はてなキーワード: プラットフォーマーとは
今年前半、紙メディアやTV局のウェブメディアの仕事をしていてわかったこと。
ヤフーニュースはPVに応じて、記事提供元がお金もらえる仕組み。
つまりヤフーニュースでバズればPV増えて、その記事提供元がPVに応じてお金を貰える。
かつトラフィックバックもあるので、自社サイトに集客しGoogleの広告収入を得ることもできる。
ヤフコメが酷いという話はよく聞くけど、これって記事提供元が意図的にヤフコメが増えるようなゴキブリ記事作って、PV増えるような酷い炎上コンテンツがそもそもの原因なんだよな。
ちなみにヤフーニュースの提供元はTV局や新聞社、出版社などなど。
DX音痴集団で、本業死亡企業集団だから、ヤフーからの収入が馬鹿にならずモラル崩壊でやっている。
自浄作用もないし、自分たちの襟を正せる脳みそある人達ではないから最近ますますひどくなっている。
昨今の小室圭さんのコンテンツを見ていると、不合格がどうこうとかプライバシー侵害にもほどがあるのでは。
小室圭さんというより親の問題だし。それにもかかわらず叩き続けているし。
もはや、それを判断する脳みそも旧メディア連中にはないのかもしれない。
どこの記事提供元とかはいわずもがなだけど、しつこく小室圭さんをストーキングするネタで稼ぐって人間のモラルとしてどうなんだろうね。
小室圭さん以外にも自殺した芸能人のネタをしつこく書いたりもしていたりするしね。
ヤフーもプラットフォーマーの責任あるし、金が儲かると言っても、ゴキブリ未満の連中を強制的に追い出してもいいんじゃねーの。
ほぼ出尽くしたって感じがするけれど...
「地下鉄に乗って(メトロに乗って)」という映画を見たら、昔の地下鉄がどんな感じだったかわかると思う。
あの頃は何もしない時間を楽しむみたいなことがずっとできたんだと思う。
多分、考え事をしたり、ぼーっとしたり、寝たりしてたんだと思う。あとは複数でいたらおしゃべりしてたね。
駅のキオスクは最近では絶滅危惧種なのかもしれないが、そこで本、雑誌、新聞、菓子が売られているので、それを車内で消費していた。
特に、中吊り広告は頻繁に変わるから、あれを読んでいるだけでも退屈しなかった。
停車中の数分で作業員がやってきてさっさと変えていくのって見たことない?
ポータブル音楽プレイヤーが出てからは音楽聞いている人がいて、音漏れが問題になったこともあった。
...おっちゃんが電車に乗り始めたのがこの辺なので、上がどういう順番でやってきたかは実はよくわからない。
あの頃はただただ、満員電車に耐えている人多数、一部の立っているが外側をゲットできた人、座れた人が新聞や本を読むという感じだった。
座れた人にはノートパソコンを開いて作業している人もいた...かな。
電車内では狭くて新聞を広げられないので、新聞を立てに4つ折りにして、読むのが普通だったね。
押し屋とか剥がし屋とかが必要な電車に乗ったことある?あの状況で大半の人は乗った後に身動き取れないから、ただただ状況に耐えるって感じだよね。
2Gで携帯メールができるようになってからはメール送っている人もそこそこいただろうね。
ガラケーにワンセグが乗ってからはワンセグを見ている人もいた。
あと、ポータブルビデオプレーヤーやガラケーの動画再生機能で動画を見ている人もいたね。
このころの日本のガラケーは世界最先端だったけれど、プラットフォーマーとしての世界戦略を確立できず、Appleに持ってかれたねって感じ。
3Gのガラケーが出たくらいから今みたいな流れがあったと思う。
最先端が好きな人はいろんなガラケーアプリを入れて楽しんでた。
ガラケーでゲームしている人もまあまあいたし、それぞれのキャリアが作ったサイトの情報を見る人もまあまあいた。
iPhone 3Gがソフトバンクから発売されたら、最先端好きな人がそれに飛びついた。
今や「えーマジガラケー!?キモーイ」「ガラケーが許されるのは小学生までだよね」「キャハハハハハ」 みたいな感じになってしまった。
我々の会社ではバズとは?マーケティングとは?パブリックリレーションとは?という事を常に考え、
最新動向にキャッチアップし、そのノウハウおよびナレッジを蓄積しております。
人々を「熱狂」させるためにはどういった仕掛けづくりが必要であるかということに強い関心があり、
日本ひいては世界を興奮させるコンテンツ作りに日々いそしんでおります。
我々はまさにSNSバズマーケティングのスペシャリストなのです。
昨今ではTikTokやInstagramをはじめとする若者に主流のSNSにおいて我々の確固たるプレゼンスが示されておりますが、
我々はさらなる挑戦として、我々自身がプラットフォーマーとなるべく
我々のもつ高水準のクリエイティブナレッジおよびテクノロジーを集結させ、2021年に新感覚コミュニティアプリ「ドリアン」をリリース致しました。
ドリアンのコンセプトは多岐にわたりますが、今回はその中でも最も重要な要素である「一人一人がクリエイターである」ことについて解説していきます。
およそ四半世紀ほど前まで「クリエイター」「アーティスト」という存在はある種の特権階級にあり、アートは一部の人間にのみ扱えるものでした。
しかしながら90年代後半インターネットの普及により、自己表現の場が解放され、ウェブという市井のミュージアムが誕生しました。
一方でその時分は未だ黎明期にあり、参入障壁は以前として高く、「クリエイティブの完全なデモクラシー」が実現されたとまでは言えない状況でした。
ところが2010年代より、スマートフォンの急速な普及によって、その壁はどんどん取り壊されていきました。
「アート」「クリエイティブ」はさらに民衆に開放されていったのです。
この移り変わりを象徴するものとして「インフルエンサー」という言葉があります。
原義は「影響力のある人間」ですが、今では「クリエイター」「アーティスト」とほとんど同じ意味として用いられ、「アート」「クリエイティブ」を委ねられた者として、尊敬を集めています。
インフルエンサーはその勢力をどんどん拡大しており、現在では全人口のおよそ5人に1人が何らかのインフルエンサーとして活躍しています。
年齢やバックグラウンドも多種多様で、一見すると「クリエイティブの完全なデモクラシー」が果たされたかのようにも見えます。
我々は残りの人間の悲痛な叫びに耳を傾けなければなりません。その叫びはインフルエンサーのSNSのコメント欄で聞く事ができます。
2020年、我々は「クリエイティブ」「アート」のスペシャリストとして改革を迫られました。
「クリエイティブの完全なデモクラシー」の実現に向け、そのソリューションの初手として「クリエイティブ」の「再定義」に取り組みます。
――――誰もが生み出せる、あるいは生み出しているクリエイティブとは何か?
「クリエイティブ」を「再定義」するためにはこの大いなる問題に立ち向かわなければなりません。
スフィンクスを倒し、一部の特権階級に与えられている王冠を奪取するのです。
この問題の解を求めるにあたって、私は自分自身の日々の生活を振り返りました。
もしその中で「クリエイティブ」の片鱗を認める事ができれば、それは我々の進むべき道を照らす大いなる光となるはずだと考えたからです。
日々の生活を振り返ったところで日中はパソコンをただひたすらいじるか、会議でしゃべる事を考えるかのいずれの行為しかしておらず、
私は一度ならず、自慰によって産み出される精液を「クリエイティブなのではないか?」「精液こそクリエイティブを『再定義』するものなのではないか?」と考えました。
しかしながら精液を創出する瞬間は類い稀な恍惚と快感を味わうものの、出してしまうと後には倦怠が残るだけで精液それ自体にはいずれの「クリエイティビティ」を認めることもできませんでした。
「何かの間違いではないか?」と思い、より良い創出に向けさらにFanzaに課金しましたが、やはり結果は変わることがありませんでした。
精液は、我々の「再定義」の道を照らす光ではなくいつも白濁とした光を我々に投げかけます。
(一方で、精液はクリエイティブではないとも言い切れないので、精液の放出については持続的に取り組んでいきたいと考えています。)
私は暗い日々を幾日も過ごしました。
マジックミラー号の室内くらい明るく、開放的な気持ちになりたいと願わない日はありませんでした。
そんな時です。
私は、お昼ごはんのあとに、便所で排便する習慣がありますが、その日私は余りにも見事な一本糞をひりだしました。
存在感のある太さで、長さにいたっては折り返さないと便器に収まりきらないほどでした。
まるで大蛇のように威風堂々としており、私は自分自身が産み出した一本糞に圧倒されました。
そして私ははっとしました。とうとう「クリエイティブ」の「再定義」を見つけた事に気が付いたのです!
他でもなく「大便」ことまさに人類の至上の「クリエイティブ」だったのです!
なんぴとも排便を独占することはできません。排便こそ真に開かれた創造です。
私は、自分の日々の生活を振り返ったとき、その大半をデスクワークに費やしている事に気づかされますが、
長時間この体勢を維持する事によってはじめて我々は形の良い大便をひりだせるのです。
喜びに打ちひしがれている私にその大蛇のような一本糞が語りかけました。
「あなた方が知恵の実を食べる事を禁じられているのは、その実はあなた方に智慧(クリエイティビティ)を与えるものだからです。智慧の実を解放しなさい。」
この啓示を受け、我々は「クリエイティブの完全なデモクラシー」の実現を果たす智慧の実「ドリアン」の開発を急ぎます。
そして一本糞の黒々とした光に導かれ、2021年に「ドリアン」というアプリを遂にリリースします。
――――2021年10月現在、リリースからしばらくたち、今ではドリアンには多くの「クリエイター」が切磋琢磨する場として広く認知されています。日本発のアプリとしてはまさに快挙といえるでしょう。
ドリアンではユーザー発のイベントである「一本糞グランプリ」の開催や、「今トイレでうんこしてまーす」といった報告により空前絶後の盛り上がりを見せています。
もし、この文章をお読みの皆様の中で、未だクリエイター、アーティスト、インフルエンサーではない方がいらっしゃいましたら、ぜひドリアンを訪れてみてください。
我々の会社ではバズとは?マーケティングとは?パブリックリレーションとは?という事を常に考え、
最新動向にキャッチアップし、そのノウハウおよびナレッジを蓄積しております。
人々を「熱狂」させるためにはどういった仕掛けづくりが必要であるかということに強い関心があり、
日本ひいては世界を興奮させるコンテンツ作りに日々いそしんでおります。
我々はまさにSNSバズマーケティングのスペシャリストなのです。
昨今ではTikTokやInstagramをはじめとする若者に主流のSNSにおいて我々の確固たるプレゼンスが示されておりますが、
我々はさらなる挑戦として、我々自身がプラットフォーマーとなるべく
我々のもつ高水準のクリエイティブナレッジおよびテクノロジーを集結させ、2021年に新感覚コミュニティアプリ「ドリアン」をリリース致しました。
ドリアンのコンセプトは多岐にわたりますが、今回はその中でも最も重要な要素である「一人一人がクリエイターである」ことについて解説していきます。
およそ四半世紀ほど前まで「クリエイター」「アーティスト」という存在はある種の特権階級にあり、アートは一部の人間にのみ扱えるものでした。
しかしながら90年代後半インターネットの普及により、自己表現の場が解放され、ウェブという市井のミュージアムが誕生しました。
一方でその時分は未だ黎明期にあり、参入障壁は以前として高く、「クリエイティブの完全なデモクラシー」が実現されたとまでは言えない状況でした。
ところが2010年代より、スマートフォンの急速な普及によって、その壁はどんどん取り壊されていきました。
「アート」「クリエイティブ」はさらに民衆に開放されていったのです。
この移り変わりを象徴するものとして「インフルエンサー」という言葉があります。
原義は「影響力のある人間」ですが、今では「クリエイター」「アーティスト」とほとんど同じ意味として用いられ、「アート」「クリエイティブ」を委ねられた者として、尊敬を集めています。
インフルエンサーはその勢力をどんどん拡大しており、現在では全人口のおよそ5人に1人が何らかのインフルエンサーとして活躍しています。
年齢やバックグラウンドも多種多様で、一見すると「クリエイティブの完全なデモクラシー」が果たされたかのようにも見えます。
我々は残りの人間の悲痛な叫びに耳を傾けなければなりません。その叫びはインフルエンサーのSNSのコメント欄で聞く事ができます。
2020年、我々は「クリエイティブ」「アート」のスペシャリストとして改革を迫られました。
「クリエイティブの完全なデモクラシー」の実現に向け、そのソリューションの初手として「クリエイティブ」の「再定義」に取り組みます。
――――誰もが生み出せる、あるいは生み出しているクリエイティブとは何か?
「クリエイティブ」を「再定義」するためにはこの大いなる問題に立ち向かわなければなりません。
スフィンクスを倒し、一部の特権階級に与えられている王冠を奪取するのです。
この問題の解を求めるにあたって、私は自分自身の日々の生活を振り返りました。
もしその中で「クリエイティブ」の片鱗を認める事ができれば、それは我々の進むべき道を照らす大いなる光となるはずだと考えたからです。
日々の生活を振り返ったところで日中はパソコンをただひたすらいじるか、会議でしゃべる事を考えるかのいずれの行為しかしておらず、
私は一度ならず、自慰によって産み出される精液を「クリエイティブなのではないか?」「精液こそクリエイティブを『再定義』するものなのではないか?」と考えました。
しかしながら精液を創出する瞬間は類い稀な恍惚と快感を味わうものの、出してしまうと後には倦怠が残るだけで精液それ自体にはいずれの「クリエイティビティ」を認めることもできませんでした。
「何かの間違いではないか?」と思い、より良い創出に向けさらにFanzaに課金しましたが、やはり結果は変わることがありませんでした。
精液は、我々の「再定義」の道を照らす光ではなくいつも白濁とした光を我々に投げかけます。
(一方で、精液はクリエイティブではないとも言い切れないので、精液の放出については持続的に取り組んでいきたいと考えています。)
私は暗い日々を幾日も過ごしました。
マジックミラー号の室内くらい明るく、開放的な気持ちになりたいと願わない日はありませんでした。
そんな時です。
私は、お昼ごはんのあとに、便所で排便する習慣がありますが、その日私は余りにも見事な一本糞をひりだしました。
存在感のある太さで、長さにいたっては折り返さないと便器に収まりきらないほどでした。
まるで大蛇のように威風堂々としており、私は自分自身が産み出した一本糞に圧倒されました。
そして私ははっとしました。とうとう「クリエイティブ」の「再定義」を見つけた事に気が付いたのです!
他でもなく「大便」ことまさに人類の至上の「クリエイティブ」だったのです!
なんぴとも排便を独占することはできません。排便こそ真に開かれた創造です。
私は、自分の日々の生活を振り返ったとき、その大半をデスクワークに費やしている事に気づかされますが、
長時間この体勢を維持する事によってはじめて我々は形の良い大便をひりだせるのです。
喜びに打ちひしがれている私にその大蛇のような一本糞が語りかけました。
「あなた方が知恵の実を食べる事を禁じられているのは、その実はあなた方に智慧(クリエイティビティ)を与えるものだからです。智慧の実を解放しなさい。」
この啓示を受け、我々は「クリエイティブの完全なデモクラシー」の実現を果たす智慧の実「ドリアン」の開発を急ぎます。
そして一本糞の黒々とした光に導かれ、2021年に「ドリアン」というアプリを遂にリリースします。
――――2021年10月現在、リリースからしばらくたち、今ではドリアンには多くの「クリエイター」が切磋琢磨する場として広く認知されています。日本発のアプリとしてはまさに快挙といえるでしょう。
ドリアンではユーザー発のイベントである「一本糞グランプリ」の開催や、「今トイレでうんこしてまーす」といった報告により空前絶後の盛り上がりを見せています。
もし、この文章をお読みの皆様の中で、未だクリエイター、アーティスト、インフルエンサーではない方がいらっしゃいましたら、ぜひドリアンを訪れてみてください。
結論から言うと受発注の関係性でアジャイル開発やるのは完全に間違えてる
スプリントのスピードが速すぎて発注側の意思決定が間に合わない
評価用のボタンを作成するときにGood/BadにするかGood/Normal/Badにするかを決めるだけで2週間かかる
本来なら意思決定者がミーティングに出て欲しいが日本企業は権限委譲しない会社ばかりなので
最終決定は上役の偉い人になるが、そういう人はなかなか捕まらないので意思決定が遅くなる
「意思決定を早くしよう」ということでミーティング時間を10分に制限するとか意味不明なことをしてる
スプリントレビューを行うときに発注側が「こういう機能が欲しい」と言っても
受注側がそれを実現できる自信が無いとYesと言わない
もちろんその場ではTaskとして上げておいて「実際には出来ませんでした」っていうのを許容するのがアジャイルだと思うが
受発注の関係性があるとどうしてもネガティブなことはやりたがらない
はっきりとNoとは言わないが「ここのDBが」とか「このAPIが」とか予防線を張りまくる
結果としては制約が多すぎて
「これじゃぁExcelで良かったな」
っていうことになりがち
当たり前だがウォーターフォールでの開発はとっくに時代遅れだし競争のスタートラインに立てない
逆に言うと競争が無い世界での開発ならウォーターフォールでいいだろう
そして日本企業はこれまで競争が無い分野でのソフトウェア開発ばかりに従事してた
プラットフォーマーが競争しないように規制してたりして開発してきた
https://www.asahi.com/articles/ASP6275B2P62DIFI00M.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASP6275B2P62DIFI00M.html
shusei10p 軽いつもりで見始めたYouTubeに影響を受けて犯罪者に…これは色んな方面で見直されるべき案件(全世代への情報リテラシー教育、差別の取り扱いの法整備、プラットフォーマーのコンテンツ管理などなど…)
記事をちょっと位読めば誰でも理解できるが、原告の男性(73)は純粋に愛知県知事リコール運動の署名活動に参加していただけである。
河村たかし氏らの思想に同調して愛知県知事が嫌いになること自体は何ら犯罪ではなく、考え方自体は思想信条の自由であり当然合法。
不正署名に係ることなくリコール運動を正当に行うこと自体は国民に認められた権利ですらある。
shusei10p氏は一体何を根拠に犯罪者などと罵っているのか不思議である。
本文なんて読まずバカにしたいだけで愛知県知事リコール関係者=犯罪者と結び付けたんだろうか。
お前こそ情報リテラシー教育を真っ先に受けた方がいいよ。ばーか。
スター付けたカスのてめーら、記事くらい読んで日本語を理解する能力を身につけようね。ばーーーーか
rgfxさん がスターを付けました。
graynoraさん がスターを付けました。
kuroi122さん がスターを付けました。
Panthera_unciaさん がスターを付けました。
J_J_Rさん がスターを付けました。
pikopikopanさん がスターを付けました。
greencoffeemakerさん がスターを付けました。
morikakeokawariさん がスターを付けました。
zakkichoさん がスターを付けました。
きちんとした取材をしようとすると費用がかかるが、フェイクニュースはそれに比べれば費用はかからない。
有料ニュースサイトの記事は読めないが、フェイクニュースは無料で読めるので拡散する。
オープンソースも持続しなくなってきた。
管理をしなくなればすぐに使われなくなったり、マルウェアの餌食になる。
有名なオープンソースでも開発費を維持できず、寄付を募ったりでなんとかしのいでいるが、金策をなんとかするのに労力がかかる。
それでいてAmazonが実装すると、Amazonにはお金が流れるがオープンソース開発元には直接お金は流れない。
広告もひどくなってきた。
YouTubeプレミアムのようにお金を払わなければいくらでも広告を表示してもいい、というふうになったし、
その広告すら詐欺まがいのものでも表示されるし、お金を払ってなければいくらでも酷い広告を表示してもいいとなっている。
ターゲッティング広告だと個人情報をトレースするのを禁止したのだから、酷い広告を表示してもいいという論理になっている。
ネットはどんどん酷い場になっていく。
酷い場になればなるほど、GoogleやFacebookの一部のサイトの中に閉じこもらないと安全ではないとなる。
検索エンジンとしてのGoogleは、いかにGoogleという検索サイトから他のサイトに移動させるかが使命だった。
いつの間にかGoogleは色んなジャンルを買収し、Googleの中で閉じるようになった。
ネットが酷い場になればなるほど、人々はGoogleの中に閉じこもることになる。
広告で無料で使えるというのが増え、無料で利用できるのが当たり前になり、適正価格というのがわかりにくくなった。
自分がお金を払わなくても、誰かがお金を払っているから維持出来ているとか、裏でデータを売って稼いでいるとか、そういう認識になっていく。
実際そういうことをしないと食っていけないのもどうかと思うし、倫理観からやっていなければ馬鹿を見る。
クリエイターに優しいようでいて優しくもなくなっている。
ミュージシャンはYouTubeくらいしかMVを上げて効果のある場所はなくなっているが、YouTubeに上げると無料でMVから音楽部分だけを抜き取ってYouTube Musicで聴かれる。
サブスクリプションを解禁していないアーティストも、どこかの誰かがYouTubeに上げた楽曲が聴ける状態だった。
結局、曲を売るだけでは食って行けず、ライブでグッズを売って食いつなぐしかなくなった。
プラットフォーマーが積極的にクリエイターを宣伝してくれない。広告で食っているのだから。
広告を出した側に利益が生まれ、その一部が広告費として回るのならわかるが、そうはなっておらずアクセス数のみで決まる。
広告を出す側はもっと効果のあるシステムを求め、広告配信システム側はより個人情報を求めるようになった。
広告で稼いでいる媒体はアクセスのみで稼げるので、いかに広告を踏ませるかに工夫を凝らす。
まだ市場が拡大しているときは良かっただろうが、もうフロンティアはない。
日本人は日本企業が嫌いか、もしくは日本企業はネット上で叩いてもいい存在である。
短期的には顔出しをしなければ売れないということになっているが、悪手に見える。
ニコニコ動画とYouTubeを例にしてみると、ニコニコ動画はトップが前面に出てきたが、YouTubeは人が出てこない。
ニコニコ動画は人のせいにされるが、YouTubeはシステムのせいにされる。
Amazonについても、人が前面に出てこない。
客と会わなければならないところは、アウトソーシングしている。
日本にいるので日本企業の暴露話だったり、中の人やOBのぐちなどが出回る。
プラットフォーマーの中の人は顔出しをしないようにしているが、プラットフォーマー上に居る人にはYouTuberのように積極的に顔出しするように仕向けている。