はてなキーワード: 国民性とは
いや、まぁ、そうなんだけど、
短期的には全てのことがそうだと思うんだけど、
長期的にマスコミの信頼性を上げていけば、もっと放送文化の広告価値は高まると思うのね。
Goole はさ、無料で GoogleMap を作り無料でサービスしたことで、
自らをマーケットとする基盤を作ったわけね。
そして、Ajaxという技術を業務実用レベルに駆使できることを見せつけ、
自分たちのテックドリブンな企業としての企業価値をブランディングすることにも成功した。
そういう芸当がさ、日本にも欲しいの。
あれ?ごめん、本論から外れた。
それ以前に、すわノーベル賞か!?って話になったら小学校の頃のポエムが話題になるような国民性で
理学が発達するわけ無かろ。
STAP細胞が有るかな無いか、という0か1かの科学者としてはどうでもいいことに国民の興味が集中している。
STAP細胞がありえないなんて、どうでもいいことをわざわざ証明したい科学者はいない。
あってもなくても、どっちでもいいんだよ。
問題は、STAP細胞の生成メカニズムを解明できるのかどうかで、解明できないならあっても意味が無い。
どうやったらSTAP細胞を作れるのか?には興味があっても。 STAP細胞なんて存在しないんだ!(またはするんだ!)みたいな話には興味が無いだろ。
いろんな国の人と仕事をやってるので国民性・地域性を悪意を持ってまとめてみる。
ジャイアン系馬鹿、俺は正義!お前らは俺に逆らうな!お客様は神?いや俺が神だ!
印象なし、意外と印象が薄い。いるのかいないのか分からないほど印象がない。
特に問題ないと思うよ。
分け分からん系馬鹿、国民レベルが低く意味が不明。リアル北斗の拳の住民。
関わるとカオス
妖精系馬鹿、俺たち陽気な妖精さ!毎日遊んで楽しく暮らすのさ!るるるるる。
難しい事をさせてはいけない
意思伝達は難しい。
いざと言う時にダラダラ、普段はすごいが、問題起きてもだらだらしてる。
ヤバくなると動かないかもよ
いざと言う時に逃げる、普段は生真面目、でもヤバくなったら適当にごまかす。
ヤバくなると逃げるかもよ
集団系キチガイ、一人一人レベルが高くまともだが集団になるとキチガイになる。
客になったら駄目、寿命が縮まる。
単独系キチガイ、一人一人のレベルが高いが単独でキチガイ、集団になると争乱。
客になったら駄目、即死決定。
「こんなニュースを見ても誰一人改善しようと行動しない、ネットに愚痴や批判を書くだけで終わりなのが一番怖い」
それでも俺も、これを見たお前らも明日は我が身かもしれないのに誰一人この異常な問題を解決しようと行動しないだろう
労働組合を作ったり国民で集まって労働環境の改善を訴えたりしないで
数カ月後には忘れて別の問題をネットで叩いてるか井戸端会議よろしく、現実で愚痴って足の引っ張り合いを続けているだけだろう。
このアニメ会社に限らず、この少し前に外務省職員が省庁から飛び降りたというニュースを見て悲しくなった。
誰かが解決してくれると他力本願な妄想しながら自殺まで追い込まれてるんだろう
少しでも労働環境が良くなれば少子化やらの諸問題もほんの少しは解決するだろうし、生き良い世の中になるのに何故行動したくないんだろう。
個人的な意見:
差別は少なくとも二つに分けられると思う。
一つは、互いの小競り合いや問題からおこる衝突が生み出すもの。
もう一つは、これに相乗りする利害関係の無いストレスを発散したい人。
例示するのは難しいけれど。。
例えば、外国人と仕事をして、その怠惰でその国の商習慣が合わなかったり、国民性が合わなかったときに、その国の人を嫌いになるのは前者。
皆が責めているからと、自分も相乗りして、その国の人を責めるのは後者。
簡単に言えば、実際にその国の人にあって、話したときに出る感情の起伏は、しょうが無いのかもしれない。
でも、その国の人に会わず、人の言う事やメディアやネットの一方的な情報で判断して、攻撃するのはたちの悪い差別としか言いようがない。
その中でも、自分で出来る限り調べてみて、甲乙の情報を見たうえで、承服できないものがあった上での訂正の促しを求めるのならば、それは個人の意見として(言論の自由という観点から見ても)認められると思う。
結論:
いろいろ見て意見を作っていこうよ。
菊地成孔が「5 時に夢中」って番組で、「オリンピックでキム・ヨナが銀メダルだったことに怒る韓国人」
みたいな話題でトークしてたんだけど、その中で
韓国人は日常的に憤死するとかなんとかって言ってたんだよ。本当かよ。
そもそも憤死って正式な死因なわけ?
俺、大久保に住んでたから韓国人の友達多いからどうのこうのって
いっただけど、まるでゲイの友達をファッションにして、偏見丸出して自慢するやつ
みたいでキモかった。
文字起こし見つけた↓
(ナレーション)今回も様々な感動を呼んだソチオリンピック。中でも注目を集めたフィギュアスケート女子では、地元ロシアのアデリナ・ソトニコワ選手が金メダルを獲得しました。しかし、韓国のキム・ヨナ選手が銀メダルに終わった結果に対して韓国民が激怒。採点の見直しと判定の調査を求める署名が150万人を超えたそうですが、菊地さんはこの話題、どう見ていますか?
(町亞聖)はい。ということで、150万人の署名が集まったということなんですけども。
(菊地成孔)大韓民国の人口は日本の約半分ですので、単純計算をすると日本だと300万人の署名が集まった計算に。単純計算だとなりますけど。とはいえ、大韓民国の方は大雑把な国民性として日本人の倍以上憤られるので。やっぱり数は元に戻したほうがいいかなっていう気もするぐらいですよね。昨日今日始まったことじゃなくて、ソウルオリンピックのたしかボクシングだと思うんですけど。判定に文句があったって時に、セコンドだけじゃなくて観客までリングインした騒ぎがあって。非常に、そういうことは普通にされる・・・私は歌舞伎町、歌舞伎町と言われますけど、実は大久保に住んでいたので。
(町亞聖)あ、そうなんですか。
(菊地成孔)リトルコリアに10年住んでましたし、韓国人の友達もたくさんいます。彼らは普通に日常的に憤死したりする人たちなんで。日本人でいま、憤死者、いないですよね。
(町亞聖)あることに憤って?
(菊地成孔)ワールドカップの結果が出ては、何人かは亡くなってますね。憤死で。
(ミッツ・マングローブ)すごい。血気盛んね。
(町亞聖)興奮しすぎて?
(2014 年 3 月 21 日
iPhoneとAndroidとどっちかいいか?、みたいな記事がよくブクマがついてるけど、読んでもいつもピンと来ない。
俺の場合、圧倒的な理由は、iPhoneはiPodだっていうこと。
家族の分も含めて貯めてきた140GBほどのmp3と、昔から育ててきたプレイリストと。車に積んでるiPod Classicと違って、iPhoneだど容量が足らないから同期するプレイリストは選んでおかないとダメけど、それでも普通のiPodとして楽々管理できる。
これってあまり言及されていないけど、思ってるの俺だけ?
日本でiPhoneが圧倒的なシェアになったという最近の報道があるけど、日本は世界の二番目の音楽市場でかなりの音楽好きの国民性だから、それも影響してるんじゃないかな。俺の家のコンポにもAirMacが繋がってて、PCのiTunesやiPhoneのiPodから好きな曲を直ぐに飛ばせるし、母艦のPCのiTunesライブラリをiPhoneのiPodからマウントすることもできる。こんなことアンドロイドだとできないんじやないの?俺か知らないだけ?
iPhoneからアンドロイドに乗り換えたとかの記事を読むと、ああ、この人、音楽すきじやないのかな?と思う。最近疑問に思ってることのひとりごとでした。ソニーとかの高音質Androidは別ね。
の二点が心に残った。風間八宏氏のサッカー解説は、常に、ああ、そういう所を見るべきなのか、なるほどという知的感動がある。
あまり、こういうことを言うのはなんだが、セルジオ越後は辛辣だが、結局どこを見ているのかよくわからない。ネガティブなことを言いまくって、弱いうちはそりゃ当たってるんだろうけど、結局何をどうしたら、良くなるのか全然わからない。
風間氏はフロンターレを率い、デポルキラー大久保に「ストーリー立てて話してくれるので大変わかりやすい」と言わしめ、キャリアハイのゴール記録へと導く。素晴らしい指導者だと思う。それは、評論家時代からそうだったように思える。
今はやべっちFCでテレ朝がすごくいいサッカーTV局になっているが、ちょうど10年前ぐらいはフジテレビだった。中田英寿がペルージャに移籍し、活躍しているその様をなんとも表現豊かに的確に、オフザボールから解説してくれたのが風間八宏氏であった。
Numberももちろんそう。最新号のスカウトの目というのも素晴らしい。どこまでもよく見ているし、俺が見た試合の中で評価した。評価される場所にいない人はもちろん入っていない。それも運だよ。みたいな事が書いてあって、軽い評論家の数字の羅列↓
http://sakabuta.jp/archives/34386778.html には、全く現されない、重みがあった。
10年前のサッカーでは、FWの決定力不足が絶望的であった。だから、批評家にも価値が(無いけど)あるように思えた。悪い状態のチームの何がどう悪いのか具体的に提示するのは、非常に簡単な事に思えた。
サッカーのようなゴールが入りにくいスポーツにおいて、決定力の無いサッカーほどフラストレーションを具現化したような状態はない。批評する人も存分に叩いておけばよかった。欧州を見よと、あれができてない。これもできていない。大体言っときゃあたりの評論家。
状況は変わり、若い才能が、世界へと飛び出して、徐々に形を作った。今や、ミランとインテルに日本人がいる状況である。この状況においても、数字の羅列で表現している人がいる。
Numberでは、今の日本の課題はDFであり、その課題は育成フェーズでの基礎がなっていない、ということになっている。いまの日本代表は細かいパスサッカーを展開し、昔のMF大国の良い所を、世界の風を吸収することでフォワーディングして、前線が強くなった。
攻撃的に日本が進化して、むしろDFが置き去りにされているというのは、面白い現象だと思う、日本は工業国家で、クリエイティブさが少ない、真面目な国民性という紋切りでは、そうは言い切れないだろう。DFが育成が遅れているのは、MF側→FWへという昔の決定力不足の記憶がそうさせていて、その創造的な発展の次はFWを抑えるDFの育成になるということを考えると面白い進化途中の日本が見えてくる。
先に進化したのはFWであり、選手である。次はDFが進化しようとしている日本のサッカー。色々よく言われる日本の画一ばった、おとなしい周りに合わせる工業国という姿はもう、論じるに足りない。
そんなのいらないでしょう。もしいたら、真っ先に退場願いたいものだ。
http://m.blogs.yahoo.co.jp/noayt777/32500121.html
<ダニエル書7章25~27節> 彼は、いと高き方に逆らうことばを、吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間彼の手につだねられる。 しかし、さばきが行われ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。 国と、主権と点火の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。 すべての主権は彼らに仕え、服従する。」
日本の聖徒たちは疲れきって、押し倒され、圧迫されたが、今は預言の言葉を聞く時、それは壊される。
悪魔は時を変えようとしているし、また、そのように聖徒たちを疲れさせようとしてきたが、
しかし、神はこの時、私たちに言われます。新しい時代、神の好意の時、進歩、反映、守りの時が来ます。
神はただ経済的な危機から、この国を救うだけではなく、津波やいろいろな災害から守りを与えられます。
私は好意の時を日本に定めた。
新しい総理大臣の立ち上がりとともに、超自然的な事が、日本に起ころうとしています。
神は、この国の経済を強化される。
私はそれを好転させ、彼らに対し、私が国に計画をもっていることを示す。
それはただ日本人が自分の国に、自分の計画を持って国を再建したいというだけではなく、私がこの国を愛しているので、この国を好転させる。
私の計画と目的は達成され、よく成させる事を示す。
私が、この地に対する預言的な言葉を示す時、日本人の心は私にむけられてゆき、開かれていくだろう。
なぜなら、彼らは心の中で「我々は自分の国を、自分で心配しよう。自分たち意外に我々を心配してくれる神はいないから。」
そのように、日本人は、いつも他の外のものに信頼する事をせず、自分の国を愛してきた。
そして彼らは自分せ再建しなければならなかった。
そして他の国から退いて、自分の国にプライドを持つようになった。
しかし、神がここにおられ、彼らの心に語られ、神が素晴らしい良い計画を持っておられることを示し始める。
彼らのための計画は、良い計画である。
神は超自然的に彼らの心を、ご自身に向けられる。
カンファレンスを9月に日本で持つが、これは、とても日本にとって重要な季節で、日本がその計画に立ち返るときなのです。
なぜなら神は、この国を好転される。
今すでに、日本人の心には恐れがある。
しかし、日本の教会が立ち上がる時、津波や地震が実際に起きた時、被害者は少なくなり、止められます。
なぜなら、神はこの国を愛しておられるからです。
神は、滅びと荒廃の代わりに、悔い改めへと導かれ、荒廃は食い止められます。
だから、恐れてはなりません。
好意の時は来ています。
新しい始まりが起ころうとしている。
2013~2020年にかけて、何か超自然的な事が起ころうとしている。
リバイバルの火花があちらの教会、こちらの教会、あちらの街、こちらの街で聞かれるようになる。
アッパールーム(祈りの部屋)に聖霊が降られ、超自然的な始まりが起こる。
かたくなな心がとかされ、人々の心が反応するようになる。
もう、彼らは、自分の国の為に、重荷を負わなくて良い。
そして、彼らの愛国心は強く明確になる。
彼らを思ってくださる神が見方なら、誰が敵対できるでしょう。
人々がイエスの御手が彼らを守り、彼らの上に重くあることを知るためです。
一般の投票者もな。だから選挙が近づくと後先考えずに印象の良いことだけするような政策が実行されたり、選挙戦の終盤になると名前だけ連呼するような戦略が通ったりするんだろ。
有権者はナメられてると言えば聞こえはいいかも知れんが、その実有権者の方も当事者意識が全然なくて、選挙期間になってもろくに政策は調べない、挙句には投票にも行かないわだし。そのくせ文句言うことだけは一丁前。
この前の参院選だって有権者の半分ちょっとしか投票してない。投票しない理由については、正直面倒臭い、よくわからない、誰に投票したって変わらない、自分一人抜けたって、って精神が働いてるんだと思うけど。
有権者は当事者意識がなく、選挙制度では自分の思う通りにはならないので参加するだけ無駄だと思ってる。
被選挙人の方もそれが解っているから、テスト前に一夜漬けするボンクラ学生みたいに直前での人気取りに走る。
多分実際に実行されると反発されるんだろうけど、正直こういう国民性である以上、日本で一番有効なのって独裁制(=少数の責任者が強権を以って国を動かす)なんじゃねえの? と思い始めてる。
在特会とシバキ隊はどちらも暴力団のような連中ないし団体だから、保守的とかリベラルとかっていうのとは根本的に違うモノだと考えたい。
右翼も左翼も政治思想を煽動するプロパガンダでありたいとするものの、その根っこは基本的に日本をよくしたいという想いである。
果して在特会とシバキ隊に日本をよくしたいという想いがあるのかというとそうではないが、ある国家や民族を陥れたいとする歪んだ思想がいずれにも見え隠れする。
全く持って日本と関わりのないものでありいい加減デモという名のテロリズムに右翼も左翼も辟易しているのである。
確かに建前や見栄を美徳とする日本の価値観を顧みた場合、この一連のデモ行為に対して無関心を装う事で見て見ぬ振りをするのは可能である。
しかしながら、社会的美徳は共存する関係を刺すのが現代日本の在り方であり、日本国憲法すなわち天皇の法の下においてもこれが国民性であるに違いない。
横だが、個人の印象です。英語は日常会話に不自由がない程度、その他の言語は挨拶とちょっとしたやりとりだけしかできない状態です。出張は多いが海外在住経験なし。
アメリカやヨーロッパ、中国に行った時、店員の態度がフレンドリーだと感じたことは全くないのだが……こいつの言ってる海外ってのは、脳内世界か何かか?
アメリカは基本的にチップ文化だから、それなりの格の店に行くと基本的にフレンドリーになる。ヨーロッパは国民性次第なので、「ヨーロッパは云々」っていうのは議論が乱暴な気がするね。
まぁ、街で困ってる人を助けない文化であるのは事実だと思う(エスカレーターの出口でコケたおばあちゃんをスルーしていくサラリーマン連中とかね)。これは正直なんとかしたほうがいい。
一方で、店の応対が距離感を感じるのは、相手に踏み込まれたくない客が多いからであって、文化の違いとしか言いようがない。そのへんのレストランで「やあ僕は太郎っていうんだ!今日はきみたちをおもてなしさせてもらうよ!ところで今日はどうだい?」みたいな会話されたくないし。基準の違いとしか言いようがないような。元増田はヨーロッパ基準で東京の話をしているから、東京の良さ(一人でぶらっと出歩きやすいこととか、ひとたびコミュニティにもぐりこむと居心地がよいこととか、多様なコミュニティがあるので趣味が合う人がいる確率が高いこととか)は見えなくて当然だよね。
西洋系の文化圏から東京のコミュニティの二面性と恐ろしさを示した短編小説に「招き猫」(短編集「タクラマカン」所収)があり、東京を客観視したい人におすすめです。書評を下に貼っておきます。
誰かに嫉妬した時に、相手の不幸を望むのは不毛だ、自分が成功して見返した方がいいでしょう、ってのが恋愛や作品評価や色々な場面でよく言われる。
成功した奴の足を引っ張ろうとする日本の国民性がどうのこうの、なんかに話を繋げられたりもする。
これは大体正論だけど、ただあんまり建前すぎるんじゃないかなあって気がする。
人は凄く痛い時、その痛さが一刻も早くなくなることを望む。
傷が綺麗に治るとか全体的な健康状態をよくするとかを考えている余裕はない。
欲しいのは即効性の痛み止めや麻酔だ。
この場合、痛み止めに相当するのは相手の不幸と没落じゃないだろうか。
自分が成功して相手を見返せるようになるなんて、長い道のりだ。時間も労力も必要だ。
嫉妬で痛くて痛くて仕方ない時に、そんな気の長いことを考えられる人がどれだけいるだろう?
その反面、誰かの評価や人生がぶっ壊れるのはまさに一瞬で起こりうる。
今すぐにこの嫉妬が消え去ってほしいと願う人は、相手の足を引っ張りたくなるのではないだろうか。
また、自分が成功して見返すといっても、それで悪感情が消えるとは限らない。
たとえば、嫌いな奴が年収一千万で自分が年収二百万なのが悔しい。
必死に苦労して自分は年収二千万になって相手を見返した、これでスッキリするか。
私はしないと思う。だって、未だに相手はかなり裕福な暮らしをしてるじゃん。
これは嫉妬が恨みに転じた場合かもしれないけれど、嫉妬も恨みも心を苛む「痛み」には変わりないし、その転換は結構な確率で起こる。
人間は相手より上位に立つだけじゃスッキリしない、相手に苦しかった時の自分と同じかそれ以上の苦痛を味わわせなければ解放されない。
逆に、相手に苦しみを味わわせられるなら、必ずしも上位に立たずとも「痛み」から解放されることがある。
だから、相手より上位に立つことは直接嫉妬という痛みに作用する痛み止めではなく、痛みが落ち着いた後に楽しく生きていく体質管理のようなものだとたとえた。
更に加えて言えば、誰かが没落することと誰かが成功を掴むことでは、前者の方がずっとイメージしやすいというのもあるかもしれない。
時代的なものかもしれないし地域柄的なものかもしれないけど、この「できそうな感じ」の差は存在すると思う。
とりわけ嫉妬深いタイプの人は、自分が成功するイメージを持ちづらいように見える。
以上のようなことから、嫉妬に苦しむ人は、早く、直接的に、より現実味をもって嫉妬を消し去ってくれるものとして、相手の没落を願い、時には実際に足を引っ張る行動に出るのではないかと考えた。
っていうかまあ、他人事のように書いてもこれ全部私のことなんだけど。
足を引っ張るのはやめなよと諭す人は、こういう嫉妬側の事情も勘案した上で説得しないと、いまいち通じないんじゃないかしらん。
最初に、
その国民の誰かが、とあるウェブサービスを開発したとする。国民性が均質なので、他の誰かも似たようなサービスを開発する。結果として、ユーザーは複数の似たようなサービスに分散する。従ってどのサービスも莫大な投資を集めることが出来ずに終了する。
って言って、皆が皆、全く同じレベルのものしか作れないから等しく分配しかされない、といってるのに、
その国は均質なので、国民は皆、自分にできることは当然他人にも出来ると思っている。だから、まれに「自分がやすやすと出来ることが出来ない他人」を見かけると信じられないという気持ちになり、ひどく馬鹿にする。また、逆に他人に出来たことは自分にだって出来るはずだと思っているため、成功した他人を見ると運が良かったのだろうとかなにかズルをしたのだろうと思ってあまり賞賛しない。
ここで差を出してる。差が生まれないなら、こんなことは議論にすらならない。
自分より出来る人間も出来ない人間も居ない。従って人をバカにしたり羨んだりすることもない。そして誰か1人だけ成功することもない。
その上にあるように、「誰もがリーダーを経験する」様に、皆がそれぞれの仕事をするだけで。差がないのだから給料も一緒だろう。