僕は、全く話は変わるけど、
だから、ルームシェア始めたのは根本的に失敗だったと思ってる。
身を置くべき環境を間違えた。
何につけても思う。
自分でやれよ。
ごっこ遊びはもううんざりなんだ。
俺は自分のやり方でなんでもやりたい。
自分が良いと思った通りにやりたい。
そう、そして結局同居人たちというのは、
僕が家事においては他人と見なしてしまう程度の存在だったんだろう。
同居人の悪口を言いたいのではないよ。
これから、数年経ったのちに、会って飲もうよ、なんてことには100%ならないと。
確信をもって言える。
残るのは、ファッションとしての生活。
変に理想的なものとして編集された、青春の1ページとかいう、ごっこみたいな生活。
あの頃はルームシェアなんてしてたんだぜ、
若かったよなぁ、どうだい、うらやましいだろう?
…思い出のよすが。ファッションとしての思い出。
自分が今まで抱いていた甘い幻想ってやつに、今ははっきりと気づいて、反吐が出そうだ。
ルームシェアやっててよかったこと…?
家賃が安い?そんな。そこまで魅力的ではない額、毎月払ってるよ。
唯一、広い家にすめるというだけは取り柄だけど、そんなものは学生らしく、というか自分らしく、
そんなものに憧れていたのかな。現実は想像と、ほど遠いものだったよ。
新しいライフスタイル?とかそういう幻想みたいなもんに浸って、自分と向き合う時間が減った。
そんな風にしてへらへらと日々を過ごすことに、もう飽き飽きしてきた。
ぬるい関係だよ。何を言っても誰かが反応してくれる。
反応しなきゃいけない空気感みたいなものも、嘘っぱちだと思う。
いってきます、なんて、ただいま、なんて、言いたくない。
やめてくれ。そんなへんな親近感。
同じ家に住んでるからってだけで、僕たちはファミリーでもなんでもない。
お互いがお互いを尊重し合える状態。ある一定の緊張感。そういう意味でのドライ感。
長く一緒にいるというのは、なかなかどうして難しいことで、なれ合いが始まる。
自滅していったんだ。
僕の言葉はどんどん軽くなっていった。
でもそうなったからこそ言える。
身を置く場所を間違えたと。
変にお互い探り合って、たまにぶっちゃけ話をした気になって、さらっと満足を得る。
違う。少なくとも今、僕はそうじゃない。
あんだけ落ち込んでいた去年の3月頃の僕は、ルームシェアにすごく期待してた。胸高鳴らせてた。
さあ、新しい生活始まるぞ。って。
蓋を開けてみれば、なんてことはない。
回り回って、今年の3月頃の落ち込んでいる僕と巡り会うことになった。
物事は、なにも、なにも解決していなかった。
物事は、自分で、ケリをつけるべき物事だった。
一緒に住み始めて、環境が変わったところで、自分と向き合わなければ、何も始まらなかった。
ここにあるのは、社交性とか表現の場としての社会の入り口でもなんでもなかった。
趣味や嗜好が変わったかって、まったくそんなことはなかったよ。
新しい発見、あったようで、なかったよ。
趣味とか何かを発見するとかそんなの、僕はルームシェアやる前から持ってただろ。
一人で煮詰めてくべきだったよ。
ノイズが多すぎた。
この1年半の生活、いやその前から、ルームシェアしようよなんて言い出したときから
すっかり僕の眼は、濁ってしまったようだ。
表層的なやりとり、うんざりだ。
料理やって、自分が美味しい、これで良いと思えないもの食べて、
そんでもありがとうなんて言わなきゃいけない関係にうんざりだ。
本当の喜びも、本当の悲しみも、分かちあえないぬるさにうんざりだ。
結局、一緒にすむ程度で、体験や経験を分かち合うことなんて出来ない。
薄まってしまった。
ルームシェアで学んだものは、シェアできないものの尊さだった。
ブックマーク3ぐらい リライト
自分に酔いすぎ
特徴4
まあ、緊急時にしか役に立たない民間とのパイプ役の族議員は 民主党政権下では小沢氏の役割だったからね。 それが真っ先に雲隠れしたんだから政治的決断もあったもんじゃなかったん...