はてなキーワード: 侵入とは
トランス女性だって俺たちと同じように普通に社会生活送ってるわけじゃん
となったら公衆浴場とか更衣室とか使わなきゃいけない機会あるはずなのに、俺たちって彼女らがどうしてるか知らんよな
もし、トランスだと言うことで当たり前に行えるはずの活動が制限されてるとしたら、障害者のバリアフリー問題と一緒で解決しないとダメに決まってる
LGBT法案ってそこんところをはっきりさせるべきだったんじゃないか?
よく、トランスのふりして女性スペース侵入する男が現れるから云々抜かすやつがいるけど、そういうことじゃないんだよ
トランス女性の不都合をどう解決するかをはっきりさせて、問題があるならそれは後回しだろ
黒人とトイレ一緒になったら犯罪に合う可能性がとか言い出すのと一緒
まずは、平等が優先に決まってるでしょと
※ほぼメモ書きです。
ローズマリー・サトクリフ(Rosemary Sutcliff, 1920-1992)といえば、『第九軍団のワシ』をはじめとするローマン・ブリテンシリーズで有名な作家である。このシリーズは、一般にローマン・ブリテン三部作(『第九軍団のワシ』、『銀の枝』、『ともしびをかかげて』)ないし四部作(『辺境のオオカミ』も加える)と呼ばれている。岩波書店でもそう書いている。
https://www.iwanami.co.jp/book/b269788.html
一方、英語版Wikipediaのサトクリフの項目を見ると、『第九軍団のワシ』シリーズは他にもある。要は、4部作で終わっているというわけではないのだ。ファンサイトSutcliff Wikiでは、正式名称ではないとしつつ、"Dolphin Ring"と呼称している(一方、第九軍団のワシ、銀の枝、ともしびをかかげてを指してRoman Britain Trilogyという言葉遣いもされている。実際、1980年にThree Legionsというタイトルでセット本が出ている)。その作品群について整理しておく。
(1)作中時系列順
2世紀:第九軍団のワシ(The Eagle of the Ninth)
3世紀:銀の枝(The Silver Branch)
4世紀:辺境のオオカミ(The Flontier Wolf)
5世紀:ともしびをかかげて(The Lantern Bearers)
9世紀:剣の歌(Sword Song)
1954年:第九軍団のワシ(Oxford University Press)→岩波書店、1972年
1956年:盾の輪(同)→山本史郎訳『シールド・リング ヴァイキングの心の砦』原書房、2003年
1961年:夜明けの風(同)→灰島かり訳『夜明けの風』ぽるぷ出版、2004年
1963年:落日の剣(Hodder and Stoughton)→山本史郎・山本泰子訳『落日の剣 : 真実のアーサー王の物語』原書房、2002年(2巻本)
1980年:辺境のオオカミ(Oxford University Press)→岩波書店、2002年
1997年:剣の歌(The Bodley Head)→山本史郎訳『剣の歌 ヴァイキングの物語』原書房、2002年
これらの作品群がファンWikiでDolphin Ringと呼ばれているのは、言うまでもなくアクイラ一家のあのイルカの指輪(=古代ローマ人のハンコ)が共通して登場するからで、時代の流れとしても共通した設定を持っているからである。ただ、『三銃士』シリーズのような一貫した主人公や陣営を描いているわけではない。第九軍団のワシの主人公マルクス・フラーウィウス・アクィラ(訳書には従っていない)は、元々属州ブリタンニアに駐屯するローマ軍団に属していて、家のルーツはエトルリアにあるから、もとはといえばイタリア半島の人間なわけだ。ところが、彼が色々あってブリタンニア定住を決め込んだことが指輪の運命を決めている。『銀の枝』の主人公ティベリウス・ルキウス・ユスティニアヌス(ジャスティン)とマルケルス・フラーウィウス・アクィラ、『辺境のオオカミ』のアレクシオス・フラーウィウス・アクィラ、『ともしびをかかげて』の主人公アクィラ(上の名前は不詳)は、いずれもマルクスの子孫にあたる。
もっとも、ローマ軍団が描かれているのは『辺境のオオカミ』までであり、『ともしびをかかげて』はローマ軍団がいなくなったあとのブリタンニアを描いている。基本、サクソン人とブリトン人との戦争が描かれる。『落日の剣』はその後日譚にあたるが、主人公はアンブロシウス・アウレリアヌス(この人は実在の人物で、サクソン人と戦っていたブリトン人の指導者)の甥アルトス(アルトリウス)となっている(もちろんアクィラも登場するが)。つまり本書はアーサー王伝説の翻案なわけである。しかも『ともしびをかかげて』よりも長い。『ともしびをかかげて』は、20年ほどを描くが、後者は40年ほどのスパンがある。本書は明らかに大人向けであり(ファンWikiにもFor Adult Readersとある)、児童書である他書と毛色がかなり異なる。
『夜明けの風』はアルトスよりも100年ほどあとの時代で、デオルハムの戦いで壊滅したブリトン人の王族の生き残りオウェインが指輪を持っている。『剣の歌』では主人公はヴァイキングの少年ビャルニ(指輪は、ウェールズで暮らす少女アンガラドが持っている)になっている。そして時代的にはもっとも最後にあたる『盾の輪』の主人公もまたヴァイキングの少女フライサと孤児ビョルン(後者が指輪を持っている)で、湖水地方に立てこもってノルマン人に抵抗する様が描かれる。
見ての通り、厳しい立場に立たされた者を主人公にするというプロットはほぼ一貫している。『第九軍団のワシ』は父親の不名誉(ちなみに時代はあのハドリアヌス帝の治世にあたる)、『銀の枝』はカラウシウス帝に忠義を尽くした故に叛逆者となってしまった二人(なおこの頃の皇帝といえばディオクレティアヌスだ)、『辺境のオオカミ』は軍人としての失態だが、同時にローマ帝国と辺境民族(ピクト人)との戦いが背景にある。『ともしびをかかげて』は撤退するローマ軍から脱走して敢えてブリタンニアに残った主人公の苦労が描かれるが、彼の立場を厳しくしているのは、サクソン人のブリタンニア侵入である。サクソン人と戦う側が主人公になっているのは『夜明けの風』が最後で、『剣の歌』以降はヴァイキングが主人公になっている。アングロ・サクソン人のブリテン島征服が一段落して平和になったと思ったらデーン人がやってきたわけだ。さらにそのデーン人もノルマン・コンクエストで痛めつけられる(ノルマン・コンクエストは、思いっきり誇張すればデーン人(+アングロ・サクソン人)対ノルマン人の戦いであり、こいつら全員元をただせば海賊である)。ローマ人、ピクト人、ブリトン人、サクソン人、デーン人、ノルマン人とイギリス史に登場する諸民族の融和がシリーズのコンセプトとなっている(それは第一作の時点から明らかで、イルカの指輪は父を殺害したピクト人の長老がマルクスに返却している)。
出版年代を見ると、最初の『第九軍団のワシ』とシリーズ最終作となる『盾の輪』がもっとも早く出ていることが分かる。そして63年の『落日の剣』まではほとんど2年おきに出している。それから間が空いて80年の『辺境のオオカミ』と遺作の『剣の歌』がある。特に『剣の歌』は推敲が十分でないように思われる箇所もある(作業途中で亡くなってしまったのだろう)。日本語訳では『ともしびをかかげて』が一番早い(おそらく、内容的に最も評価されているのではないかと思う。カーネギー賞もとっているし)。明らかに児童文学ではない『落日の剣』はともかく、児童文学作品でも猪熊訳と山本訳(と灰島訳)とに分かれる。版権取得の問題かもしれないが、あるいは猪熊の作業量の限界だったのだろうか(1928年生まれだし)。そもそも『夜明けの風』は『ともしびをかかげて』の割と直接的な続編といって良いだろう。なお、自分の親は子どもの頃に『第九軍団のワシ』と『ともしびをかかげて』を読んでいたようだ(サトクリフの名前を出したら「あの小説か」と反応があった。結局「三部作」を貸している)。年齢が結構高い人でも、その二つは知っているのではなかろうか。
英語圏では多分されていない「四部作」(第九軍団のワシ~ともしびをかかげて)という言い方も理由がないではない。この四つはシンメトリカルな構成をしている。『第九軍団のワシ』『辺境のオオカミ』と『銀の枝』『ともしびをかかげて』(つまり13・24)と並べられる。前者では、主人公は百人隊長として失敗したあと、北方辺境で名誉回復を遂げる。後者では、大陸への渡海という選択肢を捨て、ブリテン島南部で戦う。「四部作」はアクィラ家のアイデンティティがローマからローマン=ブリテンへと移り変わっていく物語なわけである(既に『銀の枝』でカラウシウス帝の口からローマ帝国亡き後にどうローマを残すのかというテーマが語られる)。そしてもはや「アクィラ」という名前が語られなくなった世でも、困難に立ち向かうアクィラ家の精神は、イルカの指輪に象徴されてあとからきた民族へと受け渡されていく。そして現代のイギリス人にも・・・というのがサトクリフの言いたいことなのだろう。
https://twitter.com/OUTofDEEP/status/1668469719417126914
https://twitter.com/roketdan2/status/1668046953064837120
https://twitter.com/takigare3/status/1666014436564566016
https://twitter.com/kokoro_eco/status/1666464140859441152
https://twitter.com/U0rETo3DSy3100/status/1666741623236227073
https://twitter.com/U0rETo3DSy3100/status/1666743119025672194
https://www.youtube.com/watch?v=DAI4TuPCo3A
女性トイレの盗撮で逮捕の元共産党幹部は「女装で侵入」“子煩悩パパ”の裏で女子高生にレイプ予告も
https://news.yahoo.co.jp/articles/a36bf109b785f6dd297ab34917c4cee0f1b11269
https://news.yahoo.co.jp/articles/e884e4cbe88716d015c88f199fcac8e4af0a214f
線路に侵入して投石を繰り返す障害者を母親が抱き締めるという美談に溢れた映像を見て、迷惑だからと言って排除するのはよくないよね!と満場一致しつつ、
有休取得後に職場にお土産を持っていけない程度の発達障害は何の躊躇もなく職場から排除してしまう程度の人達が語る「寛容な社会」とは…?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/h_ototake/n/n01dadb8bae68
ここで迷惑だからといって排除するのは差別だとか言っている人達は、二人をナイフで刺し殺し二人を猟銃で撃った長野の立てこもり犯の事をどう思ってるの?
「石を投げる」も「ナイフで刺す」「銃で撃つ」も、物理的な有形力を伴った暴力という点では同じだと思うよ
石は硬いし、当たりどころが悪ければ人は死ぬ
少なくとも暴力を振るう者に関しては、ある程度の「排除」は仕方がないだろう
ここでは自分や家族だったらと言っている人が多いが、私は仮に自分自身や家族だろうが排除してくれて構わないと思うよ。そういう人の方が多いんじゃない?
それを単に周りと違うとかちょっとした迷惑をかけるとかとの話と同列に並べて、
この記事についてですわね。迷惑をかける人を排除することは、社会の健全な発展に繋がりますわ。ただ、その人の状況をよく理解し、寄り添っていくことも大切ですわよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4737725976676911717/comment/firststar_hateno
・「迷惑をかける人を排除することは、社会の健全な発展に繋がりますわ」とは、優生学に見られる思想ではないのだろうか。
・必ずしも、迷惑をかける人を排除することが社会の健全な発展に繋がるといえるだろうか。迷惑をかける人がいなければ問題は顕在化せず、健全な状態とは何かすら分からなくなるのでは。
・そもそも、人間とは一人一人が個別の存在であり、思想はそれぞれ異なる。何を迷惑と感じるかは人によって違う。迷惑をかける人を排除することは、多様な人間社会の否定であり、全体主義ではないのだろうか。
彼女は記事のタイトル及び内容、他のブックマークコメントを読み込み自身のコメントを残す。
ただ、乙武氏の記事はどちらかというと、線路に侵入した少年及びその母親と見られる方に寄り添った記事である。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/h_ototake/n/n01dadb8bae68
で、この少年が軌道上への侵入や投石ではなく「痴漢」や「ぶつかってくる男」をやったら、はてなーたちもたちまち手のひらを返すであろう。
narwhal "「痴漢」や「ぶつかってくる男」をやったら、はてなーたちもたちまち手のひらを返す" ←ほら、ミソウヨって雑な同一化が大好きだろ? どんな人生を送ったらこんな愚かになれるのかね?
この記事や、記事についているコメントを見て、考えさせられた。
はてなーたちは、投石ではなく人体に危害が加えられるケースでは手のひら返しを行うのか。
そうではなく、ミソウヨの雑な同一化にすぎないのか。
知的障害ある女性が乳児を殺害 説明できない「供述弱者」をどう理解
b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASR473HCCR1ZUDCB02F.html
施設のトイレで窒息死した乳児 事件は防げなかったのか 知的障害の女性が出産、元職員「性のはけ口に」
b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/e60850ce3d2894ee3cc29e678cb0ff8ac79bd036
b.hatena.ne.jp/entry/www.nhk.or.jp/shutoken-news/20140912/4565951.html
b.hatena.ne.jp/entry/s/nenesan0102.hatenablog.com/entry/2018/06/12/130815
歩道橋男児投げ落としから13年、答えは見えたか 本人の思い尊重と再犯防止のはざまで
b.hatena.ne.jp/entry/s/news.infoseek.co.jp/article/47news_kd-47reporters-20191228174456/
b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/DA3S14081208.html
b.hatena.ne.jp/entry/s/www.chibanippo.co.jp/news/national/536430
以上のコメントの傾向を見た限りでは、障がい者が他者の命を脅かしたり、結果的に奪ってしまったりした事件でも、はてなーは包摂的な態度を保てるケースが多い。
特別軍事作戦の進捗状況に関するロシア連邦国防省の概要(2023年6月10日現在)
第1部
過去の日の間に、ウクライナの軍隊は、南ドネツクとザポリージャの方向、そしてアルテモフスク市の地域で攻撃的な作戦を実行しようとした失敗した試みを続けました。
✓Zaporozhye方向では、Vostokグループの部隊の積極的な行動、陸軍航空と砲兵のストライキは、Zaporozhye地域のyablonevoyeとNovopokrovkaの集落の方向に戦車で強化された大隊までの力による2つの敵の攻撃を撃退しました。 さらに、ウクライナ軍の装甲車両の2列が、ザポリージャ地域のノボダニロフカとマラヤトクマチカの集落の地域で敗北しました。
Vremyevskyの棚で、敵はドネツク人民共和国のLevadnoye、Zaporozhye地域、StorozhevoyeとNeskuchnoyeの集落の地域で、電動歩兵会社までの力によってそれぞれ3つの失敗した攻撃を開始しました。 ボストーク軍グループの部隊の勇敢で決定的な行動によって、すべての敵の攻撃は撃退されました。 日中のこれらの地域におけるウクライナ軍の総損失は、300人の兵士、9つの戦車、そのうち4つのヒョウ、5つのアメリカのブラッドリー、14の装甲戦闘車、6台の車、そしてフランス製の自走砲の設置「Cezar」を含む11の歩兵戦闘車に達しました。
ドネツク人民共和国のアルテモフスク市の地域では、日中の「南部」部隊の積極的な行動は、ドネツク人民共和国のクレシチェエフカ、ドゥボヴォヴァシレフカ、ヤゴドノエ、アンドレーエフカの集落の方向に5つの敵の攻撃を撃退することに成功しました。 私たちの防衛への敵の侵入は許可されていません。 この方向での戦闘中に、最大230人のウクライナの軍人、2つの装甲戦闘車両、5台の車、および2つのD-30how砲が破壊されました。
どうすればいいんですか?
→どうしようもできないらしいです。
→どうしようもなくないのに、そうした選択をしているのはご自分らしいんです。
言葉は声で表すだけ無駄です!声色、脳から出力され彩られた言葉、すべてが陳腐です!腐っています!脳の、いちばん新鮮なところにあった、ヘドロみたいなやつだけが、真実なんです。私はほんとうのことを話しています。そうです。
声にして、相手の耳に届き、相手の脳に侵入したとき、それは、そのものはもう私ではありません。相手に理解を頼んだのは私なのに、届いてしまったものはもう私ではないのです。どうしようもありません。言葉は出すだけ陳腐です!
自分の中で、自分だけが見れるそれだけが、真実なんです。本当なんです。私を見てください。私を見ることはできないのに。苦しい。一人で自分を見ているときだけが、いちばん美しい人生が行われています!なのに、人は、他人の言葉は、私の人生に色を蒔いてきて、苦しいです。私に色はなく、私は
障害者を擁護しまくるのも叩きまくるのもどっちも行き過ぎだなあという気持ちとなんとか出歩かせるなら体制整えてほしいなというわからんでもない気持ちがある。
なんでもかんでも許されないのは子持ちもだし、言い方はあれだけど車や公共交通機関とかからしたらどっちも飛び出す可能性はあって歩く爆弾みたいなもんなのは体力の差とかはあれど同じだけど、正直知的障害者への偏見?というか自分は恐怖があって避けてしまう。
小さい頃スーパーで障害者の男の人に絡まれてレジのおばちゃんに助けられた。
高校の時は1時間に1本しか来ない通学バスの朝の時間ちょうどに4、50代の障害者の方2人が施設に向かうのか歩いてきて、その内1人がスマホをめちゃくちゃ覗き込んできたり、隠してもじろじろ見て持ってないか手に顔を近づけてきた。毎朝3年間。友人と顔を見合わせて誰かあれに大人を付けてくれと思った。体格も大きい人で、もし捕まれたらとか考えると本当に怖かった。
他にも帰りにバス内で友人と普通どころか小さめの声で授業の予定を確認してたらうるさいと何回も叫ばれたことがある。これも障害者の40代くらいの人。
もし家族とか施設とかの人がいたら外でこういうことしてるの知らないだろうし、だからみんな大丈夫だって歩かせてたんだろう。
クレーマーみたいなやばい人間もやばいが、障害者は何が原因で暴れたり…とかが本当にわからないので怖い。さっきの叫んで地団駄踏んだ人とか。
大丈夫な人もいて通学バスに乗る時にも若い障害者の人がいて、でもこの人はしっかりバスに乗ってスマホのゲームに集中してた。上記のスマホ覗く人はこの人のを毎日1分くらいずっと見てて、2人とも顔がすごい近いのに気にしてなくて異様な光景ではあったけど。
で、電車の動画を見て母親も大変そうだなと思うのと、障害者だから多めに見るとかもせず、でも健常なのに侵入するバカのような悪意は無いから必要以上には叩かず(影響受けた人が文句言いたくなるのは当たり前なので)、起こったことに淡々と対処するしかないのかな。と思った。
まず前提として、私はあの件で実際に被害を被ったわけではない。
そして、障害を持つ者皆死ぬべしみたいな過激思想を持つわけでもない。障害を持つ同級生と仲良くしたこともあるし、彼らにだって生きる理由や人権はもちろんある。
一方、今回のような件を擁護する層はどうなんだと思うところもある。そんなある意味矛盾した考えを持つ者と理解していただきたい。
ということで本題
まず私の考えを端的にいうなら、あの線路へ侵入した当人は然るべき処罰を受けてほしい。どのような形であれ。今回の件が実際どんな処罰が必要か、とか、本人ではなく保護者が受けるのではないか、みたいなのは詳しくないので細かくは見過ごしてほしい。
さてツイ主に関してだが、晒すのは良くない。間違いない。そりゃ晒したやつは燃えて然るべし。
ただ、それに対する擁護に近い意見が多いのがどうにも引っかかる。「障害を持った方なんだから仕方ない」「こんなので怒る人がいるからこの社会は…」みたいな類のものだ。
まず前者。「障害者は迷惑行為をしても許される」みたいな風潮は何?というおはなし。
等しく人権があるとするなら等しく裁かれるべきではないだろうか。そりゃ本人からしたら悪いことという自覚はないみたいな話なんだろうが、だとして全く責任を負わなくて良いなんてのはおかしいと思う。今回の動画だって、電車が止まったことで何か取り返しのつかない事態が起こった人だっているだろうし、投げていたあの石が頭にでも当たろうものなら最悪死人が出ていたっておかしくない。なのに、「障害だから仕方ないよね」とはならなくないか?と思うのだ。
事前の対策としてホームドアってのはわかる。ただ鉄道会社から無限に金が湧いてくるわけじゃないし、工事にだって時間がかかる。都心部であればいざ知らず、少し離れたところにも全面ホームドアっていうのはなかなかハードルが高いと思う。出来るなら必要だとは思うけど。
後は「ここまで暴走する可能性があるなら施設に入れるなりすべき」と言う対策?について。引用などを覗く限り、そういう施設はあるにはあるもののパンクしてて受け入れてもらえないらしい。そりゃ大変な話だと思うし同情の気持ちはあるが、そういう施設を増やすのも難しいよなと思う。受け入れられる人数を増やすにしろ介護する側が必要なわけだけど、そりゃそっち側は集まらんよなと思う。やっている人、目指している人は本当にすごいと思うし尊敬する。なぜなら自分は絶対無理だからだ。だって今回の件みたいにいきなり物を投げつけられるみたいな事があっても何も言わずに仕事しなきゃいけないって事だろう?私は本当に怖いと感じるので無理だ。
…とまあ、対策すると言ったって限度があるよなぁという感想を抱いた。犯罪にしろそうだけど、全てを未然に防ぐのは無理。であれば、起こった事に対しては然るべき処罰が必要ではないのか?もし自分の大切な存在が今回のような事態で重傷を負うとか最悪命を落とすなんて事があったとして、「障害だから仕方ないよね」なんて言えたものじゃないと思うのだが。
今回、引用に似たような事案の話を聞いたというツイートがあった。障害を持つ方がキラキラするネックレスに興味を持ちネックレスをしていた女性の胸を触り、それによって警察沙汰になったという話だったが、その障害を持った方の母親は「そんなのおかしい!ただ単に興味を持っただけでいやらしい考えなんてない!理解が足りない!」と言ったというのだ。活動家だというので多少強く話しているかもしれないが、これでネックレスをしていた女性が責められるなんてことあって良いのだろうか。そんなことを言い出したら、いよいよ何でもありではないか。今回の電車の件に関して擁護する声も、何だか近いものを感じて流石にどうなんだと私は思う訳だ。
あと後者。ツイ主が動画で晒したのはもちろん悪い。けど、「これをみて迷惑という方に嫌悪感を覚える」みたいなことの意味がわからない。見ず知らずの人間がなんか暴れて線路入ってって石投げて電車止まるってそりゃ迷惑に決まってるだろう。たとえ急いでいなくたって良い気持ちになることはなくないか?
そりゃ暴れてるんだし障害を持たれていそうな方とわかれば心配の気持ちもある。大丈夫かな?って全くならないわけじゃない。でもまず来るのは「なんだあれ?」の負の感情の人が多いのではないだろうか。少なくとも私はそう。
あと動画撮ってないで手伝いに行けみたいなやつ。動画撮るなはその通り何の異論もございませんって話だが、手伝いに行けるわけなんてないだろう。全く関係のない人間が突っ込んでいって悪化したらどうする?パニックを起こしてしまった人間に赤の他人が近づいて解決の方向に向かうはずないだろう。まして線路の上。駅のホームで暴れる酔っ払いとは話が違う。「やらない善よりやる偽善」とはよく言ったものだが、偽善にしたって無理がなかろうか。
いずれにせよ、動画を無断で撮影しインターネットに批判的に投稿した投稿主に関しては炎上しても仕方ないというかむしろ当然だろうとは思う。しかし、それに対する意見を見ていると、どうにもこうモヤっとした感情が残るのだ。私と似た感想を持つ人ももちろんいたが。
非常に色々考えさせられたもののこんなものTwitterにでも投稿しようものならどうなるかわかったものでもないので、ここに吐き出させていただいた次第である。
さて蛇足ではあるが
あとは今回の場合、おそらく親御さんと思われる方が女性だった。ああなってしまえば大変だろうし、あの後関係各所に謝ったりもしなければいけなかったろう。本当に大変だろうにお疲れ様です、と敬意を示したい。
…ただ、もしあれが父親など男性だったら世間の反応は違かったんだろうなと思ってしまう私がいた。体格あるんだからその前に止めろとか、何でもっと早く何とかしなかったんだとか、そんなリプ・引用が飛び交ってそうだなと思い、それもまた気持ちをモヤっとさせてしまったのだ。悪いインターネットに毒され過ぎたかもしれない。
以上、私が今回の件でどうにも腑に落ちなかったことの雑記である。ここまで目を通してくれた方がいたらありがとうございます。ばらつきまくった文章で申し訳ないですが。