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2020-01-29

1月16日の時点で

中国発症確認されて数週間経っても、感染者が増えていませんので、持続的な感染可能性は非常に低いと考えています

と言ってた奴おるやん。

感染めっちゃ増えとるやん。。。

2020-01-17

二兎を追うものは一兎も得ず

しかパブコメ4400件程度集まりそこで8割所か9割近くまで反対意見が集まったのにガン無視して、初めから提示していた譲歩ラインから何一つ変わっていないのにも関わらず、議論を尽くしましたみたいな顔をしている事と言い、前回の会議自体ひろみちゅが指摘する位にはgdgdで、結論すらまともに出ていなかったにも関わらず、この様な報告書を出した事と言い、参加していた消費者団体まで業界寄りで規制賛同した事と言い、色々な意味でこのダウンロード違法化結論ありき検討会は文化庁及びこの手の著作権規制の推進している連中の腐敗具合を象徴する様な会議だったとしか思えないよね。

何にせよ、これで出版及び商業漫画家も逆に世間から嫌われて終わりだろうし、以後音楽業界の二の舞をやらかす事になるだろうよ。

漫画家に関してはダウンロード違法化音頭取りをした上にわずか3回の短い期間の反対意見封殺する為の結論ありきの談合会議やらかした時点で弁解の余地すらないとしか今回は言い様がないしな。

昨今漫画家は調子に乗って、この著作権改悪以外にも漫画センターやあわよくば裁判関係改正も狙っているみたいだけど、二兎所か三兎も追っているのだから、一兎も得ず所か大方ドツボにハマって、そのまま沈んでいく事になるだろうよ。

この件だと山田太郎議員も大して期待できないのがな。

赤松は本当に害悪過ぎるよ。

しか漫画アニメも終わりだといよいよ日本から売るものがなくなるな。

何もかも安易規制産業文化を潰して、終わる国にはぴったりだろうが。

これを見ていると流石にないと思うが、例の香川県ゲーム障害条例について急に騒ぎ出した事自体、この著作権報告書隠蔽する為もあるんじゃないかとすら思えてくるよ(苦笑)

漫画家は愚かな選択をしたよ

二次創作を除けば良いって考え自体それこそ漫画家本位の考えなんだよね。

ダウンロード違法化拡大に関しては全ての分類になるのだから、言い様によればネット利用にすら普通に弊害が出る代物なんだよね。

パソ通自体から人間なのにこれを理解していないのは本当にどうかと思うよ。

普通にそうなっていくかそれこそ遵法意識自体無くなっていくかのどちらかだろうね。

事実上こんな法律を守る方が無理だからな。

海賊版側と利害関係者の当事者同士の法改正の代案が提示されていたにも関わらず、それを蹴って、この様な愚かな国民全てを巻き込んで敵に回す様な法改正結論ありきで進めたのだからな。

次の規制を喚いてももはやユーザー理解も得る事はなくなるだろう。

これ以降普通に映画業界音楽業界みたいに衰退していく事だろうよ。

本当に漫画家は愚かな選択をしたよ。

こう言うのを見るとマスゴミって感じがするね

香川に続き大阪も…子どもゲーム時間制限条例案に抗議の声

https://this.kiji.is/590516105410217057?c=539383836944122977

大阪市の松井市長ゲームスマホ利用を規制記事不正確。真相解説しま

https://otokitashun.com/blog/daily/22414/

産経に続き女性自身も…って所だね。

これは音喜多議員頭抱えていそうだ(苦笑)

ただ一番悪いのは寄りにもよって香川県で炎上している最中なのにわざわざミスリードを誘う様な返答をし、火に油を注いだ松井市長なのだが。

喜多議員がどう言おうが松井市長自体どう考えているか判らないからね。

もう松井市長福島汚染水の件と言い喋らない方が良いんじゃないかしか思えないね

明らかに維新と言う政党自体ダメージを与え続けているでしょ、彼。

[]2020年1月16日木曜日増田

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本日の急増単語 ()内の数字単語が含まれ記事

GPL(14), ソウルジェム(6), 中田敦彦(8), ソフトハウス(4), 中田(21), イニエスタ(6), あっちゃん(4), 労務管理(3), 耳垢(4), 女子サッカー(5), ファスナー(9), 乾燥(14), 洗濯機(15), 縦(11), フェイク(10), ファクトチェック(7), 専門学校(7), 条例(8), アンタ(6), 機械学習(7), 開示(7), 有給(9), 人間性(11), 寄付(12), 寿命(11), 都心(8), 育休(11), 九州(8), 賃貸(7), プログラム(16), サポート(13), 下方婚(26), 洗濯(14), 壊れ(17), メーカー(13), 面接(11), 全国(12), 効率(12), 不倫(10), 試験(9)

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有給休暇を取ったことにして出勤している /20200116105352(39), ■結婚相手募集中 /20200116001348(23), ■すぐに元に戻さない /20200116061001(22), ■マクドナルドってくそまずいのに、どうして売れているんだ? /20191222105602(21), ■ /20200116061815(15), ■地方就職する 追記あり /20200116084637(12), ■「中田敦彦Youtube大学」をぶっ叩いても多分ファンは離れない /20200116001914(12), ■懺悔 言い訳追記 /20200116055727(12), ■風呂でのタスク多すぎわろた /20200116091849(10), ■なんか買いたいけど良いのないですか /20200116183724(10), ■こういうタイプ映画 /20200110132752(8), ■増田文学大賞(仮)を作ってよ /20200116191021(7), ■会社粗品を作ることになった /20200114212955(7), ■耳垢が無限にわく /20200116092307(7), ■他人の姓を変えて良い人間自分の姓を変える覚悟のある人間だけだ /20200111140425(7), ■ボーナス出た。400万円だった。 /20200116202520(6), ■今日あった悲しいこと /20200115213022(6), ■もう親に無償の愛を要求するのはやめて /20200115110911(6), ■anond20200116085749 /20200116091009(6), ■例の中田敦彦への批判について一視聴者としての見解 /20200116121028(6), ■本当に頭のいい人は解りやすく教えてくれる /20200116175309(6), ■新宿乗り換えで通勤するとソウルジェムが濁る /20200115121354(6)

増田合計ブックマーク数 ()内の数字は1日の増減

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2020-01-16

維新議員曰く飛ばしらしい

さてどうなるかな?

産経とどっちが正しいのやら。

しか維新と言うか松井市長に関しては今までの失言とかが多くて、どうも信用度が落ちるね。

何にしても上司がこれだけやらかしてくれたら、少ないだろうけど維新規制に慎重に議員とかはさぞかし大変だろうね。

どちらにしろ四国新聞しろ産経新聞にしろ毎日読売朝日しろ、奴ら新聞社こそがこの手の規制に熱心だと言う事だろうね。

いい加減この手の飛ばしばかりしていたら、それこそ新聞社規制される羽目になるだろうよ。

昨今著作権記事と言い余りにもやらかしが多すぎるからな。

ま た 維 新 か

まーた松井か。

本当にこいつどうしょうもねーな。

こいつにしろ知事しろ維新は大真面目に碌でも無い人間しかいないな。

これにしても香川二番煎じパクリと言うどうしょうも無さで何がしたいの?としか言いようがない。

つーか、不登校を盾にしているのも気に入らんし、余計に悪化するだけだわ。

昨今自民ですら規制は逆に票を減らすからとある程度空気を読みだして、慎重な議員とかも出張ってきているのに維新に関しては当時のそれこそネトウヨ既成政党のまんまなのが笑えないね

前回はそれこそ自民の自滅のおかげである程度地方選国政共に当選したけど、明らかに自分の実力で無い勝利なのに勘違いしまくっているから、次の選挙だとこいつら壊滅すると思うわ。

意識石原の頃から変わりがないのは救いようがないよ。

しかしこいつら大阪湾にピカ水ばら撒くとか司書機械代替可能とか無期懲役はある程度したら出所できるとか常識の無さもここ最近特に露呈し始めていると思う。

以下にも地方政党らしい品の無さがこの辺にも出ていると思うね。

はっきり言ってこいつら維新よりは自民民主系の方がまだマシだよ(苦笑)

どうせコレもあの辺のロビーの結果なんだろうな。

大阪特に多いと聞くし。

2019-02-12



ネットリンチ正当化しようとする理屈として「これは単なるスキャンダルではなく犯罪なのだから」みたいなこと言い出すやつ意味わからん

(ちなみに「パコパコ動画を実況放送」というのも、加工された動画によって広まった完全なデマ

2019-02-08

国連子ども権利委員会で起こった虚偽答弁について

厚労官僚の島氏 国連児相被害隠蔽の虚偽答弁

1月16日午後に開催された国連子ども権利委員会において日本児童相談所(以下、児相と略記)による様々な逸脱行為に対しての問題提起がなされた。これまでも

1)司法判断も親の同意もない児相の職権による強制一時保護

2)児相による一方的な親子の面会禁止処分、そして

3)一時保護から施設入所期間に渡る保護単価による経済的インセンティブ

4)一時保護による虐待処理数ノルマ問題など

問題視されていたが、それらの諸問題について国連によってグギをさされた形だ。

これに対する日本政府代表からの答弁は翌日17日午前の会議に持ち越された。

答弁に応じたのは厚生労働省子ども家庭局家庭福祉児童福祉専門官の島玲志(しま れいじ)氏。

島氏は日本児相による子供強制的な社会的養護に関して

子供と親の両者の意見を聞き、子供と親の意見と違う場合家裁判断

するのだと述べた。それについて関係者

「親と子供意見を聞いて判断した事例が少なくとも日本に何例かは存在していると言いたいのか。それが理想だと言いたいのか。もはや、この答弁の意味が分からない。詭弁だ」と呆れ顔。

また予算問題に関しては、「児相管轄地域人口規模で予算が定められており、保護児童の人数によって決まるのではない」

「ただし、児童養護施設里親へは児童1人当たりで予算が決まり直接支給される」

児相一時保護所に子供を入れる金銭インセンティブ否定したとも取れる回答をした。

これに不信を抱いた会場参加者がこの点を問いただした所、

児相収容した保護所の児童1人当たりの「保護単価」の存在を認めた上で

それは児童養護施設里親「等」の予算に含まれものとして説明したと釈明。

どうやら、答弁の前半では児相管轄地域人口規模で(定員)予算が定められており、保護児童の人数(を好きなだけ集めたその人数)によって決まるのではないと定員問題を斜めにはぐらかし、後半で施設やら里親やら何やら「等」に実は保護所も入っているとして、聞く人によって2つの意味を持つ官僚答弁なのだと言いたいようだ。

しかし、これでは児相管轄する厚労省が一番触れられたくない所はここですと吐露しているも同様であり、

虚偽答弁と揶揄されても仕方がない。国がこれ以上、国際社会児童行政に関わる暗部を隠し通すのは困難だろう。

ここは国民のために間違いを認め、経済的インセンティブに基づく強制保護理不尽な親子の面会拒否を即刻中止し、国連の子もの権利条約違反状態を解消するべきである

そして本当に子供の命が危ない深刻事例を漏れ無くケアするため定員に余裕を持たせて務める事こそ真の急務なのではないだろうか。

また、定員に空きがあることを容認する組織体制作りも不可欠であろう。

2019-01-21

ちかん情報桜井市

https://www.gaccom.jp/safety/detail-314099

平成30年7月5日早朝、桜井市所在コンビニエンスストア店内において、男性を同店のトイレ内に誘い込んだ上、出入口ドアを閉め、わいせつ行為をした(22歳)を、1月16日強制わいせつで通常逮捕しました。

 コンビニトイレアッー!

 ……って、さすがにバレるだろ、と思うんだが結構時間かかったなあ。

2019-01-19

2019-01-18

声かけ情報など(津市白山町川口

https://www.gaccom.jp/safety/detail-313473

【日時】

01月16日(水) 午後6時00分頃

場所

津市白山町川口地内店舗津南署)

不審者車両の特徴】

◆男1名(高校生身長高め、やせ形、坊主頭上下赤色ジャージ

【内容】

女性が店外に出たところ、男からカードを落としませんでしたかと声をかけられ、違うと答えると「財布の中を確認してください」「エッチなことをしませんか」と言われたもの

危険を感じたらすぐ逃げましょう。

 高校生か。侮れないな。

anond:20190118124001

蝉川夏哉 @osaka_seventeen

痴漢に関する議論平行線なのは

痴漢されたことのある女性」と「痴漢したことのない男性」で話し合うから冤罪のところで話が止まるのだと思っている

蝉川夏哉 @osaka_seventeen

@hirohito_ すんでのところで思いとどまった人はもっと褒められるべきですよ。それなのに「キモい」で蔑まれ



自分自分を褒めてろゴミ」って思うの俺だけか?

2019-01-17

暴行暴力情報など(不審者情報香芝市穴虫】)

https://www.gaccom.jp/safety/detail-313077

●日時:1月16日(水曜日)午後4時41分頃

場所近鉄二上駅階段

●状況:小学生女児が下校途中、不審者にすれ違い様に腹部を殴られました。児童怪我はありませんでした。

不審者の特徴:年齢25から35歳位の女、身長150から160センチメートル位、中肉、茶色長髪、緑色上衣眼鏡着用

 幼女腹パンとは、女と言えど許すまじ。

[]2019年1月16日水曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
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人(171), 自分(122), 今(79), 増田(79), ワイ(73), 仕事(70), 好き(65), 話(63), 前(60), 女性(52), 男(52), 意味(51), 人間(51), 日本(48), 普通(48), 感じ(47), ー(44), 女(43), 問題(42), あと(42), アニメ(38), 気(36), 関係(36), 最近(35), 会社(35), 必要(34), 時間(34), キャラ(33), レベル(32), 理由(30), ゲーム(29), 無理(29), 言葉(29), 今日(28), オタク(28), 嫌(27), 頭(27), 世界(27), 子供(27), 他(26), ネット(26), 気持ち(26), 一番(26), 場合(26), 手(26), 社会(25), しよう(25), 昔(25), じゃなくて(25), しない(25), 相手(25), 自由(25), 親(24), 全く(23), 誰か(23), 企業(23), 男性(22), 理解(22), 時代(22), 目(22), 存在(22), 全部(21), 別(21), 金(21), 人たち(21), 他人(20), 勝手(20), 一人(20), 人生(20), 絶対(20), テレビ(19), 逆(19), 結局(19), ダメ(19), 反対(19), twitter(18), ヤバい(18), 心(18), 個人(18), スマホ(18), 結婚(18), entry(18), 最初(18), 名前(17), 声(17), 大学(17), 顔(17), 自体(17), 差別(17), アホ(17), 本人(17), 犯罪(16), まとも(16), 奴(16), 意見(16), セックス(16), 嫌い(16), いや(16), 現実(16), 事実(16), 時点(16), 毎日(16), ブコメ(16), 認識(16), 作品(16), ただ(16)

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■年下のクリエイター創作物に熱くなれない /20190116105645(17), ■はてブ民のネットリンチ怖すぎ /20190116003310(16), ■けもフレ2を見て、アニメの難しさを感じる /20190116004122(15), ■頭の良い人たちのコミュニティが欲しい /20190116122722(13), ■声優ライブを楽しめないコンプレックス /20190114180529(12), ■株ってチョロすぎでしょ /20190116015153(10), ■全国の主任の皆さん /20190116002615(9), ■嫁が筋トレにハマって性的魅力が消滅した /20190116105152(8), ■ワダアルコ絶対エリちゃんのこと嫌いだよね /20190116120902(8), ■Web制作フリーランス13年目の経験から /20190116002617(7), ■ /20190116134213(7), ■バーチャルYoutuberテレビに出演するときに気をつけてほしいこと /20190116151502(7), ■女子大生SNS全部やめた /20190115234839(6), ■深読みのしすぎじゃね /20190116152811(6), ■プログラマーって何だろう /20190116205839(6), ■SNSとかオンラインゲームとかで /20190116110308(6), ■ケツの穴に不幸的な偶然でテレビリモコン入っちゃった /20190115175118(6), ■海外には「侍ジャパン」とか「なでしこジャパン」みたいなのないの? /20190116140135(6), ■追悼 日本フェミニズム /20190116121528(6), ■若いオタクマジヤバいな /20190116113759(6), ■セックス出来ないことを社会問題化したい /20190116185301(6), ■ネットリンチっていうけど、おまえネット見てたら骨折とかするの? /20190116090129(6)

増田合計ブックマーク数 ()内の数字は1日の増減

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2018-08-25

喫煙者保護されない

犯罪者にも人権はあるという主張はまったくその通りだし、人には更生のチャンスは与えられるべきで前科があれば殺せなんてもってのほかである

はてなブックマーク - 性犯罪者で逮捕4回、今は生活保護で暮らしながら子どもに興味を向ける男が袋だたきに - Togetter

しかしこれが喫煙者になると誰にもフォローされず、賛同者が集まる。

ついでで生活保護も叩かれているね。喫煙している生活保護医療費10負担しろとか、ギロチンみたいなものだ。

anond:20180824200532

2018-04-11

推したい超特急と、推させてくれなかった男

先日4月8日2018年一番推したいグループから一番推したかった男が正式に脱退した。

超特急 1号車 イメージカラー

お父さん担当 バックボーカル

コーイチ

年明け突然の脱退発表から約3ヶ月後、脱退時期調整中から正式な脱退へ。どこかに吐き出しておきたいな〜ってことで。1号車推しにもなれなかったWOWOW生中継新規の3ヶ月と恨み言。

年が明けてすぐの1月6日面白いテレビもなければなんの予定もない。そんな時にふと思い出した、超特急ツアーファイナルWOWOW生中継。知り合いが追いかけていたこともあり、ちょっと見てみるか〜念のため録画しておこ、ってなんとなくチャンネルを変えると生中継は始まっていて超特急さんたち、お餅ついてた。正直わからなかった。ま、まぁお正月だしそういうこともあるか…!?と少しだけ見て離脱。その後再び生中継に戻ると超特急さんたち、トランポリンしてた。正直わからなかった。全くわからないけど、せっかくだしこのまま見よう…って軽い気持ちでいたのが最後。本編ラストの『The End For Beginning』がヤバイくらいエモい。え、え、突然エモ!?なにこれ!?と驚いているうちに本編が終わり、8号車たちの超特急コール。エーーーーッ、なんだこれは!最後のなにあれめっちゃカッコいいんだけど??という動揺が収まらないまま始まるアンコール。1曲目の『BREAK OFF』これがまたヤバかった。エモからのアゲ。歌詞ダンスもクセが強くて面白い初見でもわかる、これまでのダサかっこいいがあるからこその力強いワードたち。ここまで支えてくれたファンに対する気持ちや変わることに対する葛藤と、それでもそう歌う覚悟がめちゃくちゃエモい。掲げる拳が力強すぎる『The End For Beginningからの『BREAK OFF』がまたニクい演出!変わってしまうことに対して嫌とか不安だなって気持ちを持つファンもきっちり連れて行ってくれる感じ。変われるのは土台がしっかりしてるからでしょ。この2曲のバランスは今思い返しても本当に凄いな、大好き。あの時、コーイチが泣きながら歌っていた『fanfare』も素直に良い曲だなって思った。どうして泣いてるんだろう、なんとなく一番泣かなさそうな人が泣くんだって

近づいたら危ない気がする、そう思ったのも束の間、生中継終わりに流れる『My Buddy』のミュージックビデオ。ウワーーーーーッあまりにもカワイイ!これはヤバイ!!生中継でも『My Buddy』やってるヤッター!ってそこだけ再生しようとしたけど、冒頭数秒で怖くなって停止。たぶんこれは見るのに覚悟がいる。それなのにとりあえずYouTubeで様子見しようと選んだ『Bloody Night』で完全にトドメをさされるなんて。なんだコレは楽しすぎる!!!ダンス楽しいなんて初めて!早くちゃん生中継の録画みたい!!!

で、次の日にすぐ観ました。めちゃくちゃ楽しかったし、カッコよかったし、面白かったし、元気になれた。とりあえずiTunesで3曲買った。

・5+2のバランスの良さ

そもそも楽曲のかっこよさ

ダンスチームの緩急のヤバさ

ボーカルペア絶妙正反対

素人でもわかる!超特急の良いところ!!鮮やかな色と揺るぎない白黒というメンバーカラーの配色や、世界観の強いダンス楽曲面白い。タメから次の動作うつる瞬間のカッコよさで、ダンスって面白いんだな〜とも思った。あとやっぱりそもそも楽曲が良いのは強いな、と。それぞれ世界観が強くて歌詞ダンスのアクはあるけどハマった時の面白さ、覚えやすさ。7人という人数は理想的かも?とまで思ったりもしたし、これまで積み重ねたスキルや自信がパフォーマンスに返ってきているようで、単純に見ていてワクワクした。

そんな中で心を鷲掴みにされたのがボーカルボーカル!!!身長差、黒と白、お父さんと末っ子テクニックのある作り込み系と自分の中にあるものをそのまま真っ直ぐ出す系。どーーーーう考えても好き。特に作り込み系の『Kiss Me Baby』ソロパートダメ。好きになってしまった。メンバーの後ろに映り込む険しい表情も、ふざけた感じで歌ったりちゃんと歌わなかったりするのも、田舎ヤンキーみたいな関西弁も、いちいち引っかかるし気になったけど、あの一瞬で好きになってしまった。こんな歌を歌う人がいるんだ!もっといろんな曲を聴きたい!コーイチの歌には表情があるし、ここはこう歌いたいと常に意識していそう、かつその理想が高すぎるところ本当に最高に好き。時にクセが強すぎるけれど、ボーカル相方であるタカシクリアで真っ直ぐな歌声があることでそのクセが生きていたし、逆にクセの強いコーイチの歌があることでタカシの良いところが更に際立ち、これ以上ないくら超特急パフォーマンスを支えるバックボーカルだった。この2人だけでもドラマありすぎる。

知り合いからのいろいろな情報提供もあり、自分でも引くほど順調に育てられるオタク。そこから毎日毎日超特急音楽を聴いて、ダンスを見て、いろいろなエピソードを調べてはめちゃくちゃ好き……(天を仰ぐ)の繰り返し。そしてアドバイスをもらい、1月14日に購入したのがライブツアー『fanfare to you』この時はこれから初めて観るライブに楽しみの気持ちしかなかったな。これ以外に教えてもらったライブ映像も早く全部観たい!って思ってた。

そんな一番楽しい時期、WOWOWライブ生中継から10日後の1月16日ライブBlu-rayが届くより先に超特急1号車コーイチ、脱退発表のニュース

初めて聞いた時は、あまりもびっくりして笑った。本当に突然で意味がわからなかったから。この時は意外とダメージがなくて、いろいろ教えてくれていた人は大丈夫かな…?さすがに10日前に好きになった人が突然の脱退はウケる、くらい。10日間で仕入れ情報だけでもコーイチが好きな音楽超特急音楽は違うものなんだろうな、と感じていたしそれをここまできて今さら?私が見たWOWOW生中継は一体なんだったんだろう?ただただ理解できなかった。

私自身、ステージに立つ仕事をする人たちに対して「ファンの為にとか、礼儀とか、やりたくないならやらない方がいい」と常々考えていて、コーイチも個を殺してまでグループにいる必要ない、とは思う。でもそういう気持ちと、今の形とかそのグループもっとたかったという気持ちは全く別だし、こういうお知らせが出ても10日前に初めて見たあのライブは輝いてて最高だと思えるから余計に悲しい。これから初めて観る映像だってたくさんあるのに、絶対にこれ以上好きになる予感がしているのに。

ニュースから時が経つごとにメンバーブログ更新され、事実なんだと突きつけられるコーイチの脱退。中でもタカシブログは本当に胸が痛かった。グループとして活動していく中で目指す方向が違ってきたり、それぞれが納得いく形で活動できなくなることは仕方ない事だけど、せめて終わりはきちんとしてほしかった。これから超特急として活動していくメンバーの為にも。

そして7番目に更新されたコーイチのポエムメンバーファンが「コーイチらしい」って許してくれると思ったのかあの甘えたブログ、心底腹が立つ。ド新規の私にでもコーイチが超特急メンバーを好きな事はライブを見ていればわかったし、今欲しいのはそんな言葉じゃない。なんで?どうして?に対する答えが欲しかった。もう本人から語られることはないだろうけど。一言、本当にやりたい音楽をやります、って言ってくれたら良かったのになぁ。

あのニュースから約3ヶ月、メンバーも8号車もしんどかったよね。脱退発表後に発売された雑誌や冠バラエティ番組はいるのに、新しく発表された新曲ツアーはいない。ライブ映像を見ている最中は無敵!最高!なのにふとした瞬間に虚無感が襲ってくる。もうさっさと脱退してくれたらいいのに、とも思った。ライブ映像を見れば見る程、なんで?どうして?こんなに楽しそうなのに?が止まらない。純粋に楽しかった10日間からこの約3ヶ月は本当にいろいろあったしいっぱい考えた。

あんポエムみたいなブログ最後超特急タカシを放り出した事も、奇跡みたいな最高の瞬間が少なからずあったはずなのにそれをなかった事にしたみたいな自作歌詞も、メソメソした雰囲気を隠してくれないメンバーにも、はっきりしない運営にも、黒を見ればコーイチ「君」と歌えばコーイチっていちいち騒ぐ8号車にも、新規がコーイチの事を悲しんでるのちょっと…とかいうつぶやきにも、全部全部怒ってたし悲しかった。長い間追いかけてきた人の気持ち、私には一生わからない。でも思い返せる時間がある8号車に私の気持ち絶対にわからないじゃん。下車するもなにも乗車させてもらってないのに。もう本当に本当に疲れた。たった10日間を大切に思っていちいち悲しくなってる自分も嫌だった。なんとなくこの時期だろうな、と思っていた日に正式に脱退が発表されたけど涙も出なかったし、やっぱりなこんなもんか。としか思えなかった。某雑誌インタビュータカシダンスが増えた理由を読んで雑誌を投げ捨てそうになった。メンバー毎日、コーイチがいない事を嫌でも実感させられているんだと思ったら心が死にそう。この約3ヶ月間、本当になんだったんだろう。

初めて超特急を見てから、fanfare to you/2013年国際フォーラム/シンクロニズム/Ringツアー/TNE/トレタリ/写真集/ヒストリーブック/FC限定動画、本当にいろいろ見たし、見れば見る程やっぱり好きだった。特に2013年国際フォーラムは、構成演出楽曲アレンジダンスフォーメーション、全てにおいて最高。あとバンドが好きなのでシンクロニズムも特別。コーイチの歌もたくさん聴けるし。RingツアーとTNEのコーイチ、ビジュアル最高ですよね。刈り上げデコ出しぷくぷくちゃんラブ。これ以上知って好きになってももういないのに。

初めて6人のパフォーマンスを見たBOY'S GIGの生中継ではタカシの歌が頼もしくて一人いなくても意外と平気なんだ、って。コーイチがいてこそでは?って思っていたような楽曲で攻めてきた超特急さんカッコいい。でもやっぱりボーカルはもう一人いた方がいいな……タカシの頑張りがわかりすぎるからこそ。タカシが頑張るのをボーカルから支える新メンバー必要だと思う。今すぐには無理でも。新曲の『a kind of love』はこの季節に、新しい超特急の始まりに相応しい爽やかさで、素直に良い曲。コーイチがいたって、いなくたってずっとそのままではいられない。今度の春ツアーはどうなるんだろう?餅つき和太鼓トランポリン面白いけど決意を見せるって言うならストレートダンスや歌のパフォーマンス勝負してほしい。そこが強いからこそ、だと思う。

私自身も初めてライブを見る事になるけど、実際に見た後どう感じるか全く見当がつかない。ペンライトだってどうするのか全く決まってない。他のメンバーの事も大好きだけど、黒が振れないならこの色、なんて適当気持ちで他の色は振れない。とりあえずFC限定リリイベが超後列なので様子見出来そうで助かる。もし6人の超特急の事を受け入れられない、って思っても静かに去ります。ただ気まぐれに通りすがっただけ。私がいなくても超特急はどんどん進んで行くだろうし、夢の東京ドームだっていつか辿り着けるはず。でも今はまだその東京ドームに一緒に行きたいなって思えるからその為にもコーイチのいた超特急、コーイチやこの脱退に対する気持ち成仏させたかった。書いたらスッキリした、かな?メンバーファンも私も、今ここで立ち止まってしまったらもう二度と走り出せないような気がするからツアーまでは絶対に立ち止まれない。その後のことはその時に考えようね。

新曲『a kind of love』すごく良い曲だからみんな聴いて。

https://youtu.be/iK3U-SD24y0

追記:FC限定動画にアップされたFCイベント映像の後編がしんどい。『No More Cry』はやでよし。やっぱり超特急ボーカルは2人がいいな。コーイチより良い男なんていくらでもいるよ、たぶん。

2018-03-05

渡辺明捏造した「将棋ソフト不正使用疑惑

自分用のメモであるが、経緯が分かってない人が多すぎるのでここに記しておく。

主に2chテンプレである

カンニング疑惑の経緯

三浦に3連敗

・一派や知り合いの記者を使い不正疑惑の噂を広める

連盟不正疑惑記事を書かれると大変な事になると話を持ち込む(ただし自分リーク元である

・知り合いの文春記者疑惑情報リー

千田率や離籍率等の捏造データを準備する

あいつを降ろさなければ竜王戦に出ないで大変な事にしてやると連盟強要論理が逆転)

秘密会議羽生を呼びつけなんとか言質をとりつけその後の根拠とする

・大変な事になりました(と自身ブログに書き第三者を装う)

連盟印象操作

過去三浦九段と対戦した5人前後棋士から調査依頼があった」→渡辺久保だけ

「夏から離席時間が増え」→実際は減っていた

「休養を三浦が言い出した」→「竜王戦は開催されなくなった。それを承知してくれるか」と島が発言したため

証拠は揃っている」→手ぶら

「離席は2時間40分(青野)」→自分の手番でと喧伝されたが実際には相手の手番も含む、休憩を除いた全対局時間10時間31分)の中のそれ

この話は何十回何百回出てきたかわからんが、もう一度整理しておく

渡辺三浦不正疑念を抱く

→こういう感情を持ってしまたことは人間なので仕方ない

渡辺三浦不正理事会に訴える

証拠がなくても不正を訴える権利はあるので問題ない

渡辺秘密会合常務会を開くように強く働きかける

→一棋士に過ぎない渡辺にその権限はない。権限がないことをした以上、強い責任が生じる

渡辺が文春で取材を受け「三浦は黒」という証言をする

証拠もなしに、三浦棋士として最大の侮辱を与えた。昔であれば切腹もの屈辱

これは絶対にやってはならないこと。渡辺切腹しろとは言わないが、自主的引退ぐらいはすべき案件

そもそも最初三浦不正を文春にリークしたのが渡辺だった

→この事件渡辺がいなければ発生しなかったことになる。この点で除名相当

時系列まとめ 2016年12月まで】(各位敬称略

7月26日 久保三浦と対戦、30分の離席(実際は6.3.3分)

7月29日 月例報告会 久保関西理事(東と井上)に告発

8月8日 連盟が長時間の離席を控える旨の通知書を全棋士に送る。

8月26日 三浦丸山 連盟監視するもクロの証拠出ず

9月8日 三浦丸山 連盟監視するもクロの証拠出ず

10月3日 A級戦 三浦に敗北。渡辺は「三浦研究手に嵌められて負けた」と発言感想戦もそこそこに帰宅

10月3日 渡辺三浦九段と対局。後にクロだと確信

10月4日 テレビ(?)で見ていた黒幕※に「三浦カンニング疑惑」を教えられる。 

10月4日 TVではなく棋譜中継 、順位戦の対局映像は無し 

10月4日-8日?のどこか 文春記者情報を掴んだと10/20発売の文春に記述

10月 5日 渡辺提案竜王戦金属探知機導入が決定 (サンスポ

10月 5日 12月14日より、電子機器は対局前にロッカーに預ける、対局中は外出禁止、等の規定施行の旨公表

10月 7日 三浦とは対戦したくないと、島専務理事ねじこむ (電話連絡)

10月 8日 渡辺は文春記者に、「これが最後将棋になるかも」メール送付 (週刊文春12/28

10月10日 秘密会議 千田を連れて、羽生谷川カンニング疑惑説明

10月11日 三浦常務会という名前の査問会に呼ばれ

10月12日 三浦、挑戦権を剥奪される (判断主体理事会or常務会)

10月12日 連盟 処分発表 、渡辺ブログで「大変な事態、詳細は各種報道に任せて、ここでは省略。」

10月14日 竜王戦 前夜祭

10月15、16日 竜王戦第一局 、天竜寺にて80年ぶりに開催(青野理事の功績大)

10月20日 週刊文春に、渡辺の独占告白が行われ、三浦疑惑が大々的に報道される

12月?日 竜王戦防衛直後、第三者委員会報告の前に、渡辺告発した事は後悔していない。」旨発言週刊文春12/28

       それ以降のマスコミへの発言は一切ない模様。

※10月4日、渡辺にチクった黒幕は、報道関係者朝日新聞)、棋士週刊文春)の二説あり

時系列まとめ・2016年12月以降】 (各位敬称略

12月10日頃 上州将棋祭り2017(2017年1月3日、4日)ポスターから三浦写真削除

12月26日 第三者委員会会見

12月27日 三浦会見:「竜王戦は中止になりました」・上州将棋祭り三浦降板連盟一方的措置三浦

12月27日 日本将棋連盟(以下連盟)会見:休業は三浦から言い出した、強要はしていないと反論するも「中止になりました」云々には言及なし

12月28日 連盟ウェブサイト上州将棋祭り三浦降板連盟の都合によるもの公示

1月3日 上州将棋祭り三浦特別出演あいつのみ)、記者会見

1月7日 王将戦開幕前日、「対局者※の意向もあって金属探知機の検査は見送られた」(毎日) ※郷田久保    

1月16日 第三者委報告概要連盟ウェブで公開

1月17日 第三者委報告概要ドラフト版が連盟ウェブサイト上に発見され、公開版との異同が指摘される

1月17日 竜王就位式で渡辺明竜王事件についてコメント謝罪・陳謝等と報道される

     「メディア取材に応じたことで三浦九段読売新聞社様、

      将棋ファンの皆様方にご迷惑をおかけしました。申し訳なく思います

1月18日 谷川連盟会長辞任会見(新理事選出まで留任)あわせて

     三浦の復帰戦は2月13日竜王戦羽生戦と公表、ただし三浦からは諾否についてコメントなし

1月18日 島にも連盟理事辞意の報道

1月19日 連盟理事会谷川・島の退任承認2月6日臨時総会招集を決定

1月20日 ドワンゴ竜王戦羽生三浦戦のニコ生配信を発表

1月20日 連盟の新動画配信サービス告知される(2月1日A級順位戦三浦は不戦扱い―からサービス開始)

1月23日 月例報告会、理事総解任請求書提出も臨時総会議題とするかは理事会預かり(スポニチ

1月25日 理事補選立候補(定数2)締め切り、佐藤康、井上立候補

1月29日 羽生理恵ツイッターで夫の秘密会議出席経緯やメール真意を発信

1月30日 谷川俊昭谷川浩司兄)らによるネット署名開始

1月30日 西村インタビュー週刊ポスト2月10日号に掲載

2月2日  谷川入院、病名不明、棋王戦第1局前夜祭(4日)、臨時棋士総会・理事会(6日)は欠席の見通し

渡辺明が悪意を持って三浦九段を黒にしようとした根拠

渡辺正和五段ツイートによる島常務発言

渡辺竜王が島常務を脅して三浦九段を失格にするように動いたというのは報告会で島常務から聞いた話」

https://pbs.twimg.com/media/Cv_VWvvUkAAmTAt?format=jpg&;;name=large

・明らかに事実を歪曲してでも不正に持って行こうとしている意図が当初告発に見られ、それについての三浦九段反論封殺していること(検証データ恣意的な選別、一致率の対象手の妥当性など)

http://ironna.jp/article/5686

連盟渡辺主導での処分後、もう調査しないと主張しクロでの幕引きを図ったこ

http://shogiweblog.net/archives/565

三浦をこき下ろしまくった文春記事渡辺ブログでわざわざ追認していること

週刊文春掲載された記事内容は、個人的にはおおむね間違っていないように思います

http://blog.goo.ne.jp/kishi-akira/e/1f691f8dcad02d9173e57e1699717db7

(記事の冒頭は渡辺が強引に呼びつけた羽生メール捏造)

結論

もし渡辺不正かどうか調査だけしてほしいと思い告発したのならば、完全に上記内容と矛盾する。

本当にしっかり調査して、将棋界のため出来るなら白であってほしい立場人間が取る態度とは正反対の行動ばかりである

全てにおいて、とにかく三浦を黒認定してさっさと幕引きしたいという意図まり悪意しか感じない。

渡辺明が除名相当である日本将棋連盟の約款

第9条

会員が次のいずれかに該当するに至ったときは、総会の決議によって当該会員を除名することができる。

(1)本連盟名誉毀損し、又は本連盟目的に反する行為をしたとき

(2)本連盟に対して不正行為をしたとき

(3)会員の資格を利用して不正行為をしたとき

(4)禁固以上の刑に処せられたとき

(5)その他除名すべき正当な事由があるとき

渡辺明タイトル戦における「異常な」詰み逃し率

将棋名人レーティング棋譜分析」の最後のページに注目。

https://ipsj.ixsq.nii.ac.jp/ej/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=8&item_id=106492&item_no=1

タイトル戦での詰み逃し率

渡辺 0.0%(82戦)

森内 2.9%(105戦)

羽生 2.8%(536戦)

谷川 2.1%(286戦)

中原 2.0%(498戦)

加藤 9.5%(137戦)

大山 3.9%(586戦)

NHK杯での詰み逃し率

渡辺 14.8%(27戦)

森内 12.5%(32戦)

羽生 10.5%(86戦)

谷川 7.3%(55戦)

中原 6.7%(60戦)

加藤 7.4%(5戦)

大山 13.9%(72戦)

2018-01-28

anond:20180128103721

はれのひ社長中国渡航していたのも気になるな。

しかも、NEM中国大手取引所のHuobiに1月16日上場しているのがなんとも。。

2018-01-24

教室テロリスト妄想亜種

高校生の時、自称進学校の授業についていけなかった俺はこんな妄想ばかりしていた。

政治行政の腐敗。資本主義による金が金を生む現実。みんな触れたがらないが明らかにある階級格差。過剰な対米従属

現代日本の現状を憂いた俺はこの国を変えるために立ち上がることを決意する。

そしてネット反体制活動をしているうちに憂国の同志達と繋がり彼らと革命軍を結成。発足時メンバー86人。

闇市場から武器を買い集めるなど着々と準備を進め結成2年後ついに実力行使に出る。

2001年2月20日革命軍東京六本木にある米軍施設赤坂プレスセンター攻撃を加え一時占領することに成功

その後、米軍自衛隊攻撃され撤退。俺はなんとか生き残る。

多くの同志が殺害または逮捕され革命軍解散危機に瀕するかに思えたがその勇敢さに感動した憂国の同志が日本中から集まることによりむしろ兵力は増強された。

その後、警察公安、軍による掃討作戦に抵抗しながら蜂起の時を待ち続ける。

そして2008年1月16日新宿渋谷池袋などで革命軍は一斉に蜂起。永田町霞ヶ関へも侵攻。

国の中枢への攻撃民間人大量虐殺により日本は大混乱する。

その混乱に乗じて革命軍臨時政府樹立宣言を行う。

しかし次第に自衛隊米軍の態勢が整い体制側の反撃が始まる。

革命軍ゲリラ戦で抵抗するが相手の圧倒的な火力と人数、練度の差により次々と駆逐されついに一時解散を決定。

池袋戦線にいた俺は奥多摩へ逃亡を始めるが途中で自衛隊に遭遇。近接戦闘になり首を折られて死亡。38歳だった。

俺は死んだので革命軍がその後どうなったのかはわからない。

2018-01-16

ICAN事務局長来日・面会要請安倍首相歴訪に関する時系列まとめ

時系列

2017年
12月14日 エストニア含めたバルト三国など歴訪予定。『1月中旬に1週間の日程で調整』 ※1
12月19日 エストニアなど欧州6カ国を歴訪予定。『1月12~18日の日程を軸で調整』 ※2
12月22日 ICANから安倍首相へ面会要請(1回目) ※3

2018年
1月5日 安倍首相東欧6カ国を歴訪正式決定。『1月1217日の日程』 ※4 ※5
1月8日 ICANから安倍首相へ面会要請(2回目) ※3
1月12日 11時5分 羽田空港より政府専用機にて安倍首相 外遊出発 ※6
1月12日 ICAN フィン氏来日 ※7
(中略)
1月14日 ピースボートによると外務省よりICANへ面会不可連絡受けたことが判明(連絡日時は不明)
1月16日 ICAN フィン氏 東京滞在 ※8

1月17日 ICAN フィン氏 東京滞在 ※8
1月17日 午後4時 安倍首相帰国予定 ※3
(詳細)
 + 午後4時9分 安倍首相 羽田空港帰国
 + 午後4時43分 安倍首相 皇居着。帰国の記帳。同51分、皇居発
 + 午後5時2分 東京二番町表千家東京稽古場にて初釜式出席、会食。
 + 午後7時13分 東京富ケ谷 私邸着

1月18日 昼過ぎ ICAN フィン氏 日本出国 ※3 
1月18日 安倍首相オーストラリア首相会談、夕食会 ※9
(詳細)
 + 午前9時38分 私邸発
 + 午前9時55分 東京市谷本村町 防衛省着。
 + 午前10時8分 オーストラリア ターンブル首相陸上自衛隊ヘリコプター市谷本村町 防衛省発
 * 午前11時18分 羽田空港にてICAN事務局長フィン氏
※URL貼り付け制限のためか貼れない…詳細は首相動静Twitterなどより


※1 - 安倍首相エストニア訪問来年1月中旬で調整(毎日) https://mainichi.jp/articles/20171214/k00/00m/010/190000c
※2 - 安倍晋三首相、1月12日からバルト三国など初訪問 対北朝鮮で協力要請(産経) http://www.sankei.com/politics/news/171220/plt1712200010-n1.html
※3 - 「日程合わず」と面会拒絶 安倍首相ICAN門前払い”の狙い(日刊ゲンダイ) https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/221303
※4 - 安倍首相東欧歴訪を正式表明=12日から(時事) https://www.jiji.com/jc/article?k=2018010500639&g=prk
※5 - 平成30年1月10日(水)午後 | 官房長官記者会見(首相官邸) https://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201801/10_p.html
※6 - 首相動静―1月12日(朝日) https://www.asahi.com/articles/ASL1D5VJLL1DUTFK00Y.html
※7 - ICAN事務局長が初来日 「日本は核禁条約参加を」(共同) https://this.kiji.is/324485393523901537?c=110564226228225532
※8 - ベアトリス・フィンICAN事務局長来日します(ピースボート) http://peaceboat.org/22104.html
※9 - ターンブル・オーストラリア連邦首相訪日(外務省) http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_005508.html 

東京滞在中に会える時間

1月17日 夕方以降
 ⇒7/1111/15の外遊帰国後は皇居に訪れ、帰国の記帳をおこなう(9/15北朝鮮ミサイル発射後の帰国時はなかった)
 ⇒裏千家初釜式」は4日間で政財界文化関係者、各国の大使ら2300人が出席される毎年恒例行事
 ⇒外遊した後の夜に空きはあるにはある
1月18日 午前中
 ⇒オーストラリア首相との会談のため、ほぼ無し

個人的感想

ICANの面会要請は日程がほぼ確定後に要請しており、後出し要請している様に思われる。
東京滞在時に会える時間帯は殆どない。
外遊帰国後の17日夜に時間はあるが、帰国した後に休みを取らず翌日の首脳会談に備えるべきなのか?
現実的にはかなりタイトスケジュールとなっており、厳しい
・フィン氏には日本国外務省代表として佐藤外務副大臣が会っている

備考(ICANへの日本からの参加団体)

ピースボート

ヒューマンライツ・ナウ

平和首長会議(広島市)

核戦争防止国際医師会議日本支部(広島市)

反核医師の会

創価学会インタナショナル

・Project NOW!

anond:20180116122601

普通掲示板」なら一年前の書き込みを引っ張りだせるのか。

増田キーワードもあるしRSSも吐いてるしソーシャルブックマークとの親和性も高いので

そんなメタ情報を持ってない「普通掲示板」よりは昔の記事を見つけやすいよ。

ちなみに増田は日付指定もできるんで2017年1月16日記事ならこうな。

https://anond.hatelabo.jp/20170116

2018-01-13

この記事は半保護されています。(半保護の方針による半保護) ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 曖昧さ回避ベートーヴェンベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven Beethoven.jpg 基本情報 別名 楽聖 生誕 1770年12月16日頃 出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ボン 死没 1827年3月26日(56歳没) オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン ジャンル 古典派音楽 活動期間 1792 - 1827 ベートーヴェンのサイン ウィキポータル クラシック音楽 ポータル クラシック音楽 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。 目次 [非表示] 1 生涯 2 作風 2.1 初期 2.2 中期 2.3 後期 3 後世の音楽家への影響と評価 4 芸術観 5 思想 6 人物 6.1 名前 6.2 ベートーヴェンフリーメイソンリー 7 死因また健康について 7.1 聴覚障害について 8 親族 9 弟子 10 代表作 10.1 交響曲(全9曲) 10.2 管弦楽曲 10.3 協奏曲、協奏的作品 10.4 室内楽曲 10.5 ピアノ曲 10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品 10.7 宗教曲 10.8 歌曲 11 著作 12 伝記 13 脚注 14 参考文献 15 関連項目 16 外部リンク 16.1 録音ファイル 16.2 伝記 生涯 ベートーヴェン(1803年) 1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。 1787年、16歳のベートーヴェンウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。 1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノ即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。 20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。 1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。 40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。 1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。 作風 初期 作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドンモーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。 中期 1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。 中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。 これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。 後期 1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。 後世の音楽家への影響と評価 ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。 ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。 中でもワーグナーは、ベートーヴェン交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。 一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルクバルトークプロコフィエフショスタコーヴィチラッヘンマンにまで影響を与えている。 芸術観 同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルモーツァルトなどから影響を受けた[7]。 ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。 思想 ベートーヴェンカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。 また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。 政治思想的には自由主義者であり、リベラル進歩的政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒウィーン体制では反体制分子と見られた。 その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。 人物 身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。 基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。 当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。 潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。 性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。 師ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。 パトロンカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。 テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。 交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントンシンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。 聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。 死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。 これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。 メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番ハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。 彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。 パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。 コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。 名前 原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。 日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナーヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。 姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラントフランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。 vanはドイツ語オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。 偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。 ベートーヴェンフリーメイソンリー 詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照 死因また健康について 慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。 ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。 1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。 聴覚障害について 難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。 耳硬化症説 伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。 又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。 先天性梅毒説 「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。 鉛中毒説 上載の死因また健康についてを参照。 メッテルニヒ政権説 ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。 有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。 デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。 完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。 親族 祖父:ルートヴィヒ同姓同名) (英語版) フランドル地方メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンスアウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。 祖母:マリア・ヨゼファ 父:ヨハン 母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)  ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。 弟:カスパール・アントンカール 甥:カールドイツ語版)  カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。 弟:ニコラウス・ヨーハン 同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。 弟カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。 弟子 カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。 フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。 ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。 ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。 アントンシンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。 代表作 詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照 交響曲(全9曲) 第1番 ハ長調 op.21 第2番 ニ長調 op.36 第3番 変ホ長調エロイカ(英雄)』 op.55[12][13] 第4番 変ロ長調 op.60 第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13] 第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12] 第7番 イ長調 op.92 第8番 ヘ長調 op.93 第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13] 管弦楽曲 『レオノーレ』序曲第1番 op.138 『レオノーレ』序曲第3番 op.72b 序曲『コリオラン』ハ短調 op.62 交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91 『命名祝日』序曲 op.115 『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113 『献堂式』序曲 ハ長調op.124 協奏曲、協奏的作品 ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12] ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61 ロマンス第1番 ト長調 op.40 ロマンス第2番 ヘ長調 op.50 三重協奏曲(ピアノヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56 合唱幻想曲 ハ短調 op.80 室内楽曲 弦楽四重奏曲(全16曲) 第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1 第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2 第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3 第10番 変ホ長調(ハープ) op.74 第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95 第12番 変ホ長調 op.127 第13番 変ロ長調 op.130 大フーガ 変ロ長調 op.133 第14番 嬰ハ短調 op.131 第15番 イ短調 op.132 第16番 ヘ長調 op.135 弦楽五重奏曲 (全3曲) ヴァイオリンソナタ(全10曲) 第5番 ヘ長調 『春』 op.24 第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47 チェロソナタ(全5曲) ピアノ三重奏曲(全7曲) 第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1 第7番 変ロ長調『大公』 op.97 その他の室内楽曲 ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17 六重奏曲 op.81b 七重奏曲 変ホ長調 op.20 管楽八重奏曲 op.103 ピアノ曲 ピアノソナタ(全32曲)   第8番 ハ短調『悲愴』 op.13 第14番 嬰ハ短調 『月光』 op.27-2 [13] 第15番 ニ長調 『田園』 第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2 第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53 第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13] 第26番 変ホ長調『告別』 op.81a 第29番 変ロ長調ハンマークラヴィーア』 op.106 第30番 ホ長調 op.109 第31番 変イ長調 op.110 第32番 ハ短調 op.111 その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等) 創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34 創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35 『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78 『ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79 創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80 創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76 ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120 アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57 幻想曲 op.77 ポロネーズ ハ長調 op.89 7つのバガテル op.33 11の新しいバガテル op.119 6つのバガテル op.126 バガテル『エリーゼのために』 WoO.59 本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品 歌劇『フィデリオ』 op.72c 劇付随音楽『エグモント』op.84 劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113 バレエ音楽プロメテウスの創造物』 op.43 オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 op.85 カンタータ『静かな海と楽しい航海』 op.112 別れの歌 皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87 宗教曲 ミサ曲 ハ長調 op.86 ミサ・ソレムニス ニ長調 [12]  修道僧の歌 歌曲 アデライーデ op.46 汝を愛す 鶉の鳴き声 新しい愛、新しい生 口づけ 追憶 懺悔の歌 モルモット(旅芸人) 連作歌曲集『遥かなる恋人に寄す』 op.98 曇りのち、快晴 著作 『ベートホーヴェンの手紙』 外山楢夫訳、新しき村出版部、1926年。 『ベートーヷンの手紙』 中西武夫訳、啓明社、1928年。 『ベートーヷン書翰集』 中西武夫訳、啓明社、1930年。 『ベートーヴェンの手紙』第1編、鈴木賢之進訳、音楽世界社〈楽聖書簡叢書〉、1936年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎訳、岩波書店岩波文庫 2579-2581〉、1940年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎選訳、岩波書店岩波文庫〉、1950年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎訳、岩波書店岩波文庫〉、1957年、改訂増補版。 - 附:

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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

曖昧さ回避ベートーヴェンベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

Ludwig van Beethoven

Beethoven.jpg

基本情報

別名 楽聖

生誕 1770年12月16日

出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ボン

死没 1827年3月26日(56歳没)

オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン

ジャンル 古典派音楽

活動期間 1792 - 1827

ベートーヴェンのサイン

ウィキポータル クラシック音楽 ポータル クラシック音楽

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。

目次 [非表示]

1 生涯

2 作風

2.1 初期

2.2 中期

2.3 後期

3 後世の音楽家への影響と評価

4 芸術観

5 思想

6 人物

6.1 名前

6.2 ベートーヴェンフリーメイソンリー

7 死因また健康について

7.1 聴覚障害について

8 親族

9 弟子

10 代表作

10.1 交響曲(全9曲)

10.2 管弦楽曲

10.3 協奏曲、協奏的作品

10.4 室内楽曲

10.5 ピアノ曲

10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品

10.7 宗教曲

10.8 歌曲

11 著作

12 伝記

13 脚注

14 参考文献

15 関連項目

16 外部リンク

16.1 録音ファイル

16.2 伝記

生涯

ベートーヴェン(1803年)

1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。

1787年、16歳のベートーヴェンウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。

1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノ即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。

20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。

1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。

40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。

1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。

作風

初期

作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドンモーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。

中期

1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。

中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。

これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。

後期

1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。

後世の音楽家への影響と評価

ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。

ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。

中でもワーグナーは、ベートーヴェン交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。

一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルクバルトークプロコフィエフショスタコーヴィチラッヘンマンにまで影響を与えている。

芸術観

同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルモーツァルトなどから影響を受けた[7]。

ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。

思想

ベートーヴェンカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。

また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。

政治思想的には自由主義者であり、リベラルで進歩的な政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒウィーン体制では反体制分子と見られた。

その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。

人物

身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。

基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。

当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。

潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。

性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。

ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。

パトロンカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。

テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。

交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントンシンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。

聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。

死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。

これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。

メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番ハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。

彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。

パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。

コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。

名前

原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。

日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナーヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。

姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラントフランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。

vanはドイツ語オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。

偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。

ベートーヴェンフリーメイソンリー

詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照

死因また健康について

慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。

ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。

1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。

聴覚障害について

難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。

耳硬化症説

伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。

又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。

先天性梅毒説

「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。

鉛中毒説

上載の死因また健康についてを参照。

メッテルニヒ政権説

ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。

有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。

デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。

完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。

親族

祖父:ルートヴィヒ同姓同名) (英語版)

フランドル地方メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンスアウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。

祖母:マリア・ヨゼファ

父:ヨハン

母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)  ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。

弟:カスパール・アントンカール

甥:カールドイツ語版)  カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。

弟:ニコラウス・ヨーハン

同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。

カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。

弟子

カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。

フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。

ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。

ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。

アントンシンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。

代表作

詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照

交響曲(全9曲)

第1番 ハ長調 op.21

第2番 ニ長調 op.36

第3番 変ホ長調エロイカ(英雄)』 op.55[12][13]

第4番 変ロ長調 op.60

第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13]

第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12]

第7番 イ長調 op.92

第8番 ヘ長調 op.93

第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13]

管弦楽曲

『レオノーレ』序曲第1番 op.138

『レオノーレ』序曲第3番 op.72b

序曲『コリオラン』ハ短調 op.62

交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91

『命名祝日』序曲 op.115

『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113

『献堂式』序曲 ハ長調op.124

協奏曲、協奏的作品

ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12]

ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61

ロマンス第1番 ト長調 op.40

ロマンス第2番 ヘ長調 op.50

三重協奏曲(ピアノヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56

合唱幻想曲 ハ短調 op.80

室内楽曲

弦楽四重奏曲(全16曲)

第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1

第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2

第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3

第10番 変ホ長調(ハープ) op.74

第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95

第12番 変ホ長調 op.127

第13番 変ロ長調 op.130

大フーガ 変ロ長調 op.133

第14番 嬰ハ短調 op.131

第15番 イ短調 op.132

第16番 ヘ長調 op.135

弦楽五重奏曲 (全3曲)

ヴァイオリンソナタ(全10曲)

第5番 ヘ長調 『春』 op.24

第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47

チェロソナタ(全5曲)

ピアノ三重奏曲(全7曲)

第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1

第7番 変ロ長調『大公』 op.97

その他の室内楽曲

ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17

六重奏曲 op.81b

七重奏曲 変ホ長調 op.20

管楽八重奏曲 op.103

ピアノ曲

ピアノソナタ(全32曲)  

第8番 ハ短調『悲愴』 op.13

第14番 嬰ハ短調 『月光』 op.27-2 [13]

第15番 ニ長調 『田園』

第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2

第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53

第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13]

第26番 変ホ長調『告別』 op.81a

第29番 変ロ長調ハンマークラヴィーア』 op.106

第30番 ホ長調 op.109

第31番 変イ長調 op.110

第32番 ハ短調 op.111

その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等)

創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34

創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35

『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78

ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79

創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80

創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76

ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120

アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57

幻想曲 op.77

ポロネーズ ハ長調 op.89

7つのバガテル op.33

11の新しいバガテル op.119

6つのバガテル op.126

バガテル『エリーゼのために』 WoO.59

本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。

オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品

歌劇『フィデリオ』 op.72c

劇付随音楽『エグモント』op.84

劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113

バレエ音楽プロメテウスの創造物』 op.43

オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 op.85

カンタータ『静かな海と楽しい航海』 op.112

別れの歌

皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87

宗教曲

ミサ曲 ハ長調 op.86

ミサ・ソレムニス ニ長調 [12] 

修道僧の歌

歌曲

アデライーデ op.46

汝を愛す

鶉の鳴き声

新しい愛、新しい生

口づけ

追憶

懺悔の歌

モルモット Permalink | 記事への反応(1) | 03:05

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