はてなキーワード: 俺TUEEEeとは
最近のラノベアニメで主人公の努力が~系 の話題でいつも思うのだけれども、実は努力描写の有無じゃなくて
があまり見られない、ということじゃなかろうか?
「敗北しても、ヒロインの一言とか仲間の死とか新アイテムゲットとかで ピカー で ドカー なパワー がでて勝利」
であって、そこに努力した感が感じられない、というのは思う。
「勝てない」からこそ努力とか悔しさとかがあふれるわけで、いくら修行描写したところですぐ勝ってしまっては「重さ」は感じないだろう。とはいえ、最近にかぎらず昔から主人公が強い作品ってそんなもんだろ、とも感じるが。
最近とまでは言えないけど、「Capeta」の構成は本当にうまかったと思う。
基本的には「カペタTUEEEEEE」なんだが、最大のライバルナオミと最後まで直接対決をさせず「進んでも進んでも奴は常に一歩上のステージにいる」って構成にすることで「お互いが追いつ追われつ自分のステージで努力し続ける姿を描く」ことで「勝っても勝っても勝った気がしない」の状態に置き、全編「俺TUEEEE」と「重い努力描写」を両立させた。
http://anond.hatelabo.jp/20150609000805
{誤解している人も多いと思うのだが、}最近のアニメとかライトノベルで{あっても、}主人公が努力していたという描写{は}結構{あったりする}。
{とはいっても、昔の作品にありがちな、}いわゆる修行シーン{、つまりストーリー上の障害に遭遇して一度挫折し、それを克服するための鍛錬の様子が現在進行形でがっつり描かれる}とかじゃなくて{、}過去の回想だとか、他キャラの解説等から{、}主人公の{強さは何の努力もなく与えられた物ではなく、それを獲得するために代価として費やされた相応の}努力が{存在していた、と}判明するパターンだ。
最近{のアニメとかライトノベルで}は比較的{ストーリーの}初期から{、なぜそのキャラが}強い{のかという理由の説明を後回しにして}キャラが{活躍している場面を先に見せる展開が}多かったりするので{、}割りとそういうパターン{、つまり、俺TUEEEEと揶揄されるような主人公でも、実際には作品内世界において相応の努力の結果として現在の強さを得ているのだと、後になってから説明するプロット}が多かったりする。
{もちろん実際には、最近のライトノベルでも、いわゆる修行シーンが描かれている場合もある。そして、アニメ化に際して、そういうシーンが削られてしまうこともある。これは本来は別の問題として扱うべきかもしれないが、キャッチーで槍玉に挙げやすいのでこのまま話を続ける。}
ただ、そこで一部の読者がそういったキャラが「まったく努力していない」という感想を言うのを度々耳にする。
※本当はもっとこうすれば分かりやすくなるとか、いやそこはこういう意味じゃないだろとかツッコミ山ほどあると思うが自分はこういう意味で読み取った、ということで一つお願いシャッス
「バカにするのはよくしらないから」というのは半分しか語ってません。
バカにするのは、知らなくて済むようにするためです。
バカにする人は、自分が知らないものが人気だと、落ち着かないのです。
「知らないと許されないような気がする、劣っている気がする」から、それに反発しているのです。
「知らないと許されないような気がする」のは、その人が勝手に電波を受信しているだけなのですが、
普段の自意識がホンモノを知るゴールドブレンドみたいなイメージな感じだったら、
「良い物があるのに知らないことは恥ずかしい」と思ってしまうのです。
自分は良い物を知っている
という呪術が発動して、自分が知らないものはけなしても良いという価値の零落を脳内で実現してしまっている人がたくさんいらっしゃいます。
知らないことを怖がるから、恐れるに足りないものだとおもいたくてバカにするのです。
知らないことを知る手間がめんどくさいから知る価値がないことにしたいのです。
自意識を高く保ちたいが、そのために新しく何かをしるのが面倒だったり、
自分が過去の知識で俺TUEEEEEできない分野に手をだすのが怖かったりするからバカにするのです。
ただの面倒くさがり屋であり、彼らに良い物をすすめても無駄です。
知りたくないから馬鹿にしてるのです。教えようとする人間など邪魔なだけでしょう。
たとえ「いいものがあるなら教えてみろ」と挑発めいたことを言っていても相手にしてはいけません。
こういう行動パターンを取る人は、世間一般でなんといわれるか知っていますか? 老害です。
「知らないからバカにしてます」って告白をドヤ顔で晒していらっしゃる方が数名いらっしゃいましたが、それは老害宣言であり、現役引退宣言です。
自分たちが老害であるとうい認識を持って、これ以上なにか喋っても害にしかならないという事実を受け入れ、安らかな気持ちでご隠居なさってください。
ライトノベルに限らないが、構造的に「馬鹿にされる」場合がある。
定義が曖昧で、玉石混交で、定性的に評価されるもの全般のことね。
すると、自分の感性で都合良く石だけピックアップして馬鹿にできる。
定量的に計測できたって、好きに時系列を切り出して、定義付けを恣意的にすればなんとでもなる。
そして、「なんとなくこういう批判がある・こういう擁護がある」と藁人形を用意すれば、
そこで、馬鹿にするのはどういう人か、何が批判足りえるのか、振り返ってみよう。
「無い」事の証明は難しい。
だから「有る」もので「ライトノベルで無い」モノを追いだしていこう。
だから、「絵が恥ずかしい」というのは、表紙絵に対する批判であって、ライトノベル批判とは違う。
(勿論、「アニメ絵は恥ずかしい。太宰治もあれじゃ買い難い」とする批判はあるが、ライトノベル批判とは別軸)
キャラ立ちという意味で、ホームズを超える名探偵は出てきただろうか。
だから、「類型的なキャラクターが出てくるだけ」というのは、その手の小説批判であって、ライトノベル批判とは違う。
(以後省略するが、そういう批判は当然あって良いが、ライトノベルとは独立)
ファンタジーやSF、ミステリから哲学に至るまで、子供向けに書かれた本を読む大人は多い。
だから、「子供向けに書かれた小説を大人が読むのは」というのは、その手の読者批判であって、ライトノベル批判とは違う。
これに関しては、まさに定性的な(感性の)話になるため、具体例は省略したい。
ここでは、スタージョンの法則(啓示)を引用するだけにしよう。
SF(science fiction)の90%は、ゴミでカスでクソだ。
同じ基準を使って、映画、文学、民生品等々の90%がクソだと示せる。
だから、SFの90%がクソだという主張(または事実)は、究極的には何も意味しない。
だから、「ライトノベルの大部分はクソだ」という批判は、何の情報量も無く、ライトノベル批判とは違う。
ハワイ沖で行われる海軍の多国合同軍事演習のさなか宇宙人が侵略してきて、自衛官と海兵隊員が反目しながらも撃退するという
まあ、インディペンデンス・デイと戦艦ミズーリを足してブリトーで割ったような映画だ。
素晴らしく面白い、愛すべき馬鹿映画だが、批評家からは当然のように酷評されている。
何が言いたいかというと、批評家の評価と、馬鹿であるかどうかとは、分けて考えられている。
ビール片手にゲラゲラ笑いながら見るような「ジャッカス」みたいなのを「馬鹿だ」と言うのは、批判ではない。
さっき言ったように、「馬鹿」であることは、比較的独自の軸になる。
その上で、馬鹿にしているのは、例えば「パンチラの絵を付けて恥ずかしくないジャンルは馬鹿にされて当然」のような、
「ライトノベル」を「小説の一ジャンルとして、格下である」とする主張しか、残念ながら観たことがない。
これは、BLを趣味とするのは気持ち悪いだとか、サラリーマンが通勤中に漫画雑誌を読むのはガキっぽいとか、そういった類の主張だ。
好悪の主張であって、それはそれで、仕方がない面はある。
雑誌の表紙に水着の女性を持ってくれば売上部数が上がるが、職場で休み時間に読むのはどうだ?というレベルの話だ。
ワリと珍しいのだが、硬派なSFとライトノベルSFとが全く同じ題材を描いているものがある。
アーサー・C・クラークの「楽園の泉」と、野尻抱介の「ふわふわの泉」だ。
(まあ、内容的にはチャールズ・シェフィールドの「星ぼしに架ける橋」のもじりの方が相応しいとは思うのだが)
両者とも、「ロケット以外で宇宙に進出するための、巨大構造物を作り上げる人物」が主人公だ。
ポイントは、「楽園の泉」がハードSFか否かであるとか、「ふわふわの泉」がラノベかどうかではなく、
この両者を比較して、「どちらが低俗か」を論じる意味があるかないか、だ。
「どちらがより高尚か」や「どちらの方が格上か」でも良い。
ここまで題材が同じだと判りやすいのだが、
「大人なら、『ふわふわの泉』ではなく、『楽園の泉』を読むべきだ」
とは、ならないだろう。
だって、違う作品なのだもの。それは批判ではなく好悪の主張だ。
「『楽園の泉』は、建築家の名声について拘りすぎて主張がボケている、『ふわふわの泉』の方がSFとして良く出来ている」
なんていうのは、馬鹿にしているのではなく、(正しいかどうかは別として)SFを軸にした批判になる。
アレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」と、司馬遼太郎の「梟の城」と、佐島勤の「魔法科高校の劣等生」とを、
一緒に並べて比較して、「魔法科高校の劣等生を読むのは馬鹿だけだ」と言うことに、意味があるだろうか?
俺TUEEEE系の源流をたどって、湖の上を歩く男の話まで遡ったり、本邦においては勧善懲悪の仮託先であるとか、
そういった論文を描くことは意味があるかも知れないが、「馬鹿にする」というのは比較的には品のない行為だと思う。
例えば、今話題のピケティの「21世紀の資本」を読むのが大人で、百田の「海賊とよばれた男」を読むやつが馬鹿にされてもしょうが無い、みたいな言い方はしないだろう。
現代ソマリア海賊を描いた「キャプテン・フィリップス」を見て「『パイレーツ・オブ・カビリアン』を見るとか馬鹿にされてもしょうが無い」みたいなことは言わない。
というわけで、馬鹿にする方の品性を疑うべきだと言うのが、オレの意見になる。
どんな作品でもファンは居て良いと思うし、蓼食う虫も好き好きと言う。
例えば俺はバトルシップが大好きだが、蛇蝎の如く嫌う批評家が居るのも否定はしない。
アナと雪の女王よりはベイマックスの方が面白いとは思うんだが、GoGo好きなだけだろと言われれば否定はできない。
というように、主観的な好悪と、その技芸における比較批評、そのジャンルでの売上高なんてのは、全て独立の話だ。
そう言った点で、ラノベの中に上手い下手、エロに寄り過ぎだとか構成が稚拙だとか、そういった批評はあって良いと思う。
ただそれは、作品単位、出来ても作家単位の話であって、「ラノベ」全般に広げるのは主語が大きすぎて乱雑に過ぎる。
9割のクズを観てそのジャンルを否定するのが愚かであることは映画や絵画においては一般的なのに、ラノベがそうでないのは不幸なことだと思う。
ライトノベル『魔法科高校の劣等生』を読んで、ネットの評判に流されてしまっていた自分を実感した話
http://d.hatena.ne.jp/thun2/20150104/p1
この記事を読んだわけだ。
で、ブコメとか色々読んでこれ以上魔法科高校の劣等生を読んで不幸な人が出る前に誤解を正しておいたほうが良いと思ってな。
題名:魔法科高校の劣等生 -The Irregular at Magic High School-
・2008年10月12日、小説家になろうにアマチュアWeb作家として連載開始。
・2011年に電撃文庫化。担当編集は三木一馬((「俺の妹がこんなに可愛いわけがない。」「とある魔術の禁書目録」「ソードアート・オンライン」の担当編集も務める有名編集者))。現在の総発行部数は公称560万部。
・体系化された魔法を扱う職業「魔法師」を養成する架空の教育機関「魔法科高校」を舞台とした学園バトルアクション
・作者は本作品をSFエンターティメントの一種「超能力もの」であると述べている。
まず、初めに言っておきたいのが魔法科高校の劣等生はロードオブ・ザ・リングみてえなハイファンタジーじゃなくて、「とある魔術の禁書目録」みてえなよくある超能力ものだ。たまに勘違いしてる奴がいるけど、ただの超能力ものだ。
このへん押さえとけ。
「あと、俺TUEEEEEじゃなくて敵YOEEEEEなんだもんなぁ。」とかのたまってる奴たまにいるけど、お前の見たいもんは俺TUEEEEEでは見れないから。
例えばドラゴンボールを俺TUEEEEEだと呼ぶ奴が一部でいる。
なんでそんなこと言われるかって悟空が圧倒的戦力差で持って敵を蹂躙するからだ。
代表的なのがVSナッパの話だ。
戦闘力4000程度のナッパ相手に悟空がぼっこぼこに無双して、上から目線で説教するからだ。
でもドラゴンボールはそこまで俺TUEEEEとは呼ばれてない。
なぜならそのあとすぐに超強いベジータが出てくるからだ。主人校と敵の戦力差が重要なわけだ。
敵が銀河系破壊できるキャラなら主人公は5次元に移動して一方的に相手を粉砕するから。
つまり強い敵が出てきた時点でもう俺TUEEEEじゃねえんだ。
あと、俺TUEEEEがすきだからって努力が嫌いとは限らんから。
普通に史上最強の弟子ケンイチとか僕のヒーローアカデミアとか読むから。
子供みたいなこと言ってないで大人になろう?
あと、魔法科高校の劣等生でたまに物理学が云々とか言ってる奴いるけど、殆ど関係ないから。核融合とエネルギー保存法則の部分だけだから。
あの世界の魔法の仕組み、オブジェクト指向プログラミングだから。
オブジェクトの情報を操作して魔法発動させてるだけで物理学とか殆ど関係ないから、適当知識で知ったかするのいい加減やめろ。
あと、てめぇの空想の中のパーフェクトワールドと比較すんの大概にしろ。
知ったかで適当に難癖つけてストレル発散するのいい加減やめとこか
あと、リベラルキチガイは宗教だから、作品世界の中の話と主張をごっちゃにしちゃうから読むのやめとけ。
別に作品世界=作者の主張とも限らないし、それを理由に特定個人の誹謗中傷もいい加減やめとけ。
※追記
id:fusanosuke_n 残念ながら名前だけでそれを期待して実際見たら違ったのでめためたに叩きまくってる奴がいたんだなこれがぁ。
id:harisenbon_fukurahagi そしたらそれは俺TUEEEEに似たなにかであって俺TUEEEEじゃないってことだ。技術がどうとかの問題じゃない。
良い俺TUEEEEEとか言って自分の都合のいい作品を持ってきて片方を貶めすのはやめろ。それはおめーにとっての俺TUEEEEだろうが。
id:kori3110 批判してはいけないんじゃなくて、適当知識でしったかしたり無理やり屁理屈持ってきて批判するなってことだ。
敵YOEEEEEなんだよなぁなんてのは最たるものでミステリ読みながら剣と魔法が出てこないとか文句行ってるようなもんだ。
id:yajicco そういう極論使って誇張すんのもやめろ。どう考えても蟻にはならねえだろ。それともお前は人間が蟻にでも見えるのか?脳みそイカレてんのか?
別に敵は普通の人間だよ。ただし、主人公は大陸吹っ飛ばせるけどな。
id:yunker_y 魔法科高校の劣等生の世界(パラレルワールド)ではそういった魔法や超能力や神通力のようなオカルトの力は全て同じ仕組で動いており、忍術もその1種です。
つまり、火遁の術で火を噴いたりミズグモの術で水面を走ったりというような架空の話は実在したのだ。という世界観なわけです。実際敵キャラに超能力を使ってくる敵ものちのち出てきますしちゃんと設定を読んでいれば忍術というのも別段おかしくはないというわけです。
ちなみにキャラの中には先祖が魔女だったという人も出てきますよ。まぁ、字面で笑ってしまうというのもなんとなくわからんでもないですけどね。
id:nemuibayashi ところがブコメを見ても分かる通り、極論か藁人形たたきの人間が9割以上なんですなこれが。ただの体の良いおもちゃにして遊んでるだけですよ。まじめに議論してる人がほとんどいない。重箱の隅をつつくか極論で遊んでるだけですよ。
そういうアホどもに別の作品読んでろよと言ってるわけです。
id:YukeSkywalker っていう
id:suna_kago 魔法科の問題で特徴的なのが肝心の魔法科の内容がどんな話なのかよくわからないと言うところに尽きますね。批判する側も私も含めて基本的に作品設定の外やまるで関係ない事柄ばかりが取り上げられて場外乱闘を繰り広げている状態で何が問題なのかという点が一向に明らかにならないので。
ブコメを見ても批判しているという点のみが共通しており、肝心の内容はまるで統一性が感じられずカオスな状態に陥ってしまっています。(このエントリーのブコメにかぎらず。)
「これを書けば売れる!」という選択が5つも明示されてるじゃん。
何が受けるかはっきり分かってるんだから。
売れ線が分かってるのにそれが書けない、書いても面白くないってのは人を楽しませる気がない、つまり物書きとしての才能がないんだと思う。
そんなんだったら読者なんて必要ないじゃん。他人に公開する必要もないじゃん。
他人に読まれたい、人気が欲しいなら最低限の礼儀として、読者が喜ぶものの提供くらいしてあげようよ。
「へー、お前らこんなのが好きなの?wありえねーw自分はあんたらの好き嫌いとかお構いなしに好き勝手やるけど、それでも自分を好きになれよ!ついてこいよ!」って人に誰がついてくると思うのさ?
一度でいいから「小説家になろう」で人気になってみたい。全然ポイントつかなくてかなしい。
さえないニートが自殺あるいは事故死して異世界転生、能力に目覚めて俺TUEEEE、敵YOEEEE、超チート、学園、ブラコンの妹、主人公はシスコン、ハーレム、イケメンライバルキャラは出さない(全部かませ)、巨乳の若い女教師(生徒から○○ちゃんと呼ばれている)、やれやれ系主人公(ふだんは力を見せていないが、いざというときに覚醒する)、主人公のすごい血縁、主人公は前世もすごい、努力しない、主人公は大金持ち、主人公の親はその国の影の実力者、主人公は大人からも一目置かれている、大人が馬鹿ばっかりで子供に説教される、主人公がテロリストを退治、女キャラからのキスで主人公が覚醒、主人公はエロに興味はないっぽくふるまう、乗りのいい友人にやれやれ(まんざらでもない)、主人公は天才科学者でもある、主人公は瞬間記憶能力者、主人公は足がはやい、主人公はムキムキの筋肉ではなく細身、主人公は特別イケメンではなく中の上(だがもてまくる)、能力者ばかりいる謎生徒会、風紀委員とかいう謎組織、主人公は絶対に挫折しない、主人公は絶対に失敗しない、主人公はひとりで世界を滅ぼす力を持っている、無気力だけど引く手あまた、性格悪いのになぜか好かれる、なぜか説明口調で敵が真実を語る、なぜか朝起きると妹が隣に寝ている、などなど……
何言ってるかまったくわからないところがある。
たとえば、
人の内部世界である演算領域内で組み立てられた魔法式を、無意識領域の最上層にして意識領域の最下層たる「ルート」に転送、意識と無意識の狭間に存在する「ゲート」から外部情報世界へ投射することにより、魔法式が投射対象たる「事象に付随する情報体」――これを現代魔法学では、ギリシャ哲学の用語を流用して「エイドス」と呼んでいる――に干渉し、対象の情報が一時的に書き換わる。
(1巻、pp.104-105)
文章研究としてこの本をかなり真面目に精読してたんだけど、それでもこの文章読んでなにがなんだかよくわからない。いまの中高生ってこういう文章読めるのか。冗談でもなんでもなくニクラス・ルーマンより難しいと思った。ここまでなにいってるかわからない読書体験(しかも小説、しかもラノベ)なんてはじめてだ。にわか文学ファンはトマス・ピンチョンが好きだけど、そのピンチョンよりはるかに読みにくい。
ほかにもいろいろあるけど、ちょっと驚いたのは、
達也の浮かべた苦笑いは、苦々しさのないただの苦笑に変わっていた。
(1巻、p.71)
これ。苦々しさのないただの苦笑ってなんだろう。哲学的といえば哲学的だけど。撞着語法かな? 「苦笑」って辞書的には「にがにがしく思いながら、しかたなく笑うこと」(明鏡国語辞典)なんだよね。いや、べつに辞書が正しいって言ってるんじゃないよ。ことばの意味ってのは文脈に応じてアドホックにどんどん変わっていくものだからね。でもそれにしてもこの語法は難しすぎるんじゃないか? ある種のアイロニーなんだろうか。難しい。
Amazonで『魔法科高校の劣等生』のレビュー見たらかなり叩かれてるんだけど、そんなに叩かれてると読みたくなっちゃうんだよな。そんなに文章ひどいの? ラノベってどれも同じような気がするけど。文学少女とか神様のメモ帳とか狼と香辛料とか聖剣の刀鍛冶とか読んだことあるけど、かなり文章下手だったし、どれもあんなもんなんじゃないの。あれよりひどいとしても誤差でしかない気がする。俺TUEEEEってそんなに悪いんだろうか。少女漫画や乙女ゲーで主人公がイケメンにモテモテってのとあまりかわらない気がするけど。
http://kousyou.cc/archives/6435
「最強主人公」と「努力型主人公」を取り巻く幻想、「主人公の周囲」の重要性
http://homusora.hateblo.jp/entry/2014/05/07/161358
つまりね、現実の世界と物語の世界が、あまりにも乖離しちゃってるんだよ
バブル時代みたいに、がむしゃらに頑張ればとりあえず給料は上がっていって、とりあえず家庭も持てて・・・
そういう時代に生きた人たち、そういう「努力すれば報われる」ことが当たり前だと考える人たち(年代は関係なく)
そんな人たちからすると、そりゃあ何の努力も裏付けもなく敵をバッタバッタ倒していく最強主人公は嫌でしょ
努力でなんとかなっちゃった人たちからすると、最強主人公の物語はあまりにも現実離れしてるように感じるんだよね
でもね、逆に最近の若い人たち、それこそラノベのメイン読者層な人たち
そんな人たちにはなんで最強主人公がウケてるのか、なんで今の編集は最強主人公でいけいけ言うのか
だって、今の現実が、今の社会がまさに最強主人公無双の時代なんだから、そりゃあ当たり前でしょ
なんだかんだ言っても、最初から金を持ってる奴の方が強い、才能ある奴の方が強い、
幸か不幸かはともかく、そういった「力」が自動的に育つ環境にあった「運」こそが実は人生に置いて何よりも重要
そんな世代からすると、努力型主人公はどうもまどろっこしいから面倒臭いだけだし、つまらないんだよね
たとえ悲劇の過去を背負ったとしても、自分の能力が幼少時代の無我夢中なときに環境のせいで自動的に開花してくれていた方が、いいんだもん
幸せな記憶だとか、平穏な時間だとかさあ・・・それって結局さ「持ってる人」の不満でしかないんだよねー
そんなのには感情移入はできないけど、でもやっぱり空想の世界でぐらいは自分もそんな贅沢な悩みを抱えて俺tueeeeeeしたい
美少女キャラだけで物語を構成するっていうのはじつに硬派で深い哲学すら感じます。
逆に男キャラってのはある種のひとたちへの〈媚び〉だと思います。俺TUEEEEEやハードボイルドは精神的ポルノでしかなく幼稚です。
美少女萌えは幼稚だということに自覚的で、その上でどう表現するかという、そこら辺の無意味に男キャラが活躍するアニメよりも一段階深いレベルの表現になっています。客観性の次元が違うので、美少女萌えは成熟した表現になっていると言えます。
男キャラが活躍するアニメというのはその作品の幼稚さについて無自覚で、どちらかというと、なにか深いテーマでも扱ってると勘違いしているような痛さ(若さ)があります。そういうのはだいたいヒロインが危機におちいったり、自己犠牲で死んだりしますが、それこそほんとにばかばかしいですね。ギャグアニメとして昇華できてる劣等生なんかはレベルが高いですが、あのレベルの作品はなかなか出てこないので残念です。