はてなキーワード: ワーキングとは
まだ今日のタスクは終わっていなかったのだけれども、どうしてもこどもが布団に入る10分前に帰宅したかった・・別に朝会えばいいだけの話で、会いたいと思うのなら、寝付いたあとのこどもの顔をずっとみていたり、寝てしまっているこどもの手をつないで添い寝などをすればいいというのも一つの考えだと思う。だけども起きている娘に会わずに、そういったことで代償していて、少しずつ少しずつひずみが出て、自分の心ががたがたになったことをかつて経験している。だからどんなに仕事が大変でも無理をして、起きている娘に会い、精一杯抱きしめることにしている。これはまったく娘のためではなく、自分のため。
私は一部上場企業の会社員で、ワーキングマザーとしてはとても恵まれている類いなのではないかと思う。独身の男ばかりの職場なので、子持ちへの理解、配慮は全く無いに等しいけれども、一部上場企業の建前としてコンプライアンス云々があるので、産休育休は問題なく取得させてもらえる。産休育休をとったからといって、暗にいじめられることなどもない。帰ろうと思えば定時の17時に帰れる。(ほとんど帰れない。)だけど仮に毎日17時には上がれると仮定したとしても、可愛い盛りの子供に一日の大半を一緒に過ごすことができないのは、本当に苦痛。
子供に会えない苦痛にみんなよく耐えているなと思う。私たち夫婦のように、両親がどちらも地方在住で助けがほとんど得られない場合、お迎えもどちらかがいかないといけないわけだし、子供が病気ともなると、やりくりが本当に大変だ。
毎日毎日、もうこんな生活終わりにしたい。と思いながら生活している。子供は大好きだけど、生んだ後の保育園探し、育休中の周りに話をする大人がいない辛さ、職場復帰した後のしんどさを考えると、たぶん私たち夫婦の間に第二子は生まれないなと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20130809115823
http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20130809/p1
大学ではないが、受験で入った国立付属中学で文化的差異に驚愕した覚えがある。
それまでにピアノが引ける人の数がクラスに2人だったのが、いきなりほぼ全員になった。
ただ、付属内でもサラリーマン階級と資産家階級の文化差があって、
中学まで低学歴社会から抜けたため、個人的な怨恨はない。まぁそんなもんかなという印象。
彼らは彼らで楽しくやっているのだろうし、うちらも楽しくやれれば歓迎。
じゃあ何が問題なの?と問うてみる。
前提条件として、階級移動が少なくなった事情は抑えておくべき。
高度成長期までは社会階層時代の変動があったため、(一次産業比:戦後40%→20年後10%)
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5240.html
誰もが親よりも良い職業につくことができていたし、パイの成長自体もあって、
低所得層からの知的階層への参入がよりあった。おそらく今の50代くらいまで。
今ではそのどちらもがなくなったため、階級の固定化が進んでいる。
階級ごとに地域で分化し、違う階層との交わりを断つ方向へ流れている。
個人的にも、エントリを読んだら娘を公立に行かせるなんて出来ない。
http://luvlife.hatenablog.com/entry/2013/08/07/221155
階級化は進んでいるし、相互の交わりを持たない人も増えていることが想像される。
アメリカでは低所得層からの優秀な人材を登用できないこと自体が問題設定されている。
http://www.chikawatanabe.com/blog/2013/04/education_and_socioeconomics.html
大した評価軸を持たない日本ではどのような問題を設定するのか?
学者サイドでは、きちんと貧困問題と、再配分の問題として、定義し直すことができているが、
世論では格差が問題と言いつつ、格差への怨恨を憂さ晴らしして、終わることが、心配でならない。
馬鹿な若者に対して、強制的に教育せねばと徴兵制をねがい、http://togetter.com/li/545096
日本が勝ったと満足して、自尊心を満たすような、オナニープレイは見たくない。
そのために何をすべきかが、設定すべき問題なのかもしれない。
子どもの頃から母は家にいなかった。夜ご飯も即席なものばかり。仕事があるからといって家事はいい加減。
家庭ってそういうもんだと思っていたけど専業主婦のお母さんがいる彼氏ができたときに仰天した。
家はいつもピカピカだし、毎日の食事がしっかり作られていて美味しい。
子どもの頃から、ずっと憧れていたのは『家に帰るとお母さんが夜ごはんの支度をしていて、ただいまと言える家』だった。それを肯定し受け入れるまでにもの凄い葛藤があった。
今までのキャリアを捨てることに抵抗はあったし、今でも未練が無いわけではない。
だけどやっぱり、自分がいつも「お母さんもっと私をみてよ 一緒にいてよ」と思っていた幼少時代、子どもに同じ気持ちにさせたくはない。
私はワーキングマザーにはなれなかった。金銭的な余裕はあまりないけれどどうにか専業主婦として生活できる。
働きながらの育児をしている人は本当にすごいと思う。本当に尊敬する。
母は素晴らしいキャリアを持って、自信に満ちあふれ、仕事をし続けている。自分もそうなると思っていた。
葛藤しつつ毎日悶々と専業主婦をしていたけれど、そんなときに母から言われた、
「一番一緒にいてあげなきゃいけない時に、一緒にいられるならばそうしてあげなさい、私はできなかったのを今でも悔やんでるから」
その言葉に、自分のいまの生産性の無い毎日や養われて生活していることの後ろめたさを緩和させられた。
10年前は、10年後の私は働きながら子育てしてるワーキングマザーになっていると思っていた。
いつかまた働くことがあると思うけど、母のような働き方は多分しないだろうな。
自分の心に問うてみたら、幸せ度は相当に低まっていると言えてしまう実情。
好きな街に住み好きな仕事をして好きな仲間と好きな企画立てて遊びに行けた。
身近に大好きなことがいっぱいあって、それがあたり前だった。
そんな日はあたり前に続くと思っていたし
それでもまだ足りない、ぐらいに思っていた。
いま。
夫が作ってくれた夕飯を囲んでみんなでお風呂に入る。
もちろん、そのはずなんだけど。
なんでこんなに苦しいのか。
なんで心の奥がカラカラなのか。
でも、守ることをしなくちゃいけない。
この生活、家。
自由、仕事、みんな制限されたなかで繰り返す。
別人と認めざるを得ない。
どうしたら良かったんだろ?
どうしたらこの生活で充足感を得られるのか?
ステージは、変わったのか。
どんなに誇らしいだろうって羨ましく、まぶしい。
でもたぶんきっと
このアイデンティティークライシスをうまく乗り切ってきたとは思えない。
もっと話したい。肝据えてこれが私の選んだ生き方だと言いたい。
逡巡はまだまだ続く。
はてなユーザーの年齢が上がってきたからか、はてブのリニューアルで増田が注目されるようになったからか、最近、増田での恋愛・結婚系のエントリーが増えているように思う。ここ2週間で人気になったものをざっとチェックしてもこれだけある。
・仕事のできないワーキングマザー http://anond.hatelabo.jp/20130427144322
・仕事だって子供だって、捨ててもいいんだよ http://anond.hatelabo.jp/20130428063703
・どうしてそれが「イイ話」になるの? http://anond.hatelabo.jp/20130428084136
・嫁が2人目を妊娠した http://anond.hatelabo.jp/20130429143519
・夫とうまくいっていない。 http://anond.hatelabo.jp/20130502191601
・夫と今はうまくいっている http://anond.hatelabo.jp/20130503011108
・結婚に対するイメージが後ろ向き過ぎってのもあって生きたくないhttp://anond.hatelabo.jp/20130506141113
・わかってもらえないから家出した。もう疲れた。 http://anond.hatelabo.jp/20130506000653
・http://anond.hatelabo.jp/20130506205759 http://anond.hatelabo.jp/20130507101019
・夫が好きで好きでたまらない http://anond.hatelabo.jp/20130511201733
これまでのはてなの傾向からしたらこういったエントリーが人気になることはなかったのではないだろうか。増田の小町化だ。はてなが潰れずに、あと10年ぐらいすれば、更に小町化は進み、公園デビューでのトラブル、ベビーカーが疎まれた愚痴、PTA役員の押し付け合い、義理の両親の介護と相続での揉め事などが、増田でも話題になるのだろう。
そういう増田がもっと読みたいので、皆さん、もっと恋愛して、結婚して欲しい。
近藤社長もブクマしていることだし、これから小町化の流れは、はてなとしても狙っていってくれるということでしょうか!?
上に挙げたのは釣りと思われないものをピックアップしました。増田は検閲がないし、小町より釣り師が少ないし、釣りは分かりやすいものばかりだし、そういう点は小町よりいいなと思っていて、毎回楽しく拝読しています。
http://anond.hatelabo.jp/20130427144322
私は以前、「仕事の出来ないワーキングマザー」になるのが嫌で、すごく頑張った。
保育園の時間があるので残業も早出も出来ない。セキュリティ上の理由で仕事の持ち帰りも出来ないので、
とにかく業務中はフル回転。昼食を5分で詰め込んで仕事に戻る感じだった。
会社と反対方向にある病児保育を利用し、なんとか1時間程度の遅刻で済むようにしていた。
お風呂では魚釣りや水鉄砲でいっぱい遊んであげて、寝る前には必ず絵本を3冊読んであげた。
上記のことは、全て「やって当たり前」のことだと思っていた。
自分は、やるべき最低限のことをやっているだけ、決して誇れることではないし、まだまだ全然足りないと思っていた。
もちろん、普通に疲れたけれど、働いている以上疲れるのは当たり前だし、むしろ自分の疲れ方は生ぬるいほうだと思ってた。
安定期に入ってからの流産で、検査の結果、胎児に異常はなかったし、子宮の感染などもなかった。
おそらく、過労が原因だ。
次に妊娠することがあったら、胸を張って「仕事の出来ないワーキングマザー」になろうと思っている。
最近ワーキングマザーまわりの話やニュースを良く見聞きするけど、
こういうのを見るたび、焦るし、自己嫌悪になる。
インタビューで取り上げられるワーキングマザーはみんな、信じられないくらいすごい人々。
仕事が大好き、育児も手は抜かない、もちろん会社にも迷惑はかけられない、むしろもっと責任ある仕事だってしたい。
そんな高い志で、会社でも家庭でも、自分のミッションにフルコミットしてる感じ。
かっこいいなぁと思う。
でも自分にはなれないと思う。
仕事は大好きだし、時短勤務だからと言ってルーティーンワークばかりにして欲しいとは思っていない。
可能な限り、責任ある困難な仕事にも取り組みたいし、ステップアップもしていきたい。
ワーキングマザーだけが大変だとも思わない。むしろ我々はラッキーだと思う。
我々には「育児をしている」という分かりやすいレッテルがあるから、
早く帰っても、残業できなくても、「まああの人は仕方ない」と思ってもらえる。(諦めもあるだろうけど)
親の介護、精神疾患、身体が弱い…そんな状態でも、周囲には言えない・言わないで人知れず苦労している人も数多くいるだろう。
それを思うと、本当に恵まれていると思う。
でも、今こうしてワーキングマザーにスポットが当たっている世の中で、
「与えられた仕事を無難に定時までで仕上げて帰る人」ではなく、
(もちろん実際は与えられた仕事を定時に仕上げる事だけでも十分に大変なのだけど)
「限りある時間の中、仕事でも大いに能力を発揮し、もちろん家庭でも良き母・妻である人」が
ワーキングマザーとしてのあたりまえ・めざすべき姿、みたいになっていくようで、そうなれない自分が恥ずかしい。
産休を取るまでは、連日終電まで仕事、休日もPCを持ち帰る状態だった。
その分を時間で補うという気持ちがあったと思う。
実際、「○○さんは毎日遅くまで頑張ってるね、無理しすぎないようにね」と声をかけてくれる人も多かった。
でも今はそのやり方が通用しない。
何が何でも時間が来たら帰らなければいけない。
今まで何とか時間を使ってこなしてきた仕事も、今ではもう手に負えない。
「時間」というメッキがはがれた自分が、どんどん「仕事のできない人」になっていくのが分かる。
でも頑張ってごまかしていたつもりだったんだ。
仕事ができる人と、そうでない人もいる。
夫、25歳給料ぼちぼち 私よりは少ない
確かに、姪っ子甥っ子は可愛いと思う。
けれど、絶対に生みたくない!という強い気持ちも無い。
今なら まだどちらにも行けるのだと思う。
ただ、実家も遠いし
知り合いもほぼ居ないので
まず苦労するのは目に見えている。
今の
一人で好きな時に好きなことができる。
夫と二人で色々な所に出掛けられる。
状態に戻れないのも怖いし
twitterなどでは、繋がりがあって
幸せそうではあるが苦労されて疲れている様子を見ると
一方で
夫や夫の両親に
と、後になって言われるのが怖い。
そして、生んでから
「生まなければ良かった」
と、思ってしまうかもしれないことが
もっと怖い。恐怖。
きっと正解は無い。
追記。空白行消えて読みづらかったので修正した。
「子供生まなければ 価値が無い。結婚の意味も無い」という考えがあることには驚いたが
時間を決めてもう少しだけ迷っていようと思う。
同じように悩んでいた人は何がキカッケで、産んだ/産まなかったのだろうか。
僕は、全く話は変わるけど、
だから、ルームシェア始めたのは根本的に失敗だったと思ってる。
身を置くべき環境を間違えた。
何につけても思う。
自分でやれよ。
ごっこ遊びはもううんざりなんだ。
俺は自分のやり方でなんでもやりたい。
自分が良いと思った通りにやりたい。
そう、そして結局同居人たちというのは、
僕が家事においては他人と見なしてしまう程度の存在だったんだろう。
同居人の悪口を言いたいのではないよ。
これから、数年経ったのちに、会って飲もうよ、なんてことには100%ならないと。
確信をもって言える。
残るのは、ファッションとしての生活。
変に理想的なものとして編集された、青春の1ページとかいう、ごっこみたいな生活。
あの頃はルームシェアなんてしてたんだぜ、
若かったよなぁ、どうだい、うらやましいだろう?
…思い出のよすが。ファッションとしての思い出。
自分が今まで抱いていた甘い幻想ってやつに、今ははっきりと気づいて、反吐が出そうだ。
ルームシェアやっててよかったこと…?
家賃が安い?そんな。そこまで魅力的ではない額、毎月払ってるよ。
唯一、広い家にすめるというだけは取り柄だけど、そんなものは学生らしく、というか自分らしく、
そんなものに憧れていたのかな。現実は想像と、ほど遠いものだったよ。
新しいライフスタイル?とかそういう幻想みたいなもんに浸って、自分と向き合う時間が減った。
そんな風にしてへらへらと日々を過ごすことに、もう飽き飽きしてきた。
ぬるい関係だよ。何を言っても誰かが反応してくれる。
反応しなきゃいけない空気感みたいなものも、嘘っぱちだと思う。
いってきます、なんて、ただいま、なんて、言いたくない。
やめてくれ。そんなへんな親近感。
同じ家に住んでるからってだけで、僕たちはファミリーでもなんでもない。
お互いがお互いを尊重し合える状態。ある一定の緊張感。そういう意味でのドライ感。
長く一緒にいるというのは、なかなかどうして難しいことで、なれ合いが始まる。
自滅していったんだ。
僕の言葉はどんどん軽くなっていった。
でもそうなったからこそ言える。
身を置く場所を間違えたと。
変にお互い探り合って、たまにぶっちゃけ話をした気になって、さらっと満足を得る。
違う。少なくとも今、僕はそうじゃない。
あんだけ落ち込んでいた去年の3月頃の僕は、ルームシェアにすごく期待してた。胸高鳴らせてた。
さあ、新しい生活始まるぞ。って。
蓋を開けてみれば、なんてことはない。
回り回って、今年の3月頃の落ち込んでいる僕と巡り会うことになった。
物事は、なにも、なにも解決していなかった。
物事は、自分で、ケリをつけるべき物事だった。
一緒に住み始めて、環境が変わったところで、自分と向き合わなければ、何も始まらなかった。
ここにあるのは、社交性とか表現の場としての社会の入り口でもなんでもなかった。
趣味や嗜好が変わったかって、まったくそんなことはなかったよ。
新しい発見、あったようで、なかったよ。
趣味とか何かを発見するとかそんなの、僕はルームシェアやる前から持ってただろ。
一人で煮詰めてくべきだったよ。
ノイズが多すぎた。
この1年半の生活、いやその前から、ルームシェアしようよなんて言い出したときから
すっかり僕の眼は、濁ってしまったようだ。
表層的なやりとり、うんざりだ。
料理やって、自分が美味しい、これで良いと思えないもの食べて、
そんでもありがとうなんて言わなきゃいけない関係にうんざりだ。
本当の喜びも、本当の悲しみも、分かちあえないぬるさにうんざりだ。
結局、一緒にすむ程度で、体験や経験を分かち合うことなんて出来ない。
薄まってしまった。
ルームシェアで学んだものは、シェアできないものの尊さだった。
土曜日に品川であったコワーキングカンファレンスってのに行ってきた。
会社づとめしながら自分のサービスをやりたくて自宅で夜と休みにコツコツ開発続けてるんだけど、
コワーキングスペースでそういう仲間が見つかってサービスインしました、みたいな話を聞いて、ちょっと期待して行ってみた。
結論から言うと、行ってみてがっかりした。休日を無駄にした。その時間を開発に使ってたほうがどれだけ良かったか。
カンファレンスだっていうから行ってみたら人多すぎで全然整理されてない。なんか酒飲んで酔っ払ってるやつもいる。
トイレの場所をスタッフに聞いても的を得ない答えが帰ってくるし、スタッフによって答えがてんでバラバラ。
ちょっと喉乾いたなと思って持ってたペットボトルのお茶飲んでたら飲食禁止だっていうし。おいおいちょっと待てよ、おまえら酒飲んでるやろ。
最後にはなんかコワーキング最高!とかみんなで叫んでる。あの、俺今日初めてきて、最高かどうかなんてわかんないんすけど。
見てて、すごく内輪で盛り上がっている人たちと、そうじゃない人たちに分かれていた。当然俺は後者ね。
結局、コワーキングで仲間見つけて何かやりたいってなったら、その内輪に入っていかなきゃならないのかな。
だとしたら俺は嫌だわ。何が21世紀の働き方だよ嘘くせえ。過去に退行しきったムラ社会じゃねーか。
やっぱり俺はぼっちでシコシコ開発続けるわ。
http://anond.hatelabo.jp/20120407162253 に便乗して。
それなりに大きなとある会社のプログラマだけど、うちの会社のビルドシステムがおかしい気がする
あまりにも原始的なので違和感を感じるんだけど、自分にビルドシステムに対する知識が圧倒的に不足しているので、今やってる作業に本当に意味があるのかよく分からない。詳しい人に教えてもらいたい。
手動でコピーするからよく事故が発生するし、同じファイルが複数箇所にあるので全然履歴が追えない。
あと、中間ファイルや実行ファイル(.o とか .so とか) も含めてごちゃまぜにチェックインされているので、もっと訳がわからなくなってる。
「ビルドは成功しないのが当たり前」とかいう人ばかりで、正直発狂しそうになる
フォルダツリーがわかりづらいと思うので図を書くと
/ Main/ -- 共通ファイルディレクトリ foo/ bar.c driver/ common.c ProductA/ foo/ bar.c -- ProductA 用の変更が入ってる baz.c -- ProductA 専用ファイル driver/ common.c ProductA_Orig/ -- ProductA/ 内の ProductA用ファイルが丸々入ってる foo/ bar.c baz.c ProductB/ foo/ bar.c -- Main と全く同じ driver/ common.c ProductC/ foo/ bar.c driver/hoge.c ProductC_Orig/ driver/hoge.c
こんな感じになっていて、共通部分は Main/ の中とそれぞれの ProductA, ProductB, ... ディレクトリの中にすべてコピーされている。
チェックインするときはすべてのファイル、例えば bar.c を更新したら Main, ProductA, ProductB, ProductC の bar.c を手動で更新する必要がある。
ビルドするときは Main/ のファイルを ProductA/ にコピーして、 ProductA_Orig/ の中の機種依存ファイルをさらに ProductA/ にコピーする。これは、同名のファイルが Main にもあって、 ProductA のファイルが上書きされるかららしい。
ビルドできないので、最後の最後まで結合テストが出来ずに、みんなローカルPCで開発してる。誰かのPCが吹っ飛ぶとその人が開発していた差分が消失する。
「ツリーを共通部分と依存部分きちんと分けて、ビルド自動化しましょうよ」って上長に提案したら「この会社はこれでやってる。むしろバイナリが入っているのでビルドできなくてもテストできる」という感じであまり真面目に取り合ってもらえなかった。
272 :名無しさん@引く手あまた:2012/03/07(水) 01:07:37.91 ID:ycorXG6u0
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手間がかかり一人でできない 売る場所もない 金にならない 使い捨てられ続け 生きれない ずっと奴隷仕様のままだ ここから抜け出すにはiphone一択 またはWindow 8 Metro App Store(未確) C#
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