はてなキーワード: 情弱とは
(ここで言うHTML5はcss3とJavascriptも含めた技術全体の事、逆にFlashはAir等の派生技術は含めないブラウザ上のFlashPlayerの技術のみを指します。)
ウェブに携わる人間には常識だけど、HTML5は何でも出来るスーパーヒーローではない。
どちらかというと、中日の高木とか、ヤクルトの宮本とか、巨人の川相とかの方が近い。知らないやつはググれgoogle:いぶし銀。
HTML5の真骨頂は、昨今のリッチなインターネットコンテンツを、非常に簡潔にスマートに記述できるところにある。複雑な事をすれば凝った事もある程度できるけど、得意分野じゃない(標準APIが機能不足だし、JavaScriptの言語仕様が複雑な処理に向いていない)。
ブラウザだけでここまで出来る、とか、
Flashはもういらない、とか、
ってのは、川相だって筋肉付ければホームラン打てるようになるし清原はもういらない、って言ってるようなもん。宮本にパワーヒッターを求めるのなら筋違いだ。生い立ちも素質も違うのに、どうして代替となりうるのか(プログラムと人間を一緒にするのが暴論なのは百も承知)。
HTML5とFlashにはそれぞれ得意分野があるし、淘汰される形で対立しうるものではない。にもかかわらず、ブコメ見てて、いまだにFlash氏ねHTML5マンセーな意見が支配的なのが痛すぎる。
「ブラウザだけで」というと聞こえはいいけど、何のことは無い。5年くらい前のFlash相当のプログラムが、ようやくブラウザに搭載され始めただけのことだ。Flash は重いとよく言われるが、同じことをすれば(今のところ)HTML5 のほうが重いことが多い。
あと、記事を読むと大概「(どれかの)ブラウザだけで(なら)ここまで出来る(けど他のブラウザじゃ動かない)」って言葉が隠されている。HTML5 の仕様が固まれば全コンテンツが全ブラウザで同じように動くようになるよ!なんて本気で信じてるならあなたはネット向きじゃない。
Flashは互換性の点で優位にある。一社提供で基本的に同じコードを同じ開発者が作っているってのもあるけど、そもそも「どのブラウザでも同じように動く」が、セールスポイント=利益に直結するというモチベーションになるのが極めて大きい。
HTML5 と対立するは Flash ではない、HTML4 だ。HTML4の悪い所を直してHTML5にしようとしてるんだから当たり前。
video対応やベクター描画といった Flash が寡占してる技術の一部を HTML5 が食ってるのは事実だけど、Flash と HTML5 の機能は相補的である。HTMLは文章構造を効率的に記述する目的で生まれたものだし、Flashはタイムラインベースのベクターアニメーションを表示するために生まれた。両方ともブラウザ上でリッチなユーザー体験を提供するという目的に向かって進化してるので、お互いの領土を食い合う形にはなってるけど、生い立ちが違うので得意分野も当然違う。
テキスト表示とレイアウトはHTML5のほうが断然得意だし、2D描画はFlashの方が一日の長がある(私見だけど、HTML5はFlashの描画能力の半分にも至っていないし、Flashのテキスト表示機能はie6のそれにすら劣る、と感じる)。
Flash vs HTML5 という構図は、スティーブ・ジョブスのプロパガンダにすぎない。
ジョブスは訴求力を上げるため、しばしば、対抗技術=「悪」とした勧善懲悪ストーリーを作り上げる。簡潔で力強い言葉にのせて、対抗技術の欠点と自社技術の利点を(時には脚色しつつ)徹底的に挙げていく。対抗技術の利点など無きものとしてしまう。そこには自社技術の欠点など存在しない。
HTML5推しの本来の意図は、ジョブスの声明から推察するかぎり、HTML5であればAppleが開発してるブラウザエンジンwebkitを通じて自らの手でインターネット体験を提供出来るが、FlashはAdobeが開発している技術なので手を出せない(厳密にはFlashはオープンな技術なので自社開発する事は不可能ではないが)という点にある(もちろん、実際は様々な複合要因だと思うけど)。自社製品におけるインターネット体験、という肝心なところを他社に依存してしまうのは許せない、というのは至極真っ当なコダワリだ。Android にユーザーが流れてしまうという大きなデメリットを背負ってまで、iPhone が Flash を載せないことについては、評価すべきとすら思っている。もともと Mac版 Flash プレイヤーのデキの悪さという恨み節もあり、歴史的な経緯による「Flash は重い」という先入感も利用し、衝撃の声明は完遂された。
かくして、勧善懲悪のスーパーヒーロー HTML5 が誕生した。
Flash と HTML5 両方のコーディング経験者であれば判るけど、HTML5はこれまでに比べて簡潔に記述できる事が最大のメリットであって、複雑で凝った事は得意分野じゃない。にもかかわらず、無理矢理 HTML5 で書かれた凄いアプリが「ブラウザだけで!」とか「Flashいらない!」とかセンセーショナルな煽り文句とともに紹介され、もはや冷笑の対象となっている。
もちろん、凄い HTML5 アプリの作者は何も悪くない。未来の技術をいち早く実験/公開して、われわれにその可能性を提示してくれているのだ。そんな彼らを冷笑の対象にしてしまって良いわけがない。
ここまで読んでくれた人ならわかるだろうが、自分は、川相のゴロ捕球からの洗練された送球フォームが大好きだ。いや、HTML5の洗練された仕様と最新鋭の技術が大好きだ。
だからこそ現状を見ていられない。
現実として、Flashは互換性を気にしないで良いがiPhoneで見れない。HTML5はiPhoneで見れるがブラウザ間の互換性が問題となる見通し。
何が幸せなインターネットの未来なのかわからないけど、今の HTML5 vs Flash という構図は、不幸な方向に向かってるように見えてしょうがない。
今回触れてない話の1つにセキュリティ/バグ関連があります。議論の余地のある話ですが、個人的にはどっちもどっちだと思ってます。
あと、巨人末期の清原は本当にもういらなかったかという話があります。議論の余地のある話ですが、個人的にはどっちもどっちだと思ってます。
今さら言うことじゃないけどほんと絶望的にテレビ最近つまんないよねマジで。昔は割とおもしろいのかなーとか思ってぼーっと見てたけど、今はテレビ見るなら人とおしゃべりしてるか本やネットにでも触れてるほうが100倍くらい楽しいよね。
基本的に情報量の問題じゃないかと思うんだ、なんでつまんないかっていうのは。なんか情弱が情弱をたぶらかしてるような商売になってるわけでしょ今って??デジタルに変わる時だってなんで俺らテレビ見てない奴がその変更を知ってんのに、お前ら知らないんだよ(笑)みたいな。
すべてがもう無理だね。別に韓流でもなんでも面白ければいいと思ってるけど、それが面白いかどうかも知らん。ただやっぱりテレビはこれからもマス・コミュニケーションのうちの中心で在り続けると思うし、その中でそう変容してくかが重要になってくると思うんだ。現状での電波免許買い叩いて、下請け丸投げと韓流に代表される海外コンテンツの安値の供給によって無駄に高い賃金に与ってる社員を支えるのはもう限界なんだよね、別にそんなのみんなわかってることではあるんだけどさ。
俺はテレビ見ててこの番組作ってる奴が年間一千万もそれ以上も貰ってると思ったら馬鹿らしくなってすぐにリモコンに手が伸びてしまうんだよなあ。
Huluも来るということだし、これからもどんどんニコ生やらユーストやらで無料で面白いと思えるものが供給されてってどんどん競争すればいいんじゃないかな。娯楽ってこれから経済が限界を迎えたときに本当に大事になってくると思うし、映像による娯楽ってまだ終わってはないと思うんだ。
という雑記。
自分ではそう思ってないけど、人から見ると負け犬の遠吠えに見えるから、
冷めた目で見てもらってかまわないです。
俺はいわゆる今まででWEBサービス開発したことない(年齢=ユーザー様暦)。
小中高と情報弱者だったから大学ではがんばってプログラミングやろうと思ってた
んだけど、普通大学でIT系の奴全然いないから、友達に結構紹介してもらった。
まず、なんで俺がWEBサービスを作りたかったかというと。世間体を気にしていて、
まあそんな男がサービス開発できる分けないんだけど。
友達にも情弱情弱ってネタにされて(まあ冗談ってわかってるけど)、
まあ察してると思うけど、サービス公開はできなかった・・・一応完成までこぎ着けて
全部知人のお試しで酷評が8回(8連敗)、全く後に続かなかった。
一回目は、うまれて初めてサービス開発したから完全に舞い上がって
ものすごい労力をつぎ込んだ。ハウツー本で普段使うものを作ると良い
と書いてあったから、俺が取り込んだCDを公開して、皆さんも公開してくださいと書いたり、
調子に乗って動画も公開しましょうとか書いたり、ゲームも(ry という構想をしていた。
(まあ内容は置いといて・・・)
サービスのURLをメールで送ってからPCの前で待ってて来るかな来るかな、って3時間くらい
待ってたこともあった。そして、最初のサービスでがっつきすぎたか「著作権とかダウンロード違法化とか知ってる?」
っていわれて1回目撃沈。
それから友達から指摘を受けて、ありがちなWEBサービスを学んで次から次へ
どんどんアプローチをかけていった。
2~6回目位までは1回目と同じくらいか、少し少ない熱意を持って
やったがそれも全て撃沈。
7~8回目位になったあたりで精神が病んできちゃって、8回目が撃沈した
次の日位から、食事が喉を通らなくなった。食べてもほぼ100%吐いてた。
なんで自分は情弱なのか?情弱すぎて劣悪な遺伝子だな、頭も悪いし
こんな遺伝子残さない方がいいんじゃないか、という劣等感を感じるようになった。
大学はそのときまで全然さぼらなかったんだけど、あまりのだるさに1日さぼって、
次の日は学校行っただけでダウン、ついた瞬間保健室へ駆け込み、休憩して授業を
受けずにそのまま帰宅。一週間で飯は食えるようになったけどそれでも前に比べる
とかなり小食になった。
そして、自分の気持ちの中でいくつかの結論が出た。
自分は本当に情弱で、やればやるほど空回りする。そして、無理すればするほど
ぼろぼろになっていく。努力して、相手の為に尽くしても思いが届かないことに気づいた。
完全に逃げてるけど、俺の中でWEBサービス作ることはただたんにレッテルをとりたいだけ
そう思ってて今日まで過ごしてきたら、韓国戦見てたときに母さんが「あんたWEBサービス作らんの?」って
言ってきて「俺はもう作るのあきらめた」と言ったら、親父がいかにSNS運営が儲かる
か説いてきた。それと「1万人も集めたことがない奴が分かったような口聞くな」とか
「そんなの負け犬の遠吠えだ」などと言ってきた。それでこっちの
意見を全く聞こうせず、ずっとSNSのすばらしさを熱弁してくれた。
自分で逃げてるなんて百も承知、俺はもう疲れたんだよ。
日々見下されてて、俺に対する態度がひどくて劣等感を感じて、バイトは土日絶対1日入って、
それでWEBサービス作成するだけでも多大な労力を使ったのに、それが完成したら
毎日メンテ?毎月の生活苦しいのに、定期的に鯖増強で金を使う?
そもそもプログラマでもないのにWEBサービス作成に意味を見い出せない。
作るだけでも楽しい?今の僕には理解でないよ。
思うと少し残念な気持ちに成る。
ここまで読んでくれた人ありがとう、下手な文章でごめんなさい。
ネット上の発言が元でブログやTwitterが炎上するのは今に始まったことじゃないが,
これらの事件がテレビや新聞などのメディアに取り上げられることも増えた。
これまで僕自身はTwitter上で実名を隠さずに発言してきた。
当然「飲酒運転なう」と呟いたことなどない。飲酒運転したこともない。
でも,もし判断力がなくなるまでお酒を飲んだときに目の前に携帯があったら,
一体どんな内容を僕が呟くのか誰も保障はしてくれないのだ。
あるいはパソコンの前から席を外した隙に,誰かが僕のアカウントで根も葉もないことを発言したら?
これらの不安が拭いきれなかったので,最近僕はアカウントに鍵をかけることにした。
この「匿名でいることが賢い」という状況が,今ネット上に漠然とした閉塞感をもたらしていると思う。
もう少し踏み込んだ言い方をすれば,2chを中心とした「炎上請負人」によるネットの集団統治が形作られようとしている。
彼らは基本的に正義だ。
例え憂さ晴らしが目的だったとしても犯罪の通報はやはり正義だ。
だがレイプ容認発言や有名人のプライベートの暴露は犯罪ではない。
しかし彼らは彼らの正義に基づいてネットの果てまで情弱を追い尽し,ついには社会的制裁を与えてしまった。
彼らによって言論統制されるか,あるいは実際に犯罪が減ったとしても,それは本当にネットのあるべき姿か?
僕はそう思わない。
最近韓流やAKBに対してゴリ押しだの騒ぐ奴をネットでよく見るが、
こういう人って昔はそういうのがなかったとか他のタレントは実力だけで売れてるとか思い込んでるんだろうか?
容姿でも歌唱力でももっといいのはほかにいるなんてよくあること
売れるかどうかは昔から一貫して事務所の力次第(=資金力宣伝力)
単に昔はネットがなかったから「なんでこんなやつが人気あるの?」という主張が可視化されず、自分の周りでは一切流行ってなくても「マスコミが言ってるから自分たちが流行遅れなんだろう」と勘違いしてただけ
ごり押しを問題視するならマスコミや芸能界の存在自体否定すべきだろうけど、こういう人らは自分の好きなタレントの場合はそういうのを意識せず「良さがわからないやつがおかしい」とか思ってるんだろうな
最強に見える。
http://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51650897.html
この層は、貧困や情弱は当然なのだが、小さいうちからPC等に触れてこなかった今の20代は、同じ10代よりも厳しい環境にあるのではないだろうか。
たとえば、ゲームはするけど配線はできないとか、端子の役割がわからないという人はゲームする人でも多いと思う。
で、きつい事書くけど、これって世代更新するしか解決策がないと思うのよね、根源的には。
要は、見えた分なら相手するけど、俺の視界に映れないなら諦めてくださいってことだ。
同じことは、法律にも言える。
著作権なんてろくに知らない奴ばかりだろ。
だから、省庁レベルで行っている、著作権条項読み上げコンクールだとか、CDのコピーはいけませんよっていうような、一見常識に見えるポスター掲示はかなり校歌があるはず。知ってるけどばれないはず、と知りませんでした(虚偽ではない場合)は問題意識が雲泥の差。
だからこそ、バカの可視化を笑うよりかは、見えたことに安堵する方が、心の持ちようとしてはそうありたいかな、と。
とはいっても、情報爆発とも言えるここ数年、情報を整理するのは非常に重要。ほんと手が回らない。
というわけでトリアージしなければならない。あたりまえだけど。
さて、次に問題なのが我々自身だ。
そして、そこに本当に悩みを持った人が質問に来るのも良い。
じゃあ、そこで回答した内容が、質問者に理解できるだろうか、というと疑問だ。
「mp3ってなんですか?」という質問に「拡張子です」と答えたところで「拡張子ってなんですか?」になるのは当然だろう。
そもそもどこまでわかってないかというのが把握できてないし、熟語にカタカナ語が多いと文の理解さえできないかもしれない。
twitterで虚構新聞ネタが話題になってて、ちょっと思い出したことがあるから書く。
就活していたころ大学内で合同説明会が開催されてて、読売新聞のブースがあったから冷やかし程度に覗いてみた。
頭の弱そうな女社員が何故か虚構新聞のページをスクリーンに映しながら説明していた。
「ネットはデマばかりです。いくらインターネットの新メディアが出てきても紙の新聞がなくなることは無いですぅ」
みたいなことを滔々と述べてた。
新聞社がなくならいことはあっても紙の新聞が消滅する可能性はあるし、虚構新聞を題材にしてネット情報の信頼性に
ついて語るのは違うだろうよと思っていた。「虚構」ってデカデカとついてるし。
舐めた感じの後輩がいる
ほとほと手を焼いているのだが、先日twitterの実装変更により後輩のアカウントが分かってしまった。
どうもネット上では好印象を与えているようでオフ会でもいい感じのお付き合いができているらしい。
会社の愚痴を見るたびに、お前が言うなと@飛ばそうかとも思ったが自重。
匿名性の高いところに捌け口を見つける事は悪いとは思わないしね。
で、話は変わるが自分のアカウントにいつのまにかブクマがされていた。
userたどって見ると非公開でわからない(情弱なだけで本当は探せるのかも知れない…情報モトム
こんな馬鹿みたいなもの見たい人いるんだなあ、って関心してたけど、なんかだんだんもやもやしてきた。
非公開で俺を見てニヨニヨしてんのか?
俺のことを知ってブクマしてんのか?
なんだなんだくぁwせdrftgyふじこlp
という感じになってきた。
ああ、もしヲチされているのを後輩が知ったらこうなるのかなあ、と思った。
でもタブに馬鹿な人、終わってるとかは無いだろ、ちょっとひどい(笑
偉そうなこと言ってたのにヘタレにもほどがあるな…。
憶えてる範囲で書き起こすと
情報系オタがいると思って入ったらアニオタしかいなかった。リア充の俺がこんなキモい非リア充と関わり合いになれるわけない。マジでしょうもない大学生活だった。就職したらせいぜいイジメてやるから覚悟しとけよw
みたいなこと言ってたんだけどね。
情報系なんだったらプログラミングコンテストの参加者とか見れば東大とか東工大とかにどんだけヤバい情報オタがいるかすぐわかるだろ。
ましていまどきネットで何でも見れる時代なのに、気付かない情弱だったのか負けるのが怖くてお山の大将気取ってたのかは知らんけど、
金稼ぎでやってるんだから、馬鹿向けに編集するってのは奴らからしたら当たり前なんだろうが
その偏向編集した2chの姿を見た情弱が、2chとはこういうものなんだというイメージを持ってしまう
イメージを持つだけで、外部から「ほんと2chはクズや馬鹿政治厨の集まりだな」って宣うだけならまだしも
質が悪い事にそのイメージを持ったまま2chに来て、その勘違いぶりを露出し始める
ν速はやたら殺伐としているべきだとか、何でもかんでもメシウマと言ったり
また、どんなスレどんな板でも嫌韓、嫌中ネタを書いて当たり前という醜態
【コミュニティの一生】
↓
↓
住み着いた凡人が居場所を守るために主張し始める
↓
面白い人が見切りをつけて居なくなる
↓
残った凡人が面白くないことをする
↓
面白くないので皆居なくなる
先日、高校の頃からの友人と食事をする機会があった。彼は体育会に所属する学生で高校の頃は優秀だったが大学では知への放棄をしてしまった残念な人である。その彼から珍しく食事を、ということだったので楽しみにしながらその日を待っていた。
と、ひとしきりお互いの近況報告が終わったあと彼は言った。彼は体育会に所属しているが、うちの大学にセミプロは存在しない。当然、彼の大学にも純然たるセミプロは存在しない。彼の疑問点はここにある。セミプロの場合、その体育会はひたすら勝つことを目的に活動すればいい。つまり、早慶に代表されるセミプロ集団に属する人間は(例えば野球部ならば)チームとしての実績を積み、その中で個人としてレギュラーの座を射止め活躍することにより、ドラフトで指名され晴れてプロ集団の仲間入りすることが目標であり同時に目的化される。つまり、常に就職活動をしているようなものなのである。しかし彼は違う。
彼は週に5~6日活動し、過酷な(ただしセミプロのそれと比べれば実に緩いであろう)練習を積み、筋トレに励み、より良いパフォーマンスができるような身体を作る。彼自身はチームの中では指折りのキープレーヤーである。主将候補筆頭でかつ1年生の時から出場している。彼がよく体育会に加入した理由を聞かれた時に答えていたのは「すぐに試合に出れる自信があったから」であった。とはいえ、彼のスキルは、セミプロも含めた場合、並以下である。彼の個人的なスキルは組織内の比較優位としては高いがとてもじゃないけれどプロにはなれない。
とまぁここまで詳しく語れるお前は何なんだと思った人もいるかもしれないが、それは当然のこと、ぼくは彼と高校の頃に同じ部活に所属していた同期なのである。これはかなり重要な事実であるが、ぼくも同じように比較優位があったので体育会加入はよくよく考えた結果、しなかったのだ。これが正しかったのかは別問題であるけれど。つまり、彼と同じように学部1年の頃、「セミプロ以外の体育会の存在意義」について悩みに悩んだ末に体育会に所属することなく大学生活を送ることを選んだだけの話であるが、体育会には体育会の論理で彼らは仲間にしようと誘ってきた。その話を彼にも同じようにした。セミプロ以外の体育会には最終目標がないじゃないか。
高校球児はみな甲子園を目指す。果たしてこれは本当なのであろうか。ルーキーズの様に、その先に待っているものがなければそれでもいいかもしれない。しかし、現実はそうではない。進学校の高校生は部活をやっていたとしても、当然その中には「受験勉強」を優先する人たちが一定数存在する。当然、受験勉強に精を出した方が、「比較優位」で彼らは部活に人生を注ぐよりもはるかに有益なものになるだろう。
同じように比較優位を考えるとセミプロ以外の場合、体育会に所属してそのスポーツに精を出すよりも、勉強に励んだり留学したり等々のそれ以外の活動に大学生活を費やすほうが有益なものとなるだろう。セミプロは全国から指定推薦などで才能ある選手を集めてくる。しかし旧帝大の様な国立大学はそういうわけにもいかない。受験勉強を勝ち抜いてきた人間が趣味としてスポーツをやるのならばやはり体育会ではなくてサークルでやればいい。ぼくははっきりと言った。
いや、口では「リーグ2部昇格を目標に活動...」とか言っているような奴らだってプロになれるとは思っていない。勝負事に負けることを意識して臨んでいる時点でクズだと言える。あの大学には勝てないな、とか、あの大学には負けるけど他で勝ちを拾おうとか。ではもう正直に、セミプロ以外の体育会に所属しているなら正直に言えばいいのに。
って。それがむしろ潔い。勉強することから逃げ、好奇心のままに自由な大学生活を送ることを犠牲にしてまで手にしたコネクションであり、「運動会」という肩書きなのだから必死になって守ればいい。守るために努力する。その身体を鍛えるのも組織内での評価を上げることととほぼ同義だ。やるなら徹底的にやれ。
「たしかに俺らはセミプロじゃない。けど、やってる以上は勝ちたい。すべて。」
と、彼は少し悲しそうな顔をしながら言った。そんな後ろ向きな努力をしているとは知らなかった。どうせやるなら勝つためにやるのが普通のような気もした。とはいえ就活を意識していないのも嘘ではなさそうだ。彼に限っての話だが。どう考えても好きなことを好きなだけやっているように見えるが組織全体としては違う。
彼らは新歓期に仲間を増やそうとするときに「うちはOBが強いから就職有利だよ」とか見当違いの勧誘をする。まだ大学に入学して数日しか経っていない、明るい未来しか見えていないフレッシュマンに対する誘い文句としてはエゲツないんじゃないか。まるで高校生が同じクラスの女の子を口説く時に、「うちのお父さん年収5,000万だから俺と付き合えば金持ち気分味わえるよ」とか言うようなもので、下品な上に、まるで自分たちの活動には価値がないかのような言い分である。正確に言えば価値がないのだろう。
当然、一つ目の理由は情報の非対称による格差である。簡単に言えば、新入生という情弱を騙して、雰囲気や勢いで仲間に入れてしまうその常套手段のことだ。往々にして体育会に勢いで入ってしまう人間に限って、やめる勇気がない。やめる勇気がないのだからやめられず続ける。そのうちどんどん体育会の論理が身体に染み付いていく。さらにやめられなくなる。そうして、やめようと思ってもサンクな部分に気を取られて続けることを選択してしまう。そして続ける。続ければ成果が出るのは間違いない。事実、運動会は就職に有利なのだ。
二つ目の理由は、これが複雑とも言えるけれど、組織内における優位性だ。高校の頃は公立高校で勉強ができた人間が一流大学に入ったら都内進学校や灘、ラ・サールのようなレベルの人間と勉強というフィールドで戦うことを(本能で?)避けてしまった結果として、自分の得意分野に所属するのというアレだ。体育会の序列は年功序列だが、その中にも実力主義な部分があると聞く。つまり、実力さえあれば試合に出れるし試合に出れれば活躍できてチームに貢献できる。チームに貢献する人間が劣悪な状態にされるはずもなく丁重なもてなしを受ける。それが実力主義な部分である。
しかしこの友人は違う。バンプオブチキンでもなければもしドラでもないが、圧倒的不利な状態で勝ちたいらしい。はて、どんな夢物語を考えているのか。しかし、人の夢を哂うことは許されない。ぼくは真剣に話を聞いていた。
「俺は勝ちたくてやってる。本気でセミプロに勝つための努力をしている。だけど周りはそうは思っていないらしくて温度差がある。練習中にサボっている奴もいる。そいつらにどうやって注意すればいいのかわからない。俺には注意する権利があるのかもわからない。そいつらの体育会の存在意義が俺のそれと違えばサボる自由があるのかもしれないじゃんか。」
間違いなくこういう人間がいる限り、周りからすれば迷惑だろう。なぜか。生きていく上で、本音と建前の使い分けは非常に重要だ。体育会に所属していることだって就職活動のためかもしれないけれど、やはり外受けが良いように「勝つため」と言うしかない。もちろん他の理由がないわけでもない。ぼくが体育会に所属している他の友人になぜ体育会に所属しているのか聞いてみたところ、次のような理由(建前)があった。「(そのスポーツを)本当に好きだから」「精神を鍛えられるから」「高校の先輩がいて逃げられなかった」「新歓でお世話になったから」「先輩がいい人だったから」「同期がいい人だったから」「酒の勢いで」。。。。。。中には建前にすらなっていないものもあるけれどそれはまた別の話だが、彼らがいかに物事を考えていないかがよくわかるような気もした。
しかしそれとはまた別の話である。セミプロ以外の体育会に存在意義はあるのだろうか。ぼくの立場は一貫して「勝てない体育会には存在意義がない。」というものなので、セミプロ以外の体育会には存在意義が一つしかないと思っている。そのスポーツが好きで大学でもやりたいのであればサークルに入ればいい。練習は緩いし拘束時間も少ない。サークルがないのであればクラブチームに入ればいい。野球で言えば、草野球チームだ。高校時代の友人とチームを作ってもいいだろうし、親の会社のチームに参加させてもらうのもいいだろう。
「勝ちたい」のであれば、セミプロに行けばいい。セミプロがない大学の場合は、再受験して早稲田や慶応に行けばいいだけの話である。別に体育会に所属しないからといって精神が鍛えられないわけでもないし高校の先輩がいようが強い意志さえあれば断ることはできる。新歓中にお世話になったからという理由で大学4年間を犠牲にするほど安い期間ではないだろうし、先輩がいい人なのは新歓中はどこに所属している人も自分たちのいいところしか見せないだろう。同期なんて概念を捨てて外に飛び出せばより多くの同世代がいるし酒の勢いってお前は未成年ではないのか?という話だ。
つまり、セミプロ以外の体育会の唯一にして最大の存在意義は「日本の就職活動で有利である」ということだ。要するに就職活動を4年間やっているようなものであって、体育会が就職活動で有利と言われるのはセミプロの存在があっての事であり、セミプロ以外はその恩恵に肖っているだけの存在とも言えるような気がする。
これだけ書いておいて言うがぼくは決して体育会をdisっているわけではない。が、ぼくは個人的にこのぼくが大好きな友人以外で、本当の意味で真剣に「体育会」を全うしている学生を知らないというだけだ。彼のような人が煙たがれるような体育会であればさっさと滅びるべきだしぼくは彼の姿勢に心底尊敬の念を抱いている。
Twitter上にいる体育会の学生をちらほら見るけれど、本質的に描く「体育会」像が違う。勝つつもりがない体育会の連中が一般に言う「意識高い学生」をしている状態に違和感を感じてやまないしそういう奴らをぼくは、体育会におけるフリーライダーと呼びたい。
体育会に所属している人、特にセミプロ以外の体育会に所属している学生はその辺をよく考えた方がいい気がする。人生は有限である。貴重な時間を体育会に費やしているのならば堂々と「就活に有利だからテキトーにやってるわ」と宣言するくらいの図々しさがあってもいいような気もするけれど。
特に大学に入学して3ヶ月ほど体育会でぬくぬくやっているキミへ。強い意志でやっているのではないならば、今すぐやめるべきだ。高学歴な人たちは尚更やめるべきだ。身体を鍛えるついでに頭を鍛えるのではなく、頭を鍛える気分転換程度でスポーツをやった方が楽しめるんじゃないか?
まとまってないけどこんなところで。
いまだに民主などを支持し「現実」を理解できない民主信者あるいは単なるアンチ自民などの思考能力ゼロの情弱B層にはそもそも話は通じません。論破し、啓蒙することは諦めた方がいいでしょう。
また、選挙で民主に投票するような層はおおかた扇情的な報道に踊らされる程度のメディアリテラシーの無い情報弱者…生きるに値しないうすのろ…学習能力がない虫けら以下の劣等生物…有り体に言えば愚民です。
合理的な説得が奏効することはありません。
もはや「討論」や「啓蒙」はあきらめ、メディアを使って同調圧力をかけ誘導する以外に手段はない。…そう考えるべきでしょう。
しかしながらマスメディア自体も腐敗しきっている現在、先ずはこの悪影響を排除するべきです。
既 得 権 マ ス コ ミ の 粉 砕
しかるべき後に対象者はメディアリテラシーのない愚民であることを前提としたメディア戦略を構築し、誘導する。…残念ながらここまで劣化した日本人を再生するには他に方法はありません。