はてなキーワード: 喫茶店とは
○朝食:おしるこ
○調子
はややー。
給料日前でお金に余裕があるので、色々遊ぼうと思い朝から遊んでた。
まずは、本屋さんでハードカバーの小説を書い、喫茶店で序盤を読みました。
超面白かった、ミステリに名作は数多くあるけど「シリーズである意味がある名シリーズ」は少ないと思ってるのだけど、これはまさに名シリーズになりそうな予感。
まだ二冊目だけど、早く三冊目も刊行されないかなあ、と続きが楽しみになるような展開だった。
(中身自体も後期クイーン的問題を扱った名作だと思いますけど、それ以上に前作から続く物語と、次作への引きが気になって気になって)
それから、レイトショーを観に行こうかと考えたのだけど、財布を家に忘れる小ボケをかましてしまい、行けなかった。
歩いて五分〜十分ぐらいのところなので、ついついギリギリに家を出たのが失敗だった。
うーむ、なんなら明日定時でさくっと帰って行こうかしら。
○グラブル
特になにも出なかったです。
自分語りすまん思い出した。
かつてmixiのカフェ好きコミュに入ってた。そのコミュはカフェ巡りの人気ブログを運営するキラキラ女性が管理していた。俺は、コミュの存在を知る以前から、ブログは参考にして同じカフェに行ったりはしていた。どこもいいお店でその管理人女性にちょっとした憧れも抱いていた。当時、俺大学生、管理人女性27歳くらい。優しくて丁寧な対応だった。コミュでは、参加者がオススメのオシャレカフェとかを紹介し合ったりしていた。
管理人発起でオフ会的なのしようということになって、個別にメッセもらったこともあり、参加することになった。渋谷あたりのカフェに、10人くらいが集まった。
そこで、一人ずつ自己紹介と併せて、お気に入りのカフェを紹介するということになり、有名どころを挙げるのが多い中、自分はよく言えばレトロな、悪く言えば古臭い感じの個人経営の喫茶店を挙げた。そういうところが落ち着くし、マスターのこだわりみたいのが滲み出てて面白いみたいなこと言ったら、みんな優しくて受け入れてくれたよ。(しかもその後少しそのコミュ内でモテた。別文脈だが)
なんだろうな 私はちょっとムカついてたんだよな
予定も変更してくれなくて
全部こちら任せで
全ての返事はとってつけたような浅い返事で
「いいですね、私もそう思ってました!」
そう言われると何も考えていない事にイライラした
「明日はどうしますか?」「待ち合わせは何時に?」「場所はどこにしますか?」
全部わたしにやれって事か、と
連日の残業で疲れて 帰宅時間も遅いところに 明日の午前の待ち合わせの準備をしろと!私に!
って
でもなんだろう いろんな事がかんにさわった
まるで自分で決められないところとか
いろんなことに卑屈なところとか
ホテルのロビーの喫茶店でお茶するくらいでやたらとセレブだと恐縮するのが、なんかもう すごく疲れた
みんな、ごくたまに良いホテルに特別イベントで来てる庶民の人だよ、私だってそうだよ
けどそんな素敵な場所も、綺麗だね 素敵だね じゃなく セレブだ凄い縁がなくて恐縮する って感想ばかりで
なんかこう、疲れた
高校生向けの参考書は安いので一冊買って1日しか潰せなくでも金銭的にもったいなくない
・近場でいったことないとこをさがしていく
・本屋をくまなく見る
・自転車か徒歩でいつもは車か電車で行くようなところまで行ってみる
見えていなかった景色が見えてくる
名作とかでなくても発見があるかも知れない
一定以上の距離(数km位から)をゆっくり歩く。ウォーキングではなく、散歩な。コースを決めておいて、そこに何かメインイベント(美術館とか映画館とか、紅茶の美味しい喫茶店とか)を設定しておく。「歩くだけか」と思うかもしれんが、辺りを見聞きする余裕をもって歩くというのは強力なストレス解消になるし、心の整理もできる。公的交通機関を併用すれば変化もつけられる。
ちなみにこれは個人的体験から書いている。俺は一時期どうしようもなくストレスがたまったことがあったのだけど、そのときに通勤手段を自転車から徒歩に変更した。所要時間は数十分になったが、これが強力に効いたんだよな。春は花とその香り、夏は緑と風、秋は紅葉、冬の雪や北風ですら、季節の変化を感じさせてくれた。毎日少しづつコースを変えて歩き、最終的に数パターンの中から家を出るときに選ぶようにしていたんだが、あるコースを通る度に季節の変化を探す。これだけのことが楽しくて、気がついたらストレスがなくなっていたんだ。
↑前提条件は記載されていない
例えば増田が京都に旅行したとき、喫茶店でコーヒーを注文したところコーヒーの代わりにお茶が出てきた。これはどういう意味だろうか?
これは考えなくとも分かることだよね。
「増田はんみたいなワイルドな方をうちのお店でおもてなしなんてありえまへん! もっと増田はんを認めてくれる店に行ってくりゃんせ」ってことだよ。
妄想怖っ
横だけど、私は前提を話さない人とか関わりたくないなぁ。急に話が飛ぶし。
例えば増田が京都に旅行したとき、喫茶店でコーヒーを注文したところコーヒーの代わりにお茶が出てきた。これはどういう意味だろうか?
これは考えなくとも分かることだよね。「増田はんみたいなワイルドな方をうちのお店でおもてなしなんてありえまへん! もっと増田はんを認めてくれる店に行ってくりゃんせ」ってことだよ。
そのことは、言葉にせずともお茶を出された時点で増田の頭の中にカッコつきで流れている<テレパシー>だよね。
超能力でも不思議なことでもなんでもないんだ。言葉と言葉の中に行間というメッセージがあるように、人と人とのコミュニケーションにはテレパシーも普通に存在しているんだよ。
増田の上司の人もきっといろんな場面でテレパシーを飛ばしていたのさ。でも、増田はそれを受け取れなかった。
虐待されていた女の子が亡くなった事件で、DV被害を受けていたと言われる母親が逮捕された。
「一人で子供を産み落とし、育てきれなかった母親が逮捕され、往々にしてその相手は罪に問われないのに対し、
なぜ直接の加害者である父親が逮捕された上に、DV被害を受けていた母親も逮捕されなければならないのか」
というような言説を見かけて、第三者的な私は確かにそうだなと思った。
DV被害を受けている中で、正常な思考が奪われているのだから、それは咎められない。
しかし一方で、被虐児としての私は、私の母親を責める気持ちを持ち続けている。
そもそもなぜあんな人と結婚したのか、婚姻生活を継続したのか、途中逃げ出せたのになぜ逃げなかったのか。
私が過去に傷ついた分(かそれ以上)のpaybackは受けてほしい。
私は、大学で親元を離れるまでの間、父親から軽度の虐待を受けていたと思う。
「軽度」というのは、私が今日まで生きていられていることと、私よりひどい虐待を受けていた人がいるであろうことから飾り言葉としてつけただけであって、虐待の内容の軽重比べの意味ではない。
「虐待を受けていた。」と言い切れないのは、両親の認識として、そして私の自認としても、ある時期まではそれらが「しつけ」であったからで、
また、私の中に今も尚あれらの経験を「虐待」と指してよいのかどうかという逡巡が多少なりとも残っているからである。
それに、彼らが私に教育というものをプレゼントしようとしてくれた事実自体には感謝しているのもある。
(ただ、彼らが私に授けたその教育のおかげで、私がそれらの経験が「虐待」であるかもしれないことに気づけたのは、多少皮肉なことかもしれない。)
私の家庭は貧しかった上、母親も、父から今日で言うところの経済DVを受けていたし、連絡先は消され、友人との付き合いは禁止で、故郷からはるか離れた義理の実家の近くで結婚以来何十年も暮らし、地元に帰れるのは4,5年に1度であって、私の出来が悪いと言ってはお前のせいだと咎められ、夫婦喧嘩のときには青あざを作っていた。そういえば、確かに父親も外面はいい人であった。
重ね合わせてみれば存外似ている。
私は幼心に「それはおかしいし、なぜ別れないのか」と思っていて、小学4年の頃には母親に父親の異常性を指摘したし、中学2年のある日「離婚を考えている」と言われた時にはいつ別れるのだろうかとわくわくした。結局その日は来ないまま今日に至るのだが。
そして、もしどうしても我慢できなくなったら、自分で児童相談所に通告しようと思っていた私は、通告しないまま大人になった。
彼女がどうして、ダメな夫と別れられなかったのかというと、それは彼女に「完璧な私」と「完璧な家庭」と「完璧な子供」という理想とプライドがあったからで、反面、彼女には教養もリテラシーもなかったからである。
高校受験もセンター試験も二次試験もすべて自分で準備した。母に少しは調べてほしいと依頼したが、彼女は何一つしなかった。「完璧な子供」はそれくらい一人でできて当たり前であるし、「完璧な私」は何もしなくてよいのである。
オープンキャンパス中に開催された高校生限定のイベントに参加するため、喫茶店で待っていてと私が頼んだ待ち時間の2時間を、彼女はコーヒー代の600円を節約するために炎天下の下で待ち、熱射病にかかり600円以上を無駄にした。
彼女は子供の学歴を親族に吹聴する反面、子供の傷跡については誰にも相談しなかった。
もし仮に何かあったときに彼女を助けてくれる親族は母親にはいたが、私には父親か母親しかいなかった。
当時、母は目の届く範囲では私をかばってくれたし、父親がいないところではよくしてくれた。それには心から感謝している。
でも、最終的には私が私を救うしかなかった。私が、私を救うために、家族との連絡を絶つということを含む、すべての選択を責任を持って行って、今日まで生きながらえてきた。
大学で家から離れた私は、実家から遠いところで日々幸せに暮らしている。
(2)
当時の惑星開発委員会はオタク界隈ではけっこう話題になっており、それを象徴するのが岡田斗司夫の来訪です。
4月12日(金)
逃避でネットを覗いていたら「惑星開発委員会」というサイトを見つけた。
http://members.tripod.co.jp/toumyoujisourin/rvtop.htm
惑星開発大辞典コーナーに僕の名前もあったので掲示板に挨拶したら、さっそく管理者の方からメールをいただく。
返事で「なぜ岡田斗司夫は作家を自称しているのか、については次の日記で答えましょう」と約束してしまうけど、なんでオレは仕事でもないところで働こうとするのか。とほほ。
その後、岡田さんはこのサイトを気に入り、定期的に掲示板に書き込みをしたり、知り合いに紹介したりしていたみたいです。
8月13日(火)
「ロスノフスキ家の娘」、あっという間に読了。
しょっちゅう覗いてるサイト「惑星開発委員会」にこんなテキストがあった。僕も今、格闘技オタクたちが嫌いで嫌いでしかたないので、思わずここに紹介してしまう。
(中略)
あああ、俺の言いたいことを俺より上手く書いている~!もう俺、物書き引退しようかなぁ。
相当宇野さんのことを買っています。当時の日記にはこんな記述もあり「これは善良な市民のことでは?」と言われてました。
知り合いから「就職活動に失敗した」というメールを受け取る。彼に「就職なんかせずにライターになれ」と忠告したばっかりなので、これはなんとか編集者に売り込んであげなければいけない。
まぁ僕よりは才能もある人だし、なによりまだ20代前半という若さなので、ライターとして喰っていくことぐらいはできるだろう。しかし彼を「こういう人生」に引き込んだ責任というのは、あるのかな?
僕は「自分への責任は、他者には移譲し得ない」という考えなので、あんまり悩んだりしないけど、これが唐沢俊一さんのように責任感の強い人なら、あとあとまで面倒見たりするんだろうなぁ。
この日記も宇野さんのことですね。実際に会って話したようです。
10日(水)
朝、マクドナルドでハンバーガーを食べる。ついに一個まるまるを完食できるようになった。まだ喉の痛みは残っているけど、まぁ一安心。
おもしろ会の武さんと5年ぶりぐらいに会う。なにかと思えば「物書きになりたい」という相談。彼女の同人誌を預からせてもらって、編集さんを紹介する約束をする。
続いて京都から宇野くん。彼とは初対面だけど、昔に彼が浅羽通明氏に説教された話を教えてもらう。浅羽氏の書き下ろし本『教養とはなにか』を院生たち取り巻きと話してるときの浅羽さん「これで革命を起こす」と叫んでいたらしい。当時10代だった宇野君がこれに疑問を呈したら喫茶店で閉店まで説教されたらしい。やはり浅羽さんは熱くて面白い人だ。
そして、岡田さんは惑星開発委員会のオフ会にまで顔を出すまでに。その時のことを日記でこう書いています。
27日(火)
木曜のオフ会に向けてリビングをかたづけ、そのあと覚悟を決めてついに北歯科へ。
もうずっと前に神経を抜いた歯なので、おそらく歯茎が炎症を起こしているのだろう、
ということで今回は様子見。
ブックスルーエで宮脇檀の『男の生活の愉しみ』(PHP文庫)を買う
20年近く前、仕事で一山当てたら宮脇氏に自宅を設計してもらおう、と思っていた。
不幸なことに宮脇氏は98年に他界し、僕はいまだに一山当てれずにいる。
でまぁ、書店で氏の本を見かけたら自分の果たせなかった夢への供養だと思って
買うことにしている。
……その後、岡田さんが惑星開発委員会に言及することはなくなりました。「あんなもん」だったので飽きてしまったんでしょうか?
惑星開発委員会の更新をやめ、善良な市民のキャラを捨てて2003年8月頃にはてなダイアリーで新たに始めたのがヘルシー女子大生(id:kurosawa31)と言われています。挑発的な言動、サブカルへの豊富な知識、そして女子大生であることが話題になり「はてな界の斎藤美奈子」と称されたりします。
と書かれているのである程度の騒動を起こしたことがわかります。
しかし、今となっては日記はプライベートモードに設定されており、internet archivesに残っている断片的なものしか読むことができません。
それによるとヘルシー女子大生は京都在住ということになっており、宇野さんは立命館大学卒業後、京都で就職したのではと推測できます。
2ちゃんねるの過去ログを追うと初期から善良な市民との類似性が指摘されているのが面白いです。その時は「言っていることが似ている」と言われる程度ですが、しばらくして2004年3月に「オトコノコ」「キャラ売り」「同じ穴のムジナ」「ブンガク」などのワードの相似性、話してることが一緒などの指摘がされヘルシー女子大生=善良な市民なのが濃厚となります。この指摘に伴って日記の更新頻度は落ち、プライベートモードとなったわけです。
この頃の宇野さんは旧・惑星開発委員会のような「有名サイトになろう」とか今のような「ライターとして成りあがろう」という気概はなく、ネカマして周りを翻弄させて楽しみつつ、趣味としてドラマなどの評論を書いていこう、という印象を私は持ちます。
郡山は雨だ。
文字通り真っ暗な車窓に、水滴が張り付いている。
少しでも遅れると困る。このまま大宮まで在来線を乗り継いでいかなければならない。
グーグルからの通知で、宇都宮から遅れているとの情報を受け取る。
日付が変わる頃には家に着いていたい。
土曜の7時過ぎ、平日なら都内の方面へ向かう大宮駅の在来線ホームにいるはずだが、この日は打って変わり、新幹線ホームにいた。
金曜の夜のうちに、鳴子温泉の宿を取っていた。
昨晩熟睡できたおかげか、頭はすっきりしている。
少なくとも午前中には宿に着いてしまう、余裕を持ちすぎた旅程だった。
出発の5分前に新幹線は入線した。構内のブックエクスプレスで買った本を読みながら発車を待つ。
雪が降っていた。
西口のペデストリアンデッキの隅々には黒く汚れた雪がそこかしこに避けてあった。
本来なら、鳴子温泉にまっすぐ向かうのであれば、古川行きの特急券を用意するのが一般的だが、気分の変わりやすい私は、なんとなく先のことを見越して仙台行きでやめておいた。
別に、仙台から東北本線、陸羽東線を乗り継いで行っても問題ない。
また、結果的にその通りになったのだが、仙山線に乗り迂回しながら鳴子温泉にも行ける。
コートのポケットの中には行き先指定の乗車券ではなく、乗り降り自由の周遊券が収まっている。
これでふらふらと時間の許す限りどこまででも行ける。
雪を見たら必ずどこかに行きたくなる。
仙台に降った雪にそそのかされ、仙山線で山寺を目指すことにした。
山形県境を超えると、雪が濃くなった。
車窓には白色が占める割合が高くなり、車輪が雪を踏みしめる音が聞こえる。
私は学生の身分から社会人になったが、仙山線のこの風景は何も変わってはいない。
立石寺までの道のりや、参道の茶屋の雰囲気、何もかもそのままだ。
昔のことを考えていたらなぜか気恥ずかしくなり、1時間半滞在した後、すぐに山形方面を目指した。
あの頃は、貧乏学生で新幹線なんて使えず、全て鈍行での旅程だった。
駅前では旅館のおかみさんがボートを手に掲げ、待っていてくれた。
一晩お世話になる宿は、とても素晴らしいものだった。
なによりも、お湯が最高であった。
鳴子の湯は、湧き出る箇所によってその特色が全く異なる。
今回の宿は、これでもかというほど白く濁りきり、硫黄の匂いで脱衣所どころか、宿全体が溢れていた。
2階建てですべてが和室。こたつにストーブ。更には湧き出る源泉の温度を利用したヒーターが備えてあった。
夕食後は湯に浸かり、酒を飲んで、気付くと朝を迎え、あっという間にチェックアウトをしていた。
かつての震災。実家が青森の私は、知っておくべきことではないかという観念があった。
整然としている。真っ先に思い浮かんだ感想。
列車の中で見た女川までの車窓は、やはり想像していたとおりだった。
復興の力とはすごいものだ。震災直後の町の有り様は、詳細には私にはわからないが、一つだけ言えるのは、さっきまで見ていた車窓とは全く異なっていた、ということだ。
これこそが活気だと感じた。
だか、確実にここには人が住んでいる。そういう気分にさせた。
私はその後、今日何度目かの温泉に浸かり、土産を買い、ただの観光客という身分でそこにいた。
観光客でいられるということは、よく考えてみれば、それはもう立派な町だ。
間違いなく東北は立ち直ってきている。一部分の一瞬を切り取っただけを見た私が言うのは甚だ軽薄で軽率であるが、そう思わずにはいられなかった。
一年前、仙台から鈍行で東北本線を上ったことがやけに懐かしくなり、私は300km超の道のりをゆったりと列車に揺られている。
残りの時間は少し眠ろうと思う。仙台で少し買いすぎてしまった酒がもう底を尽きた。
なんとまあ奔放で堕落した2日間だっただろう。
恐らくだけど、RとLで仕入れ値は大した差はない。両方同じ価格の可能性もある(当たり前だが1杯づつ仕入れるわけじゃないので豆を1杯分換算で、恐らく数円レベルの差)
だからセブンとしてはどっちでも良いんだよ。確かにマシンにライトついてて、光る色で区別は付くが、真面目に見てる店なんて無いし、混んでたらそんな暇ない
セブン的には利益率の高いL客を優遇したいし、R買ってL注ぐ客はどうにかしてなくしたい。だから今回の(恐らく発達障害のクソ真面目な)客のチクリからの逮捕は良いタイミングだった
これでごまかす人は減っただろうし、ますますLサイズ買う客が増える
でも、ファミマやミニストップ、デイリーヤマザキ等は大して同調してない。きっとセブンでコーヒー買うやつ減るぞ~ってワクワクしてると思う
個人的には、どこも大して美味しくないし(100円でも)、なんか国民全カフェイン中毒にしたいのかって流れだし、律儀に手渡し&デカフェ売ってるローソンを応援したいし、行きと帰りにあんなコーヒー飲むなら、もう少し払って喫茶店で飲む