ異なります。一般的に、他人の趣味や嗜好を尊重し、理解することが大切です。
もし異なる興味を持つ人とのコミュニケーションが難しいと感じる場合は、共通の話題を見つけることやお互いの趣味を尊重することが大切です。他人の好みや嗜好を否定せず、お互いに理解し合うことで、良好な関係を築くことができます。
あ◯ねこは「あつまれ どうぶつの森」のことを指している可能性がありますが、具体的な文脈がわからないため、もしご自身の意図を教えていただければ、より具体的なアドバイスができるかもしれません。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4746907083002274223/comment/segawashin
「正義棒が痛い痛い」とじゃれ合ったり「オヤオヤ絶対正義があるとお思いですか」と眼鏡クイクイしたところで問題は一つも解決しない。ウクライナやガザの後でなお冷笑ムーブがカシコを気取れると思ってるとは驚きだ
これって誰に何を言いたくて言ってるの?
ページの内容と関係あるの?
ページ自体は実は「歴史の正しい側にいる」が皮肉だったのを誤訳?されて意図が伝わってなかったのが広まったってことだよな?
フィンさんの意見としては(「歴史の正しい側にいる」とは核を落とした側で)核軍縮ではそのサイドが前提になってしまいうまくいかないってことだよな?
この解釈違ってる?
それともフィンを冷笑派って言ってるの?
↓これは正真正銘、着ぐるみマスクの絵だが、生身の人間を描く意図の作品なのは明らかなのに、こういう顔を描くやつがいるんだよな。どういう顔かと言語化は難しいが。表情が硬いということなんだろうが、単に表情が硬いというのとはまた違う要素が加わってると思う。
https://twitter.com/rorutorosarmon/status/1712754512652570626/photo/1
神は本当に子らが「善行」を成すことを望んでいるのだろうか?
しかし、人類史上どの文明においても、悪魔崇拝を除いては、「善行を成すことで地獄に行く」というパターンに納得のいく理屈を与えられていない以上、0.001%以下のほぼ存在しない確率であっても、それにベットしておくことにデメリットはないのだ。
死後の世界で対面した神が、
「私はお前たち人間を心の赴くままに殺し犯し飲み食いするのを楽しむように創造してやったのに、なぜお前は私の願いに逆らって、不殺で貞淑で節制した生き方をしたのだ? 私に逆らったお前は地獄行きじゃ。あそこにいる快楽殺人鬼のように生きれば天国に行けたものを」
という裁きを下さないとどうして言うことができる?
それこそ0.0001%でもそうなる可能性はあるし、死後の世界や神の本当の意図なんて誰にもわからないのだから、「神が人間に悪行を望んで善行を否定するはずがない」と言うのは悪魔の証明ではないか。
この話題
https://togetter.com/li/2281850
なんかブコメで議論が盛り上がってるけど、単純に迂闊な発言だっただけじゃないかな。
意図として別に問題ないのはわかるけど、英語ではholiday seasonとかの言い換えがあるし、こういう細かいところの言葉の使い方も特に政治家だったら気を付けた方が良いって論調なかったっけ?
俺は結婚を機にイスラム教に改宗したが、妻やその家族を見てて、クリスマスを祝うのが一般的かと言ったら、やっぱりそれは違うと思うし、特別な過ごし方があるわけでもない。俺もすごく狭い範囲しか見えてないけど、じゃあ元の発言はパレスチナにおけるクリスマスの空気感をよくわかった上でなされたのかっていうとそうじゃない気がするし、ブクマ家諸氏もよく知らない人が多いのでは(詳しい人がいたら教えてほしい)。それなら無難な表現を選んだ方が良かったのではと感じる。
別に悪いことしたわけじゃないし、そんなに批判されるような発言ではないと思うけど、自分含め日本に住むムスリムの中にはちょっと引っかかるなって感じる人が居るかもしれないというだけ。この方の最新のツイートを見ると、宗教を問わずメリークリスマスと言いたい主義のようなので、来年のイードの際にもぜひお祝いの言葉を発信してほしいと思います。(その頃には世の中の状況がもっと良くなっててほしいね。)
ある友人がいる
日常会話なら悪い人じゃない
色々と好きなものもあるらしくて今は特定のコンテンツにハマってる
そしていつも褒めている
そこまではいい
その褒め方に
「〇〇と違って──」
「■■が分かってる人は──」
こういった言葉が出ている
「〇〇の部分はダメで──」
「■■が分かっていない──」
「あの界隈はクソみたいなやつが多くて──」
クリスマスなのにごめん
かなりイライラした
私はそれをもう褒め言葉とは思えない
私の方がダメなのかもしれない
こんなネットの片隅にある汚い匿名の日記を読んでくれてありがとうございます。
この文章を読んでくれた人はどうか、悪口を言う前に考えてください。
「根はいい人」というのは、誰かを不快にさせる悪口を言わない人です。
悪口を言う事は格好いいことではありません。
私が無関係の物でも、色々言われているのを見ると辛くなります。
悪口を思い直してくれればいいなと思うばかりです
12月22日に発売された公式ガイドブック、The Report of 機動戦士ガンダム 水星の魔女 Season2を読んだ。
スレッタ・ミオリネ・グエルの親が全員毒親かつ、大河内節全開な描写が非常にキャッチーであり、
シャディクとサリウスは養子と養親の関係だったこともあって、「親子関係」で注目されていた水星の魔女。
監督インタビューによると、親子関係の辛さに限定せず敷衍して、今の人たちが抱えた様々な「生きづらさ」を重ねて見てもらい、
その「生きづらさ」の克服や救済を描きたかったのが今作らしい。
それが親子関係に「矮小化」されてしまったのは大きな反省点であると言っていた。
監督的には、「毒親バズのガンダム」という受け取られ方は意図しないものであったらしい。
水星の魔女を「毒親もの」と受け取り、生きづらい自分、虐待被害者である自分、などを重ねて見ていた層は、
親世代の因果や大量殺人をなんやかんやで子世代が肩代わりして償うようなエンディングを見せられて、
生きづらさを克服して救済されるどころか最終回後に呪詛を吐き始め、炎上していた記憶があるが、
全体的に「監督としてはそんなつもりはなかったのにそうなってしまった」という印象があるインタビューだった。
監督は「司法から外れた主観的な正義・制裁行為の横行」に対して問題意識を持っており、
シェイクスピア「テンペスト」の主人公プロスペローが見せた「赦し」を今作で描きたかったため、
デリングやプロスペラが死をもって罪を償う終わりにはしたくなかったそうだ。
しかし今作の世界観は、司法制度が機能していない、鎌倉時代レベルの自力救済の世界だ。
貧民で人体実験して殺していたペイル社のCEOは、殺人の罪で司法に裁かれることもなく自由に暮らしている様子で、
特に贖罪などの描写もなく、殺されていてもおかしくなかった5号も彼女たちを赦したようだ。
(5号はベルメリアにはキレていたが、ベルメリアにそうさせているCEOにはキレるシーンすら無かったんだよなあ…)
シャディクは逮捕されたが、やっていない罪を背負って司法制度をハック(?)している。
ニカは三年服役したが、シャディクガールズは無罪という、この…。
司法制度と加害者の贖罪、両方を非常に軽視したエンディングを出しておきながら、
「私刑反対」とだけ言うのは、「人が何に苦しむところから私刑が生まれてしまうのか」についての考えが浅すぎるのではないだろうか。
被害者は加害者を許すべきという強い思想が先行しており、「自力救済の蔓延を防ぎ秩序をもたらすための司法制度」という前提の欠如を感じた。
監督自身も自覚があるようだが、親世代が実質的に勝ち逃げして、子世代がやってない罪で大きな負債を背負いながらも
親世代を赦しているというのは、結構強烈な主張であると感じる。この価値観を、日5のティーン向け作品で?
公式ガイドブックに載っていて驚いた記述が、ラウダはグエルに密かにコンプレックスを抱いていたのが爆発して殺しかけたというものだ。
てっきり、ペトラ危篤に錯乱して、ラウダ本人も自分が何をやっているか分からない状態になっていたのかと思っていたが、違ったようだ。
しかしミオリネを殺そうとしてグエルを殺そうとするのが、錯乱でなくて何だというのか…謎戦闘にもほどがあるだろ。放送時に充分に叩かれてはいたが。
また、ブルーレイの特典コメンタリーで、ラウダの襲撃は弟を放置したグエルに責任があり、グエルがダメな兄であったことを皆に謝罪する一幕があるらしい。
何を言っているのかわからない。弟に殺されかけた兄が、弟を暴れさせてしまった責任について皆に謝罪…?
思えば本編23話のフェルシーのセリフからして、弟に殺されることを受け入れたグエルに「何を死のうとしているんだ」と叱るような姿勢だったし、
一方的に攻撃されてグエルが防戦していたのに「兄弟喧嘩」と認識されていたのも、違和感があったのだった。
監督のインタビューによると、魔女とは生きづらさを抱えガンダムを用い、魔女狩りに糾弾される者であるらしい。
ジェターク兄弟の話は、あくまでラウダの生きづらさ(兄に並べないコンプレックス)に寄り添うもので、
ガンダム無しでも優れたパイロットである兄とガンダムを用いることで拮抗、「救済」されて、「健やかな精神」を手に入れて「自分の道」を歩めるようになる話だったのか。
グエルはなぜ長男というだけで次男のためにここまでやる義務を負うのか…? 令和の日本は炭治郎に呪われてないか?
しかもこの価値観、監督一人だけおかしいといったことはなく、本編(監督・脚本)・コメンタリー・ガイドブック編集など公式の姿勢は統一されているようなのだ…。
シャディクが、ミオリネがクイン・ハーバーの件で報道されているのを見て「ミオリネを穢したな」と、グエルの責任であるかのように認識していることにも引っかかっていた。
マルタンがニカの連絡係疑惑についてフロント管理社に報告したことも、寮長なのにチクったマルタンの罪とみなされており、この作品の姿勢が理解できずにいた。
どうにも、マルタン・シャディク・グエルといった「男性の長」が、他人の分まで責任を引き受けて罪を背負い謝罪すべきという、個人主義とは違う感覚が公式に通底して在るようだ。
ペイルCEOやプロスペラやミオリネは「女性の長」だが、これに当てはまらない。監督はジェンダーを意識していないとは言うが、非常に引っ掛かりを覚えるエンディングだ。
やっと提示された監督による答え合わせが独特すぎて、追いつけないスピードだ…というのが個人的な感想だったが、
「10年後20年後、古臭い価値観に満ちた作品に見えるのか、課題に対する解答の糸口となるエッセンスを持っていたのか、確認できたら」
と監督の言葉にあった通り、今後価値観なんてどう変わるかわからねえからなあ。
でも今は怖くて飲み込めねえわと思った。特にエラン4号・グエル・シャディクのポジションなんか、誰も引き受けたくないだろ、って。
これについて解説するのは、駒澤大学准教授の井上智洋。2020年1月に、前澤友作社長がTwitter上で、総額10憶円の「お年玉企画」を実施。100万円を1000人に配るという企画だったのだが、これは「単なるお金配りではなく、社会実験」だと井上は語る。
その実験結果を分析する専門家として参加したという井上は、なぜ前澤がこのような企画を実施したかの意図を説明。
「格差が拡大していたり、貧困層が増加していたり、お金がないからチャレンジしたいことができない人もいるので、“大金を配った時に人々はどのように行動を変えるか”を検証した」とのこと。
実験では、当選した1000人を「A:当選後すぐに配布」「B:半年後に配布」「C:12か月の分割で配布」と3つのグループに分けて、アンケートを実施。
いきなり大金を手にした人たちは、1週間の平均勤務日数が4.5日から4.7日にアップ。さらに自己成長のために勉強を始めた人が3.7%から4.7%にアップするなど、100万円を手にしたら怠ける方向に行くかと思いきや、やる気へと繋がっていたことが明らかになった。
実はこの調査は、お金をもらっていない人にも実施。すると、抽選に外れた人よりも、当選した人の方がギャンブルに行く人が少なかったという結果も。
世界でも現金給付の実験例があり、麻薬中毒やアルコール中毒の人がお金を手に入れた場合、麻薬やアルコールにお金を使わなくなるという結果が出ているそう。
外出するのにマスクを着ける気がない人と、外出するのに漏らしたパンツを履いたまま着替える気がない人の違いを考えてみた。(なお、この記事は事実関係を比較するためのものであり、漏らした方やマスクを着けない方に対して差別を呼びかける意図はありません。また、病気によりトイレに間に合わない方、病気によりマスクを着けられない方、また偶々間に合わなかった方、偶々マスクを忘れた方もいらっしゃいますので、重ね重ねご留意ください。)
ブツを漏らした臭いパンツで出歩いても、マスクを着けなくても、犯罪じゃない。(ただし、そのブツを落としたら器物損壊罪、マスクをしないでくしゃみしたら暴行罪。)
ブツを漏らしたパンツを変えるかどうかは、マスクを着けるかどうかは、一応は任意である。そのため、漏らしたパンツを変えない人を殴ったり、羽交締めにしてパンツを替えたりして、強制してはならない。
パンツを変えるかどうか、マスクを着けるかどうかは、法的義務がない以上、個人の判断に委ねられてはいる。
雇い主は「お漏らしパンツを替えてこい」と、「マスクを着けてこい」と、業務命令を行えるし、度重なる指導に従わなければ懲戒の対象になる。
店は「ウ*コ臭い人は帰れ」と、「マスクしない人は帰れ」と、管理権に基づいて命ずることができる。
航空機の機長は「その臭いパンツを変えろ」と、「マスク着けろ」と、命ずることができ、従わないと航空法違反になる。
「臭いから帰れ」で、「マスクしないなら帰れ」で、帰らないと不退去罪になる。
お漏らしパンツを履いて店に入ったり、マスクしないで店に入ったりして、営業を妨げると威力業務妨害罪になる。
ただし、どれも「命令に背いたから」「帰れと言われて帰らないから」「営業を妨げたから」犯罪となっているだけで、「お漏らしパンツを履いたから」「マスクをしないから」犯罪に問われているのではない。
…となるらしく、あまり違いがない模様。
元と全く同じ意図の賛同トラバがつくことって滅多にないんだよなあ、その上毎回毎回ご丁寧に言いたいことを要約した内容で賛同役やってんだもん
カカシ喋らせてるみたいでゾッとする
長い話を一気に2日で読み終えるほどには面白い話だった。戦争ものは大体気分が悪くなるので読まないことが多いが、アガサクリスティ賞をとったと聞いたり感想に伏線の回収という文字を見たので購入してみた。結果、ミステリー要素は皆無だったが淡々とした文章が戦争の悲惨さを的確に伝えつつ必要以上にグロテスク描写をしないという塩梅で、犬が死ぬシーン以外は特に感情を乱されることなく一気に読めた。
本書はとても面白く戦争小説を悲惨だからと思って避けてる人たちにもぜひ読んでほしいと思った。作者の意図はわからないがエンタメ小説としてもしっかりと成立しているところがとてもよくできていると感じた。
本書がとても良くできた小説で、読者として十分楽しませていただいたことを前提として、以下は疑問点について書いていきたい。批判ととれるかもしれないが、批判の意図はあまりない。他の人の感想を読むにおそらく作者の意図したように作品を受け取っている方は沢山いるし、ただ、私に理解できなかったというだけだと思う。
違和感の一つに主人公が掲げている女性のために戦うという本作品の主題に関してだ。これは最初出てきた時から一貫してその後もこの話のテーマのような顔をしてでてくるが、最初の村で村民を殺され、狙撃手に母親を殺されて学校に入りスナイパーのエリートとなる過程で主人公が何故そのような考えを行動原理として掲げているのが終ぞ理解できなかった。村民は全員死んでいるのだ。男も女も平等に死んでいる。何故彼女の頭に女性のために、という言葉が出てきたのか本当にわからなかった。そのまま物語は進むので私はてっきり途中で行動原理も変わる者なのだと思ったけれどそんなことはなく、そのままだった。
女性を守ることを行動原理にするには見ている光景に説得力がないように思った。
私は途中で友人のシャルロッタあたりが暴行されるのだろうと思っていたのだけれど、そんなことはなく、暴行は悲惨だ悪魔的所業だと言う割には主人公は最後までその光景を目の当たりにはしていない。ラストのミハエルですら未遂で終わりドイツ人の女性は逃げ出せている。徹底的にその描写を避けているように見える。ただ避けてあるからこその読みやすさがあるのもまた事実だと思う。ただ、私の感覚で言わせていただけるならどうしても、冒頭の流れからどうしても主人公が『女性』を守るために戦うとなるには理由が足りないように思えてしまうのだ。
また、肝心なところでの爪の甘さを感じるところも散見した。特に冒頭の80キロを超える主人公の母親の死体を村を一望できる場所から雪道を引きずって降りるドイツ人の描写などが特にそう感じた。あまりにも違和感があったので、何かしら後々に効く伏線なのだろうと覚えていたがそんなことはなかった。もし、ドイツ兵があの死体をそのまま置いて主人公だけを連れて村に降りたのなら、イリーナは主人公の母親の死体を目の前で焼くことはできなかったし、主人公はイリーナを恨むこともできなくて、話が進まないのかもしれないと読了後の今では思う。
また主人公は宿敵であるドイツの狙撃兵に対して「自分は自分の哲学において行動する。お前とは違う」と言うシーンがある。そしてドイツ狙撃兵は、殺される。主人公の同期にヤーナという登場人物がおり、彼女は世界中の子供の命を守るために戦争に参加する。彼女はソ連赤軍兵士だが、ドイツ人であれ子供は助けると言う哲学を持っている。主人公は終盤、ヤーナの目の前でドイツ人少年兵を撃つ。死にはしなかったが彼を助けようとしたヤーナは銃弾を受け重傷を負う。無論、少年兵を撃とうとした主人公の行動は正しく、誰も彼女を責めない。ヤーナも責めない。でもはっきりと主人公はヤーナの哲学を目の前で踏み躙っている。かなりのダブスタに感じた。そう言う描写が多々あった。誰か知らないドイツ人の兵士の、背景にいる家族のことを考えることもあるが、それは仕方ないのだと言い聞かせて、スコアを稼ぐのに、自分の母親を撃ったドイツ人狙撃兵には憎悪と侮蔑の目を向ける。憎悪までなら理解できる。侮蔑に関しては同じ穴の狢のではないかと思うのだ。何故なら主人公の母親はドイツ軍に銃を向けていたのだから。
最後に、イリーナと主人公のほぼ恋人同士のような終わり方について、私はその雰囲気を汲み取れずにいたので、最後は呆気に取られた。シャルロッタがヤーナと二人で家族になると言った時に、主人公が仲間外れでびっくりしたあたりで、あれ?とやっと作者の意図を汲み取れた。
納得できなかった部分を羅列したが全体的に本当に面白い話だった。大好きな一冊です。